〜前 編〜

■8月某日 晴れ
 今回の買付けは私ひとり。しかも大韓航空のマイレージのボーナスチケットのため、久々のソウル・仁川空港経由だ。大韓といえば、以前の私達の御用達だったが、東京に移転してからというものANAを利用していたので、久しぶりの搭乗。ANAよりも搭乗時間が早いため、自宅を出るのも1時間以上早い。緊張のあまり、携帯電話のアラームの他、一度スーツケースに詰めた目覚まし時計もスタンバイ。無事早起きし、河村に最寄りの箱崎のバスターミナルまで見送られ、久々の大韓航空機へ。(わざわざセットした目覚まし時計はそのまま自宅に置き去りに。ロンドンに着いてから気付いて青ざめるハメに。)

 それにしても、直行便に慣れた身体にはソウルへの経由便はぐっと長く感じられる。8月に開催したセール、その後の名古屋への帰郷(名古屋でのゆっくり過ごそうと思っていたもくろみはすっかりハズレ、実際には用事を済ますのに大忙しの帰郷だった。)でぐったり疲れていたせいか、機内では爆睡。映画を見てみたりもしたのだが、いずれも結末を見ること無く途中で寝入ってしまい、後ほど隣のシートのイギリス人のマダムから「よく寝てたわね〜。」と言われる始末だった。

 悪名高いヒースロー空港のイミグレーションの長い列をなんとか乗り越え、機内預かりの荷物がグルグル回ってくる無事バゲージクレームのターンテーブルのところまでたどり着いた。私の荷物はマイレージのプラチナメンバー用のプライオリティータグが付けてあるため、一番に出てくるはず!しかし、待てど暮らせど出てこないのだ。ぼーっとグルグル回る荷物を凝視し、途方に暮れ始めた頃、肝心のことを思い出した。そう、今回は「この方が軽くて良いから。」という理由で、買ったばかりの河村のスーツケースを借りてきたのだった。一生懸命いつもの私の赤いスーツケースを探しても出てくるはずはない。やっと長時間ターンテーブルを回っていた河村のスーツケースをみつけ、自分のアホさ加減に呆れながらようやく降ろしてやった。(もうひとつの小さなスーツケースは、私がやって来る前に長時間回っていたとみえて、他のスーツケースと一緒に床に降ろされて隅に放置されていた。)

 タクシーでロンドンに到着し、いつものアパートメントに落ち着きほっと一息。が、まだ「真夏」の日本からやって来た私にとってロンドンは既に「晩秋」のよう。イギリス人が「ブリティッシュウェザー」と呼ぶ薄ら寒いロンドンの気候に、気分も少々どんより。が、明日からはハードな買付けが始まる。とにかく身体を休めることだけを考え、午後10時に就寝。

 華やかなお花で彩られた近所のパブ。もう既に気温は低いものの、まだ夏の名残が残っていました。

■9月某日 曇り
 今朝は買受け第一日目にして多くのディーラーとアポイントのある大切な日。遠足へ行く小学生のように、興奮と(?)時差ボケから午前4時過ぎに目が覚める。日本から7〜8時間時差のあるヨーロッパに到着した当初は、どんなに眠りたくても、思い切り早朝に目が覚めてしまう。目覚まし時計を日本の自宅に忘れてきたため、アパートメントの部屋に据え置きの置き時計と携帯電話のアラームをそれぞれセットし、万全の態勢。しかし、アラームの鳴る前、まだ真夜中だというのにムックリ起きたのだった。

 ロンドンの早朝は12℃ほど。真夏の日本からやって来た私には戸惑うほどの寒さ。流石に今回、セーターは持ってこなかったので、長袖のTシャツを何枚も重ね着をし、持って来た薄手のコート、首元にはショールをグルグル巻いて出掛ける。

 午前6時過ぎ、早朝のタクシーで乗り付けた先は、いつものマダム親子のジュエラー。まず最初にふたりから「あら!ハズバンドは?」と尋ねられ、「彼は東京で仕事よ!」と答えながら物色。付き合いの長い彼女は、こちらが何も言わなくとも「これはどう?」と私の好みのものを次々ケースから見せてくれる。地金ものと綺麗でリーズナブルなダイヤのジュエリーが得意な彼女、今日私が選んだのゴールド無垢のブレスレットやダイヤのジュエリーいくつか、それと普段にも着けやすい小さめのペンダントふたつ。そしてシールふたつ。片方のシールには「私の心はあなたと共に」という文字が。マダムおすすめのシールだ。

 今日はいくつものディーラーを回るため、非常に忙しいスケジュール。マダム親子のところをあとにすると、まだまだ立ち寄る先が。急ぎ足で向った先はソーインググッズを扱うディーラー。このところなかなか思ったようなソーインググッズを仕入れることが出来なかったのだが、顔馴染みのディーラーのところに立ち寄り、ガラスケースを眺めてもあまり魅力を感じるアイテムがない。

 ふとその時、彼女の後ろのケースの中に何やら可愛らしいものを発見!セルロイドで出来たテープメジャーふたつ。こうしたコレクターズアイテムのテープメジャーが他にもいくつかあったから、きっとこれらはコレクターからまとめて出たか、オークションでまとめて落としてきたものだと思う。ひとつはフラワーバスケットでメジャーの端が赤いテントウムシになったもの、もうひとつは薔薇のお花を両手に持つお人形の形。思わず「ラッキー!」と心で叫び、いくつかあった物の中から一番可愛いふたつを入手した。

 次に向った先はいつもお世話になっているジュエラー。ガラスケースの中に沢山のジュエリーを持っているのだが、それ以外にもニューストックをいくつものタッパウェアに入れて持っている。挨拶もそこそこにまずはじっとガラスケースを眺め、その後タッパウェアを出して貰う。タッパウェアの中からすべてのジュエリーを取り出し、チェックすることしばらく。美しいダイヤのリング2点の他に、ヴィクトリアンらしいリボンとダブルハートのリング、そしてシードパールとターコイズに小さなダイヤをあしらったパンジーリング!いままでこの組合わせのパンジーリングにはいまひとつテンションが上がらなかったのだけど、今回のパンジーロングはとても可憐!可愛いジュエリーを手に入れることが出来ると、それまでドキドキしていた気持ちがだんだん落ち着いてくる。

 お約束をしていたレースのディーラーの元へ。事前にあれこれリクエストをしていたにもかかわらず。欲しいものがあまりなく、困り果ててしまう。思えば夏の間はオークションも休みになるから、「夏枯れ」といった感じか。そんな中からでも古いメヘレンやヴェネチアンレースを探し出した。少し拍子抜けしながらも、「またすぐ来るから良いレースをお願いね!」とメッセージを残し次の場所へ。

 もう一軒、同じくポイントを入れたレースディーラーからは今回変わったレースが。以前にもダイアナ元妃の生家スペンサー家からレースが出たことがあったが、今回も同じくオルソープから出てきたアイテム。レースに付けられたナンバーのタグが財産目録に記載されたナンバーを表している。21世紀の現代、貴族といえども、大きなお屋敷を維持するのは大変なのだ。(しかも当主でもあるダイアナ元妃の弟は結婚と離婚を何度も繰り返していることでもあるし。)
 それはアイリッシュユーグホールのパラソルカバー。貴族の館から出たものだけあり、前回入ったもの同様、格の高さが感じられるアイテムだ。アイリッシュクロシェは比較的目にするレースだが、アイリッシュユーグホール、しかも凝った柄のものはちょっぴり珍しいアイテム。わざわざ私のために持って来てくれたもの故、喜んでいただく。今日は他にも状態の良いヴェネチアンレースや美しいホワイトワークのアイテムも。良いレースを手に入れるのは、良いジュエリーお手に入れるのよりもずっと難しい。(なにしろデーラーの数からして全然違うため。)「わざわざ買付けに来て良かった!」と思えるレースが手に入れられると、ぐっと気分も上向きに。ディーラーにしっかり感謝の気持ちを伝えて次へ。

 前回ベルギーまで足を運び、ジュエリーを探しに行ったのだが、今回はロンドンにその時訪れたディーラーが登場。ちょうど前回気になっていたアイテムがあったので、また再び膨大な在庫をチェックし、そのブツを探し出す。あった!あった!彫刻的な薔薇の細工のネックレス。アール・ヌーボージュエリーだ。この時代のフレンチジュエリーは数あるものの、本当に気に入るものはごく僅か。私好みのネックレスだ。

 それにしても…このところバブルが弾けたとも伝えられるが、中国からのディーラーがロンドンでも目につくようになってきた。しかも、かの国の「反日」教育のせいか、こと日本人の私達を目の仇にしているような…。私達が見ているすぐ隣まで来て、まるで挑むように私の見ているガラスケースに強力なマグライトの光を当て、「これを見せて!」とか「あれを見せて!」とディーラーに命令口調。だが、彼らの目的は中国ものと思われる翡翠もしくは珊瑚。その光景を横目で見ながら「そういうのいりませんから!興味ないですから!」と私は心の中で叫ぶのだった。

 まだまだ今日は終らない。朝6時過ぎから仕事を始めて、ひと段落したのは午後1時近く。朝早かったこともあり、その時間にはすっかりエネルギー切れ。昼食にバゲットサンドを買い込み、帰りもタクシーに乗り込みアパートメントに帰宅。帰るとぐったりベッドに倒れ込んだのだった。

 この通り、季節は夏とはいってもどんよりグレイの空、相変わらずのブリテッシュウェザー。ロンドンの早朝の寒さは「冬」といっても過言ではありません。

■9月某日曇り
 さて、今日はロンドン市内のフェアへ。今日のスケジュールはロンドン市内で2軒のフェアをハシゴした後、午後にはユーロスターでパリに向うことになっている。ユーロスターでの大移動が待っていることから、時間配分に気を遣うところだ。

 朝から荷物をまとめ、レセプションまでふたつのスーツケースを降ろすのにひと苦労。いつも大きなスーツケースは河村が運んでくれるのだが、今回は私ひとり。実は、私達が常宿にしているこのアパートメントは、ヴィクトリアンの建物ゆえリフト(エレベーター)という物が無い。いつも予約を入れるときに「下の方の階の部屋をお願い!」とメッセージを入れるのだが、今回は1st floor、つまり日本式の2階の部屋。なぜか行きから23キロあったスーツケースは昨日仕入れた物を入れてさらに重くなっている。階段一回分だからまだ良いものの、昔、河村と知り合う前、もっと上の5,6階の部屋から郵便局で送る20キロ近い大きな段ボールを降ろしていたことを思い出す。段ボールはスーツケースと違って「ハンドル」が付いていないから持ち上げることも出来ず、階段を斜めに滑らせて降ろしていたのだ。「あれを思えば1階ぐらい平気!平気!」と歯を食いしばって降ろす。

 荷物をすっかりレセプションに預けると、いざ出動!今日は地下鉄に乗って出掛ける。ここ最近、河村にくっついて行っていたため、最寄り駅からの道のりはうろ覚え。途中、お巡りさんのグループに出会ったので、道を尋ねると、それぞれがiPhoneを出して親切に調べてくれた。「昔は皆“A to Z”だったよなぁ。」と感慨深い。“A to Z”とは、ロンドン全土のすべての通り名、地名が記載されている分厚い本になった地図で、それさえあればどこにでも行くことが出来るという大変重宝なものだったのだ。(たぶん今も売られているはず。)私も十数年前は、買付けの度、こちらまで持って来ていたものだった。そんなことに時代の変遷を感じながら、開場30分前に開場に到着。

 フェアの開催されるホールの横には、既に何人もの人が並んでいた。私も列の一番後ろに並ぶと…その少し前は中国人ディーラーの一団。この人達がうるさいの何のって!身なりこそ、全員高価そうなブランド物に身を包んでいるものの、閑静な住宅街のそこで大きな声でしゃべり、、タバコの吸い殻はあちこちに投げ捨て、痰を吐き…しかも同じく中国人のディーラーがひとり、ふたりとやって来ると後ろに並ばずに彼らの所に横入り。正に傍若無人な振る舞いなのだ。それをまた、ポーカーフェイスで見て見ぬふりをしている周りのイギリス人達。そんな光景も日本人の私から見ると面白い。
 すぐ後ろのイギリス人男性に「すみません。ここの入場料はいくらでしたっけ?」と尋ねたのがきっかけで、立ち話が始まった。「どこから来たの?」と聞かれ、「日本です。」と答えた時の彼のほっとした表情といったら…。仕事で東京にも住んだことがあるという彼はディーラーではなく、シルバーのコレクターで、いつ何時でもオークションに立ち寄ることが出来るよう、オークションハウスの側で会社勤めをしているのだそう。8歳の頃からシルバーを集めだし、今はたぶん40代後半。「でも妻はまったく興味がないんだ。」と言って笑っていた。

 さぁ、フェア開始!みんなゾロゾロ会場へと流れ込んでいく。ここのフェアは小規模だけど、ジュエリーや小物など小さいものが充実しているフェア。何か面白いものが手に入りそうな予感がする。
 まず見つけたのは、アメジストの小さなブローチ。あまりにも小さなお人形にも付けられそうなサイズだ。それから以前からお客様にリクエストされていたジェットのハート形ペンダント。以前私物でも持っていて(今はお客様にお売りしてしまいもう手元には無い。)、私自身も気に入ってよく着けていたものだが、ここ数年見たことが無かったので嬉しい。他にもヴィクトリアンのニードルフォルダーとビーズのピンクッションが。古いソーイングツールはフランスではなかなか手に入らないので、イギリスにいるうちに手に入れておきたいアイテムだ。

 そんな中、久し振りに私のお気に入りのジュエラーに再会。たぶん年齢は私と同年代、以前はロンドンのアンティークマーケットのあちこちに出店していた彼女だが、どうやらロンドンから田舎に引越しをしたらしく、最近会ったのはコッツウォルズのフェアだけ。久し振りの再会に、彼女も私の好みそうなものを次々とガラスケースから取り出して見せてくれる。ルビーとシードパールのクラスターリング、シードパールとターコイズのペンダント、シードパールネックレス、そういうヴィクトリアンテイストが得意な彼女、細々した沢山のアイテムから選んでいくのは楽しい仕事だ。最後に薔薇のシール。彼女に会うことが出来、好みのジュエリーが手に入り、すっかりテンションが上がる私。
 そしてもうひとつ、例の傍若無人のチャイニーズディーラーが、私が選んでいるすぐ横で、「これを見せろ!」「あれを見せろ!」と彼女に命令すると…いつも穏和な彼女は一転怒りの形相に。「今大事なお客様のお相手をしているので、あなたは後で!!」心の中でちょっぴり溜飲を下げる私。実は、今日は他にも中国人ディーラーから嫌がらせともとれる行為をされていたのだ。

 会場内を何周かした後、「そろそろ終わりにしようか。」と思いながら歩いていると、目に飛び込んできたものが。私の好きなダブルハートのモチーフのブローチ、しかも上に付いているのはリボンではなく王冠だ!2石のアメジストもカットではなく、カボッション。美しい!早速マダムにガラスケースから出して見せて貰う。王冠だからきっとどこかの貴族から出たものに違いない。マダムに「この王冠は?」と尋ねると、「分からんないわ!でも素敵だからいいんじゃない?」と、少々蓮っ葉、且つしごくあっさりしたお答え。彼女からブローチの説明をじっくり聞こうとしていた私は、拍子抜けしつつも、「まぁ、いいか。」と気を取り直し、商談に入ったのだが、ロンドンを離れる今日、既にポンドは使い果たし、このブローチを手に入れるだけの手持ちのポンドはない。近くに銀行のキャッシュディスペンサーがあれば下ろしに行くのだが、この辺りは住宅街でそのようなものはない。あるのはユーロのキャッシュのみ。仕方なくマダムに「ユーロのキャッシュって使える?」と聞くと、「えぇ!?ユーロ〜?」と思い切り苦笑いされてしまった。(結局、オーガナイザーのクレジットカード決済で無事入手。)美しいジュエリーが手に入って、足取りも軽く次の場所へ。

 前回のロンドンはダイヤモンドジュビリー直後で街中ユニオンジャックだらけでしたが、今回はオリンピック直後、まだパラリンピックの開催中でしたので、街中に万国旗がはためいていました。

 ひとつめのフェアを終えて、次に駆けつけたのはお人形関連のフェア、ドールショウ。以前、イギリスに長く滞在していた頃はよく足を運んだフェアだが、ここしばらくご無沙汰で久し振り。会場の最寄り駅は、いつも滞在しているアパートメントの隣駅でもあるので、私達の遊び場、何かと出掛けることの多い場所だ。

 さて、会場になっているはずのタウンホールに着いたものの、以前は出ていたはずの看板などが一切無く不安に駆られる。ガランとした佇まいのタウンホールをずんずん行くと、やっとガラス扉の向こうにそれらしい人影が。扉を開けて、一応「ドールショウは?」と尋ねると、「こちらですよ。」と手招きされた。
 4ポンドの入場料を払い内部へ。以前は、広い会場がそれなりに賑わっていたのだが、今日はエントランスから会場まで、ひと気のない薄暗いホールを通り、やたらと長く感じられる。と同時に「ここもか。」と、以前より淋しくなったロンドンのアンティーク事情を思い、暗い気持ちに。
 会場内は15分もあればひとまわり出来る規模。オープンしてさほど時間が経っていないにもかかわらず、本当にひっそりしている。グルグルと回ると「もう終ってしまった!」という感じだ。以前は結構沢山の人がいてもっと活気があったのに、きっとお人形自体もどんどん良いものが減っているのだろう。私はお人形そのものではなく、お人形の小物のような可愛い雑貨を探しに。そんな淋しい中でも、たったひとつエッグ形の可愛いバスケットが手に入り、それで満足して淋しい会場を出た。さあ、アパートメントに戻り、パリへ出発だ。

 いつものようにユーロスターの発着するセント・パンクラス駅のラウンジで「お疲れ様!」とひとりカンパイ。横のペラッとした紙がユーロスターのチケット、改札の機械にこのQRコードをかざしてチェックインします。

 重い荷物と共にユーロスターで移動し、到着したいつものパリのホテルのレセプションには見慣れない顔のマドモアゼルが。「あら、あなた新顔ね。」と言うと、チャーミングな黒人の彼女はにっこり。どうやら夏のバカンス時期だけの助っ人のようなので、近くのパリ大学の学生なのかもしれない。いつものパリの街並みの中に入ると本当にほっとする。

■9月某日曇り
 今日の買付けはアポイントを入れてある付き合いの長いディーラー。事前に欲しいものをあれこれリクエストしてあるので、たぶん私用の商品を用意しておいてくれているはず。フランス第一日目の買付け、ここで良い物が仕入れられるとぐっと気が楽になるはず。

 いつものようにバスで出掛け、目的地近くで降りたその時のこと…たまたまそこがセーヌ河岸で、橋にさしかかったため「写真でも。」とカメラを取り出して何枚か写真に収め、「さぁ、行きましょう!」と向きを変えたところ、いきなり止まった警察車両の中からバラバラと警官が飛び出してきてダッシュ!「なんだかドラマみたい。」とぼーっと眺めていると、ダッシュしていった警官数名は歩いていたひとりの若いロマ人の男性に全員で襲いかかり、捕らえ、手錠までかけて連行して行くではないか!?その間僅か1分ほど。思わず「ええっ!?」と目を見開いて見てしまった。まぁ、パリで犯罪現場に居合わせたことは今までも何度かある。(自分達もスリに遭遇したことだし。)パリはそれだけスリリングな街ということか。気を取り直し、ディーラーの元へ。

 向こうに見える尖った屋根はマリー・アントワネットが捕らえられていたコンシェルジェリー。「やっぱりセーヌはいいわね〜。」とお気楽に写真を撮って、くるりと振り向くとそこでは大捕物が!

 久し振りに会う彼女は、バカンス明けでよく日に焼けている。挨拶を済ますと、早速私用に取り置いてくれた沢山のアイテムのチェックが始まる。まず最初に出てきたのはリボン刺繍のハンカチケース。私がいつも「リボン刺繍が!リボン刺繍が!」としつこく言っているので、どうやら自分のコレクションから持って来てくれたらしい。(でなければ、そんな美しいアイテムはまず出てくることはないだろう。)そんな彼女には感謝。そして洗礼式のためのチョコレートボックスがふたつ。紙製の物は今までに何度か扱ったことがあるが、今回のふたつは共にシルク製。アイボリー一色に美しい石版印刷がノスタルジックな雰囲気。しかもアイボリー一色にもかかわらず、汚れもなく美しいまま100年以上存在していることが素晴らしいこと。迷うことなくふたつともいただくことに。やはり私がいつも探しているロココも私のために取って置いてくれている。

 他に今日は18世紀のレースがいくつも登場。特に1m50cm以上あるシングルのアルジャンタンのラペットは秀逸。18世紀のレースにしては具体的なお花と蝶々の模様も興味深い。彼女と一緒にルーペを覗き込みながら、あれこれ話すのも楽しい。
 ランチを挟んで、アンティークのアリ地獄に落ちたアリのように、アンティークにどっぷり浸ること5時間以上、訪れる前の心配なんて吹っ飛ぶような、沢山の収穫を手にして帰った。

 ホテルへ戻る帰り道、大きな荷物を持ったまま近所のスーパーで買い出し。一度ホテルに戻ると、どっと疲れが出て、もう外に出たくなくなるので、ここでもう一頑張りのお買い物。お総菜の他、パンやバター、ワインやジュースなど買い込んでレジで待っていると、私の番になり、レジの女性と挨拶を交わす。イギリスにしてもフランスにしても、スーパーのお買い物をはじめどこであろうと、目と目を合わせてアイコンタクトするのはあたりまえのこと。
 今日も、私の番になり、レジのマダムとにっこり“Bonjour!”と挨拶。いつものように、お金を払っていると、マダムは「お元気?」とひと言。挨拶することがあっても、それ以上の言葉を交わすことは少ないので、少し意外に思いながらも、荷物を詰めながら「元気よ。あなたは?」と尋ね、今一度彼女の顔をまじまじと眺めると、彼女の目の下は隈で真っ黒になっている。「あら、その目の下…大丈夫?」もう一度声を掛けると、今まで堪えていた物を吐き出すように。「ここ(レジの場所)はすきま風が寒くて…。フィリピンでは地震が起きたし…。」彼女はフィリピンからの出稼ぎなのだろう。家族が被災したかもしれないと不安に思いながら今日一日仕事をしていたのかも。思わず同じオリエンタル同士のよしみ(?)、もしくは先の地震で被災した日本人だと思ったから私に声を掛けてきたのかもしれない。何だか他人事とは思えず、心を込めて「身体に気を付けてね。」と声を掛けて別れた。

■9月某日曇り
 今日は特にアポイントもなければ、出掛けなければならないフェアもないため、「パリの中に点在する仕入れ先でも覗いてみようか。」という日。9月とはいえ、まだバカンスが明けきらないフランスで、果たして皆パリに戻って着るのかははなはだ疑問だが…。

 今日はまずトコトコ歩いてボン・マルシェのあるセーブル・バビロンへ。左岸で唯一、世界で一番最初に出来たデパートでもあるボン・マルシェ、実は今年が創業160年に当たり、記念の展示やら、160年を記念した様々な製品も出しているらしい。それをちょっと覗きに。それと、ボン・マルシェのすぐ裏手にある「不思議のメダイ教会」で、お客様に手渡す「不思議のメダイ」を手に入れてくるのも目的のひとつ。

 まず最初に「不思議のメダイ教会」へ。信心深い老若男女が集まってくるこの教会は、いつ行っても清浄な空気、清らかな空気が流れているような気がする。礼拝堂に入り、真剣にお祈りしている人々の後ろから、私もお祈り。私自身はクリスチャンではないけれど、ここへやって来ると、すべてに感謝し、ついついお祈りをしたくなるのだ。気分がリセットされるような、そんなひとときを終えると、礼拝堂横の売店へ!世界中から観光客がやって来るここは、ある種「人種のルツボ」で興味深い。その中に混じって、今日も「不思議のメダイ」50個入りの袋を調達、20ユーロ也。これを日本で様々な人に渡していると、小さな幸せを配っているようで、自分まで幸せな気持ちになってくる。

 1830年、修道女カタリナ・ラブレがマリア様からメダイを作るようにというお告げを受け、作ったメダルで様々な奇跡が起きたことから、このメダルを手にした人に「奇跡が起こる」といわれています。

 信心深い老若男女に別れを告げ、教会の向かい側にあるボン・マルシェへ。まだ午前中のボン・マルシェは静か。デパートの売り場にはあまり興味はなく、そのまま160周年の展示会が開催されているフロアーへ。ゆうべボン・マルシェに来ることを想定して、日本から持って来たボン・マルシェの成り立ちを解説した「デパートを発明した夫婦」 を読んでおいたので、展示会のキャプションも何となく頭に入ってくる。当時の写真や広告が沢山展示されていてとても興味深い。特に昔の女性達が集った豪華な図書室の写真には目を奪われてしまう。

 ボン・マルシェは19世紀と同じ佇まい、今もセーブル・バビロンにあります。右岸にあるデパートに比べて、「7区のおハイソなマダム御用達」といったイメージがあります。


 「革新」のサブタイトルの付いた160周年のエクスポジシヨン。ボン・マルシェ本館の2階で10月27日まで開催です。


 アリステッド・ブシコーとマルグリット・ブシコー夫妻により百貨店として確立されていったボン・マルシェ。ボン・マルシェの特徴は、利益の追求だけではなく、社員のための年金を基金したり、病院を作ったり、利益の多くを社会に還元した点にあります。
 これはマルグリット・ブシコーの肖像画。肩掛けのレースはブリュッセルアプリカシオンでしょうか。


 パリのオペラ座をモデルに改装されたボン・マルシェにはこんな豪華な図書室が作られ、お買い物の合間に誰でも利用することが出来ました。こんな豪華な空間を私も味わってみたかったです。

 ボン・マルシェの館を出て、本来の目的、パリに点在する仕入れ先へ。バスを乗り継ぎ出掛けるのだが、皆まだバカンス中で、まだパリに戻ってきていない様子。何軒かフラれた後、最後に出掛けた古いコスチュームを扱う彼女だけが、いつものように穏やかな雰囲気で私の訪れを待っていてくれた。久し振りに会う私にもにっこり笑顔で「お元気?」とご挨拶。思えば、彼女との付き合いも、もう十数年になる。19世紀後半から20世紀初頭の白物のコスチュームを得意とする彼女のため、毎度毎度何か買付けられる訳ではないが、ひょっこり私の好みの物を持っていることもあり、侮れないのだ。
 今日も「無いよな〜。」とさほど期待せず、何の気無しにベビードレスのコーナーを見ていくと…一枚だけもの凄く可愛いチャイルドドレスを発見!「あら、あら、あら、もの凄く可愛い!!」と小さな声で呟く私。最近見なことのない、いちめんに手刺繍が施されたフランスらしいチャイルドドレスだ。身頃には複雑なピンタックが入れられている。散々フラれた後だけに余計に嬉しい。仕入れたのはたった一点だけだが、「また来るわね。」と彼女とお別れし、足取りも軽く帰宅した。時刻はすっかり夕刻に。明日はいよいよノルマンディー行きが待っている。

 ホテルに戻ってひと休みしていると、窓の外、向こうの方から何やら楽し気な音楽が近づいてくる。「何?何?何!?」と窓から下を見下ろすと、ストリートミュージシャンのムッシュウが二人。エディット・ピアフのシャンソンなど、フランスらしい誰でも知っている曲ばかり。楽しい気持ちになって、思わずムッシュウめがけて窓から投げ銭を。下のムッシュウはトランペットを吹きながら大げさなお辞儀をしてくれた。

 こちらがストリートミュージシャンのムッシュウの片割れ。小さな女の子が恥ずかしそうにお父さんの足にしがみついているのが可愛い。近所の住人もみんな窓から投げ銭!こんなこともパリの楽しみのひとつです。

■9月某日曇り
 明日のフェアに備えて今日から泊まりがけでノルマンディー入り。一旦ホテルをチェックアウトするため、買付けたすべての荷物をスーツケースに押し込み、入らない自分の荷物は巨大なナイロンバッグに詰め込む。ノルマンディー行きの列車は既に予約済み。ちょうど正午の列車のため、メトロではなくバスでのんびり駅まで向う予定。

 が、毎日iPhoneのfacetime(いわゆるテレビ電話ですね。お互いにwifi環境であれば海外であろうと無料でつながります。本当に世の中は便利になったものです。)で連絡を取りあっていた河村から、彼のお気に入りの近所のシャツ屋でシャツを買って来て欲しいとのこと。大急ぎで出発前に近所のシャツ屋へ向う私。彼は買付けの度、ここで二枚ずつシャツを買っているから、まだ自宅には新品のシャツがあったはず。にもかかわらず「欲しい。」という彼の言葉に、「何?シャツが欲しい!?」と眉を吊り上げながらもホテルから徒歩5分のシャツ屋へ。SOLDEの最終のこの時期、シャツはすべて半額。「しょうがないなぁ。」と言いながら河村のサイズ2枚のシャツを入手。再びホテルへ。

 ようやくノルマンディーに向けて、まずはバスで出掛けたのだが、午前中のパリの街は大渋滞。既にセーヌ川手前の左岸からノロノロ運転で、ジリジリしながら乗っているがなかなか進まない。やっとの思いで目的地サン・ラザール駅のバス停に着いたのが列車の出発5分前。「サン・ラザール」というバス停にもかかわらず、バス停から駅までは結構な距離。小さなスーツケースを片手でゴロゴロ引き摺りながら走って駅へと向う。
 サン・ラザールの駅は沢山の本数の引き込み線になっていて、パリ近郊へ向う列車“Il de France(イル・ド・フランス)”と、ノルマンディーなどの遠方へ行く特急電車“Grande Ligne(グラン・リーニュ)”が並んでいる。一応、改札の案内板で私の乗る電車と同じ時間に発車の列車をみつけ、他の人々と同じようにホームを走り、危機一髪なんとか電車に飛び乗った。

 が、なんだかいつもと様子が違う。ノルマンディー行きの列車には今まで何度も乗っているのだが、車両も乗っている人々もいかにも「在来線」という感じでなんだかヘンなのだ。そして、グラン・リーニュでは考えられないことに、列車はしょっちゅう駅で止まる…なんだかおかしい。
 3駅か4駅越えた辺りで、どうにも心配になって後ろの席にいたマドモアゼルに「この列車ノルマンディーへ行きます?」と尋ねると、「ええっ?これはイル・ド・フランスだからノルマンディーへは行かないわよ。次の駅で降りてサン・ラザールへ戻るしかないわね。」と苦笑しながら言われてしまった。

 仕方なく次の駅で降りて、再びサン・ラザールへ引き返すことに。結局サン・ラザールでも次のノルマンディー行きの列車を1時間近く待つハメになり、踏んだり蹴ったり。しかも、私の持っているチケットは、元々乗るはずだった正午発限定のもの。果たしてどうなってしまうのか?改札でチケットのチェックのないフランス国鉄では、一応、そのまま列車に乗ってしまうことは出来る。後は車内で検札の時にどうなるかが問題。

 私のシートまで検札のために車掌のマダムがやって来たのは、目的の駅に到着する2〜3分前だった。マダムは私のチケットを困った笑顔で眺め、「仕方ないわね。」というように“OK”と言って去って行った。マダムの「お目こぼし」のお陰で新たなチケットを買わずに済み、思わず“Merci”とつぶやいてしまった。それにしても、通常なら2時間弱で着いてしまうのに、今回かかった時間は3時間以上。フランスでもイギリスでも、今まで様々な場所へ列車で出掛けたが、こんな初歩的な間違いを犯したのは初めて。滑り出しからして気の重くなる今回のノルマンディー行きだった。

 駅で列車を降りると、勝手知った街をスーツケースをゴロゴロ言わせながらまずはホテルへ。大聖堂脇のホテルはいつも私達が常宿にしているところ。ホテルでゆっくりする間もなく、今日は以前も訪れたことのある街のアンティークショップを回ることになっている。
 以前、何度も訪れたことのあるアンティークショップなのに、なぜかなかなかたどり着くことが出来ない。「あれ?おかしい。確かこの辺りだったのに。」と思いつつ、歩くのだが堂々巡りでやっぱり見つからない。そんな時、捨てる神あれば拾う神あり?で、別なアンティークショップを発見。しかもお店の外からも中にレースのベビードレスやブラウス等が飾ってあるのが分かる。昨今はパリでもレースを扱う路面店は稀なため、「あら!?こんな所もあったの?」と思いながら店内に入ると、大柄で陽気なマダムがひとりで店番をしていた。

 早速掛けてあるレースを見せて貰うと、奥から「ほら、こちらにも。」と他のアイテムも持って来てくれた。こうした所からニードルポイントレースの繊細で高価なレースが出てくることはまず無いが、それでもクロシェ編みのボンボンがびっしり付いた可愛いベビージャケットと豪華な刺繍のビブを発見。ビブにいたってはノルマンディーのお金持ちのお嬢ちゃまがお坊ちゃまがしていたものかも。私が“C' est jolie!(可愛い!)”を連発するとマダムも満足そう。思いがけず可愛いアイテムが入り嬉しい。帰り道、本来行くはずだったアンティークショップが。そちらのマダムはいまだバカンス中。お店がクローズだったため分からなかったのだ。

 思いがけない出物に気分良く帰ってくると、今晩一緒に食事をすることになっていたクロテッドクリームのK嬢からメール。彼女も今日からノルマンディー入り。泊まるホテルは別々だが、一緒に行きつけのクレープリーに行くことになっていたのだ。なんでも彼女のメールによると、自分のスーツケースに足の小指をぶつけて腫れてしまい痛くてたまらないとのこと。そんな彼女には申し訳ないが、クレープリー近くまで来て貰い待ち合わせ。
 可哀想な彼女は、痛くて靴も履けず「ケロックス」を履いて登場。その後、クレープとノルマンディーの林檎のお酒シードルを飲みながら、延々今回の失敗談を。日本語を話す相手に飢えていた私達はしゃべりにしゃべり、気付くと午後10時。明日のフェアは早朝から。大急ぎでそれぞれのホテルに帰っていった。

 旧市街のランドマーク、時計台。なんと16世紀からここで時を刻んでいます。時間があったら散策するのになぁ。フランスは地方の街もそれぞれ特徴があって楽しいのです。


 こうした木組みの家はフランスの地方に行くとよく見られます。古いけれどすべて現役。そこだけ昔にタイムスリップしたような不思議な感覚を覚えます。


 こちらの木組みの家ももちろん現役。日本では考えられませんが、こんな何百年も前の建物でも、ごく普通にお店を営業しています。


 ハムなどのシャキュトリーを扱う昔ながらのお肉屋さん。赤く塗られたアイアンのフレームにグレイの大理石が良く映えます。金文字も素敵。こうした古い店構えも地方ならではの気がします。

***買付け日記は後編へと続きます。***