〜フランス編〜

■9月某日晴れ
 ようやく出掛けた買付け。今回は出発する前日までフェアで忙しくしていたこともあり、様々な残務処理を済ませ、買付けの準備が終わったのは真夜中も越え、丑三つ時も越えた深夜。流石に「あぁ疲れた〜。」と眠りについたものの、自宅からは午前6時半に出発しなければならないため、あっという間に起床時間となり、睡眠不足でムクレた顔のまま自宅を出発。何やら、今回も初めから疲労の予感…。

 いつもはイギリスから入国する事が多いのだが、今回の買付けはフランスから。無事にパリに到着し、空港のアメックスにて両替を済ませる。(最近アメックスのトラベラーズチェックを両替するときは、トラベラーズチェックにもかかわらず0.5〜1%の手数料が発生するようになってしまったのだが、唯一空港内のアメックスオフィスはアメックス直営のため手数料無料。ここで両替しない手はない。)長時間のフライトと時差ボケでボーッとしたままの私の頭と身体、本当は空港からすぐタクシーにこの身を預けたいところなのに…河村の「この時間タクシーを使うと夕方のラッシュで凄く時間がかかるから。」という意見で、RER(郊外高速鉄道)で行くことに。以前、RERの駅でスリに遭遇した私(お陰様でその時は未遂で終わった。RERはバンリューと呼ばれるパリの郊外を通っていくため、非常に治安が悪いのだ。)は強行に反対したのだが、確かに夕方のパリ市内に入る夕方のラッシュアワーの混雑も侮れない。結局私が折れてRERでパリ市内に入ることになってしまった。

 が、私のカンは当たり、RERはストのためか(ストはフランスの恒例行事で、鉄道やメトロが完全ストップすることは珍しくないこと。買付けとストが重なるとまさしく恐怖!日本に帰りたくとも、空港へすらたどり着けないこともあるくらいだ。)、はたまた故障したためか、間引き運転のうえ、駅ごとに何十分も停車するノロノロ運転。しかも、シャルル・ド・ゴール空港からはパリ北駅までで営業停止。私達の最寄り駅リュクサンブールまでは行くことが出来ない。仕方なく北駅で降りた私達は、行きから既に重い荷物をかかえて、北駅のタクシー乗り場の長蛇の列に待つことに1時間。通常、空港からRERに乗ると30分程度でいつものホテルに到着するはずが、今回はなんと約3時間の長旅。「こんなんだったら空港からやっぱりタクシーに乗るんだった!」と超不機嫌な私、「もう、金輪際絶対空港からRERになんて乗らない!」と荷物を担ぎながら宣言。前夜の寝不足もたたってヘロヘロの私達が目指すホテルに這々の体でたどり着いたのは、午後10時近くだった。だがこれで終わった訳ではない。明日は午前5時起きでノルマンディーのフェアまで出掛けるのだ。ひぇ〜!

この季節、パリの花屋の店先を飾るのは大振りなダリヤ。日本ではきつい色合いが苦手だったお花ですが、パリで見るとなんだか淡くぼんやりして雰囲気があるのから不思議です。

ホテルの側で見た子供服のお店のディスプレイ。うさぎのお面が何とも可愛い!

■9月某日曇り
 今回の買付けでは、いつもお世話になっている銀座アンティークギャラリーのM氏と一緒に地方のフェアに出掛ける予定になっている。私、河村、M氏は同世代ということもあり、何かと日本でも一緒にワイワイと食事をする機会が多い。いうなれば「仲良し」というところか。今日は始発の電車に乗るため、駅で待ち合わせ。電車の発着を知らせる大きな電光掲示板の下でウロウロしていると、向こうからコーヒーとパンを片手にM氏が登場。一緒に電車に乗り込み、M氏が前日に行っていたナンシーの話などを聞いて盛り上がる。ナンシーへは私も何年か前にひとりで出掛けたことがあり、アール・ヌーボーの美術館があることでも有名だ。そして彼がバッグから取り出して私達にもすすめてくれたのが、あられの小袋とのど飴。実は、打ち合わせをした訳でもないのに、私のバッグの中にも全く同じものが入っていて、思わず笑ってしまった。あられとのど飴、これが日本のアンティークディーラーの必需品なのかも?

 そうこうしているうちに列車は目的地へ到着。そして、下車したとたんいつものタクシーダッシュだ!田舎の駅では、駅にやってくるタクシーの台数も限られるため、タクシーでしか行くことの出来ないこのフェアを目指すアンティークディーラーは、列車から飛び降りると共に一目散に走り出すのだ。そんな今日はタクシー乗り場に3番手で到着。先に来ていたディーラーは私のことを知っているらしく、ニッコリ笑いかけてくるのだが、「え〜と、え〜と、この人誰だっけ?」彼の顔がまったく記憶にない私。(日本人はともかく、元々、西洋人の顔を覚えるのがとっても苦手なのだ。それと同じで、たぶんイギリス人やフランス人は、日本人や中国人等のオリエンタルの顔はみんな同じに見えるに違いない。)とりあえず、といった感じでニッコリ“Bonjour!Ca va?”と挨拶。すぐに“Bonjour!”と返ってきたものの、が、そのあとの彼の「あれ?」という感じの困った表情を見逃さなかった私。そう、後で思い返せばその彼はいつも付き合いのあるイギリス人のディーラーその人だったのだ。今回はわざわざこのフェアのためにロンドンからやってきたらしい。きっとイギリス人の彼はいきなりフランス語で挨拶をされてさぞ困惑したことだろう。

 余り期待をしていないフェアだったにも関わらず、久しぶりの地方のフェアはなかなか新鮮で、今日は私達の好きな様々なフランスの工芸品が出てきて、とてもエキサイティングだった。19世紀のガラスで出来たジュエリーボックスやソーイングツール、エンジェルの付いたフレーム等々、美しいものが色々出てきてとても満足。でも、ここでのんびりしている時間はない。今日はすぐにパリまで戻って、アポイントを入れてあるディーラーと会う約束がしてあるのだ。お互いに日程が合うのが今日しかなかったため、疾風のようにフェアの会場を駆け抜け、今度はパリへと再びもと来た道を列車に揺られ、居眠りをしつつ、大急ぎで帰っていった。

 夕方遅く、ディーラーとの商談を終え、沢山の荷物とともに彼女の元を後にした私達は流石に精魂尽き果て、「時間があったらもう一軒(ディーラーを)回ろうか。」と事前に話していたのも空しく、エネルギー切れでホテルへ帰宅。いつものことだが、買付けの最初は長時間のフライトの疲れと時差ボケで、自分達の部屋へ帰って来たとたんバタンキューとばかりに就寝。

カラフルなマカロンタワーとギモーヴはご近所のジェラール・ミュロのウィンドウ。疲れて帰ってきた夕方は、レストランでごはんを食べるのももどかしく、ジェラール・ミュロのパンやお総菜で済ましてしまうことも…。この日は色合いに惹かれたギモーヴをお持ち帰り。

可愛い水玉のショコラのケーキは、マドレーヌにあるフォションのもの。美味しそう!


■9月某日 曇り
 今日も朝からいつも足を運ぶフェアへ。昨日も強行軍だったが、今日もフェアのハシゴが待っている。今日もアポイントを入れたディーラーとフェアの会場で会うことにもなっていて、どんなものが出てくるか期待が持てるところ。ただし、例年9月といえば、フランスではバカンス明けとあって、さほど商品が動いていないことが多い。河村曰く「いつもにも増してガラクタ度が高い。」と言わしめるほど。果たして今日はどうなることやら?

 最近仲良しの若い女性ディーラーの元にたどり着くと…前回の買付け(実は公表していなかったのだが実は7月中旬にも一週間の「極秘買付け」に来ていたのだ。)ではまったく気が付かなかったのだが、今回会うと彼女のお腹がポッコリ膨らんでいる!えっ?ということは…。思わず彼女に向かって“Bebe?”と尋ねると、「そうなの。1月が予定日なの。11月からお休みに入るけど、その間は私の両親が代わりに出店するから。」という返事。「お、おめでとう!」とお祝いを口にするも、まったく想定していなかった事態にたじろぐ私。大きなお腹のまま生地の入っている重い段ボールを運ぶ彼女の姿にオロオロしてしまう。あ〜、びっくりした!彼がいることは知っていたものの、彼女が結婚しているかどうかも知らず、未婚だとばかり思っていたのだ。
 もっともフランスの場合、結婚している夫婦から生まれる子供よりも、婚外子の割合の方が高いし、「結婚」という制度よりもまずは“Pacs(連帯市民協約)”という公的な同棲を選ぶカップルが多い。“Pacs”は、お互いの遺産相続が出来、結婚しているカップルと同じように税金の優遇や、子供が生まれた場合には結婚しているのと同じように国からの補助を受けることも出来る。そして男女のカップルだけでなく、同性のカップルもOK。昨今、日本でよく耳にする「フランス婚」はここから来ている言葉なのだ。
 今回も彼女が私のために出してくれた段ボールから様々なものをget。彼女としばらく会えないのは淋しいけれど、とてもおめでたいこと。お祝いには何か日本らしいものをプレゼントしたい。

 そして、たまに極上のレースを持つマダムのところにやって来た。「何かいいレースある?」との私達の質問に、「自分で見てごらんよ。」とレースの山を指さした。レースの山といっても、彼女の持っているのはレベルの高いものばかり。それらをひとつひとつ河村と一緒になって、眼を皿にしてチェック。「さすが彼女、なかなかいいレース持っているわ。」と思いながらレースの山を崩していると…「ん!?」その中から極めつけのポワンドガーズを発見!久し振りの高度なテクニックのポワンドガーズに眺めるほどに魅入られてしまう。河村と「やっぱりこれだよね。」と無言のまま意気投合。恐る恐るマダムにお値段を尋ねると想像通り、こちらはまた極上のお値段。だが、これを逃すともう二度と巡り会うことはないだろう。覚悟を決めて清水の舞台から飛び下りてしまった。まだまだ今日の買付けは始まったばかりだというのに、その朝持っていたアリガネのほとんどをここで吐き出すことになってしまった。でも手に入れることの出来た満足感も大きい。こんな風に「大物」を手に入れた後は、その反動でガックリ疲れてしまうのが常だ。

 午前の仕事をひととおり終えるとちょうど昨日一緒に地方のフェアに出掛けたM氏と遭遇。近くのキャフエで休憩がてらお互いの買付けたものをひろげての自慢大会!このキャフェでは日本人、フランス人を問わず、そんなアンティークディーラー達の自慢大会が日々繰り広げられているのだ。

 一度ホテルに帰宅後、午後は次の場所へ。午後は午後でレースを扱ういつものマダムとのアポイントもある。電車を乗り継いで今日も向かうと、「あらあら来たわね!」といった調子で、握手と共にマダムが迎えてくれた。が、バカンス明けのマダムの引き出しからは、今回私達の触手をそそる物は出てこない。前回7月に「極秘買付け」に来たときは、ソルド時期ということもあり、買付けたものとは別に「あれも持ってけ!」「これも持ってけ!」とレースの切れ端やらリボンやらハギレやら様々なものをマダムから大盤振る舞い。なんとシャネルの財布さえもタダでいただいてしまったのだ!!(もちろん中古だが、どうやらマダムがオークションでレース類をまとめて仕入れたときに一緒に付いてきてしまい、処分に困っていたらしい。ありがたくいただき、よくよく見てみると保証書付きのホンモノだった。)
 が、それは前回の出来事。今回は残念ながらほとんど気に入る物が無く、ほんのちょっぴりボーダーを買付けただけで終わった。「また今度来るからね。」とマダムのところを後にした。

 たまにジュエリーを買付けるマダムのところにも気に入った物が無く、ジュエリーやソーイングツールを持っているマダムとムッシュウのところにもこれといって気に入る物はない。「やっぱりバカンス明けは、何にも無いなぁ。」と凹んでしまう。そんな折、いつもは素通りするディーラーのところをふと眺めると、アメリカ人らしい買付けに来た外国人ディーラーが奥で何か見せて貰っている。その手元は…「レ、レースだ!」と私。彼らがまだ見ている横で、年配のマダムとムッシュウに「ねぇ、レース見せて!」と頼むと、私達にもレースのひとかたまりが回ってきた。「こんなところにこんなレースがあったなんて!あぁ、これだからフランスの買付けって侮れない。」長年フランスへ来ていた私達だが、今までなんで気付かなかったのだろう。特にフランスでは、奥の奥から目的のブツが出現したり、ひょんなところから思いがけない物が出てくることが少なくない。今回もレースのかたまりを注意深く崩していくと、中から私達好みのポワンドガーズが出てきた。具体的なお花の柄、豪華な薔薇づくしのレースだ。これだから買付けって止められない!

 薔薇のレースを手に入れて気を良くした私達、その後、ここ最近開拓したジュエリーボックスを沢山持っているおじさんディーラーの元でジュエリーボックスを選び、ファッションプレートの山から可愛い子供の絵柄をみつけ…。気が付くともう夕方になっていた。

1900年のパリ万博の時、ロシアから送られたアレクサンドル三世橋は「セーヌ川に架かる橋の中で一番美しい橋」と言っても過言ではないでしょう。毎度その豪華さを味わうため、思わずここを通りたくなってしまいます。欄干を飾る豪華なランプが印象的です。


思いがけず肌寒かった9月のパリ。今日も大きなバッグを持って、行ってきま〜す!

■9月某日 曇り
 今日は昨日回ったスケジュールをもう一度。それに加えて市内の小さなフェアがひとつ。いつものように朝早くからバス停でバスを待っていると…なんと私達の乗るはずだった58番のバスは、普段とは全く別な方向からやって来て、他のバス停で止まり、あっという間に去っていってしまった。あまりの出来事に唖然とする私達。(たぶん、道路工事でバスのルート変更があったのかも。一方通行が多いパリの街では、一箇所の道路工事のお陰でバスのルートが全く変わってしまうことも多い。)そう、フランスではこんなことだって珍しくないのだ。といっても、次に来るバスがまた同じバス停で止まるかどうかも判断できず、結局次のバス停までトボトボ歩いてしまった。その後、無事58番のバスをGet、ようやく買付け先へ。

 昨日一度見たフェアのため、そそくさと進む私達。そんな中でも、目を皿のようにして進む。昨日は出ていなかったディーラーのガラスケースの中にアイボリーのタティングシャトルを発見。タティングシャトルといえば、今までイギリスで買付けることがほとんどだったのだが、タティングレースそのものは稀にフランスから出てくることも。「そうだよねぇ。フランス人だってタティングをしたんだよねぇ。」と独り言。植物模様がいちめんに彫刻されたタティングシャトル、久しくシャトルを見なかったので、今回買付けることが出来るのは久し振りだ。同じく、昨日は見なかったディーラーからフレンチテキスタイルと状態の良いソーイングボックスを。最近、可愛い柄の生地やボックスは本当に少なくなったような気がする。

 帰り道、途中のバス停で降り、小さなフェアへ。さほど期待していなかったフェアだったのだが、まずまずレベルの高い商品を扱っているディーラーが出ていて期待できそう。「もっと早くにこっちへ来れば良かったねぇ。」と河村と言い合いながら会場の中を見て回っていると、気になるバッグフレームを発見。シルバー製のエンジェルのフレーム、確かどこかで見た覚えがある。そうそう、以前どこかのフェアで見たのだが、その時は高価過ぎて諦めた物だった。今回はマダムと交渉し、思いがけないユーロ安を感謝しながらget。ひととおり見た後は、さぁ、次の場所へ。

 次に訪れたのは、とある倉庫のような場所。「買付けは3tトラックで!」というデッドストック物ばかりを扱うここでは20世紀の物が主体で、私の欲しい19世紀の物はほとんどないのだけれど、「こんな物が欲しい。」とリクエストしておくときっちり覚えておいてくれる。今回お願いしていたのは19世紀の子供の柄のファッションプレート。「ホラ!」と言って出されたそれは子供が海岸で遊ぶ可愛い絵柄。「うん。いいじゃない。いいじゃない。」と独り言を言いながらセレクト。お店を任されている彼女は、「そうそう。あなたにぴったりのロココの見本があるのだけど、オーナーのコレクションだから、オーナーに断って今度までに田舎の倉庫から持ってきておくわね。」と嬉しい発言。「なに!?ロココ?」と私。「それきっと私買う!」と宣言。次回の買付けではロココの見本が登場するかも?

 最近、倉庫のような買付け先を訪れることが多い。次に向かった先は、膨大なリボンや布、お花に埋もれた場所。もっとも、「埋もれた」といっても、その膨大なぐちゃぐちゃの中から一生懸命状態が良く、可愛いものを探す訳だけれど。今回の出物はすずらんのブーケ。そしてリボン見本の束。リボン見本はデッドストックのため状態もまずまず良好。「リボンの大箱」の中からひとつひとつ状態をチェックして選んでいく。

 今日最後の場所はパリ最大と言われている古書店。確かに「最大」と言われるだけあって古書のワンダーランド、「古書店」というよりもまるで体育館のよう。ここにある本はすべてが古書で、装丁されていものばかりのため、普通の書店と違ってすぐに何の本だか分らないのがもどかしい。こういうところでは、店内をウロウロして「ただ見るだけ。」というのは許されない。今日の目的は、私は19世紀のモード雑誌の合本"La Mode Illustree"、そして河村は私達の個人コレクションでもあるアール・デコの挿絵本を探すこと。私達の目的のブツはどちらも「貴重本コーナー」にある様子。それぞれに「○○探しているんですけど…」とマネージャーらしき彼に尋ねると私が探していた"La Mode Illustree"は1870年から1874年の合本が登場。この時代は、雑誌といえども、それぞれ持ち主の個性で様々な装丁を施して(この時代に雑誌を読むことが出来たのはごく一部の女性だったに違いない。)合本にしたのだ。早速見せて貰うと、手彩色の色合いも美しくため息が出てしまう。きっと19世紀の女性達も毎号毎号をわくわく心待ちにして読んだのだろう。その一枚一枚をめくっていると心は1870年代へタイムトリップ。今回は紙の状態が今ひとつだったため買付けには至らなかったが、またいつの日か満足のいく物が出てきたら日本に連れ帰ってみたい。

 今日の買付けもすべて終了。仕事が終わった夕暮れは、いつものキャフェで河村はキャフェクレーム、私はグラスワインで乾杯!いつも買付けの帰りに寄るキャフェ、そこで本日の買付けた物についてあれこれ河村と話すのも買付けの楽しみかもしれない。

 一度ホテルに戻った午後7時、今度は近所のキャフェで銀座アンティークギャラリーのM氏と待ち合わせ。そこで待ち合わせた後、同じくご近所にある河村御用達のド派手なメンズシャツのお店で一緒にお買い物をし、その後夕ご飯を食べることになっていたのだ。河村がいつも購入しているCoton Doux.で三人ワイワイ言いながらシャツ選び。こんなのって何年ぶりだろうか、まるで学生時代の友達同士のお買い物みたい。

 お買い物の後は最近のお気に入り、予約を入れておいたNamikiで夕食。パリの夜は長いのだ!パレ・ロワイヤルの側にあるNamikiは、フレンチレストランにもかかわらず日本人シェフと日本人オーナーのお店。以前のお気に入り、同じくパレ・ロワイヤルにあった“Le Dolphin”がクローズした後、ここ最近、私達のお馴染みのレストランなのだ。なんたってパリのド真ん中にいるのにもかかわらず、日本語メニューで、日本語で詳しくお料理の説明をして貰えるなんてホントにありがたい!しかも美味しいときている!今日も最後は抹茶のクレームブリュレでシメ。 

私達の滞在している左岸のオデオン界隈からエッフェル塔を目にすることは出来ませんが、出先でひょっこり見えたりすると何だか嬉しい。ではエッフェル塔四連発をどうぞ!


エッフェル塔のポストカード色々は、しょちゅう買い物に行く近所のマルシェで。こうしてみても絵になるなぁ。


透明感がきれいなエッフェル塔キャンディー。こうして写真に撮るのは良いけれど、お味は???


“J'aime Paris(パリ大好き)”エッフェル塔スプーンは余り珍しくないけれど、エッフェル塔ストレーナーって初めて見ました!何だかおかしいですね。

■9月某日 曇り
 よく晴れた一日、フランスでの買付けもようやく一段落。今日はまず高級なアンティークばかりが展示されているサロンに見学がてら出掛け、午後にはカードの仕入れに行く他は特に予定がない。空いた時間は、以前から行きたかったモロー美術館へ行くことに。

 まず、始まったばかりのサロンへバスで向かう。こうした高級なアンティークばかりが展示されるフェアをフランスではサロンと称し、有料でしかも入場料が高いのが普通だ。仮設の会場にもかかわらず、高級感の醸し出される雰囲気のため、こういう場所に向かうときは、「旅行中であっても出来るだけ身ギレイに!」というのが私達の鉄則だ。今日も持ってきた服の中から出来るだけお洒落っぽく見える組み合わせで(とはいっても旅行中のこと、カジュアルなことにかわりはないのだけど。)、靴もちょっぴり磨いて出掛ける。

 サロンの会場に到着すると、チケットを購入し、カタログを手渡される。そのカタログをパラパラめくってみると…思いがけずハンドメイドのレースを扱うディーラーが出店している!焦る気持ちを抑えながら会場に入ると、それは見知ったリネン類のアンティークを扱うのマダム。彼女とは、今までも何度かパリや地方のフェアで出会ったことのあるはず。確かこのマダム、英語は全く解さず、別に意地悪ではないのだけど、いつもなぜか不思議とニコリともしないのだった。
 そんなマダムの硬い表情に恐れることなく、カタログに掲載されていた写真を見せながら、「こういうハンドのレースが見たいのだけど。」とお願いすると、まとまったレースの束が出てきた。「あるじゃん!あるじゃん!」とばかり、河村とふたりで一点一点チェックしていく。そんな中、「あった!」と大声には出さないものの、「これ。」と静かに選り分けた一点。それはいつも私達が探していたレースそのもの。こんなところから出てくるなんて!今まで何度か出会ったことのあるマダムだったのに、私は彼女がこんなハンドのレースを持っていることすら知らなかったのだ。本当に、欲しいものってどこに隠れているか分らないものだ。

  午後からモロー美術館に行く前に、今日のお昼はプランタンの屋上テラスで。以前から時間のあるお昼はたまにここで食事をしていたのだが、最近リニューアルしてきれいになったのだ。この屋上テラスのレストラン、セルフサービスで、特に素晴らしく美味しいという訳でもないのだけど、何よりパリの街が一望できるそのロケーションが最高なのだ。エッフェル塔はもちろん、遠くモンパルナスタワーやノートル・ダムが見えたり、トロンシェ通りをまっすぐ行った向こうにマドレーヌ寺院が、すぐ目と鼻の先にはオペラ座と、私の中での一大観光スポットなのだ。そんな景色を眺めながら、ワイン片手のランチも楽しい。

プランタンの屋上テラスから。プランタンの前からまっすぐ伸びたトロンシェ通りの向こうはマドレーヌ寺院。その左手にはフォーション、逆側の右手にはエディアールもありますよ。


マドレーヌ寺院とは逆側の北東、モンマルトルの山の上に見えるサクレクール寺院。白亜の塔が青空にくっきり映えます。

 モロー美術館は、プランタンやラ・ファイエットがあるアーブル・コーマルタンの繁華街からも歩いて行ける距離。ランチをしながら地図で確認をした私達は、テクテク歩いて向かう。このモロー美術館、ギュスターブ・モローの幻想的な絵画ももちろんだが、その邸宅そのものが美術館になっている。モローが居住していたアパルトマン部分も19世紀そのままの状態で残っていて、そちらもまた興味深いのだが…。実は今をさかのぼることウン十年前の学生時代、ヨーロッパひとり旅の途中でここに立ち寄ったことがあるのだが、モローの絵画の記憶はあっても、このアパルトマンの記憶がさっぱり抜け落ちているのだ。当時の私はいったい何を見ていたのだろう?

  モロー美術館に着くと、そこは小さなメゾンといった瀟洒な雰囲気の建物。暗い螺旋階段を登ってまずはアパルトマン部分へ。やはり思っていたとおり!このアパルトマン部分には、モローが当時暮らしていた様子がそっくりそのまま展示されていて、まるで19世紀の家に迷い込んだかのよう。(モローはこの家に1852年から亡くなる1898年まで住んでいた。)アンティーク好きにとってはタイムマシンで19世紀に到着した思いがする。それぞれのお部屋の様子は画像の方でどうぞ!
 肝心の沢山の絵の掛かったギャラリーは、アイアンの手すりの螺旋階段が美しい当時のアトリエ。ここもまた大きな美術館とは違った個人美術館らしい、モローそのものが感じられる空間だった。そうそう、確かに学生時代、ここで幻想的なモローの絵を見て感動したことは覚えている。ルーブルやオルセーなどの大きな美術館も良いけれど、こんな個人美術館で過ごす午後もパリらしくて良い気がする。

まるでこれもひとつの作品かのようなギャラリーの優雅な螺旋階段。こんな内装にもモローの美意識を感じることが出来ます。


ルーブルなどで目にする額もそうですが、ここでも作品を飾るための額はそれはそれは豪華なもの。まさに「作品の一部」ですね。


壁いちめんに飾られたモローの作品に圧倒されます。


こちらは当時のままのダイニングルーム。19世紀の食堂は、画像でもお分りいただけるとおり、とても暗くて何だか食欲が湧かなさそうな空間。右上の壁に飾られた蛇(たぶんウナギ)の付いたバルボティンヌのお皿もアンティークとしては価値あるものなのでしょうが…。う〜ん。


こちらはベッドルーム。置き時計も、ランプも、花瓶も、本当にこうやって飾られていたのですね。


こちらは書斎。マントルピースの上のガラスドーム、当時はこういうガラスの中の小世界が流行ったのだとか。どこからともなく衣擦れの音と共に19世紀の貴婦人が現れそうです。

 美術館を後にすると、次はいつもの紙物ディーラーの元へ。前回の7月の買付けも、その前の5月の買付けの時も、地方のフェアの仕事に出ていた彼らとはスケジュールが合わず、今回は久し振り。果たして今回は会えるだろうか?と少し心配しながら彼らのオフィスに向かうと、今回は大丈夫!シャッターが開けられ、灯りもついていて、人の気配がする。ドアを開けると、ムッシュウもマダムもいて、「久し振り!」というように挨拶を交した。私が、「5月も7月も来たのに会えなかったわ。」と言うと、マダムは「あぁ、あの頃はあっちこっちに行っていてとても忙しかったのよ。」と首をすくめた。何だかまるで自分たちのことのようで、「そうか、この人達もフランス中をあちこち飛び回っているんだ。」と思い切り納得してしまう。

 ムッシュウは“Comme d'habitude?(いつもの?)”とおどけて聞きながら、いつも私達が見るカテゴリーのカード類をどこからともなく大量に出してくる。彼に言うと出てこないものはないほど、常に沢山の、そして質の良い在庫を常備している。今回も、いつものカテゴリーに加えて河村が「アール・ヌーヴォーのカードを。」と言うと、ミュシャをはじめとする美しいカードが出てきた。アール・ヌーヴォーというと、ミュシャなどのフランスのものを思い浮かべがちだが、今回手に取ったオーストリアのアール・ヌーヴォー(オーストリアのものだからユーゲントシュティールと言うべきか。)のものは、本当に美しくて感動的。「まだまだ世間一般には知られていない美しいものっていっぱいあるんだな。」と思わずにはいられない。
 私達がフランスのアール・ヌーヴォーのカードを選んでいるテーブルの向こうでは、フランス人のムッシュウが日本のアール・ヌーヴォーの絵葉書を選んでいて、まるで『東西アール・ヌーヴォー対決』とでもいおうか何だか不思議な感じ。お互いにお互いの見ているものが気になって、チラチラ緯線を交す私達とムッシュウ。彼の見ていた日本の絵葉書も美しいものばかりで、「日本の絵葉書だって綺麗だよね!」とちょっぴり誇らしい気持ちになる。向かいのムッシュウの選んだ絵葉書の中に、裏側に「飛行少年」のスタンプが押されたカードが一枚。きっと当時の少年雑誌の付録だったのかもしれない。「これってどういう意味?」とムッシュウ二人に聞かれ、フランス語が思いつかなかった私達は「う〜ん、Boys pilotかな〜。これはたぶん雑誌の付録だったと思うよ。」と英語で返事をした。

 自分たちの仕事が一段落した後、河村が最近興味を持っているアール・デコの挿絵本を手がけたバルビエの画集を出して、「バルビエは?」と尋ねると…奥から出てきた、出てきた。バルビエの代表作「ニジンスキー」が。バレエをテーマにしたこの「ニジンスキー」という挿絵本はたった390部しか作られなかった希少本。「この紙はジャポネと言って…。」と説明してくれる。「あぁ、局紙(大蔵省印刷局で抄造された三叉紙のこと)のことね。」と私達。確か、このニジンスキーの中でも局紙で刷られたものは50部しかなかったはず、たぶん恐ろしく高価であることは間違いない。「そんな本まで押さえているって凄い!」と感心していると、ムッシュウは河村の本をめくりながら、「これも、これも、バルビエ!」と喜んで眺めている。どうやら彼はバルビエフリークだったらしい。私が「この本ってあなたのコレクションなの?」とムッシュウに尋ねると一応「ううん、違うよ。」との返事。「でもお値段書いてないけど。」となおも畳みかけると、彼はいたずらっぽくニヤリと笑った。

レ・アールにあるサントゥスタッシュ教会は、あまりにも庶民的な地域にあるためか、特に観光ポイントとして取り上げられることのない教会ですが、外観はフランボワイヤン様式のゴシック建築。このステンドグラスは17世紀のもの、ブルーの色合いが鮮やかです。


ここの7000本のパイプを持つオルガンはかつてリストが演奏したことでも有名、なんとポンパドール夫人にいたってはここで洗礼式を挙げたそうで、まさに由緒正しい教会といえるでしょう。レ・アールやポンピドーセンターに立ち寄られるときは是非ここにも足をお運び下さい。

■9月某日 晴れ
 パリ最後の日。今日は朝早くからまず部屋から荷物を出してチェックアウトし、パリ郊外のフェアに行き、そして午後にはタリスでブリュッセルに向かうことになっている。このところのパリは最低気温が10℃から12℃程度。「日本はまだ30℃だったのに…。」と思わずにはいられない。薄手のコートや長袖は持ってきていても、流石にセーターは持ってきておらず、持ってきた衣類をすべて身に着け、ショールをグルグル巻いてみてもまだ寒い。今朝は、そんなグルグル巻きの格好で、フェアへ行くために銀座アンティークギャラリーのM氏とサン・ミッシェルで待ち合わせ。電車に乗る前に開いたばかりのブーランジェリーでそれぞれパン・オ・ショコラやパン・オ・レザンを買い、三人でバクバク食べながら電車の構内へ。

 電車に乗り、会場の最寄り駅まで着いたのだが、どうしても会場に行くバスの路線が見当たらない。さんざんウロウロした挙げ句、困って近くのキャフェで聞いてみると、すぐ前のバス停から出ているという。無事にすぐ来たバスに乗り、やっとの思いで会場へ着いたものの…閑散としていて、人っ子ひとり歩いていない。不安になりながらなおも足を進めると…会場のセキュリティーらしき黒人のお兄さんが私達の行く手を遮るようにやってきた。「あの、ブロカントのフェアに行きたいのだけど。」と尋ねると、「そんなものはやってない。」と素っ気ない返事。「おかしいなあ。」と会場の周りをトボトボ歩くが、やはりフェアはやっていない様子。フランスではけっして珍しくないフェアがキャンセルになった模様。今までも、「到着したものの何もやってなかった」ということは多々あったのだが、今回はM氏を誘った手前、朝早くから申し訳ない思いでいっぱいだ。帰りはバスでパリ市内まで。パリ最終日ということもあり、たいして期待していなかったフェアのためさほど落ち込むことはないけれど、バスの中の三人は朝早かったこともあり、うつらうつら寝入ってしまった。パリ市内でM氏とはお別れ。彼とはまた、イギリスでも一緒にフェアに行く予定になっているため、「またロンドンでね〜。」と束の間のお別れをする。

 今回、フランスにいる間に連日テレビニュースで流れていたユーロトンネルでの事故。私達が買付けに来て間もなくユーロスターの通るユーロトンネルで事故が起こり、事故が起こったその日と翌日は、ユーロスターが全面的にストップしていたらしい。何でも、今回の事故はユーロトンネルを通る貨物列車が、列車に火がついたままトンネル内に入ってしまったため(実際には貨物列車に乗せていたトラックから出火したらしい。)、トンネル内の配線が皆燃えてしまったとか。17時間も掛けて消火するほどの大事故で、ユーロスター史上最大の事故と言われているらしい。復旧には数ヶ月かかるらしく、予定通りロンドンに渡れるのかとても心配だったのだ。が、元々上りと下りの二本のトンネルがあるため、一本のトンネルで上りと下りを通しているらしい。私達の乗る予定のユーロスターはキャンセルにならなかったものの、事故当日だったら大変なことになっていたところだった。きっと私達の持つインターネットで購入したユーロスターのディスカントチケットなんて、ロクな保証もされずほとんど「紙切れ」と化してしまうだろうし。今回のユーロスターはブリュッセルから。ホームページでユーロスターの運行を確認し、少し安心したところで、旅程はパリからブリュッセルへ。

 本当は今回の買付けでついでにウィーンへ遊びに行こうと目論んでいた私達なのだが、スケジュールの都合でどうしてもウィーンまで行く時間が取れず(ウィーンへはパリから飛行機に乗らなければならない。)、パリから列車でたった1時間半で行くことが出来、なおかつユーロスターに乗ればパリからよりも短時間でロンドンへ行くことが出来るブリュッセルに決まったのだった。今日も大荷物で、ホテルまで迎えに来て貰ったタクシーに乗り、タリスが発着するパリ北駅へ。

***そして旅はベルギーへ。買付け日記はまだまだ続きます。***