〜後 編〜

■4月某日曇り
 明日からベルギーへ一泊旅行。その前日の今日は、アポイントを取ってある二軒のディーラーを回ることになっている。今日はキャフェでのんびり朝ごはんを食べ、まずはバスでオテル・ド・ヴィルにあるDIY系のデパートBHV へ。ここの画材売り場で、ディスプレイに使うフレームやイーゼルなどをチェックしたり、照明器具の売り場で、我が家で使うランプ(フランスの照明器具はプラグさえ替えれば日本で使える。)や食器を選んだり、ここは19世紀末からあって、歴史があるばかりでなく手作り好きな人にとって何かと使えるデパート。サロンの天井に付けているシャンデリアのためのモールド(実は発泡スチロール製)もここで入手したし、ドアのハンドルはもちろん、引き出しなど、家具のためのハンドルだって選びきれないほど並んでいる。カーテン売り場には生地から買えるように様々なカーテンが下がっていて壮観だし、その場でミックスしてオリジナルのペンキを作ってくれる、なんていうコーナーもある。(私は、実際にここでペンキをミックスして貰い、わざわざ飛行機で日本まで何缶も持って帰った人を知っている!)地下の工具売り場は特に圧巻で、プロ仕様の工具が道具類が所狭しと並び、いつも男性客で賑わっている。

 料理はいまいちな癖にキッチン道具の大好きな私は、ついついキッチングッズのフロアへ。そうするとあるではないか、ここ最近のお気に入り、クスミ・ティーのコーナーが大々的に出来て、沢山の種類が置いてある。「あら、ここでも買えるようになったのね。」と早速買い込んでしまう。エコバッグ好きの河村(彼は色の綺麗なパリのスーパーのエコバッグが好きで何種類も持っている。)は、BHVオリジナルのエコバッグを見つけて早速get。パリのスーパーで売っているエコバッグは、日本のそれよりもずっと大きくて地厚なビニール製、日本のものよりもずっと色がビビット。彼は折りたたんだそれをいつも自分のバッグに入れていて、仕事帰りにスーパーで買い物をした際にはすかさず取り出して使っている。
 今日は、その他に小さなディスプレイ用のイーゼルと、ファッションプレートなどの紙製品を買付けた時に持ち歩くためのカルトンを調達。ずっと昔、画学生だった私はよくデッサンを入れたカルトンを持ち歩いていたが、あの頃持っていたのはグレイ一色のごく地味なもの。日本ではそんな色しか売っていなかったのだ。パリではごく普通に売っているものなのだが、グリーンのマーブル柄や赤のマーブル柄、それに黒いトリミングがしてあって、とってもお洒落。「あの頃にこんなお洒落なカルトンがあったら、嬉しくってみんなに自慢しただろうなぁ。」思ってしまった。

 BHVでの買い物を終えて買付けへ。今日尋ねる彼女もイースターのお休みから戻ったばかり。目当てのものはあるのだろうか?挨拶もそこそこに、あちこちに積まれているアンティークの布やレースに心奪われる私。話ながらも、そういうものが気になって仕方がない。彼女が集めておいてくれた「私用の袋」から出てきたのは、可愛いシルクのパーツやモチーフ、頼んであったホワイトワークやニードルポイントの修理するためのレース糸も覚えていてくれた。お人形の衣装のための薄い白のローン地、こういう薄いローン地は探すとなるとなかなか無いのだ。他に今日出てきたのは、リボンやブレードなどの様々な材料、可愛いプリント生地やシルクの織地。広げたり、ひっくり返したり、そんなものを沢山の在庫の中から何時間もかかって選ぶのだ。

 昼食を挟んで選ぶ終わり、彼女と別れたのは、そろそろ夕方に近くなってきた時刻。その後は大急ぎで紙ものディーラーの所へ行ってカード繰りの作業が待っている。やはり事前に来訪を告げてあった紙ものディーラーとは、「待ってたよ。」と握手で挨拶。まずは、彼に前回「お金を払うから、日本で買ってきて。」と頼まれていた日本で出版されたバルビエの画集を「これ、カドー(贈り物)よ。」とプレゼント。フランスのイラストレーター バルビエなのに、どうもフランスでは気軽に購入できる画集は出版されていないらしい。そして、それを彼が嬉しげに眺めている横で、私達はふたり手分けして延々カードを繰る作業を続けるのだ。「ハイ、新しいストック。」と言って出されたウィーン趣味、エンジェルのカード、お花のカード、の膨大なカードを一枚一枚めくっていく。前回私達が緻密な貴婦人柄のカードを嬉々として選んだことをよく覚えていて、またしても、「ほら、これ。」とどこからともなく美しいカードが出てくる。

 ポストカードを選んだ後は、伝えてあったボン・マルシェカード。以前はほとんどボン・マルシェカードのストックを持っていなかった彼だが、私達がしつこく言ったお陰で、新しいストックを用意していてくれたらしい。またしても、今度は膨大なボン・マルシェカードと格闘。このボン・マルシェカード、私は可愛い子供のカードしか扱わないが、「虫シリーズ」とか「兵隊シリーズ」とか「風景画シリーズ」とか、カタログも出ているほど、実に沢山の様々な種類のカードがあるのだ。一生懸命に沢山のカードからやっと好みのものを選び出すと、彼が「これは一枚が○○ユーロで、6枚セットだと○○ユーロ。」と言い出すではないか。「えっ〜!!」と絶句する私達。なぜって、通常の倍以上、信じられないほど高価だったから。そんな高いボン・マルシェカードは、とても仕入れることが出来ない。こんなに時間を掛けて一生懸命選んだのに、と思うとがっかりして力が抜けてしまう。いつも値段にはシビアな彼、まさか半額になるとは到底思えない。悲しい気持ちのまま、大半のボン・マルシェカードを返すことになってしまった。そうはいっても、沢山の美しいカードを手に出来て、ほっと安心。これで、カード好きなお客様にも何とか顔向けが出来そう。

 紙ものディーラーの所を出てくるともう午後7時過ぎ。今日も一日にあっという間に終わってしまった。実は、今晩サント・シャペルで行われる弦楽四重奏のコンサートに行こうと思っていたのだが(パリの教会のあちらこちらでは、観光客向けなのか、しょっちゅうクラシックやゴスペルのコンサートが開催されている。)、開演に間に合わず。午後10時近くまで明るいパリ、夕暮れからのサント・シャペルのコンサートは、だんだんと壮麗なステンドグラスが変化してきてそれはそれは美しく、河村にも是非味あわせたかったのだ。これもまた次回。またきっと行かれることもあるだろう。そして今日もまた夕ご飯はスーパーのお総菜。明日からのベルギーでは、埋め合わせに何か美味しいものが食べたいものだ。

 そしてその晩のこと、日本から持ってきた携帯電話(私の携帯は海外でも使えるグローバル携帯。)を充電しておこうと、まず充電器のアダプターに変換プラグに付けてコンセントに入れると…バチッ!と凄い音と火花とともになんだか焦げ臭い匂いが。「あぁ、やっちゃった!!」携帯電話はグローバルだったのに、充電器は今まで使っていたグローバルではない国内専用アダプターだったのだ。忘れていた!フランスの電圧が250ボルトだったことを。(日本の電圧は100ボルト。)そしてその瞬間アダプターはお陀仏となってしまった。最近、こういう失敗はしていなかったのに…携帯がグローバルだから全然気にしていなかったのだ。他にも、イギリスで変換プラグを付けてコンセントに指し、日本仕様のドライヤーのスイッチを入れたらドライヤーが火を噴いた!!という話を聞いたことがある。高圧の電化製品にはくれぐれもご注意を。

これが河村愛用BHVのエコバッグ。実は、この小さなハンドルの他に長い肩掛け用のハンドルも付いていて、なかなか優れものです。

これが教会のコンサートのチラシ。こんなチラシがホテルのレセプションに置いてあったり、街のあちこちにポスターが貼ってあるので、これをチェックして出掛けます。たいていは当日、コンサートの受付でチケットを買えばOK 。

■4月某日曇り
 いよいよベルギー行き。ベルギーへはパリ北駅からThalysタリスに乗って。タリスはフランス、ベルギー、ドイツ、オランダを結ぶ国際列車。でも、ベルギーまでたった1時間20分あまり、他のフランスの地方都市に行くよりもずっと近い。あまり国際列車という感じがしないのだ。今朝は、それぞれ大きめのナイロンバッグ(私)と昨日買ったBHVのエコバッグ(河村)を持っただけの軽装でベルギーへ。レセプションには「今晩はベルギーに行って帰ってこないからね。」と一言断って出掛けた。

 北駅まではメトロでも行けるのだが、今日はバスで。バスの方が気軽に乗り込めるのだが、今日はそれがアダとなってしまった。渋滞のパリの街を通り抜け、北駅に着いたのは、予約していた列車が出発する約15分前。日本であったら発車の15分前に着けば余裕なのだが、フランスでは、ここからまだ窓口で、インターネットで購入したチケットの予約番号を伝えて、発券して貰わなければならない。そしてやっと列車に乗れるのだ。毎度、社会主義の国フランスの国鉄の窓口ときたらなぜかしら長蛇の列。たとえ列車の時間がギリギリであろうとも、間に合わなくとも、辛抱強く列に並ばないと始まらないのだ。今日も既に10人以上並んでいる。みんなそれぞれチケットを購入するばかりでなく、持っているチケットの時間をチェンジしたり、払い戻したり、なぜだか窓口で揉めているケースが多い。そんな場面を後からイライラしながら眺め、ようやく発券出来たのは発車5分前を切ったところ。そこからホームに走っていって…本当にギリギリだった。

 パリからほんの少し走るだけで、すぐに牧草地だろうか、グリーンの大平原が広がっている。所々鮮やかな黄色、グリーンの中にパッチワークしたような黄色の菜の花畑が美しい。ベルギーへはもう三度目になるだろうか。今までは「空いた時間にちょっぴり観光でも。」という軽いノリだったのだが、今回は見知ったアンティークディーラー二軒を回るのが目的。もっとも今晩はブリュッセルの有名な世界遺産グラン・プラスの側で泊り、今日だけは仕事の予定はない。ブリュッセルといえば、今まで二度ともクローズしていて見ることが出来なかったサンカントネール美術館のレースコレクションを見るため、今回はレースコレクション担当にマダムにメールを送ったのだが却下。「2010年の末に新たにコレクションがオープンするまでクローズしています。」というとりつく島のないメールを貰い、諦めたのだ。またいつの日か、2010年の末以降、見ることの出来る機会もきっとあるだろう。

 あまりにもあっけなくブリュッセルに到着。本当にフランスから外国に来た気がしない。そのままふらふらトラムに乗り、以前も宿泊したグラン・プラスから程近いホテルへ。流石に三度目ということもあり、迷うことなくグラン・プラス界隈を歩き、ホテルに到着。パリよりも北にあるブリュッセル、やはりパリよりも少し寒いようだ。早い時間にもかかわらずチェックイン出来て部屋に入ることが出来たので、まず、持ってきた洋服をすべて着込み万全の体制に。所詮コットンの物はいくら重ね着してもたいして暖かくないのだ。なんだか少しコートが窮屈だが、そんなことに構っていられない。流石に4月も中旬だったので、セーターなどウールの洋服は持ってきていない。かすかに青空が出てきたが、さほど暖かくはならない。

 昼過ぎのこの時間、ホテルからもすぐの通称MIMミムこと楽器博物館の屋上レストランへ。前回、この楽器博物館に行ったのだが、なんといってもまずこの建物が旧オールド・イングランド(日本では洋服だけの取り扱いだが、元々はグラン・マガザン、つまりデパート。)で、当時のアール・ヌーボーの様式を非常に良く伝えているものなのだ。アイアンをふんだんに使った構成や美しいタイルを使った内装も興味深い。蛇腹式のドアのエレベーターも古めかしくて、乗っていると世紀末にタイムトリップしたようだ。ここの楽器のコレクションも面白いのだが、今日はレストランだけ。受付で「レストランへ行きたいのですが。」とレストラン専用チケットを貰い階上へ。

 このテラス席もある屋上レストランは本当に気持ちがいい。ブリュッセルの街並みをパノラマで見ることが出来て、その非日常的な楽しい感じに、やっとブリュッセルにやってきたことを自覚する。そして、なんといってもここ何日か、あまりまともな食事をしていなかったこともあって、どんな美味しい食事にありつけるのか期待も膨らんでくる。確か前回もここでの食事はとても美味しかったのだ。今日は、私も河村もプラ・ド・ジュール、お昼の定食を。
 今日の定食メニューはローストビーフ、これがとっても美味しかったのだ!肉と言えば、フランスではまずかたまり肉、ブロックのことを指す。ステーキなんて当然分厚く、私達では簡単に歯が立たない。お肉は硬いもの、歯ごたえがあるもの、という認識があるためだ。その点、ローストビーフのような薄切り肉は、日本人の私達にとってはとても食べやすい。「だって、私達しゃぶしゃぶとかすき焼きとか、薄切り肉の文化から来たんだもんね〜。」なんて言いながらせっせと平らげていく。また、この付け合わせの野菜がタケノコも混じったチャイニーズ風味。ローストビーフのソースも同じくちょっぴりチャイニーズ風。「ベルギーってやっぱり美味しいよね!美味しいよね!」と美味しいものを食すると、その感動をくどいほど伝えようとする私は、河村に何度も何度も同じ事を繰り返す。ここでの食事は最高!赤ワインも一緒に飲んですっかりご機嫌になってしまった。それにしてもベルギーの食べ物ってやっぱり美味しい。

 ゆっくり食事を楽しんだ後は、適当にトラムに乗って街を散策。ブリュッセルはパリと違って、19世紀末、美術サロンの影響が強くなかったため、当時革新的だったアール・ヌーボーの特徴が色濃く出た建物が沢山残っている。そんな建物を歩きながらチェックするのも楽しい。目に付いた教会に入って美しいステンドグラスを眺めたり、内部の静謐な雰囲気を味わったり、夕方まで気ままな街並み散歩を続けた。

 夕方、グラン・プラス界隈に戻ってきて美しいパサージュ、サン・チュベールの中をそぞろ歩き。19世紀からあるだろう帽子店を覗いたり、チョコレートの専門店を覗いたり、そして昔からあるレース店のウィンドウに胸を痛め。今でもレースを扱うこのブティック、ウィンドウのガラスに“fondee en 1810”とあるので、きっと1810年からレースを扱っているのだろう。が、今ウィンドウに並べられているのはそのほとんどが「中国製かも?」と思われるものばかり。以前も、ディスプレイとして並べられているアンティークレースの値段を聞くと、私達が日本で販売しているよりも遙かに高い金額を言われてびっくりしてしまった経験がある。そんなところでも、遙か昔には沢山のアンティークレース(その頃はアンティークではなかっただろうが。)が飾られていたかと思うと、胸がキュッと締め付けられるのだ。

これがMIMこと楽器博物館。屋上のアイアン製のパーゴラや壁面の柱、“OLD ENGLAND”のタイルの文字も当時の姿を伝えています。アール・ヌーボーって、鉄を建築物にアレンジした様式だったんですね。

MIMのすぐ側にあったレンガの建物。藤の花に惹かれて中に入ってみると、そこはホテルでした。なんだか素敵な雰囲気ですね。こんな所にも泊ってみたいな。


MIMからトラムに乗ってサブロン広場へ。たまたま通りがかったノートルダム・デュ・サブロン教会の中へ。

聖人達に守られた美しいマリア様。ベルギーは寒い国だからでしょうか、ステンドグラスも他所と比べてカラフルな気がします。


ノートルダム・デュ・サブロン教会は、15世紀に出来たブリュッセルで最も美しいといわれるゴシックのフランボワイヤン様式の教会。内部はこのとおり美しいステンドグラスが連なっています。


それぞれのお道具を持った聖人達。キリスト教をもっと勉強すれば、誰がどの聖人だか分かるのでしょうね。


聖堂の外に出ると石造りの壁面にも小さな幼子を抱いたマリア様が。フランドル風の可愛いマリア様です。

アンティークのキャニスターがウィンドウにずらりと並んだここはアンティーク屋さん?いいえ、ここは古くからあるエピスリー。サブロン広場の側でみつけました。


お洒落なアイアンの椅子とラベンダー色とピンクのテーブルクロスが印象的だけど、まだテラス席は少し寒そう。これからの季節はこんなテーブルでお食事するのも気持ちが良いでしょうね。

世界で一番美しい広場グラン・プラスの一角「王の家」。1998年に世界遺産に登録されたグラン・プラス、「流石に世界遺産はやはり世界遺産だけのことはある!」というのが、ヨーロッパのあちらこちらの世界遺産を訪ねた私達の持論です。

グラン・プラスの側でこんなアイアン製のお城の看板を発見。確かチョコレートのお店だったような…。


せっかくベルギーまで来たのに、今回はチョコレートを買うのをすっかり忘れてパリに帰ってきてしまいました。あぁ、残念!このバスケットを背中に背負ったチョコレート製のウサギ、我が家では「二宮金次郎ウサギ」と呼ばれています。

ギャラリー・サンチュベールの紳士物を扱うこのブティックは、またパリとは違ってカラフルでお洒落。いつも美しい色合いのものが並んでいます。このシルクの織り柄のネクタイも、アンティークのシルク生地を思わせます。

同じくギャラリー・サンチュベールの中にある薔薇アイテムの専門店。生のお花はもちろん、薔薇水や薔薇の香水、シロップ。洗練されたウィンドウにいつも足が止まってしまいます。


老舗のレースのお店のウィンドウには“FONDEE EN 1810”の文字が。今はほとんどが現行品のレースが飾られたここにも、その昔はアンティークのレースが沢山飾られていたかと思うと胸が痛いです。

ライトアップされた夜のグラン・プラスは、昼とはまた違ってロマンティック。昼間のグラン・プラスよりも夜の方が素敵、私は断然夜の方が好きです。

■4月某日晴れ
 さぁ、今日は昨日とは打って変わって仕入れの日。朝からアポイントを入れたディーラー二軒を訪ねて、ブリュッセル郊外の街まで列車に乗って出掛ける。郊外の街までは1時間弱、まず一軒目のディーラーへは駅からトラムに乗って。メールのやりとりで、行き方を聞いたものの、初めての場所に不安な気持ちがいなめない。トラムの降り駅の駅名を知らされず、「何番目の駅で降りるように。」と指示され、河村と一緒に「ひとつ、ふたつ。」と駅を数えながらトラムに乗っているのは、まるで自分達が子供になったような気分。実際、ここはブリュッセルと違ってフラマン語(オランダ語)圏のため、人々の話す言葉はもちろん、看板の文字や駅名、案内板など、何が書いてあるのかさっぱり分からず、正真正銘の「外国」に来た気分なのだ。言われていた駅を降りると、ディーラーのオフィスまでは思いがけずあっという間。「あぁ、良かった。たどり着けた!」窓越しに見知った彼の姿をみつけてほっとする。

 紙ものを専門に扱う彼とは、フランスのフェアでたびたび顔を合わせていたのだが、他のディーラーと違って、持っているカードの量、質とも最上級。おまけに話を聞いていると、ヨーロッパ内はもちろん、イギリスやアメリカなど、「仕事があればどこへでも行く」という仕事熱心な姿勢にも好感が持てる。今日はムッシュウとやはり見知ったマダムとも握手でにこやかに挨拶。早速テーブルについて次々とカードをあてがわれた。あらかじめリクエストしておいたウィーン趣味、お花のカード、子供のカード、クロモ、何しろ1アイテムにつき膨大な量がある。マダムがコーヒーを入れてくれ、まずは一息入れてカードを繰り始めた。

 いったい何枚のカードを見ただろうか。すべてのカードを見終わったのは約3時間後。大きめな宣伝用のクロモにも出会えたし、ポストカードは満足のいく仕入れが出来たのだが、やはりここでもボン・マルシェのカードは高価。いったいいつからこんなに高価になってしまったのだろうか。迷った末にセットになったものを仕入れ。すべての仕入れが終わると午後1時過ぎ。また次回彼らと会えるのはいつ、どこでだろうか。「また次回」と言いながらお別れ。もう行き方を覚えたし、またこんな見知らぬ土地までやってくるのも面白いかもしれない。

 私達異邦人ふたりは、再びトラムに乗って国鉄の駅まで戻ってきた。今日は午後6時近くのタリスのチケットを予約してある。ということは夕方までにブリュッセルに戻って、ホテルに預けてある荷物を受け取り、タリスの発着駅ブリュッセル南駅まで移動して…午後4時にはこの街から帰らないと。急がねば!駅で簡単に食事をし、次の仕入れ先へ向わねばならない。さして期待もせず駅で食べたバゲットサンドの美味しかったこと。またしても「ベルギーって美味しいね!」とご機嫌でパクつく私達。

 大急ぎで昼食を取った後は、やはり連絡をしておいたジュエラーの元へ。以前にも来たことのあるジュエラーのオフィスへは迷うこともなく到着。入口のベルを押してドアを開けて貰う。アシスタントの若い女の子に名前を告げると「今ボスを呼びますから。」とすぐにオーナーを呼んでくれる。いかにもジュエラーといった雰囲気の恰幅の良い彼とも握手で挨拶。趣味の良いアンティーク家具が置かれた広々としたオフィスの中は、クラシックが流れる上品な雰囲気。普段こんな優雅な空間で買付けをする機会のなかなか無い私達は少し緊張気味だ。オーナーの彼はアシスタントの女の子に命じてジュエリーの入ったトレイを金庫から出し、私達はそのひとつひとつをチェックしていく。
 何百個(いや千個以上?)と出てくるジュエリーだが、一瞥すれば、好みの物かそうでない物かはすぐに判別できる。好みの物だけをピックアップして、表も裏もルーペで丹念にチェック。候補の物をいくつか選び出していく。ここでもコーヒーを出して貰い、「たまにはこういう買付けもいいよね。」と和みながら仕事を進める。いくつかの候補の中から選んだのは、ダイヤが美しいアール・ヌーボーのブローチ、繊細な細工にも惹かれる。裏から見ても、表から見ても、当時の職人の丹念な仕事ぶりが感じられる一点だ。私達にとっては高価なアイテムに、選び終えた後はぐったり。仕事を終えた安堵感にすっかり力が抜けてしまった。

 仕事を終えるとさっさと駅に向かう。はるばるこんな地方まで来たのに、一切街をぶらつくこともなく、仕事だけで帰るのはなんだか忍びないが仕方がない。やって来た列車に飛び乗りブリュッセルへ。が、この列車がハズレだったのだ。行きはブリュッセルからは1時間弱で来たのに、帰りは超ローカル列車だったらしくいくつもの無人駅に停車、1時間たってもまだ牧草地の中をゴトゴト走っている。乗った列車は昔のコンパートメントを彷彿とさせる年代物。あまりの振動に気分も悪くなってきた。何より、タリスの時間に間に合うかどうかに大いに気を揉む私達。やっとブリュッセルに到着した時には救われた思いだった。

 到着した駅はブリュッセル中央駅、そこからホテルまでは駈けるように早足で歩き、大急ぎで荷物をピックアップ。運良くホテルの前に停まっていたタクシーに乗り込み、今度はタリスの出るブリュッセル南駅へと向う。夕方のラッシュアワーの中、普段だったら青ざめるほど、ドライバーはビュンビュン飛ばしてくれ、なんとかギリギリ発車時間に間に合った。やれやれ。

■4月某日晴れ
 買付け最後の日。今日は早朝から買付けに出掛ける。フライトは夜なので、朝早くから大急ぎでバタバタとまとめた荷物をレセプションに預け、今日もまだ終日歩き回るのだ。

 今回はまだ満足のいく上質なレースに巡り会っていない。どこを探しても、「おぉ、これなら!」と思えるものに出会えなかったのだ。河村ともそんな話を交わしながら歩いてあると…顔見知りのマダムのガラスケースの中に「ん?」と思える何かがチラリと見えた。いつもは布ものを主に扱っているマダム、昔から知っているディーラーだが、さしてレースを持っている訳ではなく、今まで彼女から高価なレースを譲って貰ったことは一度もないはず。挨拶もそこそこに、顔馴染みのよしみですぐにケースから目的のブツを出してくれた。それは最近目にしていなかった繊細なホワイトワーク、マダムが「マルキーズのよ。」という王冠の入ったイニシャル入りのハンカチだ。まさに「何でこんなところに!?」というシチュエーション。一緒に出てきたタティングのハンカチも結び目のある古い作り方。返す返すじっくり見ても状態もまずまず。ひょっとしたら、マダムがイースターのバカンスをすごした滞在先のオークションで入手したのかもしれない。バカンス明けには、いつもと違った品揃えの物を見られることもあって、ねらい目なのだ。ふたつとも一緒にいだだく。私達も思いがけずいい仕入れが出来て満足、マダムも満足そうだった。

 かたや、いつも訪ねるレースディーラーのマダム。前回会ったときから「イースターの時はバカンスに行ってて留守よ。」と聞いている。最終日の今日になって、ようやくバカンス帰りのマダムと会えるのだ。
 私達が「ばあちゃん」と呼んでいるマダム、4月だというのにバカンス焼けかもう日に焼けている。私達の顔を見るや、「よく来た。よく来た。」とばかりにいつものように“Comment allez-vous?”とご機嫌で握手。「バカンスはどうだった?」と訪ねると「もう、ソレイユが、ソレイユが!」と楽しんだバカンスを思い出してか超ご機嫌。だが、いつものように新しいストックを見せて貰っても、気に入った物は何もない。もっともバカンス明けのマダムには、あまり新しいストックがなかったのだが。「新しいリボンは?」と尋ねても“Non!”のお返事。たまに可愛いベビードレスが出てくるのだが、今回はそれも無し。一生懸命何か(欲しいものではなく)買えるものがないか探すのだが、今回は本当になにもない。河村と恐る恐る「仕方ない。今日は帰るか。」と顔を見合わせた。
 実は以前、マダムとあまり親しくなかった頃、見せて貰ったものの欲しいものが無く、何も買わずに帰ろうとして、プンプン拗ねられたことがあったのだ。が、今回は(バカンス明けもあってか?)ご機嫌のまま。「今度はいつ来るの?また今度ね!」とにこやかに送り出され、ちょっぴりほっとしてしまった。

 買付け時間も残り少なくなってきた。終わりがけ、以前から探しているレースのファンが目に入ってきた。最近とんとレースのファンとは巡り会っていない。あるにはあるのだが、とてつもなく高く、とても手が出せる値段ではない。ポワン・ド・ガーズだけではなく、ポワン・ド・ガーズとデュシェスのミックスだが華やかなデザインで、値段を聞くと私達でも手が届きそう。瞬間、「これ日本に持って帰る!!」と頭の中で叫ぶ私。
 そして見せて貰ったのだが…これが何とも凄まじい状態で呆気にとられてしまった。表側から見ると、ほんのかすかに淡いしみがあるが、まぁ許せる範囲。だが、レースの下側はなぜか扇の骨から浮いてヒラヒラしている。「え?どうして?」と開いたままの扇をくるりと裏側にひっくり返すと…「ん???」思わず自分の目を疑ってしまった。それというのも…たぶん元々このレースがついていた扇の骨は壊れてしまったのだろう。そこからレースだけを取り外し、他の扇の骨だけになったものと組み合わせて、上側だけ縫い付けてある。私達が通称「ニコイチ」と呼ぶ、壊れた状態の二個のものを組み合わせて一個にしてあるものだ。そしてその骨といったら!!!どうやら新たに付けた骨は、そのレースにはサイズが大きすぎたらしく、レースから余った部分をそれぞれポキンポキンと折ってある。それがいかにも「手で折りました。」という感じで、もちろん折った先はギザギザのまま。よくよく見ると、折れた部分をボンドで汚く貼り付けてある箇所も。あまりにあまりの状態に、呆れて思わず笑ってしまう。私の急激に分泌されたアドレナリンは、いっきに収束へと向った。また近いうちに、今度は真っ当な状態のレースファンと出会いたいものだ。
 そろそろ時間ぎれ。買付けを終えてホテルへ戻る時間が迫ってきた。後ろ髪を引かれながらも、ホテルへ戻るバスに乗った。

 ホテルの近くまで戻ると最後に私的なお買い物。普段、あまり日本で洋服を買う機会のない私。年齢を経たせいか、最近日本では気軽に買える服がないのだ。たいていは、いつも滞在するホテルからも程近いサンジェルマン・デ・プレ界隈、決まったお店で買うことが多い。今回も毎夕スーパーへ買い出しに出掛ける途中で、チェックしていたウィンドウの中のドレスを試着に立ち寄った。買付けにお買い物に対するすべての情熱を傾けるせいか、自分のものには常に冷静、ほとんど熱くならない、というか「また今度来た時でいいや。」と、自分のものには全然情熱がないのだ。いつも身近なお店で、ささっと試着をして、常に一緒の河村に「どう思う?」と意見を聞き、10分程度で買い物終了。

 イギリスではどうしたって金髪碧眼のイギリス人に合わせて淡いブルーやピンク、淡いグリーンなどシャーベットトーンの服が多く、黒髪黒目の私達にはいまひとつぴったりこないのだ。その点、染めた以外はブロンドの髪があり得ない、濃い色の髪の毛や濃い色の瞳も多いフランスでは、服の色も巾広く私達オリエンタルにも似合う色合いも多い。
 フランス人のマダムやマドモアゼルが好むのは、どこまでも「女性らしさ」を意識させるいかにも「私は女よ!!」と言わんばかりの服がほとんど。そんな服を見慣れてくると、日本で売っている服がなんとも「色気のない服」に見えてくるから不思議。という訳で私が最近選ぶのも、河村曰く「エロガンス(エレガンスではないので念のため)」と呼ぶ、そんなフランスの服ばかり。私がいつも胸元の開いた服ばかり着ているのは、そんな理由があるのだ。今日もいつものお店で、いつものマダムに接客され、ワンピースとカーディガンをあっという間に買い上げ。

 続いて、そこから筋向かいにある同じく河村のシャツとネクタイのお店へ。ここでも、ほとんど迷う事なく、ウィンドウでチェックしていたピンクのチェックのシャツとそれに合わせてピンクのネクタイを。こちらもシャツのサイズだけ確認のため一応試着して、ごくあっさりした買い物。河村のシャツもほとんどフランスで入手することが多い。それというのも、上背のあるイギリス人のためのシャツではどうしたって「手長」になってしまうのでイギリスでは購入できず、フランスで買うしかないのだ。(フランスは小柄な人から大柄の人までバラエティーに富んでいる。)手近なところでさっさとお買い物、これがいつもの私達のショッピングだ。

 最後に自分達のものを淡々と入手した私達だが、やっぱり自分達のものはともかく、「更に状態の良いもの、更に珍しいアイテムと巡り会いたい!」常にそんなアンティークに対する気持ちで心はいっぱい。ひとつの旅が終わっても、またそんな出会いを求めて次の旅に出るのだ。

パリのショウウィンドウにはいつも心惹かれてしまいます。その魅力的なディスプレイや蠱惑的な色合わせなど、そのすべてを自分に吸収して日本に持ち帰りたいと思ってしまいます。

***今回も長らくお付き合いいただき、ありがとうございました。***