〜前 編〜

■9月某日 晴れ
 今回の買付けは、いつも使っている大韓航空のチケットが取れず初めてのフィンエアことフィンランド航空で。「ヘルシンキ空港の免税店でムーミンを買うんだ!」などと言っていたもののどうなることやら。まず、中部国際空港からの出発時間が午前11時台のため、いつもより2時間近く遅い出発に少しのんびりと自宅を出る。(いつもの大韓航空だと午前9時発なので、自宅を午前6時半に出発しなければならない。)

 フィンエアは日本からヨーロッパへの最短便であるというのが触れ込みだが、今回ヘルシンキに着いてから次のロンドン便に乗るまでの時間はたった50分。以前、長年お付き合いのある旅行社の女性に「サカザキさん、フィンエアは待合い時間が短いので、ロストバゲージが凄く多いんですよ!ひと便遅らせた方が安全ですよ。」と言われたことを思いだし、今回は予約の際にひと便遅らせて2時間半後の便に決めたのだった。今回イギリスには一泊、その後フランスに二泊、その後はベルギーに行ってしまうスケジュールのため、一旦ロストバゲージに遭うと、今度はどこで荷物を受け取ることが出来るか分からないためだ。なので、せっかくの「最速」も今回はナシ。ロンドンには夕刻7時に着く予定。
 今日のヘルシンキは天気が悪く、どんよりした空が冬のロンドンを思わせる。「この薄ら寒い感じが何だかロンドンみたい。」と思っていると、実際に外の気温は8℃だった。やっぱり北欧って寒いんだ!

 確かに乗り継ぎのヘルシンキまでは早かったが、このヘルシンキ空港ときたら地方空港のような小ささ。楽しみにしていた免税のムーミンやマリメッコの専門店も「たったこれっぽっち?」という感じ。パリのシャルル・ド・ゴール空港やソウルのインチョン空港のブランドショップが「これでもか!」と建ち並ぶ空港に慣れた私達には寂しいかぎり。(といってもブランド物を買う訳では無いのだが…。)さっさと次のゲートに向いひたすらベンチでおとなしく待つ。私達が名古屋から乗ってきた飛行機は30分近く遅れたため、ヘルシンキ到着50分後の最短のロンドン便に乗り継ぎの予定だった人も結局乗ることが出来ず。「やっぱりひと便遅らせて良かった。」と胸をなで下ろす。

 懐かしのロンドンに着いたのは午後7時過ぎ。まだ9月のこと、外は昼間の明るさだ。その時間のヒースロー空港ターミナル3は様々な飛行機が到着する時間でごった返している。シーク教徒と見られターバンを被った男性が多いのはインドからの便か。悪名高いイギリスの入国審査、なにしろEU外のパスポート保持者のイギリスの入国はひとりずつ審査官に「入国の目的は?滞在期間は?滞在先は?」と、くどくど聞かれるのだ。当然英語の分からない人もいるため、ごったかえすのも当然かもしれない。今日もざっと見たところ入国審査を通過するには2時間ぐらいかかりそう。が、私達は「秘密兵器(?)」瞳の虹彩認証システムのIRISに登録しているため、隣の長蛇の列を横目で見ながらIRISの機械に瞳を合わせ一瞬で通過。河村とふたり「あぁ、IRISの機械が壊れていなくて良かった〜!」(←そういうことがしょっちゅうあるのがイギリスだ。)ようやくイギリスに入国だ。

 外に出てみると、先程までいたヘルシンキよりもずっと明るく、ずっと暖かい。空港からロンドン市内に向う高速道路M4を走るタクシーに揺られ、イギリスの田園風景を眺めながら「やっぱりイギリスは断然夏だよねぇ。」などと呟きながら、見慣れたイギリスの風景に何だかとても心和んだのだった。

「ロンドン自転車革命!?」パリのヴェリブに続いてロンドンでも、この夏から「ロンドン・サイクル・キャンペーン」が始まり、ロンドン市内に400か所、6000台の自転車が導入されたのだそう。登録をすれば30分なら無料、1日1ポンド、1週間では5ポンドで利用できるのだとか。ロンドンを自転車で走ってみたい方は如何?ただしこの自転車、頑丈そうで無茶苦茶重そうです。私達がいつも滞在するグロスターロードからV&Aやナイツブリッジぐらいまでだったら自転車も良いかも。

■9月某日 晴れ
 買付け一日目、昨日ロンドンに着いたばかりだというのに、今日は朝一番からびっしり買付け。今日は唯一の大切なイギリスでの買付けで、夕方にはパリへ向うユーロスターに乗るため、気合いを入れて(?)午前4時半起床。荷物をまとめていつものフラットから表に出ると、流石に早朝ということもあり少し肌寒い。薄手にコートに首にはスカーフをグルグル巻いて出掛ける。今日訪れる何軒かのディーラーの元へはあらかじめアポイントが入れてあるが、それ以外にも立ち寄るところは沢山、早足で目的の場所へ。

 まず最初に向った先はいつもジュエリーを仕入れるディーラー。彼女のセレクトの特徴は、石やパールを使ったものではなく、ゴールドやシルバーの「地金の細工物」が多いところ。高価なジュエリーは扱っていないのだが、ルーペを通してそのひとつひとつを見るとミルグレインの細工がふんだんに施されていたり、手彫りの彫刻がされていたり、アンティークらしい細工物が得意なのだ。久し振りの再会に挨拶を済ませると、河村とそれぞれガラスケースの中を凝視。言葉少なに「何か…ある?」と小声でお互いに尋ね合う。今日彼女に見せて貰ったのは、リング2点、ひとつはアール・デコ(イギリスでは「アート・デコ art deco」と発音するのが「アール・デコ」に慣れている私達には少々言いづらい。)のデザインでエメラルドをあしらったもの。淡い透明感のあるエメラルドが涼しげで、この時代のデザインによく合っている。もう一点は同じ時代のクラスタースタイルのダイヤリング。ダイヤのクラスターリングは定番とも言える可愛いお花形のデザインだが、テーブル面の大きなダイヤのカットに特徴があり、何より石の輝きがとても美しい。「今度はいつロンドンに来るの?」と彼女に尋ねられて、「また年内に来るからね。」と言いながら彼女の元を後にした。

 次に向った先はやはり同じくジュエリーのディーラー。彼のジュエリーはもちろんガラスケースにセットされているのだが、それ以外の新着アイテムはタッパウェア(!)にギッチリ入れられていて、「ニューストック見せて。」と言わなければ出てこない。今日もガラスケースを一覧してから、「ニューストックは?」と尋ねると、出てきた!出てきた!タッパウェアから小さなビニールの小袋に入れられて出てくる様子はとても高価なジュエリーには見えないが、実は宝の山なのだ。今日もそんなジュエリーの山の中から久々にパンジーリングが出てきた。アメジストにガーネット、そしてシトリンがパンジーの形に並んだパンジーリングはとてもロマンティックで可愛いアイテムなのだが、前回手にしたのはもう2年以上前のこと。買付けの度に探していたけれど、実際に現物が出てくるととっても嬉しい!今日は他にもダブルハートのブローチが2個も出現!やっぱり「早起きは三文の徳」なのかも。

 そしてアポイントを入れておいたレースディーラーの元へ。「待ってたのよ〜。」と彼女が出してきたのはポワン・ド・フランスのボーダーではなくて襟かドレスのパーツ状のもの。両端がきちんと始末されている「製品」は1700年代のレースでは稀有なものだ。今回、ホワイトワークのハンカチを探していた私は、「ねぇねぇ、ハンカチない?ハンカチ?ハンカチ?」と連呼していると…ハンカチの代りに、様々なレースの向こうから私の目を射抜くものが!ここしばらく目にすることがなかった、でもいつも探しているタティングレースのパラソルだ!「ちょっと〜、あれタティングのパラソルじゃないの!?」と叫ぶと、マダムは「そうそう。パラソルが入ったのよ。」と奥深くから出してくれ、私の手に渡してくれた。一応、「開いてもいい?」と尋ねながらアイボリーのハンドルを手にゆっくりパラソルを開き、恐る恐るチェック。「どうぞ大きなダメージがありませんように。」と緊張で息苦しくなりながら、祈るような気持ちでコンディションを確認。内側のシルクに僅かな裂けはあるものの、表側のシルクもレースも十分良好な状態だ。「やった〜!」こうした出物が一番嬉しい。長時間のフライトの疲れも、時差ボケも、早起きも、すべてを吹き飛ばすほど嬉しい。

 馴染みのレースディーラーから浮き浮きしながら、今度はやはり同じくお馴染みのジュエラーへ。毎年夏になると必ずバカンスに出掛ける彼。この夏もクロアチアに行ってきたという。「もう、最近ポンドがユーロに弱いから大変よ。」と言いながらも「凄くいい所よ〜。」と私達が羨ましくなるようなオハナシ。性別は男性だが女性らしいソフィストケートされた趣味の彼、そのきめ細かで状態の良いセレクトには長年信頼を置いている。今日も「あら!これ。」と目に留まったのは美しいフラワーバスケット模様のエナメルのロケット。フラワーバスケット模様にも惹かれるけれど、この手のエナメルの中でもとびきりの質感の美しさ。「これを。」とオーダーする私に、「これまだ今週入ったばかりなのよね。」と寂しげにポツリ。早起きして本当に良かった!

 いつもお世話になっているレースや手芸材料を扱うマダムはギリシャにも家を持っているらしく、度々ロンドンを留守にしている。今回も「あんなのや、こんなの!」と具体的にリクエストのメールを送ってロンドンへ来てみたのだが…今日も実際にその場にいたのはアシスタントの女性のみ。「あら〜、彼女またギリシャに行ってるの?」と聞くとアシスタントの女性は苦笑い。確かにこの季節、家まで持っているのにギリシャまでバカンスに出掛けない手はない。でも、オーナー指示の元、ちゃんと私用の紙袋が作ってあり、ガサゴソ開けてみると中からは私の好みに的確なロココやらシルクが出てきた。そんな手芸材料のひとつひとつを選びながら、「ギリシャか〜、いいよな〜。」とブツブツ。

 今回はリングに良いものが多い。シードパールとルビーの組み合わせの繊細なヴィクトリアンリングは、フレンチジュエリーを仕入れに頻繁にフランスへ出掛けていて、何度かフランスのフェアでも会ったことのあるディーラーから。来週私達が行く予定のノルマンディーのフェアでも以前会ったことがある。「来週、ノルマンディーのフェアへ行く?」と尋ねると、最初「なんのことだっけ?」という表情をしたものの、すぐに「あぁ、今週南仏のフェアを回ってきたから来週は行かないよ。」という返事。南仏のフェアへは私も以前何度か足を運んだことがある。「南仏どうだった?」と聞くと、「う〜ん、まあまあかなぁ。でもそれぞれ扱う物によっても違うから…。」と言いながらも日に焼けて満足げ。きっと彼も買付けのついでに南仏でバカンスを楽しんできたに違いない。いや、バカンスのついでに買付けをしてきたのかも。
 ジュエリーといえば、その後探していたパールネックレスを発見。何人かのお客様から「パールネックレスないですか?」とお問い合せいただいていたので、ちょっぴり義務感を果した気持ち。今回も綺麗なネックレスが入って「やれやれ。」とほっとする。

 最後に仕入れたのはマザーオブパールのソーイングツール。こうしたソーイングツールは田舎のフェアへ行かない限りなかなか出てこないのだが、今日は運良くGet。シルバーのはさみと共にみつけたそれは小さなメジャーだった。外の明るさと早朝とは違う暑さに気付くと時刻はもう昼過ぎ。心なしか疲れを感じると、それもそのはず朝から7時間歩き通しだった。今日はこれからフラットへ戻り、荷物をピックアップしてセントパンクラス駅へ。そこからユーロスターでパリへ向うのだ。

 今回は慌ただしいイギリス滞在だったが、次回は是非もっとゆっくり滞在したい。ずっとずっと以前、ロンドンに数々のマーケットがあった頃にはイギリスに二週間近く滞在して、市内のマーケットを回ったり、レンタカーで田舎のフェアに出掛ける仕事がメインだったが、それも今は昔。いくら「フランスが好き!」と言っていても、イギリスの醸し出す「親戚の家」とでもいったのんびりした雰囲気にはいつも心和まされる。他の人はどう思っているか分からないが、私自身は「(他のヨーロッパの国と比べると)イギリスって日本と似てる。」と常々思っているのだ。

 その日少し肌寒くなったパリに着いたのは午後8時近く。朝早くから動き回り、連日の長距離移動をこなした私達は身も心も、「ヘトヘト」を越えて「ヘロヘロ」だった。(笑)

ロンドンのフラットから買付けに出掛けたのは午前5時半。冬のこの時間ならまだ真夜中、9月といえどもまだ夜の続きの薄暗い世界が広がっていました。

■9月某日 晴れ
 そして、また今日も早朝より行動。ロンドンでもパリでもいつも同じ場所に泊まっているのだが、まだバカンス時期が完全に明けない今回、いつものパリのホテルはどうしても空きが無く、ゆうべはその近所のホテルに宿泊。今朝は、まずいつものホテルへの引っ越しから始まった。
 買付け前に重いスーツケースをゴロゴロ押して歩いていつものホテルへ。どちらにしても、そのホテルの裏手のバス停から今日は仕事に行くので、「仕事の行くついで」といった道順なのだが…。なにしろ、今回の買付けはそんなことはあるし、ベルギー行きも控えているし、ロンドンのホテルから始まって通算6箇所のホテルを渡り歩く予定。これって今までかつてないほどの移動かも?

 いつものホテルへ何とかたどり着き、まずはびっくり!レセプショニストの顔馴染みのムッシュウは「アンタ人種変わったの!?」というほど真っ黒に日焼けしていたからだ。元々、黒人でもアラブ系でもないごく普通のいわゆる「白人」の彼、あまりの変化に一瞬別人かと思ってしまった。きっと散々バカンスで焼いてきたのに違いない。イギリスにしても、フランスにしても、当然のように長いバカンスを取る彼らに思わず嫉妬してしまう。ホテルに荷物を預けた後は、今日も買付けで終日歩き回ることになっている。まずはバスに乗って最初の買付け先へ。

 9月なってもまだまだ暑かった日本に比べると、ロンドンもパリも「人間らしい気候」で、朝晩は冷えるものの昼間は20℃ほど。あんなにも暑かった日本が遙か遠くに感じる。今日まず向った先はアポイントを入れた女性ディーラー。いつもお世話になっている女性だけど、前回は彼女のまだ幼い子供の急病で会うのがキャンセルになったため、今回は久し振りの再会だ。まずは「久し振り!」と右、左のほっぺを合わせてビズーをした後、「これはカドー(贈り物)よ。」と有名なショコラティエの紙袋を手渡された。今回いただいたのは、シャンパンのブション(栓)形のボンボン・ショコラ、流石に彼女のお薦めだけあってフランスらしい複雑な美味しさ。以前から何かある度に「ここは私の街で一番のショコラティエなのよ。」と地方から出てくる彼女は誇らしげに言って贈ってくれるのだが、ある時日本にもこのショコラティエがあることを知ってびっくりしてしまった。彼女自身もまさか日本にも進出しているとは思いも寄らないだろう。(昨今、フランスにある物で日本にない物なんて何にも無いのだ!)

 さて、早速彼女が「マサコの箱よ。」と私好みのアイテムの詰まった箱を出してくれて、その中を1点、1点、チェックしていく。私がチェックする間も、河村に「その辺に可愛い布があったらキープするように!」と命じて、それぞれセレクトしていく。私が日頃「ロココ!ロココ!」と声高に言っていることもあり、今回も可愛いロココが色々出てくる。箱の中のものをゴソゴソと、でもデリケートなものが多いので丁寧に取り出してみていくと…ロマンティックなソープボックスや、シルク生地、可愛いソーイングバスケットなどなど。シルクの宝箱のような形のボックスはなかなか見かけない形、そしてこうしたシルク製のボックス自体最近では珍しいものだ。誰も横から手を出してくる人なんていないのに、たぶん私の背中からは「この箱は誰にも渡さん!」というオーラがメラメラ出ていたと思う。沢山の「お宝」と共に、彼女によくお礼を言って「じゃ、また今度ね。」とお別れ。「今度いつ来るの?」と聞かれて、「うん、また年内に。」と応えると、にっこりしつつも、彼女の顔は「え〜?そんなにすぐにまた来るの?」と言っていた。可愛いものを沢山集めておいてくれる彼女だが、フランスに住んでいる彼女とて私のリクエストに応えるのはきっと簡単ではないのだ。お仕事とはいえ、私のために様々な物を集めておいてくれるディーラー皆に感謝。

 フランスは9月から学校が始まるため、一応9月でバカンスは明けることになっている。が、今日はまだバカンス明けですぐのためか、どうも品揃えがいまひとつ。まだお休みのディーラーもいて、思ったものが見当たらず焦る私達。そんな中で、ボーベ刺繍のパーツを発見!ボーベ刺繍はフランス特有の繊細な刺繍で、よくシルクのバッグなどに縫いとられることが多い。が、こんなふうにパーツとして出てくるのは珍しい。パーツを手にブラブラしたまま他の物もチェック。私が真剣にシルクのリボンやパーツをチェックしているのを見ていたマダムは、車の中から大きな木の箱を抱えてきた。「この中にあなたの好きな物が入っているから見てみて。」という訳だ。ウエディングに使うアイテムやベビーアイテムなど、白っぽいものばかりが入ったその箱の中には可愛いベビーボネが。それはアイリッシュクロシェとシルクで出来た状態の良い物。たぶん未使用のデッドストックかもしれまい。そんな物を手にして次の場所へ。

 午前の部を終えたのは11時近く。河村といつものキャフェに集結してひとやすみ。朝からほとんど何も口にしていなかった私にとって、ここで飲むキャフェ・クレームはじんわり身体に滲みるように美味しい。お気に入りのパン・オ・ショコラをパクつきながら午後の予定を確認する。キャフェを出た後、一旦荷物を預けたホテルに戻り、朝方仕入れた物もレセプションに預けて、次の場所へ移動するのだ。

 午後の一番に訪れたのは、「レースのばあちゃん」こといつもお世話になっているマダム。きっと本人が「ばあちゃん」なんて呼ばれていることを知ればプンプンするに違いないのだが、運良く(?)彼女はフランス語しか解さない。英語の話せるアシスタントのマダムを呼んだり、同じく英語の堪能なアンティークドールを扱うムッシュウに来て貰っていたり、万全の体制で私達を待っている。

 久し振りに訪れてみると…ばあちゃんの片腕には包帯が巻かれ、その下はどうやらギプスに覆われているらしい。私と河村のそれぞれに大げさに抱き合ってビズーをしながらも片腕は身体から離したまま。「どうしたの!?大丈夫?」と問いかける私に「大丈夫、大丈夫。」とマダム。きっと転んでしまったのに違いない。アシスタントのマダムと目が合うと「そうなのよ。」という感じで首をすくめて見せた。すぐにいつものように「ムッシュウはこちらへ。」と無理矢理河村は隅の椅子に座らされ今日も商談が始まった。

 マダムは毎度どこからともなく薄紙に包んだレースをあちこちから出してきては、「これはどうだ?」「Magnifique(素晴らしい)!」と自画自賛(?)しながら私達にすすめていく。“Yes”と“No”をはっきり言わない習慣の日本人である私にとって、相手の気持ちを思いつつ、ここではっきり「いらない。」と言う行為は以前とても難しいことだったのだ。でも最近は、「あ、それはいらない。Non, merci.」と軽く拒否出来るようになった。たまに「でも美しいわね。良いレースね。」と褒めることも忘れない。不自由な腕にもかかわらず、今日もあれこれ出してくれるマダム。次から次へと出てくるのだが、なかなか目的のブツに巡り会えない。でも私達は知っているのだ。マダムは私達の気に入りそうな物を最後の最後に出してくることを。私が「ねぇ、ハンカチないの?ハンカチ?」と尋ねると、またどこからか奥深くから薄紙の包みを出してきた。そっと開くと、今回の目的であるホワイトワークのハンカチ。しかもびっしりと刺繍が施された「上玉」だ!興奮でワナワナしながらハンカチを広げ、河村を呼んで、「よっしゃ〜!」と声に出さずにふたりで無言のまま肯き合う。初めて見るフランスの王太子を象徴するドーファンの模様が密度高く刺繍されている。他にも出してくれたのだがやはりこれが一番出来が良い。

 そんなレースの選別をしている最中、ドヤドヤ5〜6人の日本人の女性グループが「ちょっと〜!見て!見て!」と興奮状態で入ってきた。アンティーク街の外れにあるこの場所、どうやらガイド付きの観光で訪れたらしい。あの興奮状態からすると、手芸をする女性達のグループだったのかもしれない。私達よりひとまわりほど年長の彼女たち、私が選んだレースを手に取ろうとしたり、辺りの商品を勝手にあれこれ触り始め、とても落ち着いて選んでいられる雰囲気でなくなってしまった。それよりも、マダムにとってはどれも大切な商品、ここフランスでは店主の彼女の許しなく勝手に商品を触るのはマナー違反。まず「ボン・ジュール!」の挨拶、その後「手に取っても良いですか?」と尋ねるのが鉄則なのだ。思わず日本語で「勝手に触らない方が…。」という言葉がのど元まで出かかったのだが、彼女達はそれぞれ手に取った物のお買い物に入り出し、英語の分かるマダムに今度は全員で「ディスカウント!ディスカウント!」の大合唱。傍らの私はびっくりするやら恥ずかしいやら。マダム達も目を丸くしている。どうして日本人はひとりだと大人しいのにグループになると傍若無人に振る舞うのだろう。彼女たちが去っていった後、私と再び目が合ったアシスタントのマダムが「今のは中国人のマダム達かしら?」と尋ねるので、「ううん、日本人。Excusez-moi.(ごめんなさいね。)」と恥ずかしくて口ごもると、「大したことじゃないわよ。」とにっこりされた。
 最後に沢山のベビードレスの在庫の中から、今まで見たことが無く、かつ刺繍の沢山入った美しいドレス一点をセレクト。他にも何点かのレースを選び、目的を果した満足感でいっぱいのまま終了。マダムと再びビズーをして、包帯の巻いてある腕を優しく撫でてお別れした。

 次に訪れたのはジュエラーの女性の元、必ず訪れるここには一点、二点と毎回気に入る物があるのだ。今日も私達がガラス越しにペンダントトップを凝視しているのに気付いた彼女は、「これは?」と引き出しの中から小さな袋に入ったジュエリーを取りだした。どうやら最近入ったばかりのものらしい。見せて貰うとパンジーの形が可愛いゴールド製のトップで、小さなルビーとダイヤがあしらわれている。「可愛い…。」と手に取って眺めていると、彼女は「これはロケットなのよ。」とひと言。でも、パンジーの形が印象的でどこが開く仕掛けになっているのか分からない。「どこが?」と再び彼女に手渡すと、「ほら。」と彼女。なんと下側の花びらが開いて、そこには文字が刻まれている。それは可愛くも愛情のこもったメモリアルジュエリーだった。今日はこのパンジーと一緒にもうひとつエンジェルのゴールドメダイを自分達の物にしたのだった。

 度々ジュエリーボックスを分けて貰っているムッシュウ、いつもどこからか魔法のようにジュエリーボックスを集めてきているのだ。が、今回はそんな彼の所にも私達の気に入る物が見当たらない。どうやら彼もまたバカンスで夏中お休みしていたらしいのだ。いつも無理にすすめたりせず、優しい微笑みと共に私達が選ぶのを見守っているおじいちゃんディーラーの彼、今日も「そうだよね。今日は何にも無いもんねぇ。」とでもいうように、いつものように優しい微笑みを絶やさない。仕方なくにっこり微笑んで「また今度ね。」と別れた。「おじいちゃん、また今度はいい物仕入れておいてね。」そんな言葉を思わず日本語で呟いた。

 行けども行けども今日は思っていたものと巡り会えず、最後に以前レースがザクザク出てきたディーラー夫妻を訪ねてみた。お人形の小物など小さなアイテムを扱っている彼ら、ここも毎度「レースを見せてください。」と言わないとレースが出てくることはない。本当は沢山の在庫を持っているのに、表にはレースの影も形も無いのがおかしい。「ポワンドガーズは?」「アランソンは?」と尋ねると、ムッシュウも、そのムッシュウよりひとまわり大きなマダムも「最近そういうのは難しい。」と一緒に首を振る。でも、彼らが出してくれた大箱の中のレースをひとつひとつ見ていくと、何か変わった物が。それは機械織りのネットにボビンレースのパーツをアップリケしたアプリカシオンのボレロ状のもの。初めて見る形だ。マダムに「これは何?」と尋ねると、「あぁ、これはコルサージュ。」コルサージュとはドレスの上衣のこと。造花のコサージュは、「上衣を飾るもの」という意味で、このコルサージュという言葉から来ている。興味深いアイテムが出てきた。

 そんな地道な作業をこなすこと何時間、気付くともう夕方。「疲れた〜。」と呟くと、「そりゃそうだよ。今日も8時間歩きっぱなしだもの。」と河村。あらあら、今日も目一杯仕事をしたのね。でも明日はせっかく移ったホテルを出て、今度はベルギー行き。まだまだ気が抜けない。

「いかにもフランスのビストロ」然とした雰囲気のPOLIDORはいつものホテルのすぐご近所。なのに一度も足を運んだこともないのです。美味しいのかしら?どなたか行かれたことがある方は教えてください。


お店の前を通るときにはいつも既にクローズした後。このANNICK GOUTALも、すぐ側のリュー・ド・サンシェルピスにブティックがあって、十数年もの間ご近所を常宿にしているにもかかわらず、一度も店内に足を踏み入れたことがないのです。でも、ここのウィンドウディスプレイはいつも素敵!心奪われてしまいます。一度ここで香水を買ってみたいなぁ。

■9月某日 晴れ
 今日は朝からベルギーヘ向かい、終日買付け。フランドルの街で今日一日のうちに三軒のディーラーを巡って買付けをこなすため、時間配分も含めて緊張感のある一日だ。大きなスーツケースはパリのホテルに預け、小さなスーツケースをゴロゴロしながら朝のパリ北駅へと向う。パリからベルギーの首都ブリュッセルまではたった1時間半、アルザスやリヨンへ行くよりもずっと近く、フランスから外国へ行くとは思えない距離だ。今回はブリュッセルには行かず、その先のフランドルの地方都市へ。本日訪れる予定の三軒はいずれも以前から付き合いのある買付け先で、事前にメールで来訪を告げてある。さて今日の収穫や如何に?

 まず最初に訪れた先は高級な物から手頃な物まで幅広く扱うジュエラー。「いかにも高価」なジュエリーは私達の守備範囲ではないが、なにしろ沢山の在庫があるので、私達のテイストのジュエリーもみつかる事があるのだ。今日もテーブルについて、出してもらったコーヒーをすすりつつ、アシスタントの女の子が金庫の中から運んできたジュエリーをチェックする。
 何段も積み上げられた沢山の仕切りのあるトレイにはジュエリーがびっしり、それを一段一段機械的にチェックしていくのがここでのお仕事。そんな私達の作業中、オーナーが度々階下のオフィスから覗きに来ては「う〜ん、なかなか良いチョイスだ。」などとお世辞を言うのも可笑しい。オーナーの姿が見えるとは、選んだジュエリーについて質問責めにする。今日選んだのは久し振りに目にしたローズカットダイヤのクラスターリング、以前はイギリスで仕入れていたけれど、このところイギリスでもとんと姿を見なくなった物のひとつだ。「これってイギリスの物よね?」と確認する私に、「いやいやこれは元々オランダ製。イギリスにある同じタイプもみんなオランダ製だね。」という返事。確かに、こうしたローズカットダイヤは、オランダでカットされたと言われる事が多い。「そうか、加工もオランダだったんだ。」と納得していると、「ホラ、ここに。」とオランダの刻印を指差した。
 そんな作業を続けること一時間、思いの外今日は仕事がはかどり、すべてのジュエリーのチェックを終えた。今日の収穫は、ローズカットダイヤの他にアール・ヌーボーの雰囲気たっぷりなアイテムや繊細なゴールド細工など。思いがけず良い物が手に入れられて嬉しい。

 次に向かった先もジュエラー、ダイヤモンドのシンジゲートがあることで有名なこの街は、古い物、新しい物を問わずジュエラーが多いのだ。
 元々ロンドンのアンティークフェアで出会った彼らは黒いフロックコートと帽子がいかにも正統派ユダヤ人のオーナーとフランス語の名前を持つマダムのカップル。フレンチジュエリーを中心に膨大な数の在庫を持つ彼ら、それをひとつひとつチェックしていくのは大変な作業なのだが、手頃な物から一捻りある物まで面白い物がみつかることも多い。何より、本国のフランスで探すよりも一度に沢山の数を見ることもでき、おまけにパリよりも安く仕入れることができる点も大きな魅力だ。

 今日もアポイントを入れた時間に訪れると、奥のオフィスに招き入れられ、コーヒーを飲みながら早速商品のセレクトが始まった。
 今回、私の送ったメールへの返事が遅くなったことを詫びるオーナーの彼。「バカンスに行っていて…。」という彼に、「バカンスはどちらへ?」と尋ねると「スコットランドへ。」との返事。「そうか、ベルギー人もバカンスに行くのね。」と思いながらも、ルーペ片手に膨大なジュエラーの山と対峙。そういえば、今日の彼はいつもロンドンで会う時のフロックコートではなくカジュアルなコットンジャケットとパンツ、気分はまだバカンスのようだ。
 長い時間かけて今日選んだのは書籍型の美しい細工のロケットやアール・ヌーボーのブローチ。いずれも私達の好みに合う物ばかり。やっぱりはるばるここまで来て良かった。次に彼らに会えるのはロンドンでだろうか。

「屋根神様」と呼んでいる街角の聖母子像をみつけることは、この街での私達の楽しみのひとつ。ダイヤの売買でも有名なこの街のこと、住んでいる人もきっと皆潤っているのでしょうね。マリア様もしっかり手入れがされています。


こちらは立派な後光もまばゆい屋根付き。ブルーに塗られた屋根や壁に大理石の聖母子や白鳥、エンジェルがよく映えます。


淡いラベンダーピンクの壁に据えられたマリア様は優しい雰囲気。何世代も前から大切にされてきたに違いありません。

 今日の最後の仕入先はカードを中心に扱う紙ものディーラー。彼も元々はパリのフェアで出会ったディーラーのひとり。商売熱心な彼のこと、訪れる私達に合わせたカードの入ったアルバムを「これでもか!」と積み上げ、毎回「タダでは帰さないよ!」とばかり手ぐすね引いて待っているのだ。
 今日も「よく来たね。」と挨拶を交わし、またここでも上海万博へ行ったバカンスの話を聞かされた後にすぐさま私達が「紙もの地獄」と呼ぶ何千(何万?)ものカードを繰る作業が始まる。(やはり彼もバカンスへ行っていたのだ!なんと極東のアジアまで!いいなぁ。)河村とふたり、それぞれ作業をするからこなせるものの、ひとりだったらいったい何時間かかるかよく分からない。オフィスの中は機械的にアルバムをめくる音だけが響く。
 何時間経っただろうか。すっかり夕方になった頃、やっとすべての作業が終了。40年この仕事をしているという彼、そのコレクションを見ていると、長い年月を掛けて集めたであろうことが十分納得できて頭が下がってしまう。今日は思いがけず良いカードと巡り会い、「1年分!?」と思えるほど沢山のカードを仕入れることが出来た。年々カードの仕入れが難しくなっている昨今、良い物との出会いは本当に難しくなっているので、まだまだこうしたディーラーがいることはなんとも心強い。

 予定の三軒をこなし、ほっとした気持ちでホテルへ向う。ここはとてもお洒落なデザイナーズホテルなのだが、地方のためかとてもリーズナブル。以前初めて泊まった際にすっかり気に入った私達は、また今回もこのホテルをチョイス、再び泊まることにしたのだった。前回、チェックインの際に「ウェルカムシャンパンを!」と呼びかけられたのだが、その時はまさかフリー(無料)だと思わず、さっさと自分達の部屋へ入ってしまった。が、その後、実はフリーであったことが分かり、今回は「飲む気満々!」でチェックイン。

 チェックインを済ませて、喜んでシャンパン(実はスペインのスパークリングワイン「カバ」だったことが判明。)をついで貰うと、レセプショニストの彼女は、「よろしければラウンジでごゆっくりどうぞ。他のアルコール類もおつまみのタパスもすべてフリーなので、ご自由にどうぞ!」と言うではないか!?ゆったりしたラウンジの片隅には、コーヒーや紅茶の他様々なアルコール類とおつまみが置かれ、サービスの女の子までいる。ラウンジのソファーでは、オランダからの観光客だろうか、バカンス焼けした年配のグループがすっかりくつろいで既に「居酒屋」状態。そんな彼らを横目に、どこにもバカンスに行くことなく夏を終えた私達はそのかたわらでヤケ酒。下戸の河村も喜んで様々なおつまみをパクついていた。このホテル、きっと私の仲良しの(酒好きな)日本のアンティークディーラー達だったらみんな喜ぶだろうなぁ。でも、残念ながらこんな所に仕入れに来るのは私達しかいないのだ。

夕暮れの大聖堂の鐘楼からはカリヨンと共にファンファーレトランペットの演奏が。そのふたつが混ざり合った美しい音色を耳に、遙か遠い異国の地までやって来た不思議を感じました。


〈番外編〉北欧の家具や照明器具で揃えられたお洒落なラウンジなのに、周囲も皆すっかりくつろいで「居酒屋」状態に。このお洒落なデザイナーズホテルは私達のお気に入りでしたが、「アルコール&おつまみフリー」ということを知り、ますますファンに。

■9月某日 雨のち晴れ
  やはりベルギーの朝は肌寒い。でも、今日から楽しいブルージュへの一泊旅行が待っているのだ。ブルージュへは過去二回行ったことがあるのだが、旧市街はどこへでも歩いていくことが出来る規模の古都で、何度足を運んでも楽しい。しかも、パリから有名なフランスの観光地へ行くよりもずっと近いこともあり、季節ごとに違う雰囲気に惹かれ、ついつい何度も来てしまった。でも今日はブルージュ行きの列車に乗る前に、前回行くことの出来なかったホテルのすぐ近所プランタン・モレトゥス印刷博物館へ。

 ここは16世紀後半の印刷の創生期、大規模に印刷・出版事業を手がけていたクリストフ・プランタンとその女婿のヤン・モレトゥスの印刷工房で、代々モレトゥス家が大切に保存してきた場所。その建築も含めて単独の博物館としては唯一世界遺産になっているという貴重な博物館だ。印刷といえば、グーテンベルクが発明したことぐらいしか知らなかったのだが、16世紀後半から17世紀といえばこのフランドルの街が一番栄えた時代、この片田舎の北の街が世界の中心のひとつだったということが実感出来てとても興味深い。
 元々博物館としてではなく、工房と住居として建てられた16世紀から当時のままの姿の建築にも惹かれるが、住居部分の豪華な室内装飾や様々な宗教書をはじめとする稀覯書、もちろん印刷工房に据えられた世界最古の印刷機や膨大な活字など、「印刷」という面から見た歴史的な文化財で溢れている。そんな中、私が「あっ!」と近寄って眺めたのは1600年代の女性の肖像画。ここにはモレトゥス家の人々の数十点もの肖像画が残されているのだが、流石に裕福だったモレトゥス家、その女性が絵の中で身に着けていたのはどう見えてもこのレースにそっくりなヴェネチアンレースの襟。遙か遠くイタリアから運ばれた最新流行のレースがこんな北の街の女性のドレスを飾っていたとは。肖像画の年代を確認するとやっぱり1600年代半ば。「間違いない!」

 じっくり見ているうちにあっという間に昼近くになってしまった。上質な展示物を見たあとは満足感いっぱいでブルージュへ向った。

ここがプランタン・モレトゥス印刷博物館の玄関。この中に16世紀からの濃密な印刷の世界が広がっています。


緑鮮やかな中庭にほっとします。右の壁面のはっているのは葡萄の蔓。ベルギーのような北の国でも葡萄って育つのですね。


中庭の壁面に飾られているのはこの館をおさめてきた歴代の当主を模した彫刻。壁の古い煉瓦にも時の経過を感じます。


ここは当時の書店部分。外から出入り出来るようになっていて、お客さんはここで注文したのだそう。どんな服装をしたどのような人々が書籍を購入したのでしょう。


こちらが印刷工房。広い空間には何台もの印刷機が並んでいます。これらの印刷機は今でも実際に使うことが出来るのだそう。ここでは世界最古の16世紀の印刷機二機も所有しています。


16世紀当時の世界各国の言語と様々な字体の活字。なんとアラビア語の活字まであったとか。活字はすべて鉛製、活字だけでも数トンという量がここには保管されています。印刷の仕事は当然文字が読めなければならず、当時は大変インテリのお仕事だったそうです。


この館内には図書室はふたつ。いずれも広い空間の床から天井までぎっしりと並んだ書籍は壮観のひと言。こんな書棚付属の梯子が私の憧れです。

 見慣れたブルージュの駅に着き、そこから旧市街のランドマーク、マルクト広場までバスに乗る。ここはベルギーの中でもフラマン語(オランダ語のベルギー方言)を話すオランダ語圏。マルクトとはマーケットのこと。英語でいう“welcome” がフラマン語では“welkome”だったり、と英語に近い語もあるのだが、なぜか“J”が多様される綴りは目で見てもさっぱり分からない。ベルギーはフランス語との二ヶ国語が公用語になっていて、ホテルやお店ではこの二ヶ国語の他に間違いなく英語も使える。なので、「ボン・ジュール!」とお店に入り、普通に注文するところまではフランス語でも、込み入った話になると「こりゃダメだ。」とばかり英語に変えることも珍しくない。おしまいには、果たして自分は何語で話せば良いのか混乱してしまうのだ。

 マルクト広場からホテルまでは歩いても僅かの距離。三度目の私達は流石に土地勘もあり、初めての場所でも地図を片手に迷うことなくホテルに到着した。今回ブルージュで泊まるのはちょっぴり星が多い四ツ星ホテル。本当はどうしても泊まってみたいホテルがあったのだが、河村の許しが出ずあえなく却下。もしブルージュに行かれる方があれば是非体験してきていただきたい。
 そんな「第二希望」のホテルではあったけれど、運河沿いの17世紀の建物をホテルにしたここもなかなか瀟洒な雰囲気だ。広くて綺麗な室内に満足し、荷物を置いて街を歩くことにした。

88mもあるマルクト広場の鐘楼はブルージュの街のランドマーク、世界遺産でもあります。キャフェの椅子に座ってベルギービールを飲みながらじっくり眺めるのが毎回のきまりです。


今まで2月、5月、そして今回の9月とブルージュを訪れましたが、一番雰囲気が良かったのは観光客もまばらなシーズンオフの2月でした。寒かったですけどね!


ホテルまではこんな建物の脇を抜けて…。お伽の国から抜け出てきたかのような可愛い煉瓦造りの外観に赤い窓枠やドアがポイントになっています。


こちらもホテルのすぐご近所。たぶん16〜17世紀の建物だと思われるのにもちろん今も現役です。


運河止まりの向こうはヤン・ファン・アイクの像のあるヤン・ファン・アイク広場。


中央の白い建物が今回滞在したホテル。小綺麗で瀟洒、落ち着いた雰囲気が印象的でした。


 まず私達がしたのは、以前二回とも乗った運河の遊覧ボート。この街に来たら、やっぱりこれに乗らないと!ボートからの風景は画像でゆっくりどうぞ。

ブルージュは中世都市のテーマパーク、水路からはまた違ったブルージュの姿が見られます。


窓辺にいるのは大きなラブラドール・レトリバー。専用のクッションまであって、どうやらここが彼(彼女?)の指定席らしい。


こうした木造建築はブルージュでは珍しいタイプ。現在では防火のため禁止されているそうです。


こんな小さな橋があちらこちらにあるのもブルージュならではの光景です。


フランドル特有の階段屋根が連なる街並み。石畳の小径もそこここに残っていて、情緒深いこの街には何度でも足を運びたくなります。


 ブルージュといえば、ブリュッセルと並んでレースの専門店が多く、私の性分としてはやっぱりアンティークのレースを求めてウィンドウを覗いたり、お店に入って尋ねずにはいられないのだが…飾られているのはお土産物の中国製のレースがほとんどで、アンティークレースを沢山ディスプレイしているところは目の飛び出る値段の高さ!(日本よりもずっとずっと高いのだ!!)河村に、「前回も、その前来た時も、そうだったでしょ。」と諭されて、はたと我に返ったのだった。本当にベルギーでレースは買えないのだ。今回もあえなく玉砕。

ブルージュにはこんなレースの専門店がいっぱいです!きっとレース好きの方だったらワクワクすること間違い無し。


ベルギーといえばチョコレート!ここブルージュにもチョコレートの専門店がいっぱいです。トリュフも良いけれど、お花の形がカラフルで可愛いですね。

 気付くと夕暮れ近くなってきた。昼間のうちにチェックしておいたレストランの運河沿いのテラスで夕食。とてもロマンチックな場所なのに、あまりにもベストスポット過ぎたため、食事をしない観光客がゾロゾロ訪れるという少々落ち着かない場所。もうこの時期のベルギーではテラスは季節外れなのか、日が暮れてくると共にどんどん暗くなっていき、あっという間に真っ暗に。暗闇の中で食す前菜のスープ・ド・ポアソンはほとんど「闇鍋」状態。何を飲んでいるのか自分でもよく分からない。その上足元からの冷気にコートを着込んで食事をするハメになってしまった。こうした出来事も今になってみると楽しい思い出だ。

向こうの白い建物は高級レストランとのこと。運河沿いのテラスでこの景色を眺めながらの夕食はロマンティックそのものだったはずなのに。なぜに「闇鍋」に?

■9月某日 小雨
 ブルージュで迎える朝はお待ちかねの豪華な朝食、これが今回の買付けのクライマックス、いやブルージュのクライマックスなのだ。河村が「朝シャン」と呼ぶところのシャンパン・ビュッフェだ!この辺りのホテルにはシャンパン・ビュッフェを売りにしているところが多い。三度目を数えるブルージュ、レースセンターなどの主だった観光地にはだいたい足を運んだこともあり、今回はちょっぴり優雅なホテルライフを楽しもうとこのホテルをチョイスしたのだ。

 期待とともに向かったダイニングルームには、ショパンのピアノ曲が静かに流れ、窓の外には朝の運河が見える。様々な朝食が並ぶ片隅にはワインクーラーで冷やされたシャンパンが鎮座。シャンパンに執着する私達は瞬時にラベルを一瞥、思わず顔を見合わせ「スパークリングワインじゃなくてシャンパンだ!テタンジェだ!」とこっそり喜びの声。それが延々1時間半まったりと続く朝食の始まりだった。

 シャンパンと一緒に食す生ハムメロンが美味しく、何度おかわりしたことだろうか。カマンベールチーズとレーズン、ナッツ類の組み合わせも最高!(←もうこの時点で「朝食」ではなくなっているのだが…。)テタンジェ最高!隣のテーブルの「いかにも酒好き」のお茶目なマダムが朝食用のオレンジジュースをシャンパンで割ってミモザを作り始めると、周囲のテーブルの人々も同調。なんだかダイニングというよりはバー?と化した朝食会場、唯一シャンパンに手を付けなかった年配のカップルはプロテスタントなのかもしれない。大満足の朝食を済ませると、アルコールに弱い河村でも「イギリスでアフタヌーンティーするぐらいならこっちの方が絶対いい!」と断言。「朝からシャンパン」、こんな自堕落なことが出来るのも旅先だからこそ。たまには良いかも。
 ゆっくり朝食を楽しんだあとは、名残惜しい気持ちのまま仕方なく荷物をまとめてチェックアウト。ついでに帰りの駅までのタクシーを予約し、荷物を預かって貰う。

 今日、まず向かった先はブルージュの大聖堂。ここには唯一、イタリア以外の国でミケランジェロの生前に据えられた聖母子像があるのだ。ルネサンス期、裕福だったブルージュの商家がイタリアから購入し、ブルージュまで運んだことからも、この街がどんなに裕福だったかが分かる。それから後、港が砂の堆積で使えなくなると共にその覇権はアントワープに移り、この街は歴史の表舞台から取り残されていくのだ。

 美術館も良いのだが、ヨーロッパの古い街はその街の大聖堂へ行ってみるのが一番。脈々と培ってきたもの、神に捧げられてきたその時代の最高級なものと巡り会うことが出来るのだ。
 ここブルージュの大聖堂もミケランジェロの聖母子像の他にも古いステンドグラスが美しい。そのほとんどが破損して残っていない中、聖堂奥のオリジナルの状態のステンドグラスの美しさといったら…。北方を思わせる冴えた赤とグリーンの美しい色の対比にしばし見入ってしまった。やはり宗教絵画も彫刻もステンドグラスも、美術館ではなく教会の中で見るものだなぁ、と改めて思った。

 大聖堂をあとにし、楽しみにしていたグルーニング美術館へ向かうと、なんと今日はクローズ。北方ルネサンスの好きな私は、ここでヤン・ファン・アイクの大作を見るのを楽しみにしていたのだ。ヤン・ファン・アイクといえば、ロンドンのナショナルギャラリーにある小品が有名だが、北方ルネサンスの代表的な画家ということは知っていても、ここに来るまでブルージュの画家だということを知らなかったのだ。今回実際に見ることはかなわなかったが、代わりにまたここへ来る楽しみが出来た気がする。

 そうこうしているうちに昼も過ぎ、帰りの時間も近づいてきた。名残惜しいがパリへ帰らなければならない。また次の機会ブルージュに来ることが出来るのはいつになるだろうか。

ブルージュの大聖堂は13世紀〜15世紀の建物。こちらは主祭壇です。


これがミケランジェロ作の聖母子像。イタリア以外の国にある唯一のミケランジェロの彫刻作品です。以前見た同じくミケランジェロによるバチカンのサンピエトロ寺院のピエタ像を思い出します。


このステンドグラスの「フランドルの赤」とでもいうべき赤い色がなんとも魅力的なのです。ただただ見入ってしまいました。


こちらは赤い色とブルーの対比が美しいステンドグラス。この中世のステンドグラスにはその時代特有の美しさがあります。


こちらは祭壇奥のステンドグラス。繊細なガラス片を材料としたステンドグラスは大変デリケートなもの。長い年月を経て、この大聖堂の中でも完全な形で残っているのは極僅かでした。


アンティーク好きとしてはこうしたキリスト教の祭具にも大いに関心があります。何に使うのかは分りませんが(笑)、非常に美しい細工でした。


ここはフランス語で言うところの「ノートルダム(我らが貴婦人」大聖堂、つまり聖母マリアに捧げられた大聖堂だけあって、この聖母子像には今日も沢山の蝋燭が捧げられていました。


上の聖母子像の脇の壁面にはこの通りマリア様への感謝の言葉が沢山!フラマン語あり、フランス語あり、英語あり、様々な言語でも皆思うことはひとつ。


クローズだったグルーニング美術館の代りに訪れたグルートフーズ博物館。ここは15世紀の中世貴族の館、門の上にはアイアンで出来た月のサインが。趣があります。

ここは当時の貴族の生活がしのばれる博物館。館内のあちらこちらを歩き回っていると…なぜか先程見たばかりの大聖堂のステンドグラスが!なんと、お屋敷の礼拝堂がガラス窓一枚で大聖堂に接している!!貴族は下々の者とは一緒にはお祈りしなかったのですね。

 パリへ戻るためにホテルへ帰ってきたときのこと、午後3時35分のブルージュ発の列車に乗るため3時にタクシーを予約し、ホテルへ迎えに来るのを待っていたのだが…。急いで3時10分前にはホテルに戻ってきてロビーでスタンバイしていたのに、予約したはずのタクシーはまったく来る気配がない。ブルージュ駅まではタクシーで10分ほど。今から予定の列車に乗ろうとすると、他の方法では駅まで行く術がない。5分が過ぎた頃、レセプションの若い女性に「タクシーが来ないんだけど…。」とためらいがちに尋ねると、「朝予約したけど。」という返事。更に待つこと5分、やっぱりタクシーは来ない。既にパリ行きの列車のチケットはインターネットから買ってあるのだが、乗り継ぎのあるブルージュ−パリ間では、この列車を逃すと次は夜の11時過ぎにパリに到着する便しかない。しかも明日はパリからノルマンディーのフェアに行くため始発の列車に乗ることになっている。もう一度、今度は少し厳しい口調で「まだ来ないからもう一度タクシーを呼んで!」と命じた。そして荷物と共にロビーから外の玄関に移動。そこで気をもみながら待っていると…約束の時間を15分以上過ぎてやっとタクシーがやって来た。この街では観光客の数に比べて極端にタクシーの数が少ないのかもしれない。ブルージュ駅に着いたのは列車の出る2〜3分前、間一髪で列車に乗り込んだ。やれやれ。無事フランスのリールで乗り継ぎをし、パリには定刻通り午後6時半に到着した。

***買付け日記は後編へと続きます。***