〜2006年1月 前 編〜

■1月某日晴れ
 いよいよというか、またまた買付け。今年初めての買付けだ。長くこのアンティークディーラーという稼業を生業としてきたが、この時期の買付けを思うと、本当に気持ちが暗くなってしまう。なぜって?そう、何よりも冬のヨーロッパがただただ寒いからだ。この時期、仲良しのディーラー仲間が集まると、買付けの話から、今までの買付けで体験した「寒さ自慢」へと移行していくことが多い。どれだけ沢山の服を着たかという「厚着自慢」から今まで体験した最低気温の「気温自慢」、数年前にはイギリスが大雪だったこともあり、その際の「大雪自慢」というのもあったなぁ、と寒々しい気持ちで思い出す。今まで、ディーラー仲間から聞いた話では、「寒波の中、屋外でのアンティークフェアで、あまりの寒さで立ち止まっていることが出来ずピョンピョン跳んでいた。」という笑えるものから、マイナス何度という中、屋外でずっとアンティークを探した挙げ句「目の縁が凍った(!)」というウソかホントか分からない話まである。(笑)

 私と河村との間でも、二年前の「ハイドパークコーナー雪の中、立ち往生事件」と言うのは語り草になっている。その話というのは、ロンドンでも珍しく大雪の降った寒い夕方のこと、毎度の地下鉄の故障で、地下鉄に乗っていた乗員全員がハイドパークコーナー駅で降ろされ、バスでの移動を余儀なくされたことがあったのだ。車両に乗っていた全員が地上のバス停へと向かったものだからバス停周辺は大混乱。おまけにラッシュアワーときているので、バスが来てもわずかな数の乗客しか乗せることが出来ない。雪の降りしきる中、傘も無く、足先がジンジンしながら長時間バスを待ちつづけ、最後は降りる方の出口から必死に乗り込むという反則技で、やっとバスに乗ることが出来たのだった。

 そんな思いをしてまで何故海外へ足を運ぶのか?と問われれば、「そこにアンティークがあるから。」という他はない。そんな訳で、今回も決死の覚悟で(!)買付けに来たのだった。

グレイの空、グレイの石造りの街並み。そんなパリの中でも、花屋の店先にはたくさんの色で溢れています。鮮やかなはっきりした色彩のアネモネは私の大好きな花です。

■1月某日 曇りのち雪
 今回の買付けのスケジュールは少し変則的。まずフランスで二日間買付けをした後、イギリスへ渡って一週間を過ごし、その後河村は横浜のフェアに出店のため帰国。私だけがフランスへ戻り数日間買付けを続けることになっている。私も河村も以前はそれぞれ一人で買付けに来ていたこともあって、一人で行動することにはあまり抵抗が無い。今回もちょっと寂しいけれど、それぞれ帰りは別々だ。

 今日は朝6時39分発の電車に乗ってパリから1時間あまり、ノルマンディーのフェアへ。朝一番の電車に乗ってもスタートに間に合わないため、必死だ。朝6時39分発のノルマンディーへ向かう列車に乗らなければならないためホテルからはタクシーで駅へ向う。早朝の駅はまだ真っ暗、空気は冷え切っている。河村と「こんな時間に出掛けるなんて、酔狂としか言えないよね〜。」と言い合う。

 列車が駅に到着すると次はディーラーによるタクシー争奪戦だ。フェアの会場は駅からタクシーでしか行くことが出来ないため、列車が駅に着く前からスタンバイし、列車を降りると同時にタクシー乗り場に向って猛ダッシュ。タクシー乗り場には運良く1番にたどり着いたのだが、今回は私達の読みが外れ、1台のタクシーも見あたらない。何分待ってもタクシーの来る気配はない。それどころか駅前の工事が始まりタクシー乗り場にはタクシーが入れないようだ。仕方なく駅前から移動して街でタクシーを拾おうとするが、まったく駄目。タクシーを何台か捕まえても、ちょうどタクシーの交代の時間なのか、来るタクシー、来るタクシー、皆 "Non!"と乗車拒否。これではせっかく早くやって来たのに、"タクシー難民"になってしまった。結局タクシーを拾うのに40分位かかっただろうか、ようやく捕まえた1台に乗り込み会場へと向う。やれやれ。

 やっとたどり着いた今回のフェア、会場へ入ると熱気ムンムン。既に人でいっぱいだ。河村とともに勝手知った場内をあちらこちらへ。早速可愛いお人形のドレスや帽子などの衣装をget。今回はフランスらしいもののひとつ、ブロンズのフォトフレームに出物があり、両側からエンジェルが飛ぶフレームを発見!その他にもお人形サイズの小さなフレームも。全部で3つのフレームを買付ける。中には古いアンティークのシルク生地を入れる予定、きれいに磨いて中にシルクを入れて飾るのが今から楽しみだ。その他にもシルバーのソーインググッズやフランスならではの繊細な編み目の可愛いバスケット等々、どれも私達好みのフランス雑貨ばかり。可愛いものをみつけるときのドキドキ感は、まさに「アンティークハント」という感じだ。

 会場に出ているカフェテリアのバゲットサンドで腹ごしらえ。フランスのバゲットサンドはジャンボン(ハム)、ジャンボン・クリュ(生ハム)、プーレ(鶏肉)やトン(ツナ)、ブリーチーズやシェーブルチーズなどなど様々な種類があるが、私が一番好きなのはもっともシンプルなハムとバターのみのジャンボン。このバゲットサンド、フランスで囓るたび「あぁ、フランスへ来たんだなぁ。」と思わせるとても身近な食べ物だ。
 帰りは、行きと反対にまた会場からタクシーに乗り駅へ。午後のパリ行きの列車は2時間に1本しかないため、「これを逃すと大変!」とさっさと退散。夕刻、パリに戻ると外は小雪が舞っていた。

ノルマンディーらしいどんより曇り空とアール・ヌーボー様式の駅舎。いつの日かジャンヌ・ダルクゆかりのこの地をゆっくり旅してみたいものです。

■1月某日 曇り
 今日は、夕刻パリからロンドンへユーロスターで移動の予定。私はまた来週パリへ戻ってくるのだが、今回はたった二日しかパリに滞在できない河村はとても残念そう。「フランスかぶれ」の私達にとって、仕事とはいえフランスに滞在することは買付けの大きな楽しみなのだ。

 午前中からいつもお世話になっているディーラーの元へ。リボンやレース、そして生地など、溢れるような色彩の頼んでおいた様々なものを広げ、大満足。可愛い色合いのロココの束に感激!もう在庫が少なくなっていた可愛いブラウスや、実際に着ることの出来るコットンドレスなど、フランスらしい服飾品が手に入って嬉しい。そして、ほとんどディーラーから奪うようにロココで飾ったすごく可愛いバスケットをget。ロココとレース、そしてブレードでデコレーションされた文句なしにとても可愛いバスケットなのだ。フェアでディスプレイするのが楽しみ。

 夕方のユーロスターの時刻まで大急ぎ。その足で紙ものフェアへ。このフェアへ訪れるのは初めて、しかもとても分かりにくい場所のため、会場を探して右往左往。ようやく会場に着いたのだが、どんどん会場を出なければいけない時間が迫ってくる。ただただ、自分たちの好みに合うカードを求めて、会場を駆け回る。そんな中でひときわ大きなサイズの魅力的なクロモスを発見!譲ってもらったディーラー曰く"Excellent!"というレベル。なかなか巡り会うことの出来ない紙もののひとつだけに、満足のいくものを手に入れ、ほっとしながらそうそうに会場を後にした。

 大急ぎでホテルへ戻り、預けてあったスーツケースを受け取って、予約してあったタクシーに乗り込む。いつも私と河村それぞれ二つずつのスーツケースを持って来るのだが、今回は冬服を詰めているのと、ロンドンで食べるための食料を沢山持ってきているため、二人の荷物はお互いに出発時から既に30キロほど。そのためタクシーでないと移動できないのだ。タクシーの運転手に"Je voudrais aller a la Gare de Lyon.(リヨン駅へ行きたいのですが…)"と告げる河村。実は、このセリフ、私達がフランス語のレッスンで使っているテキストに以前出てきた例文なのだ。実際に行かなければならないのはリヨン駅ではなく北駅。慌てて"Non!Non!Gare du Nord s'il vous plait!!(北駅お願いします!!)"と叫ぶ。無事北駅について、カートに二人分のスーツケースの山を積み込み、ユーロスターのゲートへ。夕方とあって、ゲートは大混雑。特に去年のロンドンのテロ事件以来、イギリスの入国審査がユーロスター乗車前に行われるようになってからというもの、すごい込みようでこの入国審査を越えるのがものすごく大変なのだ。人によってはユーロスターの出発時間が迫っている人もいて、みんなイライラ、ドキドキしながら順番を持っている。セキュリティーを越え(このセキュリティーがまた大変!30キロのスーツケースを高さ1メートル以上あるレントゲンの機械の台に「よっこいしょ!!」と持ち上げるのは気合いのみ。)ようやくラウンジまで到着。その後、長い長いホームを通って自分のシートへ。やっとの思いで指定のシートへたどり着いた私達はロンドンまでおとなしく熟睡したのだった。Zzz…

 午後9時過ぎ、ロンドンのいつものフラットに到着すると、既にレセプションが閉まる時間にもかかわらずマネージャーのRoyは"Hi!Sakazaki"と待っていてくれた。彼の笑顔にほっとする。

フラットの側でみつけた一輪の冬の薔薇。この寒さの中でも凛と花開く姿はちょっぴり感動的でした。

■1月某日曇り
 今日は6時前に出動!外はまだ真っ暗、懐中電灯を持って仕入れに出掛ける。今日は寒さが予想されるため、足元は山登り用のソックス、下半身は3枚重ね履き、上半身はフリースの重ね着、体にカイロを張りまくる。そして仕上げはダウンのロングコートと帽子、モコモコのマフラー(なんという素材だか分からないので"モコモコ"としか言いようがないのだ。)、手袋も指ありと指なしの2枚重ねだ。この指なし手袋、冬の買付けでは必須アイテム。アンティークの状態は素手でないと確認できないため、手に取るときには、必ず素手か指なし手袋で。目で見るだけでなく、触ることで確認することも多いのだ。

 まずは、私のお気に入りアイテム、アイボリーのピンディスクを発見。今回出てきたのは、持っていないスミレ柄。早速買付ける。いつも仕入れているジュエラーの彼女からヴィクトリアンのブレスやシールなどを仕入れる。今回二つ入れたシール、ひとつはラヴリーなリス柄、もうひとつは錨とクロスとハートを組み合わせたもの。シールの石自体がハート型になったチャーミングなものだ。その後、やはり馴染みのソーイングものを扱う女性ディーラーのところでシルバー製のピンクッションを。このピンクッション、ローズバスケットの形を模してあっていかにも「細工物」という感じ。高価なお値段に躊躇する河村を尻目にget。この日は、ジュエリーにツキがあり、アイボリー製のすずらんや、同じくアイボリーの"spray(小さな装飾用の花束の意)"と呼ばれる薔薇と小花を組み合わせたブローチが出てくる。また、アール・ヌーボーの色濃いフランスのすずらんをかたどったゴールドのブローチなど(すずらんのお花が揺れるパールになっているのだ!)、お花づくしの仕入れだった。

 最後にいつも連絡を取り合っているレースのディーラーのもとへ。彼女は私達のイギリスにおける大事なひとりだ。今回もすご〜いレースが出た!今まで実物では目にしたことのない程緻密な細工のホワイトワークのハンカチと素晴らしいブリュッセルレースのバルブ。特にブリュッセルレースは、ボビンを1000本以上も使って織り上げたという大変手の込んだものだ。早くこれらのレースをお客様の皆様に見せたくてたまらない。

 買付けは体力と集中力の勝負だ。買付け中は、どれだけ長く歩き回ってもまったく疲れず、どこまでも歩いていけるのだが、ひとたび買付けが終わると「腑抜け」状態に。「もうだめだ〜。」とフラットへ戻り、お昼ご飯を食べ、バタンキュー。そのままベッドへ直行してしまった。本当に買付け中って、買付けしている以外は、寝ているか、読書か、食べているかのどれかなのだ。

ケンジントンガーデンにあるカンクンガーデンは、私達が「リスちゃんの小径」と呼ぶリスの宝庫(笑)。ステーツアパートメント脇にあるここに来れば必ずリスちゃんに会うことが出来ます。是非ナッツ類を手にお出掛けを。

■1月某日曇り
  今日はロンドン市内でいくつかフェアがあるため、3箇所のフェアをハシゴする予定。まず、ひとつめはヴィンテージのコスチュームフェア。オープン前に余裕を持って出掛けたのだが、ゲートはもう人だかり。こういったコスチュームのフェアは、ロンドンでは最近大人気。いつも女性ばかり、すごい熱気で賑わっている。今日はゲートに並んでいると、後から来た中国人の女性ディーラー数人が、並んでいる私達を無視して、横入りをしてくる。今までフェアでそんな経験が一度もない私は「え〜っ!!なんで?」とびっくり。国民性の違いなのだろうか?硬い表情の彼女たちは、そんな私達をまったく気にすることなく、平然とグループで固まって他の人達が前に行かないようにガードしている。普段は気の強い私なのだが、驚いたせいで何も言えず、ただただ目を丸くするばかりだった。
 ここ最近香港からきたと思われる中国人ディーラー姿を見ることが多くなったのだが、私達日本人と同じなのは肌の色と髪の色ばかり。そのせいで一見近しく思えるのだが、お人好しの日本人とは、良くも悪くも精神構造が全然違うようだ。

 そして肝心のコスチュームフェア、広い会場いっぱいにコスチュームを扱うディーラーが商品を広げているのだが…ほとんどがフィフティーズ以降の古着が主体のため、私達の好みに合うものは少ない。私達が求めているヴィクトリアンのものが出ていても、「時代衣装」というか、本当に当時のシルクドレスそのものになってしまうので、とても興味があるのだが、非常に高価。まるでミュージアムにいる感覚で、「このドレスの生地、すっごく可愛い!」と近寄って行って眺めてしまう。そんなふうに会場をウロウロしていると、フランスものを扱うディーラーのところから小さめの布箱が!小さめのサイズも美しい織り柄の生地も私好み、小さなお人形を入れてもぴったりのサイズだ。大急ぎでget。

 結局ここではボタンとカットワークのレースボーダー、そしてボックスを仕入れたのみ。ボタンは、いつも北の地方のフェアで会うお馴染みの夫婦ディーラーにたまたま出会い仕入れたもの。私が「今週ある北のフェアにも出店するの?」と尋ねると、彼女の方が「とんでもない!」という表情で「冬はあんな寒いところ出ないわよ!」というお返事。ここで出会えて良かったかも。でも、今週私達はその寒い北のフェアへ行くのだ。

 次に出掛けたのは、ドール&トイショウ。お人形とお人形に関するものとぬいぐるみなどが出品されるトイショウだが、今日はあまり沢山のディーラーが出ておらず、会場は閑散とした雰囲気。あまり高価なお人形も展示されていない。ちょっぴりがっかりしながら会場を回ると、私の愛するシュタイフの小さいウサちゃんと遭遇。こういったウサギやネコの小さめのぬいぐるみに弱いのだ。目にするとついつい仕入れずにはいられないのだ。

 最後にたどり着いたのはロンドン市内のホテルフェア。これが、まったくモノがなく、力が抜けてしまった。会場を何度も何度もグルグル回るのだが、全然引っかかってくるモノがなく退散。願わくば…どこかアンティークがザクザクあるところへ行ってみたい。そんな所なんて無いよなぁ。

 さて、一度フラットへ帰りまたもや昼寝。どうやら冬のヨーロッパは寒いことと暗いことで、人間も冬眠状態になるらしく、沢山眠らないとやっていられないらしい。3時過ぎ、むっくり起きあがって、「これじゃ、いかん。」とフラットから歩いても行くことの出来るケンジントンガーデンへ向う。ケンジントンガーデンの中にあるヴィクトリア女王も住んでいたというケンジントンパレスのステーツアパートメントへ行くのだ。宮殿といっても小さなものだが、ここの古い衣装の展示と、1900年当時の女性の化粧台や、ドレスを仕立てる仕立て屋をアンティークで再現した展示が大好きで、たまに出掛けるのだ。実は、昨日とびきりのブリュッセルのバルブを手に入れた際、ディーラーから「同じようなレースのバルブがステーツアパートメントに展示されているわよ。」と教えられて、是非見ておきたかったのだ。

 以前からステーツアパートメントにはたびたび訪れた私だが、今回はダイアナ妃の衣装と写真展も併設されているせいか£10(日本円で約2000円強※日本語のガイドフォン付き)と入場料が高い。でも、静かで、宮殿といってこじんまりしていて、どこか雰囲気に親しみが持てる。日本語のガイドフォンを片手に、ゆっくりと進んで行くと…あった!あった!まず河村が「これだよ!」バルブをみつける。たしかに私達が手に入れたものとそっくり。「やっぱりミュージアムピースだね。」と嬉しくなる。このヴィクトリアンの仕立て屋を再現したコーナーは、いつも私が扱っているアンティークのお裁縫道具やら、古いドレスの美しいシルク地が展示されていてとても興味深い。ロンドンへ観光に行かれる方にはおすすめの場所だ。

ステーツアパートメントはヴィクトリア女王をはじめ歴代の王族も住んだれっきとした王宮です。けっして大きな規模ではありませんが、ここで生まれ育ったヴィクトリア女王は即位をしてバッキンガムパレスに移り住む際、「けっしてここでの日々を忘れることはないでしょう。」と言っています。アイアンの細工も壮麗。

■1月某日曇り
 今日はロンドン市内のマーケットへ。10年前だったら、朝7時前から出掛けなければならない程賑わい、競争率の高い場だったのだが。ここ数年は出店しているディーラーの数も減り、わざわざ出掛ける必要も少ない場所に成り下がってしまった。が、「もしや…」と思い出掛けてみる。そうしたところが、まず朝から地下鉄のエレベーターに閉じこめられる惨事となってしまった。

 ロンドンの地下鉄は、最も早くヴィクトリア時代に作られたサークルラインなどは別だが、ノーザンラインやピカデリーライン、ジュビリーラインなどは地下深くを通っている。ごく新しいウエストミンスター駅など、地上から遥か深く、まるでシェルターのようだ。(たぶん実際にそのような用途で作ったものと思う。)一応、階段もある場合が多いのだが、いつ地上に着くとは知れないほど長く真っ暗なうえ、汚く、細い螺旋階段で、くるくると上っているうちに吐き気がしてきそうだ。かといって、地下鉄の巨大なエレベーターは、なにやら「収容所」を思い出させる雰囲気。日本の地下鉄に比べると信じられないほど汚れているし、どちらにしてもあまり気分の良いものではない。

 その時も非常ベルが鳴る中、「非常ベルなんていつもの頃だから。」とそのまま他の乗客と一緒に乗り込むと…そのまま扉が閉まってすこし上がったのだがすぐにエレベーターはビクとも動かなくなってしまった。20人ほどが一緒に乗り込んでいただろうか、私一人が「どういうことよ!信じられない!!(怒)」とイラつく中、他のイギリス人達はポーカーフェイスでみんな平静を装っている。非常電話から地下鉄の係員が呼び出しを行なったのだが、状況はいっこうに変わらない。結局20分近くエレベーターの中にいただろうか?ようやくノロノロとエレベーターが動きだし、最後に地上に着くと係員が手動で(!)ドアを開けてくれた。きっとロンドンの地下鉄では、けっして珍しいことではないのだろう。「日頃からメンテナンスをしてくれ!」と捨て台詞を吐きながら外に出ると、ロンドンの曇り空が眩しく感じた。

 苦労して行った割には、買付けの方は残念ながらほとんど仕入れるものもなく、何度も何度もウロウロしただけで退散。

 そのままフラットには帰らず市内の仕入れ先を回ることに。ここで、懇意にしているビンテージコスチュームを扱うディーラーの所に、フランスのシルク製のとてもデリケートな雰囲気のバッグをみつけたのだが、彼女から「これは私のコレクションだから。」という理由で却下され、がっかりしながら手放す。ツキに見放されたかと思った今日の仕入れだが、お人形を扱うディーラーから私好みのフランス製のバスケットを手に入れる。リボンが飾られた、お人形やコサージュを入れて飾ると可愛い編み目の繊細なタイプだ。

 そして、最後に探し続けていたエナメル製の小さなボックスのペンダントトップを発見!筒状のギロッシェ、アイボリー地に小花が飛んでいる美しい一点だ。あまり満足のいくものが仕入れられなかった今日一日だが、このエナメルを手に入れたことで疲れも吹っ飛んでしまう。

フラットの裏のプライベートガーデンでは氷点下の気温の中、こぶし(?)の薄い花びらが寒さに震えていました。

■2月某日曇り
 ウォータールー駅5時過ぎ発の電車で郊外のフェアに行くため4時起き。もちろん地下鉄は動いていないため、大通りに出てタクシーを拾う。このウォータールー駅、パリに向うユーロスターの起点にもなっている駅だが、実は大変な思い出がある。

 今思うと笑えるお話なのだが、今から10年近く前、まだ私がアンティークディーラー駆け出しだった頃、「ウォータールーお泊まり事件」と呼んでいる出来事があったのだ。まだエンジェルコレクションを一人で切り盛りしていた時分、毎回ドキドキしながら買付けに出掛けていた私の若かりし頃の話だ。(最近では流石に滅多なことではドキドキしなくなってしまった。年齢が成せるワザだろうか?)そう、その話というのも…


 朝同じフェアに行くために泊まっていたホテルにモーニングコールを頼み、同じ日の午後、荷物をホテルに預けたまま田舎に向うため、ホテルをチェックアウトし、タクシーに乗ってウォータールーに向ったのだが…

私「ウォータールー駅まで行ってください。」
タクシードライバー「ウォータールー?いったいこの時間にウォータールーからどこに行くんだ!?」
私「ユーロスターでなくドメスティックへお願いします。ロンドン郊外に行くので。」

この時、きっと彼の頭の中は「???」という感じだったと思う。なぜなら、5時に設定したはずのモーニングコールが鳴ったのは午前1時過ぎ。まさか午前1時に起されているとも露知らず「死ぬほど眠いよぉ。」と思いながら、間違った時刻にまったく気付かぬまま全荷物を部屋から出し、チェックアウトしてしまったのだ。

 私が正しい時刻を把握したのはウォータールーに着いた後。「えぇっ!!?」と愕然としながら、駅の時計を見るとまだ午前2時前。電車に乗るまで数時間ある。「再びホテルに戻るのもなぁ、チェックアウトしてしまったことだし。」とそのまま駅で待つことに。が、2月の深夜、ウォータールーの気温はほとんど野外と同じ。それこそ凍死するほど寒かったのだ。この時間、待合室のラウンジも施錠されていて入ることが出来ない。最初、駅のベンチに腰を下ろしていたものの、あまりの寒さに駅構内を彷徨いだした。この時間駅にいるのは、寝袋で横たわるバックパッカーと清掃の黒人のお兄ちゃんのみ。「ここ死にそうに寒いんだけど、どこか暖かい場所はないかしら?」と泣きそうな顔で哀れっぽく訴える私に、彼は「ユーロスターの駅の方へ行ってご覧よ。あそこの方が暖かいよ。」と教えてくれる。すごすご言われたまま移動すると、たしかにほんの僅かに暖かい気がする。それに、ユーロスターの駅の方には、列車に乗り遅れてフランスへ帰れなくなってしまったのだろう、何人もの人々がベンチに横になって寝ていた。仕方なく、私もベンチに横になっているとフランス人の初老のおじさんが近づいてきた。

ムッシュウ「横に座ってもいい?」
私「どうぞ」
ムッシュウ「フランス語話せる?」
私「ちょっぴり。」
ムッシュウ「リモージュに住んでいるんだけど、ユーロスターに乗り遅れちゃったんだ。」
私「へぇ、リモージュってどんなところ?」
etc…

 その後しばらくお互いに英語とフランス語の片言でなんとか会話した後、

ムッシュウ「抱き合って寝よう。抱き合って寝れば寒くないよ。」
私「Non!!Non!!」

 結局ベンチの端と端に寝ていたのだが、一晩(?)同じベンチを共有した私達、朝になって別れる頃には妙な連帯感が生まれ、すっかり仲良くなって最後には抱き合ってチュッ!「元気でね〜。」とお別れしたのだった。以上、私が唯一「駅で寝た」体験だ。


 さぁ、話は元に戻って。相変わらず寒いことを除けば、この日はなかなかの収穫だった。まず、今までイギリスでは目にすることの無かったエナメル製のソーイングボックスを発見。ふたがシンブルになった筒状がチャーミングなセットだ。他にもダブルハートのリングなど、ジュエリーが色々出てくる。ふと気付くと「河村がホラあれ!」と指さしている。私達が商品として収集しているヴィクトリアンのソーイングツールのひとつ、ピンクションをみつけたのだ。小さなシルク製で、1800年代中頃のため、なかなか状態の良いものがないのだが、今日みつけたそれはグッドコンディション。しかも、「なんでこんなところに?」という感じで、まったく関係のないものを扱っているディーラーのガラスケースにちょこんと置かれている。「誰にも渡さないぞ!」と慌ててさっさと買付ける。

 なかなか良いものが手に入ったこの日、仕事を終えたお昼近く、帰りのロンドンまでの電車の中ではまたもや爆睡してしまった二人だった。

■2月某日曇り
 毎日、フラットに戻るとニュース番組がひたすら流れるCNNをテレビで流し続けるのが恒例だ。なぜって毎回のニュースの後に、必ず天気予報が流れるから。毎日天気予報をチェックしては一喜一憂の私達。イギリスでは毎日マイナスの気温を記録している。CNNでは、ヨーロッパ中の天気予報が見られるため、17℃というバルセロナの気温を見ながら「呼鳴、バルセロナに行きたいねぇ〜。」とか「イタリアいいよね〜。」などと叶わぬことを言い合う。

 さて今日は市内のマーケット・エンジェルへ。ここも一昔前は日本からのディーラーみんなが訪れる場所だったが、昨今はまったくダメダメになってしまった。おまけに一番奥にあったストールが、建物ごと無くなることになり、淋しいかぎりだ。顔馴染みの女性ディーラーがいるため行ってみたのだが、今日は何も無し。「また今度ね。」と言って彼女の所を後にする。

 このエンジェル、遙か昔は本当に奥深いマーケットだった。今回無くなってしまうストールも、昔は地下から3階まで沢山のアンティークショップが入っていたものだが、ここ数年は歯が欠けるようにどんどん減っていき、そしてとうとう閉鎖になってしまった。その当時、河村とはまだ出会っていなかったのだが、河村と二人で「昔は地下にだって沢山お店が入っていたよねぇ。」「そういえば、キッチンものを扱うお店があって…。」と昔を懐かしむ。当時いたおばあちゃんディーラー達はみんなリタイヤしてしまったんだろうなぁ。
 
 買付けがままならない今日は、恒例のV&Aことヴィクトリア&アルバートミュージアムへ。広大なミュージアムだけに、いつも何かテーマを決めて見ることにしている。今日のテーマは1600年〜1700年代のイギリス。当時の室内を再現した部屋や調度品の数々に、ヴィクトリアンよりさらに前の時代へとタイムトリップ。どれも、その当時実際に使われていたホンモノだけに楽しくてたまらない。その中でも私が一番気に入ったのはMargaret Latonの肖像画とその衣装。肖像画と一緒に、なんと実際に描かれたジャケットそのものが展示されていたのだ。クリーム色地のシルクに赤いお花とグリーンの葉っぱの素朴な模様。流石に赤い色は退色が進んでいたが、1600年代初頭の衣装がそのまま残っていることに感動する。

マンチュアと呼ばれる18世紀の宮廷衣装。あまりの横幅に、大げさというか、馬鹿げているというか、いったいこの時代の女性達はどんな思いでこれを纏っていたのだろう?ドアをくぐるには蟹歩きしかないと思うのだが…。

■2月某日曇り
今日はイギリスでのクライマックス、ヨーロッパ最大と言われているアンティークフェアへ。三日間開催されるこのフェア、いつもだったらレンタカーを借りて泊まりがけで出掛けるのだが、今回はスケジュールの都合で一日目だけ。一日めいっぱい会場を歩き回って、翌日のパリ行きに備えて晩にはロンドンに戻ってこなければならない。

 いつものように朝出掛けにCNNの天気予報を見ていると、なんと寒気が降りてきて、イギリスへ来てから一番寒い一日になりそうだ。「そんな〜殺生な!」と言いながら支度をする。これ以上出来ないというくらいの厚着、体にも靴の中にもカイロは必需品だ。ロンドンから2時間ほどにある地方のフェアのため、国鉄の駅へ向う。

 フェアが始まるのは11時からなのだが、最寄り駅に着いたのは10時前。ここからはタクシーで会場へ。もっと遅い電車もあったのだが、その時間帯に乗ると、この小さな駅ではタクシー争奪戦に巻き込まれ、またもや"タクシー難民"だ。そうなれば、会場に入るのが一時間位遅れることにもなりかねない。結局会場へは一時間も前に着き、寒風吹きすさぶ中、戸外で待つ。その時の寒かったことと言ったら!靴の中のカイロなどなんの役にも立たない。「これじゃ霜焼けになっちゃう!」と泣きが入りそうだった。

 だが、不思議なことに、私が極寒の中の買付けが嫌いかというと、けっしてそうでもないのだ。あの寒さの中、気合いを入れて仕事をする情熱はいったい何なのだろう?普段のナマケモノの自分とは一変して、アンティークを探すのなら、「行くぞ〜!」と何時間歩き回っても平気!まるで何かに取り憑かれたようだ。

 そうしているうちに開場の時間だ。開場までに長蛇の列になっていた入場者もゲートに入るやいなや、三々五々広大な敷地へと散っていく。私と河村も事前に練っておいた作戦通り一番気に入るものが出そうなストールへと急ぐ。今日の持ち時間は夕方までの六時間。なにせ会場になっている場所はそれはそれは広いため、なるべく効率よくすべてが見られるように回らねばならない。

 なかなか気に入るものが目に入ってこない。それこそ眼を皿のようにして、私と河村の四つの瞳で探すのだが、何も仕入れるものをみつけられず焦るばかり。「何かあった!?」とお互いに声を掛け合い、次々と会場を移動していく。が、予想に反して可愛いジュエリーを発見。シードパールのリングやら、同じくシードパールの小さなブローチ。ボーカナイトの薔薇のトップなどなど。そして、とても私好みのフランスのペンダントをみつけた。すぐにアール・ヌーボーのスタイルだと分かる表側がエンジェル、裏面がすずらん柄になったシルバー製だ。持っていた女性ディーラー自身もとても気に入っている様子。「これはフレンチで、フランスでも高いのよ。」と強気な構えだ。今までフランスでも目にしたことのない形で、とても欲しいのだが、いかんせんお値段が…。またまた渋る河村を説得して入手。でもとても可愛いのだ。

 こんなふうにフェアの会場を歩いていると、東洋の品物を置いているディーラーから呼び止められることが多い。陶磁器などを「これって日本のもの?」と質問されるのだ。私達日本人は、それが中国製か日本製か、ごく自然に判別することが出来るが、彼らイギリス人にとっては身近な国でないだけになかなか判別しづらいらしい。また、私達は扱っていないけれど翡翠のジュエリーもアンティークでよく出回るアイテムのひとつ。以前にも中国のものらしく「慶」という漢字が透かし彫りされた翡翠のペンダントトップを見せられて、「これってどういう意味なの?」と質問されたことがあった。日本語でも「慶」の意味をよく考えたことなど無かった私、でも何やらおめでたそうな雰囲気だけは分かる。困った挙げ句「う〜ん、慶ねぇ…。Luckyっていうことかしら。」などといい加減な返事をしてしまった。

 会場をすべて見終わったのは午後5時近く。昼食とも夕食とも言えない時間だったが、仕事を済ませてほっとしながら、会場のカフェテリアでインドカレーを食べ、帰途についた。再び電車に乗りロンドンのフラットに着いたのは午後9時頃。イギリスでの買付けも明日でおしまい。明日の午後、私はパリへ戻り、河村はヒースローから帰国することになっている。

ロンドンのフラットの前で。ダウンのロングコートと帽子とモコモコマフラーでやや機嫌の悪そうな顔をしているのは、けっして怒っているからではなく、ただただ寒いからです。

■2月某日曇り
 今日はロンドンで過ごす最終日。荷物の発送など、いつもの業務を終えるとイギリスでの仕事は終了。昼前には自由の身となった私達、余っている時間を割いてロンドンの街中を散策。オールドボンドストリートは、数々の高級ブランドショップが立ち並ぶ、ロンドンの中でも洗練された通りだ。ブランドショップには特に興味はない私達、ここに並ぶ超高級アンティークジュエラーのショウウインドウが目的なのだ。

 いくつかある超高級アンティークジュエラーは、どこも戸口にガードマンがいて、ベルを鳴らし、施錠を開けてもらってやっと入店することが出来る。ということは、「その気」がなければ入店出来ないということ。もっぱら店の外からウィンドウに張り付いて、ため息をつきながら眺めるのが、私の楽しみでもあり、勉強でもある。高価であることはもちろん、パリュール(ネックレス、イヤリング、髪飾りなどのフルセット)などの豪華なジュエリーばかりなので、私自身が「仕入れる」という感じのものでは全くないのだが、河村と二人で「この中でどれかひとつもらえるんだったらどれにする?」とか、「1個だけ仕入れることが出来るんだったらどれを選ぶ?」などとおしゃべりしながら眺めるのは買付けの楽しみのひとつだ。オールドボンドストリートからバーリントンアーケードを経てフォートナム&メイソンへ。今日は紅茶は買わず、チョコレートのみ。フォーロナム&メイソンのトリュフは量り売りで美味しい割には安価。今日は4個選んで85シリング(約180円)。ちょっとつまむには嬉しいお値段、特にシャンパントリュフは私のお気に入りだ。

 昼下がり、街からフラットへ戻り、荷物を持ってユーロスターの乗るためウォータールー駅へ。パリに向うのは私一人だが、夜の便でヒースローから日本へ帰る河村も見送りに来るという。すぐにまた来週、日本に帰れば嫌でも河村と顔を合わすのだが、駅の改札で別れるのは少ししんみりしてしまう。ちょっぴりこみ上げながら「元気でね〜。明日日本に着いたら電話してね。」と珍しくしおらしい素振りで別れる。思わず、改札をくぐっても何度も何度も振り返り、手を振ってしまった。

***「買付け日記」はこの後も後編へとまだまだ続く***