〜前 編〜

■9月某日 晴れ
 ロンドンに到着したものの、いつものようにタクシーではなく、今回はエアポートシャトルでロンドン市内へ。このエアポートシャトルというもの、ロンドン市内のホテルと飛行場とを結ぶいわゆる「乗り合いタクシー」のこと。空港から乗ると、いくつかのホテルに乗客を落としていくため、タクシーより時間はかかるものの幾分か割安。いつもはホテルからヒースロー空港に向う折に利用するため、2〜3軒のホテルを回って飛行場へと向う。少し余分に時間がかかることを覚悟すればスムーズに空港に行くことが出来るので、今回は初めて逆向きの空港からホテルまでを乗ってみることにしてみたのだ。

 が、アライバルゲートから出てきて、運行会社のオフィスにたどり着いてもそこには人っ子ひとり誰もいない。困惑した私がプリントアウトした予約の確認書にあった電話番号に電話してみたものの、電話に出た女性がいかにもワーキングクラスと思われるレロレロした分かりにくい発音で(「そこで待て。」というばかりでラチがあかない。
 困惑しながら「どうしたものか…。」と荷物と共に途方に暮れて立ち尽くしていると、しばらくしてどこからともなく係りの男性がやって来た。今度は空港の外にある待合いラウンジで待つように言われる。そしてまた待つこと20分以上、ようやくエアポートシャトルに乗ることが出来たのはゲートから出てきて40分以上経った後だった。

 無事シャトルに乗ったものの、シャトルがロンドンの街中にさしかかると、今度は夕方の渋滞を避けながら複雑なルートで各ホテルへと回り始めた。その様子はまるで「市中曳き回しの刑」に遭っているよう。自分達のいつもの宿にたどり着いた時には、散々曳き回されて既にぐったりした後だった。いくら割安でもヒースローからのエアポートシャトルに乗ることはもう無いだろう。最初からいつものようにタクシーに乗れば良かった!

 いつものアパートメントの部屋に落ち着き、さらにその後待っていたのは…スーツケースを開けようとしたのだが、両脇に付いている鍵を入れて回すロックは開いても、真ん中のハンドルの部分に着いている3桁のダイヤルロックが開かない!何度も正しい番号に合わせてみるもやっぱり開かない!!どうにもならず、「これはレセプションでドライバーを借りてこじ開けるしか無いかも。」と暗澹たる思いでいると、河村が「ひとつずつ回してみよう!」と回し始めた。しばらくすると…「開いた!!」と河村。"000"に合わせてあったはずのに、なぜだかいつのまにか"023"になっていたのだ。どうしてこんなことに!…まったく!

 さらに私のアンラッキーは続く。やっとスーツケースが開いた後、いつものように近くのスーパーに夕食の買い物へ。ロンドンで滞在するのはキッチン付きのこのアパートメントと決めているので、スーパーで何かしら簡単に食べられるものを仕入れてくるのだ。河村はお気に入りのレンジでチンする「チキンチッカ・マサラ&ライス」のカレーセット。私も同じ物にしておけば良かったのに、なぜだかその日に限って別の物が食べたくなり、同じくレンジで温めて食べる「シンガポールヌードル」を。が、この「シンガポールヌードル」なる物、意味不明に甘いソースで妙な香りもついていて(普段、日本で食べるエスニックフードは結構好き。)、「これぞイギリスの食べ物!」という感じ。(一昔前のイギリスの食べ物といえば、それは悲惨なものだった。)少し口を付けたきり、めっきり食欲が失せたのだった。

 私のアンラッキーはまだまだ続く。翌日は朝5時半起き、終日ロンドンで渾身の買付けだというのに、隣の部屋の騒ぎで目が覚めたのが午前2時。閑静な住宅街にあり、静かで安全な宿だったから10年以上滞在してきたのに…。コの字になっている建物なので、隣の部屋の有り様はこちらの窓から顔を出せば一目瞭然。あまりの騒々しさに窓から顔を出すと男三人(ってことはホモ!?)がパーティーの真っ最中。真夜中に起こされ、その後もまったく騒々しさが収まる様子が無いため、ベッドの中で悶々と過ごす。(その間も河村はベッドの中でずっとグーグー寝たままだった。)思わず、勇気を出して向こうの窓をドンドン叩くと少しだけ静かになった。結局男三人のパーティー終了は午前5時過ぎ。今日はロンドンで仕入れをした後、飛行機で南仏へ。寝不足と怒りでご機嫌斜めのまま荷物をまとめる。

お目汚しでスミマセン!ロンドン滞在があまりにも慌ただしかったため、ロンドンで撮ったのはこれ一枚キリでした。ここがいつも滞在しているアパートメントです。

■9月某日 晴れ
 隣室の騒ぎでロクに眠っていないが、そうも言ってはいられない。明日からはニースでのバカンスが待っているため、今日は渾身の買付け!ロンドンは気温12〜3℃、沢山の衣類とコートを着込んだ午前6時過ぎ、アパートメントの部屋を出て、タクシーを拾う。

 まず向った先は、私が「買付けの一番最初」と決めているジュエラーの所。まずマダムといつものご挨拶、特に久し振りの河村は念入りに「如何ですか?」とやっている。そんなふたりを横目に最初に目についたのはパドロックが付いたゴールドのブレスレット。実は、いつもブレスレットを探していたのだが、シンプルな物はあっても欲しい物は無く、実際にはなかなか見つからなかったのだ。このブレスレットは、パドロックの部分もプレーンでなく彫刻があり、ブレスレット本体のチェーン部分にも彫刻がある。「これは良いかも!」と早速見せて貰い、マダムの許しを得て自分の手首に着けてみた。ぴったり!ばっちり!一番初めに念願のアイテムが出てきて嬉しい。そこで一緒に入手したのはブローチにも使える美しいアール・ヌーボーのペリドットペンダント。ペリドットの明るいグリーンも透明感があって美しければ繊細なゴールド細工も美しい。しかも2ウェイで使えるところも素敵!もうひとつ"forfet me not"の言葉が刻まれた忘れな草のシールもゲット!

 それからあちこちのジュエラーを覗き、久し振りに出てきたパールネックレスに喜ぶ。私のお気に入りアイテムのパールネックレスだが、パールの状態が良くてもクラスプがシンプルだったり、クラスプが凝っていてもパールの状態がいまひとつだったり。パールの状態も良く、ローズカットダイヤなどがセットされた凝ったクラスプのネックレスは本当になかなか無いのだ。様々なパールネックレスをチェックした結果、本日の収穫は2本。しかもその一本は初めて扱う二連タイプ。こちらもディーラーに手鏡を借り、実際に着けてみると良い感じ。「なかなか可愛いじゃない!?」と河村にも同意を強要した。

 もうひとつの嬉しい出物はビーズポシェット。なかなか状態の良い物が少ないビーズポシェットだが、私が「見せて。」とお願いした知人のディーラーは間髪入れず「これは完品だよ!」とひと言。細かなビーズはもちろんだが、裾に付いたビーズ製のフリンジも本当に繊細!思いがけずに良い物と出会えて嬉しい。

 他にも今日の仕入れは、リングやピアスなどのジュエリーの比重が高いが、ソーイング系の細かな物も。ことに薔薇とガーランドの金糸の入った刺繍のパーツはうっとりする美しさ。ディーラーからは「19世紀でも初期の物よ。」と言われ納得。刺繍パーツとしては大変高価なため、河村から「高いけど大丈夫?」「本当に大丈夫?」と不安気に何度も聞かれたが、この際そんな言葉は無視。「だって欲しいんだもん!」
 また別なディーラーからは小さなエナメルボタンのセットも出てきた。そういえば先日、お人形を作るお客様が「1個ではなくてセットになったボタンはないの?」とお尋ねになったばかり。これならお人形にもぴったりのサイズ!よしよし!

 そして、アポイントを入れてあったレースディーラー達を回ると、「私のための箱」が出てくる。毎度、皆私の我が儘なリクエストに一生懸命応えようと、ちゃんと私用に在庫の中から選んで持って来てくれのだ。欲しいのは18世紀の古いレースと19世紀でも少し変わったレース、そして実はなかなか見つからないタティングレースのアイテム。今回もレースディーラーのお陰で18世紀のフランドルのレースのラペット等々(本当に本当に繊細!!)や再現されたヴェネチアンの襟やポワンドガーズの特徴が溢れたラペット。沢山のレースの中から自分達が「これが一番!」と思われる物を選りすぐり、満足のいく買付けが出来た。

 時間は正午を回った。歩き回ること6時間、まだまだ粘る私を河村が「もう時間に間に合わないよ!」と連れ帰ろうとする。イギリスでの買付けはこれにて終了。タクシーを拾いまずはアパートメントへ戻る。今日はまたこれからニースへの大移動が待っているのだ。今回、ニースへはLCC(格安航空会社)のeasy.jetを使うことになっている。ということは、いつも使い慣れているヒースロー空港ではなく、ヒースローよりも遠いロンドンの南西にあるガトウィック空港からのフライト。(安いには理由があるのだ。)ガトウィックは今まで使ったことがないため土地勘がなく、空港までどれほど時間が掛かるかも分からない。なので、うんざりしながらもまた昨日と同様に予約してあった「市中引き回しの刑」のエアポートシャトルで。しかも、夕方6時過ぎのフライトなのに、「お昼の1時半しかシャトルの予約は出来ない!」と言われ渋々予約。早々空港へと向わねばならない。「今日もなんだかな〜。」と思いながらアパートメントに迎えに来た小型バスのシャトルに乗る。想像通り、週末のロンドンの道路は激混み!今日も1時間半のドライブ、いや「市中曳き回し」のうえ、ガトウィックに着いたのは午後3時過ぎだった。

 ガトウィック空港に着いて初めて知ったのだが、ガトウィックへはブリティッシュレイルのヴィクトリア駅からの専用列車ガトウィック・エクスプレスで25分だとか!これならヴィクトリアまでタクシーに乗って、なんとか自分達でホームまで荷物を運びガトウィック・エクスプレスに乗れば良かった!フライトまでまだ3時間ある。

 easy.jetは格安だけあって安いことは安いのだが(今回、ロンドンーニース、ニースーパリの2区間の二人分料金が300ユーロ。)、荷物ひとつにつき30ユーロ、座席一席につき3ユーロ(前の方の席はもっと高い。)等、細かく金額が加算されるようになっている。もちろん機内での飲食のサービスは有料。おまけに機内に持ち込む小さいスーツケースのサイズも非常に厳密に決められていて、そのサイズがギリギリだった私はドキドキしながら航空会社のカウンターで大きい方のスーツケースを預けたところ…昨日からの疲れと小さなスーツケースのサイズに気を取られ、どうやらカウンターに忘れ物をしてきてしまったらしい。ふと気付くと手に持っていたはずのすべての資料の入ったクリアファイルが行方不明。ゲートに入り早めの夕食を食した後に気付き、「えっ!?ない!ない!」と大騒ぎに。
 すべての資料とは、パリー東京間のANAの航空券、ニースーパリ間のeasy.jetの航空券、これから泊まるニースとマントン、そしてパリのホテルの予約確認書、パリからノルマンディー行きの列車の往復チケットの確認書。いずれも買付け前にせっせとパソコンからプリントアウトしてきた物ばかり。失っても持って来たパソコンに情報は残っているし、携帯で海外ローミングすれば情報は取り出せるので「絶体絶命!」ではないのだが、取りあえず今晩泊まるニースのホテルからしてどこだかさっぱり分からないので、とにかく困ってしまう。

 寒かったロンドンから1時間半のフライト。すっかり夜になっていたが、着いた先のニースはロンドンと違って湿気があり暖かく、南仏特有の気持ちの良い風が吹いている。寒くて、うるさくて、不味かったロンドンを思い出し、「あ〜!地獄から天国に来たみたいだ〜!」と私。
 携帯電話でインターネットを利用する海外ローミングは非常に高価なため、普段は一切ローミングしていない。だが、それまでローミングしていなかった携帯電話をニース到着と共に一時的にローミングon。インターネットから今晩泊まる予定のホテルを探し出す。ホテル名とアドレスをせっせとメモし、タクシーのドライバーに手渡した。
 ニース空港からニースの市街地は非常に近く、タクシーだと正味15分ほどだろうか。無事目的のホテルに着いたのは夜10時。その時間になってもバカンス地のニースの街中は賑やか。夜になっても暖かで爽やかなニースの空気に、疲れも忘れて思わず散歩に繰り出した。

■9月某日 雨のち晴れ
 ニース一日目の朝はあいにくの土砂降り。余りに激しい雨に、近所のキャフェのテラスで朝食を取ろうと思っていたのをあっさり諦め、ホテルのダイニングで朝食。いつまでも止まない雨に、これ以上ないほどのんびり時間をかけて朝食を食べる。雨は残念だが、こんなことでもないとゆっくり過ごすことは普段から皆無なので、これも良いのかも。「ニースに温泉があれば雨でも良いのにねぇ。」などと話しながら食事。(実際にはニースに温泉なぞありません!)昨晩散歩をして、前回4年前に泊まったホテルのすぐ側であることが分かったので、付近は土地勘もあり、「まずは雨だしギャラリーラファイエットの中でもブラブラしましょう!」と雨の中出掛ける。

 もの凄い雨に傘をさしても全身ビショビショになりながらトボトボ歩く。こんな激しい雨はヨーロッパでは経験したことがない。同じ国でもパリとはまったく違う気候に驚きながら歩く。(午後から嘘のようにカラッと晴れてそれにもまたびっくり。)東京にいる時は、お店から歩いて2〜3分のすぐ近所にデパートがあるというのに、河村とふたりでうろつくことはまず無い。なので、場所がフランスとはいえ、デパートの中をふたりフラフラ歩き回るのもそれはそれで新鮮だ。私達が特に好きなのは食器やキッチン、インテリアの売り場。思いもかけない調理道具などがあったり、日本ではあり得ないビビットなベッド周りのインテリアに考えさせられることも多い。特に何も買い物せずギャラリーラファイエットを出てきた後は、やっと雨も小降りに。そこで前回は閉館していて行くことの出来なかったマセナ美術館へ行くことに。

 ホテルやキャフェ、商店街が連なるニースの歩行者道をそのままずっと歩いて行った先にマセナ美術館はある。元々お屋敷街と思われるこの界隈は大きな邸宅も多い。マセナ美術館も貴族の邸宅を美術館にした所で、元の持ち主はナポレオン信望者だったと思われナポレオンに関してのコレクションが多い。内装はアンピール様式一色で「凄い!生きているアンピール様式だ〜!」などと興奮気味に足を踏み入れる。どこがどう「生きているアンピール様式」か?と問われると困ってしまうのだが…フランスではアンピール様式の家具調度がアンティークディーラーやオークションで売られているのは頻繁に目にしていたが、実際にそれ一式が邸宅の中でインテリアとして使われているのを初めて見たのだったのだ。

 ナポレオンに関してのコレクションと共に、当時の風俗を紹介するための貴族の女性達の衣装やパラソルやジュエリー、ポシェットなどの小物などもあって興味深い。やはりこちらも、実際に使っていた様子が想像出来るような展示になっている。そしてなによりもこのマセナ美術館のロケーションの良さといったら!!美術館の入口は建物の裏側にあるのだが、この邸宅の表側は地中海に面していて建物の中からは海が一望出来る。「う〜ん。権力者たるものこういう場所に邸宅を構えるのね。」と権力にまったく無縁の私は羨むこともなく淡々と思ったのだった。

 ニースの目的のひとつは蚤の市へ行くことだったのだが、今日は蚤の市がお休みということで、のんびり過ごす。前回も登ったニースのベデザンジュ(天使の湾)が一望出来る小高い丘の城跡公園へ。すっかり天気が良くなったニースは空気が爽やかで風が気持ち良い。高台から望むベデザンジュの景色に、今回の買付けだけでなく4年前からの様々な出来事を思い出し、「あぁ、ここまでよく来たなぁ〜。」と感慨深い。逆側に広がる美しいニース港の眺めにもうっとりしてしまう。

 丘の上から降りてきた後は、その下に広がっている旧市街を散策。終日のんびりとコートダジュールの休日を過ごしたのだった。

ニースの目抜き街、マセナ広場を囲む建物。オレンジにイエローのアクセントがイタリア風。雨降りでもカラフルな建物が良く映えます。中央の背の高いポールの上の人物像はスタルクによるもの。


こちらのイタリア風のヴィラがマセナ美術館。内部はアンピール様式で、ナポレオンに関する収蔵品の他、ベル・エポック期を偲ばせる絵画やポスターなどが展示されています。(残念ながら内部は撮影不可でした。)


こちらがマセナ美術館のプロムナード・デ・ザングレ(ベデザンジュ・天使の湾沿いにある散歩道)側。椰子の木や鮮やかなお花がエキゾチックです。


マセナ美術館の側にあった老舗のお菓子屋さん。日本人から見ると色がやや毒々しいのですが(この色あいも南仏チック?)、実際には美味しいのでしょうか?


丘の上から眺めるこのベデザンジュ(天使の湾)の光景は何度見ても心が洗われるようです。今回少々無理をしてもニースまで来て本当に良かった!


逆側に見えるニース港。こちらから見えるニースの建物もイエローの外壁にオレンジの屋根がカラフルです。


旧市街で見つけたバルコニーが植物だらけのアパルトマン。やはりパリとは全然気候が違うのですね。


旧市街のスパイス屋さんで見つけたピンクが美しい薔薇の蕾。これってローズティーなのかしら?


南仏と言えばやはりマルセイユ石鹸でしょう!ラヴァンド(ラベンダー)、ローズ、バニール(バニラ)、ノア・ド・ココ(ココナツ)、ミエル(ハチミツ)、アブリコ(アプリコット)・シトロン(レモン)何でもありです。南仏はどこに行っても「色」を感じますね。

■9月某日 晴れ
 ニース二日目の今日は、本来の目的蚤の市へ。(一応、ニースでも買付けが出来ればと思って来たので…本当です!)蚤の市が行われる旧市街のマルシェへ、早朝からいそいそと歩いて出掛ける。以前も足を踏み入れて勝手が分かっている私達は端から順々に見始めた。

 元からさほど期待してはいなかったのだが、まったく欲しいものが何も無くてやや気落ちしながら歩き回る。近くにたまたまいた日本からのツアー客の男性が「こういう所に掘り出し物があるんだぞ!」と脳天気に大きな声で話している後ろで、性格の悪い私と河村は「こんな所に掘り出し物なんてね〜よ!!」と周りに聞こえないように2人でそっと呟く。(スミマセン。ふたりとも口が悪くて…。)が、掘り出し物はあったのだ!!適正なお値段だったから、正確には「掘り出し物」とは言えないのかもしれないが、この何も無い蚤の市から拾い上げたのはキセキとも言えなくは無い。それはシルバーの小さなケースふたつ。

 昨今、パリでも他の場所のフェアでもさっぱり良い物が見つからなかったシルバーのピルケース(パウダーケース)。この蚤の市の中で唯一、真っ当な物を持っているマダムがいて、彼女のガラスケースの中に沢山のシルバー製ケースが並んでいたのだ。「え?え?まさかこんな所に!?」とばかり、早速ガラスケースを開けて見せて貰うと、親切なマダムは次々に商品を出してくれる。アール・ヌーボーのシルバー製ケース、シルバープレート製のケース、沢山の中から私達が選んだのは立体的な薔薇の細工が美しい丸いピルケースと、フラワーバスケット柄で細工の細かなパウダーケース、どちらもシルバー製だ。そして一緒に星柄のシルバーシンブルを選んだ。けっして安い訳ではないのだが、「本当に欲しい!」と思える物が近頃なかなか見つからないので、嬉しい出会いだ。

 他には何も見つからない蚤の市だったが、「僅かでも気に入った物が手に入って良かった。」と思いながら歩き回っていると…河村が突如「ジェラルド!!」と叫んで走って行くではないか!偶然で会った彼、ジェラルドはニース出身、名古屋在住の私達の友人。銀座のお店に遊びに来てくれたこともある。日本でも最近ずっと会っていなかったのにまさかニースで会うなんて!嬉しくて思わず抱きついてしまった。それから一緒に側のキャフェでおしゃべり。私達と彼の会話はすべて日本語、感動的に日本語が堪能な彼と話しているとキャフェのギャルソンが不思議そうな顔で「どうしてそんなに日本語がしゃべれるんだ!」と聞いてくる。最近は仕事で会うこともなく、久し振りに会ったので話が尽きず、明日マントンに行く私達に「ちょうどイタリアに買い物があるからついでに車で乗せていってあげるよ。」というありがたい申し出をいただく。(マントンはイタリアとの国境の街。)明日も彼に会えるかと思うと嬉しい。その後、予定していた港沿いの骨董街にも車で送って貰いなんともラッキーな出会いだった。

 港近くの骨董街では残念ながら何にも巡り会わず、トラムで早々に泊まっていたマセナ広場のこちら側に帰宅。今日はもうひとつ、ニース最大(?)の目的、前回を訪れた日本人シェフの一つ星レストランKeisuke Matsushimaに行くのだ。着替えをして、行く気満々で予約の電話を入れると…これが留守番電話!本来なら営業日の筈だが、どうやらお休みのよう。昨日もレストランの前を通ったが開いていなかったのだ。「ひょっとすると遅い夏休みか?」とがっかりしながらもホテルの近所の行きつけのレストランのテラスで、私達が「海の幸スパゲティ」と呼んでいるSpaghetti aux fruits de mer とコート・ド・プロヴァンスのロゼワインを。これはこれで大満足!海辺のコート・ダ・ジュールだけあってやはり魚介類が豊富で美味。こうしたメニューとワインもやはり南仏ならではの楽しみだ。

大好きなジェラルドと。「うちはラテン系だから家族みんな凄く仲良しなんだよ。」と彼。彼と様々なことを一緒に話すのも楽しいのです。

 午後からは前回行くことの出来なかったニースの隣町モナコへ。隣街といってもモナコ公国はフランスとは別の国、フランス国鉄で30分ほど。もちろんパスポートコントロールもなく、駅を降りたらそのまま街中に出掛けることが出来る。タックスヘイブンとして有名なモナコは世界中のお金持ちが住んでいる。フランスの有名俳優や有名スポーツ選手なども自国の高い税金から逃れるため皆モナコへ移住するのだ。国民の私有財産を守るため警察が60人に一人という高い割合ということにも驚く。失業率もほぼ0%に近いのだそうだ。のんびりしたニースや他のコート・ダ・ジュールの田舎の街と違い、ぎっしりと高層ビルが建ち並んだ近代的な街並みはどこか香港を思い出させる。まずは大公宮殿や大聖堂のある高台の旧市街へとぼちぼち登り始まる。グレース・ケリーとレーニエ大公が結婚式を挙げたモナコ大聖堂を「ほう、ここか〜。」と特に感慨もなく見上げる。その後、私達の観光の恒例プティトラン(普通の道路を走る観光列車)に乗って、モナコの町を一周したのだった。このプティトラン、ヘッドホンで日本語の説明を聞きながら乗ることが出来てとても便利。新たな場所に観光に行くと必ずこれに乗るのが私達のお約束だ。

 夕刻、華やかで近代的なモナコを離れまた電車でニースへ。この路線は車内から地中海の海岸線を一望出来る美しいルート。「モナコでなくてもっと田舎でいいから日がな地中海が眺められる家が欲しい!」そんなことを思ってしまった。

モナコの旧市街で。モナコの国章、紋章の赤と白のフュージル(fusil 縦長の菱形)模様はモナコ公家の粗である13世紀にジェノヴァからやって来たグリマルディ家由来とか。


こちらの扉の上にもモナコ公国の国章が。ただ、どうもモナコの旧市街は、他の南仏の街と違って、人の住んでいる気配がなく、綺麗過ぎてどうも映画のセットのような感じが。


こちらは眼下に地中海を見下ろすモナコ大聖堂。グレース・ケリーとレーニエ大公の結婚式もこちらで行われました。アメリカから遙か遠くのモナコにやって来たグレース・ケリー、果たして幸せだったのでしょうか?


モナコ大聖堂の内部。ここは歴代のモナコ公国君主の墓所。モナコ大公妃となったグレース・ケリーのお墓もこちらにあり、沢山のお花が供えられていました。


こちらが観光列車プティトラン。小さくて可愛い、ヘッドホンで日本語の観光案内までしてくれる便利な乗り物です。たいていフランスの地方の観光地にはプティトランが設置されているので、今まで様々な場所で乗りました。


こちらはモナコ港。沢山のクルーザーが係留されていて、「きっとみんなお金持ちのクルーザーに違いない!キ〜!!」とクルーザーの買えない私と河村。


この通り地中海は真っ青。いつまででも眺めていたくなってしまいます。「世の中にこんな海を眺めながら一生暮らす人がいるなんて…世の中って不公平だ〜!!」と思ってしまいました(笑)


碧い海と白い帆船。四年振りにコートダジュールに来ることが出来ただけで大満足です。


ふたり健康で、久々に南仏の旅が出来たことにただただ感謝です。日本ではしっかり「日焼け対策」をしていた私ですが、コートダジュールに来てからは、もうどうでも良くなりこの通り。真っ黒になって帰ってきてしまいました。

■9月某日 晴れ
 今日はニースからマントンへ一泊旅行。ロンドンから持って来た大きなスーツケースはそのままホテルに預け、小さなスーツケースひとつだけで車でお迎えのジェラルドを待つ。優しい彼はわざわざ私達の予定にイタリア行きを合わせてくれたのだ。朝、ニュースを見ていると悪名高いフランス国鉄の「ストが始まった!」というニュースが流れてきたので、送ってくれて本当に助かる。まったくバカンスを終えると同時にストを始めるなんて!(フランス国鉄のストでは、完全に列車の運行がストップしまうことはないものの、間引き運転となるため、もの凄く不便。移動時間がまったく読めなくなってしまう。本当に迷惑なのだ。)明日、またマントンからニースへと戻り、夕方にはニース空港からパリへのフライトなので、いったいどうなってしまうのか不安が募る。

 時間通りに私達を迎えに来てくれたジェラルドの車に乗せられ、マントンまでコートダジュールの海岸線をドライブ。この道が本当に素敵だったのだ!ジェラルドが「ボクはここの景色が一番好き!」というヴィルフランシュの美しい海に感動!マントンまで一時間、じっくりコートダジュールの魅力を味わったのだった。
 日本と違ってエアコンなんて必要のない南仏、マントンの街に入ると、ジェラルドは車をに乗ったまま、止まる度に周りのドライバーに道を聞いてくれて、ホテルの前まで送り届けてくれた。しかも、別れ際、「もし何かあったらボクにすぐ電話して!いい!必ずだよ!」とまるで小さな子供に諭すように私達に言ってくれ、外国でこんなに優しくされることに慣れていない私達はじ〜んとしてしまった。感謝の気持ちでいっぱいの彼とはまたギュッと抱き合ってお別れ。

ヴィルフランシュの美しい海。昔は何も無い港町だったそうですが、今では高級リゾート地になってしまったのだとか。ジャン・コクトーも、マティスも、シャガールも.…。みんな最後はやっぱり地中海を目指すのでしょうか。

 マントンのホテルをチェックインすると、すぐに街中を散策し、海岸線に伸びる散歩道プロムナード・デュ・ソレイユへ。前回四年前にここのテラスのレストランで楽しく食事したのが忘れられなかったのだ。マントンはニースよりもさらに田舎でのんびりした空気が流れている。風は爽やかでとても気持ちが良い。南仏はどこもそうなのだが、皆バカンス中だからなのか、他人に対して寛容でパリと違って皆一様に優しい気がする。
 歩いてすぐのプロムナード・デュ・ソレイユでビーチを眺めながらランチ。浜風に吹かれながらお昼のコースのドラード(daurade鯛)と、南仏のお約束、今日もコート・ド・プロヴァンスのロゼが美味しい。高級レストランでなくとも心地良く楽しい時間が過ごせて幸せ。ビーチのお姉さん達を眺めながら食事をした河村もとっても満足そうだった。(苦笑)

 前回来た時にはジャン・コクトーの美術館と、同じくジャン・コクトーが手掛けた市庁舎の「結婚の間」を見るのが目的で、ニースから日帰りだった。今回は前回時間がなくて叶わず、心残りになっていた旧市街散策と、新しく出来たコクトー美術館の新館へ行くことが目的。コクトー美術館は休館日のため、今日は夕刻まで旧市街をフラフラする。
 坂道の続く旧市街の道をあちらこちら迷いながら歩くのも楽しい。旧市街はバロック様式の教会を取り巻くように上へ上へと伸びている。イタリアが近いマントンはニースよりもさらにカラフルな街並み。細い路地や階段トンネルが迷路のようにくねくねと続き、昔の時代に迷い込んだような楽しさだ。最後に行き着いた先は街の一番高い場所にある墓地。地中海を見渡せる絶景で、遙か向こうにはイタリアも見えた。

眼下に浜辺を眺めながらプロムナード・デュ・ソレイユのテラスでランチ。気持ちの良い浜風を思う存分浴びながらのお食事は最高です!


毎年二月にはレモン祭りがあるマントンはレモンが特産品。これは本物のレモンではなくお土産のレモン石鹸。


色鮮やかな陶器は南の国ならではの物。壁の鉢カバーに植えられたお花もまたカラフルです。


旧市街のバロック様式の教会。この教会を取り巻くように車の入ることの出来ない旧市街が広がっています。


ガーランド飾りの下は美しいマリア様とエンジェルの彫刻。こんなアンティークがあったら欲しいです!


暖かみのある黄色とオレンジの旧市街の街並み。イタリアの影響が伺えます。


旧市街の道端にたたずんでいた猫ちゃん。大人しく撫でさせてくれた良い子でした。


上に登るほどドンドン道幅が狭くなり…。こんな所で迷子になるのも楽しいものです。


細い階段になったトンネル。あちらこちら道が分かれているので、気まぐれに進むのも楽しかったです。


ピンクに塗った壁、小さな扉の可愛いお家。きっと窓からは地中海が一望出来るのでしょうね。


まさにアンティークそのもの!しなやかな女性の手をかたどったブロンズ製のドアノッカーです。


旧市街の路地をエッチラオッチラ登ると、街の一番高い場所には墓地が。こんな場所に眠っているなんて羨ましい!地中海を隔てて遙か彼方にはイタリアが見えました。


マントンの夕焼け。薔薇色の雲がそれは美しかったです。またいつの日か行くことが出来るかしら?

■9月某日 晴れ
 今日は私達のささやかなバカンス最終日。マントンでコクトーの新旧の美術館へ行った後、ニースへ戻り、夕刻にはパリへフライト。ただ心配なのは昨日から始まったフランス国鉄のスト。それ次第でニースへスムーズに戻れるかが微妙、それこそパリへのフライトに乗り遅れると大変なことになるため要注意!起きると早速、フランス国鉄のサイトにアクセスし、「午前8時でスト終了」の文字を見てほっとする。やれやれこれで問題なくニースへ戻れそうだ。

 朝からまずコクトー美術館新館へ。こちらは元々あった要塞を美術館にした旧館のすぐ側に2011年にオープンした美術館。プロムナード・デュ・ソレイユのすぐ側にあり、海岸を背景にした美術館だ。広々した空間にジャン・コクトーの写真作品や映像作品、当時のポスターなど、旧美術館とは雰囲気を異にしていて、また違った楽しみ方が出来る。ゆっくり新美術館を見た後は、すぐ側のこちらも海に面したコクトー美術館旧館へ。17世紀の要塞をコクトー自らが修復し、美術館にしたここは小さな趣のある美術館。中にはコクトーの陶芸作品ばかり。それが要塞の小さな窓の向こうの海をバックに展示されていて、まさに「地中海」な感じ。小さな美術館だが私達のお気に入りだ。

 ふたつの美術館を見終わると、後ろ髪を引かれながらそのままニースへ出発。マントンの駅のチケット売り場の長蛇の列に40分も並んでチケットを購入した時点で、バカンスの夢から冷める思いだった。その後も問題なくニースに着き、そのままホテルで預けてあった荷物をピックアップして空港へ。前述の通り、すべての予約確認書を失った割には、すんなり飛行機のチェックインも出来、予定通りパリへと向ったのだった。次にコートダジュールに来られるのは、いったいいつだろうか?

こちらは2011年にオープンしたコクトー美術館の新館。海岸を背に建てられた1階と地下1階のとてもモダンな建物です。


こちらは17世紀の要塞だったというコクトー美術館の旧館。地中海をバックに岸壁に建てられた趣のある小さな美術館です。


コクトー美術館旧館の玄関の漁師とその恋人のモザイク。この地方独得の小石を並べる手法で作ってあります。


コクトー美術館新館の横にあったマルシェ。南仏らしく豊かな食材でいっぱいでした。この桃は1キロで2.8ユーロ。ってことは400円もしない…。1個じゃありませんよ!1キロですよ!!


オリーブも見たことの無いほど多彩。いったい何種類あったのでしょうか?


レモンピールが美味しそう!こちらは果物の砂糖漬の専門店。半透明の色合いも綺麗です。こちらもキロ23ユーロ均一。

 パリに着いたのは黄昏時。空はどんよりもした厚い雲に覆われ、肌寒い。ニースから来ると、とても同じ国とは思えないほど。「私の太陽はどこ?碧い海は?」と思わず呟きたくなってしまう。タクシーでいつものホテルに到着。明日はさらに寒いノルマンディーに行くため、午前5時半に駅へ向うタクシーを予約する。(>_<)

***買付け日記は後編へと続きます。***