〜前 編〜

■5月某日 曇り
 今回の買付けは、チケットの関係で、まず私が先にパリに出掛け、二日間買付けの後ロンドンへ移動し、そこで河村と合流する事になっている。なので、行きの飛行機はひとりぼっち。かつては数えきれないほど一人で買付けに来ていたというのに、今回は件の火山の爆発騒ぎもあり、久し振りの一人きりの買付けに心細く、少々緊張気味。そして出発前、空港の待ち合いロビーで、何気なく携帯電話のニュースを見ていると、私が一番恐れていた事態が!またもや火山活動が活発になり、アイルランドの空港が閉鎖されたとのこと!ただでさえ、河村とロンドンで待ち合わせが上手くいくか懸念していたのに、私はユーロスターでパリーロンドン間を移動の予定だから問題ないものの、果たして河村はロンドンへ飛べるのかと動揺する私。更に乗り継ぎのソウルの空港でハタと携帯の充電器を忘れてきたことに気付き動揺はパニックに!というのも、もし飛行機が欠航なんていうことにでもなれば、航空会社からの連絡手段はすべて携帯のメールと聞いている。携帯が使えないとなると、最悪航空会社からの連絡手段がないのだ。

 中継地ソウルの空港をソワソワと宛どもなくさまよう私。河村に連絡を取ろうにも、私の携帯では韓国から日本へはつながらず、韓国の公衆電話はすべてハングル語表記のため、何度トライしてもクレジットカードで電話を掛けることが出来ない。(本当にハングルって、それを解さない私達にはまるで記号か暗号のようなのだ。)電話を掛けるのを諦めた後、果たしてここの免税で携帯電話を買いSIMカードを入れ替えて使おうか真剣に悩んでしまった。 が、こうした「ソワソワ」がやって来ると、落ち着きがなくなるあまり、失敗を重ねることは今までの経験上分かっている。このままさ迷い続けた挙句「次の飛行機に乗り遅れたら大変!」となんとか落ち着きを取り戻す。

 ソワソワした気持ちのままパリに着いたのは夕刻の午後6時過ぎ。いつものように着陸の際も本を読んでいると…今まで経験したことのないほどの激しい衝撃の着陸!激しい衝撃と共に起こった何度ものバウンドに、「このまま飛行機がひっくり返って大惨事か!?」とまで思うも、無事着陸した。(でも衝撃とともに一瞬目の前のモニターはまっ黄色になるし、周りには沢山の悲鳴が上がるし、凄い衝撃と大音響に、どうなるかと思った。)これが今回の買付けの幕開けだった。

 午後9時近く、いつものホテルに着いた後は近所のスーパーへ。まず何はともわれ水だけは確保しなければ。水と少しばかりの食料を調達した後は行きつけの近所のキャフェへ。パリへ来るとまずこのキャフェに足を踏み入れないとパリへ来た気がしない。長いフライトで疲れていても、ここで一息入れるとなんだかほっとしてしまうのだ。案の定、私が席に着くと顔馴染みのギャルソンが寄ってきて注文を聞きながら「元気?ムッシュウは?」と質問。「彼は来週来るのよ。」と答えると、彼は「そうか。じゃ、今はフリーダムだね!」と意味ありげにニヤッと笑った。そうだ、やっぱりここはフランスだったのだ。「フリーダムねぇ…。」とため息。

“CREMERIE”とあるので、かつてはチーズ屋さんだったのでしょうね。今はヴィンテージのワインが並んだワイン屋さん。夕暮れ時には、みんなでワインを空けて美味しそうな前菜をつまんでいることも。


私が泊っているのはここではないけれど、いつものホテルの近所で。19世紀の街並みにクラシックな看板がパリの街によく似合っています。

■5月某日 曇り
 いよいよ買付け第一日目。この日のためにわざわざ河村が来る日よりも先にチケットを手配したこともあり、いつもより一層気合いも入ろうというもの。朝早くからバスに乗って出掛ける。

 今日フェアはほとんど戸外。そこを半日延々と歩き回るのだ。河岸に設営された会場は風が吹きすさび予想外の寒さ。顔馴染みのディーラーに出会う度、挨拶がわりの「今日、寒いわね!」から会話が始まる。皆異口同音に「寒い、寒い。」と繰り返すのがおかしい。それもそのはず今日のパリは最高気温が13℃だが、先週は25℃以上の日が続いたらしいのだ。寒さに震えながら会場を早足で歩き回る。

会場をグルグル回るも、なかなか目当ての物に巡り会えず、気は焦るばかり。いつも楽しみにしているフェアの端に出ているいわゆる「初出し屋さん」がいて、朝一番にそこにたどり着けば、埃をかぶった凄まじい状態(笑)だけれど、探していたものに出会うことが出来るという私の大切な仕入れポイントがあったのだが、そのストールの場所へ行ってみると、ストールごと消えていた。がっかりする私。そう、長らくこの仕事をしていると、そうやって消えていく人も沢山いるのだ。気を取り直して次へ。

 そんな中出てきたのは、欲しかったラリックの香水瓶やマザーオブパールのソーイングツール。なかなか目当ての物が出てこない中、少しでも好みの物があると、とてもほっとする。「ダメだ、今日は何もない。」とテンションが下がっていたところ、いつも探しあぐねていたフランスらしい雑貨のひとつレース入りのトレイを発見!なかなか物が無い中でとても嬉しい。そして、まだ物を並べきらないストールで、店主親子が大急ぎで並べている中、何やら埃にまみれた私好みの物が!それは今まで見たこともないほど大きなレース入りのトレイ。しかもハンドルの付いた立派な物だ。ただあまりに埃っぼいため、トレイを手にどうやって綺麗にしようかしばし考察。「大丈夫!これなら綺麗に出来る。」と、店主を探すと、それはなんといつもの初出し屋さんだった。
 「なんだ来てたのね?」と、しばし商談。どうやら遅れて会場入りしたらしく親子して大慌てだったらしい。彼らが辞めていなくて本当に良かった。もっともこのトレイ、腕が抜けるように重かったけれど。

  歩き回ること数時間。寒さからか鼻水とくしゃみが止まらない。おまけにアンティークに付いている埃が鼻の粘膜を刺激し、それにますます拍車をかけ最悪の状態に。身体も幾分熱っぽいような気がする。そのうえ、なんだか眼までも異物感が。(後に、これはマロニエの花粉症であることが判明。ビュービュー風の吹きすさぶ中、マロニエの街路樹の下にずっといたのだ。)なにせ今回、流石に5月は寒いことはなかろうとコットンの服しか持ってきていない。何年か前のこの時期には、余りの暑さにタンクトップで歩いていた記憶のある私は、そこまで寒いと思わなかったのだ。日本にいる河村に電話をかけて、衣類や風邪薬など様々な物を持ってきて貰うように頼んだ。

 さて、フェアでの買付けが済んだ後は、アポイントを入れていた紙ものディーラーところへ。ここがまた今日は「修行の場」だったのだ!いつもは河村とふたりでチェックする何千枚だか何万枚だかのカードを今日はひとりでこなすのだ。おまけにここの事務所は室内だというのに外と同じくらい寒い。思い出せば、ここは冬でも暖房が入っていた記憶があまりない。(なんたってケチ、いや合理的なフランスだからね。)寒さでブルブル震えながらカードを繰り、寒さと疲れから「もう限界!」と思われた頃、ようやくすべてのカードをチェックし終えた。もっともオーナーのムッシュウは、「おしまい!」と言う私に、「まだ他にも何か見る?猫のカードは?犬はどう?」と、まだまだ私に苦行を押しつけようとしたけれど。

 這々の体で事務所を出ると、「もうこれは暖かい服がないとダメ!」と帰り道のGAPで厚地のパーカーを購入。この時期は暖房のないパリのホテルでのこと、既にヘロヘロ状態の私は、帰るやいなや温かいお風呂に入って、服を3枚着込んで夕方6時に就寝。

フェアへ行くバスはセーヌを渡って…これはサン・ルイ島のセーヌ河岸にあるお屋敷。メトロの通っていないサン・ルイ島はパリの中心と思えないほど本当に静か。いったいその土地代はいかほど?

■5月某日 曇り
 買付け二日目。今日は朝から買付けに出掛けた後、一度ホテルに戻って荷物を置いて、それからユーロスターでパリへ向うことになっている。向う先は昨日も出掛けたフェア。朝からスーツケースを預け、レセプションの顔馴染みのムッシュウに三日後に戻ってくることを伝えると、「大丈夫、大丈夫。マダム。」とほっとさせるような笑顔。ルームレートの高さでは定評のあるサン・ジェルマン・デ・プレ界隈、その界隈では破格のこのホテル、長年泊り慣れたここだが、「もっと他にも良いホテルがあるのでは?」と最近他のホテルが気になっていた。だが、こうして見知った者同士の笑顔で会話が出来ると、やっぱり安心して泊ることが出来る。バスに乗ってフェアへ。

 昨日の寒さに音を上げた私は、昨日購入したパーカーはもちろん、持ってきた洋服を出来るかぎりの重ね着。コートの下に、コットンの物ばかり全部で5枚を着込み、首にはシルクのスカーフの上からコットンのストールをグルグル巻く。そして手袋を持ってこなかったことを後悔。(代わりに埃だらけのお花を選ぶときにはめようと思って持ってきた白手袋を。手だけ白くてちょっとヘンだけど我慢。) まさか5月半ばに手袋が必要とは思わなかったのだ。さぁ、今日の出物は如何に?

 いくつか細かい物を仕入れたその後、気になって立ち止まったのはアイボリーのカルネ・ド・バル。繊細な彫刻が素晴らしいのだが、良いものはいかんせんお値段が…。ガラスのケース越しにしばし立ち止まり、意を決してオーナーのムッシュウにケースから出して貰い、手の中でじっと眺め、ひっくり返し、電卓を叩き…なかなか決断を下すことが出来ない。その間微笑みながら見守るムッシュウ、自信を持っている商品らしく、自ら私に薦めることもなく落ち着いた態度。彼のそんな態度に背中を押されて心を決めた。
 いつも状態の良い商品を持っている顔馴染みのムッシュウ。昨日もそのウィンドウは見たはずなのに、今日はまた新たな商品が追加。「あら、あら、こんなものも持っていたの?」とウィンドウを覗くと、彼も私の顔を見てニッコリ。早速いくつかの商品を出して貰う。それはちょっぴり変わった形のジュエリーボックスとブロンズフレーム。どちらも今まで扱ったことのない個性的なフォルムのものだ。

 フランス中からアンティークディーラーが集まるフェアだけあって、普段なかなか目にすることの出来ない高価なアンティークを見ることが出来るのもこのフェアの楽しみのひとつ。美術館に置いてあるものは買うことが出来ないが、ここに置いてある物はお金さえ出せば(!)すべて買うことが出来るのだ。いつもこのフェアに来て高価で美しいものを目にする度、ワクワクした心躍る気持ちと共に、実際に買うことの出来ない私は「どうしてこんなに美しいのに、私の手には入らないのか?」と、激しいもどかしさでいっぱいになる。こんな時、「なんて綺麗なんだろうね!」とため息をつきながら一緒に言い合える河村が横にいたら、と思ってしまう。

 さぁ、時間が迫ってきた。またバスに乗って一旦ホテルに戻り、今日仕入れた荷物をまた預け、それからメトロでパリ北駅へ向かい、ユーロスターでロンドンへ出発するのだ。今日はまだまだロンドンのフラットに着くまで長い一日、そして夕刻ロンドンに到着する河村といつものフラットで落ち合う手はずになっている。その間に遅い昼食を済ませて…まだヨーロッパ時間に身体が合っていない中、買付け二日目の大移動は本当に大変!気力はあっても身体がついていかないような気がするのは老化のせい?

泊まり慣れたいつものホテルの裏手は緑の美しいリュクサンブール公園。その中のリュクサンブール宮殿はイタリアからフランス王室に嫁いできたマリー・ド・メディシスのためにイタリア風に造られたもの。現在はle Sena(元老院)の議事堂として使われています。


観光客も多いサンジェルマン・デ・プレの喧噪からもすぐなのに、一本道を入ると静かな住宅街が続いています。近所のアパルトマンの中庭で。


近所のお気に入りの花屋のウィンドウは毎度楽しみなもののひとつ。そうそう、フランス人は薔薇と同じように芍薬も好きなのですよね。大振りな芍薬は贅沢で美しいお花です。


こちらの薔薇も何とも言えないデリケートで馥郁とした雰囲気。ウィンドウ越しですが、豊かな香りが漂ってきそうです。


こちらはご近所の番外編。雑誌や煙草を売るキヨスクの壁面に飾られた雑誌に「ん?何か見たことある!」そう、これ、せんとくんに似ていませんか?

 遅れることが珍しくないユーロスターだが、今日は珍しくオンタイムでロンドンに到着。今回はまたパリへ戻るため、大きなスーツケースはパリのホテルに預け、小さなスーツケースに最小限の身の回りの物を入れ、コロコロしながらいつものフラットへと向う。いつもは止まったり遅れたりが日常茶飯事、悪名高いロンドンの地下鉄も今日は珍しくスムーズで、思ったよりも早くフラットへ到着、どうやら河村よりも前についたようだ。が、30分もしないうちに最寄りの地下鉄の駅に着いたという河村から携帯に電話、フラットのビルディングナンバーを伝え、表の鍵を持っていない彼のために玄関までお出迎え。火山の爆発が心配だったが、無事合流できて本当に良かった!
 そして何より、「寒くて死にそう!」と涙ながらに(?)国際電話で訴える私のために、彼が持ってきてくれたトレンチコートの裏に付けるライナーとユニクロのヒートテックが嬉しかった。日本を出る前日、「まさかこの時期、いくらなんでもライナーはいらないよね。」とわざわざコートから取り外してきたのだ。これがあるのと無いのとでは大違い!涙ながらに(?)喜んだサカザキだった。

ユーロスターはパリ北駅の2階からチェックイン。パリ北駅からはリールやカレーなどのフランス北部への列車はもちろん、ベルギー行きのタリスや、イギリス行きのユーロスター、ハンブルグ行きやベルリン行きの夜行列車などの国際列車も出発します。


北駅は1865年に完成した駅舎が現在でも使われています。私がこの日乗ったのは17時台のLONDON ST PANCRAS行き。見えるかな?

■5月某日 曇り
 私はパリから、河村は日本から、それぞれはるばるロンドンにたどり着いた翌日というのに、今日は午前8時半発の列車でコッツウォルズのフェアへ。ロンドン・パディントン駅から片道3時間近くの遠出をするのだ。日本で事前にインターネットでチケットを買い、シートの予約もしてあるので、駅では機械でチケットを発券するだけ。いつ順番が来るか分からない長蛇のチケット販売の列に並ばなくて済むようになったので楽なことこの上なし。駅の上にあるPaulでのんびりコーヒーを飲みながら時間潰し、その間に日本からの顔馴染みのアンティークディーラー皆も駅に集結し、久し振りの再会に挨拶を交わす。普段日本にいる時には、皆それぞれ日本各地に住んでいるため会うことは皆無なのだが、こうして何度も何度も買付け先のイギリスで顔を合わすうちに仲良しになってしまうのだ。

 まずはブリストル行きの列車に乗り込みバースまで。1時間半ほどでバースに着いた後、今日の目的地さらにド田舎の駅へ行くのに乗り換えをする。そしてまた1時間。バースからはたった二両の列車でほとんど「無人駅」といってもよいほどの小さな駅へ到着、そこからフェア会場(といっても広大な牧場の一角)までは予約をしておいたタクシーしか手段がない。イギリスやフランスでは、辺鄙な田舎の駅には2時間おき、3時間おきにしか列車が来ないことも多い。今日の駅もこれを逃すと次は2時間先。帰りの列車に乗り遅れると大変なので、列車の時間に合わせて帰りの分もタクシーを予約。

 さて、列車の時間に合わせて会場に着いたものの、フェアが始まるまでまだ1時間近くある。会場のゲート前に並びながら、パディントン駅で会った日本人ディーラー皆とついつい日本人同士おしゃべり。そうこうしているうちに小雨が降ってきた。今回は私達よりもひと世代上のお姉様方のディーラー何人かが一緒。寒さと雨のため、皆持っているありったけを着込み、持っている人は手袋まではめ、傘や帽子で雨宿り。「こんな格好お客様には見せられないわ〜。」なんてお互いに言い合うのもおかしい。

 ようやくゲートが開いた!私と河村は連れだってまずは目的のディーラーのところへ駆け足で。昔からお世話になっていたソーイングツールを扱うディーラー、まずは彼らのところでソーイングツールを物色。今までの経験で、一番最初に駆けつければ何かしら良いものを手に入れることが出来る。息を切らせて駆けつけると、彼らのところにはまだ誰も来ていない、ということは一番乗り、期待できそうだ。今日出てきたのは、細工の美しいタティングシャトルやアイボリーのテープメジャー。どちらもロンドンではなかなかみつけることが出来ないものだけに嬉しい。今日は他にも良いものがみつかりそう。彼らのところが済むとすぐ次の場所へ。

 久々のイギリスの田舎ではソーイングツールが次々出てくる。アゲートのハンドルが美しいタンブルフックや複雑な形のマザーオブパールの糸巻き、シルクのピンクッションなど、どれもヴィクトリアンのものばかり、本当に最近こうしたものを見なくなったのだ。だが、今日はさらに珍しいものをget。それというのは、久し振りに目にする(本当に久し振り、調べてみたら三年振りだった。ここ最近、一切目にしたことがなかったのだ。)マザーオブパールハンドルでスコップ形のキャディスプーン、しかもすずらんのグラヴィール入り。買付けに来る度、知り合いのシルバーを扱うディーラーに「ねぇ、スコップ形のキャディスプーンなあい?」と聞いてきたが、皆悲しげに首を振るばかり。「ああいうキャディスプーンはもうこの世から無くなったのね。」なんて言っていたのだ。早速ガラスケースから出して貰いしげしげ眺める。扱っていたのは丸顔の気の良さそうなおじさんディーラー、その優しげな笑顔と共に忘れられない出会いになった。

 今日は他にもシガレットカードなどの細々したアイテムやソーイングに関するアイテムが沢山。はるばる田舎まで来て本当に良かった。ただし、毎回ここのフェアが豊作な訳ではなく、その時々で「しまった〜!」と思う程何も出てこないこともある。今回はラッキーな買付けのカントリーサイドだった。

 帰りの列車の時間に間に合うように頼んだタクシーに乗り、また最寄り駅へ。日本もそうなのかしら、イギリスのド田舎は車以外どうしようも交通手段がないのだ。イギリスの寒くてあまりにうら寂しい田舎の風景しか知らないので、「イギリスの田舎が好き。」という意見になかなか賛同できない。が、この季節のイギリスは八重桜をはじめとする様々な花が咲き誇り、列車からは鮮やかな菜の花畑がリボンのように連なっている。「この時期のイギリスの田舎ってこんなに美しかったんだ。」すぐにロンドンに帰るのがもったいないほど。久し振りにイギリスの田舎を存分に味わいたくなった。

 また3時間近く列車に揺られてロンドンに戻ってきたのは午後7時半。あぁ、やっぱり一日仕事になってしまった。でも良い買付けが出来たので疲れも心地良い。また明日も早朝から買付け、そして午後にはパリへ戻ることになっている。あぁ、ゆっくりイギリスを満喫したいなぁ。

残念ながら今回田舎の写真はありませんが、ロンドン市内の春の様子をどうぞ。泊まっているフラットの近所、サウスケンジントンの住宅街も家々に藤の花房が下がり藤の春の訪れです。


この季節といったらやはりライラック。フランスでもイギリスでも、あちらこちらで満開のライラックの花を目にしました。

■5月某日 曇り
 イギリス二日目。今日は早朝から買付けをし、夕刻またパリへユーロスターで戻ることになっている。今日は午前6時前に行動開始!フラットのレセプションがまだ開いていない時間のためチェックアウトは出来ない。いつものように、まとめた荷物はそのまま部屋に鍵と一緒に置いて出掛ける。仕事を終えて荷物を取りに戻ってくると、私達の荷物はレセプションに届けられているという訳。もうここに滞在するようになって10年以上になるけれど、こうした融通が利くところも、部屋数が少ない馴染みの場所であるがゆえ。ヴィクトリアンの建物のため、バスルームが無くシャワーブースのみということもあって、このところ「そろそろお風呂のある所に宿を移ろうか?」と考えあぐねていたけれど、やっぱり馴染みの場所は安心。マネージャーも私の顔を見ると必ず「マダム・サカザキ、如何ですか?」と聞いてくれるし、フィリピン人のメイドさん達は勤勉できれい好き、キッチンなんて常にピカピカに磨かれている。どんなものを部屋に出しっぱなしにしておいても、一度も問題があったことがなく、本当に気楽。結局、「やっぱりまだここでいいかな。」という私達なのだ。比較的安全と言われるサウス・ケンジントン界隈だが早朝だけはタクシーで移動。さぁ、今日も行ってみよう!

 まず最初に立ち寄ったのは、地金ものを得意とするジュエラー。いつも女性二人で切り盛りしていたので、「年の離れた仕事のパートナー」と思っていたら、若い方の女性が「じゃママ、私ちょっと車まで行って来るから。」と年配の女性にひと言。私達にも「後は母がお相手するからね。」と言ったので、ちょっとびっくり。この二人、親子だったんだ。あんまり似てないから分からなかった。「あら、あなた達てっきり姉妹だと思ってたわよ!」とジョークを飛ばす私。年配のマダムは爆笑!今日は小さな小さなロケットとハートのアメジストとget。

 いつもソーイングものを扱っているマダムのところに顔を出すと私に見せたいものがあるという。「ほらほら見て!」と出してくれたのはパレロワイヤルのタティングシャトル。パレロワイヤルの物は久し振りだ!昨日のフェアでも良いシャトルが入ったけれど、これも見たら必ず手に入れるアイテム。パレロワイヤルのものは何か格調の高さを感じる。そしてもうひとつは同じくマザーオブパールのピンディスク。こちらも繊細な彫刻が美しい。

 この世界ではまだ「若手」のジュエラーの彼女、10年以上前から知っているからついついまだ「若手」と思ってしまうけれど、たぶん私と同じぐらいの年齢かも。先日のパリのフェアでも姿を見かけたので、「パリのフェアに来てたでしょ?見たわよ。」と声を掛けると、「どうだった?良いものあった?」と逆に聞かれてしまった。「う〜ん、リトルグッドかなぁ。難しいわね。」と首を横に振ると、「そうでしょ。それにあのマロニエ!風の強い日だったから、もう目が痒くて痒くて!」と目を見開きながらジェスチャー付き。そうか、イギリス人もマロニエの花粉症になるんだ。「私もよ!」とヘンなところで意気投合してしまった。そんな彼女はいつも綺麗でまとまったものを持っている。今日はパールのネックレスとシードパールとアメジストのヴィクトリアンブローチを。

 アポイントを取っておいたレースのディーラーのところからはとっても古い1600年代のレースが出てきた。手に取りながら、「こんな古いものよく残っていたよね。」と思わず呟いてしまう。今日は古いレースに出物が。19世紀のレースだって良いものとはなかなか出会わないのに、1800年よりも前のレースなんて存在自体が稀有。古いレースで良いものが出てきたら、迷うことなく手に入れるのが最近の私達のモットーだ。

 もうひとりのレースディーラーは、かつてバースのアンティークセンターにブースを構えていた女性。彼女の品揃えが好きだったことと、他にもお気に入りのディーラーがいたこともあって、以前は買付けの度、毎回バースまで足を伸ばしていた。バースは観光地でもあるし、何より17世紀に数多くのフランス人が移住したこともあって街並みが美しく、日帰りバースの旅は、空気の悪い喧噪のロンドンから離れる楽しい口実にもなっていて、仕事一辺倒とはいえ、ロンドンで仕事をするよりもずっと楽しかったのだ。その彼女も、長らく入っていたバースのアンティークセンターの衰退を見限って、ロンドンに仕事の場を移し、毎週バースから通って来るようになってしばらくたつ。
 昨日コッツウォルズでフェアがあったことを知っている彼女は、「昨日はフェアに行ったの?」と私の顔を見るや問いかけてきた。「ええ、行ったわよ。」と私。「じゃ、バースも行った?」とさらに問いかけてきた。「ううん、昨日は時間が無くて行かなかった。」と私が答えると、待っていましたとばかり「バースのアンティークセンターはねぇ、無くなったのよ!」とひと言。「えぇ〜!本当!?」と私。アンティークセンターは何度も足を運んだ場所でもあり、バースのアンティークの拠点だっただけに、残念な気持ちと寂しい気持ちが交差している。バースに行かなくなってもう数年、最後はどんどん衰退していくアンティークセンターに「これ以上、ここに来ても無駄。」と結論づけて行かなくなってしまったが、その昔々、大昔はアンティークセンターも何箇所かあり、それは賑わっていたのだ。良いものを手に入れた思い出もいっぱいある。もうバースへ行く用事が無くなってしまったかと思うと、ひとつの時代が終わった寂しさがこみ上げてきた。

今日は他にソーイングの素材を扱うディーラーにもアポイントを入れてある。いつも何かと私好みの素材を持っている彼女。事前に「こういうのと、こういうのと、こういうの!」と詳しく欲しいものをリクエストして出掛けるのだが、今回はオーナーのマダムは「ギリシャにホリディに行くからその日は留守よ。アシスタントにはあなたが来ることを伝えておくわ。」という返事。そういえば、彼女はギリシャがお気に入りのようでしょっちゅうバカンスに出掛けている。いくらギリシャの物価が安いとはいえ、なかなかバカンスなんていうものの取れない私達からすれば羨ましいばかり。今までも、本人が留守でもアシスタントの女性がきちんと接客してくれ、私用の袋に入った商品を預かっていてくれた。さて、今日は…

 アシスタントの女性は「ハイ、今日はこれ。」と私用の袋を出してくれたのだが、ほんの僅かしか商品が入っていない。「え?これだけ!?」と一瞬思ったのだが、その中のひとつは総刺繍の美しいシルク。おまけにとても状態が良い。19世紀半ばのシルクだと思われるのにどこにも傷みが無く、まるで新品のよう。きっと大切にどこかにしまわれていたものに違いない。正に100年以上の眠りから覚めたような雰囲気に、「そうよそうよ、こういうのが欲しかったの!」と、とても高価ではあったけれど迷うことなく仕入れ。同じく19世紀前半のポシェットは繊細なビーズの縫い取りとビーズのフリンジがたっぷり付けられたもの。アシスタントの彼女とも「これは19世紀でも初期のものね。」と意気投合。またまた「ジェーン・オースティンのポシェット」と名付けた。

 もうひとかた、忘れられないディーラーが。ジュエリーを扱うこのカップルは普段はロンドンにいないのだが、この日はちょうどロンドンに出て来ることになっていたため、ラッキーなことに会うことが出来たのだ。フレンチジュエリーを主に扱う彼ら、細々したアイテムを沢山持っていて、彼らの商品をひとつひとつチェックしてセレクトするのは大変ではあるけれど、何かしら気に入った物がみつけられて楽しい。今日もリングやピアスなどダイヤのアイテムに混じって、ウサギのバーブローチを発見。ウサギアイテムは外せないのだ。

 そろそろ仕事も終わりという頃、「まだパリへ向うユーロスターに乗るまで2時間以上ある!」ということで、思い立って急遽ヴィクトリア&アルバートミュージアムへ。私達のフラットからも程近いヴィクトリア&アルバートミュージアムはただいま「キルト展」の真っ最中。先日、お客様のおひとりから「今、ヴィクトリア&アルバートミュージアムでキルト展が開催中よ。」と教えていただいてから、時間があったら是非足を運びたいと思っていたのだ。今回のスケジュールでは無理だと思っていたけれど、最後の最後に時間が空いて立ち寄ることが出来た。が、最近のヴィクトリア&アルバートミュージアムは有料の特別展覧会は時間指定をして入場を制限しているらしい。まず、チケットを買う長蛇の列に並び、「やっと順番が来た!」と思ったら、「あなたの入場時間は2時間先。」と言われ、結局泣く泣く諦めるはめに。2時間も待っていたらユーロスターに乗れなくなってしまう。仕方なくミュージアムショップでカタログだけ買い込みミュージアムを出た。

 後はフラットに戻り、ユーロスターの出るセント・パンクラスの駅へ向うばかり。普段だったら、ロンドンからパリに向うのは楽しい気分なのだが、今回はまたあのマロニエの花粉が飛ぶパリに戻るかと思うとちょっぴり憂鬱。本当に不思議なことにマロニエの無いロンドンに来て以来、すっかりくしゃみも治まり調子が良いのだ。覚悟を決めパリへ。

「買付け日記」は後編へと続きます。