〜2004年10月〜

■10月○日 晴れ
 再び、事件は買付け前夜、午前零時を回ろうとしている頃に起こった。
午後10時近く、ビスクドール作家である富野有紀子嬢に、「行ってくるねぇ〜!」と東京でのフェアの打ち合わせを兼ねてtel。相変わらずこの時間になっても何の用意もしていないお気楽な私。明日は午前9時30分のフライトの為、6時半には自宅を出なければならない。そのことをよく知っている富野嬢は不安気に「坂崎さん明日から行くのよねぇ?もう荷物の準備は出来ているの?」「ん、全然。大丈夫、大丈夫。」お気楽に答える私。
 が、実はちっとも大丈夫ではなかったのだ!今回は航空券ではない。航空券は空港渡しになっていた為「今度は、航空券の無くし様が無いもんね〜。」とタカをくくっていたのだ。今回の失せ物は、買付けには必ず持って行っている海外用の携帯電話の充電器。携帯電話はあるのだが、肝心の充電器はどこを探しても見当たらない。また、夜更けに自宅と仕事場のサロンを車で往復して探すが、どこからも出てこない。
 いつも買付けには、大きなサイズと小さなサイズの2個のスーツケースを持って行くのだが、今回小さい方のスーツケースを新調したため(買付け直前に出張先の札幌のロフトで買って喜んでいたのだ。)、以前使っていた物を捨てたばかり。きっとその中のポケットに入れたまま気付かずに一緒に捨ててしてしまったに違いない。持って来てもあまり携帯電話を使わない買付け中のこと「ま、携帯電話ぐらい無くてもいいか。」とあっさり諦めることに。

■10月X日 晴れ
 結局午前3時ごろに就寝、午前6時に起床。空港に着くと、旅行シーズンであることと、私たちの乗る大韓航空のカウンターは、最近の韓国ブームの為、長蛇の列。今まで他の航空会社には見向きもせず、せっせとひたすら大韓航空のマイレージを貯めたお陰で、ちょっぴりグレードの高いマイレージカードを手にしている私達。長蛇の列を横目で見ながら、エコノミークラスに乗るくせに、黄門様の印籠よろしく「これが見えぬか?」とマイレージカードをチラつかせながら、誰も並んでいないファーストクラスのカウンターに向かう。

 このときチェックインの手続きをしてくれたカウンターの年配の男性はとても気持ちの良いおじ様だった。エコノミーのチケットを差し出す私たちに少しも嫌な顔ひとつせず、「今日は満席ですか?3人席をふたりでブロック出来ませんか?」と尋ねる私に、「最近のヨン様ブームとかでね、今日も満席なんですよ。」と穏やかに答え、手続きの最中に「ソウル便は、もうテロの影響なんて関係ないですねぇ。」などと適当に話す私の世間話には、「韓国線に限っていえばそうですねぇ。」とにこやかに調子を合わせてくれる。「ボーディングは9時ちょうど、ゲートは○○です。あ〜、沢山乗ってくださっているからよくおわかりですね。」とニッコリ。そう、私は他の航空会社に横恋慕することなく、一途にこのソウル経由の便を利用している為、軽く100回は大韓航空に乗っているのだ。預かり荷物にも懸命にホッチキスを使って丁寧にタグを付けてくれる。そんなことをされたのは初めてだ。「今日は良いお天気ですからね。二階席にしておきましたよ。どうぞお気をつけていっていらっしゃいませ。」と笑顔で送り出された。ソウルまでのシートが2階席(ビジネスクラス)にアップグレードされていたのはもちろん嬉しかったのだが、穏やかな笑顔で、マニュアルどおりではない接客が気持ちよく、旅の始まりに少し心が暖かくなった。

10月半ばのロンドンは、すっかり秋の色も濃くなっていた。気温も下がり、レンガの塀に絡まる蔦もすっかり美しい茜色に。


■10月○日 小雨のち大雨
 ロンドンに着いた翌日、今日は田舎で行なわれる大規模なアンティークフェアに行くのだ。ロンドンからは何百キロか離れている為朝が早い。ロンドンに到着した前日から少し緊張気味。午前4時半過ぎロンドンのセントラルからフェア会場までディーラーの為の乗り合いバスが出るので、それを利用する。午前3時起きで、予約しておいたタクシーでホテルからセントラルへ向かう。ところが...バスの出発場所でいくら待ってもバスが来ないのだ。出発時間を過ぎてもバスは現れないし、他のディーラーの姿も無い。どうもこの日は運行がキャンセルになったらしい。
 「朝から大ハズレだ〜。」と呟きながら、そのまま、タクシーを拾いブリティッレイルの駅へ。バスの代わりにブリティッシュレイルで行くことにしたのだ。駅へ着いても、まだ午前5時前の為、早すぎて駅構内に入ることも出来ない。一時間ほど駅で待って列車に乗り、現地へ向かう。午前8時過ぎ、フェアの会場に着いた頃にはもう既にお疲れ気味だった。
 
 おまけに朝方から降っていた小雨が大降りになってきた。今回はわざわざ日本から長靴を持って来ていた私なのだが、この日は「そんなに降らないだろう。」と甘く見ていて、これも大ハズレ。しょっちゅう雨の降るイギリスなので、傘とレインコートの用意してきたのだが、長靴までは流石にロンドンから履いてこなかったのだ。ほとんどが屋外のブースのこのフェア。あちこち回っているうちに、履いてきた私の哀れな革靴は中までグショグショに。それどころか、ちっとも気に入ったアンティークに巡り会うことが出来ない。(こっちの方がオオゴトだ!)そんなとき、日本語で「どうした、坂崎!不機嫌そうな顔して。」と声が。同じディーラー仲間のクロテッドクリームの片山嬢の登場だった。彼女も同じ時期、買い付けに来ていたのだ。買付けへ発つ直前彼女から「農場で待つ!」というメールを受け取っていたが、この時がその農場での再会だったのだ。「あ〜ん、片山さ〜ん!何にもないんだわぁ。」と思わず抱きつきそうになる私。(※片山嬢は最近ホームページを開設されたばかり。興味のある方はこちらへ。)

 そんな大雨の農場でのフェアだったが、なんとか薔薇の柄が魅力的な大判のフレンチプリント等などをGet。夕刻にはグショグショのカートとともにぐったりしながら、また列車に揺られてロンドンへ戻っていったのだった。

チェルシーのレストランの店先を借りたフラワースタンド。ブロンドで肌の白いイギリス人女性に似合いそうな淡い色合いのお花のセレクト。そんなところにイギリスらしさを感じる。


■10月X日 雨
 今日はロンドン市内での買付け。今日も午前7時前から現地に向かう。緯度の高いイギリスのこと、その時刻はまだ暗く、夜は明けていない。雨の中、たまたま歩いていた外のブースで、ガラスケースの中にリボンの付いたハートのロケットらしきものを発見。ケースから出してもらい、暗い中ぐっと眉間に力を入れて、よくよく確認する。河村の持ってきた懐中電灯で照らし再度確認。やっぱりリボンの金具の付いたロケットだ。可愛い!このタイプのものを以前に見たのは3年ぐらい前だろうか?即買付ける。「出だしから今日はラッキー!」と気分を良くする私。
 マザーオブパールの彫刻が美しいタティングシャトル、象嵌のタティングシャトル、様々なソーイング小物、次々とお気に入りに出会い有頂天になる私。そして、ポワンドガーズの美しい襟とともにバンシュなどの18世紀のレースをGet。美しいハンカチやエナメルのロケット、アイボリーのジュエリー等などを手に入れ、上機嫌に。美しいもの、気に入ったものとの出会いは、ディーラー冥利に尽きるのだ。

 午後、買付けの合間の空いた時間を潰しにフラットからも程近いチェルシーへ。キングスロードを歩き、ウィンドウショッピングをするのだ。まずはキングス・ロード沿いにあるアンティークセンターをひやかし、その後ショウウィンドウを眺めながら歩く。元来、イギリス庶民のファッションは食べ物と同様にあまりいただけないことで有名だ。もちろんスコットランド製のセーターやカシミアのショールの品質は認めるけれど、それはイギリスでも庶民のものではない。ちょっと服を買おうにも、あるのはチェーン展開しているショップばかり。どこへ行っても同じものしか売っていない。有名なスーパーマーケット「マークス&スペンサー」の服なんか、口が悪いイギリス人自身も「馬に着せる服」なんて言っているぐらいだ。
 いまひとつサイズが合わない(袖丈、着丈が長め、つまり彼女達は手足が長いのだ。)か、巨大なサイズのものばかり(イギリス人は男も女も太った人が多いからね。)、服の色合いがピンクやブルーなどブロンドでブルーの瞳のイギリス人女性に似合うカラーばかりで黒髪黒目の私たちには今ひとつ(その点、ラテン系のフランスでは濃い色の髪や肌の女性が多い為かもう少しバリエーションがある。)ということもあって、ここ最近はイギリスで服を買ったことなど無かったのだ。だが、この日はウィンドウの中にちょっと気になるジャケットを発見。
 「ちょっと見ていい?(試着してもいい?の意)」と河村を引き連れ、店内に入る。と、そのショップにいるのはなぜかオーナーも含め客全員がフランス人。みんなフランス語で会話をしている。チェルシーにはフランスのリセがあることもあって、フランス人が多く住んでいる。フランス人のマダム達はイギリスのファッションには耐えられないのだろう。「なるほどフランス人好みの店だったのね。」と納得し、気になったジャケットを試着してみることに。以下少し禿げているのがチャーミングなオーナーと私のおせっかいな会話。

私「あなたパリから来たの?」
彼「そうだよ。」
私(意外性をこめて)「えぇ〜!?ロンドン好き?」
彼「好きだよ。このチェルシーはパリと違って一日に10カ国以上の人たちのお相手をすることが出来るからね。」
私(少し意地悪く)「イギリスの食べ物はどう?」
彼「この近くには美味しいインディアンレストラン、チャーニーズ、イタリアンレストラン、色々あってGoodだよ。」
私「じゃあブリティッシュレストランは?」
彼「僕はよく知らないなぁ。」
(ふたりして苦笑)

美味しいブリティッシュレストランなんてあるのかしら?もし存在すれば、私にも教えて欲しい。話ついでに試着してみると、袖丈がぴったり。アンティークの買付けと違って、自分のお買い物にはいまひとつ情熱がない私なのだが、この日はついつい財布の紐を緩めてしまった。「自分のお買い物はこれっきりよ。」と堅く誓いながらジャケットを衝動買い。微妙なマロン色のベルベットに負けてしまったのだ。

チェルシーの住宅街を歩いていて見つけた扉。鮮やかなターコイズグリーンと真っ赤に色づいた実の取り合わせが鮮やか。アイアンで作られた壁面の“5”番地の字体も特徴的だ。

 

■10月○日 雨
 今日も雨、イギリスへ来てから連日雨だ。イギリスらしい天気といえばそれまでなのだが、やはりイギリス人も気が滅入るらしい。この時期、灰色の空を見上げながら「これがBritish weatherさ。」と諦め顔で言われることが多い。
 午前中、ロンドン市内のフェアへ行き、午後からは翌日の田舎での大規模なフェアの為、レンタカーで移動するのだ。午前中のフェアを軽く済ませ、一旦ホテルに戻る途中、ヴィクトリア&アルバートミュージアムへ。いや、正確にはミュージアムショップへ。時間的にミュージアムを見る余裕の無かった私達は、ミュージアムショップの中のお気に入りのブックコーナーでアンティーク関連の書籍をチェック。ヴィクトリア&アルバートミュージアム自体、沢山のアンティークを所蔵しているだけあって、ここはアンティーク関連の書籍が充実しているのだ。レースとジュエリー関係の2冊を入手し、あともう1冊のレースの書籍を迷う。このレースの書籍、前頁カラーの美しい本だったのだが、何しろとてつもなく重かったのだ。どうしようか迷った末、「日本に帰ってからアマゾンで注文しよ。」ということに。(※この書籍“Lace, a Guide to Identification of Old Lace Types and Techniques”は帰国後、早速アマゾンに注文しました。届き次第“Libraly”に掲載の予定です!)

 そして午後は田舎へ行く為レンタカーを借りに行き、ロンドン市内から3時間のドライブ。いつも信号の多いロンドン市内からモーターウェイ(高速道路)の途中までを私が運転し、河村がモーターウェイの途中から田舎を運転することが恒例になっている。午後2時過ぎ、少し遅い昼食にサンドウィッチを買い込み、食べながらドライブすることにする。が、車に乗るや否や、助手席の河村は一人でサンドウィッチのパッケージをバリバリを開け始め、さっさと食べ終わると今度はサラダまで食べ始めるではないか!サラダを食べ終わると次は半分白目を開けてうたた寝だ。もちろんその間、私はひたすら運転している。「ちょっと〜、私だってお腹がすいているってば〜!!」

 夕刻にホテルに到着の後、ホテル付属のパブで夕食を取り、明日の買付けに備えて9時前に就寝。

■10月X日 晴れ
 今日は大仕事の一日。3000軒のディーラーが出店するヨーロッパ一の規模といわれるフェアだ。イギリス人はもちろん、アメリカ人、フランス人、イタリア人、そして日本人、みなこのフェアめがけて世界中からやって来るのだ。午前5時からフェアの会場に入り、午後5時までアンティークハント。終日歩き回ることが必須。通常は丸二日かけて見るフェアなのだが、今回は日程の関係で一日だけで終わらせなければならない。果たして一日だけで見終わることが出来るのだろうか?

 朝4時起床。4時半外出。外は真っ暗、まだ夜中なのだ。空気の澄んだ田舎のこと、「星がきれい。」と夜空を見上げながら車でホテルをあとにする。フェアの会場に入ってもイギリスの朝はなかなか明けない。懐中電灯を手に目を皿にする。そうしていると...またまた見つけてしまった、暗闇の中から。卵形が可愛いエナメルのペンダントトップ、しかもロケットのように二つに開けることが出来るビネグレットだ。出だしから幸先が良い。「よっしゃ〜!」ますます気合が入る私たち。

 ようやく薄明るくなってきた頃、向こうから「お久しぶり〜!」の声が。マチルドの酒井氏だ。3年ぶりだろうか?思わず「生きていたんですね!」と大げさな返事をし、久方ぶりの再会に嬉しくなってしまう。同じ名古屋出身の酒井氏、以前はデパートのお仕事でご一緒させていたこともあったが、ここ最近はめっきりお目にかかる機会が無かったのだ。初対面の河村を紹介し、手早く近況を報告する。

 まだ10月とはいえ、例年寒い田舎でのフェアなので、今回もしっかり厚着をしてやってきたのだが、珍しく気温が下がらない。早朝でも6℃程度、「今日は暖かいね!」と河村と言い合う。太陽が出るとともに気温は更に上がり、「私の気合の入ったこの長靴とフリースの重ね着をどうしてくれる!?」といった感じだ。寒いのも辛いが、暑いと集中力が散漫になって物を選ぶことが出来ない。ダルマのような格好から、一枚ずつ剥いではカートの中に入れていく。そう、この日は奇跡的に(?)晴れのお天気。イギリスにいる間晴れたのは唯一この日だけだった。

 結局この日は、二日分の仕事が出来たと思う。コットンリールや糸巻きなどのソーイング小物のほかにも、思いがけずリングをはじめ沢山のジュエリーを買付けることが出来たからだ。特にローズカットのダイヤのリングはイチオシ!今回どうしても欲しかった小さなサイズのバーボラミラーも入手し、何よりもほっとする。良い仕入れが出来た日は不思議なもので、丸一日重い長靴のまま歩いても全く疲れた気がしない。

■10月○日 曇りのち雨
 昨日のフェア会場へ預けていたものを取りに行き、そのまますぐに車でロンドンへ戻る。今回はロンドンでの滞在がタイトな日程のため、なるべく時間を短縮して予定を詰め込んだのだ。ロンドンへ戻って、そのまま市内で買付けを敢行する。そして、馴染みのディーラーの元でついに発見。あった!あった!探していたパレロワイヤルのソーイングツールが。ここ最近の買付けの目的は、パレロワイヤルのソーイングセットを見つけることだったのだが、今回のイギリスでは結局セットとは出会うことが出来なかった。が、滑らかなマザーオブパールにスミレの紋章。それはフラットな形のニードルケースだった。

チェルシーを歩いていて通りかかったブロンプトン・クロスのミシュランビル。ビバンダムのステンドグラスや、壁面を飾るタイルに「やっぱり可愛い!」と思わずまた写真を撮ってしまった。ミシュランビルに興味のある方はこちらへ。


■10月X日 雨
 フランスへの移動日。午後6時近くのユーロスターを予約している為、それまでロンドン市内を回る。まずロンドン市内マーケットを回り、その寂れ具合にがっかりし、すぐに退散。「あんなに昔は賑わっていたのに。」ここ最近のロンドンのマーケット事情はよく分かってはいるものの、やはり悲しくなってしまう。その後、シードパールや9Kのパーツなどのジュエリーの修理用のストックを求めて地下鉄に乗る。シードパールはもちろんのこと、9Kの金具やチェーンは日本ではまず入手できない為、これも大切な仕事だ。
 夕刻、ロンドン・ウォータールー駅からユーロスターで一路パリへ。列車の中は、ロンドンの買付けをひとまず終え、少しほっとするひと時。沢山の荷物とともに夜遅くパリに到着。パリ北駅からは、タクシーで泊まり慣れたオデオンのホテルへ。

■10月○日 晴れ
 心なしかロンドンに比べ暖かいパリの街、そのうえに清々しい良いお天気なのが嬉しい。アポイントを入れておりたディーラーの元へ。付き合いが長いこともあって、彼女は私の好みにぴったりのものを色々キープしておいてくれる。「そうよ、こういうのが欲しかったのよ!」「こういうのなかなか無いんだよね!」と興奮状態で、沢山のレースやリボンを選ぶ。繊細なレースや色とりどりのリボン、美しいものに囲まれている瞬間、とても幸せを感じる。

 午前中から夕方近くまでかかって商品を選んだ後、河村はまだ行ったことがないポンピドーセンターの国立近代美術館へ。この美術館は夜9時まで開館しているのだ。私が行ったのも既に十年以上前のこと、マティスの「ポリネシア、空」や「ダンス」の自由な雰囲気に感動したことを思い出す。久しぶりに行ってみた感想は、「フランスという国はなんて贅沢なんだろう。」他のヨーロッパの美術館に行っても同様なのだが、こんなにも沢山の本物の美術作品が、常に手の届くところにあるのだ。私は、大好きなバルチュスの作品に再び会うことが出来、昔の友達に出会ったような懐かしい気分だった。河村もフランシス・ベーコンの絵を見つけて嬉しそう、彼はベーコンのフリークなのだ。(私はあんまり好きじゃないけど。)
(ポンピドー・センターのサイトはこちらhttp://www.cnac-gp.fr/Pompidou/Accueil.nsf/tunnel?OpenForm

2001年にスイスで亡くなったバルテュス。その作品の中でも一番好きな「美しい日々」。少女の小惑的な表情とシックな雰囲気に惹かれる。この作品は、ポンピドーセンターではなくニューヨークのメトロポリタンにある。いつの日かメトロポリタンへ行って自分の目で見てみたい。そんな日が来るだろうか。


■10月X日 晴れ
 紙物のアンティークフェアが開催する日。カードなどの紙製品に力を入れている私たちは、この日を逃す訳にはいかない。バスに乗って出掛ける。一日中かけて広い会場の中から、一枚一枚カードを選び出す。
 パリにいる間は地下鉄・バス共通の一週間チケット(カルト・オランジュ)を買い、バスに乗ることが多い。パリの街にいると、美しい街並みを見ずに地下鉄で移動するのがもったいないような気がして、どこへ行くにもバスに乗ってしまうのだ。まるで小学生の遠足よろしく、車窓にぴったり張り付いて、移り行く街並みを眺めてしまう。このアンティークフェアの会場まで行く途中にも、とても気に入っているアール・ヌーヴォーの立派な建物のアパルトマンがあり、いつもバスが近くまでさしかかると「いまか、いまか。」とわくわくしてしまう。エントランスが沢山の薔薇の花とエンジェルの豪華な彫刻に覆われていて、バルコンの手摺はまるでアイアンで出来たレース細工のようなのだ。いつか途中下車して、心ゆくまでこの建物の写真を撮りたいと思う。
 すっかり夕方になってフェア会場を出た後、思い出したようにジュエリーの仕入先へ立ち寄る。そして、連れて帰ってきてしまった、アール・ヌーヴォーの薔薇のペンダントを。それは薔薇の花かごのモチーフをアール・ヌーヴォーらしく表現した魅力的な一点だった。

サンジェルマン・デ・プレ教会の裏手にあるアール・ヌーヴォーの雰囲気たっぷりのレストラン。ギマールの建築を思わせる外装は以前から気になっていた存在だ。今回は表に出ていたメニューでしっかりお値段をチェック。

■10月X日 晴れ
 今日は午前中、市内で買い付け。一度ホテルへ戻り、着替えをして、楽しみにしていた「サロン」と呼ばれる高級なアンティークが並ぶフェアへと急ぐ。田舎で行なわれるフェアの折などは、とてもラフな格好で出掛けるのだが、こういうところでは子供に見られないよう、また、相手に敬意を表して、少し改まったスタイルで、ジュエリーを身に付けて出掛ける。そう、この年になっても、威厳が無いというか、オリエンタル女性の宿命ともいえるのだが、こちらでは実際の年齢よりもずっと子供に見られてしまうことが多いのだ。この日も一生懸命大人っぽくしたにもかかわらず「マドモアゼル、ショコラをどうぞ。」とチョコレートをすすめられて少し複雑な気分だった。
 取り立てて欲しい物が見つからなかったこのフェアだが、ひとつだけお気に入りを発見。イギリスにいるときからずっとずっと探し求めていたアイボリーのピンディスクだ。「今回はもう出会えないかも。」と思い始めていた時だったので、見つかった喜びもひとしおだ。薔薇とお花の彫刻、表面にやや汚れはあるが、少し手を入れるととても美しくなることだろう。綺麗にする作業を思い浮かべ、楽しみでたまらない。

 今日の仕事はこのフェアだけ。夕方ちかく、フェアの会場を出た私達は、街へ出てみることに。妹から出掛けに、「時間があったら...。」という約束で、腕時計のベルトの交換を頼まれ、パリの時計メーカー・オブレイの時計を預かってきたのだ。バスをマドレーヌで降り、マドレーヌ寺院やフォーションを横目にオブレイへと向かう。オブレイは日本にも紹介されているからご存知の方も多いかもしれない。美しいカラーバリエーションのクロコダイルのベルトと、シルバー製のケースが特徴の時計メーカーだ。妹のために可愛いピンクのベルトを選び、私自身の時計もバッテリーの交換を依頼する。かつては私もこのメーカーのファンで、遥か二十代前半の頃は憧れの時計だったのだ。(その後、憧れが高じてステンレス製とシルバー製の2個を持つ羽目になるのだが。)仕事のときにはアンティークの腕時計をすることがほとんどなので、最近ではなかなか着ける機会が無い。が、この時計店に足を運ぶとハタチそこそこのパリへの憧れでいっぱいだった自分を思い出す。

このドーナツのようなものは、近所のジェラール・ミュロで“Nouveau!”というラベルに惹かれて思わず買ってしまったフォンダンショコラ。ただのフォンダンショコラと違って洋酒漬けのりんご入り。外はしっとり、中はとろ〜り、濃厚なお味だった。(スミマセン。三つとも私が一人で食べました。もちろんいっぺんにじゃありませんよ!)


■10月○日 晴れ
 今日は、仕入れに行った先で思いがけないものに出会ってしまった!ここ1〜2年ほどずっと探していた「ネセサリー(必需品)」と呼ばれる1805年頃のパレロワイヤルのソーイングセットだ!!ごく小さなボックスのセットなのだが、マザーオブパールのツールの数々は、本当に美しい。小さな糸巻きひとつとっても、「こんな美しい糸巻きが世の中にあったのか。」と思うほど美しい。だが、“美しい=大変高価”というのはこの世界の常識でもある。単純な私は、美しい物を目にしたとたん、「とにかく絶対、何が何でも手に入れる!」と宣言するが、冷静な河村は頭の中で色々考えているらしい。が、結局ふたりして清水の舞台から飛び降りることに。これで打ち止め。私たちの今回の買付けは、これですべて終了してしまった。大きな仕入れをした後の、「素晴らしい物を手に入れた!」という高揚感と仕事終えた安心感で、ぐったり疲れて帰路へ。

 すっかり気の抜けた私たち、なんだかこのままホテルに帰ってしまうのはもったいない気がして、帰路の途中 リュ・ド・バックとブールバール・サンジェルマンが交わるバック・サンジェルマンのバス停で降りる。ここからリュ・ド・バックを辿ってデパートのボンマルシェに寄ってオデオンまで歩いて帰ろうというのだ。ボンマルシェは特に買い物の目的があるわけではないが、ボンマルシェカードなどで馴染みがあるせいで、「行くと何か19世紀の名残に出会えるのでは?」淡いと期待を抱いてしまうのだ。この日も総ガラス張りの天井を見上げては、「このガラス天井が当時としては画期的だったのね。」とか「中の作りが劇場みたいで、まるでオペラ座のようだ。」などと河村と語らいながら、思わずタイムスリップしてしまった。(ボンマルシェ、ボンマルシェカードについてに興味のある方はこちらへ。)

 買付けの終わりを記念して、久々の外食。今日は、オデオンに最近出来たスノッブな日本食レストラン“Kirali”に出掛ける。有名なフローリストのクリスチャン・トルチュの店を曲がってすぐ、ジェラール・ミュロの店からも程近いお洒落なエリアだ。そこで、美味しく体に良い日本食を食べ、ほっとするふたり。上品な薄味、内装はいたってシンプルでとてもシックな雰囲気だ。食べながら、河村と今回の買付けの総括、互いに仕事について、近い未来のこと、遠い将来のこと、真剣に論じ合う。私が一番大切にしている時間だ。
 と、その時、隣のテーブルのインテリとおぼしきフランス男性二人。二人でデザートの抹茶のアイスクリームとカステラを仲良くスプーンで「アーン」と食べさせあっている。この人たちって!?

 その晩遅くのことだ。何の気なしにホテルでテレビのニュースを見ていた私たちに、傾いた新幹線の列車の映像が目に飛び込んできた。ひしゃげた橋脚の映像に、激しく動揺する私たち。新潟の地震のニュースはフランスでも大きく取り上げていた。思わず日本の自宅に電話を入れてしまった。本当に被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げたい。

サンジェルマン・デ・プレ教会近くの路上で見つけた芸術作品。道端にチョークで描かれたとは思えないほどの出来栄えのフェルメールの「青いターバンの少女」。どんな人が描いたのだろう?


■10月X日 晴れ
 さぁ、もう買い付けの旅も終わりに近づいてきた。昨日買付けたパレロワイヤルのソーイングセットにちなんで、パレロワイヤルへ向かう。ソーイングセットが作られた往時の面影を偲びにやってきたのだ。ルーブルのすぐ近くパリの真ん中にありながら、喧騒からはかけ離れた静かな回廊のパレロワイヤルは私のお気に入りの場所。しんと静まりかえった長い回廊。18世紀末、パリ一の繁華街だったという面影は、今では僅かに残る床のモザイクに見られるぐらいだ。(パレロワイヤルについては、近々“Letter ftom”のページでも取り上げる予定。)

パレロワイヤルの長い回廊。18世紀に作られた当時は社交の場として大賑わいのアーケードだったというが、今は色褪せたシャッターが下りたままの店舗ばかりで、まるでその面影は無い。時間が止まってしまったような静けさだ。

 パレロワイヤルの回廊をぬけた後は、いつものパッサージュ“パッサージュ・デュ・パノラマ”へ。グランブールバール付近の下町っぽい雰囲気も良いし、ここの寂れ加減にはどこか懐かしさを覚えて、よく足を運んでしまう。8月に来た折に寄ったベトナム料理のデリでランチ。安いうえに美味しかった味が忘れられなかったのだ。ベトナム人とおぼしきマダムとムッシュウに笑顔の歓迎を受ける。ことに都会のパリでは、イギリス人ほどフレンドリーでないフランス人から街中で微笑みかけられることは珍しい。アジア人同士、親近感が湧くこともあって、同類に出会ったようでちょっぴり嬉しい。パサージュの通路に置かれたテーブルについて、お米で出来たヌードルをすすっていると、ベトナムのどこかの屋台で食べているような不思議な錯覚に陥る。

パッサージュの中のよく立ち寄るカフェ。よく言えば「大変古い」、悪く言えば「ボロボロ」。19世紀そのままのつくりで、私たちが「文化財カフェ」と呼んでいるカフェだ。河村は、ここの色っぽいマダムがお気に入り。

 パサージュの後は、すぐ側のドルオーの競売所に立ち寄る。今日も、競売所の各部屋では、実際にオークションが行なわれていて、それぞれの会場からは熱気が伝わってくる。今日の競売は3部屋。金の箔押しの入った豪華な古書と、シルバーの小物、そして十九世紀以前と思われるステンドグラスの競売だ。ひとつひとつの商品がスクリーンに大きく映し出され、それぞれの部屋はオークションに参加する人、見るだけの人等でぎっしり埋まっている。「1000ユーロ」「1200ユーロ」少しずつ競りあがってくる声に、他人事ながら興奮してしまう。落札が決まると、コミッセール(競売吏)が金額を読み上げ、ハンマーを打ち下ろすお定まりの光景が繰り広げられる。この日他の部屋では、下見会も行なわれていて、部屋いっぱいに商品が並べられていた。少しレースも並べられていたのだが、見せてもらうほど(下見会では自由に手にとって見ることが出来るのだ。)気に入ったものが無く、退散。ドルオーは、私たちにとっては楽しいテーマパークのようなところだ。


 買付けを終えて、すっかり気が抜けた私たち。夜は近所の映画館へ映画を見に行くことに。歩いて3分のオデオンの駅の周りには3〜4軒の映画館があり、週末には映画を楽しむ人たちで長蛇の列が出来ている。ここフランスでは、料金が日本円で¥1200程度ということもあり、映画は確実に庶民の楽しみの一つなのだ。見に行ったのは日本でも話題になっている香港映画“2046”。以前、同じウォン・カーウァイ監督の作品「花様年華」を見て、河村も私もとても気に入っていたのだ。主演のトニー・レオンの存在感、美しい香港女優たちに目が釘付けになる。「花様年華」と同様、ラテン系の音楽、次々と移り変わるチャイナドレスにも幻惑される。彼女達のくっきり目尻から上向きに入れられたアイラインに、思わず「私もあんなふうにアイラインを入れてみようか。」と思ったほどだ。(実際にはしないのでご安心を。)

「花様年華」と同じく、1960年代を舞台にした“2046”。私自身は、どちらかというと完成度の高い「花様年華」の方がおすすめ。

 ■10月○日 晴れ
 今回の日程の最終日。午後9時50分のフライトの為、自由行動の一日だ。河村と私は、それぞれ単独行動、夕方6時にいつものオデオンのカフェで待ち合わせることに。「近代建築家の最も重要な一人」といわれるコルビジェを敬愛している河村は、郊外まで彼の建築を見に行くという。私は一日パリの街中で過ごすことに。まずは知人に会い一緒にランチ。彼女の案内で、行きつけのマレのレストランへ足を運ぶ。ポトフを食べ、蕪やポワロ葱のあっさりした美味しさに感激し「同じものを河村に作らせよう!」と決意。(河村は料理好き♪)知人とふたり、さんざん赤ワインを飲んでレストランを出てきたのは、午後3時だった。

 彼女と別れた私は地下鉄に乗るためオテル・ド・ヴィルへ。そこで、オテル・ド・ヴィルにあるデパートBHV(正式名称は“le Bazar de l'Hotel de Ville”)に寄ってしまい、またお買い物をすることに。BHVは、DIY用品が充実している日本の東急ハンズのようなデパート、私はひそかに「ブリコラージュ系デパート」と呼んでいる。(たぶん東急がここを真似て日本に作ったのかもしれない。)ここは、金子光晴著の「ねむれ巴里」にも出てくる1856年創業の歴史あるデパートだ。膨大な工具はもちろん、様々なドアや引き出しのハンドル、カーテンなどのファブリック、ペンキなんて、自分の好みの色にブレンドしてオリジナルを作ってくれる、それは楽しいデパートなのだ。そして、この日キッチン道具のフロアへ足を踏み入れると...私好みの真っ赤な泡だて器が沢山ぶら下がっている!「可愛い!」ディスプレイされている泡だて器を勝手に手に取り、よくよく見てみると...愛用しているル・クルーゼの製品だ。鍋で有名なル・クルーゼだが、うちではゴムのスパチュラが大のお気に入り。300度までOKなので、スコップ型のスパチュラは炒め物にもってこいだ。値段も見ずにレジへ。フランスのキッチングッズには弱いのだ。

微妙なカーブが手にしっくりくる泡だて器。赤いキッチンツールは大好きなアイテム。うちのお鍋やツールはすべて赤で統一されている。右のスパチュラは、くぼみのあるスコップ形。これも以前パリで入手したものだが、きっと日本にも売っているんだろうなぁ?

 泡だて器を持ったまま地下鉄に乗って次に訪れたのは、同じリュ・ド・リヴォリにあるモード・織物博物館。“Le cas du sac”アンティークのバッグから現代のブランド物まで、バッグばかりを集めた展覧会だ。やはり19世紀のビーズバッグやアール・デコのものに惹かれる。中には「実際に売っているなら、絶対買い付けるのに!」と思うようなものもあって、とても興味深い。真っ暗な会場、展示品にだけスポットの当たった独特の演出だ。
 一通り見た後は、同じフロアーのビジューのギャラリーへ。こちらもロレックスがスポンサーになって最近オープンしたばかりだったのだ。巨大なビジューが「これでもか!」と思うほど沢山展示されている。もちろんみんなアンティークばかりだ。思ってもみないところでアンティークジュエリーの数々とも出会うことが出来、買付けの最後にご褒美をもらったような気分だった。
(モード・織物博物館のサイトはこちらhttp://www.ucad.fr/

ラリックなどのアール・ヌーヴォーの作品が圧巻だったモード・織物博物館にある“Galerie des Bijoux”、パリへ訪れる機会があれば是非立ち寄っていただきたい。


 このように相変わらずの珍道中でしたが、無事日本へ帰国しました。他愛の無い、覚え書きのような拙い文章ですが、最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。お読みになった感想もお聞かせいただければ嬉しいです。