〜後編〜

■5月某日 晴れ
  いよいよ今日はお待ちかねのフェアの日。例年はもっと早い時期にあるこのフェアだが、今回は急遽一月ほど前にいきなり日程が変更したため、わざわざ飛行機のチケットの変更をした因縁のフェアなのだ。
 が、今日までの買付けで思い切り使いすぎたため、既にフトコロの軍資金は淋しくなってきた有り様。これも、ここまでの間、河村が側におらず、私の欲望を止めてくれる人がいなかったせい?その河村は今晩パリに到着の予定。なんとか現状を悟られないようにしなくては…。でもそれはやっぱり無理かな。

 朝からバスに乗ってワクワクしながらフェアの会場へ。プロフェショナルのみの今日は、いわゆるアーリーバイヤーズディ、私達にとっては、明日のフェア初日よりも今日が勝負の日なのだ。会場に入るやいなや、アドレナリン出まくり!それまで、最近のお気に入りのラフマニノフのピアノ協奏曲2番をiPodで聞きながら歩いていたのだが、「比較的テンションが高い」と思っていたこの曲ですら、私の高まった気分にはついてくることが出来ない。すぐにiPodを止め、今度は自分の耳で会場の様子を感じながら歩き回る。

 まずみつけたのは度々訪れるジュエリーを扱う男性ディーラーのブース。いつもは人でごった返している彼のブースも、開場早々のこの時間はまだ誰もおらず、彼も一心不乱でジュエリーを並べている最中。まずは並んでいるジュエリーをひととおりチェック、とその時、彼の手に握られたものが。どうやらそれはアイボリーのアイテム。「ん?それなあに?」と見せて貰うと、久し振りに目にする手の形のブローチだった。薔薇のブーケを手に持つブローチ、繊細な彫刻アイテムのこと、返す返す眺めてコンディションをチェックするも、どこにもダメージがない。いきなりの出物に少々ためらっていると…またもや「分かってるよね。この値段でこんなコンディションの良い物はないよ。」と彼。「しかもほらここにバングルまではめているんだから!」と畳みかける。彼の言う通り、薔薇のブーケを持つその手首には、確かに豪華なバングルまで細工されている。きっと私が買わなくても、今日中に絶対誰かに売れてしまうだろうその情景が頭に浮かんだ私は、「誰にも渡すまい!」と、思わず「買う!買う!買います!」と彼に訴えていた。

 次に出てきたのはアイボリーの小さなボックス。手の平の中に隠れてしまうほど小さいそのボックスは、お化粧用のパウダーボックス。そして、特筆すべきはふたにシルバー製の王冠の細工が付けられているところ。王冠のマークは、先端の小さな丸い形が多ければ多いほど位が高いと言われているが、しげしげ王冠マークを見ている私に、マダムは「この王冠はコント(伯爵)のものよ。」と教えてくれた。こうした小さな、でも何か意味ありげなアイテムは私の好み。しかも、帰って磨けばまだまだ綺麗になりそう。そんなことも楽しみにひとつ、迷うことなく日本に連れて帰ることにした。

 このフェアに来ると必ず探しているもの、それはロココの付いたアクセサリートレイ。たいていのものは、小さなノルマンディーレースがグラスでサンドされていて、その周囲にロココを飾ったものが多い。なにぶんシルク製のロココゆえ、ロココだけが劣化してボロボロになっているものもよく見かける。そういうものはアウトだが、状態が良ければ是非欲しいアイテムのひとつだ。(とにかくロココの付いたものには目がないのだ。)そんなことを思いつつ、今日も目を皿にして探していると…出てきた!出てきた!状態もまずまず、「いいじゃない。いいじゃない。」と独り言。お値段も許せる範囲で、またしても「誰にも取られまい!」と大急ぎで手に入れた。

 このフェアで楽しみにしているディーラーがいる。それは地方からいかにも「初出し(うぶだし)」という雰囲気の商品を大量に持ってくるファミリー経営のディーラー。彼らの所に光る物があれば、それは埃を被っていて一見汚く見えても、いかにも「さっき蔵から出してきました!」という状態のもので、良い物である確率が高い。今日も彼らのブースの中をキョロキョロ、上から下まで舐め回すようにチェック。すると、以前他の場所で、河村が欲しがっていたのに、他のマダムに寸でのところで奪われてしまったアイテムそっくりのものが…。それは、私達が「宗教モノ」と呼んでいるキリスト教関係の物で、球面のドームになったガラスがはまったフレームの中にふたりの天使の彫刻が寄り添う、たぶん礼拝のために飾っていただろうと思われるアイテム。「そうそう、河村はあの時とても悔しそうで、何度も「欲しかった。」って繰り返していたっけ。」そんなことを思い出しながら、河村の「リベンジ」とばかり、私がいつも「お兄ちゃん」と呼んでいるディーラーの息子の方と交渉。顔馴染みの彼は「しょうがないなぁ。」とばかりちょっぴり安くしてくれた。

 今日のフェアでは、香水瓶も目的のひとつ。得てして、フランスよりもイギリスで仕入れをした方がお買い得の物が見つかる香水瓶だが(たぶん、香水を「自国の文化」と認識しているフランス人のこと、さらに彼らのプライドから「自国の文化を安売りするなんて。」という気持ちが働くのかもしれない。)、上手く探せばフランスでもお手頃で良い物が見つかることもある。今日まず最初に見たのはニナ・リッチの香水瓶。鳥の形のストッパーが優雅なレール・デュ・タンだ。南フランスから来たらしいムッシュウの話すフランス語は呆れるほど聞き取りが難しい。値段の数字が何度聞いても聞き取れないのだ。やっとのことで値段を聞き出したものの、迷うことしきり。とりあえず「また後でね。」とひと言置いて次の場所へ。

 そうして歩いていると、今度は他のマダムの所に同じレール・デュ・タンが大小サイズ違いで三つもあるではないか!そのマダムのブースは人だかりで満員状態。マダムは高価そうな物を買いそうなひとりのお客さんにかかりきりになっている。こんな時に横から口を出すのは御法度。マダムに嫌な顔をされて邪険にされること請け合いなので、じっと大人しく待つ。私の周りには、他にもマダムにしびれを切らした人が何人か。皆値段を聞いたり、商品を見せて欲しいのだが、マダムの雰囲気がその誰をも拒否しているのだ。高価なそうな物を巡っての交渉は成立したらしいのだが、マダムは「わざとか?」と思うほどノロノロ次のお客さんへ。その間、皆が「これいくら?」とか「これ見せて。」とか、次々声を掛けるのだが、マダムはほとんど意地悪といえるほど、「今忙しいから、後で!」とひと言。マダムのご主人らしき気の弱そうなムッシュウはそんな彼女の様子にオロオロしている。ようやく私の順番が回ってきた。香水瓶三つを出して貰い、まずは状態をチェックする。このレール・デュ・タンは、ストッパーの羽根の先が欠けているものがとても多いので、その点をポイントに入念に手で触る。すると…なんと三つともすべてにチップがあったのだ!値段を聞く前に香水瓶を置いて退散。あぁ、私が大人しく待っていた時間っていったい…。その後、南仏のムッシュウの元に戻り、迷うことなく彼からレール・デュ・タンを手に入れた。

 今日は昨日までの肌寒いお天気とは一転、まるで季節が変わったかのように暑く、ジリジリと太陽が照り返す真夏のようなお天気。たぶん30度近くまで気温が上がっているかもしれない。着てきた薄手のコートを脱いで、ショールを外し、カーディガンを脱いでもまだ暑い。会場を何周も回った後の昼下がり、「もうだめだ〜!」とばかり、キャフェで冷たいビールを注入。やっと生きた心地がする。実は、昨日日本から国際電話をしてきた河村に、「こちらはまだ寒いから、暖かい服装も持ってきた方が良いよ。」と言ったばかり。こんなお天気になってしまって、彼になんと言い訳しようか?

寒いよりは良いとはいえ、あまりの暑さにバテ気味。フランスではひとたび気温が上がり始めると灼熱の暑さに。この日はキャフェでいったい何杯ビールを飲んだでしょうか?

 また会場に戻り、午後も会場をグルグル巡る。いったい何周しただろうか、もう「見落としがない。」と心底思えるほど見た後、あと見ていないのは、明日にならないと開かないブースだけ。暑さと疲れでヘロヘロになりながら会場を出る。河村がパリに到着するのは午後6時、まだまだそれまで時間がある。

 炎天下の中、テンション上がりっぱなしの私は、思いつくままその足で以前何度か仕入れたことがあるディーラーの元へ。ディーラーの所まではバスで行こうとバス停を目指して歩き出したのだが、よく考えればその方面に行くバスはない。歩けども歩けどもバス停はなく、気が付いたときには、汗だくでモーローとしながらディーラーの元にたどり着いていた。

 レースや生地を扱うマダムは、「アナタ、アランソン探していたでしょ?」しばらく振りにもかかわらず私のことを覚えていてくれた。そうそう、あの時はアランソンやアルジャンタンを探していて、彼女からはレースを譲って貰ったはず。今日もレースを物色するものの欲しい物はなく、高価だと分かっていながらも「古いシルクある?」とマダムに聞いてみた。高価でもブツがあれば手に入れられるが、ブツが存在しなければ手に入れることは出来ない。今回の買付けでは、シルクは僅かしか手に入れることが出来なかった…というより最近、古いシルクは皆無で、日本のアンティークディーラー仲間と決まってぼやくのは、古い生地とポストカードがどんどん無くなってきたこと。最後の望み(?)を托して彼女に尋ねてみたのだ。さほど期待せず聞いてみたのだが、マダムは奥から私が欲しい織り生地のシルクを何枚も出してきた!当然のごとく安いお値段ではないが、それでも「円高の今だったら、頑張ればなんとか仕入れられるかも。」というお値段。出して貰ったシルクを広げて、畳み、また広げて…そして交渉が始まった。

 通常、私達は「値切り倒して仕入れる」ということはまずしない。向こうもけっして高い利益を上乗せして値段付けしている訳ではないことも知っているし、それぞれ苦労して探してくることも知っている。そして何より、相手にも「この人達に買って貰って良かった。」と気分良く売って貰わないと、次に良いものがあっても、自分達には回ってこないためだ。でも今日は高価なシルクを何枚か、マダムと私達の意見を摺り合わせをして、お互いの妥協点を見つける。少しでも安くなるものであれば一枚でも多く欲しいのだ。私が真剣なら、マダムも真剣。お互いに妥協点を見つけた私達は一緒ににっこり。久し振りに美しいシルク織物が何枚も手に入りとても嬉しい。重い荷物にシルクを加え、今度こそバスでホテルへ帰る。商品を探すのに、テンション上がりっぱなしで緊張の連続で、その上もの凄く暑かった今日は、ホテルに着くやいなやベッドにころがってしまった。

 そろそろ河村が到着する時間だ。文庫本を片手にホテルのレセプションの椅子に座り、河村やって来るのを待つ。あぁ、こんなに暑くなって、なんと言って言い訳しようか…?
 しばらくすると、案の定、汗だくになって河村がスーツケースをゴロゴロしながらやって来た。私の第一声は「ごめん、暑くなっちゃった。」それからスーツケースを部屋に置いて、ふたりで近所の行きつけのキャフェへ。河村はペリエ、私はまたしてもビールを飲みながらここ数日間のお互いの行動をしゃべりまくった。

■5月某日 晴れ
 今日は、昨日私ひとりで出掛けたフェアに河村を伴って出掛ける。河村の今回は滞在はたったの三泊五日。果たしてその短い滞在のためにわざわざ飛行機に乗ってまで来るべきなのか?と思いつつ、でも河村は私だけに買付けをまかせておけないらしい。(笑)

 昨日見て回った会場を今日は河村を連れて。昨日見たもの、昨日迷ってやめたもの、それぞれを解説しながらたどる。
 それは、昨日開いていなかった高級品を扱うディーラーのブースを見ていたときのこと。いつも美しいものがいっぱいの、ルーアンから来るディーラーのブースを見るのを楽しみにしているのだが、今日はどことなくそのブースにパワーがない…というか、「あれ?こんな感じだっけ?」と少し拍子抜けした感じ。ムッシュウもどことなく元気がない。「なんだかヘンだな。」とそそくさと彼の所をあとにすると、一緒に見ていた顔見知りのディーラーからそっと耳打ちされた。「このブース、昨日準備をした後に盗難にあって200点も盗まれたんですってよ!!しかも良いものばかり。」「に、にひゃく点!!?」オウムのように繰り返す私。昨日、私が会場を回っていた時間に準備をしていた彼ら、その後ガラスケースを施錠して帰ったというのに、今朝来てみたら盗難に遭っていたのだという。それって内部の犯行じゃ?ムッシュウが元気がないのも当然のこと。恐ろしい〜。自分達が200点ものジュエリーを盗まれたときのことを考えると、「それって破滅!」と恐ろしくなった。(実際には私達は200点も持っていないのだが…。)類い希な審美眼で、いつも上品なムッシュウがあまりにも気の毒だ。
 実は今回、ムッシュウの所で、何か自分達の手の届くものがないかと密かに思っていたし、何より、いつもその美しいものがたっぷり詰まったウィンドウを覗くのが買付けの大きな楽しみでもあったので、とても残念。ムッシュウにはこんなことにめげずに、リタイヤなんてしないで欲しいと願うばかり。

 昨日から迷っていたクリアなマチャベリの香水瓶は香水がこびりつきふたが開かないというシロモノ。在庫でブラウンのマチャベリを持っているので、それと一緒に並べるのにクリアなマチャベリは持っておきたいもののひとつ。この香水瓶を持っていたのは、以前も香水瓶を譲って貰ったことのあるまだ若いマドモアゼル。自分の香水瓶のコレクションの前で、じっと辛抱強く読書しながらお客さんから声がかかるのを待っている様は、なんだか若い頃の自分を見ているようで身につまされ、何か買ってあげたくなってしまう。
 「どうしようか?」と迷いながらも、こびりついて開かない香水瓶のふたを今までも何度か開けた経験のある私は、「ま、やってみようか!」とマドモアゼルから譲って貰うことに。パッと明るい表情になるマドモアゼル、彼女の横で自分の商品を売っていた母親と思われるマダムからもにっこり“Merci,”の言葉を掛けられた。(帰国後、なんのことはなく香水瓶のふたは簡単に開いてメデタシ、メデタシ。)

 日本の団扇に似た形のスクリーンは、シルクで出来ていたり、ハンドルに竹のような素材が使われていたりすることからも、やはりオリエンタルの影響を受けたものなのだろう。顔馴染みの雑貨を扱うマダムとムッシュウの夫婦から出てきたそれは、シルク地に貴族柄の石版印刷のペア。状態も良い。高価なスクリーンだが、今まで扱ったことのないこのタイプは是非自分達のものにしてみたい。特に河村はどうしても自分達のものにしたいようだ。「このように顔を隠すように持ったのよ。」と、マダムの実演付きでゆっくり説明を受けた後、無事自分達のものにした。

 今日はフランスの買付け最後の日。今日もやっぱり暑い。正午をすっかり過ぎた昼下がり、今日は河村とまたもやビールと一緒に昼食。会場に出ていた屋台で、その場で厚切りのハムを鉄板で焼いて貰い、炒めたタマネギと共にバゲットサンドにして貰う。これがまたビールと合って美味しい!よく風の通る木陰のベンチで昼食。今日も沢山歩いて疲れているものの、ビールに美味しいバゲットサンド、気持ちの良い戸外の食事にご機嫌だ。

 気分良く昼食を取りながら、河村と残り少なくなった軍資金を前に、最後に何を手に入れるかを相談。このフランスでの買付けでは、アイボリーのソーイングセットやパレロワイヤルのセットを探していて、良い物があれば買付けたいと思っていたのだが、残念ながら今回は上質で状態の良い物と巡り会うことは叶わず、買付けることなくこの日になってしまった。そんな中で、最後に何を選び、何を日本へ連れて帰るかを真剣に話し合うのだ。

 昨日から会場でひとつ気になっているのは大振りなアイボリーのブローチ。それはあるジュエラーのガラスケースの「目玉」として飾られている。値段を聞いていないが、なにしろ「目玉」なのだから「高価で当然」と、あえて聞くことをしなかったのだ。小さなキューピッドをエンジェルのように羽根を付けた女神が背負ったカメオでよく見る“Day&Night”のモチーフ、でもアイボリーに彫られたものはちょっぴり珍しい。どうせ最後に何か買付けるのだったら、あんなブローチを手に入れたい。

 河村との相談がまとまり、件のアイボリーを持っていたジュエラーの元へと早足で急ぐ。大丈夫、ガラスケースの中にはまだ懸案のブローチが鎮座している。こうしてガラスケースの中にあると、やはり存在感があり、是非手に入れたい気持ちになる、そんなブローチだ。早速マダムに出して貰いじっくりルーペでチェック。やはり大振りのオーバルの形もアイボリーの質感も美しい。覚悟していたお値段も、頑張れば何とか私達が仕入れられる範囲。という訳で、フランスの買付け最後にこのブローチを仕入れ、今回のフランスの買付けは終了した。

薔薇ばかり、薔薇の切り花の専門店ですが、表には大きな鉢植えも並びまるで薔薇園のよう。鉢に植わっているのはピエール・ロンサール?オールドローズの大輪がいくつも花をつけていました。


マルシェの中の花屋さんですが、この季節は芍薬がとっても素敵!芍薬はフランスではとても人気のあるお花で、私もデリケートな花びらの大輪の芍薬が大好きです。


同じくマルシェの中の花屋さんでこんなブーケを見つけました。外側にいくに従ってグリーンになる不思議な色の薔薇。微妙な色合いに思わず近寄ってしまいました。


こちらはファッショナブルな、前衛的な(?)花屋さん。量感のある白いスイトピーがとても清楚です。


暑い日にはこうしたパサージュの中のキャフェがひんやりしていておすすめ。向こう側のグリーンも目に眩しいです。この小径Cour du Commerce St Andreは18世紀からの街並みと石畳を残す今では貴重な場所です。

■5月某日 晴れ
 買付けもいよいよロンドンでの二日を残すばかり。朝から荷物をまとめ、ユーロスターでロンドンへと向う。北駅まで向うタクシーは昨日予約してあるものの、膨大な荷物と共にレセプションに降りていくと、前回頼んだタクシーがなかなか現われず真っ青になった経緯をよく覚えていたレセプションのムッシュウは、私達同様ソワソワしてちょっぴり落ち着かない。前回は前の晩にタクシーを予約したはずなのに、レセプションの手違いで予約がされていなくて、危うくユーロスターに乗り遅れるところだったのだ。
 今日は大丈夫。無事時間通りにやってきたタクシーに乗り込み、ムッシュウに手を振ってお別れ。

 ユーロスターでたどり着いたロンドンはパリよりも少し肌寒い。が、あの暑かったパリを思うと少しほっとしてしまう。まずは駅からタクシーで今回初めて泊まるホテルへ向い、荷物を降ろして街へ出掛ける予定。
 いつも滞在しているグロスターロードのフラットにはここ十年以上、お世話になっているのだが、今回はロイヤルウエディング直後のためか、珍しく満室で予約出来なかったのだ。勝手知ったお馴染みのフラットに泊まることが出来ず残念だったが、今回はパディントン近くのアパートメントホテルに初めてトライすることになっている。楽しみにような、少し不安のような…。私と知り合う前に、長らくパディントンを常宿にしていた河村は、ヒースローからヒースローエキスプレス一本で移動出来るパディントンがお気に入り。グロスターロードから離れたことのない私は、他の場所はあまり気が進まない。

来年はオリンピックイヤー。そろそろ開催地ロンドンでも五輪マークが目につくようになってきました。でも、オリンピックがあると、観光客が多くなるだろうし、ホテルのレートも上がるだろうし、私達はあまり歓迎していません!

 さほど気が進まないままタクシーでたどり着いた先はサセックスガーデンズの緑道に面したグリーンの多い閑静な場所。さて、ホテルの中は?

 このアパートメントホテル、なんとどこにも看板が見当たらない!?同じ住所で別の名前の普通のホテルの中に作られたキッチン付きの部屋だったのだ。レセプションでカギを貰い、さほど期待することもなく部屋に向うと…もの凄く広い!!間違いなく私が今まで泊まったイギリスのホテルの中では最大の広さだろう。「アパートメントホテル」という名前から、いつも滞在しているグロスターロードのフラットのコンパクトなキチネットを想像していたのだが、実際は広い独立したキッチンが付いていて、電子レンジから冷蔵庫はもちろん食洗機にトースターやポット、コンロは4口もあって、割と高級感のあるシステムキッチンが付いている。肝心のお部屋の方は、ソファーとテーブルの置かれたリビングルームに、メゾネットになったベッドルームが付いていて、なんとも広々したゆったりとした雰囲気。「こ、こんな広い部屋イギリスでは初めてかも!?」と思わず興奮してしまった。

 思い起こせば、もう十数年前の昔、まだ駆け出しだった頃、「ここは仕置き部屋か?」というほど狭い部屋に泊まったこともあったのだ。持ってきたスーツケースを床に広げるスペースもなく、仕方なくいちいちベッドの上に載せて広げなくてはならなかった。そういえば、「窓のない部屋」というのもあったっけ。そんなことを思い出すと感無量。でも、同世代のアンティークディーラーは、皆に似たり寄ったりの部屋に泊まった経験があって、みんなで集った際に海外のホテルの話になると、それぞれのかつて泊まったことのある「悲惨な部屋自慢」になるのも可笑しい。ここは間違いなく「広大な部屋自慢〜イギリスの部〜」としてみんなに自慢出来そうだ。

 さて、ホテルにたどり着いた私達は、ソファの座り心地を試す間もなく、今日行っておかなければならないディーラーの元へ大急ぎで出掛ける。
 どうしても会っておかなければならなかったのは、アンティークモールの中にブースを持つレースのディーラー。そちらを任されているマダムから、次の日別な場所でレースを見せて貰うことになっていたのだが、いつもキッチリメールの返事を送ってくれるにもかかわらず、今回はこちらから送ったメールのレスポンスが無く、いったいどうしたものかと困っていたのだ。早速彼女に会いに行って、「メール見てくれた?何度も送ったのよ。」と訴える。どうやらメールは彼女のボスが管理しているらしく、「あら、ま〜、彼ったら困った人ね。」という反応の彼女。それでも「大丈夫。明日必ずあなたのリクエストを持って来るから。」と言ってくれて心強い。

 そんな用事を済ませていると、時刻はあっという間に夕方。流石にユーロスターに揺られて時差のある場所に移動しただけあって、私も河村もそろそろ疲労の度合いが濃くなってきた。ヨーロッパではこの季節、まだ真っ昼間の午後7時だが、私達は近くのスーパーでお買い物をして帰宅。ロンドンでよく食している電子レンジでチンする食材を買い込み、さっさホテルに戻った。

これがそのキッチンの一部。実際はもっともっと広いのです。もちろん食器や調理器具もすべて付いていて、今回は短い滞在なのが残念。

■5月某日 晴れ
 買付け最後の日にして、一番忙しい日。夜のフライトなので今日は終日お仕事。広々したホテルの部屋ともお別れ。時刻は午前6時過ぎ、荷物をレセプションに預け、タクシーに乗って買付け先へ。

 朝一番にいつも立ち寄るのは、親子のマダムふたりのジュエラー。もの凄く高価な物は無いかわりに、普段から着けやすいラインを揃えていて、私達のお気に入りのディーラーなのだ。そんな中、今日はなかなかの品揃えで、「あら素敵!」と思える物がいくつかある。なぜかいつも必ず彼女たちのストールから。ここにやって来ると、どんなに朝早くともスウィッチが“ON!”になる感じなのだ。
 まずはアメジストの連なるペンダント、アメジストの透明感が美しい。もうひとつはスターバーストのジュエリー、どちらもイギリスらしいアンティークジュエリーだ。そのふたつを手にして、次は午前7時ちょうどに開くストールに直行!

 顔馴染みのソーインググッズを扱うマダムは、私が顔を出すと、いつも頼む前から「ほら、これでしょ。これも素敵よ。」とでもいうように、ガラスケースの中の私が興味を持ちそうなソーイングツールを出してくれる。それからもうひとつ、ガサゴソとどこからか店頭にはまだ出していない紙包みが出てきた。それは繊細な彫刻のアイボリーのタティングシャトル。在庫にアイボリーの彫刻のシャトルを持っていなかった私は、すぐさまそれをキープ。店頭に出ていたべっ甲のシャトルも一応見せて貰うが、こちらは状態が悪く却下。常にべっ甲の物を探しているのだが、螺鈿のパーツが欠落していたり、べっ甲の縁が劣化していたり、ここ何年か、「これ!」と言った物に出会えずにいるのだ。そしてもうひとつ、今回は綺麗に縞の入った縞瑪瑙のかぎ針を。この縞瑪瑙のハンドルも、実用的な物だっただけに、欠けがあったり、カギの部分が劣化していたりして、なかなか状態の良い物と出会えないのだ。今日はふたつのアイテムを。どちらも手にすることが出来て嬉しい。

 ジュエラーの彼女は、この世界では「若手」の部類だったが、最近ではすっかりマダムの雰囲気。聞いてみたことはないが同年代かもしれない。フランス語も堪能で、度々フランスへも買付けに来ている彼女とは、パリでばったり顔を合わせることも多い。先日のパリのフェアでも偶然顔を合わせて挨拶をしたばかり。今日も「この前のフェアどうだった?」とお互いに尋ねあう。額に皺を寄せながら「う〜ん、なかなか難しいわよね。」と彼女。そんな世間話をしながらも彼女のガラスケースの中に目を走らせていると、お目当てのブツを発見。
 それは綺麗にグラデーションになったパールネックレス。こうしたパールネックレスは、当時も人気があったらしく、しばしば目にするのだが、パールの状態が悪かったり、留め金のクラスプに問題があったりして、なかなか状態の良い物は見つからない。買付けの度に探している物のひとつなのだが、目にすることはあっても、実際に買付けられる物と出会うのは僅か。今回出てきたそれは、パーツの粒も大きすぎず、かといって小さすぎず、しっとりしていて気品がある。アンティークのパールネックレスは豪華なダイヤ入りのクラスプも特徴で、目立たない場所だというのに、これにももちろんダイヤがはめ込まれている。見つけると、もう他の物は目に入らなくなった私は、すぐにケースから出して貰い、隅々までチェック。探していたパールネックレスが手に入って良かった、良かった。

 パレロワイヤルのテープメジャーは、年配の夫婦ふたりのディーラーから。マダムの趣味か、ソーイングツールを置いている彼らのケースを、毎度「ひょっとして何かないか!?」と目をこらして見てしまう私は、きっと人相悪く目だけキョロキョロしていることだろう。彼らからはたまに良い物が出るのだが、その頻度はさほど多い訳ではなく、今日もあまり期待をせず眺めていたのだが…「あらっ!」と見つけたテープメジャーを出して貰うと、「これはパレロワイヤルのよ。」とマダム。確かに言われてみればそうかも。こうしたソーイングツールはある時に仕入れなければそうそう頻繁に出会うことはない。「これも出会い。」とばかりに買付ける。

 ロンドンでもアンティークのジュエリーを扱うディーラーは何人もいるのだが、以前に仕入れたことのある安心感か、そのディーラーと好みが合うせいか、ついつい同じディーラーから仕入れることが多い。彼もそういたひとりで、ガラスケースに並んだ物はもちろんだが、「ねぇ、ニューストック見せて。」とお願いして、店頭に出ていないアイテムの山(!)を見せて貰うのを楽しみにしている。今日もタッパーウェアの中から、出てくる、出てくる。小さなビニールの小袋に入ったジュエリーを「いらない物」と「興味のある物」に選別し、さらにそこから「興味のある物」を小袋から出してまじまじチェックする。まだ誰も見ていないアイテムを見せて貰うのはアンティークディーラーの醍醐味。やはりそれだけ良い物が見られるのだ。今日出てきたのは、繊細なミルグレインとシードパールが印象的なオパールのリング、そしてアメジストとシトリンのダブルハートのブローチ。ダブルハートのブローチは在庫でひとつ持っているものの、また違った雰囲気でこれも欲しい。自分のガラスケースの中に、ダブルハートのブローチばかりを並べたシーンを想像して、どうしても欲しくなってしまうのだ。それからアール・ヌーボーのペンダント。ハートシェイプのアメジストが印象的なそれはとても美しいペンダント。「そうそう、こういうのが欲しかったのよ!」と独り言を言いながら選別した。

 同じくターコイズのはまった忘れな草のリングは、いつもヴィクトリアンのリングを譲って貰うマダムから。文字遊びのリガードリングやスミレを模したパンジーリングなど、ヴィクトリアンらしい可憐なリングが好みのマダムのケースの中には、何かしら私の目を惹くものが入っていることが多い。「今日もあった!」とちょっぴり興奮したのはターコイズの忘れな草リング。「これってヴィクトリアンらしいよね〜。」と思わず自問自答。酸化した石、さほど酸化しなかった石、ターコイズの色が揃っていないのも、かえって自然な忘れな草の雰囲気が良く出ているような気がする。

 いくつか好みのジュエリーが手には入り、すっかり気を良くしながら、次は昨日訪れたレースのディーラーの元へ。「あなたの好みの物を持ってくるわ。」と言っていた彼女のこと、さて今日は何が出るか…?
 まず最初に見せられたのは、薄いローン地にびっしり刺繍されたホワイトワークのショール。柄からいって19世紀前半だと思うのだが、その繊細さ、膨大なドロンワークの仕事の凄さを見ていると、頭がクラクラしてくるほど。「どうしてここまでやった?どうしてここまで出来た?」という感じの仕事振りなのだ。他にも18世紀のアランソンの凝った物が。一般的に、19世紀のアランソンよりも、それよりも古い18世紀のアランソンの方が、数多く流通しているのだが、その中でも見たことのないほど凝った秀逸な細工。「こんなアランソン見たこと無い。」と呟く私。どちらも高価なレースだが、「これは連れて帰らなければ!」とほとんど義務感のように手に入れる。

 もう一軒、古くからの知り合いのレースディーラーに会うと、マダムは私の顔を見て「これはどう?」と一点のレースをすすめてくれた。それというのは、ヴィクトリア女王もウエディングヴェールに使ったというイギリスのホニトンレース。そのホニトンで作った頭に着ける飾り、フォールキャップだった。通常のホニトンであれば、「ふ〜ん。」と通り過ぎるところだが、今までに見たこともないほど凝った細工のホニトンにしばし唖然。「お見逸れしました。」とばかり「こんなホニトンあるんだ〜。」とため息。しかも、ホニトンでフォールキャップという「製品」になっているのも珍しい。凝ったホニトンに目からウロコ、もちろんマダムに良くお礼を言って仕入れたことは言うまでもない。

 最後はやはりレースのディーラーの元へ。あらかじめアポイントを入れていたここでは、常に何か新しい発見がある。今日も、「イギリスの刺繍作家のコレクションだった。」というホワイトワークが次々出てきた。(ということは、その刺繍作家は最近亡くなったのかも?)小さなエシャワークのベビードレスもそのひとつ、ホワイトワークのパーツも沢山、まとまったコレクションの中から、さらに良い物だけを選ぶのは本当に贅沢な気がする。散々選び尽くした後、良い物が手に入った嬉しさから、「こんな良い物を譲ってくれてありがとう!」と思わずマダムに抱きついてしまった。

 今回の買付けはこれにて終了。長かったような短かったような、でも気に入った物が沢山手に入って充実感でいっぱい。「私も頑張るから、みんなも頑張って!」と思わずアンティークを譲って貰ったフランス、イギリスのアンティークディーラー達にエールを送りたくなってしまった。

イギリスはお花屋さんのお花よりも、なぜかお庭に咲くお花が印象に残っています。この季節はどのお庭にも薔薇の花が。


こちらは白薔薇。カラフルなお花も良いですが、建物の色に合っていて、白薔薇も良いですね。


飛行機の乗る前に時間があったこの日。隣駅、サウスケンジントンのミシュランビルまで散歩。お天気も良く気持ちの良いLovely Dayでした。

 ***今回も長々とつたない文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。***