〜前編〜

■5月某日 晴れ
 飛行機がパリに着いたのは定刻通り。午後6時半にはシャルル・ド・ゴールに降り立っていたはずなのに、なのになぜ?以前、河村とコンビを組む前、ひとりで仕事をしていた頃には空港から迷うことなくタクシーに乗っていたのに、RER(郊外高速鉄道)に乗れば、約10分の一の金額でホテルの近くまで行くことが出来ると河村に知られてしまってからは毎度RERで。暗くて、治安がいまひとつで(一度は未遂に終わったものの改札で、スリに遭遇したこともある。)、非常に気が向かないのだが、今回日本で頑張っている河村を思い、RERで行くことに。そこで珍しくに気弱(?)なったことがそもそもの間違いだった。

 ゴロゴロと二つのスーツケースを操りながら長い通路を移動し、空港内をRERの駅まで移動しチケットを買うと、チケットを売ってくれた駅員から「今日はリュクサブールまで行かないから。」と北駅が最終の駅であることを知らされた。その時点で「?」と思ったものの、「仕方ない。北駅からタクシーに乗るしかないわね。」とさほど深く考えず、RERに乗ったのだが…。まず、北駅まではスムーズに行ったものの、ホームから改札のフロアーに降りるエスカレーターは一機も動いておらず、もちろんエレベーターもない。人混みでごった返した急で細い階段を二つのスーツケースを持ちながら、ともすれば自分がスーツケースごと真っ逆さまに転がり落ちそうになるのをなんとかこらえながら一段一段降りる。行きとはいえ、私のふたつのスーツケースは既に20キロ以上!ようやく下の階に降り立ったときには「もう、死にそう…。」だった。

 その後も広い北駅の構内を右往左往。いつもユーロスターに乗るときや、ベルギーに行く時に利用する北駅、フランス国鉄の駅そのものは簡単な構造だが、RERとメトロに繋がる地下の構造はとても複雑になっている。なんとかタクシー乗り場にたどり着いた時には、また一仕事終えたかのように疲労困憊。が、タクシー乗り場の長蛇の列を見てキモをつぶしてしまった。その列に並ぶこと1時間以上、今日はなかなかタクシーが来ない。結局、その後来た暴走タクシーに乗り(最近珍しいスピード狂(?)のドライバーは、細い道なのに他のタクシーに追い越しを掛けるし、両側駐車の細い道は爆走するし、他の車にガンは飛ばすし、その暴走振りは「シートベルトを着けていて本当に良かった!」と思えるほど。)いつものホテルにたどり着いたのは、なんと飛行機がパリに到着してから3時間後のことだった。

 追記:その日は唯一のRERのストの日だったのだそう。パック(イースター)のお休みが終ると、今度はストの始まり。どうもフランス人は、ストやデモを「お祭りと一緒」と思っているフシがある。

■5月某日 曇り
 買付け第一目、初日からアポイントがいっぱいで、めまぐるしい一日になりそう。今日も時差ボケで早朝に起きたそのままに、さっさと仕度をして出掛ける。が、一旦ホテルを出たものの、夜になっても暑かった昨日とは違って、思いの外肌寒い。大急ぎでホテルへ戻り、余分に一枚Tシャツを着、ストールを巻いて再出発。その日によって寒暖の差が激しいパリ、あのまま出掛けていたら、寒くて買付けどころではなくなってしまっただろう。

 まずは、いつもお世話になっている彼女のところへ。先の地震の時にもいち早くメールをくれた彼女。久しぶりの再会にいつものようにビズーで挨拶。
 「さあ、この箱よ!」と私用に出してくれた箱には、表には出ていない可愛い物がぎっしり。わくわくしながら箱の中から様々な物を出していると、変わった形のバスケットを発見!ピンクのトリミングが可愛い、しかも完品だ。諦めにも似た境地で「これって、高いわよね?」と尋ねると、「よくぞ聞いてくれた。」と言わんばかりの表情で、「ええ、でもこの形は私も初めて見たねよ!」と得意気。無い物を買付ける訳にはいかないが、ある物ならば手に入れる事が出来る。「そうだよね。そうだよね。」と口の中でもごもご繰り返しつつ、わざわざ私のために持って来てくれた彼女の誠意に感謝しながら、やっぱりいただくことに。今日、彼女のところからはすずらんのアイテムと他にも可愛いバスケットがいくつか。中に飾るお花も一緒にいただき、お人形に合いそうな可愛い空間が出来そうだ。

 いつも何かと手芸材料を仕入れるマダムも、私達の事をよく覚えていてくれて、こちらの好みを把握していてくれる。まず挨拶が済むと、「ムッシュウは?」と尋ねられる。「ムッシュウは東京で仕事をしていて、来週来るのよ。」と答えるのだが、昨日ホテルに着いてからというもの、ホテルのレセプションのムッシュウや行きつけのキャフェのギャルソン、みんなが聞いてくれる。それと同時に、フランスのニュースでは日本以上に悲惨な津波の映像が流れたらしく、「大丈夫だったか?家族は無事か?」と心配してくれるのもありがたい。ことに、原発による電気の供給が全体の8割以上を占めるフランスは(だからフランスの電気代はとても安いのだとか。)、今回の福島の原発事故に戦々恐々としているらしい。

 話を元に戻して…マダムが私のために出してきてくれたのは、巻きになったほぐし織りのリボンが何巻きか。わずかなピースを見つけるのだって難しいほぐし織りなのに、こんなゴロゴロ出てくるなんて!この種の物にはいたって「弱い」私なのだ。「これを逃すと、もうこんな沢山のほぐし織りと出会えることはないかも。」という考えが頭を巡る。だが、巻になっていて、太巾で、しかもほぐし織りリボンのこと、一巻き一巻きは高価。なのに、私の頭の中は「欲しい。欲しい。みんな欲しい。」という気持ちがグルグル渦巻き始めてきた。ここに河村がいたら、「どれかひとつにしたら?」とか「もう少し選んだら?」と横槍が入るところだが、あいにく私の欲望を止めてくれる彼はいない。またもや頭の中で「いいや、買っちゃえ〜!」と叫びながら、まとめていただいてしまった。よくも、悪くも、やっぱり自分の好きな物しか扱えないのだ。

 私達が「スキッパーちゃん」とニックネームで呼んでいるすきっ歯がチャームポイントの彼女、その彼女からはロココが出てきた。「こういうの!こういうのが欲しいのよ!!」と訴える私に、「こういうのはみんなが探しているのよ。」と豪快に笑う彼女。でもまあ、ひとつ手に入っただけでも嬉しい。今日は他にもポワンドガーズの見本だったものか、様々な模様違いのパーツがいくつか。

 午前の部が終ると、大急ぎでホテルへ戻って荷物を置いて、昼食に代りに日本から持ってきた「味ごのみ」をポリポリ囓り、また次の場所へ。今日はまだまだ沢山の予定があるのだ。

 「レースのばあちゃん」ことレースを専門に扱うマダムとは、大げさとも言えるほどギュッと抱きしめられてビズーでご挨拶。ほとんど子供扱いの私は、フランス語で「元気だったかい?地震は大丈夫だったかい?」と抱きしめられる。さて、お決まりの挨拶を済ませると、リクエストをしていたレースをひとつひとつ見せて貰う。期待してやってきた「レースのばあちゃん」の所だが、きょうはいまひとつ「わぁ!どうしても欲しい!!」と思える物がない。
 欲しいレースは、非常に繊細で私の好みなのだが、なにしろ10m近い長さがあり、私にとっては非常に高価。あまりにも長く高価なため、どうにも選びがたい。マダムは選ばない私に、「どうして?これが欲しいと言ってたじゃないか?」とちょっぴり不満気。今日は方向を変えて、シルク生地やベビードレスなどを見せて貰うと、こちらは魅力的な物がいくつか。特にほぐし織の大きなシルク生地は私の心をぐっと掴んだ。と、天井からぶら下がるマダムのコレクションの時代衣装を眺めているうち、繊細な刺繍物が目についた。マダムに「これ見せて。」とお願いすると、先がカギになった長い棒を駆使して降ろしてくれる。ドレスに施したとは思えないような繊細な刺繍で状態も良い。「これはナポレオン三世時代のジュップ(スカート)よ。」とマダムは自慢気。何かお店の目玉になるような物が欲しかった私にはぴったりなアイテム。「これに決めた!」すると、マダムが先程のレースを1mだけカットしてくれるという。「え!?ほんと?」長年マダムと付き合ってきたが、彼女は絶対に、どんな長いレースでもカットしないのだ。そんな彼女が折れるなんて珍しいこと。
 結局、カットして貰ったレースとシルク生地、ベビードレスを手に退散。実は、もうひとつ選んだレースがあったのだが、マダムが他のレースと一緒にどこかにしまってしまったのか、どこにも見当たらず、出てこなかったのだ。「そんなぁ〜。」と言ってみたものの、マダムはもう一度探す気は無いらしい。「出てきたら、今度まで取っておくから。」と言いくるめられて彼女の所をあとにした。

 次に寄ったのは、私達が「綺麗なものを持っているマダム」と呼ぶところ。たびたびドローの競売所でも目にする彼女は、「正統な骨董屋」という風情の、真面目で信頼の置けるディーラーのひとりだ。ずっとずっと昔のこと、フランスで買付けを始めた当初から、美しく高価な彼女の商品は私の憧れだったが、あれから長い時間が経ち、ようやく最近になって彼女から仕入れが出来るようになったのだ。どうしてだか、彼女には「どうしてもあなたから買いたいの!」と思わせる雰囲気と世界観があるのだ。ガラスや陶器、そして美しいフランスのカトラリーまで、様々なアイテムを扱う彼女だが、実はジュエリーのテイストも私好み。今日は美しく飾った彼女のガラスケースの中から、19世紀半ばに作られたごく細かなダイヤを散りばめたリボンとピンクのトルマリンをセットしたペンダントを見つけ出した。ジュエリーとしてはけっして大きなサイズではないが、その小さな世界になんとも心惹かれる。私にとっては高価なアイテムに、じっくり穴の空くほどルーペで覗き込み、「こんなに長い間見てごめんなさいね。」と言いながら隅々をチェック。ようやく心を決め、「この小さなサイズと繊細な雰囲気がとても好きなの。」と言いながら彼女に渡すと、「私もよ。アンティークディーラーの大半は大振りなものを選ぶけど、私も小さなアイテムが好きよ。」とにっこりされた。

 その後あちこちを彷徨い、たどり着いた先はいつも必ず立ち寄る時代衣装を扱う年配のマダム。18世紀や19世紀のドレスを主に扱うマダムだが、実は上等なレースも持っていて、毎回ひとつひとつ見せて貰うのが恒例となっている。あまり期待せずに寄る割には、かなりの確立で良いものがヒットするのが彼女の所。今回も「ハンカチあります?」と尋ねた後、自らレースのしまってあるガラスケースの中を覗くと、「ん?」なにやら気になるものが。それはアランソンのボーダーだが、通常にボーダーに比べるとあまりにも巾が広い。その広巾のグランドに「こんな広巾なんてマシーンのグランドだよね?」と自分に言い聞かせるように呟いていると、私の日本語を聞きとがめたマダムが「このグランドはマシーンじゃないわよ。ハンドよ。」と素早く意見。「え?ハンドなの〜!?」と私。
 アランソンの中でも、こんな広巾のものを見たのは何年か前にパリのガリエラ衣装美術館で開催された大がかりなドレス展の時だけ。しかも、それはアランソンのレース美術館から貸し出されたもので、「流石にアランソンの本場だけある!」と感動したのでよく覚えている。

 マダムにすぐに出して貰い、自分の手でじっくりとチェック。このボーダー、広巾で長さもあることから当然高価。自分の商品にプライドを持っているマダムは滅多なことでは値引きはしない。もう他のレースは全く眼中になくなった私は「う〜ん。」とうなりながらしばし思案。もうこんなレースとはそうそう巡り会えないこともよく分かっている。そんな私の気持ちを見透かしたように、マダムは「あなたにも分かるでしょ?こんなレースはもう出ないわよ。これはけっして高くないのよ。」と畳みかける。(なぜかこんな時だけはフランス語が良く理解できるのだ。)まったくもってマダムのいう通り、確かにもう巡り会えないかも。というより、売れるとか売れないとか、そんなことは関係なく、「自分が商品として持っていたいアイテム」と強く思った私は、思わずマダムに“Oui”と言っていた。

 大物を手に入れた後は、物を選ぶときの集中力と高揚感から、ぐったりと疲れが出るのはいつものこと。だが、今日は最後に取り置きして貰っている書籍を取りに行く約束が。私達が少しずつコレクションしているマルティやバルビエの挿絵本をお願いしている本屋さんから「素敵な本が入りました!」とお知らせいただいたのが二ヶ月ほど前のこと。今回の書籍はマルティの本二冊と、グランヴィルの代表作、手彩色の“Les Metamorphoses du jour”の三冊。特にグランヴィルは河村のリクエストによるもので、本当は彼が受け取るのを心待ちにしていたのだが、今日は私が代りに。今回のマルティは装丁がとても素敵で、ブルーの革装丁の背表紙には赤い革がハート形にモザイクされている。私は赤く塗ってある物と思っていたのだが、売ってくれた装丁に詳しいマダムは「これは元々の革をくり抜いて、その中に赤い革をはめこんだ手の込んだものよ。」と教えてくれる。「可愛い!」と私。今回は三冊まとめて入手。ただグランヴィルの分厚い本は信じられないほどの重さ。「なんで私が持って帰らないといけないんだ?」とぼやき、重さに音を上げながら、そのまま帰宅。本日のお仕事はこれにて終了。

もう5月も半ばというのに、パリのショウウィンドウはまだイースターのディスプレイ。でも水玉のウサギと卵が可愛い!


こちらのお菓子屋さんのウィンドウでもイースターエッグのディスプレイが!このエッグ、周りに付いているカラフルな物はマカロンで、高さが5〜60cmぐらいあったでしょうか、一目見た感想は「で、でかい!」でした。(笑)

■5月某日 晴れ
 今日も朝から昨日のルートをたどり、見落としがないか、何か新しいアイテムが増えていないかをチェックするため、まずはバスに乗って。今日も一日仕事だ。

 朝から出てきたのは可愛いビブ。赤ちゃんのよだれかけだが、きっと「良いところの子」の持ち物だったビブは、思いがけなく細かな細工が入っていたり、広巾のアイリッシュクロシェが付けられていたり、よだれかけにしておくのはもったいないほど。こんなビブは小さな子供用のハンガーに逆向きに掛けて飾ると、子供用付け襟のようで可愛いのだ。いくつも出てきた中から一番可愛い2点をチョイス。

 午前中は歩けども歩けども、新しいものとの出会いがない。仕方なく今度はメトロで場所を移動。まずは昨日のレースのマダムの所へ行って、紛失したレースが出てきていないかを尋ねるのだ。午後は他にもアポイントがある。

 昨日会ったばかりだというのに、またもやレースのマダムとは大げさに抱き合ってビズーで挨拶するのをほとんど強要(!)される。昨日は、久し振りに海を隔てた遠い日本からやって来たから大げさな挨拶もさほど抵抗がないのだが、昨日の今日だと「今日もしないといけないんだ。」と心の中で苦笑する私がいる。私が受け取った荷物に紛れ込んでいなかったことを伝えると、マダムはどうやらあれから探してもいないらしく「また探しておくから。」と。「絶対よ!キープしておいてよ。」とマダムに念を押して、今日はすぐに次の場所へ。

 もう一軒、昨日大物のレースが出てきたマダムの所で見た子供用の豪華なボネが忘れられず、またもやここにもやってきてしまった。本当は昨日、「このボネのことも聞こう。」と思っていたのに、大物のレースで頭がいっぱいで頭がグルグルだった私は、大物を手に入れた疲れからすっかり忘れてそのまま帰ってしまったのだ。昨日会ったばかりのこちらのマダムも愛想良くご挨拶。早速ボネを見せて貰うと、思った通り、シルクとアイリッシュクロシェで出来た上品なアイボリー色で、なかなか見ない豪華な細工。ことに薄いシルクで出来たお花のような細工はアイボリー色の芍薬を思わせる。マダム自慢のボネらしく、またまた値段は高価。でも状態も良いし、頭の中に「欲しい!」「高い!」と言う文字が交互に浮かび上がる。
 マダムは他のもっと安いボネの入った箱をどこからか出してきて、「ほらね。こちらの細工だとこういう値段なのよ。」と差別化をして、私の心に訴えようとする。確かに安いボネは可愛いのだが、細工も状態もそこそこで、わざわざ仕入れる気にはならない。ここでまたもやマダムの「だって、こんなの無いでしょう?」という台詞が発せられた。「そうそう、こんなボネ最近見たこと無い。」とまたもやマダムの説得に負け、入手。でもとても可愛いのだ。

 アポイントは入れていないものの、よく立ち寄る男性ディーラーの所。様々なアイテムの細々したものを持っている彼はとても商売上手。フランス語よりも英語の方がスムーズな私達には必ず英語で話しかけてくれる優しい人。たぶん日本人ディーラーのお客さんを沢山持っているのかもしれない。しかも、この日は日本語で「いらっしゃいませ!」と言われて、思わず笑ってしまった。もちろん日本語はそれしか話せないのだが、わざわざ日本語で挨拶してくれるところが嬉しい。その後も「日本の災害の被害はなかった?大丈夫だった?」と地震の話。地震からも津波からも遠く離れたところに住んでいる私達、「大丈夫よ。家族もみんな無事よ。」と言うと「それは良かったねぇ。」と安堵の笑顔。
 度々彼から譲って貰っているソーイングツールをチェックしていると、気になるものが。早速ケースから出して見せて貰うと、やっぱりそれはスミレの模様。スミレのニードルケースだった。「素敵。」
彼からそれを譲って貰い、別れ際に「今度の日本の災害には本当に大変だったけど、皆被害を受けても冷静で落ち着いて、スマイリングで。日本人を尊敬するよ。」と言われ、誇りに思うと共に彼の優しい人柄を感じた。

 今日の最後は大量の在庫を持つコスチュームとその材料を扱うディーラー。その膨大な在庫をひとつひとつチェックするのに、いつもは河村と手分けしても長い時間がかかるのだが、きょうは私ひとりで。覚悟を決めて(?)やって来たのだ。最近、ますます手広く商売をしているディーラー母娘、様々な年代のコスチュームに、「これって映画なんかにも貸し出ししてるの?」と最近アシスタントとして働き始めた大学で映画を専攻しているというムッシュウに尋ねると、「あぁ、この前も何かに貸したとかってマダムが言ってたなぁ。え〜っと、海賊の映画。」海賊の映画って…?それって、ジョニー・ディップの主演の映画のこと?まったく、ハリウッドの映画を少し馬鹿にしているところがフランスらしい。
 今日出てきたのは、様々な織り柄のリボンやシルクのリボン、そして羽、どれもお人形や手芸の材料になる素材ばかり。そんな華やかな素材を並べるだけでも楽しくなってしまう。

 今日も仕事が終了したのは結局夕刻。気付くとまたお昼を食べ損ねてしまった。腹ぺこのまま荷物を担いでホテルへ帰宅。

ホテルからすぐ側、リュクサンブール公園に併設されているリュクサンブール美術館は、ただいまクラナッハ展の最中。是非見たかったのですが、今回は残念ながら美術館に立ち寄る時間がありませんでした。また次回!


早朝のリュクサンブール公園はグリーンが爽やか。ランニングしている人も数多く見られます。ここに来ると「あら、フランス人って運動好きだったのね。」と再確認します。


リュクサンブール公園にも面したRue de Vaugirard(ヴォージラール通り)はパリで一番長い通りとしても有名です。その長さは6区から15区まで全長4360m。地図で見ると「パリの対角線の半分」とでもいった雰囲気です。

■5月某日 晴れ
 今日は終日アポイントを入れたディーラーの元で商品を選ばせて貰うことになっている。たった一軒の予定なのだが、結局一日仕事になってしまうのがいつものこと。その分、密度の濃い仕入れが期待出来る。

 今日は、彼女の所へ向う前にもうひとつ用事が。それは、私達がよく立ち寄るオテル・ド・ヴィルにあるデパートBHV(べーアッシュヴェー)。ここはデパートといってもDIYのためにあるようなお店で、地下の工具や建具の売り場はもちろん、カーテンや洗面台、様々なドアや引き出しのハンドルまで売っていて、照明器具が充実しているほか、ペンキ売り場などは、好みの色にミックスしてオリジナルの色を作ってくれるというサービスさえある。特に地下の工具の充実ぶりは凄まじく、「あぁ、フランスのDIYの神髄!」と思える場所なのだ。ここでお店に使う色々なアイテムを見たいと思っていたのだ。

 思っていた通り、窓やドアの錠までもが売っていて、お店の改装でそういったパーツを日本で探した私達には正に宝の山!お店がすっかり出来てしまった今、「先にここで見たかった…。」と呟く私。もっとも、それだけのためにパリへ来ることは出来なかったのだが。私達が付けたいと思っていたフランス窓の金具も当たり前に売っていて(当然、日本にはどこにも無かった。)、しかも窓の大きさ会わせたサイズに切ってくれるという徹底ぶり。

 ついでにフランスで探そうと思っていたテーブルクロスやカーテンのタッセルを探すのだが、こちらは思うようなものが見つからず。どちらもお店の小さなテーブル、小さな窓に合うサイズの物が無いのだ。しかも「あら、素敵!」とle jacquard francaisのクロスを見ていて愕然!ジャガードのクロスはフランスでも高級品、とても簡単に手が出せるものではない。しかもサイズの大きいこと、大きいこと!最低でも120cmからで、170cm×250cmがごく一般的なサイズ。「あぁ、これはフランスのお金持ちのおうちで使う物なんだ。」と諦めモードの私。目的のもうひとつ、カーテンタッセルも、どれも30cm以上の長さがあり、私から見れば巨大サイズのものばかり。こちらも、フランスのアンティークのカーテンが皆250cm近い長さあることから当然といえば、当然なのだが。そんなところにフランスの住宅事情をかいま見た気がして、そうそうに買付け先へ。

 いつもお世話になっているアンティークディーラーの彼女とはもう長い付き合い。会うやいなや、挨拶もそこそこに、日本の地震や新たにオープンするお店の話で、話が尽きない。10数年前、初めて私が買付けに来たことをよく覚えている彼女も、「あなたはまだ若くって、仕事が楽しくて仕方なかった様子だった。」と、お店のオープンを聞いて感慨深そうだ。
 そこから今日も延々アンティークを選ぶ。私のために持ってきてくれたアイテムを次々と出しながら、ひとつひとつをチェック。リボンやブレードなど、小さなアイテムだが、そうしたものも丁寧に選ぶ。頼んであった18世紀のレースも変わった柄のものが。古いレースが貴重な昨今、19世紀より前のものが出てきたら、まず手に入れるようにしている。今回、彼女が私のために取って置いてくれた「目玉商品」は、ふたにお花のコサージュと、それを覆う球面のガラスが付いた布製のボックス。ボックスそのものはカルトナージュなのだが、大きなオーバルの形も優雅、ハンドメイドの球面ガラスに高級感を感じる。そしてホワイトワークが好きな私のために出てきたホワイトワークのパーツ色々。すべて手刺繍のこの時代のホワイトワークには、現代では考えられない繊細な手仕事が詰まっていて、ひとつの宇宙を感じるのだ。

 そんなひとつひとつを選んでいるうちに、あっという間に夕刻になってしまうのはいつものこと。良い物が入った満足感とめいっぱい集中力を駆使した後の疲れとで、飽和状態になった私は、大きな荷物を背負い、良く彼女にお礼を言って帰路に着いた。

 帰る途中、ふと思い出して重い荷物を背負ったままタッセルの専門店へ。何度か足を運んだことのあるここはタッセル好きにはたまらないお店、というか「アトリエ」といった方が近いかもしれない。キイホルダーになるような小さな物から、豪華な部屋に合う大振りの物まで様々な素敵なタッセル、ブレード、インテリア材料で埋め尽くされている。私が訪れたときにたまたま接客してくれたのは、オーナーのマダム。私が「このタッセル、よく日本へのお土産にするのよ。」話したことから、年に何度かパリにきている話に及び、「もう凄く忙しくって!今、モスクワの大邸宅のインテリアの仕事をしているの。ほら、この目の下のクマ見て。」とパソコンを見せられながら彼女の愚痴を聞くはめになってしまった。(笑)「そのモスクワの大邸宅はプールもあって、とってもゴージャスなのよ。」と彼女。でも、彼女のクマに同情というか、自分の近いものを感じ(彼女もそうだったのかも?)、何となく意気投合してしまった。

これはお気に入りの食器屋さんのハンドメイドとおぼしき営業案内。水玉の生地が可愛いですね。自分達にショップをオープンさせることが決まった今、「他所のお店はどうしているのかしら?」と、こういうものが気になります。


真紅のカーテンの奥に飾られたフェルメールの絵。実はこれ、CDのディスプレイなのです。「17世紀のフランス音楽」って、いったいどんな音楽なのでしょう。ホテルの近所にあるここは、中世の音楽のCDを制作している音楽事務所。


ホテルに帰ってきたと思ったら、妙な物を発見!「なに!?このクルマ?」とカメラを向けていたらクルマの主が帰ってきました。「ワシが発明したエレクトリックカーじゃ。」とはポーズを決めているムッシュウの弁。


今日の夕食のメニュー。質素に見えてもジェラール・ミュロの高級お総菜は結構高いのです!この季節に来たら、絶対ホワイトアスパラを食べないと!一緒に付いているホームメイドのサワークリームも美味。それに、ハムと卵のゼリー寄せとチーズ、バゲット、そして赤ワインがあれば私は十分。

■5月某日 晴れ
 今日は今回の買付けで唯一、買付けの予定のない日。だが、買付けの予定はなくとも、他の予定は目白押し。パリで手に入れようと思っていたお店のオープンに必要なアイテム色々を探しに行くのだ。今日探すのは、お店で使うカーテンのタッセル、リボンや布、テーブルクロス等など。他にも母に頼まれたマリアージュ・フレールの紅茶1キロ分(!)と愛飲しているネスプレッソのコーヒーカプセル20本分(日本でも手に入るコーヒーカプセルだが、こちらユーロ圏では日本の約半額で販売されているため、買付けの度にこちらも大量購入。)そしてもうひとつ、名古屋のお客様からお願いされていた奇蹟のメダイを入手するため、奇蹟のメダイ教会へ。
 以前、このメダイを差し上げたことから、「いつでも良いから袋(50個入り)で買ってきて!」と言われていたのだが、思いがけなく行く時間が出来たので、朝一番で教会へ。

 まずは不思議のメダイ教会へはバスに乗って。19世紀からあるデパート、ボン・マルシェのあるセーブル・バビロンで降りる。午前9時過ぎ、10時から始まるボン・マルシェはまだ静か。だが、その建物を通り過ぎた時、壁面を飾るモザイクに“DENTILLES(レース)”の文字を見つけ、感慨深く見つめてしまった。エミール・ゾラの「ボヌール・デ・ダム百貨店」のモデルだったというボン・マルシェ、アランソンやポワン・ド・ガーズなど私が今一生懸命探し回っているハンドのレースは、本当に当時ここで売られていたのだ!

 そのボン・マルシェの裏側に奇蹟のメダイ教会はある。小さなゲートをくぐると、そこだけ清々しい空気が流れている気がして、ほっとすると共に、ここへ来るのは私の小さな楽しみでもある。今日はどうやら朝のミサの真っ最中、朝から善男善女が集まっている。そんな清らかな空気の中、クリスチャンではない私だが、一番後ろの木の椅子に腰掛けて、一心に被災地のことを祈ったのだった。
 ここへ来ると、日頃の垢が洗い流されたかのようで、不思議とすっきりとした気分になるのが常。今日も、気分良く様々な用事をこなすために街へ。

上の文字は“RUBANS(リボン)”、下の文字は“DENTILLES(レース)”、美しいリボンやレースの洪水は、きっと当時の貴婦人達を興奮のルツボへと誘ったことでしょう。そして一番下には“1876”の文字が。

 奇跡のメダイ教会を出た後は、同じ並びのネスプレッソへ。日本のネスプレッソも、いつも気持ちの良い接客なのだが、それはパリも一緒。そのうえ日本の価格の半分だから、最近は大量に購入して、荷物と一緒に日本へ送っているのだ。すすめられるまま新しく出たフレイバーの試飲もし、美味しいコーヒーに気分良く表へ出た。

 次は母からことづかったマリアージュ・フレールの紅茶を買うため、ボンマルシェの中のブティックへ。マリアージュのブティックは私達のホテルのすぐ側にもあるのだが、いつもホテルに帰ってくる時刻には既に閉店。なかなかタイミングが合わないのだ。
 朝のボンマルシェは静か。ウロウロ見て回りたいところだが、そこはぐっと我慢。母の命により「買付けか?」とでもいうようなまたもや大量の紅茶を購入。(社交的で人づきあいの多い母の生活にマリアージュの紅茶は必需品らしい。)これもまとめて発送の予定。そして、早朝の用事を済ますと、荷物を置きに一旦ホテルへ。

 さっさと荷物を置きに戻った後は、お店で使うタッセルや生地を探すため、今度はパリの街を北上、モンマルトルの生地問屋街へ。確か凄く昔に一度足を踏み入れた事があるのだが、たいした目的も持たずに行ったため印象が薄い。それでも、日本の物とは違うシルク生地の色の美しさに感動したことをよく覚えている。今回はバスに乗って。モンマルトルの丘の右手、生地問屋の立ち並ぶサン・ピエールは、いつも乗っている85番のバスで。バスを降りると問屋街Marche St.Pierreはもうすぐそこだった。

 沢山の小さな生地を扱う店舗がひしめく中、1920年からあるというリボンやボタン、パスマントリーなどの手芸材料を扱う老舗MOLINE に足を踏み入れると…壁いちめんリボンやブレードの渦に目を奪われてしまった。タッセルのコーナーではあっちへウロウロ、こっちへウロウロ。日本の木と紙の文化とは違い、流石インテリアの歴史ある国だけあって、素敵なタッセルが沢山あるのだが、いかんせん平気で天井が3m近くある住宅事情だけあって、その大きいこと、大きいこと。私からすると、皆特大サイズなのだ。悩みに悩んだ挙句、キィに付ける小さなタッセルと同色のロープを買い、自分で作ってみることに決めた。

 そこから、今度は生地を見るため、この界隈では一番大きい、グランドフロアから3階まで、すべて布で埋め尽くされている、いわば布地のデパートDREYFUSへ。1910年には既にあったというここは、布の陳列台から棚、階段に至るまですべて木で出来た内装で、歩く度にギシギシ床が鳴るのも趣深い。ここにはお人形に使えそうな薄地のシルクがいっぱい!(たぶん実際はお人形ではなく、人間のドレスにするためのシルクなのだろう。)透けるオーガンジー素材だったり、張りのあるシルクタフタだったり、生地の種類も沢山。そして何より微妙な色合いの美しいこと!けっして安くはないが、これを買って帰ってお洋服を作っても良いかもしれない。
 上の階にはインテリア用のファブリックが並んでいる。私がお店のカーテンのために日本で探したトワル・ド・ジュイもここでは山のように様々な色合いがある。日本ではろくな生地が見つからず、がっかりしていたところ、以前自分の家用に取って置いたアンティークのトワル・ド・ジュイがひょっこり出てきて、結局それを使うことになったのだが、ここへ来れば選びたい放題!

 そして、さらに上の階に進むと、何と私達がいつも扱っているようなアンティークそっくりな織り生地が並んでいる。こちらは古い椅子の張り地などに使う厚手のインテリアファブリック。高価なこれらの布地は、一瞬「え!アンティーク?」と思ってしまうほど良く出来ている。興奮のあまり、キョロキョロしながら売り場をうろつく私に、支配人と思われる初老のムッシュウが声を掛けてきた。「マダム、どんな生地をお探しですか?」そうそう、フランスではジャストルッキングは通用しないのだった。思わず「こういう織り生地でシルクのを探しているんです。」と口からでまかせ。(笑)「こちらの生地はリヨンの染織美術館のコレクションを再現したもので、コットンの織り生地です。どうです。高価ですが、美しいでしょう?ところで、マダムはどちらのお国から?」こうしたフロアでは外国人の女は珍しいのだろうか、いつの間にか話をしながら私の手を取り、にぎにぎするムッシュウ。ムッシュウのにぎにぎから逃れるため「ジャポンよ。」と素っ気なく言って離れる。そうか、リヨンの染織美術館のコレクションを再現したものなのか。リヨンの染織美術館なら、ずっと以前に行ったことがあり、女性用のドレスだけではなく、男性用のアビ・ア・ラ・フランセーズなど、美しい衣装がいっぱいあったことをよく覚えている。今回は、沢山並んだコレクションの中から、愛らしい花籠の柄の織り生地をサンプルとして購入してみた。
 そうそう、ここもご多分にもれずフランスらしい煩雑さ。欲しい生地があったら、その1.まず店員をつかまえ、その2.欲しいサイズに切って貰い、その3.その値段を紙に書いて貰って、その4.レジで精算をする、という手続きを踏まなくてはならない。まずは何より店員をつかまえるのがひと苦労なのだ。

MOLINEの可愛いウィンドウ。お店の布や材料で作った可愛い子供服が並んでいました。


この界隈の布地問屋の店先は皆こんな風にざ〜っと感じ。一番近いのは…バーゲン会場かも?


DREYFUSは布地の殿堂。布好きな方なら優に1日遊べるワンダーランドです!

 生地問屋街を後にしたのは、すっかりお昼を過ぎてから。あぁ、またもやお昼ご飯を食べ損ねてしまった。お腹をすかせながら次に向ったのはオペラ座の裏手にある繁華街のデパートへ。ここでもお店に必要な物が何かないか、一応見ておこうと思ったのだ。バスを乗り継いで行ったオスマン大通り、まずはプランタンから。プランタンのメゾン館屋上は、たまに足を運ぶパノラマレストランがある。ごく簡単なセルフサービスのレストランなのだが、ガラス張りでパリが一望できることと、テラスがあって外で食事を出来ることも気に入っている。思いがけなく日差しが強くなり、暑くなった午後は、シーザーサラダと冷えた赤ワインでランチ。(とはいっても、既に午後3時を回っていたのだが。)カンカンの日差しに閉口しつつも、エッフェル塔を眺めながら気分良くランチ。あぁ、やっぱりエッフェル塔って素敵!

 食事を済ませた後はメゾン館の中をウロウロ。懸案のテーブルクロスも見ているのだが、やはり私が探しているような小さなサイズはどこにも見当たらない。タッセルもテーブルクロスも、お金持ちの大きなサロンで贅沢に使う物だということをここでも再確認した。
 目当てのものが見つからず、少し徒労感を感じながら、今度はメゾン館の隣のモード館に足を踏み入れると…モード館のグランドフロアー、シャネルブティックの前はロープが張られ、沢山の人々が並び物々しい雰囲気。張られたロープは、どうやら入場制限のためのロープだったのだ。並んでいるのはすべて中国から団体で来た観光客らしい。その買いっぷりは、「こんなに買って、お店の中の商品、無くならないのかしら?」と心配になるほど。そうか、日本も遙か昔のバブルの前には、きっとこんな感じだったのかもしれない。

 今度はすぐ近くのラファイエットのメゾン館へ。ここ最近出来たこのメゾン館は、フロアも広く、洗練された雰囲気で、私達にとっては通常の洋服を売るモード館よりもずっと興味深い。広いフロアをあちらへこちらへ彷徨うものの、目的のブツはなにも見つからず。全く関係のない、Fermob社の赤いガーデン用の折りたたみ椅子に、無理を承知で「これ素敵!持って帰りたい。」と羨望の眼差しを送る。パリの公園、リュクサンブール公園などは代々このFermob社の椅子が置いてある。ここの肘掛けがクルクル曲がったアール・ヌーボーチックな椅子も実は大好きなのだ。思わず飛行機に乗せて持って帰ろうかと思ってしまったが、使うあてが無く断念!ここの椅子にはどれも、気持ちの良いフランスの夏のテラスで使うイメージがあるのだ。
  そんな調子でパリの街をウロウロしているとすぐに夕方。この時期のパリは午後7時になっても十分明るいのだが、でも実際はもうすっかり夕方。疲労はピークに。「あぁ、今日も遅くなっちゃった。これじゃ、買付けと同じだ〜。」とぼやきながらホテルへ帰宅。

プランタンのパノラマレストランからは、エッフェル塔やサクレ・クール寺院を見ながらお食事できますよ。簡単にパリが一望できるおすすめスポットです。


サン・ジェルマン・デ・プレから歩いて帰る途中、ラデュレの前で思わずパシャリ。5月のこの時期、ウィンドウはすずらんのボックスで飾られていました。


こんなビビッドなお皿って、日本にもあるのでしょうか?ピンクとグリーンの組み合わせが目にも鮮やかです。


こちらはピンクとアイスグリーンの組み合わせ。シルクの質感と豪華なレース遣いにため息。長年こんな下着を愛用しているパリジャンヌにはどうしたって太刀打ち出来ない気がします。(笑)

***買付けはいよいよ後編へ***