〜イギリス編〜

■7月某日 晴れ
 今回はいつもと違って、私も河村も貯めたマイレージを替えたボーナスチケットを利用したため、乗り慣れた大韓航空ではなくJALで。本来は、大韓航空提携しているエールフランスのチケットに替えたのだが、名古屋-パリ便は、エールフランスとJALの共同運行便(経費節減のため複数の航空会社が共同で運航する便のこと。)、という訳でまるでウルトラCのように大韓のマイレージでJALに乗ることになったのだ。乗る前は久しぶりのJALの飛行機に、「やっぱりJALはいいよねぇ!今度からは大韓をやめてJALにしたいよね。」とご機嫌な私達。搭乗前にゲートで警備の係員から通常の地上係員まで揃って丁寧にお辞儀をしてくれることに「なんて日本的な!」と感激したものだったのだが…。
 この飛行機が揺れたの揺れないのって!それはもうひどい揺れだったのだ。特にパリに到着する最後の30分は、夏らしく積乱雲が沢山あった天候のせいか、それはもう拷問かと思うひどさ。今まで軽く百回以上は飛行機に乗っている私、さほどの揺れには動じない自信がある。が、今回は私の記憶にある中でも最悪なフライト。揺られてフラフラになりながら思ったことは…「私、やっぱり空軍上がりの大韓のパイロットに命をゆだねるわ。」だった。そう、いつも使っている大韓航空のパイロットは皆空軍上がりという噂、その腕には定評があるのだ。(その実、つい最近羽田空港で尻もち事故を起こした大韓航空です。)思えば、この辺りから既に今回の騒動を予感していたのかも…。

 パリへ到着しても、シャルル・ド・ゴール空港で次のロンドン便に乗るまで長時間待たなければならない。フラフラのまま空港内をあてもなくさまよい、待つこと4時間ほど。いつもはソウル経由のため、名古屋空港からはまず2時間のフライト。まだ元気なうちにソウルのインチョン空港に着くため、免税店をひやかして歩く足取りも軽い。今回は、12時間のフライトと極度の揺れのため、その姿は、空港内を「さまよう」という言葉がぴったりの私達。ロンドン便に乗り込むと、1時間半のフライトにもかかわらず前後不覚で眠りこけ、気付いたらヒースロー空港だった。

 そして、最後の難関ヒースロー空港のイミグレーション。(ロンドンの入国審査は大変厳しく、係官からひとりひとり滞在目的や滞在日数の質問を受ける。)EU域内のパスポートを保持しない私達は、通常係官のいるイミグレーションを通り抜けるのに1時間程度かかるのだが、昨年から導入されたIRIS(眼球の虹彩パターンを利用した個人識別システム。外国人の永住者や短期居住者、半年に2回以上イギリスを訪れるビジネスマンなどが対象とされ、無料で登録出来、登録しておくと一瞬のうちに識別される。)のお陰で、「ピッ!」と一瞬で通過出来、本当にありがたい。「やれやれ、やっと着いたよ〜。」とほっとした私達を待ちかまえていたものは…。

 やっと荷物を受け取るバゲージクレームへたどり着いた私達を待っていたのは、クルクル回っている私の赤いスーツケースのみ、なにやら嫌な予感が。と、その時、アナウンスで私の名前が呼び出された。「ん!?ってことはロストバゲージか?」とケンカ越しでエールフランスのカウンターへ出向くと…予感的中!「あなたの荷物は積み忘れでまだパリにあります。」だって!!積み忘れって、私達4時間もシャルル・ド・ゴールで待たされたのに!可哀想な河村の荷物はパリに置いてきぼりになってしまったのだ。様々な書類にサインし、明後日にはニースへ移動するため、絶対明日荷物が欲しいと伝えると、「分かりました。そのように伝えます。」とエールフランスの社員。エールフランスといえば一見聞こえの良いフランスのフラッグキャリア、そのフランスといえば実のところは社会主義、という訳でそのサービスは悪名高い。果たして荷物は明日届くのだろうか?しょんぼりした河村と共に空港からいつものフラットへ。フラットに着いたのは日本の我が家を出てから既に20時間あまり、午後9時過ぎだった。

いつも滞在するフラットの近所、“Mews(ミューズ)”と呼ばれる一角。“Mews”とはつまり「馬小屋」のこと。ヴィクトリアンの昔、ここは馬小屋だったという訳。昨今のロンドンでは、こうした馬小屋を改造した住宅はとても人気があります。きっとお家賃も高いはず。

■7月某日 晴れ
 ロンドンに到着した疲れもまだ抜けぬ私達、今日は比較的ゆっくり過ごすことに。また明日はハードな買付けの後、再び飛行機に乗ってのニース行きが待っている。そして何より、昨日パリに置いてきぼりになった河村の荷物が一番の懸案事項。フラットのレセプションに、「今日、エールフランスからスーツケースが届くはずだから、受け取っておいて。」と言い置いて、ロンドンの街へ出た。

 向った先は、まず前回初めて訪れたジュエリーの問屋街。ロンドンの北に位置するここは、現代物のジュエリーの問屋がずらりと軒を連ねる一角。ここではジュエリーではなく(ここに売っているジュエリーはもちろんすべて現行品!)、ブローチやペンダントを入れるジュエリーボックスやディスプレイ用の小物を入手するのだ。日本でも手に入る物だけれど、ロンドンだとアンティークにもよく合うクラシックな雰囲気の物が手に入る。今回も様々なボックスやジュエリー用品等、店舗用品が山と並ぶ一軒へ。「そうそう、こんなのが欲しかったんだよね。」とネックレス用の小さなトルソーをいくつか、様々なジュエリーボックスを選ぶ。日本の問屋も面白いのだが、ロンドンの問屋だと、イギリスですぐにお店が出来そうな気がしてわくわくしてしまう。

 今日はロンドンの街中にあるアンティークモールをチェック。顔馴染みのディーラーが何人かいて、そこでは昨今のロンドンのアンティーク事情が得られるのだ。で、今回得た情報とは…古くから長らく営業してきたキングスロードのアンティークモール、アンティークウォリアスがついに閉店したという。ロンドンに買付けに来るアンティークディーラーなら皆一度は行ったことのある場所、ここ数年、ここで商売をするディーラーはどんどん少なくなり、だんだんと規模が縮小されていたのだが、ついに無くなってしまったのだ。私がアンティークディーラーになりたてだった十数年前、ここアンティークウォリアスに置いてある物は皆どれも高級に見えて、とても敷居が高かったものだ。それがいつしか寂れて、ついに無くなってしまったなんて!確かその頃、キングスロードにはもうひとつアンティークモールがあったはず。そこはとうの昔になくなっている。しょっちゅう足を運んで馴染みだったキングスロードも、もう足を運ぶ理由がない。そんな思い出を河村と話し合いながら寂しくてならなかった。いったいイギリスのアンティークは、これからどうなってしまうのだろうか?
 結局、この日買い付けたのは薔薇のお花のみ。いくつかの大輪を組み合わせて作ったコサージュ、ディスプレイ映えしそうなアイテムだ。

 いつものように、ロンドンの最も高級なショッピングエリアのひとつボンドストリートを歩いてピカデリー・サーカスへ。ここに何軒かある「超」高級なアンティークジュエリーのショップ(こういう入口にガードマンが常駐しているところは、入口のベルを押して施錠してあるドアを開けて貰い、覚悟を持って入店しなければならない。)のウィンドウを覗くのが、私の楽しみでもあり、勉強でもあったのだ。だが、こちらも古い歴史あるショップが移転になっていたり、様々な異変が。2012年に開催されるロンドンオリンピックを控えて、街中に投資が集まってあちこち工事ばかりのロンドン、にもかかわらず英国経済は昨年秋のリーマンショックの影響をモロに受けて大打撃、様々な複雑な事情が絡み合っているようだ。

 夕方近く一度フラットに戻った私達、朝声を掛けたレセプションの女性に「私達のスーツケースは?」と尋ねるも、「え?まだ何も届いていないわよ。」とショッキングな返事。そんな私達の暗い表情を察してか、「いつもロストバゲージの荷物は夕方6時頃に届くわよ。」と慰めの一言。河村は「きっともうすぐ届くよ。」と楽観的だが、私は荷物がどうなっているのか確認しないではいられない。昨日貰った書類に書いてあった電話番号に掛けてみる。昨日教えられた荷物の紛失番号を告げるとすぐに調べてくれたのだが…予感的中!
 エールフランスの女性は開口一番「今日は届きません。」と一言。「えっ!?明日ニースに行ってしまうので、今日届けてください!」と叫ぶように言う私。「出来ません!そうしたら、ニースにお届けします。ニースのアドレスは?」と当然のように言う彼女。「じゃ、いつ届くんですか?」とムッとする私。「それはお知らせできません。こちらでは分かりません。」と繰り返す彼女。「どうして!?明日、ヒースローで受け取れませんか?」とだんだん興奮してくる私。「それは出来ません。100ユーロまでは保険がおりますから日本に帰ったら日本のエールフランスに問い合わせてください。」「いつ受け取れるんですか?」「分かりません!」堂々巡りの後、英語もよく分からない困った客だと思ったのだろう、最後は向こうも怒鳴るように電話を切った。

 可哀想なのは河村、行きの飛行機の中からずっと同じ格好で、唯一私の大きめのTシャツをパジャマ代わりに着た他はずっと着た切り雀状態だ。諦めの境地の私達は、河村の当座の衣類を買いにもう一度、ハロッズのある繁華街ナイツブリッジへ。最近、ロンドンのあちこちには日本のユニクロが出来、その一つが確かナイツブリッジにあったのだ。バスに乗って出掛けると、懐かしのユニクロのロゴが見えてきた。あった!良かった!まずそこで下着や靴下を手に入れ、また別のブティックでちょっぴりお洒落なシャツを調達。本当に当座の衣類だけれど、日本ではお馴染みのユニクロ、着た切り雀よりはずっとましだ。そしてその帰りにはイギリスの薬局チェーン「ブーツ」でシャンプーとコンディショナーも。今回、シャンプーとコンディショナーは河村のスーツケースに入っていたのだ。昨晩は仕方なく石けんで髪の毛を洗った私達、まさか石けんで髪の毛を洗う事態になるとは…。今回のロストバゲージは河村の荷物だったが、「もし自分の荷物だったら。」と化粧品も何もない状況を想像するとかなり恐ろしい。

ロンドンのホーボーンにある古いチューダー様式の建物。ロンドンのセントラルにこんな古い木造建築が残っているのは稀なこと。たぶんこの建物が建った時代は火災についての建物の規制が無かった頃に違いありません。(有名なデパート、リバティーですら1920年代、リージェントストリート側には木造建築が建てられなかったので。)今も由緒ありげなシガーショップが入居しています。

■7月某日 晴れ
 フラットを出ると早朝の爽やかな空気。初夏のヨーロッパの朝は一日で一番気温が低い、思ったほど寒くなくて良かった。イギリスでの買付けは今日一日にかかっている。というのに、今日はなぜか気持ちに引っかかってくるものがない。かろうじて面白いシールや美しいシルクの織り生地が見つかったものの、本来買付けを予定していたジュエリーになかなか巡り会うことが出来ない。
 そんなとき、ロンドンへジュエリーを売りに来る顔見知りのベルギーのディーラー夫婦と久し振りに再会した。度々ロンドンへ売りに来る彼らなのだが、なかなか出会うチャンスがないのだ。今度会ったら、本拠地のベルギーのアドレスを聞こうと思っていたので、ナイスなタイミング!これでベルギーまで彼らを訪ねて行くことも出来る。いつも沢山の在庫をシステマティックに管理している彼ら、その仕事の姿勢にも好感が持てる。そして何より、フレンチジュエリーの幅広い品揃えが私の好み。今日も時間をかけてすべての在庫に目を通し、いくつかをゲット。うん、なかなか可愛い。

 何軒かのジュエラーを回って、ジュエリーを見ていたその時、いきなり私の携帯電話が鳴り響いた。「えっ?こんな朝早くに私にかけてくるのって誰???」と面食らいながら日本語で電話に出ると…電話の向こうから聞こえてきたのは、もの凄い訛りの英語でしゃべる男性の声。この声と訛りには聞き覚えが…そうだ!エールフランスのカウンターにいた男性だ!!ロストバゲージの書類には連絡先として私の携帯電話の番号を書いたのだった。ロストバゲージの書類を書いたカウンターには、イギリス人の若い女性社員とスペイン系とおぼしき英語を話す男性社員がいて、ただでさえ英語の覚束ない私達のこと、「うわっ!凄い巻き舌。」とその訛りに恐れをなして、彼は避けてイギリス人の女性に問い合わせをしたのだ。

 彼自身も英語が苦手らしく、電話の向こうからはもの凄い訛りの短いセンテンスが聞こえてくる。今思い出すと笑ってしまうのだが、英語の覚束ない者同士が電話のこちらと向こうで、必死の形相で英語でもってコンタクトをとろうとしていたのだ。どうやら、彼の言わんとすることには、今日ヒースロー空港のターミナル2で河村のスーツケースを受け取れることになったらしい。
 「ターミナル2のどこに行けばいい?」と問う私に「エールフランスのカウンターに来て!」と叫ぶ彼。「何時に来るんだ!?」と言う彼の必死の問いかけに、「2時か、2時30分ぐらい!」と叫び返す私。こんな簡単なことなのに凄いエネルギーを使ってコミュニケーションしてしまった。あぁ、それにしても凄い巻き舌だった。にしても、ニースに行く直前に河村のスーツケースが帰ってくることになり、ひと安心。ただ、このまますんなりスーツケースが受け取れるとはどうしても思えなかったのだが…。

 ふたたび買付けに戻ったものの、なんだか今ひとつ集中できないまま終了。だが、ひとつ可愛いドングリ型のセントボトルを入手。今回の買付けでは、香水瓶のコレクションを増やしたいと思って物色していたのに、なかなかそれらしい物と巡り会わなかったのだ。今日はこれで時間切れ。これからホテルへ私のスーツケースを取りに戻り、ヒースロー空港行きが待っている。

 いつもは沢山の荷物を持ってヒースロー空港へ行くため、空港へは地下鉄で行くことは出来ず、ホテルリンクという便利な乗り合いタクシーシステムを使うことにしている。これは大型のバンやタクシーでいくつかの契約ホテルを周って、あらかじめ予約をした空港へ行く客を拾っていく合理的なシステム。さほど時間に狂いが無く、通常のタクシーよりずっと安いため、いつも利用している。が、今回の荷物は私のスーツケースひとつきり。「それならば。」と地下鉄に乗ったのが、またしても間違いの始まりだった。

 まず、いつもは黙っていてもピカデリーラインのホームに滑り込んでくるヒースロー行きの地下鉄がいくら待ってもやってこない。「おかしいね〜。」と首をかしげつつ、迫ってくる時間に他の行き先を示す列車に乗る。ヒースローへ分岐する途中の駅まで行ってしまおう、という魂胆だ。そし、ヒースローまでの途中、ハマースミスの駅で停まるなり、車内には「ここから先の路線は不通!!」と怒鳴るように響き渡った。
 「えぇ〜っ!?不通〜!!」と青ざめる私達。ホームに降りるやいなや、ごった返すホームの中から沢山の客に取り囲まれた駅員を捜し出し、「ヒースローに行きたいんだけど?」と問い詰めると、「今日はヒースローへは行きません。ノーサービスです。」と駅員。「行かない!?」とオウムのように繰り返す私。仕方ない、ここでタクシーを拾っていくしかない。大急ぎでスーツケースを階段に持ち上げ改札を出ると、いつも混んでいるハマースミスの駅前は地下鉄の不通もあってか大渋滞!!数珠繋ぎの車はまったく動く気配もなく、地下鉄をムリヤリ降ろされた乗客が溢れ、またもや呆然とする私達。スーツケースを運ぶ河村を残したまま、あちこち走り回ってタクシーを探す私。「もうここでは無理だ。」と思ったその時、横道から一台の空車タクシーが曲がってきた!諸手を挙げて止めると、運良く停まってくれた!!「やった〜!タクシーゲット!!」スーツケースを引きずりながら河村もやってきた。ドライバーに「ヒースローに行って。」と頼むと、「地下鉄が止まったの?」と「いつものことさ。」という調子でニッコリされた。

 運良くタクシーに乗ることが出来、ハマースミスの渋滞からも抜け出し、なんとかヒースロー空港へたどり着くことが出来た。今回私達の乗る飛行機はターミナル4から。でもまずは、河村の荷物を受け取りにターミナル2のエールフランスのカウンターへ出向かなければならない。早い時間にホテルを出た事が功を奏し、お陰様で約束の時間にターミナル2に到着。早い時間に出ておいて、本当に良かった。そして、空港内の案内板を頼りにエールフランスのカウンターを発見。ここで荷物がもらえると思いきや、カウンターの冷たい雰囲気のマダムは、「ロストバゲージの荷物は2階の男性トイレの横の通路奥のインターフォンで係を呼び出してください。」と、とりつく島のない感じで言うばかり。

 またここから、私のスーツケースと共に二階へ上がり、ウロウロ男性トイレを探して、薄暗い通路の奥のドアの横にやっと目的のインターフォンを発見。ドアは電子ロック式でビクともしない。電話の苦手な私は破れかぶれでインターフォンに向い「エールフランスのオペレーターはいますか?ロストバゲージの荷物をピックアップに来ました。」と伝えると、「ちょっと待ってて。」とインターフォンの向こうの係員。しかし、ここで待たされること数分。「もう誰も来やしないんじゃないか?」と思い始めた頃、どこからか男性係員が走ってきた。「こちらへ。」と言われて、私も一緒にスーツケースをと共に行こうとすると…「あなたはここで待っていて。」と制止され、河村ひとりを連れてどこかへ行ってしまった。またもや、ひとりぽつねんと暗い通路で待つこと十数分、その間もまだ「やっぱりピックアップできないかも。」という考えが頭をよぎる。そんなロウな気分でいると、向こうから青いスーツケースをゴロゴロしながら河村がスキップで走ってきた。なんでも、係員と一緒に搭乗ゲートから入って、はるばる到着のバゲージクレームにあるカウンターまで行ってきたらしい。「本当にピックアップ出来たんだ〜!!」と感動のスーツケースとの再会だった。

 そして、この後まだターミナル4に移動してニース行きの飛行機のチェックインが待っている。ターミナル2からターミナル4までは、ターミナル間とロンドンを結ぶヒースローエキスプレスに乗って…。チェックインまでまだまだ遠い道のりだった。

 本日の最終目的地ターミナル4に着いてもまだまだ気が抜けない。ニースまではイギリス国営航空BAの飛行機に乗るため、BAのカウンターを探す。ずっと昔は、私達が使う名古屋空港からもロンドンへBAの直行便が出ていたのだが、撤退してもう久しい。その頃、チケットの高いBAは駆け出しのアンティークディーラーだった私の憧れの存在だったが、結局一度も乗ることなく消えてしまったのだ。という訳で初体験のBA、20代の頃は憧れだったのに、月日は流れ「おばさん」になった今、特に感動することはない。とにかく疲労困憊の「おばさん」は、そそくさと荷物を預け、またまた長蛇の列のセキュリティー検査を通り抜け、やっとの思いでゲートに入ったのだった。ニース行きの飛行機に乗るやいなや、私達ふたりが爆睡したのは不可避だった。

「買付け日記」はいよいよコート・ダジュールへ