〜前 編〜

■9月某日 晴れ
 いよいよ買付け。私が成田空港から出立するのは、もう10年振りになるだろうか。10年前、確か年末のプランタン銀座のアンティークバザールに出店して、バザールが終わった翌朝に成田から出発、お正月をパリで過ごし、そして戻った翌日には、こちらも恒例の骨董ジャンボリーに出店するというなんとも強行なスケジュールだった。(ただし、当の本人はいたって平気だったのだが…。やはり若かったせいだろうか?)そんなこともあった成田空港からの出発だったのだが、記憶に残っているのは、成田エクスプレスが満席で「立ち席」という名のチケットでデッキで立ったまま揺られて行くハメになり、フラフラになったという思い出。それともうひとつ、田んぼや畑など、車窓の景色が東京を離れるに従ってどんどん変わっていくのに不安を覚えたこと。何しろ「成田って遠い。よく関東の人達は暴動(!)を起こさないものだ。」と思ったことをよく覚えている。今は中部国際空港になってしまったが、当時の名古屋空港は自宅からタクシーで30分程だったから余計遠く思ったのかもしれない。

 今回は成田エクスプレスではなく、自宅の人形町から歩いて10分の箱崎からリムジンバスで。大きなスーツケースをゴロゴロしていくのは大変といえば大変だが、いつもはもうひとつ持って行っている小さいスーツケースを折りたたみの出来るバッグに替え、今回はスーツケースひとつで。さっさと先を歩く河村の後を「ちょっと待ってよ〜。」と情けない気持ちで追いかけているうちに到着。リムジンバスに乗ってしまうと、あんなに遠いと思っていた成田まではあっという間だった。

 そして今回の初めてはもうひとつ。ロシアの航空会社アエロフロートに乗ること。毎年のことだが、9月の買付けは、旅行シーズンのためかマイレージを貯めている大韓航空が満席で、去年もフィンランドの航空会社フィンエアを使った。今年も一旦大韓航空でキャンセル待ちをかけたものの、チケットが取れてくる可能性が薄そうだったので、仕方なく同じスカイチームのアエロフロートに。これだったら大韓航空のマイルも貯まるので、苦肉の策という感じた。しかもまだオンシーズンのこの時期、航空券はとても高い。
 大韓航空が無理だと決まってから、ヨーロッパ系の飛行会社のあまりの料金の高さにたじろぐ私に、馴染みの旅行会社からは「中華系なら安いですよ。」とか「タイ航空で南回りは如何ですか?こちらも格安ですよ。」と薦められたものの、流石に中華系の飛行機に乗る勇気は無く(中国で高速鉄道の事故が起きたのはそのすぐ後のこと。)、タイ航空とはスケジュールが合わず、結局ロシア回りとなったのだった。

 さて、成田からモスクワまでは10時間程。そこからパリ便まで1時間半の待ち時間だったからすっかり安心していたのに…。モスクワまでの便を降りてトランジットの列に並ぶこと1時間。さらにトランジットの手続きの為にトランジットカウンターに。ここでは長蛇の列を尻目にたったひとりの男性が手作業で(!)手続きの最中。埒があかない。どんどん私達の搭乗の時間が迫ってきた。この便に乗れなければ、今晩パリに着くことが出来ず、明日のフェアにも行くことが出来ない。しかもここでの処世術なのか、「自分はビジネスシートだから。」とか「大人数だから。」とか、「もう時間が無いから。」とか言いながら横入りしてくる輩がいっぱい。やっとトランジットの手続きが済むと今度はセキュリティーチェックの長蛇の列。これをまともに並んでいたら絶対に間に合わない!河村に「仕方ない。行くよ!」と声を掛け、列の脇を駆け抜け、最前列に滑りこんだ。

 やっとの思いでゲートにたどり着き、なんとか搭乗に間に合った。飛行機に乗ることが出来、安心したせいかパリ便に乗ったとたん爆睡してしまった私。機内の“EXIT”を示すロシア語のキリル文字に、「まるで記号のようだ。」とおぼろげに思いながら、パリに着くまでほとんど記憶が無い。まあ無事パリに着いたから良しとしよう。

モスクワの空港のこのビールの広告。(たぶんビールの広告だと思うのですが。)このロシア語のさっぱり分からない感じが「外国だなぁ。」と面白かったりします。

■9月某日 曇り
 今日は日帰りでノルマンディーへ。朝一番の列車に乗るため、午前5時半にタクシーを予約してある。5時に起きて大急ぎ身支度を整える。ゆうべホテルに着いたのが夜の10時で、寝たのが12時過ぎだから、さっき寝たばっかりのような気もする。
 迎えのタクシーに乗りこんで、駅まで着いても、まだ表は真っ暗。朝というよりも、夜の続きのようだ。いつものように駅で朝ごはんにワッフルやコーヒーを調達し、列車に乗り込む。

 ノルマンディーまでは列車で2時間弱。思いの外近いので日帰りが可能なのだ。いつものように駅に着くとタクシーをゲットするための争奪戦に参加。田舎の駅なので、わずかな数しかタクシーがいないのだ。ここで争奪戦に負けるとタクシー乗り場で延々と待つハメになるので、ホームの階段を駆け上がり、駅の構内を突っ走り、ここは死に物狂いで走る。ゼイゼイ息を切らせてタクシー乗り場に着くと、今日は一番乗りだった。

 今日のタクシードライバーは、たぶん以前にも乗せて貰ったことのあるムッシュウ。「フランス語が話せる?」と聞かれて、「少しだけ。」と答えると、「何の用事で来たの?」とか「この街は初めて?」とかフレンドリー。パリだったら、お互い無言のままの事がほとんどだが、やはり同じフランスでもパリの人より田舎の方が断然人が良い気がする。

 勝手知ったフェア会場を縦横無尽に歩く。まず最初に訪れたのはレースを扱うマダム。以前にもここでハンカチを仕入れた事がある私達は、マダムにハンカチの入った箱を出して貰って物色。沢山のハンカチの中から一枚だけ王冠の付いた紋章入りを掘り当てた。まだマダムのところにたどり着いたのは私達だけ。誰かに手に入れられる前に、「ロココはない?」「シルクのリボンは?」と矢継ぎ早に質問。「ロココ」と言っても分からないマダムのために「シルクで、お花が付いてて、え〜とブレードで。」と一生懸命説明。すると、どこからともなくピンクのお花が可愛いロココが出てきた。「あるじゃないの、あるじゃないの。」と心の中でつぶやく。そしてサクランボ好きなお客様のためにサクランボ模様のシルクリボンを。

 ここは何度も来ているフェアゆえ、どんなアンティークディーラーが出ていて、どんな物を扱っているかはだいたい把握している。だが、年々出店数が減って寂しくなってきているのはここも同じだ。最近、とみにカードを扱うディーラーが減ったが、ここに来ると他の物もだんだん減ってきていることが感じられて寂しい。物が無いのはパリだけではなく、地方も同じなのだ。

 それでも河村はどこからか薔薇柄のソーイングセットを見つけ出したし、セルロイド製の美しい聖書が出てきた。そして何よりの出物は、ブロンズの飾りの付いた大きめのクリスタルのポット。本当は食器のひとつだが、お花を飾ってもきっと素敵だ。デリケートな素材に、河村は「これは手持ちで帰る!」と宣言。エアキャップは沢山持ってきているので、グルグル巻きで持って帰る事になりそうだ。
 もうひとつ、クリスタルのボックスは小さなエンジェルのブロンズの飾り付き。小さなサイズとエンジェルの飾りが可愛い。お人形に使えそうなシルクも。お人形の衣装向きの小さな柄のシルクは、最近とみに少ないもののひとつ。早速見つかって嬉しい。

 今日も会場を歩くこと何時間か。その間、ひとりのフランス人のマダムが私ににっこり笑顔で近寄ってきた。どこかで会った事があるような気がするが思い出せない。「いつもパリであなたに買って貰っているわよ。」と苦笑するマダム。まだ誰だか思い出せないまま「また今度ね。」と適当な事を言って別れてしばらくしてから彼女が誰かを思い出した。慌てて追い掛けて「ごめんなさいね!」と平謝り。そうそう、パリでは彼女から毎回のように物を譲って貰っていたのに。あぁ、本当に西洋人の顔って覚えにくい!顔の作りも髪や眼の色も違うから、きっと何か識別の手法が違うのだと思う。

 仕事を終えた帰りはタクシーではなくのんびりバスに乗って帰る。会場からバス停までの間に、クロテッドクリームの片山嬢とブロカントAの塩見夫人と遭遇。何の事はない、二人とは同世代ということもあって、「なほちゃん」とか「あっちゃん」とか呼び合う仲なのだ。仕事を終えた開放感からみんなで街の美味しいクレープリーで、ノルマンディー名物ガレットとシードルでお昼を食べる事に。先輩ディーラーから教えて貰ったそこは、ノルマンディーのお約束。実はみんなの行きつけのお店なのだ。

 みんなでガレットとシードルで賑やかにランチ。河村とふたりも悪くはないけれど、みんなと一緒だともっと楽しい。こんな気心の知れたメンバーでのひとときは、慌ただしい買付けの楽しみのひとつだ。

ノルマンディーのフェアへ行くと、帰りにこのクレープリーへ寄るのがお約束。今日もお仕事帰りはみんなでガレットとドライのシードルで。私はここのホワイトアスパラのガレットがお気に入りです。


この街はジャンヌ・ダルクが幽閉されていたことでも有名。この塔の中にジャンヌ・ダルクが捕らえられていたかと思うと、彼女が生きた中世はつい最近のことだったのかと思ってしまいます。

■9月某日 晴れ
 今日はアポイントを取ってあるディーラーを訪ねる日。今日の予定はそれだけ。昨日とは違って遠くへ行くこともなく、それのみに集中すれば良いので気持ちも楽。朝からのんびりいつものキャフェでコーヒーを飲んでから出掛ける。

 今日ここで見るのは膨大な量のレースや布、それとリボンなどの素材の数々。ディーラーのマダムとは久し振りの再会に、挨拶や世間話が尽きない。彼女には事前に欲しい物は伝えてあるし、長年の付き合いだけあって、私の好みを知り尽くしてくれている彼女、今日も私用に集めておいてくれた箱の中には、レースや素材がぎっしり詰まっている。
 そんな箱の中からひとつひとつ取り出して、広げて…。楽しい反面、集中力のいる果てしない作業だ。ただ、何度買付けに来ていても、「こんな物あったんだ!」とか、「こんな物初めて見た!」という発見があることが、この仕事がやめられない理由かもしれない。ディーラーと一緒に「これってだいたいいつ頃の物だろうね。」と考えたり、「この時代に見に行けたらいいのにね。」とため息をつきあったりするのも楽しい。

 今日、彼女が私のために用意しておいてくれたのは、広幅の美しいシルクリボン、繊細な織り柄のそれは、ずっとずっと昔に同じ柄のごく細幅の物を扱った事がある。たぶんもうこんなリボンが出てくる事はそう無いだろう。大事に紙に包んで持って帰ろうとしているところをみると、どうやら彼女は自分のプライベートコレクションの中から持って来てくれたらしい。他にもたいそう豪華なレースのファン。ファンも「まだフランの時代に手に入れたのよ。」と笑っていたところをみると、こちらも彼女がずっと大切に持っていた物のようだ。いずれにしても、こういった物には今後もそうそう出会うことがないだろう。
 ランチを挟んで沢山のアイテムをチェックし終わったのは夕方。アンティークの山に囲まれて、あっという間に一日が終ってしまった。集中力を使い果たし「フヌケ」状態だったが、疲れとともに満ち足りた気持ちで彼女のところを後にした。

ホテルのお向かいのレストランにはスリスリと人懐こいネコちゃんが、窓辺で通りがかりのお客さんを手招き?


サン・シェルピス教会の裏手にはこんな石畳の細い路地が。パリでも石畳の街並みはすっかり見なくなりました。


サン・シェルピス教会に面したアニック・グタールで最近愛用している香水をお買い物。若い頃から憧れだったアニック・グダールのウィンドウディスプレイ。なのに、最近は日本でも売っていてちょっぴり面白くありません。

■9月某日 晴れ
 今日は訪れるところがいっぱいの忙しい日。にもかかわらず、目が覚めたのはなんと午前3時半!というのも、ホテルの隣とその向かい側にはパブがあって、ラグビーのワールドカップ前夜の昨晩は、エンドレスで営業していたようなのだ。メトロも終わって帰る術の無くなった酔っぱらい客が歌う大声で目が覚めた私は「超」不機嫌。ホテルの部屋は二重窓になっているので、通常はさほど表の喧騒は聞こえないのだが、この時刻に関しては別。細い路地に面していることもあり、夜中で静かなためか余計に響く。道に面した地階はそれぞれ店舗になっているものの、上の階はアパルトマンの普通の住宅。迷惑この上ないのだ。これもみな、いつものホテルがオンシーズンで混みあっていて泊まれなかったから。どうもフランスではまだバカンスシーズンらしい。
 パブで酔っぱらって騒ぐのはアングロサクソンと相場が決まっている。まだ真っ暗な中起こされた私は、バカンスとラグビーとアングロサクソンを呪ったのだった。

 不機嫌な気分の消えぬまま支度をして買付けへ。今回、パリでこのホテルに泊まるのは今晩まで。やはり混みあっていて、通しで予約が取れなかったので、明日からはちょっぴりグレードアップし、別なホテルに引越すことになっている。「今日までの我慢、我慢。」と自らに言い聞かせて仕事に出掛ける。

 今日は幾人かにアポイントを入れてあり、そこを順番に回りつつ他もチェックする。まず約束していたマダムはとても働き者。フランス人には珍しく、バカンスに行く習慣が無いらしい。毎年、「バカンスはどうだった?」と聞いても、「特に行ってないの。」と夏中一生懸命仕事をしていた様子。いつも商品を綺麗に整えるのに余念がなく、空いた時間には盛んに仕入れに回っているようだ。そのお仕事フリーク振りにどこか自分と似たものを感じて、彼女の商品は安心して選ぶ事が出来る。
 今日も私の顔を見るとギュッと抱きしめて両頬にビズー。「待ってたわ。」と私用の箱を用意してくれた。宝箱を開けるように箱の中身をチェックすると、普段はなかなか見つけられない物が詰まっている。ついつい「あれも。」「これも。」とみんな欲しくなってしまう。ロココが付いたガラスのボックスは高価だが見た事のない物。早速私が手にすると、「これを見つけた時には、マサコが喜ぶと思って。」と彼女。ちゃんとツボを心得ているのだ。今回はお人形用の生地も色々。そして、なんと言っても私を狂喜させたのは、小さなボックスにぎっしり入ったお花のモチーフ!以前、私用の箱に入っていた小さなボックスに、「これは私の好みじゃないから。」と手を触れなかったところ、彼女から「中は見た?」と念を押されて開けてみると…ロココや可愛いモチーフが出てきて、焦ったり喜んだりした事があったのだ。それを思い出して開けてみると今回もお宝の数々が!いつも探しているこうしたモチーフだが、一度に沢山出てきたのはもう何年も前の事。興奮状態でコンディションをチェックする。
 たっぷり可愛い物を入手し、次の場所へ。

 先日、ノルマンディーのフェアで出会ったマダムが、「ノルマンディーのフェアはどうだった?」ニコニコして私を待っていてくれた。
 フランスのディーラーにはよくその傾向があるのだが、初めて接する時は無愛想(というか、「客を客と思わない態度」とでも言うのが正確かも。)、二度三度と会っているうちに「身内」として厚遇してくれることが多い。フラッと来たいわゆるフリーのお客さんが挨拶なしに商品を何気なく触ろうとすると、「触らないで!」と怖い剣幕で言われてしまうのだが、私達が「これ見せて。」とか「触っていい?」と聞くと、「見て!見て!」とか「どうぞ、どうぞ。」、もしくはこちらの好みの物をどこからともなく掘り出して(笑)きてくれたりと、まるで別人格のようににこやかで親切に接してくれて、おかしくなってしまうことがよくある。これも愛すべきフランス人らしさのひとつかも。(その反面、ちょっとお高いレストランで、他のテーブルが空いているにもかかわらず末席のテーブルに案内されて、ムッとする自分がいる訳だが。)
 今日はそんなマダムのところでお花やシルク生地などの素材を。彼女のところでは、大量にある在庫の中から自分の好みにあった物を探し出す楽しみがある。

 仕入れた大量の荷物を持って、一度ホテルへ戻る。身軽になってもまた午後の部が待っている。今日は午後も沢山回るところのあるフランスでは一番忙しい日なのだ。

 いつものレースのマダムは今日もご機嫌で私達を出迎えてくれる。私も河村も大袈裟に激しくマダムからビズーをされた後、まるで私達がやって来るのを手ぐすね引いていたように、次から次へと薄紙に包まれたレースが出てきた。
 前回の買付けからしばらく、初めて目にする物も多い。その大半は、自分達が既に持っている物だったり、あまり興味が無いレースだったりするのだが、今回もそんな中に珠玉のレースも。ごくごく繊細な柄、状態も良い18世紀のレースが出てきた。今までにこうしたレースを扱ったのは記憶が無い。買付けの度に探していた物のひとつだったが、こちらのディーラー達には「そんなレースもう無いわね。」などと言われ、なかなか巡り会えないでいたので嬉しい出物だ。
 他に、前回の買付けで私達が選んでいたにもかかわらず、マダムが他のレースとどこかへしまいこんでしまい、どこへ行ったか分からなくなっていたレースも、マダムが発見して取り置いてくれた。(こちらが「買いたい!」と言っているのに、「どこに行ったか分からなくなっちゃったからまた今度ね。」というのも、相当フランス人っぽいと思うのだが。)
 そんなマダムのところで、いくつかレースを選び、いつものように「本当に良いレースを仕入れるのは難しくなった。」とマダムのグチを聞き、またまた抱きあってお別れ。

 今日は他にも何軒かアポイントを入れていた所へ。途中、書籍を専門に扱うディーラーに立ち寄って、私達がコレクションしているマルティの挿絵本を受け取る。本の世界はアンティークの世界とはまた違い、その中は非常に細分化されている。たまたま私達が仲良くなった本屋さんはとても親切で良心的。いつも私達が好みそうな一冊を取って置いてくれる。今日受け取ったのは「トワ・エ・モワ」。こちらは商品ではないけれど、現代にはない印刷も手彩色の色合いもとても綺麗。アンティークでは、自分の目で見ないと、なかなか「買います!」とは言えないものだが、彼らがすすめてくれる本に限っては別。こうして私達のコレクションも着々と増えているのだ。

 時間ばかりかかってなかなか進まない。最後に、今日の最終目的地、コスチュームから素材まで手広く扱うマダム親子の所へたどり着いた時には、もう夕方近くになっていた。
 親子もこの世界では恐ろしく働き者で、バカンスへ行ってもバカンス先でせっせと仕入れをするため、結局「バカンスはいつもより余計に疲れる。」というファミリーなのだ。でも今日はマダム達がバカンス先で仕入れてきてくれた成果か、初めて見る物が沢山ある。河村と手分けして膨大な在庫をひとつひとつチェックすると、可愛い物が出てくる、出てくる。今日の出物はビーズ刺繍とボーべ刺繍のパーツのサンプル。日本ではあまり名前を知られていないボーべ刺繍だが、フランスらしい手芸のひとつで華やかな雰囲気だ。沢山選り分けた中から更に良い物だけをセレクト。私達が選び終わった頃にはマダム達も店仕舞いを始めていた。

 これで今日の仕事はおしまい。ハードな一日だったが、今日沢山回っておけば明日は少し楽が出来る。まだバカンス気分の抜け切らない、真っ黒に日焼けしたディーラー達を羨望の眼差しで眺めながら、長い一日が終わった。まったく私達日本人からすると、働かずに何週間も海辺のリゾート地で肌を焼いて過ごすなんて、「気違い沙汰だ!」と思う反面、「そんなのって天国でしかあり得ない。」と心から羨ましく思うのだ。

昨日までは23度程度だったのに、この日は30度を超える炎天下。冷房設備の整っていないフランスの30度は、もう耐えられません!(汗)こんな日は迷わずビールを飲むしかありません。下戸の河村はペリエを愛飲。


ホテルへの帰り道、最近出来たお菓子屋さんでおやつを調達。私はここのノア・ド・ココ(ココナツ)のマカロンが大好物!こうして見るとまるでお饅頭が並んでいるようですね。

■9月某日 曇り
 昨日じっくり働いたので、今日はその分ゆったり余裕で。今日はホテルを宿替えしなければならないので、まず朝から荷物をまとめ、「夕方には戻ってくるから、キープしておいてね。」とホテルのレセプションに預けて出掛ける。ゆうべは下のパブのどんちゃん騒ぎもなく静かだったけれど、この殺風景なホテルとお別れなのは嬉しい。今日からもうひとランクうえのホテルへ。でも本当はいつも泊まり慣れているホテルが一番。(今回はオンシーズンのため満室で泊まることが出来なかった。)

 ここにも顔馴染みのディーラー皆が。でも今回は皆揃って日に焼けていて真っ黒、ここもどうやらみんなバカンス気分のままのようだ。でもまだパリにいるだけ良い方で、顔馴染みのディーラーに「ミシェルは9月もまだバカンスだよ。」と他のディーラーの動向を聞かされ、羨ましいような、呆れるような。そのせいか気に入った物にはなかなか巡り会えない。

 そんな中、お馴染みのレースや生地を扱うマダムの所から繊細な糸のタティングの襟が出てきた。このマダム、河村は「怖いマダム」と呼んでいて、なかなかの美人さんなのだが、その実一皮剥ぐとパリジェンヌにありがちな、あからさまな不機嫌な態度がなかなか怖い。興味のある物を見せて貰うまではその怖さをにこやかな顔の下に隠しているのだが、ひとたび「やっぱり止めます。」と言うとにこやかさはどこへやら、一転「怖いマダム」と化するのだ。だが、今回見つけたタティングの襟は細い糸で結び目のある作りがとっても繊細、彼女が「怖いマダム」に化すことなく襟を手に入れて退散。

 いつも立ち寄るジュエラーでは可愛い忘れな草アイテムを発見。フランスのジュエラーの所で目にするジュエリーは、その大半が大振りで石が「どっか〜ん」と付いた物が多いのだが、私のお気に入りはアンティークらしい繊細なジュエリー。「何かないか?」とケースの中をじっくり覗いていると、そのブローチが目に入ってきた。それは小さな忘れな草のブルーのお花の中央に小さなローズカットダイヤがセットされた忘れな草のブーケ。ゴールドで作った忘れな草を結わえるリボンの部分にはフランスの地名“Toulon”の文字ともうひとつ“Cronstadt”の文字が。「これは何?」とマダムに聞くと、「これはたぶんロシアの地名だと思うわ。」というお返事。「たぶんだけど…トゥーロンの人とロシア人が結婚した記念に送られた物じゃないかしら。」「ふ〜ん。」確かに小さな刻印はフランスの物ではない見慣れない物。マダムとルーペで刻印を見ながらあれこれ話すのも楽しい。今日は忘れな草をお持ち帰り!そういう「いわれ」があるのも興味深いし、ブルーの小さなお花がとても可愛い。また帰国した後で調べてみるのも楽しみだ。
 後で調べてみたら、クロンシュタットはバルト海にあるロシアの軍港、トゥーロンもフランスの軍港。冬場の凍結を逃れてトゥーロンの港へ避寒してきたロシア海軍の軍艦、それに乗ってやって来た一人のロシアの将校がトゥーロンのフランス女性と結ばれて…。それってただの私の想像(妄想?)だろうか。

 布地を専門で扱うマダムは、とびきり高価な生地ばかりを扱っていて、いつも指をくわえて見ているだけだった。「うぁ〜、素敵〜!!」と思って広げて貰うのだが、あまりのお値段の高さに一気に現実に引き戻され、「あぁ、そうですか…。」とそそくさと退散していたのだ。でも、円高の昨今はちょっと違う。お値段を聞いて、普段は使わない電卓を取り出し、チャカチャカと弾き、「何とかなるかも!」と思うのだ。今日広げて貰ったのは、ドレスに使うデッドストックのシルク生地。しかも織り生地ではない。「織ってあるの?」と一瞬思ったお花のブーケ模様は、実は手刺繍によるもの。「こんな生地あるんだね〜。やっぱりこれもリヨンかね〜。」心はこんな生地のドレスを着た貴婦人のいた時代へと飛んでいった。この生地、畳まず、大切にクルクル筒状に丸めて持って帰ってきた

 お人形とその周辺のアイテムを扱うマダムは、お人形のディーラーにもかかわらず、偉ぶることなくさっぱりした性分のフレンドリーな人柄。(お人形のディーラーは高価なお人形を扱うせいか、上から目線の、ちょっぴり変わった人が多いような気がする。なので、彼女のようなタイプは珍しい。)お人形は扱っていない私達だが、彼女の所からは可愛いお花が出てきたり、リボンが出てきたり、見逃せないディーラーなのだ。今日もお店の前で日光浴(?)するディーラーに断って中を物色させて貰うが、残念ながら何も出てこない。「今日はダメみたい。」と気落ちして出てくると、入口脇に小さな引き出し。「ん?」と何気なくそれを開けると…何と小さなお花のパーツではないか!他人にとっては何気ない物かもしれないけれど、私にとっては宝物。思わず「誰にも渡すものか!」と引き出しの中に入っていたすべてのパーツをかき集めてしまった。

 夕方になって朝出たホテルに戻ってきた。さぁ、今日は宿替え。それまで泊まっていたホテルから、次のホテルまでは、荷物がなければ十分歩いていける距離なのだが、大きなスーツケースとそれまで買付けた荷物を持ってオデオンの丘を越えていくのはちょっと無理。ホテルのレセプションでタクシーを呼んで貰い、荷物を積み込む。日本だったら、こんな近い距離、怖くてタクシーなんて乗ることが出来ないが、こちらはその分チップを払えば良いからそれはそれで気が楽だ。沢山の荷物を載せて貰うとき、近い距離へ行って貰うとき、「ゴメンね。ありがと。」とちょっと多めにチップを払う。

 前にも泊まったことのあるそのホテルは、パリで一番長いヴォージラール通りの一番地。(ヴォージラール通りは全長4360m、番地数386もある。)パリのホテルにしては大きめなホテルで、それまで泊まっていたホテルよりもちょっぴり料金が高い分、繁華街に面したホテルとは違ってほっと出来る雰囲気だ。「やっと落ち着けるね〜。」と河村と言い合う。

 この日はあの9.11のニューヨークのテロから十周年。テレビのニュース番組なそのニュース一色だが、僅かに「日本の地震からもようやく半年」というニュースが流れていた。まるで精霊流しのようにそれぞれの思いを書いた紙風船が福島の夜空に飛んでいく幻想的な映像に思わず涙。きっとフランスの人達も感銘を受けたと思う。

新たなホテルの窓から見るパリの空。6区のホテルなのに、首をよ〜く伸ばして見れば、なんとパリの北サクレクールまで見渡せました。もう夕刻7時を過ぎているというのに、この時期のパリはまだまだお昼間のようです。

■9月某日 曇り時々雨
 今日、明日は嬉しいオフの日。二日間もオフがあるなんて久し振り。今回の買付けは12日間、しばらく振りに少し長めの日程なのだ。今日はまずクロネコに荷物を出しに行き、その後は自由時間。本当は、このオフを利用してどこか地方へ泊りがけで行こうかという話もあったのだが、久し振りにパリでゆっくりしたいという河村の意向で、そのままパリで過すことになったのだ。

 バスに乗っていつも荷物を発送しているクロネコへ。クロネコさんで働いているのは、こちらで結婚したと思われる日本女性ばかり、何カ月かおきに必ず会っているので、ここでもみんな顔馴染みだ。「こんにちわ〜。」と入って行き、お互いに「お元気でしたか〜?」と挨拶。皆故国のことが気になるのは自然なこと。「その後、日本は如何ですか?」と尋ねられ、思わず世間話。何でも、原発事故が起こって以来、フランスには日本からの食材が輸入禁止になっていて入って来ないとのこと。故国を離れているからこそ、余計に心を痛めているのがよく分かる。
 荷物を日本に送ってしまうと後は自由の身、午後は河村たっての希望でモンマルトル博物館へ。このモンマルトル博物館、私は20年も前の昔に一度行った事があるので「ふ〜ん、あんな所に行きたいの?」とちょぴりクール。でも彼はパリに唯一あるという葡萄畑が見たいらしい。モンマルトルの丘の下までメトロへ行って、メトロやバスと同じくナヴィゴ(定期券)の使えるフニクレール(ケーブルカー)で丘の上へ。

 すっかり忘れかけていたモンマルトルの裏手の昔ながらの風景は、まるで19世紀の頃のようにのんびりしていて、パリの中とは思えないほど。ついでに、ユトリロの絵の中の風景を求めてここをさまよった若い頃の自分を思い出した。

モンマルトルの丘の下、リセの玄関で飼い主をじっと待つこのヒト。たぶん一緒に登校してきたのでしょうね。近寄って写真を撮る私達に「ちょっと困ったなぁ。」と困惑気味。


おじさんはみんなクラシックカーが好き!道端に留められていた赤いスポーツカーに皆興味津々です。


薔薇色に塗られた可愛い建物。モンマルトルの坂道にあるその名も“La Maison Rose”はお食事も出来るキャフェ。テラス席のピンクのテーブルもいいなぁ。


今年の葡萄の出来は如何に?パリで唯一残ったモンマルトルの葡萄畑。ちゃんとワインの醸造もされていますよ。10月に開催される収穫祭も有名です。


有名なシャンソニエ、ラパンアジルは「跳ねウサギ」の意味。錆びた看板もなんだか情緒があります。


モンマルトル界隈は、パリでも珍しい一軒家が連なる街並み。この辺りが開発された19世紀半ばは本当にのんびりした郊外だったのでしょう。この日はすぐ側で映画の撮影も行われていました。


ユトリロのアトリエがあったといわれるモンマントル博物館も、当時の姿そのままに窓からは一面葡萄畑が見渡せます。ここではシャ・ノワールがご案内です。


モンマルトルの細い路地、向こうにはサクレ・クール寺院の丸いドームが見えます。この真ん中に排水溝のある石畳の路地も19世紀そのままですね。


今回は乗りませんでしたが、モンマルトルの丘はこのプティ・トランでも一周できますよ。これも観光地のようでちょっぴり楽しい。ただしこの辺り、治安には十分にご注意を!

 ***「買付け日記」は後編へと続きます。***