〜後 編〜

■1月某日曇り
 パリで買付けする最後の日。この日は重要なスケジュール、アポイントを入れてあるディーラー二軒でゆっくり時間を掛けてアンティークをハントすることになっている。朝、目覚めてテレビの天気予報を見ていると、なんと今日は10℃以上になり、とても暖かな日になるらしい。「大丈夫かなぁ?」と恐る恐る昨日より薄着で支度をする。ホテルから一歩足を踏み出すと、ホント!今日は暖かい。でも真冬の2月だというのに、そんなに暖かいなんて逆に不安な気持ちになる。

 いつもの近所のキャフェで簡単な朝食を取り、メトロに乗って仕入れ先へ。メトロの駅の改札を通ると、構内の向こうから響き渡るバイオリンの音。パリのメトロではよく見かけるミュージシャンのひとりが構内でバイオリンを弾いているのだ。聞こえてくるのはヴィヴァルディの「冬」の第一楽章。有名な「春」よりも、元々こちらの「冬」の方がずっと私の好みで、今日のちょっと不安定な気持ちにもぴったり。いつも思うのだが、クラシックの楽曲だけはこちらの風土の中で耳にすると、ぐっと心に響く気がする。

 まず訪れた先は仲良しのディーラーの彼女、久し振りの再会にゆっくり挨拶をしながら商談へ。なにかと無理を聞いてくれる彼女、私の我が儘なリクエストに応えてくれる心強い味方だ。今日も「まぁ、一度見てみて。」と「私用の袋」というのが出てきた。床に座り込んでよくよく見てみると、その中から出てきたのは頼んでおいたロココやブレード、そしてレース。「ほら、こんなハンカチ欲しがっていたでしょ?」と彼女。「そうそう、こんなの欲しかった!」私のツボを突いたセレクト。他にもシルクの生地やレースを広げてみたり、様々なアイテムをひっくり返してみたり…。ひとつひとつ状態を確認しながら選んでいく。広げながらも、「そういえばこういうのない?」とか「ああいうのない?」と思いつくまま尋ねると、またどこからともなくそういったものが出てくるから不思議。私達には、何がどこにあるのかさっぱり分からないのだが、彼女の頭の中では、どこに何がしまってあるのかきっちり記憶されているのだ。

 今日も選んだ物色々を袋に詰めて貰って次の場所へ。「次回はいついつ来るからね。」と名残惜しんでお別れした。外へ出ると、もうすっかり西日の指す時刻。まずはたまに立ち寄るキャフェで(おかしなことに、ついつい一度入ったことのあるキャフェに足が向かってしまう。その様子はまるで自分の縄張りを意識する猫のようだ。)、私は温めた赤ワインにスパイスを入れたヴァン・ショー、河村はペリエで一服。そこから次は、いつも立ち寄る紙物ディーラーのオフィスへ。前回、「来る前FAXして。」と言っていたパソコンは持っていてもメールアドレスのない彼(どうやら彼のパソコンは文鎮と化している様子。)、今回はしっかりFAXでアポイントを入れてきたのだ。特に返事がなかったので、ちゃんとオフィスにいるはず。たどり着くと「FAXちゃんと着いてるよ!」と彼。やれやれ。

 今日はあらかじめ私達の訪れが分かっていたせいか、いつも見るカードに加えて、よりバリエーションのある物が出てくる。次々出てくるカードの山を河村と手分けしてこなしていく。そんな中に、今まで見たことのない緻密な印刷のカードを発見。河村と共に「ねぇ。これって凄く綺麗だけど、本当に石版印刷?」とルーペで確認してしまうほど。そんな私達の姿を見ていた彼は、「Oui, これも石版印刷なんだよ。」とフォロー。「へぇ、こんな綺麗なカードあるんだ。初めて見た。」あぁ、これだからアンティークってやめられない。
 私達が探しているウィーン趣味のカードは、まだ整理していない膨大な在庫が出てきた。「これまだ整理していないから。選んだ後で値段を聞いて。」と彼。そうした未整理のカードはまだ誰も見ていないので、荒らされていない。シリーズになっているカードがシリーズごと出てくるのも興味深い。急いで見なければいけないのにもかかわらず思わずしばし鑑賞、「あぁ、それにしても何て美しいんだろ。」とため息が出てしまう。

 先日のカードのフェアは、いまひとつピンとこない品揃えだったけれど、本当にいつも彼の所では、状態といい芸術性といい満足のいく物ばかり。今回も満足のいく買付けに充実感。そんな彼から珍しくリクエスト。以前、河村が自分が好きなバルビエの画集を日本から持ってきて彼に見せたことがあるのだが、次回来るときに同じ本を日本から持ってきて欲しいとのこと。フランスではバルビエの資料は少ないらしい。「代金を払うから。」と言う彼に、「プレゼントするから、待っててね。」と答えた。

このお気楽な自転車はいったい何?朝、ホテルから出てみると何ともラヴリーなデコレーションの自転車が。いったい誰がこんな自転車に乗っているのでしょう?思わず持ち主の登場を待っていたい気持ちがしました。

■1月某日雨
 昨日、暖かだったからだろうか。今朝は雨音で目を覚ました。あら〜、今日はパリを離れてノルマンディーへ出掛けるというのに。朝からすべての荷物をまとめ、スーツケースに詰める。今回はノルマンディーに一泊だけなので、ほとんどの荷物はこのホテルに預かってもらうのだ。壊れては困る買付けたアンティークは、自分のスーツケースに丁寧に入れ、洋服や本などの私物は私達が「ディーラーズバッグ」と呼んでいる(アンティークフェアの会場でもよく販売されていて、アンティークディーラーだったら必ずひとつは持っているバッグなのだ。)巨大なビニールバッグに雑に詰め込んでいく。ノルマンディーには小さなスーツケースひとつを河村にゴロゴロ持たせて出発。今日は、パリの北西にあるサン・ラザール駅から旅に出るのだ。

 フランス国鉄のチケットは、以前からホームページでもチケットが購入出来、チケットそのものを自宅のプリンターでプリントアウトすることまで出来る。あらかじめホームページからチケットを購入すると正規の価格よりもずっと安く購入することが出来るため、今回も既にチケットを入手しプリントアウトして持って来たのだ。日本の駅とは違って引き込み線になっているヨーロッパの鉄道の駅。沢山のホームが並ぶ中、電光掲示板のタイムテーブルを眺めながら目当てのホームを探していく。買付けでは毎度のことなのに、毎回、タイムテーブルを仰ぎ見ながら、日本にはないシチュエーションに、「さぁ、旅立つぞ!」と心がワクワクしてしまう。昼にはノルマンディーに到着するので、そのままホテルに荷物を預け、午後は観光とちょぴり買付け、そして明日はアンティークフェアに出没する予定。

 ジャンヌ・ダルクとも縁が深いノルマンディーの街、なんと13世紀にはフランス第二の都市だったのだそう。そういえば、南仏の街アヴィニヨンだって14世紀にはローマ教皇庁があった訳だし、中世のフランスは今とは全く違う価値観だったに違いない。到着した駅から今晩泊るホテルまでは充分歩ける距離、再び雨の降る中、スーツケースをゴロゴロ河村にも持たせてまずはホテルへ。今までも何度か訪れたことのあるノルマンディー、想像していたとおりパリよりもずっと寒く、石畳の街は底冷えがする。今日も「超」が付くほどの厚着、手には山登り用の手袋。
 目指すホテルは、「田舎のプチホテル」といった感じののんびりした雰囲気。田舎だけあって部屋も広くて心地良く、部屋がポカポカなのもありがたい。しばし部屋で休んだ後は早速観光へ。観光の様子は画像と共にどうぞ。

フランスの田舎ではよく目にする木組みの建築。少し傾いているのも中世の木造建築ですもの、ご愛嬌ということで。でもこうした古い建物すべてが現役というのが凄いですね。地震が無い国っていいなぁ。


寒い寒いノルマンディーでしたが、お花屋さんの店先には春の気配が。最近、パリのような都会では、お昼休みを取っている店舗はあまり見かけませんが、こうした田舎では個人経営なのでしょうね。お店の前に沢山のお花を置いたまま、お店の扉はしっかり閉じられお昼休み。


ゴシック建築の教会がいくつも残るこの街。こちらは1521年に完成したサン・マクルー教会。ファザードの燃え上がるような装飾は、フランボワイヤン様式の傑作です。


ホテルの向かい側は大司教館。その壁面には金箔で彩られたエンジェルのデコレーション。なんだか巨大な聖水入れのような形です。


街の中心に立つノートル・ダム大聖堂は13世紀のゴシック建築。印象派の画家モネが連作を描いたことでも知られています。


大聖堂の薄暗い内部を静かに進みます。ここは聖母マリアに祈りを唱えるマリア信仰のコーナー。沢山のキャンドルが捧げられていました。


街のシンボル、繁華街にある大時計は16世紀の初期に作られたルネッサンス風の優美なもの。1928年に電気仕掛けになった今も正しい時を刻んでいます。


ここが今回の大ヒット!MUSEE LE SECQ DES TOURNELLESは、15世紀の旧サンローラン教会を利用したアイアン芸術専門の美術館。コレクターの名前を冠にしたこの美術館は、鉄工芸としてはヨーロッパ随一のコレクションを誇ります。


古い教会の壁面には中世のアイアンで作られた看板が掲げられ、まるで中世の街に迷い込んだような錯覚さえ覚えます。下から眺めると、立体的な魚をかたどった看板があったり、靴をかたどった看板があったり、王冠モチーフがあったりと、とても面白いのです。


ほら、階段の手摺りもこの通り。流れるようなアイアン彫刻の細工にうっとりしてしまいます。


こちらは18世紀、19世紀の手芸用のはさみ。いつも見慣れたアンティークのはさみですが、こんなに沢山の数を見たのは初めてです。


こちらはすべて鉄製のニードルケース。今まで目にしたことがない細工なので、18世紀あたりでしょうか。透かしになった繊細な細工に目が奪われます。


今まで「タティングシャトルだったら、シルバー製か鼈甲製、マザーオブパール製も良いな。」なんて思っていたのですが、今回は目からウロコ。こちらはすべて鉄の象眼で出来たシャトルで、これが実に繊細な美しい細工でびっくり!鉄といっても侮れませんね。貴婦人の慰みに作られたタティング、当時の職人がそういった女性達のために技術を駆使して作ったものなのでしょうね。


何だか楽しいこちらはアイロンスタンド。ハートやウロコ、人物像、十字架、こんなアンティークも良いですね。


カットスティールで出来たボタンや髪飾り、モノクル。鉄で出来たものでも充分にジュエリーになり得ることを再確認しました。


カットスティールとはまた違ったマットな雰囲気、ベルリンアイアンワークに代表されるようなアイアンワークのジュエリー。鉄の多様性を感じさせられました。


山羊に乗った子供二人のアイアン彫刻。こちらは美術館でなく、街を歩いていて、ドアの扉に見つけました。普通に街を歩いていてこんな細工を目にするのですから、18世紀、19世紀にはどんなに沢山のアイアン細工が街に溢れていたことでしょう。


ショウウィンドウの中にみつけたカラフルなパステルやコンテ。美大生だったその昔、こんなフランス製の画材は憧れでした。どうしてこんな画材があるのかというと…。

現在では美術学校となっているこの建物は、なんと収骨所として墓地を囲むように建てられた16世紀の建物。今では広場となっているかつての墓地は、その昔大流行したペストで亡くなった人々の死体置き場にされていたのだとか。そんな場所で美術を学ぶのってどんな気持ち?建物の木造の梁の部分には骸骨とクロスになった大腿骨をかたどった彫刻が見られます。ちょっぴり背筋が寒くなりました。

 買付けのために、以前も訪れたアンティークディーラーの元を訪れたのはもう夕方。この街では、午後の早い時間はお昼休み、足を運んでも開いていないので、夕方になってゆっくりやってきたのだ。以前にも歩いた道を思い出しながらたどっていくと…あった、あった、ここだ!ここのオーナーと好みが一致するのか、どうも毎回気になるものが出てくるのだ。今回は、ガラスケースの中にダイヤのはまったゴールドロケットを発見。大きさのあるダイヤで輝きがとても美しい。エンジンターンの彫刻がクラシカルでとっても素敵!そのうえ、昨今の円高の影響もあってリーズナブル!嬉しいずくめの出物だった。
 そしてもう一軒、紙製品を扱うディーラーへ。パリのカードフェアでも会うことが多いこの紙ものディーラー、実は明日のフェアにも出店しているのだが、明日を待てずに「何かないかな?」と彼らの所へ出掛けてみると…。顔馴染みのマダムは、私達の顔を見るやいなや、「明日のフェアのためにみんな会場に持って行って、何にも無いのよ。」と困惑した笑顔。切手も扱っている彼ら、それならば、と「エッフェル塔の切手ない?」と以前から気になっていたエッフェル塔の切手をリクエスト。マダムは切手のカタログをペラペラめくって「これのこと?」そう、そう、これこれ。これが以前どこかで見たことのある切手だ。「これよ!」と答えると、どこからか沢山の切手が収められたファイルを取り出し、慣れた手つきでピンセットで取り出してくれた。思いがけなく手に入れた私のエッフェル塔コレクション、赤いエッフェル塔がチャーミングな1939年の切手だ。

 今夜はせっかくノルマンディーまでやって来たので、地元の美味しいクレープリーへ。私達と同じく、たびたびノルマンディーへ足を運んでいる東京のディーラーKさんに大のお薦めのクレープリーを紹介されていたのだ。クレープといっても、甘いお菓子のクレープではなく、そば粉が入ったガレットと呼ばれるしっかり食事になるもの。薦められたお店は、ホテルからも程近い中世の古い建物の一階、どことなく映画のアメリに出てきそうなアンティーク風な、あたたかみのある雰囲気だ。田舎へ行くとどこもそうなのだが、ここでもとても親切に接客されて感激。「フランス人が意地悪。」なんて誰が言ったのかしら?それって都会のパリだけの現象な気がする。今日オーダーしたのは、それぞれ卵やハム、チーズが入ったガレット、それにガレットにつきものの林檎のお酒シードルを。今まで、シードルといえば「甘ったるくて少し癖があるもの」という認識で、さほど惹かれることもなかったのだったのだが、ここのシードルは大違い!「甘いのと、甘くないの、どっちがいい?」と聞かれ、ドライを選ぶと、凄くすっきりしていて、それでいて林檎の爽やかな甘みが美味しい!!「シャンパーニュの林檎版」とは言い過ぎだろうか。すっかりシードルに開眼した河村は、その後もシードル三昧することになる。

■1月某日雨
 フェアの時間に合わせて今日は早起き、目覚めるとまだ外は真っ暗で、今日も雨の気配。室内のフェアだから、さほど影響がないのだが、やっぱり雨降りは気分が少しめいってしまう。午前7時、まだ暗い中ダイニングルームに降りていくと、レセプションの女の子はちゃんと朝食の準備をしていて、「紅茶?それともコーヒー?」と笑顔。雨降りで気分が少し落ち込み気味の中、その笑顔にほっとする。ダイニングルームは中庭を挟んだ向こう側、きっと季候が良いときだったら素敵な雰囲気だろうに、やっぱり旅行は冬のオフシーズンの時よりも断然オンシーズンがいい。オフシーズンとオンシーズンでは宿泊代が違うヨーロッパでのこと、もっとも今回もオフシーズンだからホテル代も安いのだけど。

 誰もいない静かなダイニングルームで、朝食をとった後、荷物をレセプションに預けフェアの会場へと出掛ける。フェアへはここからはバスで。まだ外は闇夜、雨がしとしと降る中バスに乗ると、皆仕事や学校に行くのか、バスは結構混み合っている。知らない街の知らないバス、そんな中に自分が紛れ込んでいるのがとても不思議な気がする。以前、イギリスの田舎のフェアに車で頻繁に行っていた時もそうだったのだが、その時も午前4時過ぎの真夜中、フロントグラスがコチコチに凍った車に乗り込んで出掛けていく様は、ある意味「生きてる〜!!」と感じられてワクワクしたものだった。今回も、まだ暗い中、フランスの田舎の知らない街でフランス人に囲まれてバスに揺られながら、「なんで私こんな所でこんなことしているんだろう?」と自分の運命を不思議に思いつつ、やはり「生きてる〜!!」と感じる瞬間だった。

中世の建物をそのまま利用したホテルのダイニングルームは天井に木の梁も見える暖かみのある空間。素敵な中庭の写真も撮りたかったのに、ホテルから出掛けた時点では外は雨降り、しかも真っ暗でした。

 会場に着く頃には夜も明けどんより曇った空。雨はまだ降っている。薄暗い会場を河村と共に早足で歩いていく。今までも何度か来たことのあるこのフェア、どこに何が出ているかだいたい把握している。ふと向こうを見ると、見かけた顔。あれ?この日本人のオバチャン誰だっけ?だが、寄ってきた人物は在仏が長い日本人ディーラーの男性(!)、しかもその実、心は女性(?)だということは周知の事実。パリのフェアではしょっちゅう顔を合わすため、知らず知らずのうちに顔馴染みになり、いつも挨拶する間柄なのだ。この時も、「あら、あなた達も頑張っているわね。」とオネエ言葉でお褒めにあずかり、ちょっぴり嬉しい。

 今日手に入れたのは、ハンドペイントで貴族柄が描かれたシルクのボックス。決して安くはないのだが、ハンドペイントのボックスなんて珍しい。コーナーに付けられたアール・ヌーボーの金具もポイントで、シルクの質感も美しい。元々持っていた男性ディーラーも自慢の逸品らしい。見つけた河村に「絶対買うべき!」と太鼓判を押され、すぐさま日本に連れて帰ることに。
 そして出てきたのは、以前から探していたガラスのジュエリーボックスの縦型。今までも通常のトップのふたを開けるタイプのものは扱っていたのだが、一度以前この縦型のものを逃してからはずっと探し続けてきたのだ。それは19世紀末から100年以上の時を経て現代まで残ってきた物、それなりに100年の汚れはあるけれど、手を掛けてあげれば綺麗になりそう。河村とふたり、正面から見たり、ひっくり返してみたり、よくよくチェックして入手。

 今回の買付けの課題、それはすずらんアイテムを買付けること。すずらん好きのお客様からは、「すずらんのものを!」とリクエストを受けてきたのだ。歩きながらも「すずらん。すずらん。」と唱える私、毎日すずらんの物を探しているのに今回はまだ巡り会っておらず、少々焦り気味。今日も「すずらん。すずらん…。」まるでお経のようだ。すると、以前も会ったことのあるディーラーのガラスケースの中にシルバーのパウダーポットを発見。「おっ!すずらん!!」と見せて貰うと、すずらんのお花が可憐なシルバー細工、同じく出てきたすずらん柄のめうちも一緒に。あぁ、良かった。これでお客様に対して面目が立ちそうだ。少しほっとする。

 そんな中、とあるガラスケースの中に、真っ赤なハートに金色のクロスが刺さっているオーナメントがあるのがチラリと見えた。これって、確か以前ベルギーのサンカントネール美術館のハートコレクションにあった礼拝用のアイテム。早速見せて貰うと、手のひら大の小さなオーバルのドーム形のガラスの中に、キリストの心臓を模した赤いシルクのハート、それにゴールドのクロスが刺さっている。その名も“Sacre Coeur(サクレ・クール)”、「聖なる心臓」と呼ばれる壁掛け用の宗教モチーフだ。今まで扱ったことのないアイテムだが、そのカトリックの宗教観が溢れる小さな世界に、手放せなくなってしまった。

  朝早くから始まるフェアゆえ、仕事が終わるのは正午前。というか、正午前にはディーラー達が皆帰ってしまうので、私達も仕事にならないのだ。それを予測して、昼までに必死で歩き回ってすべてを見終わり、正午過ぎには帰還するのがこのフェアへ来たときの常。何度か足を運んでいる馴染みのこのフェアは、私にとっては物の探しやすいお気に入りの場所、パリから遠く離れてもまずまずの収穫で満足のいく買付けが出来、後はホテルで荷物をピックアップしてパリへ帰るだけだ。そして、パリへ戻ったら、懸案だったガリエラ衣装美術館に今日こそ行かないと!今回は19世紀のドレス展“Sous l'Empire des crinolines"(1852-1870)”が開催されているのだ。クリノリンを着けたボリュームのあるドレスのスタイルといえば19世紀の華、パリに居るのは今日までなので、急いでパリまで帰って、すぐに美術館へ出掛けなければ。今回はフランスで過ごすのが比較的長いので、普段行くことの出来ない様々な所へ行けるかと思っていたのだが、案外何かしら用事があって、ノルマンディーで半日過ごした以外は結局仕事一色で終わってしまった気がする。

 パリに戻ってきたのは午後3時過ぎ。ガリエラ美術館は午後6時までなので、大急ぎで元居たホテルに荷物を置きに行って、さっさと出掛けなければならない。今日はパリもしとしとと陰気な雨降り、ちょっとそれだけで外出の気が削がれるが、このコスチュームの展示会は買付け前から「必ず行こう!」と決めていたものだし、絶対見ておかねば。16区のガリエラ衣装美術館では、たびたびこうしたドレスの展示があり、いままでも何度か足を運んだことがある。特に記憶に残っているのは、もう数年前になるが、子供服に焦点を当てた衣装展で、ごくごく繊細な刺繍を施されたベビードレスや、大人のドレスそっくりに作られた小さな小さなシルクのドレスやシューズなど、子供用のアンティークの衣装ばかりの展示で、どれも可愛いらしく、貴族の子供の衣装らしくそれは豪奢だった。もうひとつは、18世紀のロココのドレス展。当時の宮廷衣装だったローブ・ア・ラ・フランセーズがずらりと並び、しかも壁いちめんが巨大な鏡になっていたことから、まるでヴェルサイユ宮殿で謁見のために貴婦人達が勢揃いしているように見えた。そんなことからも、これはどうしても押さえておかなければいけない展示会なのだ。

これが今回のドレス展“Sous l'Empire des crinolines"(1852-1870)”のポスター。1852年から1870年といえば、クリノリンで一番ドレスの裾が広がっていた時代。最盛期には5〜6mあったといわれることからそのボリュームに驚きです。

 大急ぎで向かった先ミュゼ・ガリエラ。しとしとと陰気に俄か雨が降り出した中、閉館時間に気を揉みながら出掛ける。思えば、買付けに来る前から「今回は絶対足を運ばなければ…。」と誓っていたにもかかわらず、果たすことが出来たのはフランス滞在の最終日。他にも色々な事がしたかった、まだ行った事のない場所へも行ってみたかった、と名残惜しい気持でいっぱいだ。そうそう、せっかくのソルド時期真っ只中(フランスではソルド時期が国によって決められている。因みに今シーズンは1月7日から2月10日まで)なので、「ゆっくり自分の買い物もしたかった。」とちょっぴり残念。

 果たして期待していたミュゼ・ガリエラに到着すると、いつもは静かな館内がざわついている。今回の展示を見にやって来た年配の女性達で溢れかえっていたのだ。皆身なりも良いので近くに住む16区のマダムかもしれない。
 早速展示室に滑りこむと、そこはジュドバルこと舞踏会の会場になっていて、当時のダンスの楽曲が流れ、沢山の舞踏用のシルクのドレスを見にまとったマネキンが!まるでその当時の舞踏会に紛れこんだようだ。舞踏用の豪華なドレスを見ながら、その生地の美しさやデコレーションの可愛いさに感動、思わず「なんて可愛いいの!」と独り言が出てしてしまう。ウロウロと会場を朦朧状態で徘徊した挙げ句「あぁ、どの生地もとっても素敵!」今まで自分達が扱ってきた生地やリボンが、実際に使われ、形になって現れたものを見ることが出来て感無量だ。頭ではそうした材料が、その当時のドレスを形作っていたことが分かっていたものの、その現物を目の当たりにすると、まるでタイムマシンで19世紀に降り立ったような錯覚にさえ陥ってしまう。

 次の間には、今度は普段着ともいえるディドレスを纏ったマネキンがズラリと並び、靴や帽子、レースやハンカチ、ファン、パラソルやバッグやコインパースなどなどの服飾小物も沢山展示され、こちらは貴婦人の普段のファッションがうかがえる構成になっている。そうした小物も私達がいつも扱っている見慣れたアイテムばかり、どれも状態が良く美しい品々ばかり、河村と二人で、「これ素敵!これが欲しい。いや、こっちも欲しい。」と、ついつい見る目が仕入れモードになってしまう。特にパラソルなどは、状態の良い物がいくつもいくつも「これでもか!」とばかり展示されていて、ひとつ探し出すのにも大変な思いをしている私は、「なんでこんなにいっぱいあるワケ!?」と嫉妬心から少し怒り気味(笑)。そうしたドレスだけではない様々なアイテムの展示に、当時の最新流行のモードが立体的に迫ってくるようだ。

 そして最後の展示室では豪華なアランソンのストールを見つけ、河村と共に「こんなの初めて見た〜!」と大興奮。こうした手の込んだレースの大物は、本の中で目にすることも少なければ、実際に自分の目で見ることなどなかなか無いのだ。案の定、アランソンのレース美術館から来たものだということが分かり、「一度アランソンへも行ってみないと!」と意欲が湧く。最後の最後にこの展示を見ることが出来て本当に良かった。今回の展示は4月26日まで、日本にいる方々も、この展示を見るためだけに二泊か三泊でパリを訪れるのもありだと思う。私自身、また次回の買付けでも行ってしまいそう。

 

こちらは今回の展示“Sous l'Empire des crinolines"(1852-1870)”の様子を撮影した動画。是非ご覧下さいませ!

■1月某日雨のち曇り
 今日はロンドンへの移動日。まだ暗いうちにパリのホテルを後にし、予約してあったタクシーにすべての荷物を載せてパリ北駅へ。ここからユーロスターでロンドンへ向かうのだ。パリは今日も天気が悪く小雨が降っている。ロンドンへは昼前に到着予定。今回ロンドンで過ごすのは、今日と明日のたった二日だけ。この二日間を出来るだけ有意義に使わなければ。まずいつものフラットに荷物を置きに行き、その後、両替をしてポンドの軍資金を作り、ロンドンの街中にあるアンティークモールへ繰り出すのだ。

 早い時間に駅に着いた私達は、沢山の荷物と一緒でもスムーズにチェックインし、ゲートのオープンと共に(ユーロスターは飛行機のように、出発時間前にゲートがオープンしないとホームへ降りられない仕組み。国際列車のため、パリを出るときにイギリスの入国手続きをする。)ホームへ。自分達の乗るコーチ(車両)をみつけると、私と河村との共同作業で荷物を列車に載せていく。ユーロスターの車両に乗るには何段かステップを登らなければならないため、ホームから荷物を列車に載せる係と、車両の中で荷物置き場に荷物を置く係に別れるのだ。荷物置き場は狭く、大きなスーツケースを置くのは早い者勝ち、滅多にない河村とのフォーメーションが生かされる貴重なシチュエーションだ。(笑)

 今日も3時間あまり、無事ロンドンに到着し、到着駅のセント・パンクラウスからフラットまではまたタクシーで。タクシーの車窓から良く見知ったロンドンの街並みが現われると、パリとはまた違った懐かしい気持ちでいっぱいになる。「あ〜、ハイドパークの中を通ってる。もうすぐナイツブリッジだ。」パリの街のようにワクワクするトキメキはないのだが、イギリスは島国、どことなく日本と似ている気がして、ほっとした懐かしい気持ちになる。
 フラットに着くと、レセプションは見知った男の子。「あら、元気だった?」とチェックイン。沢山の荷物と一緒の私は、忘れずに「ロウワーフロワーお願いね。」と一声。(そう、ヴィクトリアンの建物を利用したこのフラットにはリフト、いわゆるエレベーターがないのだ。)窓から中庭が見えるいつものフラットの部屋に落ち着きひと休み。ベッドにダイニングテーブル、小さなキッチンが付いただけの小さな部屋なのだが、いつも手入れが行き届いてとっても清潔、私達のロンドンの我が家ともいえるほっとする空間だ。さぁ、ひと休みしたら出動だ!

1865年に完成したパリ北駅。ユーロスターはもとより、フランス北部へ行く列車がここから発車しています。現在ここから出ている国際列車はロンドンへ行くユーロスターとベルギーへ行くタリスのみ。かつてはロシアのペテルブルグ行きも出ていて、シベリア鉄道を利用してパリへやって来た日本人は皆ここに到着したらしい。ヨウジヤマモトなどもきっと最初はここに降り立ったはず。なんだかロマンを感じます。

 フラットを出てまずは両替へ出発。明日のフライトで日本へ買える私達、イギリスで使う分すべてを一度に両替するため、かなりの金額を替えなければならない。金額が大きいと「もうポンドがないからその金額は無理。」なんて言われ、なかなかスムーズに替えて貰えないため、両替するだけでも気を遣うし、その後大金を抱えて歩き回るのも気が重いこと。もし、いつものアメックスのオフィスで一度に替えられなかったら、また違う支店まで出向かなければならない、そんなことを覚悟して出掛けてみた。すると、早い時間帯に出掛けたのが良かったのだろう。私が両替する金額を伝えると、金庫まで行って確認してくれた窓口の彼は"OK"とひと言。でもそれからが大変。大きなお札では使いにくいため、「50ポンドにして。」と言うと、半分は20ポンド札しかないという。大きな金額の20ポンド札を数えるのはとっても大変!この日オフィスで開いていたのはたったひとつの窓口、延々と終わらないお札を繰る作業に、私の後には両替を待つ人でどんどん列が出来ていく。すべてが終わるまで30分近くかかっただろうか。すぐ後に並んでいた男性には本当に申し訳なかった。

 両替を終えたら、今度は使うお仕事、買付けへ。街中の大きなアンティークモールには沢山のジュエラーが出店している。一つ一つのガラスケースを覗いていくのだが、これがどうしてぜんぜん引っかかってくるものが何にもないのだ。まぁ、いつもここではほとんどジャストルッキングで、たま〜に拾うものがあるくらい。でも、今回はロンドンにいる時間が短いこともあり、また何よりも円高で異常にレートが良いこともあって“買うぞ!買うぞ!モード”で気合い充分でやって来ているのだが、これがどうしたことが気に入る物が何一つ出てこない。何度も回ってみるが同じこと。「本当にイギリスには何にも無くなっちゃったのかなぁ?」買付けは明日一日を残すのみ。果たして明日、買付けられるものがあるのか?それとも何もないのか?「これじゃ、まるでバクチだ!」という暗澹な気分になりながらフラットへ帰宅。

■ 1月某日曇り
 起きたのは午前5時過ぎ。いよいよ買付け最終日。昨日は何が何でも物を集めなければならない。今日は連絡を取り合うディーラーの所にも行くことだし、何とか気に入る物が出てきて欲しいものだ。昨日開けたばかりのスーツケースにまたすべての荷物を詰め、荷物を運び出すばかりにして部屋の中へ。早朝のこの時間、ホテルとは違ってこのフラットのレセプションはまだ開いていない。部屋のテーブルに鍵を置いて、まだ夜のロンドンの街へと外へ出た。

 まだ暗い中、いつものようにタクシーを拾い目的地へ。早朝のロンドンは最近極力治安が悪いため、移動はタクシーに限る。「近いから。」といって、早朝に歩いて出掛けた途中で襲われた日本人ディーラーの話はしょっちゅう耳にするのだ。まだ私達はふたりだし、いつも滞在する場所は比較的治安の良いサウス・ケンジントン近辺なのだが、日本人ディーラーがよく滞在するパディントンやベイズウォーターは要注意。昼間は沢山の人が行き交う界隈だが、一度その近辺で早朝に大金を持った日本人が襲われたと噂がたつと、「その時間に歩いている日本人→金を持っている」という図式が出来、第二、第三の被害がまた起こるのだ。観光で行かれる方がそんな時間に出掛けることはまず無いと思うのだが、そんなことも頭に入れてご注意を。

 いつもお世話になっているディーラー達を回っていると、昨日の不作が嘘のように、あるではないか!あるではないか!私達がロンドンに行く目的は、ずばりジュエリーを仕入れること。フランスにもジュエリーはあるにはあるのだが、不思議とイギリスの方がずっと数が多い。そして、イギリスではフランスのジュエリーを仕入れることが出来るが、フランスでイギリスのジュエリーを見つけることはまずない。そしてジュエリーに限っていえば、「石の大きさ」とか「ゴールドの分量」などに重きを置くゴージャスな雰囲気を前面に出したフランス物よりも、小さな石を組み合わせた細工物のヴィクトリアンジュエリーの方が私の好みなのだ。

 昨今の円高はご承知の通りだが、今回のポンドのレートはしばらく前に比べると半分近く。ここ数年ポンドの上昇が悩みの種だった私達にとっては夢のようなレートだ。私が十数年前にこのお仕事を始めたときのレートは1ポンド160円台、かろうじて158円だったこともあるが、その後170円台の時代が長く続き、いつしか200円前後になり、それが220円台へとジワジワ動き、ここ3年ぐらいの間だろうか急激にポンド高へと進み、一番高騰していた頃は250円位まで行っていたと思う。私達にとって、250円前後の頃はまさに青息吐息という感じ。「でも仕入れに行かない訳にはいかないし!」という今以上に決死の思いだったような気がする。それはつい1年ほど前のこと、今のこの円高を誰が予想しただろうか。

 お陰で、このレートだと、しばらく前だったら絶対に手を出せなかった物も、電卓で日本円に換算すると「えっ〜!?これなら買えるじゃん!」というお値段。そんな私達が今回思い切り手を出したのは、ハートのルビーにダイヤの王冠を組み合わせた王道のデザインともいえるリング。お馴染みのディーラーの、ガラスケースではなく、「ねぇ、ニューストック見せて!」と言って出して貰う、彼がいつも新入荷を入れているタッパウエアから出てきた物だ。ルビーが今まで見たどれよりも大きく、かつ色が美しい。現代のルビーでは、エンハンスメント(加熱処理やオイル・樹脂等の含浸・充填等の改良)や場合によってはトリートメント(コーティングや表面拡散、放射線照射等の改変)などが施されているのが一般的なのだが、このヴィクトリアンの時代の物にはそういった物は皆無、ナチュラルなままなのだ。今まで大きな石そのものにさほど魅力を感じなかった私だが、今回は単純に「これは美しい!」と魅了されてしまった。

 ローズカットダイヤがびっしりはまったリボンの形のブローチもいつもだったら到底手出し出来ないもののひとつ。現代のダイヤとはまた違う、ローズカットが沢山はまったジュエリーの妖しい光り方は誰もが引き寄せられてしまうだろう。同時に、フランス物のフラワーバスケットのネックレスも今回は円高還元プライスの恩恵を受けた物のひとつ。他にもすずらんとハートを組み合わせたラヴリーなシードパールのブローチ、やはりすずらん物には目がないのだ。あぁ、どれもなんて可愛い!(←思わず自画自賛)

 そんな興奮状態でジュエリーの買付けをすすめながら、もう片方の目ではオブジェの探索に余念がない。このところ、気になっているヴィクトリアンの小さな小さなアイテム、私達が“scent bottle(セントボトル)”と呼ぶ香水瓶が出てきた。グリーンと白の二色遣いのレースグラス、ペパーミントキャンディのようなセントボトルだ。もうひとつ、ワックスフラワーで出来たウエディング用のティアラも、その儚さからか、どうしてか心惹かれてしまうもののひとつ。ワックスという性質上、なかなか状態の良い物は出てこないのだが、今日は「これなら大丈夫!」という良好な状態のものが出てきて迷わず入手。そしてしばらくすると、また別の所から、今度は同じワックスフラワーでもバラの花をかたどったティアラが出てきて、「これは珍しい!」とまたまた入手。(ふたつのワックスフラワーをそのままの形で日本へ持ち帰るため、その後、ボックスを探してロンドンの街をさんざん彷徨ったのだった。)最後に手に入れたのは、ドングリをかたどったシルバーのペンダントトップ。このトップはロケットになっていて開けることも出来るのだ。ドングリの中は…中がどうなっているのかは、ホームページにUPするまでのお楽しみ!

 今回もヘトヘトになりながらも、沢山の物と出会うことが出来て本当に幸せ。そのうえ、ノルマンディーでは他所にはないアイアンの美術館に行ったり、パリの衣装美術館では沢山の19世紀のドレスに感動したり。こんな風に人生を過ごしていくことが出来るのも、お客様皆様のお陰。皆様には本当に感謝!!

二階建てのロンドンバスの二階部分から見たナイツブリッジの風景。河村は、立派な「おじさん」になった今でも二階建てバスの一番前に座るのが大好きで、この一番前のシートのことを「かぶりつき」と呼んでいます。


***今回も長々とお付き合いいただき、誠にありがとうございました。***