〜南仏編〜

■7月某日 晴れ
 目が覚めたのは地中海近く、飛行機がマルセイユを目指して運行しているとき。(ロンドンからニース行きの飛行機は、もうひとつの地中海沿いの都市マルセイユを目指して飛んでいくのだ。)眠っているうちにドリンクサービスも終わり、気が付くと目の前のテーブルには紙ナプキンが置いてある。隣の河村も同じく。どうやらふたりともぐっすり眠ってしまったらしい。
 以前、行ったことのあるマルセイユの港が車窓から見えるかと思って、ウィンドウから外を覗き込むのだが、遠過ぎてよく分からない。そうしているうちに、飛行機は航路を左にとり、ニース空港に近づいてきた。海沿いのニース空港に着陸するには、コート・ダジュールの海岸沿いを低い飛行で降りてくる。その時見てしまったのだ!コート・ダジュールの碧い海を!!あぁ、なんて碧い…。

 今日一日の疲労から気だるい中、今度はそれぞれのスーツケースを手にニースのホテルまでタクシーに乗り込んだ。あらかじめチェックしておりた情報によると空港から街中まではタクシーで15分ほど。特に心配することなく、タクシーのドライバーにホテルの住所を告げ車中の人となった。空港から街中までは、海岸沿いをひた走る。「ここがプロムナード・デ・ザングレ(「イギリス人の散歩道」の意、イギリス人が海岸沿いに整備したためこの名前で呼ばれている。)なのね!?」と、少々興奮気味。この地名、若かりし頃読んだフランソワーズ・サガンの「悲しみよこんにちは」でお馴染みなのだ。タクシーはプロムナード・デ・ザングレから左に曲がり街の中へ。
 タクシーを降ろされたのは、ホテルの前ではなく、なぜかホテルのあるはずの通り“Rue de Paradis(日本語で言うところの「天国通り」)”に曲がる角。ドライバーの言うことにはホテルはこの通りにあるらしい。なるほど、この通りは車の乗り入れ禁止になっている。石畳の道を、石畳とは非常に相性の悪いスーツケースをガタゴト引きづりながら歩く。意のままにならないスーツケースを引きずりながらも周りを見回すと、ルイ・ヴィトンがあったり、シャネルがあったり、どうやらここはニースの小さなブランドストリートらしい。一軒一軒番地をチェックしながら進むと、どうみてもホテルには見えない通常のアパルトマンの入口に“Hotel le Petit Trianon”の小さな看板を発見。当然のごとく扉はしっかり閉まっている。扉の横の、やはり通常のアパルトマンと同様に沢山並んだベルの中からホテルのベルを探して押すと男性の声が。ホテルのある3階から降りてきてくれた彼が、私の重いスーツケースを持ち上げて3階まで運んでくれた。あぁ、やれやれ。やっと着いた。ニースまで遠かった〜。

こんなごく普通のアパルトマンのワンフロアがホテルに。名前の通り本当に“petit”なホテルです。表玄関、ホテルの入口、そして私達の部屋、の3つのキィを渡され、アパルトマンの建物へまるで自分の家のように出入りしていました。


この碧い海を見て!!散歩に行った海岸沿いのプロムナード・デ・ザングレで。たなびくフラッグも海を背に鮮やかです。


街の中心部マセナ広場の噴水のブロンズ像もなんだ「お気楽」な感じ。ニースに来ればみんなご機嫌です。


ここは海岸沿いのプライベート・ビーチ。ニースのBaie des Anges(ベデザンジュ「天使湾」)には、パブリックビーチ(ようするに一般の浜辺)の間にリッチな雰囲気のプライベートビーチがいくつも並んでいます。今回は日焼けの恐怖から(実際には時間が無く)、泳ぎませんでした。ちょっと残念。

■7月某日 晴れ
 今日はオフの一日のため、ニースの街を徘徊し、初めての街に慣れる予定だ。河村は半袖半ズボン、私もタンクトップにリネン素材のパンツとすっかりリラックスしたスタイルで部屋から出てくると、昨日荷物を運んでくれた「いかにも南仏人」というラフな雰囲気のムッシュウから「まるでニースの人みたいだね!」と声を掛けられる。

 まず街の中心のマセナ広場のカフェで朝食。ここニースのカフェは、カフェといえば皆テラス席。抜けるような真っ青な空のパラソルの下、ロンドンやパリとは違う心地よい暑さの中で、のんびりカフェ・クレームとクロワッサンの朝食。周りを見回すと、皆思い思いのほとんど水着に毛が生えた程度のラフなスタイルで、バカンスを楽しんでいる。周りから聞こえてくる言葉は、フランス語はもとより、英語、ドイツ語、イタリア語。みんな気分はバカンス、心なしか口調も楽しげで、パリで出会うトゲトゲした都会の人々に比べると他人に関して非常に寛容な気がする。皆「激しく」褐色に日焼けをしていて、ぱっと見は何人だかさっぱり分からないほど。ここは、老若男女、白人も、黒人も、アラブ人も、ユダヤ人も、どんな人種も、金持ちも貧乏人も、等しく楽しいバカンスを過ごせる場所のようだ。

 朝食を済ませて歩いて5分の海岸、プロムナード・デ・ザングレへ。誰もが泳ぐことが出来るパブリックなビーチの間に点々とお洒落なプライベートビーチが広がっている。こちらは真っ白なパラソルとデッキチェアが沢山並べられ、洗練された雰囲気。こうしたプライベートビーチではレストランも併設していて、デッキチェアで飲み物を注文することも出来る。そんなビーチを眺めながら散歩。たまたまなのだが、今日はフランスの夏の大イベント、ツール・ド・フランスがニースを通過する日。ここプロムナード・デ・ザングレを通るため、自転車道を横切ることが出来ないよう閉鎖され、自転車レースの前座ともいえる沢山のプロモーションカーがやってきて、観客の目を楽しませている。そんな様子を楽しんだ後、レースの一群が来るのはまだまだ先、とお昼ごはんを食べに行くことに。
 ここはコート・ダジュール、あっちにも、こっちにも、女性のビキニ姿。トップレスの女性だって、ここなら何も珍しくない。そんな海岸端から離れたがらない河村を、「もう行くよ!」と無理矢理ビーチから引きはがした。

 プロムナード・デ・ザングレのすぐ側にある市場へ。ここは花や野菜、果物の市場で、南仏の恵みがギュッと詰まったような場所だ。パリでは目にすることのない珍しい野菜や、オリーブ、スパイス、南仏特有の食材が溢れている。そんな市場をそぞろ歩いた後は、市場をぐるりと囲むレストランのテラスへ。私は蟹とアボガドのサラダ、ニース風サラダを頼もうとした河村は、「これがおすすめだよ!」というムッシュウの意見に従い南仏風前菜の盛り合わせ。そして合わせるのは「そうそう、南仏に来たらこれだった!」と以前プロバンスに来たときにも飲みまくった(笑)冷えたコート・ド・プロバンスのロゼワイン。
 この組み合わせ、本当に美味しかった!河村の前菜盛り合わせも美味、ふたりで「美味い!美味い!」と喜んで食べているうちに、肝心のツール・ド・フランスの自転車の一群は、とっくに通り過ぎた後だった。(もっともツール・ド・フランスの一群は、レース最初のニースでは2〜3分で全員が通り過ぎてしまうらしい。)

マセナ広場を囲む建物はみんなオレンジ色に塗られたイタリア風。青い空とのコントラストがとても美しいのです。


このとおりビーチは老いも若きもビキニばっかり!河村はここから立ち去り難く、私に引っ張られて次の場所へ。山の向こうの彼方はモナコです。


ツール・ド・フランスはフランスの夏のお祭り!レースの前には趣向を凝らした様々なプロモーションカーが通ります。


パナシェのプロモーションカー、ドライバーの男性の小さなパラソルが可愛いでしょ?


パナシェのメインカーにはジャグリングのマドモアゼルが。DJが乗っている車あり、ノベルティーを配りながら走る車あり、見ているだけでとっても楽しいのです。


街中では最近まず見ることのないシトロエン2CVのトラックバージョンAK(アーカー)。チェックにカラーリングされていてとってもキュート!


この“Couchonou”はサラミやソーセージの会社らしく、お姉さんが周囲に小さなサラミを撒きながら走り去っていきました。


南仏といえばラベンダー。ここニースの市場でも沢山売られていましたよ。良い香りで遠くからでも分かります。


この元気そうな野菜を見てください!南仏は北のパリと比べると野菜も美味。このトマト1キロで3ユーロ(日本円で約400円。)ですって。それにしてもキロ単位って…。


山盛りになったこちらはすべてニンニクです。南仏のお料理にはニンニクが沢山使われることでも有名です。


この様々な種類のオリーブ!こんな沢山の種類は南仏以外ではなかなか見る機会がないかも。


南仏に来ると必ず買ってしまうプロバンスせっけん。ローズ、ラベンダー、オリーブ、ラベンダー、ココナツ、あまりにも種類が沢山ありすぎて、選ぶのに困ってしまいます。


大きなボウルに入れられていたのは芳しい香りの薔薇の蕾。アフリカ大陸のモロッコからやって来た薔薇のようです。

■7月某日 晴れ
 今日はニースの蚤の市へ。昨日行った市場の場所がそのまま蚤の市の場所になるらしい。今日も空は抜けるように青い。フレンチリヴィエラのこの辺りは、北のパリとは違って毎日快晴、日陰は涼しく爽やかだが、日差しは差すように強い。思い切り日焼け止めを塗っていても、「焼け石に水」といった感じであまり効く気配が無く、周りに同化してどんどん自分が黒くなってきた気がする。おまけに七分袖のボレロを着ていた昨日、そのままの姿で焼けてしまったため、私の身体は手先だけが真っ黒!「これならば全部黒い方がまだマシ。」と今日は果敢にもタンクトップ一枚で早朝からトコトコ市場へ。

 初めての仕入れ場所は、わくわくして興奮してしまう。昨日訪れたときは、野菜やスパイスに溢れていたのに、今日はアンティークでいっぱいだ。同じフランスでも、どこか南仏らしい品揃えが感じられる。「ニースはアンティークが高い。」と人づてに聞いていたのだが、見て回ってもあまりそんな気配がない。それどころか、最近パリではなかなか見なかったソーイングバスケットやパニエなど、私の好きなカゴものが出てきた。その他にも魅力的な様々なホワイトワークのボーダーを持っているマダムがいて、そこでじっくり選ぶ。また、カード専門のディーラーも出ていて、いつも探しているカードがあるか聞いてみる。さほど期待もせずに、出されたカードを繰っていると…探していたカードが出てきてびっくり!こんなところから出てくるとは思わなかったので、思いがけないヒットにテンションが上がりつつ、さりげなくムッシュウに値段交渉。
 ウロウロしているうちに、また私が気になるレースのアイテムが。気が付くと、さっきボーダーを譲って貰ったマダムのストールだった。彼女の品揃えが私の好みにぴったりだったのだ。まるで放り出されるように置かれたソーイングボックスを何気なく開けてみると中から美しいシルクのリボン!なんだかおもちゃ箱のような楽しいブースだった。

 蚤の市を二周したところで、市場を取り囲むキャフェのひとつでやっと朝ごはん。ひと仕事した後は、気持ちの良いパラソルの下でのんびりタルティーヌとキャフェ・クレーム。どうしてか、ここニースではパリよりも時間がゆっくり流れるような気がする。ちょっぴり仕事をした今日は、河村の発案でニースから鉄道で40分程度の小さな街マントンへ行くことになっている。マントンには、以前から私達が見たいと思っていたコクトーの美術館と、同じくコクトーの壁画で有名な市庁舎があるのだ。

 市場から歩いてトラムの駅へ。ニースの街中にはトラムが巡っていてとても便利。このトラムに乗ってニース駅まで行き、そこからフランス国鉄でマントンまで行くのだ。が、駅までたどり着き、フランスのお約束、窓口の長蛇の列を並んでやっとマントンまでのチケットを買ったというのに…次の列車は1時間半後。「なんでこんなに電車が少ないの!?」と列車の少なさと駅の暑さに少々怒り気味の私。「これ以上怒りを増幅させては…。」という思惑の河村に無理矢理駅のキャフェへと連れて行かれた。

 無事に1時間半後列車に乗ることが出来たものの、バカンス時期の今日の列車は凄い込みよう。というのも、このイタリアのヴァンティミリア行きの列車は、モナコを通り過ぎ、コート・ダジュールの宝石のような小さな港町を点々と通っていく列車なのだ。混み合った列車だが、窓の外に見える海岸線が本当に美しい。また次回来るときには、こんな小さな田舎町にも是非来てみたい。40分後に着いたマントンもそんな小さな海岸沿いの街のひとつだった。

 マントンはイタリアとフランスの国境の町でもある。温暖な気候のせいか毎年二月に開催されるレモン祭も有名らしい。たしかに、駅に着くとそこはオレンジの並木道。ニースにもシュロの木はいっぱいあったけれど、たわわになったオレンジの木に、いきなり南国に来たような気がする。まずはギラギラ日差しの照りつける中、海岸沿いへ。何も考えず、ただ「ビーチ沿いにレストランがあるかもよ。行ってみよう!」という私の一存で、ただひたすら暑い中歩く。私の動物的カン(?)が働いたお陰か、ビーチ沿いの小さなレストランにたどり着いた。そこ“promenade du soleil (太陽の散歩道)”の向こうは小さなビーチ、ニースほどの大人数ではではないが、家族連れが多く、それぞれ思い思いに身体を焼いたり、海に入ったりして楽しんでいる。パラソルの下のテラス席、潮風が気持ち良いその一つに滑り込んだ。

 潮風に吹かれながら散々美味しい料理を食し、またもやコート・ド・プロバンスですっかりいい気持ちになった昼下がり。「ずっとここにいたい。」という気持ちを振り払って、歩いてすぐのコクトー美術館へ。このコクトー美術館、ビーチ沿いの要塞のような建物。何でもコクトー自身が廃墟となっていた17世紀の要塞を市長にかけあって譲り受け、自ら修復して美術館としたもの。まず、外壁のコクトー自らが手がけた小石のモザイクが私達の期待を盛り上げる。本当に小規模な美術館だったが、作品とシンクロして小さな窓から見える海の風景がコクトーの作品に華を添えているかのようだった。

 そのまままた歩いて今度は市庁舎へ。「市庁舎になぜ結婚の間?」という理由は、フランスでは正式な結婚はまず必ず市庁舎(パリなどの大きな都市は区役所)へ出向き、市長の執り行う式を受けなくてはならないから。その後、自分の信じる宗教の元で結婚式を挙げたい人が改めて宗教上の式を挙げるのだ。市庁舎に入って、レセプションのマダムに結婚の間へ案内して貰う。マダムは日本語のインフォメーションのアナウンスを流すとまた自分の部署へ。何でも、壁画はもちろん、椅子や照明器具もコクトーのデザインだとか。この部屋すべてをコクトーはデザインしたのだ。まさか今まで何度も本の中で見ていたこの場所に本当に来ることが出来るとは思わなかった。私達はしばしそれぞれのコクトーの世界を堪能した。


ここマントンでは、ニースよりもさらに時間がゆっくり流れているような気が…。


道案内の矢印には“ITALIE”の文字が。ここマントンからイタリアまではもう目と鼻の先なのです。今度はサン・レモあたり、イタリアまで足を伸ばしたいものです。


この要塞のような建物がコクトー美術館。青い空にトリコロールが映えて綺麗でした。


コクトー美術館のエントランス。壁面を飾るモザイクは、素朴な南仏らしさとコクトーの世界が絡み合った魅力的な作品です。


市庁舎の結婚の間。そのメインとなる正面の猟師とその新妻を表した壁画です。ふたりともマントン特有の帽子、漁師の目は魚の形になっています。ここでは日本人も結婚式を挙げることが出来るのだそう。こんな場所なら結婚式をしても良いかも。

 コクトーの世界を堪能した後は、最後のお楽しみ恒例のプティトラン。プティトランというのは、遊園地の乗り物のような小さな汽車の形の乗り物の観光列車のこと。フランス各地、様々な観光地にあり、毎度プティトランがあるところでは必ず乗ってみるのが私達の恒例となっているのだ。今までにも乗ったところは、アヴィニヨン、アルル、マルセイユ、シャルトル、パリ(モンマルトルの丘の上にもプティトランがあるのだ。)、そしてブリュージュ、アントウェルペン。ブリュージュとアントウェルペンはベルギーだけど。子供の乗り物というなかれ、四カ国語でその土地の史跡を説明するアナウンスがあり、運が良ければ日本語のアナウンスがあるところもある。今日も、嬉々としてマントンの旧市街を探索すべく出発する。

 どこの街で乗っても、いつも大満足のプティトラン、今回もランチをした海岸から40分、旧港を経て、マントンの小高い丘にそびえるなかなか自分の足を踏み入れることの出来ないディープな旧市街の街並みへ。ここマントンの旧市街はくねくねした細い坂道の路地を上がっていき、中世の佇まいがそのまま残っている丘の上には古い教会や墓地が。またその頂上付近からから眺める地中海もウットリとする美しさだ。車が通れない細いディープな路地へもプティトランは入っていく。イタリアが目と鼻の先だけあって、街の中の看板や表札にもイタリア語が溢れている。コート・ダジュールの小さな街の歴史を感じさせるあっという間の40分だった。河村と、「今度は旧市街をゆっくり歩きたいね。」と言いながら下界の浜辺へ戻ってきた。今度はこんな小さな街に滞在するのも良いかも。まだ明るい夕方、帰りの電車の時間を気にしながら駅へと向った。

これがプティ・トラン。どんな坂道だろうが、細い路地だろうが、治安が悪い場所だろうが(マルセイユの旧市街がそうでした。)、乗せていってくれる優れものです。なぜかフランスではどこの観光地にもあります。


これがマントンの旧市街。街自体が小高い丘の上を形成しています。中央の尖塔がマントンのランドマーク、17世紀のサン・ミッシェル教会です。


旧市街の建物。イタリアの影響でしょうか、カラフルに塗られた壁が南仏らしさを感じます。

■7月某日 晴れ
 今日は朝から美術館に行くべくホテルから歩き出す。今回のお目当てはニースの市内にあるシャガール美術館とマチス美術館。そのふたつに行く前にホテルからも歩いて行くことの出来るマセナ美術館へ。ホテルからもまっすぐな道を歩いてマセナ美術館へ。その途中、いくつかのアンティークショップを覗きながら歩く。今回のニースでは、初めての場所ということもあり、まったく買付けについては期待をしていなかったのだが、ここでも、以前ベルギーに行ったときと同じように、“ANTIQUITES”の“A”の文字や“Brocante”の“B”の文字が目に入ると、近づいていって中を確認せずにはいられない。ここニースでは、アンティークディーラーもパリとは違ってとても愛想が良い。目的のものがあってもなくても、ニッコリ笑顔。イギリスではよくある光景だが、パリで目があってニッコリしても素知らぬ顔でスルーされ、「なんだか気まずい」というシチュエーションが多いのだ。

 そんな中、たまたま覗いたウィンドウに気になるジュエリーを発見。思い切ってベルを押して錠を開けて貰い、中へと進む。珍しくお人形から食器、ジュエリーまで様々なアイテムに溢れた広い店内。もちろん、お人形といってもさほど価値のあるものではないけれど、フランスでもイギリスでも、モールではない一個人の店舗でこんな様々なものに巡り会うことは珍しい。またその奥のジュエリーの入ったショウケースを覗くと、その隅にマザーオブパールのマリア様。正確にはゴールドの枠のはまったマリア様を彫ったマザーオブパールのジュエリー。ゴールドの枠にはローズカットのダイヤがはまっている。早速見せて貰うと思った通り、マザーオブパールの状態も良いし、ゴールドの枠にも傷みがない。どんなときにも持っているルーペをバッグから取り出して再度チェックする。そんな瞬間に訪れる喜び、いくら南仏で遊んでいるのが楽しいといっても、やっぱり買付けの時の緊張感に優るものはないのだ。元々「カトリックの長女」と呼ばれているフランス、「ノートル・ダム(我らが貴婦人)」という言葉に代表されるように、マリア信仰が盛ん。最近マリア様ものに興味を惹かれるのだ。

 さて、美しいペンダントを手に入れた後は、目的のマセナ美術館に到着。19世紀のお屋敷内部をそのまま美術館にしたマセナ美術館、玄関に向うとセキュリティーのムッシュウがニッコリ笑って「クローズ!」、「クローズ?」とオウム返しに聞く私。「明日開いているから、明日おいで。」とムッシュウ。あら、せっかく来たのに今日はお休みなんだ。ということはシャガール美術館とマチス美術館もお休み。予定変更で、今日はお昼を「一度行きたいね!」と河村と言っていたレストラン“Keisuke Matsushima”へ行くことにし、午後はアンティーク街の散策にあてることにする。フランスのレストランは予約が必須。予約ありと無しでは、席があるかどうかはもちろんだが、扱いが全然違ってくる。すぐに携帯で電話をしなんとか予約を済ませることが出来た。ホテルにとって返し、ふたりとも「ニース仕様」の格好からちょっぴりドレッシーに着替えをして、今度は「美味しいものモード」でウキウキしながらレストランへ。この“Keisuke Matsushima”、名前の通り日本人がオーナーシェフのレストラン。25歳で自分のお店を持ち、28歳でミシュランの一ッ星を獲得、三年連続で星を維持しているという若く才能のある日本男児なのだ。パリに比べると野菜も魚も断然美味しい南仏、食材が豊富なところなだけに期待が膨らむ。最近は、時間が許せば買付け中に一度はそういうレストランに行くことにしている。美味しいものを食するのは幸せなこと、そしてレストランはフランスの文化の象徴、こんなところからもこの国のことがもっとよく分かるような気がするのだ。

 12時ちょうどの予約時間にレストランに到着したが、まだ他のお客の姿は誰もいない。恐る恐るレセプションで名前を告げ、席に案内される。清潔感の漂う店内、サービスの若いムッシュウやマドモアゼル達がリゾート地だというのにまったく日に焼けていないのも、仕事熱心な雰囲気が伝わって好感が持てる。まずはシャンパンで河村と乾杯。お互いに「お疲れ様。」と荷物の紛失を思い出しながらグラスを交わす。冷たいシャンパンにふたりとも良い気分でメニューを選ぶ。せっかくの南仏なので、ふたりとも前菜もメインも魚を。まずアミューズに出てきた生ハムのムースを浮かべたメロンのスープを一口食べた私達は、その繊細で絶妙な味わいにシェフの力量を確信した。
 メインはグリーンのすり流し状のものをあしらった鮮魚のポワレ、「これって豆のすり流し?」と言っていたところにシェフ本人が登場。「これって豆ですか?」という河村の質問に気さくに「これはこちらの野菜で、とても身の硬いズッキーニなんですよ。」とシェフ。一度その場を外すと、すぐに使った食材の野菜を入れたバスケットを手に戻ってきた。「ほらこれです!」と触らせてくれたズッキーニは身が締まっていてとても硬い。ズッキーニにキュウリに近いイメージを持っていた私達は、「ニースにはこんなズッキーニがあるんだ。」と目が洗われる思いだった。
 まだ32歳と若いシェフに、知らず知らず「日本人のおばさん」になって「お仕事頑張ってね。」と言ってしまった私。見知らぬ国でのびのびと活躍している彼を見ると、こちらが勇気づけられるようだった。この春、彼のレストランは東京に逆輸入、神宮前にオープンしたらしい。が、彼の料理は是非あの南仏の食材で味わって欲しい。「ここは今まで食べたフランスのレストランの中でNO.1!」というのが、今のところの私と河村の共通の意見だ。

マセナ美術館へ向う途中で見つけたお菓子のお店。日本でいう「駄菓子」という感じで、カラフルで可愛いお菓子がいっぱい!バスケットにいっぱい盛られたさくらんぼももちろんお菓子です。


19世紀終わりに建てられたマセナ邸はイタリア式の建物。現在ではニースの歴史博物館になっていて、豪華な館内に古き佳きベル・エポックの雰囲気を味わえるらしい。また次回、チャンスがあれば是非行ってみたいもの。

 

 美味しいものを食した後は、ニースのアンティーク街へ。あらかじめ調べてあった情報を元にマセナ広場からトラムに乗って出掛ける。
 たどり着いたそこは、観光客で溢れた海岸沿いとは違い落ち着いた雰囲気。辺り一帯がアンティーク街になっていて、看板を掲げたアンティークショップが軒を連ねている。なのだが、フランス各地のこうしたアンティーク街で、仕入れが出来たためしがない。というのも、フランスで一般的に「アンティーク」といわれるものは、マントルピースなどの大きな家具や絵、シャンデリアといった絢爛豪華な室内装飾に使われる物を指すのだ。それはパリでも同じで、私達がいつも滞在しているサンジェルマン・デ・プレからも程近いジャコブ通りも同様。ジャコブ通り(Rue Jacob)もよくガイドブックには「アンティーク街」として紹介されているものの、その実、私達には縁のないものばかりなのだ。
 今日もこの一角に足を踏み入れた途端、「あ、ここ違うかも…。」と微妙な空気が。結局、いくつかのショップに入ってみたものの何も得るものがなく、この場をあとにした。

 気をとりなおして次に訪れたのは、またまた観光モードのプロムナード・デ・ザングレ。またここでもプティ・トランに乗って、ベ・デ・ザンジュ(天使湾)を一望出来る小高い丘の城跡公園へ行こうというのだ。
 プロムナード・デ・ザングレ中ほどのアルベール1世公園前からプティ・トランに乗り、細い路地を通り抜け、オペラ座や裁判所などの歴史的建物を経て、のんびり街中を揺られていく。この丘の上まで自分の足で登るのは大変なことだが、プティ・トランは本当に便利で楽しい乗り物。断崖絶壁の丘の頂上へ着くと、ご丁寧にも付近の散策時間まで設けられていて、心いくまでゆっくりと景色を楽しむことが出来る。ニースは今日も青空、丘の上から望むニースの海岸は絶景、忘れられない景色だった。

プロムナード・デ・ザングレの東の端、城跡公園から望む絶景です。ニースへ来たら、絶対ここへ登らないと!それにしても「天使湾」なんて、いったい誰が名付けたのでしょう!


城跡公園の裏手にあるこぢんまりしたニース港。モナコやサン・ト・ロペに比べると豪華なヨットが少ないのだそうですが、それでもコルシカ行きやイタリア行き、はてはアフリカ行きの観光船も出航します。


ニース最後の晩は、午後9時過ぎから河村と夜の旧市街を散歩。マセナ広場のオーナメントは高いポールの上に正座(?)をした7つの人物像。これが様々な色に移り変わるのです。ちなみにこのモニュメントは「大陸間の対話と開放」を表現しているのだとか。う〜ん?


フランスのどこの街でもそうですが、旧市街の古い街並みは独特な雰囲気があって大好きです。ニースの旧市街は、沢山のレストランが軒を連ねとっても楽しい雰囲気。“SOCCA(ソッカ)”とは、ニース名物のひよこ豆で作ったクレープのこと。今回は残念ながら食す機会がありませんでしたが、とても美味しいらしい。次回は是非!


旧市街、レストラン街を抜けるとそこはまるで映画のセットのような魅力的な坂道。旧市街にはそんな場所が沢山。ニースの夜は午後10時近くになってもまだ明るいのです。


旧市街を歩いてぽっかり出た教会前の広場は沢山のレストランのテラス席が並んだ賑やかな場所。ライトアップされた教会も夜空に映えてドラマチックな雰囲気でした。

■7月某日 晴れ
 マティス美術館は、オリーブ畑の中に建つ瀟洒なヴィラ。美術館というよりは丘の上の邸宅といった雰囲気で、敷地内にはローマ時代の古代遺跡があり、今も発掘の最中だ。このときはちょうどロダン展も併設されていて、ロダンの作品を見ることが出来た。でもその代わり、楽しみにしていたジャズシリーズを代表とするマティス晩年の美しい切り紙の作品があまり見られなくて残念。ロダンの作品なら、それこそパリ7区にあるロダン美術館で見た方が核になる作品を見ることが出来る。「せっかく来たから。」と、ちょっぴり欲求不満のまますぐ側のシミエ・フランシスコ会修道院に立ち寄ることに。この修道院が思いがけず素敵な場所だったのだ。

 いかにも祈りの場として大切にされてきたであろう小さな教会と修道院、そして周り一帯はよく手入れの行き届いた庭園になっていて、ニース全土を見渡すことの出来る景色は、ニースの人びとの憩いの場になっているようだ。ニースでは、他所の土地から移り住んで来た人びとは海の近くに住み、地元ニースの人びとは山の方に住むという。この場所にやってくると、そんな地元の人びとの考え方も分かるような気がする。もし時間があったら美術館に来がてらゆっくりピクニックに来たい、そんな場所だ。
 次に向った先はシャガール美術館。マティス美術館に来る途中にバスで通ってきたシャガール美術館、ふたたび逆方向のバスに乗り丘を下っていく。

マティス美術館。テラコッタ色の外壁がイタリア風、窓枠がすべてだまし絵になっているのも興味深い17世紀のこの建築は元々別荘として使われていたとか。美術館の周りは修道院の管理しているオリーブ畑、南仏の蝉の音が聞こえてきます。


シミエ・フランシスコ会修道院の建物は17世紀のもの。石造りの素朴な雰囲気が清らかな修道士達の生活の場に似合います。マティスのお墓はここの墓地にあります。この季節、修道院の庭園には沢山のお花が咲き乱れていました。


修道院の庭園から見たベ・デ・ザンジュ(天使湾)。ニースのオレンジ色の屋並みが碧い海に映えます。山の手に住みたがるニースの人々の気持ちが分かる気がしますね。

 シャガール美術館は、マティス美術館があるシミエ地区の丘の中腹にある。その名の通りミュゼ・シャガールというバス停で降りたすぐ側。美術館の庭の木立にはテラス席のキャフェも設けられていて、南仏らしい楽しげな雰囲気。数少ないシャガールの美術館として有名なここは、シャガールの資料には必ず登場する。シャガールが好きな私は長年「いつか行ってみたい。」と思いつつ、まさか実際に来る機会が到来するとは思っていなかった。そんなこともあり、実際に来ることが出来たことが、かねてからの願いがかなったようで嬉しい。
 実際に足を踏み入れると、広々とした空間に沢山の大作が並んでいてシャガールの世界に包まれるようで満足感が大きい。「そうだ。この人、多作の人だったんだ。」とつぶやきながら見てまわる。珍しいステンドグラスの作品も見られて嬉しい。私が好きなのはブルー系の色合いだけれど、赤い色合いの絵ばかりが集められた展示室も素敵だった。
 ニースから午後旅立つ私達にはカフェで一服する時間もなく、絵を見終わると丘を降りた。

広々した空間に大作が並ぶ展示室。シャガールの夢の世界に漂うことが出来ます。


この美術館は正確には「マルク・シャガール聖書メッセージ国立美術館」といい、ユダヤ人だったシャガールの旧約聖書の世界観を感じることが出来ます。


こちらが赤い色彩の作品ばかりを集めた展示室。こんな展示の仕方もあったのですね。


珍しいシャガールのステンドグラス作品。ランスのノートルダムなどにも彼が実際に手がけたステンドグラス作品があるので、これはその試作品かも?この美術館に併設されているコンサートホールいちめんを覆うステンドグラスも圧巻です。


様々な動物や恋人達、ロシアのベラルーシ出身のシャガールの頭の中にはこんな叙情的な世界が溢れていたのでしょうね。

 ニース空港からパリへの飛行時間は1時間半程度。今日はいつも使っているシャルル・ド・ゴール空港ではなくパリの南のオルリー空港へ。機内から見下ろすニースの海は今日も蒼く美しい。その光景と別れるのが、まるで夢の中から現実に戻るような気がした。

買付け日記は「パリ編」へと続きます