〜後 編〜

■2月某日 曇りのち雨
 今日も朝早くから買付け。昨日と同じくアポイントしている先がいくつかある。まず初めは生地や雑貨を扱う彼女のところ。いつもメールでやりとりしている彼女は私の好みをしっかり把握していて、わたし用のボックスには頼んでおいた様々な物が詰まっているのだ。今日も柄織の生地やコットン生地、いつも「カゴ!カゴ!」としつこくメールで言っている私のためにソーイングボックス。可愛いコサージュの詰まった小箱も出てきた。今回は寒い場所での仕事が多い彼女のために、日本から私とお揃いの暖かいネックウォーマーを持参。「カドー(贈り物)よ!」と渡しながら、「これはジャパニーズハイテクノロジーのあったかグッズよ!」と笑いながら伝えると、「本当?それって、私には凄く必要なもの!」と笑って答える彼女。「それはもう寒くて…。」ここでもまた年末からのフランスの寒波の様子を聞かされるはめに。本当にこの冬のフランスは寒かったらしい。

 今日は他にも、度々レースを譲って貰っているマダムの所から豪華なボーダーが出てきた。ポワンドガーズの広巾ボーダーは久し振りのアイテム、良いレースとの出会いは嬉しいことのひとつ。こうしたボーダーは、当時貴婦人のドレスの裾飾りとして何メーターも何メーターも使われたのだ。20cm近い巾のあるレースを眺めながら、「なんて贅沢だったんだろう!」と思わず独り言が出てしまった。

 正午近く、休憩に立ち寄ったキャフェで河村と一息入れていると、観光で来たと思われる日本人の女の子三人が入ってきた。小さなキャフェゆえ、ここは壁にもメニューがなければ、もちろん紙のメニューも置いていない。常連のお客がほとんどなので、私達も含め皆メニューも見ずに、「キャフェ」とか「キャフェ・クレーム」とか注文していく。が、入ってきた彼女たち、「メニューを貰おう。」と日本語で相談している声が聞こえると、その後英語で「メニュープリーズ。」と言っている声が聞こえてきた。観光地でもない街中の小さなこんなキャフェでは英語を話す人は皆無。それでもお店のムッシュウは“Manges?(食べるの?)”とフランス語で一生懸命聞いているのだが、彼女達にとっては何の事やらさっぱり分からない様子。しばらくムッシュウの“Manges?”と彼女達の「え?何?何?」の押し問答が続いた後、思わず「Mangesって何か食べるのか、っていうことよ。」と横から口を出すお節介なオバサンの私がいた。「そうだったんですか。コーヒーはフランス語でなんて言うんですか?」と再び聞かれ、「キャフェよ!」と叫んでしまった。
 でも、とても礼儀正しい彼女達、わざわざ私達の席まで「先程はありがとうございました。」とお礼を言いに来てくれた。「で、コーヒーっていくらなんでしょうか?」とその中のひとり。そうだよねぇ、きっと注文したのはいいけれど、いくらだか分からずドキドキしてしまったに違いない。「1ユーロちょっとだと思うよ。ここは安いから大丈夫よ。」と教えてあげた。それにしても、とても礼儀正しい可愛い女の子達だった。日本人の若い女の子がこちらで人気があるのも分かる気がする。

 さぁ、午後は場所を変えていつものレースのマダムの所へ。

 久しぶりに会うマダムは、室内だというのに毛皮のジレを着て着憮膨れている。ちょっぴりちぐはぐな着こなしも寒さもせいか、パリのマダムでも寒さには勝てないようだ。「お互いに元気だった?」と言い合いながら私とも河村ともギュッとビズー。いつもお世話になっている事もあり、なにかとマダムのことを心配している私達、ギュッと抱き合いながら、「あぁ、ばあちゃん(誇り高いマダムのことを私達は陰で「ばあちゃん」と呼んでいるのだ。)、元気で良かった!」とほっとする。

 まずはリボンから。「これが新しいストックよ。」と大きなボックスを出してくれたのだが…ワサワサ入っているリボンをひとつひとつ見ていくのだが、今回は欲しい物がない。次に、ベビードレスを見ていく。まるで整理していない倉庫のように、縦横無尽に天井からぶら下がったベビードレスを「あれ!」とか「これ!」とか言って降ろして貰うのだ。見たことのない様々なドレスがあって、マダムの所に新たに入荷した物が沢山あることが分かる。今日はそんな中にボネ付きのチュールで出来たベビージャケットを発見。手縫いで出来た薄いジャケットには繊細なコードの装飾、ボネもクシュクシュした質感が可愛い。まずはそれをよけておいて、次にレースを見せて貰う。いくつか紙包みから出してくれたボーダーも見てみるのだが、「18世紀の古いものを。」とリクエストしていた私達の望むような物は出てこない。マダムは「もう古いレースを仕入れるのは本当に難しい。」と言い、その後でも「本当に難しい、難しい。」と繰り返す。でも、その後で出てきたハンカチが圧巻だった。

 私がほとんど期待もせずに「新しいムショワール(ハンカチ)ある?」と尋ねると、「よくぞ聞いてくれました!」とばかりに、別の紙包みを取り出した。その中にはホワイトワークのハンカチ。立派な紋章が刺繍された見事な物だ。二匹の獅子が向かい合った紋章の上に変わった形の王冠も刺繍されていて、「これはプリンスの紋章よ。」とマダム。獅子の毛並みそのままにステッチされた繊細で重厚な刺繍だ。このハンカチといい、先日別な場所で仕入れたハンカチといい、ひょっとしたら最近ハンカチコレクターが手放した物かも。そうでもしなければ出てこないような物なのだ。そんなことを思いながら、出会ったことを感謝してベビージャケットとボネと一緒に手に入れた。

 レースのマダムの所をあとにし、他にも仕事を済ませるともう夕刻。仕事帰りにいつも立ち寄るキャフェに寄ろうとしてびっくり!何年も何年も通ってきたキャフェが閉まってる!!きっぷが良かったマダムとダンディなムッシュウはどこに?ドアに駆け寄ると張り紙がしてあって、昨年の年末にお店を閉めたことが分かる。「長い間ありがとう」というメッセージと共にマダムとムッシュウの署名があって、本当に閉めてしまったことを再確認した次第だった。この十年以上、仕事帰りにいつも一服するのはこのキャフェだった。よくランチに登場するポール・ド・プロバンサル(豚肉のプロバンス風)が美味しかった。ここで疲れた身体をシートに横たえて、何度ほっとした気持ちでワインを飲んだり、食事をしたのかしれない。今度からどこのキャフェに行けばいいのか…何だかとても寂しい気持ちになってしまった。
 そうそう、今回はホテルの側にあって長年私も愛用しているお洒落なシルクロープで出来たバッグを扱うお店が無くなったり、同じく洗練された花屋が無くなったり、日本ほどではないものの、リーマンショックからの不景気でパリの街も様々な変貌を遂げているようだ。どちらの店も「常にあって当然」という意識があり、パリの街を彩るチャームポイントだったのに、無くなってしまってとても残念だ。

オデオン界隈ではまだ新参者のこの花屋も、洒落たディスプレイが私のお気に入りのひとつ。常にディスプレイしてある古書やスミレの小さな花束にオーナーの美意識を感じます。ずっと頑張って欲しいなぁ。


赤い色がポイントのアクセサリーのブティック。扱っているのは現代のものですが、奥に見える赤い屋根のショウケースはアンティークのもの。蠱惑的な赤い色に、ついつい前を通ると中を覗いてしまいます。


ホテルのすぐ裏手にあるフォーマルドレスのブティック。オーダーをメインにしているお店らしく、見本のドレスがウィンドウを飾ります。これは親子お揃いのウエディングドレスでしょうか。長いPACSパックス(非婚カップルに婚姻夫婦に準ずる諸権利を付与する制度、事実婚ともいえる。)期間を経て結婚するカップルや再婚同士のカップルも多いため、こんな組み合わせなのかも。


上と同じブティックのウィンドウに飾られていたミニドレス。美しいスカーレットの色合いが印象的です。同じ色の首に巻くリボンがチャーミング。

■2月某日 晴れ
 今朝はゆっくり起床。少しずつ時差ボケも治ってきたようだ。(ということはまた帰国してから時差ボケに苦しむことになるのだが…。)今日の買付けは、午前中の遅い時間からのため、近所のPAULでゆっくり朝食。パリの街中に何軒もあるPAULでは併設のサロン・ド・テで朝食のセットを食べることが出来る。どこのサロンもアンティークの家具やアンティークの豪華なシャンデリアが使われていたり、アンティークの備品がディスプレイされていたり、アンティークタイルが張られていたり、パン屋といえどもちょっぴり高級感がある。(どうも最近商売に熱心なラデュレは、PAULに買収された結果と聞いた。)朝食のセットには、フリュートと呼ばれるトラディショナルなフランスパンとクロワッサンが選ぶことが出来るのだが、私達は迷わずフリュートを。たっぷりの無塩バターとアプリコットや苺のジャムが付いてくるところも贅沢だ。それに生搾りのオレンジジュースとキャフェ・クレームで朝からのんびり過ごすのもパリでのたまの楽しみだ。

 が、またまた今回ショックな出来事が。PAULの向い側には地元のパン屋があり、こちらのシリアル入りのバゲットは、チーズやワインともぴったりで私達の大のお気に入り、もう十年以上も通っていたのに…なんとこちらも閉店しているではないか!太ったふたりのマダムや、店先の屋台でバゲットサンドを売っていたムッシュウはいったいどこに行ってしまったんだろう?もうあのパンが二度と食べられないかと思うと、河村とふたりがっかりしてしまった。これもまたリーマンショックの影響なのか。

 優雅な朝食を食べたあとは、お仕事へgo!今日は「アンティークの問屋」と呼んでいる倉庫のようなところで、終日お花やリボンや布などの素材にアリ地獄のように囲まれて過ごすのだ。

 パリの外れにあるここは、気の遠くなるような在庫が山となった倉庫。親子のふたりのマダムが取り仕切り、19世紀から20世紀までコスチュームを中心に布もの、素材、お花、膨大な物に埋もれて、たまにキラリと光る物がある。ここに来る私達の目的はリボンやブレードなどの素材とお花。自分達の気に入った物が見つければそれは宝の山だが、なにしろそれの一点一点チェックするのは一日仕事で、かなりの覚悟を持ってやってくる。どれも埃を被ったアンティーク、素手で触ると手が真っ黒になるので、革手袋のままそのひとつひとつを河村と手分けをしてチェック。

 その大半は古くても1930年代や1950年代、比較的新しい素材なのだが、それに混じってたまに19世紀の物が混じっているので、それを手堅く探し出すのがここでの仕事だ。箱の中に入った沢山のお花も、「ここへ出して見ろ。」とマダムがスーパーで使う買い物カゴを持ってきてくれる。形が崩れたり、ボロボロになっている物がほとんどなのだが、稀に良い状態をとどめた物がみつかることがあり、それを手に入れるためすべてのお花をひっくり返すのだ。「お花ひっくり返し」が終了すると、マダムがどこから大きな紙袋を持ってきてくれた。中を見ると…大きなスミレの束。それがいくつか入っている。そうそう、こんなのが欲しかったのよ!他所の場所でも「スミレない?」と散々聞いた後だったので、私の好みにぴったりのスミレの束にすっかり嬉しくなってしまった。グラデーションのスミレや小花のスミレ、いずれもボリュームのある大きな物ばかりでとても存在感がある。

 終日を倉庫で過ごした後、最後に立ち寄ったのは、こちらは18世紀、19世紀の時代衣装ばかりを扱うマダムの所。たまにレースの出物があり、外せない買付け先だ。ガラスの扉越しに中を覗くと今日はマダムの姿はない。が、扉を押すとゆっくり開いたので、大きな声で“Bonjour!”と中に入ると、二階からムッシュウが降りてきた。顔馴染みの初老のムッシュウ、「誰かに似てる!」と思えば、CDジャケットで見たシャルル・アズナーブルとそっくり。さぞ昔は格好良かったに違いない。そういえば、マダムも若かった頃はきっと美人だったと思われる綺麗な顔立ち。若かりし頃は美男美女のカップルだったのかも。
 昨日上質なホワイトワークのハンカチが出てきたことに気を良くして、「ハンカチない?」と見せて貰うと、こちらはいまひとつの物ばかり。「そうか〜。」と少し気落ちしながら、「何か他にレースない?」と聞くと、様々なレースの入った紙包みを出してくれた。今までにも見た事のある物、見たことのない物、それをひとつひとつ広げていくと…私達が「可愛い系」と呼ぶアランソンが出てきた。今まで目にしたことがないから、これはきっと最近入った物に違いない。このタイプのアランソンは、常に探している物のひとつだが、実際に目にしたのは久し振り。嬉しい出物だ。

 結局今日もホテルに帰り着いたのは夕刻。買付けは明日までだから、ゆっくり夕食を取ることが出来るのも今日まで。今回は、まだ一度もレストランにも行っていない。短い日程で、なんのスペクタクルもない今回の買付け、「それならせめてレストランでも!」とゆっくり休んだ午後8時過ぎ、近所のお気に入りレストランへ出掛けた。

 ホテルからも程近いサン・ジェルマン・デ・プレのLa Petite Courは私達のお気に入りレストラン。ゆったりしていて席数が多いので、よっぽどの場合を除いて予約の心配がない。まずまず繊細な料理に、パリでは珍しくコストパフォーマンスが良い。そして何よりもホテルから歩いて行くことが出来て、帰りはサン・シェルピス教会辺りや、レンヌ通りのブティックの灯りの灯ったショウウィンドウを眺めながら散歩できるのが楽しい。今日もお腹いっぱいご馳走を食べた後は夜の街を散歩。

フランスのレストランは大人のための空間。日本のそれと違って、若いカップルなどはまず見たことがありません。こちらでレストランへ行く度、「あぁ、大人になって良かった!」と思ってしまいます。ここの赤いクラシックな椅子がパリっぽくて好きです。


夜更けのパリ散歩。アパルトマンの扉の向こうには古い螺旋階段が続いています。お部屋の中はどんな風になっているのでしょうね。

■2月某日 晴れ
 買付け最後の日、今日は荷物を出荷した後は、比較的自由な日。というか、もう昨日の段階で、ひととおり仕事は終わっているのだ。

 朝起きて、広げてあった自分の荷物と買付けた荷物をまとめ、スーツケースに押し込み、入らなかった荷物はこちらから送るため、それもひとまとめに私達がディーラーズバッグと呼んでいる巨大なビニールバッグ(なぜかフランスのホームレスはみんなこのバッグを持っている。)に入れていく。荷物が出来たところで、重量級のスーツケースを階下に運び、チェックアウトを済まし。いつものことだが、チェックアウトだけでも一騒動、これが終わると「やれやれ。」という気分になる。今日も、チェックアウトを済ませて、自分達のスーツケースをレセプションに預けると、さっさと出荷のためバスに乗って街へ。

 オペラからも程近い日系の運送会社のオフィス、働いているのは日本人の女性ばかり。たぶんフランスで結婚をし、労働許可証を持つ女性ばかりなのだろう、いつも変わらない顔触れで顔馴染みの人ばかり。ここでは「あ、こんにちは!」と挨拶も日本語。フランスにももちろん郵便局もあって、そちらからも発送することが出来るのだが、あまりにもトラブルを多く聞くので、流石に郵便で送る気がしないのだ。慣れた発送の手続きを済まし荷物を送ってしまうと、やっと「自由の身」に。これさえ済めば、後はもう帰国するばかりだ。

 午後8時のフライトまではまだまだ時間がある。という訳で、今日のお昼は河村が行きたがっていたレストランKGBへ。ここは今までも何度か行ったことのある一つ星レストランZe Kichen GalleryのBis、つまりセカンドラインのお店で、元々あったZe Kichen Galleryのすぐ側に最近出来たばかりなのだ。お店の名前がKGB(つまりソビエト連邦の秘密警察)というのも洒落ている。一つ星のZe Kichen Galleryは確かに美味しいのだが、あまりの人気店になってしまい、最近は予約すら取りにくくなってしまった。前回来た折に予約を入れようとしたら、「午後10時半だったら空いてるけど。」と言われて、「え?午後10時半に夕食!?」とあっさり諦めたのだ。

 午後12時ちょうどに出掛けると、まだ店内に客の姿はない。「予約は?」と聞かせたが、予約無しでも席に着くことが出来た。(もっとも入口から一番近い末席だったけれど。)で、お味の方はというと…私達がオーダーしたのは3品の前菜の盛り合わせだったのだが、これがまず、運ばれてきた途端ネギの匂いに「???」一瞬「お蕎麦?」と思ってしまうほど。ネギの匂いの元はムース仕立ての黒ゴマ風味のスープ、その上に刻みネギが散らされている。他2品も同様に刻みネギが。周りのフランス人にとってはオリエンタルな風味で物珍しいのだろうが、私達日本人にとってはどうしたって疑問の残る組み合わせ。元々、ヌーベルキュイジーヌで、白身魚のカルパッチョなど和食に通じるメニューやタイ料理などオリエンタルな料理に影響を受けたメニューが多いZe Kichen Gallery、日本人シェフも沢山働いていそちらとは違い、どうもKGBの方は、いまひとつ疑問が残るメニューばかりで、この日一番美味しく食べたのはデザートだった。ひょっとしたらパティシエは日本人かもしれない。パリでは人気店に間違いないここだが、いったいパリのフレンチレストランはどこへ行ってしまうのか?

 ちょっぴり期待はずれのランチを食べ終え、フライトまでの残り少ない時間、パリの街中で買付け。以前訪れたことのあるジュエラーの元へ行ってみることにする。さほど期待もせずに出掛けたにもかかわらず、ローズカットダイヤのセットされたクロスを発見。この時代のダイヤの渋い感じが魅力的なアイテムだ。オーナーのムッシュウとルーペを駆使し、椅子に掛けてゆっくり商談。今回最後に買付けたのはこのクロスだった。

およばれのお家に持って行って、そのまま飾れるブーケは大人気。こうしたパリのお花屋さんで働く日本人フローリストの姿も最近頻繁に目にします。

今回もつたない文章を長々お付き合いいただき、ありがとうございました。