〜後 編〜

■9月某日 晴れ
 オフの二日目は前々から興味のあったパリ郊外のトワル・ド・ジュイ美術館へ行くことに。フランスらしい生地のひとつトワル・ド・ジュイは、生成のコットン地に田園風景や貴族などの人物、神話などのモチーフを単色でプリント、私自身、今まで何度も扱ったことがある。そのルーツともいえるジュイの地へ行くのは、なんだか必然的な気もする。よくよく調べてみると、ジュイはヴェルサイユからも程近く、フランス国鉄ではなくRER(郊外高速鉄道)で気軽に行くことの出来る距離。モンパルナスからも行くことが出来るのだが、今日はホテルからも歩いていけるサン・ミッシェルからRERのC線に乗って。ヴェルサイユ シャンティエで乗り換えればジュイの駅Jouy en Josas(ジュイ・アン・ジョザス )まではすぐ。

 18世紀、インド更紗に影響され、フランスのベルサイユ近郊「ジュイ・アン・ジョザス村」でドイツ人オベルカンフが工場を開いたのが発祥とされるトワル・ド・ジュイ。オベルカンフの名前は、パリの地名として残っていて、今もメトロの駅名に使われているというのに、それまでまったく知らなかったのだ。残念ながら現在ではジュイの村では一切の生地も作られていないのだそう。それだけ長い年月が経ったということか。

 ジュイの駅からトコトコ歩くこと15分ばかり。小さな何もない駅舎から出るとトワル・ド・ジュイ美術館の案内板が。それに沿って歩いていけばたどり着くので何も難しいことはない。何よりも、RERに乗っているときから、どんどん緑の濃い郊外に向い、空気の良いジュイの街に「やっぱり田舎って良いねぇ。」と私達。パリからほんの1時間も離れていないのに、どこか田舎へ来たようなのだ。

駅の向こうは森、パリから僅かしか離れていないのに、パリの喧噪などすっかり忘れてしまうような美味しい空気が印象的でした。


ジュイに一軒だけ残る生地屋さん。残念ながら私達が前を通ったときにはお昼休みでした。ウィンドウから覗くと何やら素敵な生地が。

 「まだかね〜。」と呟きながら歩いているうちに、シャトーのような立派な建物が見えてきた。「あ、あれに違いない!」トワル・ド・ジュイ美術館はレグランティーヌ城というシャトーが美術館になっているのだ。小さなシャトーの前には可愛いお庭になっていて、おかしなことにトワル・ド・ジュイ柄の温室も置かれている。静かな美術館で、私達が入館したときには入館者は私達ふたりだけ。お陰で思う存分眺めることが出来た。

こちらがトワル・ド・ジュイ美術館。手前の赤い模様の小さな温室はなんとトワル・ド・ジュイ柄でラヴリー!この季節はお庭にお花も咲いていて素敵でしたよ。


館内の生地コレクションは18世紀からたどれるようになっています。古い生地はまるでエッチングの銅版画の作品を見ているようです。


こちらは19世紀の生地。文学、音楽、神話、建築、シノワズリー、トワル・ド・ジュイの生地はその時代の風俗を映してきました。


こちらはトワル・ド・ジュイの天蓋付きベッド。こうしたベッドは人々の憧れだったらしく、時代ごとに様々なトワル・ド・ジュイ生地を使ったベッドがありました。素敵な夢が見られそうですね。


こちらはトワル・ド・ジュイのドレス。昔のドレスは小さいですね〜。コルセットのせいで今とは体型も全然違います。

 生地も衣装も堪能した後はミュージアムショップへ。当然トワル・ド・ジュイの布小物ばかりでちょっぴり何か買いたくなる。(が、どれもあまり安くない。)ショップの中をウロウロした結果、結局カタログだけ手に入れて帰ってきた。私はそれで良いかな。
 また駅までトコトコ歩いて。観光客でごった返した9月のパリを離れ、すっかりリフレッシュした一日だった。

 パリで過ごすのも今日でおしまい。パリに戻ってすべての用事を済ませた後は近所をお散歩。パリは夜になっても歩きたくなる街だ。ホテルからノートル・ダム寺院まで歩いた。

ノートル・ダム寺院のずっと続いていた修復工事の足場も取り外されて、すっかり綺麗になりました。この通り夜のノートル・ダムも綺麗ですよ。


ゴシックの大聖堂は今まで沢山見てきましたが、このノートル・ダム大聖堂のバランスの取れたふたつの鐘楼の美しさは格別ですね。


■9月某日 晴れ
 今日はパリで過ごす最終日。ユーロスターの午後の便でロンドンに向かうため、正午まで街を歩く事に。いざ「自由時間」と言っても、結局お仕事の続きをしてしまうところがアンティーク屋の悲しいサガ。「せっかくだから良い物を見に行こう!」と、ルーブル美術館の向かいにある大きなアンティークセンターへ。

 アンティークディーラーが「ルーブル」と呼ぶここは(アンティークディーラーにとって「ルーブル」とは美術館ではなくここのこと。)、実際に、その辺の美術館よりよっぽどいい物、高級品が揃っている。(以前青山にあったアンティークモールはここをお手本に作られたと聞いた。)元々は地上2階、地下1階の大規模なアンティークセンターだったのだが、建物のオーナーの意向でファッションのモールに変えるとやらで、何年か前から縮小が進み、昔に比べるとかなりのテナントが抜けている。ここにあるのはガレやドームなどのアール・ヌーボーのガラスやハイジュエリー、銀器、マントルピースなどの高級室内装飾、いずれも私達に直接関係のあるアイテムは無いのだが、見るだけで勉強になるだけでなく、美術館では見るだけしか出来ない物がここでは買う事が出来るかと思うと、ちょっぴりワクワクしてしまうのだ。もっとも実際に買う事は皆無なのだが。

 果たしてアンティークセンターに足を踏み入れると、とりあえず地階には見覚えのあるショップが連なっていて、少し安心。以前に比べ規模は小さくなったものの、やはり私達にとってはワンダーランドだ。入っているテナントのウィンドウには、以前と同じく美しい物が(しかも高価な物が)沢山並んでいる様に、「あぁ良かった。ここはまだ存在していたのね。」安堵。美しい物、高級な物が見たい方にはおすすめ。でも、レースや私が扱っているような小物、雑貨類は一切無いのでご注意を。

微妙でデリケートな色合い、深く芳醇な色合い、こういうお花屋さんはパリならでは。買付けの折、いつもお店の前を通る度、心躍ります。

 ユーロスターの発着駅、パリ北駅へはタクシーで。あらかじめ今朝チェックアウトする時にレセプションに言って予約をしてある。しばらく過ごしたパリの街を名残り惜しい気持ちでホテルへ戻る。
 北駅へは余裕を持って。タクシーが遅れて何度も焦った覚えのある私達は、今回もユーロスターの発車1時間前に駅に着くようにタクシーを予約。ユーロスターは国際列車のため、発車20分前までにチェックインを済まさなければならない。でも、改札の機械を通り抜けるチェックインよりも、フランス、イギリスそれぞれのイミグレーションを通り抜け、すべての荷物をセキュリティチェックのレントゲンの機械に通すという一連の作業がタイヘン!タクシーの手違いで駅の到着が遅れた時など、「そりゃもう大変!!」ということになるのだ。

 それでも今日は悪名高いイギリスのイミグレーションで河村が足止め。イギリスのイミグレーションが厳しいのは、イギリスにやって来て闇で不法労働して貰っては困るから。イギリス国内でお金を使い、さっさと自国へ帰っていく私達は、イギリスにとって歓迎する存在。いつもは「私はアンティークディーラーで、買付けです。」と言えば、ポンッとスタンプを押して通してくれるのに、今日はパスポートをペラペラめくられてなかなか通して貰えない。(確かに私達のパスポートには何十個というイギリスのスタンプが押してあるので、事情を知らない係官にとってはさぞ不審なのだろう。)後ろの列から見ている私がだんだん不安になってきた頃、ようやくスタンプを押して貰えた河村はイミグレーションの向こうへ。そして私の番になった。いつも通り、でも少し緊張気味に「アンティークディーラーで…」と言い終わるのも待たず、「シノブと一緒か?」と係官。今度は一言「イエス!」と同時にスタンプが押された。(その後の河村の話では、帰りの航空券までチェックされたのだそう。)
 私自身は体験したことがないが、留学のために入国しようとしたにもかかわらず、イミグレーションで書類の不備が見つかり、そのまま日本に帰国させられた知人を知っている。もしくは「観光です。」と言って入国しようとしたアンティークディーラーが、スタンプの沢山押されたパスポートを不審がられた挙げ句、別室へ連れて行かれた話も実際に本人から聞いたことがある。これだけ何度も通っている私達でも、毎度あまり良い気分がしないのがイギリスのイミグレーションだ。
 晴れて車窓の人となった私達。列車にさえ乗ってしまえばロンドンまではもうすぐだ。

  ロンドンではいつものようにチェルシーのフラットに落ち着いた。前回5月の買付けではロイヤルウエディングの影響で珍しく満室だったのだが(満室で泊まれなかったのは十何年か個々に泊まっていて初めての出来事。)、長年泊まっているこちらも、勝手知った場所でほっとする場所だ。いつものようにレセプションでチェックインをしていると、しばらく会わなかったマネージャーのロンが登場。イギリス人らしくいつも慇懃な彼だが、私達のことはちゃんと覚えていてくれて、“How are you, madam Sakazaki ?”と発音しにくいだろうにしっかり名前で呼んでくれる。「日本はその後どう?」と言われて、彼が震災直後わざわざメールを送ってくれたことを思い出した。「あの時はメールありがとう。私達は大丈夫。本当に不幸なことだったわ。」と慌ててお礼を言う。ここイギリスでもフランスでも、みんなが日本のことを心配してくれるのはとてもありがたい。それだけ今回の震災は世界的に見ても未曾有の出来事だったのだと思う。

■9月某日 晴れ
 今日は終日ロンドンで過ごす一日。今日の予定は、まず朝からお客様お薦めのロンドンの東側にあるジェフリーミュージアムへ行き、そこから宝石問屋の連なる街に赴いて備品の調達、最後にロンドンのセントラルにあるアンティークモールへと繰り出す予定。

 ジェフリーミュージアムはアンダーグラウンド(地下鉄)の駅からバスで行くと聞いていたのだが、今はアンダーグラウンドならぬ地上を走るオーバーグラウンドの駅がすぐ側に出来ていて、そこからはすぐそこ。本来ならあまり治安の良い場所とはいえないのだが、オーバーグラウンドで行けばそういった場所を通らずに行けるので一石二鳥だ。

 オーバーグラウンドで着いたそこは、ジェフリーミュージアムの裏手のガーデンに面したところ。居心地の良さそうなベンチの置かれているガーデンを眺めながら垣根沿いに歩くとすぐに着いた。元々ジョージアンの建築だったというここは、建物前に広いグリーンが広がり、木々の生い茂った気持ちの良い場所。ここは1600年代から年代別にイギリスのミドルクラスの住宅のインテリアが展示されている、「ここ400年のイギリス人の暮らしが分かる」という室内装飾のミュージアム。展示品は当時のアンティークであるばかりでなく、その時代にアンティークが如何に使われていたのかが分る、今となっては貴重な場所だ。
 ひとつひとつ年代別に区切られている部屋を見て回る。時代がヴィクトリアンになるに従い、「あ、これ知ってる。」とか「見たことある。」とか「これってこんな風に飾っていたんだ。」とお馴染みのものが出てくる。家具も調度品もひとつひとつがすべて古い物。インテリアそのものが当時のままにしつらえられているため、まるでタイムスリップしたかのようで、「古い物好き」にはたまらない。ここへもし行かれるのなら、この近くにあるヴィクトリア&アルバートミュージアムの分館、チャイルドフッドミュージアムとセットで訪れるのがおすすめ。チャイルドフッドミュージアムも古くからのおもちゃやドールハウスのコレクションが収蔵されていて、こちらもとても興味深い場所なのだ。

こちらがジェフリーミュージアム。元は1714年にロンドン市長を務めたサー・ロバート・ジェフリーが建てた救貧院。当時、人々が住んでいたお部屋それぞれが展示室になっています。


ミュージアムの裏手には気持ちの良いガーデンが。ベンチもあるので、ランチを持って行ってここでお昼を食べるのも良いかも。

 ミュージアムから帰りは、ミュージアムの前にあるバス停からバスに乗って。次に訪れる宝石の問屋街はもちろん現代の宝石ばかりなのだが、私達の向う先はジュエリーを入れるボックスを扱ういわゆる「箱屋さん」。
 実は、いつもアンティークを仕入れる場所にも同様なボックスを扱うマダムがいたのだが、前回行った折に「ここは5月いっぱいでクローズよ。」と告げられ、びっくりした私は「クローズですって!?」思わず聞き返してしまったのだ。「どうして!?」と問いつめる私に、70歳は優に越えていると思われるマダムは「リタイヤするの。」とポツリ。「リタイヤするなんてまだ若すぎるわよ。」と言う私に、にっこり笑いながら(でも目には涙を溜めていた。)弱々しげに首を振るマダムが忘れられない。お馴染みの人がひとり減る度に淋しい気分になるのは否めない。
 ユダヤ人の牙城である宝石の問屋街は、歩いていてもキッパ姿のユダヤ人としょっちゅうすれ違う一種独特な雰囲気のある場所だ。私達が向うのは、キラキラと沢山の現代のダイヤが光るウィンドウのショップではなく、地味なジュエリーショップ専用の備品のお店。ここでボックスやらディスプレイ用の備品やらを調達するのだ。

 問屋街を抜けバスでアンティークモールへ…と思ったのだが、ロンドンの繁華街のストリートは大々的な路面工事でバスの路線は休止。どうやらこれも来年のオリンピックを見据えてのことらしい。オリンピックを前に、埃っぽいロンドンの街がどんどん綺麗になっていくのを見ると何ともいえない気持ちだ。昔、つい十年ほど前までは、まだロンドンでも一般に「治安が悪い」という場所へ足を運ぶと、それこそ「切り裂きジャック」が現われそうなヴィクトリアンの倉庫が建ち並ぶ不気味で怖い地区があったものだが、今では再開発ですべてが綺麗になり、「切り裂きジャック」の面影などどこにもない。そんな場所では、常に背中を気にして、全身を耳にして、ドキドキしながら一人歩きしたものだが、もうそんな体験が出来ないかと思うとちょっぴりつまらない。

 最後の目的地のアンティークモールだったが、今日は何も出物なし。高価なファインジュエリーならいっぱいあるけれど、私でも手が届きそうで、しかも心が動くものは何も無かったのだ。唯一、レースを扱う女性ディーラーに、明後日約束していたアポイントを確認し、「大丈夫!ボスはあなたのために色々キープしてあるわよ。」と返事を貰い安心して帰路についた。

■9月某日 晴れ
 今日はイギリス国鉄でカントリーサイドのフェアへ。ロンドンから2時間ほどかかるそこは、いちめん牧草地の中にぽつんとあるショウグラウンド会場。周囲にはまったくといってよいほど何もない。そんな駅へ訪れる一般の日本人はまずいないだろう。イギリスのカントリーサイドのフェアは、どうしてか皆「この世の果て」と思えるようなド田舎で開催され、冬の時期の寒さときたら、ダルマのように着込んでも正に「死ぬ思い」だったため、長い間私の頭の中では「カントリーサイド=真冬には耐えられないほど寒いド田舎」という図式が出来ていて、世の中の一般の日本人が「イギリスの田舎だ〜い好き!」と言っているのが以前は理解出来なかった。(もちろん一般に観光旅行で日本人が訪れる田舎は、夏のコッツォルズなどお花がいっぱいで美しい場所だから当然と言えば当然なのだが。)
 今日も朝からパディントン駅に向い、列車に乗るずいぶん前から、インターネットで予約してあったチケットをチケットマシーンでプリントアウトし、ランチ用のサンドウィッチを調達し、準備万端の体勢。日帰り出来るとは言っても、列車の時刻の関係で朝早くロンドンを出発し、ロンドンに帰ってくるのはすっかり夜になってからだ。

 会場近くの駅(ほとんど無人駅に近い)に着くと、予約してあった年配のマダムのタクシーが待っていてくれた。駅から会場までの交通手段は…ない。なので、必ず前日までにいつもお願いしているマダムに電話で予約を入れるのだ。何度かお願いしているマダムとは顔馴染み。今日は私と河村、そしてもうひとり「フェアに行くんだったら、一緒のタクシーで行きましょ!」と誘った知人の男性ディーラーが一緒だ。なのに、マダムは運転しながらなぜか私にばかり話し掛けてきて、ようやくタクシーに乗ってほっとしている私は、頭をフル回転させてマダムの話に相づちを売ったり、聞かれた質問に返事をしたり。心の中で、「ちょっと〜あなた達も何とか言いなさいよ!」と叫ぶも、あとの日本人男性ふたりはひたすら無言。そんな中、マダムは「東京のディーラーのユミって知っているか?」と質問。「ユミねぇ、東京のユミって言われたってねぇ。」と思っていると、「ええと、お店の名前は○○よ。」とマダム。「あっ!そのユミなら知ってる!!」私達の知人のユミさんだったのだ。どうやら彼女もいつもマダムに迎えに来て貰っているらしい。しばしユミさんの話で盛り上がり、会場へ到着した。

 会場へ着いてもまだまだ始まらない。実は列車の時間が上手い具合に開場の時間に合わないため、なんとここで毎度1時間以上待つことになっているのだ。今日はまださほど寒くないから良いけれど、極寒の真冬には味わいたくない体験だ。ひたすらゲートの前で待つこと1時間以上、開場と共にまずはいつも一番に訪れるソーイングツールを扱うディーラーの元へ走り出した。
 このフェアでの大きな目的のひとつはソーイングツールを仕入れること。ソーイング小物を扱うディーラーはイギリスでもけっして多くはない。この会場でも私達の好みのツールを数多く扱っているのはただひとり。順路も何も、まずはそこへ全速力で走って行って、まだ商品を並べている彼女から見せて貰うのだ。

 今日もまだケースの中にひとつひとつ商品を並べている最中の彼女は、顔馴染みの私達の顔を見てにっこり。簡単に挨拶を交わし、さっさと欲しい物を手に取り、見たいものを次々出して貰う。まず出して貰ったのはビーズ付きのピンクッションやコットンリール、テープメジャー、糸巻き等など。ぱっと見て良いと思っても、手に取ってよくよく観察すると欠けがあったり、ダメージがあったりすることもあるので、ひとつひとつ丁寧に慎重にチェックする。今日も良いと思って見せて貰ったアイテムの裏側にダメージを発見。こんな時、「やっぱり何でも手に取ってみないと分からないな。」と強く思う。それでも、一番に来たお陰で良いものを手に入れることが出来、ルンルンで次の場所に移る。

 今度は別のストールで、素敵なエナメルのジュエリーが目に飛び込んできた!真っ赤なハートのエナメルは、どちらかといえば小さななサイズのジュエリーなのに存在感たっぷりにガラスケースの中に鎮座している。マダムにお値段を聞いてみると納得の高さ。「そうだよねぇ、それくらいするよね〜。」と心の中で思いつつ、「でも欲しい。あぁ、欲しい。」と諦めきれない。とりあえず、いきなり高額なものは回避して、会場の中を歩き回る。すると、可愛いベビードレスが出てきた。繊細なレースがはめ込まれたロングのベビードレス。レースの感じから「1900年頃かしらね?」とマダムに尋ねると「そうね。エドワーディアンね。」とのお返事。「そうだよねぇ。」とお互いに納得の微笑みを交わす。ヴィクトリアンよりは若干新しいこともあり、そして田舎のフェアゆえ、お値段もお買い得な嬉しいプライス。悩むことなくいただいた。

 香水瓶もいつも探しているアイテムだが、香水の本場フランスから出てくるものは往々にして高価。そしてコンディションの良いものは決して多くない。逆にイギリスから出てくるものは私達から見れば正統なプライス。「今日も良い物があれば。」と期待してやって来たのだ。
 ふとみるとゲランのシャリマールの香水瓶が。私達が一番重要視するポイントはストッパーが無垢のガラス製かどうか。ガラス製でも塩ビのカバーが付いたものはNG、どうしても新しい物の雰囲気がするからだ。このシャリマールには塩ビのカバーは付いていない。「古いシャリマールだ!」早速お値段を聞き交渉に入る。以前シャリマールを手に入れたのはもうずいぶん前のこと、本当はこうした香水瓶を沢山並べたいのだが。まずは出会ったこの綺麗なスタイルのシャリマールを入手。この時代のものはバカラ製だ。

 「やっぱりあのエナメルが欲しいんだけど…。」「あれは高価だけど絶対良いと思うよ。」会場を歩きながら、ここは下手に河村を説得。「じゃ、やっぱり手に入れるか。」とツル(?)の一声が河村の口から発せられ、私はジュエラーの元へ走って戻った。目的のエナメルはまだガラスケースの中に鎮座中。「良かった。まだあった!」早速マダムと交渉に入る。マダムもこのエナメルのハートを愛しているらしく、なかなか態度が軟化しない。たぶん私達と同じく「良い物はそれ相応の正統なお値段で。」と思っているに違いない。ただ、こうしたジュエリーは昨今とても少なくなってきているから出会えるだけでもラッキーだと思う。そうした思いから、私達には高価なアイテムだったがマダムから譲って貰い日本に連れて帰ることにした。

 さんざん会場を歩き周り、ひと通り見終ったのは帰りのタクシーを頼んだ時刻の1時間前。今日は意外に早く仕事が済んだようだ。「まだ1時間もあるよ。」ということで、今日はパスした会場の2階に少し出店しているブースも見て回ることに。いつもは時間が足りないことと、2階にはロクな物がないので、「あえて見なくてもいいか。」とパスしていたのだ。2階へ上がると案の定、イギリス人が“rubbish”と呼ぶガラクタばかり。
 まったく期待をせず早足でひとまわりしていたその時、私好みの小さなジュエリーを沢山入れたガラスケースを発見。「んん!?」と、近寄って目の焦点を合わせてよくよく見てみると興味深いジュエリーがいくつか。さらに近寄ったその時、“Please! please!”と聞き覚えのある愛想の良い声が。ふっと顔を上げると、以前はロンドンのフェアでよく会っていた女性ディーラーだった。このところロンドンでは見かけなくなり、顔を合わせなくなって久しい。「ええっ!!なんでここに!」と叫びながら再会を喜ぶ。どうやら元々こっちに住んでいる人だったのだ。「もう今は全然ロンドンには行っていないのよ。」という彼女。いつもここには出店しているという。知っているディーラーだとがぜん話が早い。早速興味のあるいくつかを出して貰いルーペでチェック。そして手に入れたのは小さな小さなシールのペアふたつ。こんな小さなシールは見たことがない。しかもどちらもスプレッドリング付きだ。そしてアンティークのゴールドチェーン。意外にチェーンだけというのはそう多くはない。以前も在庫をいくつも持っている彼女からあれこれチョイスして譲って貰っていたのだった。今日は小さなシールとチェーンを手に入れ、「いつもここにいるの?また来るからね。」と言いながら彼女と別れた。

 そろそろタイムリミットが近づいてきた。ゲートに向うと既にマダムのタクシーが私達を待っていた。またしてもそれに乗り込んで駅へと向う。
 ロンドンのパディントン駅に到着したのは午後8時近く。結局今日も一日仕事になってしまった。 


駅のホームから。ここは駅に近いので向こうに集落が見えますが、フェアの会場の周りはこんないちめんの牧草地帯が広がっています。日本に比べると高い緯度にあるイギリスは、けっして豊かな自然に溢れている訳ではなく、たぶん植物の種類は日本よりもずっと少ないでしょう。

 明日は朝午前5時起き。しかも沢山のディーラーを巡る勝負の一日だ。終日出掛けていてぐったり疲れていた私達は午後11時には就寝。が、深夜になってそんな眠っている私達を叩き起こす出来事が!

 夜中の12時を回った頃だろうか、すっかり眠っていた私達は凄まじい中国語の話し声で起こされることに。どうやら1階下の玄関ホールで沢山の中国人がおしゃべりに興じているらしい。長年泊まっているが、静かな住宅街の中にあるこのこぢんまりしたフラットで、夜中にうるさくて目が覚めるなんて初めてのこと。私はけっして人種差別主義者ではないと自負しているが、何人であれ傍若無人な振る舞いには我慢できない。話し声が聞こえる玄関ホール横の部屋はツインルームのはずなのに、なぜこんなにうるさいのだろう。甲高い話し声はいつまでもやまず、「明日は早くから仕事なのにどうしてくれる!」「非常識にもほどがある!」と怒りにまかせた私は、苦情を言うために部屋着のまま玄関ホールへと階段を下りていくと…件のツインルームの前には、なんと10人ほどの中国人の若者がたまっておしゃべりしているではないか!「なんでこんなにいっぱいいるんだ!」とびっくりすると同時に、何も話さず、ただ口元に指をあてて「シィーッ!!」と一言。たぶん20代の若者ばかり、相手もいきなり日本人のおばさんが現われてびっくりしたのだろう、一瞬でそれまでがうそのように「し〜ん」としている。
 私の「シィーッ!!」が効いたのか、その後おしゃべりは止み、それぞれどこかへ帰って行ったらしいくやっと静寂が訪れた。しかし、このフラットで中国人の姿を見たのも初めてなら、オリエンタルの姿を見たのも初めて。思わず「中国バブルよ、早く弾けてくれ。」と思わずにはいられなかった。その昔、80年代の日本人もこんな風に様々な人に迷惑をかけて旅行していたのだろうか。

■9月某日 晴れ
 ゆうべ遅くに階下の中国人達のうるさいおしゃべりで叩き起こされるハメになった私は目覚めが良くない。昨晩の騒音を思い出して機嫌がいまひとつ。でも、今日が買付けの最終にして、最も忙しい日。午前5時とともにさっさと起きて支度をする。
 まだ9月とはいえ早朝のロンドンは肌寒い。コートを着込み、ショールを巻いて万全の装備。流石に手袋や懐中電灯は持ってこなかったが(秋から冬場のこの時間は懐中電灯がないと真っ暗なので、必須アイテムなのだ。)、薄ら寒い感じがロンドンらしい。フラットの側からタクシーを拾う。

 タクシーを降りて真っ先に向った先はアイボリー製品を扱う女性ジュエラー。ジュエリーを専門にしているディーラーでもアイボリー製品を扱う人はけっして多くない。私達の好みの物を持っていることは非常に少ないのだが、それでも毎回チェックするひとりだ。いつものように「無いよね〜。」と期待せずにケースの中を覗き込むと…そこにはすずらんの繊細な彫刻のアイボリークロスが。フランスでもイギリスでもすずらんは人気のアイテム。なかなか実際には手に入れることが難しいのだが、今日は違った。美しい彫刻に見入ってしまった。すずらんの場合、なにしろ茎の部分が繊細なので、状態の良い物は稀有。まずもって巡り会うことが無いのだ。
 見た途端そこから目を離すことが出来ない。早速出して貰ってよくよく状態をチェック。どこも悪くない!誰かに取られる訳でも、悪いことをしている訳でもないのに、気ばかり焦ってさっさと手に入れて次の場所へ。しっかりバッグの中にしまって安堵のため息。

 次はいつものソーイングのディーラー。私の顔を見ると、好きそうな物を次々出してくれる親切な彼女。店頭には並んでいない物も出してきて見せてくれる。今日はそんな、まだ店頭に並んでいないアイテムの中にケース付きのシルバー製ハンドルのはさみを発見。「今回の買付けでシルバーハンドルのはさみがあれば。」と思っていたのだが、これは珍しいケース付きだ。まだ店頭に並べる前ゆえ、酸化して真っ黒の状態ではあるけれど、綺麗に磨けばデコラティヴで素敵なはず。同様にマザーオブパール製のシェル形スティレットを。どちらも満足のいくアイテムで嬉しい。

 イギリスなのに、フレンチアイテムばかりを扱うマダムのところからはマザーオブパール製の繊細なカルネ・ド・バルが出てきた。聞いてみたことはないのだが、彼女自身はイギリス人ではなく大陸の人かもしれない。ロンドンにはイギリス人以外のディーラーも数多く存在するので。小さな薄いボックス型のそれはマザーオブパールの質感も美しいそれは繊細な細工。今までアイボリー製のカルネ・ド・バルを扱ったことはあるのだが、こうしたマザーオブパール製の物は初めて。熱心に一生懸命説明してくれるマダムに、まるで自分の分身を見ているかのようで親近感が湧く。いつも思うのだが、きっと19世紀のイギリスの貴婦人達も、エレガントなフレンチアイテムが好きだったに違いない。「その気持ち、よく分かるわ。だって素敵だものね。」と思ってしまうのだ。また、意外にもフランス本国でこうしたエレガントなアイテムと巡り会うのは難しいこと。「よし!日本に連れて帰ろう!!」嬉しい出会いだった。

 アンティークのパールネックレスは、最近の私のお気に入りアイテム。20世紀初頭のパールネックレスは大げさでない上品な雰囲気が素敵。特にクラスプの現代ではまず無い凝った細工に心惹かれる。(本当は自分の分も欲しいくらいなのだ。)今日も顔馴染みの女性ディーラーの所に素敵なネックレスが。たぶん同世代と思われる彼女も、もうこの世界では長い。フランスのフェアにもよく来ていて、仕事熱心な彼女、イギリス人には珍しくフランス語も堪能なのを私は知っている。「あなたこういうの好きよね〜。」と毎度立ち寄る私の好みもしっかり把握されている。
 今日出てきたのは柔らい光沢の上質なパール。こういうパールネックレスはアンティークならではなのだ。

 手芸材料を扱うマダムの所からはお人形の衣装にぴったりなシルク糸で出来たボタンが出てきた。いつも立ち寄るものの、イギリスらしい大味な雰囲気の物が多く、なかなか仕入れるところまではいかないのだが、今回出てきたのはフランス製。色や質感が全然違うのだ。小さなサイズはもちろん、色合いやテクスチャーのある質感もお人形の衣装に付けるとぐっと映えそうだ。頭の中にお人形を作られるお客様の顔が思い浮かぶ。

 いつもお願いしているレースディーラーからはホニトンの大振りな襟が出てきた。ホニトンはイギリスを代表するボビンレースで、ヴィクトリア女王の婚礼衣装にも使われたものなのに、今となっては凝った細工のホニトンと出会うことはまずない。ベルギーのデュシェスレースをお手本に作られたホニトンは、デュシェスとそっくりな組成なのに、どこか素朴な味わいがイギリスらしい。今回出てきた襟は、ホニトンの中でもとても繊細な模様、細工だ。確か在庫ではほとんどホニトンの物を持っていなかったはず、女性ディーラーにすすめられるままいただくことに。

 顔馴染みの男性ジュエラーをいつもの習慣で訪ねると、本人はいないもののケースの中には燦然と光る物が!!それは象眼で出来たタティングレースのシャトル。このタイプの物をどれだけ探してきたことか!以前、同様な物を手に入れてから既に数年が過ぎている。毎度毎度探しているのに、状態の良い物は皆無。(象眼製ゆえ、はめこまれたマザーオブパールのパーツが欠落している物がほとんど。もうずっと満足のいく状態の物に巡り会ていなかったのだ。)本来ソーイングツールを扱うディーラーが持っている物だから、今まで何度もそういうディーラーに「象眼のシャトル無い?」と聞いたか数知れない。ケースの上からガラスを通してみた限りでは状態に問題ないし、何より扱っている男性ディーラー本人がとてもセンシティブな感覚の持ち主で、状態には万全を期することもよく知っている。
 なのに、その本人はどこに行ったのか、全然戻ってこないのだ。ケースの前でじっと待つことしばらく、まだ帰ってこない。仕方なく、「また後ほど戻ってきましょう。」と一旦離れるのだが、もし私達がいない間に彼が戻ってきて、他の人に売れてしまうかと思うと気が気ではない。ウロウロまた舞い戻っては彼はいないため別の場所へ行くのだが、頭の中はシャトル一色になっていて気が気ではない。
 そんなことを繰り返した挙げ句、どこからかやっと彼が帰ってきた。思わず「どこへ行っていたの!?」という口調も強い調子になってしまう。元々彼はジュエリー専門のディーラー、こういうシャトルは本来彼が扱う物ではないのだ。見せて貰いながら、「なんでこんな物、あなたが持っているの?」と思わず尋ねてしまい、「なんでって言われても…。」と怪訝な顔をされてしまう。美しいものが好きな彼、きっとこのシャトルも彼のお眼鏡にかなったものだったのだろう。

 私達の訪れを待ちわびていたレースディーラーへ向うと、“Angel Collection Reserve”と書かれた大きなボックスが。どうもその中にリクエストしていた様々な物が入っているらしい。言われるままに中を開けてみると…欲しかったタティングレースのアイテムが出てきた。ずっと前から、いつも、しつこく頼んでいたパラソルが!「嬉しい!!」広げてみると思いがけない状態の良さ。河村と顔を見合わせて肯き合う。そんな美しいパラソルを広げていると、たまたまそこに居合わせた様々な人々が寄ってきてついつい触ろうとする。その度に怖い顔で“No!”と威嚇する私。日本語で「ちょっとちょっと触らないでよ!」とガンを飛ばす。美しい物がいっぱい入った“Angel Collection Reserve”のボックスを勝手に開けて中の物を取り出そうとするのを、“No!” “Don’t touch!”と怖い顔で阻止し、怒りまくる私。ボックスの中からは、他にも沢山欲しい物が出てきた。そして、何よりも嬉しかったのが、しっかり私達の欲しい物を把握して、沢山のアイテムをキープしてくれていたこと。いつものように感謝の気持ちから彼女をギューッと抱きしめてしまった。

 最後に顔馴染みの女性ジュエラーの所からはジョージアンのリングが出てきた。カボションのガーネットの周りをぐるりとシードパールが囲むジョージアンのデザインは私の惹かれるもののひとつ。ジョージアンのリングは男性的で繊細さがあまり感じられない物が多いのだが、今回みつけたそれはやや小さめで女性らしさを感じるもの。それでいながら、ベゼルの周囲の細かなミルグレインやシャンクの透かし彫り彫刻など、緻密な細工はやはりジョージアンならでは。早速見せて貰うとベゼルの裏側には小さな文字が彫刻されている。ルーペで読むと持ち主だった女性の名前や日にちが。私達が一生懸命解読しようと見ていると、ディーラーの女性が解説してくれた。「1836年と彫ってあるけれど、これは1836年に出来たものではなくて持ち主が亡くなった日付。1800年前後に作られたものよ。きっと娘が彫刻して記念に自分で身に着けていたのでしょうね。」と教えてくれた。こうしたメモリアルなアイテムはアンティークの醍醐味。美しいだけではない何かがある。今回はこれが最後のアイテムになった。


フラットの近所のパブもこの通り、9月はまだ色鮮やかな花々で溢れています。イギリスらしい光景ですね。


ロンドン屈指の高級住宅街チェルシーのお屋敷。ヴィクトリアンの建築は今もバリバリの現役です。どんな人が住んでいるのでしょうね。


ロンドンのショップも頑張ってる!綺麗な色のバレエシューズが並んだお洒落なディスプレイ。こちらもチェルシーの小径で。この辺りはロンドンの繁華街オックスフォードストリートとはまた違った洗練されたショップが並んでいます。

***今回もお付き合いいただき、ありがとうございました。***