〜前 編〜

■1月某日晴れ
 いつものことながら、前日からの睡眠不足で、私も河村も機内で朦朧としながら過ごす。その眠いことといったら、不思議なくらいで、本を読み始めれば、僅かしか読んでいないにもかかわらずいつの間にか眼が閉じているし、映画を見始めれば知らないうちに眠りこけているし、もうどうにもならないのだ。仕方なく起きていることを諦め、いつも飛行機に乗るときに常備している「首マクラ」をし、同じく飛行機のお供「ノド飴」を口に放り込み、最近お気に入りの蒸気の出るアイマスクまでして万全な態勢で眠りについた。

 すごすご起き出したのは数時間後、それからようやく見たいと思っていた映画、「ダッチェス」を見たのだった。この「ザ・ダッチェス」、18世紀の衣装がふんだんに出てくるため、以前より見たいと思っていたのだが、いかんせんとても劇場へ足を運ぶ余裕がなかったのだ。(あれ?日本でももう公開されたのでしたっけ?)
 主演のキーラ・ナイトリーの善し悪しは置いておいて、想像していた通り、その時代の風俗や習慣がとても興味深い。ドレスや帽子などのコスチュームに目が釘付けのまま、あっという間に時間が経ってしまった。

 無事にパリに到着後、空港のアメックスで両替。実は以前までアメックスのTC(トラベラーズチェック)をアメックスのビューローで現金化するのに手数料は必要なかったのだが、ここ1年程前から、ドルの対ユーロ、ポンドのレートが悪化したせいか、手数料を取るようになったのだ。たった1〜2%の手数料だが、まとまった金額を替える私達にはバカにならない。そんな中、唯一、空港のビューローだけがアメックス直営のため、手数料がかからないのだ。

 行きから既に三つあるスーツケースをカートに乗せ、ゴロゴロとアメックスへ。両替して貰える金額いっぱいいっぱい(一度に両替して貰える上限が決まっているのだ。)を替えて貰い、私と河村の半々に分け、すられたり盗られたりしないよう、しっかりカバンの奥底にしまった。そう、買付け資金をすられでもしたらそこで買付けもフィニッシュ。そんなことにならないよう私も河村も、大金の入ったポーチはカバンの内側に紐で結びつけてあって、そうそう簡単にすられたりしないようになっているのだ。(実害がないものの、フランスでは今まで何度かスリにあっている。パリに遊びに行かれる方はどうぞお気を付けあれ!)
 お金を替えた後は、またカートをゴロゴロ押してタクシー乗り場へ。いつもシャルル・ド・ゴール空港からパリの市内までは、RER(郊外高速鉄道)で向かうことが多いのだが、治安が悪いのと、トラブル続きなのとで、前回キレた私が「もう絶対乗らない!」と宣言。今回はタクシーに乗ったのだが…。

 中国系のおぼしきタクシードライバーのおっちゃんが運転するタクシーの中には中国の歌謡曲が流れ、なんだか妙に和める雰囲気。中国の歌謡曲といっても、中島みゆきの曲の中国語バージョンなど、「あれ!これどこかで聞いたことがある!」という日本の歌謡曲や演歌の中国語バージョンばかり、パリに来たことも忘れてついつい一緒に口ずさんでしまう。が、夕刻のパリ郊外はご多分に漏れず大渋滞。パリ市内に入るのに時間がかかった上、パリ市内に入ってからは、渋滞に次ぐ渋滞でまったく動く気配がない。こんな時にはジタバタしても仕方がない。"C'est La Vie. (これも人生さ。)"とばかり腹をくくり、結局いつものホテルに着いたのは午後9時近くだった。

フランスの1月半ばは、まだクリスマスのディスプレイ。いつものお菓子屋さんの店先も真っ白いバンビの周りに様々なお菓子が飾られていました。

花屋も店先で、「このスミレのブーケ、どこかで見たことがある!」と思ったら、それはアンティークコサージュでした。本当にアンティークのスミレのコサージュそっくり、まだまだ1月ですがどこか春の訪れを思わせるようです。

■1月某日曇り
 買付け第一日目は、幾分高級な部類のアンティークが並ぶサロンと呼ばれるアンティークフェア。特に今日の会場になる場所は「クール・サンテミリオン」とボルドーワインの名前が付けられた長年パリのワイン倉庫が集まった地域。再開発のため、実際には使われなくなってしまったと言うものの、いまだ当時のままのワイン倉庫が建ち並ぶ昔のパリを彷彿とさせる街だ。
 今日は第一日目ということもあり、意欲満々。「何か良いものはないものか!?」とドキドキしながら会場へ。既にゲートには沢山の人が並び開場前の独特くの雰囲気が漂う。

 この日、様々なアンティークのブースの中でレースを扱っていたのはただ一軒。フェアはオープンしたというのに、まだ店主がやって来る様子がない。ブースの雰囲気からすると、どうやら私達の知らないディーラーのよう。そしてそのガラスケースの中にポワンドガーズとホワイトワークのハンカチを発見!ガラス越しに見た感じでは、なかなか見ごたえがある魅力的なレース、期待も膨らむ。が、店主のマダムはまだ現れない。「仕方ない、先に他の物から見よう!」という河村の意見に従って他の物から見始めたのだか、頭の中はレースのことでいっぱいで気もそぞろだ。

 しばらくしてレースのブースに戻ってくると、若い男性がブースを開けたところだった。早速、「このレースが見たいのだけど。」と出して貰うのだが、彼は「この外国人、何を高価な物を見たがっているんだか。」という面倒くさそうな態度がアリアリ。そんな態度にめげることなく見せて貰うのだが、ハンカチを広げる場所もなく、じっくり眺めることも出来ない。一応、金額も聞き、(そっちのテーブルの上で広げたいのだけど…。)と思っていると、私達が買う意志がないと思ったのが、おもむろに仕舞いはじめるではないか。(ちょっと、ちょっと〜!)と「もう一度見せて!」とさっきよりも強い口調で命令する。そうしたところに、肝心のオーナーのマダムがようやくやって来た。彼女は、私達のような外国人のディーラーにも慣れているらしく怪訝そうな顔をすることもなく、ハンカチの説明を始める。

マダム 「これはニードルレースで…。」
私 「分かってる。」
マダム 「19世紀のものよ。」
私 「知ってる。」

 思わず素っ気なくなってしまう私。ようやくハンカチを広げてみると、ポワンドガーズの方は柄がいまひとつ、そしてホワイトワークの方は細工も繊細で高密度、なかなか良い感じ。もっと焦点を合わせようと思わず眉間に力が入る瞬間だ。だが、「ん?」何かヘン。そう、ホワイトワークのハンカチの周囲には通常ヴァランシエンヌのボーダーが縁に付けられているのだが、このヴァランシエンヌは何か事情があったのだろう、ところどころ切れ切れになってしまったらしく、あちこちで継いでツギハギだらけ!「あぁ、これはダメだ〜。」とがっかりする私達、この時代のデリケートなレースのこと、完璧な状態のものは難しいと分かっているものの、これは私達の許容範囲外。しょっぱなから、ちょっぴりがっかりして買付けが始まった。

 結局、このフェアで入手したのはお花をかたどった可愛いピアスと、以前から欲しかったブルジョワの代表的な香水瓶“KOBAKO”。この“KOBAKO”の名前は日本語の「小箱」から来たネーミング、1930年代当時はきっとエキゾチックなものとして人気が高かったことだろう。

“Boulangerie(ブーランジェリー)”ことパン屋さん。歩いていて偶然行き当たったブーランジェリーですが、美しいガラス絵と金文字の看板が19世紀末のスタイル。パリにはこうしたブーランジェリーとして作られた歴史的建造物32軒が、文化省によって保護されているのだとか。「日本にも古いものをもっと大切にする文化があったら…。」と思わずにはいられません。

サン・ジェルマン・デ・プレのラデュレの店先で。今まで何度となくお店の前を通ったことがあっても、サロンでお茶やお買い物をするをする時間はなく(泣)、今回も撮影だけ。ラデュレ、今ではファンや香水まであるのですね。(その後ホームページを見て化粧品まであるのにびっくり!)右端のショコラのマカロン、とっても美味しそうです。

■1月某日曇り
 買付け第二日目。今日のスケジュールは、今回足を運ぶフェアの中でも肝心なカードのフェア。このカードのフェアのために、今回の買付けの日程にしたと言っても良い程。紙ものはフランスでも愛好家が多く、こうしたカードだけで構成されるフェアも珍しくない。パリ市内だけの買付けでは、カードを集めることが非常に難しくなってきたこの頃、外せないフェアだ。

 先週のパリはマイナス10℃以下、雪まで積もる寒さだったらしい。今週はそこまでいかないまでも、出掛ける前にテレビの天気予報のチェックは欠かせない。今日はさほど寒くならないとのこのだったが、日本で過ごすのとは比べものにならない大量の衣類を身に着けて出発!開場15分前にカードフェアの会場に着いた私達を待ち受けていたのは、側のドラッグストアの店先に掲げられた“2℃”の表示だった。

 なぜかこうした紙ものフェアはフランスの爺さん達に大人気。(もっとも真っ昼間からやって来られるのは、爺さんかアンティークディーラーかに決まっているのだが。)いかにもリタイヤしたと見受けられる爺さん達に混じって列に並ぶ。
 爺さん達が目指すのは、ポストカードとはいっても、フランス国内や外国の風景写真がポストカードになったもので、フランス国内なら県別にナンバーで分類されている。私達が探す美しい絵葉書とは一線を画しているのだが、いかんせん会場の中は人でごったがえしていて、なかなかお目当てのカードにたどり着くことが出来ない。それ以前に、ここ2〜3年は本当に美しいカードが減った。以前ならパリにいるだけで集められたカードだが、そういったカードを扱うディーラーもいつの間にか一人減り、二人減り、みんないなくなってしまった。そんなことを思うと、淋しい気持ちがぬぐえなくなる。
 そんな中、出して貰った膨大なカードを繰ったり、次から次へとブースを移動したりを繰り返し、私達の「○○が見たいのですが…。」と尋ねる下手な発音に、眉をひそめられるのにもまったくメゲることなく、あっという間に一日が終わったのだった。

 とにかく沢山のカードをgetした今日、いったい何枚のカードを繰ったことだろう。ぐったり疲れて帰路についた。いまひとつパッとしなかったフェアを終え、市内に散らばるアンティークディーラーの元をひとつひとつ訪ねる。夕方、さほど期待せず見知ったジュエラーの元へ。数は多くないのだが、時々拾える(私達アンティークディーラーは仕入れることを「拾う」と表現するのだ。)ため、度々立ち寄る場所だ。また、昨今の超円高で、今までは手が届かなかった物も、現実味のある物になっている。今回見つけたのは、イニシャルのモノグラム彫刻が施されたホロー構造のゴールドリング。石の入っていない無垢のゴールド、ジュエリーに限らず、こうしたイニシャルものにめっぽう弱いのだ。

 今日のところはこれにて終了。まだ第一日目でフランス時間に慣れない私達、ホテルに帰るやいなやベッドに倒れこみ爆睡したのだった。

なんとSOLDE(ソルド)の時期が国で決められているというフランス。今回の買付けはソルドまっただ中。どこのお店もソルド一色でした。若い女の子向き?ビビッドなピンクとブルーの対比が美しいショウウィンドウ。

こちらの厚着のおばさんは誰?連日5℃程度だったでしょうか。戸外で長時間を過ごすことが多い買付けでは、帽子はもちろん、毛皮のストールは手放せません。今回も「お布団」こと長年買付け用に愛用しているダウンのコートで。

■1月某日曇り
 今日はパリ市のあちこちを巡る予定。特にアポイントを取っている訳ではないが、いつも足を運ぶめぼしいディーラーを何軒か回るのだ。今朝はゆっくり支度し、朝食はいつものキャフェで。今回初めてのキャフェのテーブルに着くと、すぐに私達が「中国人の兄ちゃん」と呼んでいる馴染みの中国系のギャルソンがやって来て、「いつ来たの?元気だった?」と握手で挨拶。メトロの駅のすぐ側で、常に人がいっぱいのとてつもなく忙しいキャフェなのに、毎度挨拶にやってきてくれる義理堅い彼なのだ。
 私はプティクレーム、河村は最近お気に入りのキャフェノワゼット(エスプレッソのカップにミルクの入ったクリーマーが添えられている。)、それぞれタルティーヌ(バター付きのフランスパン)で朝ごはん。フランスの朝ごはんというとクロワッサンを思い浮かべる方も多いと思うのだが、バターが沢山使われていて単価も高いクロワッサンは、フランス人も毎日食べるものではなく、「お休みの日の朝ごはん」という感じらしい。私は脂っこいクロワッサンよりも、噛めば噛むほど味わい深いフランスパンの方が好き。それに加えて「どうして?」と思うほどバターが美味しいのは、本当にどうしてなのだろうか?簡単な朝食の後は、今日もバスで買付けに出発!

 まずは、このところ訪れていなかったレースや布を扱うマダムの元へ。どうしてか彼女とはこのところタイミングが合わず、ここで物を選ぶのは久し振りだ。でも久し振りの方が、商品が回転していて、目新しい物があり、買付ける側としてはありがたい。決して広くない場所のあちこちに、布やリボンやレースなどなど、様々な膨大なアイテムが隠れている。この隠れているアイテムの中から自分達の好みの物を見つけ出すのが私達の仕事だ。「あーだ。」「こーだ。」と出して貰った中の僅かなハギレから、「こんな感じのもっとない?」とか、「こういう色のを探しているの。」とか、「この種類のレースある?」とか、「何?そんな高い値段じゃ無理!」とか、目的のブツにありつくまでが果てしなく長い。
 そんな一連の作業を終え、今日のブツは柄織の生地やアルジャンタンのレース。アルジャンタンのレースはここしばらく入荷がなく、いつもレースを仕入れる仕入れ先のばあちゃんからも「アルジャンタンはおしまい!」と言われていただけに嬉しい出物。時間がかかったものの、気に入った物と一緒に帰るのは嬉しい。

 次に向かった先は、やはりレースや布ものを扱うディーラー。この業界ではまだ年若い彼女だが、もう10年以上の付き合いになる。ただ、ここ最近は布やレースよりもコスチュームに力を入れている様子。あまり買付けられるものはないものの、たまに出物があり、外すわけにはいかない。今日も、以前ここでシルクの生地を買付けたことを思い出し、「お人形のためのシルクない?」と聞いてみたものの、“Non”のお返事。仕方なく、「今日は何にも無いかな〜。」とキョロキョロしていると…「あらっ!」高い戸棚の上に、私好みのシルクのボックスを発見。彼女の所では意外な商品だ。すぐに彼女に「これってすごく高いの?」と聞きながら降ろしてもらう。「ううん、そうでもないわよ。」と彼女。決して安くはなかったのだが、こんなボックスは見たことない。河村の意見を聞くまでもなく「これ貰ったわ!」
 デリケートなシルク製、ディーラーの彼女はフランス人には珍しく「これとってもデリケートだから、気を付けてね。」と言いながら丁寧に薄紙で包んでくれた。

 今日、買付け後の夕方訪れた先は、ご存じピエール・エルメ!元ラデュレのパティシェのお店としても有名、東京には何店舗かあるピエール・エルメ。残念ながら私の住む名古屋にはまだなく、「だったらパリで!」とやって来たのだ。ブティックのあるリュ・ボナパルドまではサン・シェルピスの教会を通り越してすぐすぐ、ホテルからは「ご近所」といった距離だ。まず、小さなブティックの外まで人が並んでいるのにびっくるする私達。既に夕暮れのため、ショウケースの中にはもう僅かのケーキしか残っていない。やっと順番が回ってきた。「良かった!まだ売り切れていない。」オーダーしたのはグラスに入った四層になったジュレ、「美味しかったよ〜!」とはここで同じものを食べた仕事仲間のディーラーの弁。やっとの事でお買い物を終えたものの、1個7.3ユーロ(1ユーロ=\120として1個\876。しばらく前のレート1ユーロ=\170とすれば1個\1,241!)というお値段に、またしてもキモを潰したのだった。これってフランスではとっても高価なものなのだ。お味の方はと言えば、当然美味しいのだが、あまりにも洗練されていて、私はもっと素朴なフランスらしい焼き菓子の方が好きかも。でも、ここのマカロンはとっても美味、今まで食べたマカロンの中では最も美味しいかもしれない。

「確かに美味しいのだけれど、でも高すぎる〜!」というのが、ピエール・エルメを食べた感想。食べ始めたらあっという間に終了で、食べ終わった時には「もう終わっちゃった〜。」と少し悲しかったです。(笑)

■1月某日晴れ
 今日はちょっぴりほっと一息といった感じ。パリの市内で二カ所の小規模なフェアを回った後、ジュエリーを扱うディーラーの元へ向かうことになっている。ちょうど昼食時間に時間が空いているので(普段なかなかお昼に時間が空くことがないので)、以前から気になっていたレストランに行ってみようということで、朝から河村と意見が合った。

 今日のフェアは、朝ゆっくり。おまけに小さな規模のフェアなので、さほど時間もかからないだろうと、朝からのんびり過ごす。10時過ぎまでベッドでゴロゴロしながら、「あぁ、幸せだよねぇ。」と呟く私達。こんなのんびりした気分なのは久し振りだ。11時近くなってようやく出勤。実はこのフェア、「午前7時半より」となっているのだが、そんな時間に行っても誰もいやしないのだ。以前、もう数年前になるのだが、このフェアに始めていったときのこと、生真面目な私は日曜日だというのに、この「午前7時半」を真に受けてメトロに乗って出掛けたのだが、これが怖いの怖くないのって!冬の日曜日午前7時頃のメトロって恐怖なのだ!そう、誰も通路を歩いていないし、誰もメトロに乗っていない…ということは、何が起こっても分からない、ということ。メトロの通路に響き渡る自分のカツカツいう靴音に驚き、誰も乗っていないメトロの車両なのに、わざわざ隣のシートに座ってきた男性にドッキリ。いつものメトロとは違う雰囲気におののきながらフェアの会場に到着したものの、会場には誰もおらず、結局側の開いていたキャフェで1時間ほど時間をつぶしていた記憶がある。

 今日は大丈夫。もう既にほとんどのディーラーが来ていて、ひとつひとつのブースを覗いていく。が、目当てにしていた二人のディーラーが二人とも出店していない。初めてやってきた河村の目は「なんでわざわざこんな所に来た?」と責めているようだ。「前は色々拾えたのよ。ここ。」と言い訳をする私。会場をひと周りし、あっさり帰ることに。「もう次回からはここには来ない!」そう思いながらまたメトロに乗って帰った。

 一度ホテルに近くに戻ってお目当てのレストランへ。ホテルからも程近いサン・ミッシェルのレストラン“Ze Kitchen Gallery”は、以前から注目しているフレンチレストラン。前々回の買付けでも電話で予約を入れたのだが、既に満席で行くことが出来なかったのだ。外に掲げたるメニューをチェックするとなかなか美味しそう。「今日ならお昼だから大丈夫かも。」と入店したのだが、親切なレセプショニストの男性から申し訳なさそうに「済みません。もう満席で…。」と言われてしまった。でも、諦めきれない私、思わず「それでは今晩は?」と質問。ディナーは空いているということで、午後7時半に予約をして外へ出た。ディナーに備えて昼は軽めに。いつものバゲットサンドをマルシェで買い、再びホテルの部屋へ戻って食事。
 次はセーヌ川沿いで開催されているフェアへ。「サロン」と銘打った高級品の集められたこのフェア、私のカンに間違いがなければ、ここに顔見知りのレースディーラーが出ているはず。再び出動!
 高い入場料を払い、豪華な会場に潜入。「サロン」だけあって、本当に高価だが美しい品々が並んでいる。そんな美々しい物を眺めながら奥に進むと、会場の一番奥にいたいた!お目当てのマダムが。なぜかニコリともしないいつものマダム、でも前回の時よりも少しだけ表情が柔らかかったように思えるのは気のせいか?

 早速気になる物を出して貰う。前回の時はなかった美しいハンカチがガラスケースの中央に飾られている。「これこれ!これを見せて。」と出して貰い、河村と共にチェック。前回も見せて貰ったレースが入っているボックスを出して貰い、ひとつひとつのレースをそっと取り上げチェック。出てきた!出てきた!美しいハンドのレースが。こういうハンドのレースはどこにでもある物ではない。出てくるところからしか出てこないのだ。興奮状態でレースをチェックすること30分あまり、満足のいくセレクトが出来、ご機嫌で会場を後にした。満足がいくものが入手できた後は本当に嬉しい。とても充実した気持ちで外へ出た。

 それにしても、今までにあちらこちらの場所で何度も会っているのにもかかわらず、マダムがニコリともしないのが気になる私。決して彼女の意地が悪い訳ではなく、今日などはどこかしら「尊敬の念」で接して貰っているようにすら感じられるのだが、シャイな人なのか少しよそよそしさも感じる。
 「私達のこと、覚えてないのかなぁ。」と私。が、すぐに河村が遮った。「そんな訳ないでしょ。自分達も外国人のカップルのお客さんが来たら忘れられないでしょ。」確かに!そういえば、そんなお客様がいらしたら、絶対忘れないものね。彼女はパリに住んでいる訳ではないことだし、あまり外国人に慣れていないのかもしれない。また次回、もう少し私達に慣れてくれると良いなぁ。

サロンを後にするとそこにはエッフェル塔がそびえ立っていました。こんな青空、どんよりした鉛色の曇り空が多い冬のパリでは珍しいこと。うろこ雲どこかのんびりとした雰囲気です。


エッフェル塔に近づいて見ると、まるでレース細工のよう。世紀末らしい美しい建築ですね。


そして今回、なぜかノルマンディーで以前から欲しかったエッフェル塔スタンプを入手。この切手、1939年に発行されたもの。そのうち小さなフレームを発注する予定です。

 レースさえ手に入れればここにはもう用はなし!(だって、他は大理石のマントルピースや高級な家具ばっかりだし。)セーヌ河岸のフェアを後にし、後学のため(?)繁華街に転々とあるアンティークジュエリーのショップへ。「何か気に入るものがあって、仕入れも出来れば良いのになぁ。」と思いつつ出掛けてみたのだが…毎度「こんな沢山のジュエリーがあるのに、どうして欲しいものがひとつもないの!」という状態。(アンティークジュエリーがこれだけ沢山あるということにも驚きなのだが。)ショウウィンドウいちめんに飾られた膨大な数のアンティークジュエリー、なのに欲しいものがひとつもないって、いったいどういうことなんだろう。そのうえ決して安くない。こういったショップに足を運ぶ度、結局がっかりして帰ることになるのだ。どこかに私好みのアンティークがザクザクあるところ、そんな所はないものか。

 念願のレストランでの夕食に備えて一旦ホテルに帰り、ちょっぴり休憩。着替えをし、化粧を直してお出掛け。ランチはともかく、こちらのディナーは特別な場所。皆普段着ではなく、特に女性は露出度も高いお洒落をしてやってくる。そういう私は、今回防寒対策で頭がいっぱいで、寒さ対策の服装なら山のように持ってきたのだが、お洒落できるようなものが一着もない。いつもだったら、ドレッシーなワンピースを一枚ぐらいスーツケースに入れてくるのだが、今回に限っては一枚も無し。仕方なく日本では滅多に着ることがない買付け用の黒のニットのミニ丈のワンピースにブーツ、首にはスカーフを巻いて出掛ける。

 今日訪れる“Ze Kitchen Gallery”は、「フュージョン系」と呼ばれるアジアンテイストを盛り込んだ軽めのフレンチ、日本人シェフが二人も働いていて(テーブルからも見えるオープンキッチンになっているため、シェフの姿がよく分かる。)、伝統的なバターを使ったヘビーなフレンチとは一線を画したレストランだ。知人のアンティークディーラーで食通でもあるR氏とY嬢のカップルのイチオシのレストランのため、以前から気になっていたのだ。聞けば最近、ミシュランの星がひとつ付いて「星付き」になったらしい。
 ようやくの訪れる機会ゆえ、ワクワクしながらホテルからトコトコ歩いて出掛ける私達。照明の落ちた店内は大きな窓があるせいか意外に開放感がある。日本よりもずっと所得が低いこともあるだろうが、こういう場に20代の若い男の子や女の子はまずいない。フランスのレストランはあくまでも大人の楽しむ場所なのだ。こんな場に出掛けると私と河村は、決まって「大人になって良かったね〜。」と肯き合うのが常。それでは、本日のメニューは以下のレポートでどうぞ。

 まず前菜は、薄切りにしたホタテを冷たくしたタイ風の甘酸っぱいソースとゆず風味のさっぱりしたソースでいただくというもの。薄切りにしたリンゴやマンゴーや柿があしらってあって、一緒に食べるとフルーティーな美味しさ。盛りつけも洗練されていて、まるでピエール・エルメスのケーキがお料理になったみたいだ。しかも、所々にやはり薄切りにしたショウガが隠されていてポイントになっていた。最初から赤ワインのグラスを頼んだのは失敗、繊細な味わいだったので、せめて白にするべきだったと反省。(本当はグラスのシャンパーニュをオーダーしようと思ったのだが、キャフェで飲むお値段の軽く2倍のお値段にビビッてしまったのだ。)これが白身のお刺身でもきっとイケたはず。もっともホタテが薄切りにしてあるせいで、食感が魚のお刺身を思わせるのだけど。
 メインの“Wagyu”のコンフィは、照り焼き風に焼いた柔らかい和牛のお肉に、甘酸っぱいパイナップルソース、なにより和牛の上に乗った刻んだ赤ピーマンと紅ショウガの酸味が効いている。そして、つけあわせのマッシュポテトの滑らかだったこと。でも、決して重くはなかったので、生クリームではなくミルクを加えてあったのかもしれない。
 念願のデザートは、わさび風味(!)のホワイトチョコレートのアイスクリームに、抹茶のソース。ソースの中に仕込まれたザラメの食感が美味しい。フランスのデザートにありがちなただただ甘いだけでない上品な味わいだった。

 束の間の美味しかった時間を過ごした後は、お腹いっぱいの身体をもてあましながら、夜の散歩へ。寒さなんて何のその、イルミネーションも美しいセーヌ河岸を歩いて帰宅。夜も更けてライトアップの灯りにおぼろげに浮かぶ美しい建物、パリは夜になってからの方が街が美しく見えるように思う。

1607年に竣工したセーヌにかかる最も古い橋なのにPont Neufポンヌフ(“ヌフ”は「新しい」の意)の名前。ポンヌフが舞台になったレオン・カラックスの映画「ポン・ヌフの恋人」を見て、パリに強烈なあこがれを持ったのは20代の頃。あれから果てしなく時間が流れ、そのパリにいることがけっして珍しいことではなくなった今、なんだか不思議な気持ちがします。


石畳の道をひたひたと足音をたてて歩きます。思えば、河村とコンビを組む以前も、一人でレストランに出掛けて、こんな風に夜の街を一人で歩くのが好きでした。

■1月某日雨のち曇り
 目覚めたのは、しとしと雨が降る陰気な音で。今日は終日戸外での買付けだというのに、「雨かぁ…。」と気が滅入る。そういえば、昨日の晩はちょっぴり寒さも和らいでいたのを思い出した。「本当にこの国は、ちょっと暖かいとすぐ雨なんだから。」と誰に問うでもなく独り言。でも防寒の手は抜けない。今日も膨大な量の衣類(笑)を身に付けまだ夜の闇が濃い街へと飛び出した。

 今日のスケジュールは、半日戸外でのフェア、そのあとでアポイント先のディーラーを回ることのなっている。いつものようにバスに乗って出勤する。バス停で待っていると、1分も経たないうちにバスがやって来た。ラッキー!朝早い時間帯はバスも少ないのだ。シメシメ、これで寒い中待つこともない。しかもバスに乗っているうちに、雨も小降りになってきたではないか。雨降りの野外でのフェアは、ディーラー達も商品が傷むことを怖れて、モノを出さないことも多いのだ。

 現地に着くと雨はすっかり小降りに。だが、まだ夜は明けず外は暗いまま。愛用のマグライト(私は、マグライトとか、様々な機能の付いた小振りのアーミーナイフとか、実は男の子が持つようなアイテムも好きなのだ。実用的だしね。)でガラスケースを照らしながらじっと目を凝らすのだが、あまりの見づらさに、「夜は二度と明けないんじゃないだろうか?」と思えてくる。そんな中、アール・ヌーボーっぽいソープボックスを見つけたのだが、暗闇の中では状態を確かめる術もない。「オネガイ!早く明るくなって。」と念じながら歩いているうちにようやく空が白んできた。

 ここでみつけたのは、子供のファッションプレートやナポレオン三世時代の(いわゆるナポレオン・トワというやつだ。)ブロンズでデコレーションした美しいドレッシング用のガラス容器、ブラシやアクセサリーを入れる化粧小物のひとつだ。そんなものを手にするたびに、「あぁ、フランスのものってなんて美しいんだろう!」と思わずにはいられない。

 午前の買付けを終え、キャフェでひと休み。パンオショコラで少し遅い朝ごはん。再びバスに乗り次の場所へ。いつもの「レースのばあちゃん」と私達が呼ぶディーラーの元へと急ぐ。午後は訪れる場所が目白押し、次々こなしていかなければ予定していた場所を回ることが出来ない。

 そして今日も愛すべきばあちゃんのところにやって来た。彼女も、ちょっとしたことでヘソを曲げて、「じゃあ、もう買わなくいい。」なんて口走ったりするが、ばあちゃんに慣れている私には、なぜかそんな姿も微笑ましく思えてしまう。今日も私と河村それぞれに、ご機嫌で「お元気?」とにっこり握手。

 今回の買付けは、ちょうどソルド時期。なぜかソルド時期になると、ばあちゃんもソルドモード、肝心のレースを選ぶ前から「これもカドー(贈り物)、これもカドー、これも持ってきな。」とこちらが面食らってしまうほど気前が良い。「ありがとう。」とお礼を言いながら、心の中では「カドーはありがたいけれど、果たして欲しいレースはあるんだろうか。」と逆に不安になってくる。いつものように、ばあちゃんの手元から手品のように出てくるレースを眺めるうち、一番最後に私達が探していたレースが出てきた。ニヤリと笑うばあちゃん、私達が欲しいものがよく分かっているのだ。お目当てのレースが出てきた後は生地を物色。すると、今まで見たことがなかった生地の在庫が沢山あるではないか。そんな様子を見ていたばあちゃんは「仕事を辞めたディーラーのところから出てきたものよ。」とポツリ。そうか、辞める人結構いるものね。願わくば、ばあちゃんにはまだまだ頑張ってもらわないと。

 そんな時、小柄な初老の男性がつむじ風のように入ってきた。親しげにばあちゃんと挨拶をかわし、また慌ただしく去っていく。小柄で浅黒く、見るからに生粋のフランス人ではない様子、モロッコかチュニジアあたりからの移民か?そんなことを思っていると、ばあちゃんがいたずらっぽく「アライアを知っているか?」と聞く。アライアといえば、あの80年代に一世を風靡したあのアライア?あのボディコンシャスのアライア?「今のプティムッシューがアライアだよ。彼はとても料理好きで、自宅のキッチンなんてこ〜んな広いんだから。」と自慢するばあちゃん。ということは、アライアの自宅にも行ったことがあるってこと?本当に侮れないんだから。そんなばあちゃんとは、今回感謝を込めて両頬にビズーをして別れた。

 ばあちゃんのところの次に向かった先は、同じく生地やレースを仕入れるマダム。が、彼女は本来時代衣装が専門、実際にミュージアムで目にするようなドレスを扱っていて、私が欲しいレースや生地は、けっして多くないけれど、必ず立ち寄る一軒だ。レースのばあちゃんとも知り合いで、ばあちゃんとも同じ年頃の彼女だが、こちらはけっして「ばあちゃん」なんて呼べない雰囲気を持った若い頃にはさぞ美人だったと思われる気位の高そうなマダム。でも顔馴染みの私達にはいたって親切。気まぐれなフランス人のこと、「あらま!」と思うことも多いのだが、いったん知り合いになると実は意外に義理堅かったりする。
 今日はいつもよりも沢山のシルク生地やリボンが溢れている。「え?どうして。」と思いつつ「ひょっとして彼女も引退か?」なんて思っていると…「実はお店をクローズした人がいて。」とマダム。どうやらここにもクローズしたお店から品物が流れてきたらしい。沢山のシルクの中から状態が良く、色あいの綺麗なものをセレクト。リボンもいっぱいあって嬉しい。

  もう一軒、訪れた先は細々としたレースや小物がお人形の衣装を思わせる場所。いつも何かしらありそうで、それでいて、実際にはなかなか仕入れるものがないというところ。「いつもありそうでないんだよねぇ。」とつぶやきながら見ていたところ…「ほら、これ。」河村がどこからしら手にしてきたのは、とても愛らしいピンクとアイボリーのストライプのリボン。「うゎ!可愛い!!」と思わず口走ってしまう。そんな時、「うぬ、河村の奴め、こいつもなかなかやりおるのう。」などと思うのだ。ここでは美しいブルーのベルベットで出来たジュエリーボックスもget 。たぶんどちらも入荷したばかりだったに違いない。

 そんな風に数々のディーラーをハシゴし、ようやく一段落ついたのは午後4時。「あぁ、今日も昼ご飯ヌキだった〜。」なんてぼやきながらいつものキャフェへ。そんな私達の疲れを知ってか、いつものマダムのニッコリした笑顔に癒され、疲れた挙句の白ワインとタルト・オ・ポムというよく分からない取り合わせて一服し、帰路に着いた。

パリの街角に突如現れたこの和風空間は何?実は、私達のホテルの近所、ジェラール・ミュロの向かい側に日本茶の専門店、築地の老舗“Jugetsudo”こと寿月堂がオープン。中国人が経営する「なんちゃって日本食」が多いパリ、きちんと日本人がしつらえた日本の文化の紹介に「あぁ、やっぱり日本の伝統文化って素敵!」とほっとします。ここでは、緑茶と一緒にお向かいのジェラール・ミュロで作った抹茶のフィナンシェがいただけるようですよ。

■1月某日曇り
 寒波が来ているのか今日も寒い。フランス在住の知人によると、フランスでは冬の寒さで心筋梗塞になる人も多いのだとか。本当に寒い日には心臓が痛くなるような、そんな感覚さえ覚え、「うん、確かに心筋梗塞になるかも。」なんて思えることもある。今日もたっぷり着込んでgo!

 今回、フランスで過ごすのは一週間以上、フランスで過ごす時間が長いと思って、特に慌ただしく思うことなく過ごしてきたのだが…。フランスでの滞在も佳境に入ってきた。もう明日買付けをすると、明後日からはフェアに行くのと観光(?)を兼ねて泊まり掛けでノルマンディーへ行くことになっている。パリの街を自由に動き回れるのも限られた時間しかない。
 今日、出掛けた先は私達が「倉庫」と呼んでいる買付け先。ここを偶然見つけたのは、たまたま日本での仕事が重なって、河村をそちらに派遣し、私ひとりで買付けに来た折。思いがけずたどり着いたそこは、私が探しているリボンやブレード、お花などが(状態の善し悪しを問わなければ)ギッチリ詰まったアンティークの手芸空間。手がホコリで真っ黒になることさえいとわなければ、ある意味ワンダーランド。河村を初めて連れて行った時には「でかした!」と社長ご満悦だった場所だ。(一応、我が社では河村が社長、私坂崎は自称「会長」いや「女王様」ということで…。)

 そして今日も素材がギッチリ入った引き出しをひとつひとつ攻めていく。物が豊富にあるからといって状態の良い気に入るものがザクザク出てくる訳ではないので、長い時間をかけて丁寧に探していく。今日は寒かったので手には革手袋、迷うことなくそのまま引き出しに手を入れると、かえってお花をまとめているワイヤーが手に刺さらなかったり(たまにチクチク刺さって「このまま破傷風になりそう!」なんて時もあるのだ。)、100年のホコリに手がまみれることもなくgood 。うん、これはいい、今度からは寒くない時期でも買付け用手袋を持参しよう。
 ここでは、薔薇のブーケやすずらんのブーケ、様々なブレード、そして河村がどこからか見つけてきた美しいリボン刺繍のパーツを入手。リボン刺繍の物は、常に探しているアイテムなのだが、非常に少ないし、シルクで出来ていることもあり状態が良い物が少なく、本当に難しい。河村でかした!

  「倉庫」の買付けを終え、他2〜3軒の仕事を済ませた後、以前から河村が興味を持っていた「古本市」へ。まだいつになるかは分からないが、将来エンジェルコレクションの進化を考えていて、その一環としてここ最近収集している物があるのだ。河村によると、ここ「古本市」へ行けばそれはみつかるかもしれないという。「ふ〜ん、そうかなぁ。」といまいち実感が分からない私。河村の後について「古本市」へ。
 でも、目的の場所「古本市」は簡単な屋根があるだけの屋外。遠目から見ても、乱雑に本が置いてあるのが分かる。「こんな所にほんとにいいもんがあるンかいな。」と懐疑的な私。そう、今までこんな場所から大したものが出てきたためしがないのだ。

 近づいてみると、ここはアンティークの市とは違って、置いてあるのはすべて古本ばかり。当たり前と言えば当たり前だが、全然ピンとこない私。河村の後を追って、膨大な古本の間をチョコチョコ歩き回るのだが、そんな場所に顔を出す外国人はよほど珍しいのだろう。本を売るディーラーも「古本市」にやってきたフランス人も、そんな私達をあからさまな好奇の目で見ている。その視線に、「ふん、わたしゃ、どうせ日本人ですよ〜。」とでも言いたくなってくる。
 結局、一巡してみたのだが、河村の探す物は当然みつからず…。「だからさぁ、どうでもいいような所からは何も出てこないんだって!」と言う私の言葉に頷くばかりだった。

 古本の迷宮から外へ出てみると、もう夕方も近い。そのまま左岸唯一のデパート、ボン・マルシェにお買い物へ。ボン・マルシェといえばあのボン・マルシェカードでも有名な世界最古のデパート。その建物は、19世紀末ボン・マルシェカードが実際に配られていた時代からそのまま7区のセーブル・バビロンにあり、私達がいつも滞在している6区のホテルから歩いて行けるほどの距離。右岸のオペラ座裏にあるプランタンやギャラリー・ラファイエットがやや観光客向けとすると、こちらは伝統的な生活を好む人々が多く住む7区にあるように、顧客は断然フランス人の確率が高い。余裕のあるフランス人のマダムがのんびり優雅に買い物している様子が見たかったらこちらのデパートへ。

 今日の私達の目的は別館の食品館ことグラン・エピスリー。ここで紅茶を購入するのが今回の目的。このグラン・エピスリー、それは世界中から集められた食品が集結した「食品の殿堂」!見るだけでも楽しいこの空間には、紅茶というだけでもざっとマリアージュ・フレールやエデュアール、フォーション、クスミティー、たぶん他にも知らないブランド色々、確認しなかったがきっと様々なイギリス紅茶も揃っているはず。紅茶の隣のコンフィチュールのコーナーには、これまた数え切れないほど様々なブランドの瓶がずらりと並び、日本人の私としては「ジャムってこういう物だったのね。」と一抹の疲労を感じるほど。目的の紅茶を見つけた後は、広大なお菓子のコーナーへ。ここに迷い込んだら、それはもう花園の中にまぎれこんだ蜂の気分、可愛いパッケージにも思わず買いたくなってしまう物がいっぱいで、誘惑をかわすのも大変だ。今回は紅茶だけを手にした私達、あまりにあまりの沢山の食品に「あぁ、フランス人にとって食べ物ってこういう物なのね!」そんな感慨に耽りながら歩いて帰宅。

ボン・マルシェの前庭ともいうべきブシコー公園(ボン・マルシェの創業者のブシコー夫妻の名前から名付けられている。)の向かい側に位置するホテル・リュテシアのアール・デコの建築。パリの古い名前「リュテシア」を名乗るこのホテルの建物を見る度に「格好いいなぁ!」と思ってしまいます。


帰り道、造幣局のウィンドウの中に美しいエナメルで出来た勲章を発見!これがあの有名なレジオン・ドヌール勲章、その中でも最高位の『グラン・クロワ』(Grand-Croix, 大十字)です。シルクの大きなモアレリボンも素敵。ナポレオン一世が制定したこの勲章、歴史を感じさせます。

***買付け日記は「後編」へと続きます。***