〜ウィーン編〜

■2月某日 晴れ
 今日は今回のお楽しみ、いやずっと前から楽しみにしていたウィーンへ出掛ける。何年も前から、学生の頃に立ち寄ったことのある私は「また行ってみたい!」まだ行ったことのない河村は「一度行ってみたい!」とふたりして熱望していたウィーン行き。今回はちょうど時間がとれたことと、シーズンオフでパリーウィーン間の飛行機のチケットが安かったことから実現したのだ。今日は午前9時55分のフライト、「ということは2時間前の7時55分に空港に着いていなくては。」と思った私達は、早朝にホテルをチェックアウト。荷物の大半はパリのホテルに預け、例のガラスケースを包んだ段ボールには大きく“Fragaile(ワレモノ)”と書き込み、レセプションのムッシュウにも「これはワレモノだから注意してね!」とひと言。来たときと同じようにRERで空港へ向った。
 空港に着くとチェックインカウンターは何だかのんびりとした雰囲気。どうやらEU内であれば1時間前にチェックインすれば良いらしい。思い切り気合いを入れて早目にやって来た私達はちょっぴり気が抜ける。

 パリーウィーン間は小さな飛行機で。乗っている時間も2時間と短かいこともあり、なんだかまるで新幹線にでも乗っているかのようだった。ウィーン空港から市街地のウィーン・ミッテ駅までは直通電車でたった15分。ロンドンやパリに比べても空港からのアクセスは抜群に良い。今回ウィーンで泊まるのは街の中心シュテファン大聖堂のすぐ側、ウィーン・ミッテ駅からは地下鉄で向う。シュテファン大聖堂の前で河村と一緒に地図を広げていると、見ず知らずのおばあちゃんが英語で「大丈夫?」と声を掛けてくれた。「そうそう、ここの人達はみんな親切なんだった。」昔来たときにも、ウィーンでは沢山の人々に親切にされたことを思い出す。地図を頼りに予約してあるホテルに向う道すがら、見覚えのある場所にたどりついた。「ここ!ここ!ここに来たことある!!」学生の頃だからもう何十年も前になるのに、つい昨日のことのように思い出す。そのブティックの前で「そうそう、ここでお洋服を買ったんだ!どういう服だったかというと…。」と河村に興奮状態で訴える。目指すホテルはそのすぐ側だった。

 石畳の静かな道に面したそのホテルは、インターフォンに小さな看板があるだけのごく普通のアパートメント。迷うことなくベルを押すと、「そのままエントランスに入って、エレベーターで4階へどうぞ。」の女性の声が聞こえてきた。そのホテルはアパートメント内に5室を持つアパートメントホテル。「大きな部屋が空いているのでそちらへどうぞ。」と案内された部屋は、元々予約していたステュディオよりも広いリビングルームとベッドルームにキッチンとバスルーム、ウォークインクローゼットまで付いた日本の間取りで言えば2DK。リビングルームだけで優に30畳ぐらい、全部で50uはあったろうか。そのうえ天井までは4m程。「す、凄い!自宅よりも広いかも。」とふたりでたまげてしまった。アパートメントホテルだけあって、キッチンには調理道具や食器が、リビングにはアンティークの家具や絨毯、クローゼットにはアイロンや靴磨きまでも、すべての物が揃っているのにも感動。身ひとつでやって来てもすぐに生活が出来るようだ。今まで国内、国外を問わず数え切れないほどのホテルに泊まり歩いてきたが、広さと豪華さでは文句なくNO.1、パリの女中部屋から一気に出世したような気分だった。

シュテファン大聖堂はウィーンの旧市街の中心、ウィーンのランドマークでもあります。ただいま表側は工事中ですが、後側から見ても壮麗です。

シュテファン大聖堂から歩いて3分ほど。街の中心だというのに、閑静な石畳の小径にそのホテルはありました。


ホテルの玄関は、一見まったく普通のアパートメント。ここにたどり着き、「えっ?」と一瞬びっくり。最初は右側のベルを押して施錠を開けて貰い、中へ入ります。


エントランスの中はこんな感じ。床のモザイクの「1882」がこの建物が19世紀末に建てられたことを示しています。


ウィーンの我が家へどうぞ!ドアを開けるとまずはキッチンです。カウンター付きのシステムキッチンは真っ白で綺麗。画像には写っていませんが、向こう側の壁には家具調冷蔵庫(そんな物があるなんて初めて知りました。)が設置されています。


広いリビングには私も河村もそれぞれが横になれるほどの大きなソファ。他にもアンティークのテーブルと椅子、アンティークのサイドボード二つ、その中にはアンティークの食器、そしてアンティークのデスク。これだけあって、さらにグランドピアノが置けるほどの広さがありました。ゴミを捨てにキッチンに行くのも「と、とおい…。」


ベッドルームも白を基調としていてグレイのトワル・ド・ジュイがシック。こちらの部屋にもアンティークのドレッシングテーブルやワードローブ。家具がみんなアンティークということは…ヨーロッパでは長く大事に家具を使うのですね。

 今日はまずウィーンの街に慣れるため旧市街のリングの中を散策。今回は滞在中にオペラ座と楽友会館へ、それぞれオペラとコンサートに行くため、日本からインターネットでチケットを予約している。その予約のプリントアウトを実際のチケットに替えるため、オペラ座と楽友会館へ。どちらへもホテルから散歩がてら歩いて行ける距離。ウィーン一の繁華街ケルントナー通りをブラブラしながらオペラ座へと向う。オペラ座でも楽友会館でもそうした外国人客に慣れているらしく、拍子抜けするほど簡単にチケットに替えることが出来た。今日は飛行機の乗ったり、新たなホテルにチェックインしたり、そしてこのようにチケットに替えたり、すべてスムーズにいき少し肩の荷が下りる。

 本来ならドイツ語が公用語のオーストリアだが、ここウィーンではイギリスと同じように、いや私の人並み以下の英語力をもってすれば、なぜかイギリスにいる時よりも英語が通じて嬉しい。ウィーンに到着し、案内板の見慣れないドイツ語にドギマギしたが、私のダメダメな片言のドイツ語よりも、英語で話した方が「まだマシ」のようだ。「簡単なドイツ語を覚えて帰ろう!」と意気込んできたものの、どうもこのまま終ってしまいそう。

 2月の平均気温は2℃ということで心配していたウィーン寒さだったが、今日は10℃。パリも暖かかったが、それを上回る暖かさ。ブラブラ町歩きをするのには一番ありがたい。ユーゲントシュティールの建築家ヴァーグナーの建物を見にカールスプラッツへ行ったり、明日の下見(?)に夕暮れのオペラ座のキャフェで一服したり、ウィーンの街が新鮮で、私も河村もウキウキしながら歩く。今回何より気に入ったのが、ウィーンの街の清潔さ、治安の良さ。「これだからゲルマン系の国って良いよね〜。」パリの街は大好きだけど、そのパリと比べると感動的なクリーンさなのだ!

 夜は広い自宅でゆっくり。パリから持ってきたスピーカーで「ウィーンはやっぱりモーツァルトだよねぇ?」と河村お気に入りのモーツァルトを聴いた。このホテルのすぐ裏手がモーツァルトが「フィガロの結婚」を書いたフィガロハウスなのだ。

大昔、ウィーンへの旅はこのヴァーグナーの建築を見るのが目的でした。当時、若かった私はいつも本で見ている現物を目の当たりにし大いに感激したのですが、何十年もたった今、「この時代の建築ならギマールの方が良いかも。」とクールな自分を発見。

旧市街のリングの周りはぐるりとトラムが運行。今回は事前に三日間のパスを購入、どこからでも乗れてとっても便利!これにさえ乗ればどこへでも行けますよ。


ウィーン国立歌劇場ことオペラ座は、第二次世界大戦中に戦災に遭い1955年に再建。ウィーンフィルを母体にし、50のオペラとバレエが約300日間にわたって上演されるという世界でもっとも稼働率の高い劇場としても知られています。


ウィーンのアイドルといえばモーツァルトと、そしてこの人。ウィーン中にシシィをモチーフにしたお土産物を目にしました。今回は王宮にあるシシィ博物館へは行けませんでしたが、次回は行きたいな。


ウィーンの街角でこんな春を発見!まだ寒い2月の花屋さんの店先にはもうすずらんの鉢植えが。


ウィーンといえば、デメルやザッハーをはじめとするお菓子でも有名です。街中で沢山のお菓子のウィンドウを目にしました。ここのチョコも美味しそう!

■2月某日 晴れ
 今日は美術館三昧の日。今回の目的の大きなひとつ美術史美術館へ行ったり、クリムトを見に行く予定。部屋のキッチンで朝食を食べ、すぐに外へ出掛ける。旧市街の外周リングまではホテルからすぐ。リングまで歩き、そこからはトラムで。美術史美術館まではあっという間だ。

 ウィーン美術史美術館はその名の通り、エジプト美術からギリシャ・ローマ美術を経て、中世、ルネサンス、バロック、ロココと綿々と続く美術史の世界を時代ごとに追って鑑賞できる構成になっている。また、それとは別にブリューゲルやルーベンス、王女マルガリータを描いたベラスケスの一連のコレクションが有名だ。だが、私のお目当ては北欧ルネサンスのクラナッハのコレクションとたった一枚あるフェルメールの絵画、そしてレンブラントの晩年の自画像。

 心踊らせながら美術館へは足を踏み入れると、まずその建物の豪華さに圧倒され、大理石や金彩の装飾一つ一つに目が奪われてなかなか展示室へ到達することが出来ない。私も河村も巨大な天井画を見上げポカーンと口を開けるばかり。フランスやイギリスの美術館は見慣れているけど、ここまで壮麗ではない。思わず「ハプスブルグ帝国恐るべし!」とか「流石神聖ローマ帝国!」などと口走りながら展示室へ。
 思えばその昔、学生時代に訪れた時には、ただひたすら絵が見たいばかりで、展示室までの道のりが遠かったことだけしか記憶がない。「早く、早く!」と焦る気持ちを抑えながら展示室に向かったことを思い出し、そんな若かった自分がおかしくなる。

 館内案内のパンフレットを手にお目当てのクラナッハにたどり着き、「あら、お久しぶり。」と心の中で呼びかけてみる。描かれたヴィーナスの「いかにも悪女」といった蠱惑的な感じがたまらない。
 いちめんにルーベンスの大作が掛けられている部屋。ルーベンスといえば、ベルギーのアントウェルペン(アントワープ)の大聖堂で何度も見ている祭壇画にそっくり!「あれ!?同じ絵?」と思って河村に尋ねると、自分のカメラを操作して以前アントウェルペンで撮影した画像を探し出してくれた。う〜ん、そっくりだけどちょっと違う。きっとルーベンスは当時大人気で、その工房にはお金持ちの教会からヨーロッパ中の王室まであちこちから祭壇画の注文があったに違いない。ただ、私はルーベンスのボリューム感のある肉惑的な女性達がちょっと苦手。ルーベンスの描く子供達はエンジェルのように可愛いのだが。

 ただ一枚のフェルメールの絵は、その静謐な雰囲気と同様にあまりにも静かな場所にあったため、もう少しで見落として帰ってしまうところだった。メインの展示室から離れたそこには何の人影もなく、絵の前でじっくり見入ってしまった。こんな絵をたったひとりで長い時間鑑賞出来るなんて、なんと贅沢なことだろうか。日本だったら考えられないし、独り占め出来て嬉しい反面「こんなに素晴らしいのになんでみんな見に来ない?」と納得のいかない思いも。フェルメールの絵を見ているとその時代の音楽が聞こえてくるような気がする。その時代の空気感を感じるのだ。
 レンブラントの晩年の自画像も見たかった絵のひとつ。沢山の自画像を残しているレンブラントだが、私は日頃イギリスのナショナルギャラリーにあるレンブラント最晩年の自画像を贔屓にしていて、それと見比べたかったのだ。ここの自画像も良いのだが、私はやっぱりナショナルギャラリーの自画像に軍配を。あの絵は晩年のレンブラントだけが持つ円熟味と味わいが凝縮されているように思えるのだ。

 じっくり絵を堪能した後は、楽しみにしていた美術館のキャフェで昼食。何しろここはハプスブルグ王家のために作られた空間。ここより贅沢な空間のキャフェはそうそうないのだ。ちょっぴり奮発して(とはいっても20ユーロ)注文したヴィーナーシュニッツェル(ウィーン風子牛のカツレツ)が美味しかった。今回は「音楽と美術を楽しむ旅」だったので、残念ながら「レストランで美食を楽しむ時間」はナシ。でもここのシュニッツェルで十分満足した私達だった。

美術史美術館のすぐ側、ブルク公園にはここウィーンのアイドルモーツァルト像が。何百年たってもこんな人気者のモーツァルトなのに、正確なお墓が分からないなんてなんだか淋しいですね。

こちらは美術史美術館と自然史美術館にはさまれるように立つマリア・テレジア像。この像が巨大であるせいか、それとも16人(!)もの子持ちだった事が頭に浮かぶせいか、どうしても「肝っ玉母さん」という印象が否めません。


こちらが美術史美術館。表側はさほどですが、中に入るとこれがもう凄いのです!(笑)


美術館へ足を踏み入れると、まずは床の美しい大理石のモザイクに心奪われます。美しい大理石の柱、高い天井にも繊細な彫刻がびっしり!


入口からすぐ正面が大階段。踊り場には彫刻、天井や壁には金彩と彫刻、天井には大きな壁画。絵を見る前に見どころがいっぱいあり過ぎて、既に疲れてしまいました。


ローマ時代の彫刻群の部屋。一点一点スポットが当たり、まるで実際にその人が生きているかのようです。こうした展示方法も興味深いです。


アンティーク好きだったら、このカメオとインタリオの部屋には魅了されるはず。この鷲柄のカメオは男性用?それとも何か儀式用でしょうか?その大きなことといったら…。

インタリオのコレクションも膨大です。一点一点、下の拡大画像と見比べることが出来るように展示されています。シールのお好きな方にはたまらないかも。


このカメオも確か巨大だったはず。「彫刻」としては小さいけれど、こうした繊細で緻密なストーンカメオは一級の美術品ですね。


こちらはルーベンスの部屋。絵の色調に合わせてオレンジの壁が美しく、コレクションもまとまって見えます。中央の大きな絵が、アントウェルペンの大聖堂で見た物とそっくりな祭壇画です。


こちらはベラスケスの王女マルガリータ三連作。右から8歳、5歳、3歳のマルガリータ。スペイン王家からウィーンのハプスブルグ家へお輿入れが決まっていた彼女の成長記録とでもいいましょうか。この部屋も3歳のマルガリータ「薔薇色の衣装のマルガリータ王女」のドレスの色に合わせて薔薇色の壁になっています。


二階のキャフェから一階のエントランスを見下ろしたところ。大理石の模様が見事です。すべて石造りの床に、絵を見終わると足腰が…。若かった時にはそんなことは思いもしませんでした。(笑)

 

 今晩はずっと楽しみにしていたオペラの夕べ。夕方一度ホテルに戻ってから、簡単な食事をしてオペラ座へはまたトラムに乗って。簡単な食事とは近所のスーパーで調達してきた「レンジでチン」するシュッテル入りのシチュー(?)のような物。恐る恐る食べてみると、これがなかなかいける味で二晩連続して食べてしまった。キッチンには、電子レンジはもちろん、レンジも、コーヒーメーカーも、鍋釜一式、食器だってカトラリーだって、なんでも付いていて、すぐにでも生活出来る仕様なのだ。食事を済ませて精一杯のドレスアップをして、いざオペラ座へ!

 夕刻のオペラ座は、昼間と違ってシャンデリアが煌き、華やかな空気に溢れている。「そうそう、これが味わいたかったんだ!」とウキウキする私。学生の頃、ウィーンに滞在中は毎日早い時間から並んで立ち見で見ていたのだ。あの当時立ち見席は日本円で\200ほど。今はいくらほどするのだろう?あまりの安さに感激し、そして初めて目にするオペラに「これって総合芸術なんだ!」と感動し、毎日違う演目が上演されるのに驚きながらオペラ座に通ったのだった。学生でしかもバックパックの旅行中の身ゆえ、お洒落なんてして行かれなかったが、華やかな空間の幕間のビュッフェでイブニングドレス姿のマダム達に目が釘ずけになり、「ああ、これって大人の世界…。」と強く思ったのをよく覚えている。
 クロークでコートを預け、いざ客席へ!流石にここに来ているのは大人ばかり。だが、入った瞬間、立ち見席に既にぎっしり並んで「何が起こるんだろう?」と眼をキラキラさせている若者達の姿を見て、何十年か前の自分の姿を発見したようだった。

 今日の演目は「ロメオ&ジュリエット」、よく知られたストーリーではあるが、日本を立つ前にインターネットで調べてしっかり予習してある。最近、パリのオペラやバレエは現代的な演出が多く、衣装も舞台美術もごくシンプルな現代風で、こってり豪華な衣装の見たい私には物足りない。果たしてここウィーンはどうなのだろうか?
 今回パソコンの画面で迷いに迷った座席は一階の一番後ろだが、すぐ横は通路という場所。一番後ろだが、オーケストラを指揮している様子が見えて興味深い。舞台は厳かな雰囲気で人々が両家の争いのために犠牲になったロメオとジュリエットを歌う大合唱から始まった。薄い紗の幕が開き、現代風の衣装をつけた全員の姿があらわになった。様々な深い赤の衣装の色合いが美しい。どうやらこの舞台は臙脂に近い赤が基調になっているようだ。現代的な演出に戸惑うところもあったものの、音楽と舞台美術、そして衣装、十分に堪能した濃い時間だった。オペラが初めての河村も感動の面持ち。そうそう、河村にもずっと以前から一度オペラを見せたいと思っていたのだった。こんな豪華な時間の過ごし方って他にあるだろうか。

 オペラの後は夜の散歩をしながらホテルまで歩く。夜遅い時間でもなんの心配もなく散歩出来るのも治安の良いウィーンならでは。夜のウィンドウを覗きながらウィーンの街並みを楽しんだ。

こちらは正面大階段。階段を上る人々からも心なしかワクワクしている心情が伝わってきます。

エントランスの吹き抜け。沢山の彫像が並んだロビーは1955年の再建とはいえやっぱり豪華です。


桟敷席はオペラ座ならでは。こうしたバルコンもなんだか秘密っぽくて良いですね。


幕間はゴージャスなサロンでワインを。昔に比べるとずいぶん観客のスタイルもカジュアルになった印象。昔は女性はみんなイブニングだったのになぁ。ちょっぴり淋しい気がします。


オペラ座の側にみつけた紳士服のお店。オペラ、コンサート、ダンス、様々な需要があるからでしょうね。ウィーンではこうした燕尾服のオーダーのお店を沢山見かけました。

■2月某日 晴れ
 ウィーンという街ほど観光客にとって心地良い街はないかもしれない。まず人々が誰でも英語を解するのに驚かされる。片言の英語が出来ればさほど困る事は無いはず。(私など、情けないことに結局ダンケ以外ロクにドイツ語を覚える事なく終ってしまった。)そして誰もが親切。今回も私と河村が頭を寄せ合って地図を広げていると、誰彼構わず「大丈夫?分かる?」と英語で声をかけられる。今朝もドナウ川沿いのリンクをトラムに乗っていた時の事。皇帝の名前を付けた“Franz Joseph KAI”の地名を示す標識を眺めながら、“KAI”が何の意味か分からずまたもや地図を広げながら、「あーだ。」「こーだ。」と言い合っていた時の事。後ろの座席にいたおじいさんに「大丈夫? 」と英語で声をかけられ、「ありがとう、大丈夫です。」と返事をした後、思いたって「KAIカイってどういう意味ですか?」と尋ねると、「KAIは河岸の事。CANALと同じ意味だよ。」とにこやかに答えが返ってきた。河村と「そうか!フランス語のQUEケと同じ意味ね。」と納得。
 そういえばその昔、道を尋ねたマダムが大学生だった私の手を引いて目的地まで連れて行ってくれたっけ。イタリアだったら下心いっぱいの男性が連れて行ってくれるかもしれないけれど(しかも行き先は間違っている事が多い。)、他の土地でそのような体験は未だかつてない。そしてもうひとつは街中が非常に安全で、しかも清潔だという事。「やっぱりゲルマン系の国はいいわぁ。」と思わずにはいられない。

  昨日の美術館三昧から一転、今朝は街中でまったり過ごす事に。朝からデメルでゆっくりブランチ。日本にも入っているデメルは1786年創業、流石歴史を誇るだけあって、アンティークの什器や照明が魅力的な重厚な雰囲気。サロンもゆったりと大人しか立ち入る事の出来ない空気が漂っている。が、それにもかかわらず、けっして高い訳ではなく、パリの高級なキャフェやサロン・ド・テに比べるととてもリーズナブルだ。

 表側のブティックを通り過ぎ、奥のサロンへ。落ち着いたサロンには、初老のマダムや、仕事前の「いかにも自営業」といった感じのお洒落なビジネスマンなど、これまた大人ばかり。そんな空間に身を委ね、私達がチョイスした朝食は、たっぷりのバターとマーマレードの瓶が添えられた食べきれないほどの様々な種類のパンが盛られたバスケットに生搾りのオレンジジュース、皮を剥いた熱々で絶妙な柔らかさのゆで卵二つを綺麗なボール盛ったもの(これはスプーンで食する。)、そしてコーヒー。普段一度に二個のゆで卵を食べることなどない私は、「こんなに食べられるかしら?」などと言っていたのに、ゆっくり食べ進むうちに、ペロリと全部食べてしまった。何よりも感激したのが、お給仕をしてくれたウェイトレスの女の子がとても気が利いていて、働き者だったことと、どれも美味しかった事、そしてパリに比べるととても安かった事。本当にここウィーンは物価も安くて、きっと実際に住んでみても住み良いに違いない。

 大満足の朝食を済ませると、今日は懸案のアンティーク探しを。既に街で見ていくつか目星をつけておいたアンティーク屋を周り、その後国営のオークションハウス、ドロテウムへ行く予定。今までウィーンに立ち寄った事のある知人のアンティークディーラー達は決まって「ウィーンは何にもないよ。」と言っていたが、一度自分の眼で確かめないと気が済まないのだ。ドロテウムは他の競売所と違ってその場で買う事の出来るフロアもあるらしく、運が良ければ何か仕入れられるかも?と少しの期待を持ってやって来たのだ。

 まず街のアンティーク屋では、「あ!これ良いかも。」とウィンドウで見て中に入って(しかも中に入るのにはいちいちベルを押して施錠を開けてもらわなければならない。)、ドイツ語の出来ない私達は英語で尋ねて…。でも、聞くジュエリー 、聞くジュエリー、ベラボーなお値段でただただびっくりするばかり。通貨はフランスと同じユーロなのだが、想定している値段の何倍もの金額を言われ、その度に「げっ!」と絶句、「ゴメンナサイ。」とすぐさま退散してしまった。

 次に向かったドロテウムは石造りの巨大で壮麗な建物。天井が高いため、玄関のドアを開けるにも、あまりのドアの重さに一苦労。ここはヨーロッパの習慣通り、すべてのドアを河村に開けさせる。ドロテウムは巨大な質屋のようなものとでも言ったら良いだろうか。アンティークのガラスや陶磁器、家具、そして膨大な数の現代物のジュエリーが値段を付けられて展示されている。なかなかお目当ての物にたどり着けず、「もう何も無いのかも?」と思い始めたところ、アンティークジュエリーの並んだ部屋へ到着。プライスカードらしき物を見ると私達にとっての現実的なお値段。すかさず頭は「お仕事モード」になって、真剣に身始めると、私好みの可愛い系のジュエリーもいくつか出て来た。「これ良いかも!」と思い始めた瞬間、実はそこに展示されているジュエリーは数日後に行われるオークションのプレビューだった事に気付いた。
 私達がお値段だと信じていたものは、実はオークションの開始金額。つまり「そこから始まります。」というオークション開始のお値段。「そうだよねぇ、安いはずだよねぇ。」と呆れて自分に言い聞かせていると、河村が「誰も落とさなかったらそれで落ちるっていう事でしょ?」とヤル気の発言。チョットあなた、ドイツ語で数字言えたっけ?(オークションは数字が命、その国の数字が理解できなければオハナシにならないのだ。)結局、オークション当日はパリに戻った後なので、どちらにしても縁が無かったのだが。

 広いドロテウムの中をさまよった後は、ユーゲントシュティールの建築家ヴァーグナーの建築を見にリングの外へ。途中、クリムトの壁画ベートーベンフリーズで有名な分離派美術館へ寄る。黄金のキャベツ(本当はキャベツではなく月桂樹)がのっかったようなこの建物も、19世紀末の時代をよく表している建物だ。
 ただ、若かった頃は感動の面持ちで見たこの建物もベートーベンフリーズも、歳を取った今見ると、「こんなものだっけ?」と冷静な私。あの頃は海外に出る事自体が、そうそう無い事だったので、実際にその土地でそのものを見るだけで感動していたような気がする。後で見たヴァーグナーの建物もそれにしかり。ゴールドで装飾されたアパルトマンと華やかなマジョリカタイルが貼られたアパルトマン、どちらも美術書で常々見ていた学生時代の私は、「その場所に自分がいる!」と思っただけで胸がいっぱいになったものだったが、現在の二つの建物は一階の店舗も空き家になっていたり、長年の汚れが建物を蝕んでいて、決して手入れが行き届いている訳では無い。「何だか昔の方が綺麗だったけどなぁ。」と思いながらも写真だけは沢山撮った。

 帰り道、分離派美術の近くの市場ナッシュマルクトへ。全然期待せずに立ち寄ったここが以外と面白かった。肉を主に食べているヨーロッパでは珍しく魚屋が充実していて、小澤征爾がウィーンにいた頃はよくここに魚を買いに来ていた、というのも納得できる。日本の食材、中華食材、イタリアンの材料や、様々なスパイス、ここには無い食材が無い。見たことの無い野菜や食材が溢れていて、しかも食材の店と一緒にそれぞれの食材を使ったレストランも並んでいて、その場で食べることも出来るのだ。何軒ものオリエンタルな食材を扱う店を見て、「これならウィーンに住んでも全然困らないね。」などと言い合う。こうしたオリエンタルな食材も、パリやロンドンに比べると決して特別なものではないように思えた。

ここがドナウ河岸“Franz Joseph KAI”です。向こうに見えるのは映画「第三の男」で有名なプラーター公園の大観覧車。

パリの市庁舎前と同じように、ここウィーンにも市庁舎前は特設スケートリンクが。平日にもかかわらず大人も子供も楽しんでいました。


市庁舎の前でトラムを降り王宮へ。王宮を横切った向こうが古い店舗が点在する旧市街です。


シシィ博物館を越えて旧市街へ。まるでレースのように繊細なアイアンの飾りが印象的でした。


デメルの店内はそれ自体がアンティークのようでした。シャンデリアもお菓子の入ったガラスケースも素敵!


黄金のキヤベツが天井にのった分離派美術館は1898年の建築。当時はさぞ斬新だったことでしょう。100年以上経った今でもその思想は伝わってきます。


左がマジョリカハウス、右がメダイヨンハウス、どちらも世紀末のヴァーグナーの建築です。マジョリカハウスはマジョリカタイルの花模様が鮮やか、メダイヨンハウスはゴールドのメダル形の装飾が壁面を覆っています。


ナッシュマルクトはこの通り野菜も豊富。八百屋さんには見知った野菜、見たこともない野菜、新鮮な野菜がいっぱい並んでいました。


お総菜屋さんには様々な前菜が!どれも皆美味しそうです。ワインに合いそう。


見た瞬間、一瞬「え?トウフ!?」と目をパチクリしましたが、実はチーズ。モツァレラチーズのようなフレッシュチーズのようです。ね、お豆腐のようでしょう?


数え切れないほどの種類のスパイスが並んだスパイスの専門店。このスパイスの種類を見るかぎり、オーストリアの家庭料理はきっと美味しいはず。

 さて、ホテルに行ったん戻り、昨日と同様に簡単な夕食を済ませ、着替えをして、今晩は楽友協会のコンサートへ。楽友協会といえば、ウィーンフィルの本拠地でもあり、クラシックの世界では最高峰の格式を持ったホールとして知られている。ただ、今日はなぜか誰が出演するのか指揮者も知らされておらず、「オーストリア・中国国交40周年記念ガラコンサート」と銘打たれているのみ。全席自由席というのもけげんな気がすれば、25ユーロ(約\2700ぐらい)という料金も安過ぎる気がする。おまけに、チケットをボックスオフィスで発券してもらう際に「この日のプログラムは何ですか?」と聞いたのだが、「こちらでは分かりません。」の一点張り。他の日はすべてのプログラムが公表されているのに、一体なぜ?

 自由席という事で少し早めに楽友協会に行ってみると、まだホールの中へは入れず、ロビーでほかの大勢の観客と一緒に待っていると…皆華やかに着飾っているのだが、我先に良い席を取ろうと、気ばかり焦っているのがよく分かる。
 ようやくゲートが開き、いっせいに階段を登って客席へ。私達が押さえた席は中央の真ん中当たり。シートに座るやいなや、周りの装飾や豪華な天井画をカメラで撮りまくる。いちめんを金で装飾されたここは本当に豪華、ブルーを基調とした天井画とのコントラストも美しい。お正月にテレビで中継されたウィーンフィルのニューイヤーコンサートを思い出し、そんな周囲のゴージャスな雰囲気に酔っていると…舞台の上に中国の銅鑼と同じく中国の何台かの大きな太鼓。その時点で「ん?」と思ったのだが。

 開演時間になり、主催者(?)の中国人の挨拶の後(主催者の挨拶は中国語、通訳はドイツ語だから、何のことやらサッパリ分からない。)、舞台にゾロゾロ出て来たのはなんと沢山の小学生!!「え?どういうこと!?」と唖然としていると、しかも通常のオーケストラではなく、中国古来の楽器二胡などを弦楽器とする特殊な編成のオーケストラ。どうやら中国特有の編成らしく、演奏されるのも絶対に中国の作曲家が作曲したと思われるやたらと景気の良い賑やかな音楽ばかり。中国のシンバル(?)がジャンジャン鳴り響き、トランペットとは違う中国の「ラッパ」という感じの金管楽器が騒々しい。小声で隣の河村に「これって絶対共産党員の作曲家が作曲したんだよ。だからこんなに景気が良くて騒々しいんだ!」とつぶやく。周囲の観客もまさかこんな演奏を聞かされるとは思っていなかったのだろう、皆固まっている。隣の席の全身シャネルでおめかししたマダムと途中で目が合い、二人して力なくうなだれながら微笑みを交わしてしまった。こんな小学生のオーケストラ(?)が次から次へと登場し、ノリはまるでクラブ活動か学芸会。楽しみにしていたコンサートはほとんど「苦行」と化してきた。周りの席では人がどんどん立ち去り始め、いつしか席はガラガラに。最後の最後に中国の音楽大学のごく普通のオーケストラ(?)が登場した時には「これで少しはマトモなものが聞ける。」とほっとしてしまった。

 散々でびっくりなコンサートを終えて、なんとも言えない気持ちのまま今日も徒歩で帰宅。「また今度来て、ここで絶対にちゃんとした音楽を聞こう!」と河村とふたり固く決意した。それにしてもとんでもないコンサートだった。
ウィーン最終日。今日は午後の飛行機でパリに戻ることになっている。広かったホテルの部屋ともお別れ。束の間の休暇と永久にお別れのような気がして寂しい。朝、ホテルのレセプションに荷物を預けフライトの時間まで街に出ることに。

夜のライトアップされた楽友協会へ向う気分は、さしずめシンデレラでしょうか。華やかな舞踏会が待っているようなワクワクした気分です。


こちらが楽友協会の中で一番大きいホール「黄金のホール」です。金箔がいちめんに張られた壁面と鮮やかな天井画のコントラストがなんとも華やか。

■2月某日 晴れ
 昨日のデメルのブランチに気を良くした私達は、デメルと並ぶウィーンのもうひとつザッハーへ。ホテル・ザッハーに併設されたここは、デメルと比べると高級感がある。クロークにコートを預け、シシィの肖像画の飾られたサロンへ通されるとまだ早い時間だったこともあり、誰もいなかった。静かなサロンで昼前から前菜と白ワインの軽い食事。こうした優雅な時間が過ごせるのもウィーンならでは。ここウィーンは「古き佳き時代」という言葉がぴったりのエレガントで落ち着いた大人の街だった。

ザッハーホテルに併設されたカフェ・ザッハーは「貴婦人の空間」といったところ。クロークにコートを預けるのもちょっぴり貴婦人になった気分です。もっともチップも必要ですが…。

 今日は残り少ない時間でオペラ博物館と「世界で一番豪華な図書館」と言われている国立図書館、そして最後に応用美術館へ行くことに。ザッハーからもすぐのオペラ博物館は、順を追ってオペラ座の歴史をたどったり、古い舞台衣装を見ることが出来る。もちろんその年表を追っていくと小澤征爾も写真付きで紹介されていて、「あぁ、小澤征爾が音楽監督をしていた時代にオペラに行きたかったね。」と話し合う。第二次世界大戦の折にはドイツ側だったオーストリアは連合軍の爆撃を受けてオペラ座も大破し、苦難の時代を経てまた蘇ったその様子を写真で眺め感慨深い。でも、何万着という舞台衣装がすべて灰になってしまったなんて、なんと残念なことだろう。

 オペラ座周辺から王宮の中を横切り、国立図書館へ。河村に連れていかれるまま、さほど期待もせずに行ったここが凄かったのだ!現在は国立図書館となっているが、元々はハプスブルグ家の帝室図書館。広い階段を登りたどり着くと…天井までは20mほど、二階建てのまるで体育館のように広い空間が広がっている。しかも、大理石でこってりと装飾された壁、金彩と天井画の天井、思わず口をあんぐり開けて見上げてしまった。その壁には革で装丁された書籍がびっしり並んでいる。その数20万冊というから、想像もつかない。しかも当時は今と違って本は一般の人が買えるような物ではなく、非常に高価。まさに王様のための図書館なのだ。その富ときたら!またもやここでも「ハプスブルグ帝国恐るべし!」と口についてしまう。隅々を感動の面持ちで眺め、ただただその豪華さにびっくりした。

 最後に向かった先は、応用美術館。昔ウィーンにやって来たのは、ここでウィーン工房の作品を見るのが大きな目的だったため、思い出深い美術館だ。当時は、トーネットの椅子に憧れ、ウィーン工房のアール・デコの家具やガラスに惹かれたものだったが、すっかり大人になった今ではどう思うのだろうか。ホテルからも歩いて行くことの出来る一番近い美術館だったため、後回しになってしまったが、エントランスを入ると、あの頃の私がひとりでルンルンと石の階段を登っていたことが思い出されて懐かしい。トーネットの椅子も、ウィーン工房の作品もそのままで、「そうそう、こういうが好きだったんだ!」とひとりごとを言いながら静かな展示室を歩く。あの当時と同じく、この美術館も閑散としていて、自分の足音が響く。
 懐かしい思いで館内を回っていると、繊細なグラヴィールのグラスのコレクションと古いレースの展示室に出た。「あれ?こんな物あったかしら?」あれはまだ学生の頃だから古い物は好きでもアンティークが身近にあった訳でもなかった。このレースのコレクションは見落としていたのだろうか、まったく記憶がない。もっとも、今だからこそこのコレクションの素晴らしさもよく分かる。ここには19世紀のレースは一切なく、あるのは18世紀とそれ以前の物だけ。本当に古いレースだけなのだ。17世紀のイタリアンレース、その後のポワン・ド・フランス、同時代の古いベルギーレース、本の中でも見たことのないような複雑な手法のレースに「ちょっと!これ見て!!」とか「これ、凄過ぎる!」とか、展示室の中を何度も何度もグルグルしてしまった。これも元は王室のコレクションだったのだろうか。街中でもドロテウムでも一切アンティークレースを見なかっただけに、驚きも大きい。決して数は多くないが、どれも質の高いレースばかり。このコレクションを見るためにもまたウィーンに行ってみたい。

 その夕刻、ウィーン空港から慣れ親しんだパリへ。ウィーンでは十分楽しんだものの、まだ他にも行きたい場所、したい事がいっぱいある。パリから行く要領も分かった事だし、また直ぐにでも行ってみたい。今回のウィーンの旅は前回から数えるとなんと22年振り。にもかかわらず、街の雰囲気は当時と同じ優雅でエレガントなまま、何か自分のルーツをたどったような、自分再発見の旅だった。

足を踏み入れた国立図書館は、「世界で最も豪華な図書館」とうたわれるように、その豪華さに呆気にとられ、ただただ口を開けて見上げてしまいました。これぞ「ハプスブルグ帝国恐るべし!」です。どうぞ画像をご覧下さい。






***舞台は最後のロンドンへ***