〜前 編〜

■2月某日 曇り
 午前5時半起床!今日は買付けのため空港へ。3年前に出来た中部国際空までは自宅から約1時間、午前6時半には出掛けなければならない。夕べ寝たのは2時頃だっただろうか。「さっき寝たばっかり。」という感覚で河村に起こされ支度をする。この時間は外気も当然冷え切っていて、特にこの冬の寒い時期の仕入れは心身とも蝕まれるような気持ち。まずは何はともわれ空港へ。

 空港でチェックイン。今はインターネットでも事前にチェックインが出来るようになりつつあるが、いかんせん私の格安チケットでは出来ず、空港のカウンターへ向かう。カウンターでは、お決まりの質問をしながらチェックイン。「通路側から二席並びでお願い。」ここ最近ほとんど満席のことが多いのだが、一応「今日は満席?」「3席をふたりでキープ出来ない?」と要求だけはしっかり。申し訳なさそうな航空会社の社員が言うには、「今日は満席でございます。」でも、「今日はビジネス席もエコノミーになっております。」ということで、経由地のソウルまではビジネスシートで。これがソウルからパリまでのロングフライトもビジネスシートだったらどんなにかいいのに。「いつの日か、ビジネスで買付けに行けるような身分になりたい…。」と節に願うサカザキだった。

 流石に寄る年波に勝てず(?)「なんてヨーロッパは遠いんだろう。」と最近は長時間のフライトがしんどくなっていた。でも、もしヨーロッパがもっと近かったら、アンティークはお仕事にならないかもしれない。そんなことを考えつつ、「体力あるのみ!前進!!」と自分自身に気合いを入れる。

夕刻のオデオン座。この界隈を常宿にしてもう十数年、メトロのオデオン駅からもすぐ、ゆったりした坂道の下からよく見知ったこの建物が見えるとほっとします。

■2月某日 晴れのち雨
 買付け第一日目。今日はアポイントを入れてある2軒を回る予定。たった2軒だが、どちらも大事な仕入れ先なので、たぶんこれだけで今日は時間が潰れてしまうはず。今回は全て日本で両替を済ませてきたため、わざわざ遠くの両替所まで行くこともなく、朝からのんびりキャフェで一息入れてから出掛ける。

朝のキャフェから。パリジェンヌも通勤時刻、左から二番目の初老のマダムは紫のマフラーにスカート、タイツ、それに焦げ茶色のコートがお洒落。実際にパリで「お洒落だなぁ。」と思うのは、40代以上の大人のマダムです。

 まず一軒目は、レースや布小物を扱うマダム。沢山の在庫の中から選べるばかりか、私のリクエストを聞いてくれるので、いつも事前にあれこれわがままなメールを送るのだ。果たして今日も可愛くて珍しいロココが。花輪の形になったロココに、思わず「こんなの見たことない!」と呟いてしまう。他にも、以前から私が「ハンカチ!ハンカチ!」と騒いでいたのを覚えていてくれて、ポワンドガーズのハンカチが出てきた。ハンカチは昨今なかなか見ることのないアイテム、今回は2枚連れ帰ることに。一度に2枚も手に入って嬉しい。今日は他にもホワイトワークのハンカチが!ハンカチ三昧だったが、最近は出会ったときしか手に入らないため、良いものだったら迷うことなく手に入れることにしている。午前中から出掛けたはずなのに、あっという間に数時間、そこで散々選ぶともう時刻は夕方近くにあっていた。マダムに良くお礼を言って、今日も沢山の収穫と共に次なる場所へ。

 いつもの紙物ディーラーのオフィスへ向かうと、ディーラーのムッシュウは私達のために沢山のカードをテーブルに積み上げて待っていてくれた。挨拶もそこそこ、「何からいく?」と言う彼に、「じゃ、ウィーン趣味を。」と告げる。
 せっせとひととおりのお仕事用のカードを選んだ後のお楽しみ。それはアール・ヌーボーの美しいカードのコレクションを見せて貰うこと。ムッシュウも、高価なアール・ヌーボーのカードをそうそう私達が買えないのを知っていながらも、いつも嫌がらずに見せてくれる。コレクションといっても、勿論値段が付いていて購入することも出来るのだ。アール・ヌーボーといえばミュシャのカードが有名で、私達も何枚かコレクションしているけれど、実はミュシャ以外にもアール・ヌーボーの雰囲気溢れる美しいアイテムは、フランスのもの、イタリアのもの、ウィーンのもの沢山ある。今日、目に付いたのはイギリスの女流イラストレーター、エバ・ダニエルのもの。銀彩を使った美しいペアは初めて見るカードだ。今日はこちらをいただいたのだが、本当に私が欲しかったのは、アール・デコのイタリアのイラストレーター、ブルネレスキの6枚セット。「あぁ、なんて恰好いい!これってセリエ(セット)よねぇ。」と見とれる私にムッシュウは「ウィ。」と厳かに頷く。というのもこのセット、高級ジュエリーが買えるほどのお値段なのだ。溜め息をつきつつ、「あぁ、私がお金持ちなら迷わず買うのに…。」商品とは別に、いつか手に入れたいもののひとつだ。

 今回はいつものアイテムの他に、様々なレースのカードを仕入れてみた。今までもほんの数枚扱ったことのあるレースのカードだが、彼に「レースのカード見せて。」と頼むと、アランソンやアルジャンタンなど思いがけず繊細なレースが印刷されたカードが出てきた。今回はレースで良いものが入ったし、こうしたカードがあっても良いのかも。そんな思いで買付けした。

 買付けからの帰り、いつものようにバスに乗り、前回行ったアルザスの中世の旧市街を思い出しながら、「パリには古い街並みが残っていないからつまらない。」と思っていると…。(パリの街は19世紀半ばの「オスマンの大改造」によって中世の街並みのほとんどが姿を消してしまい、近代的な街並みへと生まれ変わったため。)目の前にマリー・アントワネットが最後の時を過ごしたコンシェルジュリーが。黄昏時、夕闇迫るセーヌ川に忽然と現われたコンシェルジュリーの建物はそれは美しく、「そういえば、これって中世の建物そのものだった!」

こうした美しい景色が何気なく日常的に散りばめられているパリ。そんな景色に出会う度、「これだからパリは止められない!」と思うのです。

■2月某日 曇り
 いつもならロンドンから入り、パリへと移動するのだが、タイトな日程の今回は、パリから入り、ロンドンを短期間で往復することになっている。ロンドンはなんと一泊!でも、細々したジュエリーはフランスだけの仕入れでは入手出来ないため、ロンドンまで出向かなければならない。他にもシードパールなど修理用のパーツもロンドンでなければ手に入らないものの一つ。そろそろシードパールの在庫も減ってきたことだし、このあたりで仕入れておかなければ安心してジュエリーを扱うことが出来ない。今日は朝9時台のユーロスターに乗るため、パリのホテルに大半の荷物を預け、ユーロスターの出る北駅へと向かう。

 以前は3時間以上かかっていたパリーロンドン間だが、現在は2時間半ほど。街の中心から街の中心へと移動できるユーロスターは、飛行機に比べて本当に便利な乗り物だ。ただ、この冬は寒さからの故障からユーロトンネル内に列車数台が18時間以上閉じこめられる、という恐怖の故障があったばかり。私達もかつてユーロスターの故障に遭遇し、6時間以上かかってロンドンからパリへと移動した経験があるため、それがどんなにか大変な出来事だったかは想像にあまりある。なにせ18時間食べる物もなく、車内は停電で暖房も切れていたはず。(私達がユーロスターの故障に遭った時には夏だったにもかかわらず、冷房が切られて散々だった。)ロンドン在住の知人からも「まだ原因が究明されていないから、しばらくユーロスターは止めた方が…。」と言われたばかり。(ユーロスターのチケットをインターネットで押さえた翌日に彼女から言われ、もはやどうする術もなかった。)運を天に任せて、一路ロンドンへ。

無事ロンドンはセント・パンクラス駅に到着!ユーロスターがイギリスに入り、ロンドンの煉瓦造りの街並みが見えると、パリとはまた違ってなんだか懐かしい気持ちになります。パリが恋人の住む街なら、ロンドンはさしずめ「親戚の家」といった感じです。

 まず荷物を預けにいつものフラットへ。こことも、もう長い付き合い。閑静な住宅街にあるのは気に入っているものの、なにぶんヴィクトリアンの建物ゆえ、リフト(エレベーター)とバスルームがない(シャワブースはある。)のがたまに傷。それでもキチネット付きの便利さに惹かれて長年常宿にしてきた。今回も、たった一泊のロンドン滞在でもあるし、「どうしよう。普通のホテルに泊ろうか?」と迷った末、ロンドンの膨大なホテルの中から新たなホテルを選ぶのも煩わしく、結局いつものフラットへ。
 だが、レセプションの顔馴染みのスタッフ達に「また来たね。」とにっこり微笑みかけられ、トップフラット(日本式の5階)の部屋へにえっちらおっちら上がり、清潔感溢れる部屋へ入った途端、「やっぱりここは落ち着くわ〜。」とほっとしたのだった。
 ひと休みした後は、バスを乗り継いで、今日のスケジュールをこなすべくるジュエリーの問屋街へ。シードパールや日本では手に入らない9Kのパーツを補充するためだ。

 実はロンドンに着いてから地下鉄でフラットまで移動したのだが、常に故障気味(?)のロンドンの地下鉄のこと(なんといってもロンドンの地下鉄はヴィクトリアン、アンティークですから!)、異常に運行数が少なく、そのため常に満員状態で、しかもしょっちゅう止まるノロノロ運行。車内は暑く、何より僅かな距離なのに、延々と到着しない。「こんなことで本当にロンドンオリンピックなんて出来るのかしら?」と危惧してしまう。

 果たしてわざわざ地下鉄を避けてバスを乗り継いで行ったというのに、今度は道路工事のため、本来のバス停とはまったく違う場所で下ろされてしまった。「これだからイギリスは!」とブツブツ言いながら、更にバスを乗り継ぐ。目的の場所に着いた頃には、すっかり予定の時間を過ぎていた。

 目的のブツを入手し、いつも立ち寄るレースディーラーのところへ。さして期待せず「習慣」という感じで寄ったのだが思いがけず珍しいテーブル周りのアイテムが。変わった形のマルチーズボビンに、ディーラーの彼女と一緒に「珍しい形よね。」と頷く。今日はそれと一緒に薔薇の柄のノルマンディーレースも。他にもジュエラーの所に寄るもこちらは収穫なし。一通りの仕事が終わると外はすっかり暮れていた。

バスの2階から見たハイドパークコーナーのラウンドアバウト(Roundabout ロータリー交差点)。この巨大なラウンドアバウトは慣れるまでドキドキヒヤヒヤ。以前、レンタカーで初めてこのラウンドアバウトを通った際には、あまりに車線が多いため、どうしても目的の道に入ることが出来ず、「あぁ〜!やっぱりダメだ〜!!」と3周もグルグル回ってしまったことがありました。

■2月某日 晴れ
 まだまだ時差ボケが治らず、起きたのは午前4時。今日はイギリスで必死の買付けをした後、すぐにパリへトンボ返りするハードな一日だ。勝負は午前中、朝6時過ぎから数時間の間にジュエリー、レース、ソーイング小物、沢山のアイテムを仕入れるため、今回のスケジュールでは一番集中力を要する買付けだ。

 まだ暗いロンドンの街の中、フラットから飛び出してタクシーを捕まえる。まず向った先は、ゴールドやシルバーなどの地金のジュエリーを中心に扱うディーラー。「おはよう!」と声を掛けると、よく見知ったマダムからニッコリ笑顔で迎えられた。いつも彼女から譲って貰うのは、チェーンやら、シール、ゴールドのペンダントトップなど。どちらかといえば「硬め」なイメージの物が得意の彼女。今日も沢山持っているシールの中から私達が選んだのは、お気に入りのはさみのインタリオが彫られたシール、そしてスミレのお花のシールとひまわりのお花のシール、チェーンが何本か。勝手分かっている彼女なので、シールに彫られている文字もひとつひとつメモして貰う。

 地金系の後は、やはりロマンティック系のジュエリーを。今回はフランスのアール・ヌーボーネックレスが目に入ってきた。思いがけないお値打ちなお値段に即get、他にもハートとリボンの組み合わせ等々、こちらもラヴリーな組み合わせのトップを発見。いつもは一本のリングを見つけるのにも必死の思いなのだが、今日はラッキーなことに気に入ったタイプのリング(しかも珍しく小さなサイズ!)と出会う。一本は私の好きなシードパールとダイヤの組み合わせ、もう一本はシードパールにエナメルのモーニングリング。どちらもヴィクトリアンらしいその時代らしさが私の好みだ。綺麗なグラデーションの小振りなパールネックレスもいつも探していたアイテムだ。天然真珠が何とも言えない味わいだ。

 ソーイングを専門で扱っている訳ではないのに、たまに良いソーイングツールを持っているマダムからは紙とシルクで出来たピンディスク。紙の部分には手描きの絵が描かれていて、今までに見たことのないタイプ。状態も良好だ。また別なソーイング専門に扱うマダムは、私の顔を見た途端、「地方のディーラーから送られてきたばかりの物があるのよ。見る?」と小さい包みを開けて見せてくれる。中からは私が探しているソーインツールいくつか。その中から、マザーオブパールの糸巻きとアゲートのハンドルのかぎ針を選んだ。糸巻きは複雑な形、アゲートの縞模様が美しい。

 ボタンを専門に扱うマダムも、いつも私がエナメルボタンを探していることを分かっていて、私の顔を見るなりどこからか小さな台紙の束を取り出した。それは小さなエナメルボタンがびっしり付けられたもの。小さなサイズばかり、数十個はあっただろうか。「どうしたのこれ!?」とあまりに沢山のボタンに驚いて尋ねると、マダムは「コレクターが売りに来たのよ。」とにっこり。これも不景気の影響なのだろうか?いかにもコレクターが一生懸命集めたということが分かる一風変わったボタンばかり、その中から美しいボタンや変わったボタン十数個をセレクト。こんな一度に沢山のエナメルボタンが出てくることはかつて無いこと。「こんなこともあるのね。」と大満足。

 ここ最近、なかなか良いレースを見つけることが出来ないイギリスの仕入れだが、この日出てきたのは状態も良いシルクにポワンドガーズのパーツがアプリケされたゴージャスなランジェリーケース。ごく淡いグレイッシュなぐリーンのシルクの風合いにポワンドガーズのエクリュな麻の色合いが魅力的で、高価だったにもかかわらず、一目見た瞬間「あ、これ日本へ持って帰る!」と心に決めてしまった。何よりも、こんな細工は初めて目にするものだ。この仕事を始めて十数年、まだまだ知らない物は沢山あるのだ。
 以前から欲しかったヴィクトリアンの小さな香水瓶。ビビットなピンクがラヴリーなカットグラス、三層の着せガラスを花形にカットしたこれは本当に可愛い。こうした小さなアイテムも大好きだ。願わくばもっと沢山、ひとつのコレクションが出来るぐらい集めてみたいと思う。

 気付くと時計は昼過ぎ、買付けをしているうちに時間はあっという間に経ってしまう。今日は午後3時過ぎのユーロスターに乗るため、クタクタのまま一度フラットへ荷物を取りに戻り、早々と逃げ足早く駅へと向った。だが、再びあのノロノロ混み混みの地下鉄に大荷物で、地下深くに潜って(セント・パンクラス駅に向うピカデリーラインはとても地下深くに通っている。)乗るかと思っただけで、げんなりしてしまう。経済的に「地下鉄で行こう!」という河村に、「こんなクタクタでタクシーじゃなきゃもう無理!」と我が儘を言って結局タクシーで行くことに。

パリへ向う直前、セント・パンクラス駅のユーロスターラウンジでちょっぴりブレイク。この手前の紙切れ、何だかお分りになりますか?これがインターネットでユーロスターを予約するとプリントアウトできる列車のチケットなのです。この右下のQRコードの部分を改札の機械にピッと照らすと改札が開き、チェックイン終了。最初使ったときには、あまりの便利さ、あっけなさに、「もう最近の文明の進化にはついて行けないわ〜。」と心から思いました。(笑)

  ロンドンからふたたびパリに戻った夜、まずはホテルに落ち着いて、そして向った先はいつものキャフェ。私達を見てガラス越しに手を振る顔馴染みのギャルソンとガラス越しに挨拶してから中へと入っていく。「マダムはビエール・ブランシェで、ムッシュウはペリエだね?」とちゃんといつも私達が注文する物を覚えていてくれるのも嬉しい。けっしてお洒落なキャフェという訳ではなくて、本当に街角のお店なのだが、どうしてだが慣れたここのテーブルに着くと落ち着くのだ。やれやれやっとパリに帰ってきた!

こうしたパリらしい石畳の道も、昨今は少なくなってきました。オデオンの駅からもすぐのこの小径はパリで最古のレストラン、1684年に出来たプロコープもある由緒ある通りです。

「買付け日記」はいよいよ後編へと続きます。