〜ベルギー編〜

■ 9月某日 晴れ
 パリ北駅からタリス(フランス・ベルギー・オランダ・ドイツの4カ国を結ぶ高速列車)に乗ってブリュッセルへ。ブリュッセルは、今までも何度か足を運んだことがあり、ベルギーの中でもフランス語圏に属するここは、ワロン語(フランス語)、フラマン語(オランダ語)の他、英語もよく通じて旅行者にとっては居心地の良い街だ。今回はちょっぴり奮発して世界遺産になっているグラン・プラスの側のホテルを予約してある。グラン・プラスは昼間の美しさはもちろんだが、夜暗くなってから、周囲の建物がライトアップされたその美しさが格別なのだ。そんな夜のグラン・プラスに散歩に行けるように今回のホテルをチョイスしたのだ。

 パリからの大荷物を持っている私達は、タリスが到着したブリュッセル・ミディの駅からタクシーでホテルへ。夕刻のブリュッセルはパリよりもさらに寒い。車窓から眺める見覚えのあるブリュッセルの街、「やれやれ、やっと着いた。」とタクシーを降り、ホテルにチェックインしようとしたのだが…インターネットから予約した確認書をプリントアウトして持ってきたのだが、レセプションのマドモアゼルはパソコンとにらめっこしながら「これいつ予約したの?今日?」と不審顔。いくら私の予約を探してもみつからないらしい。そんなバカな、人気のあるグラン・プラス側のホテルだから一ヶ月前に予約したはずなのに…。「ひと月ほど前に予約したわ。」と答えるのだが、どうもみつからないらしい。パソコンをカチャカチャしていた彼女、いきなり「あら!」と謎が解けた顔。なんと、私が予約をしたのは「2008年」ではなく、うっかり「2009年」としてしまったようなのだ。青ざめる私、今日泊まれなかったらこの大荷物を持ってさまよわなければならない。「ちょっと待ってて。ボスと相談するから。」と奥へ行った彼女。しばらくすると「大丈夫よ。」と笑顔で戻ってきた。あぁ、よかった!さまよわずに済んだ。

 早速荷物を置くと、夕暮れの街を散歩。グラン・プラスからも程近いパサージュ、ギャルリー・サンチュベールへカメラ散歩。1847年に完成したここは、カメラを持ってそぞろ歩きを楽しむのにうってつけの場所。高級なブティックが並ぶだけあって、よく手入れが行き届き、いつ来ても本当に美しいギャラリーだ。

ギャルリー・サンチュベールの「王子の回廊」と名付けられた小さな回廊。夕暮れ時、灯りがつくとそれぞれの店舗がより美しく見えます。


薔薇のお花が美しいここはバラの専門店“ROSY ROSA”。どこか日本の生け花を思わせるアレンジです。


“CORNE DE LA TOISON D'OR”はベルギーの老舗ショコラトリーのひとつ。高級感とショコラの香り漂う店構えに、思わず近寄ってしまいます。


場所柄かもしれませんが、どうもパリよりもシックな雰囲気のベルギーファッション。今シーズンは紫が流行のようです。

 

ギャルリー・サンチュベールからも程近い街角で素敵な帽子屋さんを発見!残念ながらもう閉まっていて中には入れず。でも背中から河村の「もう帽子ならいっぱい持っているでしょ!」の声が。

■9月某日 晴れ
 今日のベルギーもとても寒い。確か前回ベルギーに来た昨年の4月は暑くて暑くてたまらなかったというのに(あまりの暑さにピエール・マルコリーニのショコラさえ全く食べる気が起きなかったのだ。)、9月の今回は寒くてたまらず。このままイギリスでも同じ気候だとセーターを買わない訳にはいかないかもしれない。今まで9月のヨーロッパがこんなに寒かったことはなかった。これもやはり異常気象か?

 今日は念願のブリュッセル王立美術歴史博物館で有名なレースのコレクションを見ることになっている。乗り慣れないブリュッセルの地下鉄に乗り博物館へ向かう。よく手入れされたサンカントネール公園の中を歩き、公園の中にある博物館へ。そして、今回も受付のボランティアらしき年配のマダムに「レースのコレクションが見たいのですが…。」と尋ねると、「あら、レースのコレクションはクローズしているのよ。」との返事。が〜ん!どうも聞くところによると、このレースのコレクションは半永久的に(?)クローズしているらしい。「前回も見られなかった。」という私達に同情した受付のマダム達は、レース担当のマダムに連絡を取ってくれるとかで、館内のあちこちに電話してくれたのだが、結局担当のマダムはバカンス中でつかまらず、今回も見ることが出来なかった。
 「今度来るときはホームページから連絡してからいらっしゃいね。」とマダム。でも、この博物館のホームページはフランス語とオランダ語しかないのだ。「みんな英語も分るから英語でも大丈夫よ。」あぁ、こんなことなら、英語でアポイントを取ってから来るんだった。結局、今回もレースコレクションのリベンジは果たせず、次回に持ち越しとなった。ま、パリから1時間半、その気になったらパリから日帰りでブリュッセルに来ることも出来るのだ。いつかまた見ることが出来る日も来るだろう。

 レースのコレクションは見れなかったが、他のコレクションルームは通常通り開いている。私と河村は、前回見て気に入ったハートコレクション、MUSEE DU COEURへ。様々なハートをもしたアンティークのアイテム。19世紀のものが主体で、私達が普段何気なく買付けで目にするものも多い。「こういうのもやってみたいね。」沢山のハートアイテムに囲まれながら、これからの作戦を練る私達だった。

 ハートコレクションやグラヴィールが美しいグラスのコレクションを見た後は、美術館内のキャフェでお昼ごはん。ここが広々として、清潔感があって、なかなかおすすめの空間だったのだ。私はベルギービールのヒューガルデンを。どうやら付近のオフィスからも沢山ランチにやってくるようで、キャフェはあっという間に満員。レースのコレクションは見ることが出来なかったが、ここでのランチは気持ちの良いひとときだった。

サンカントゥネール公園の中にあるブリュッセル王立美術歴史博物館。私達が訪れたときにはぽっこりした形も可愛い真っ赤な薔薇が咲いていました

「痛そう!」このおどろおどろしい彫刻もハートコレクションのひとつ。元々MUSEE DU COEURは、ベルギー人の医師のプライベートコレクションだったとか。何となく納得です。


そのほとんどはこのような宗教儀式に使うハートモチーフがほとんどです。


ハートに星形のデコレーション。透明感のあるガラス素材も美しく、何となくラヴリーで楽しくなるようなコレクションです。

 

こうした豪華なグラヴィールの施されたガラス器が沢山並ぶグラスコレクション。アンティークのグラス好きにはたまりません。

 

ブリュッセル王立美術歴史博物館から歩いてすぐ、帰り道で当時の雰囲気を良く伝えるアール・ヌーヴォー建築に出会いました。どうやら、日にちを限って内部も公開している様子。ブリュッセルにはオルタ邸をはじめとするアール・ヌーヴォー建築が数多く残っています。

 ランチを終えた後は、事前に計画していたアントウェルペンへ。午後はアントウェルペンで、特に何をするともなく、のんびりブラブラするつもりだったのだ。アントウェルペンというのは、英語でアントワープのこと。あの日本のアニメ「フランダースの犬」の舞台といえばすぐにお分りいただけることだろう。そう、あれはオランダのお話ではなく、ベルギーのお話だったのだ。(もっともあの話自体は、イギリス人作家ウィーダによるもので、ベルギーではあまり知られていないとのこと。)現在のアントウェルペンは、ファッションの街としても知られ、特に王立美術学校の卒業生でもあるデザイナーのドリス・ヴァンノッテンやマルタン・マルジェラ等が「アントワープ6人衆」と呼ばれているのをお聞きになったことのある方もいらっしゃるかと思う。また、ダイヤモンドでは、取引量の世界一を誇り、世界の原石の半数以上を取りを扱うことでも知られている。ダイヤモンドとくればユダヤ人。ここは、「北のエルサレム」と呼ばれるほどの大規模なユダヤ人コミュニティがあることでも有名なのだ。

 アントウェルペンへは、ホテルからも歩いてすぐのブリュッセル中央駅から列車で約40分ほど。その間にも、"Mechelen(メヘレン)"等の駅を通り過ぎていく。レースの名前としては馴染み深いメヘレンが、ブリュッセルからもすぐで、実際に目に見える街として通り過ぎていくことに深い感慨がある。「こんなところで作っていたんだ!」という言葉と共に列車はメヘレンの街を過ぎていく。

 到着したアントウェルペン中央駅は、今まで私が見たヨーロッパの駅の中でも最大級に大きく、豪華な建物だ。20世紀初めに建てられたこの駅舎は、石造りの巨大ドームが特徴で、ちょっとした宮殿のよう。「流石ダイヤモンドで潤ってる街は違うわぁ。」と呟きながらも高い天井から目が離せない。そして、もっとびっくりしたのが、駅の周りの通りにびっしり並んだダイヤモンドを扱うジュエリーショップの数々。たぶんその数は何百とあるはず。で、「これだけジュエリーショップがあるならアンティークもあるかも?」と考えた私達はしらみつぶしにジュエリーショップを見ていくが、みつけたアンティークを扱うショップは2軒だけ。だが、ウィンドウにはいまひとつピンとくるものが無く、ウィンドウを覗いただけで、ベルを押してドアを開けることはなかった。

 中央駅からまっすぐ、繁華街へと足を向けると、19世紀に建てられたと見られる豪華な建築物が続く、そしてその下、広い遊歩道になっている広い道には、どこからやって来たのか凄い人の数。皆、思い思いにショッピングをしたり、そぞろ歩きを楽しんでいるようだ。決してアントウェルペンは大きな街ではないのだが、この街の印象は「繁栄」。街角のあちこちの建物に取り付けられた小さな石のマリア像も、以前訪れたブルージュのものは、いい感じに朽ち果てているのだが、ここのマリア像はしっかり修復され、金でピカピカに塗られている。ピカピカのマリア像はともかく、首都のブリュッセルよりも何だか豊かで住みやすそうな印象を受けた。

これがアントウェルペン中央駅。今までこんな立派な駅は見たことがなかったような…。ちなみに、この駅の周りにはびっしりとダイヤモンドジュエリーのショップが建ち並んでいます。

駅からも歩いてすぐ、アントウェルペンの繁華街にはこんな立派な建物が連なっています。こういった建物の中身は、日本にもある“ZARA”だったり、「ベネトン」だったりするから驚き。

アントウェルペンの街中を走る可愛いサイズのトラム(路面電車)。信号待ちをしていたあまりに小さなトラムに、喜んでカメラを構えると…このトラムの運転手さんはとってもチャーミングな人物。ニッコリ笑って、私が撮り終わるまでわざわざ止まっていてくれました。

 そして、私達が向かったのは「フランダースの犬」の舞台でもあるアントウェルペン大聖堂。この大聖堂は世界遺産にも登録されていて、ルーベンスの祭壇画があることでも有名だ。10世紀にまでその歴史をさかのぼることが出来るこの教会の建築は、ネーデルランド(ベネルクス三国)最大のゴシック建築。まずは大聖堂の高い塔が見え始め、近づくに従って、その大規模な全貌が見えてくる。ここ最近、フランスの世界遺産の教会巡りをしている私達にとってもやはり「世界遺産」は大きなポイント。「世界遺産」に登録されるには、それだけの歴史や魅力があり、「やはり来て良かった。」と感じる価値あるものばかり。
 表からゴシックらしい装飾を眺めた後は右側の小さな扉を通って内部へ。ここの大きな特徴は「フランダースの犬」にも登場するルーベンスの祭壇画があること。ネロが最後に見て息絶えるのはこの祭壇画だ。かつてルーブル美術館でもルーベンスの「マリー・メディシスの生涯」などを目にしたことがあるのだが、実をいうと、ルーベンスは肉惑的過ぎてちょっぴり苦手。同じフランドルの画家だったらレンブラントやフェルメールの方がずっと好きだ。だが、ここの「聖母被昇天」は可愛いエンジェル達に囲まれたマリア様が美しい色合い。ここにはこれを含め4枚祭壇画があるが、他の男性を主題とする他の絵画よりもこれが一番好きだ。

 荘厳な雰囲気の大聖堂の中をひとまわりし、外に出てやっと下界に戻ってきた気がした。ベルギーの中でもオランダ語圏となるアントウェルペンは街中の看板もすべてオランダ語。英語やフランス語、フランス語と同じラテン系のイタリア語なら、何となく馴染みのある単語もここでは面白いようにさっぱり分からない。ここでは全くの異邦人になった気分がして、それもまた面白い。

これがアントウェルペン大聖堂。既に10世紀にはこの場所に聖母に捧げる礼拝堂があったとか。現在の建築は1352年に着工、1521年に完成のものです。フランドルのグレイの空のもと、すっくと立つ姿は圧巻です。

 

これが1626年に完成したルーベンス作の「聖母被昇天」です。鮮やかな色合いが美しい、女性的な雰囲気です。

アントウェルペン大聖堂も面しているマルクト広場を囲むギルドハウス。かつての商業組合が建設したギルドハウスは、当時の街の繁栄や豊かさを伝えています。

 半日アントウェルペン観光を終え、また列車に乗って帰路につく。再び40分ほど列車に揺られてブリュッセルに帰るのだ。降りるはずのブリュッセル中央駅のひとつ手前、ブリュッセル北駅近くにさしかかると…車窓からの風景にドッキリ!大きなウィンドウにピンクのライトが当てられ、あやうい下着を着けたマネキンが飾られている。「ふ〜ん、下着屋さんね。」と思って何気なく見ていたら、マネキンが動いた!!思わず「ね、ねぇ、ちょっと!!」と河村を呼んでしまった。次々と通り過ぎる大きなウィンドウ。そこにはマネキンではなく、あられもない下着姿の女性がひとりだったり、ふたりだったり、ホンモノの人間が飾られていたのだ。ふたりで、びっくりして目を丸くしながら車窓を見ていたのだが、それは一瞬の出来事で、あっという間に列車は飾り窓郡を通り過ぎていった。飾り窓といえばオランダのアムステルダムが有名だが、ここブリュッセルもオランダ文化圏、まぁ、飾り窓があってもおかしくはない。ブリュッセルにもこうした飾り窓があったなんて知らなかった。あ〜、びっくりした!  

ライトアップに照らされた夜のグラン・プラスは格別!昼間の明るいグラン・プラスも良いけれど、夜の景色もおすすめです。

■9月某日曇り
 ベルギー最後の日。夕方にはユーロスターで、今度はブリュッセルからロンドンに向かうことになっている。特に何かをした訳ではないベルギーの滞在だったが、フランスでもイギリスでもない空気が新鮮だ。ブリュッセルにはECやNATOの本部があり、世界の高官が駐在することもあって「アンティークは非常に高価」と言われている。私達が滞在したグラン・プラスの周りにも沢山のレースのブティックがあるのだが、一般的なお土産物はまず中国製、ベルギー製のハンドメイドのものは異常に高く、店の奥にディスプレイも兼ねて置いてあるアンティークのものはベラボーに高い!ベルギーでアンティークレースが高いことは今までの経験から重々承知をしていたのだが、今回も、「ちょっといいな。」と思うハンカチをウィンドウにみつけ、ブティックに入って軽い気持ちでお値段を聞いたら、なんと日本円で数十万円の価格を言われ、びっくりしてしまった。それって私が売っている何倍ものお値段だ。それでいても、街を歩いていてフランス語で「アンティーク」を意味する“Antiquites”の“A”の文字の看板が目に入ってくると、ウィンドウにレースらしきものが見えると、一目散に近寄ってウィンドウを確認せずにはいられない。が、今回ベルギーでの買付けは皆無、またいつかベルギーで大規模なフェアがあるときには今度はしっかり「お仕事モード」、買付けで来てみたいと思う。

 昨日、ブリュッセル王立美術歴史博物館でレースを見ることの出来なかった私達は、前回の時にも立ち寄ったグラン・プラスから程近い衣装とレースの美術館へ。こぢんまりした小さな美術館だが一応ここもレースの各種類を網羅していているのだ。今回は常設展の代わりに1958年のベルギー万博の時代のコスチュームのエキシビションがやっていて、それがそれで興味深かったが、クラシックなドレスが見られずにちょっと残念。でも、最上階のレースのコレクションは以前と同じように見ることが出来た。
 各種類のレースが、歴史に沿って、順々に引き出し状になった棚から引き出してみることが出来るようになっている。規模はずっと小さいが、ロンドンにあるヴィクトリア&アルバートミュージアムなどに比べると、とても見やすい展示になっている。ひとつひとつの引き出しを開けながら、河村と「ホラ、このレース凄い!」だの「ちょっとこれ見てよ!」だの、お互いに声を掛けながら進んでいく。レースのカタログの中では見ることが出来ても、普段はなかなか実物を見る機会のないレースも多い。そんなひとつひとつをしっかりと目に焼き付けた。

 午後は河村の意向で、地下鉄に揺られ1958年のベルギー万博の跡地へ。このブリュッセル郊外にある万博跡地はそのまま公園として今も存在するらしい。彼はそこにあるベルギー万博のシンボル的存在だった「アトミウム」が見たいというのだ。このアトミウム、遠くから見ると鉄腕アトムを思い出す近未来的な建築物で、鉄の原子構造を模した形なのだとか。ブリュッセルの街中からでも高いところであれば見ることが出来るのだが、実際に近づくとあまりの大きさとその迫力にびっくりする。中にも入れるというので、河村と共に入場券を買って見学。それぞれの丸い玉の中は三階建てになっていて、玉から玉へはエレベーターや階段でつながっていて移動することが出来る。エレベーターに乗ると、それはまた宇宙映画の世界!私の趣向では全くない場所なのだが、50年代の人々の夢や情熱が伝わってきてとても面白かった。唯一、アトミウムの入ったスノードームをお土産に買わなかったことが悔やまれる。

昼間の明るいギャルリー・サンチュベール。今回のベルギーでは、きちんとしたレストランに入りませんでしたが、こんなギャルリーの中のテラスでお食事するのも良いですね。

 

プレゼントに如何?ショコラの箱に入ったショコラ。パンジー、カエデ、マーガレット、どれも美味しそう。

これがアトミウム。この玉の中は三階建てになっていて、玉と玉をつなぐ部分はエスカレーターや階段が。という訳で、この建築物はもの凄く大きいのです。


こちらは玉と玉とをつなぐエスカレーター。どこか宇宙映画を思い出しませんか?


こちらは同じく階段バージョン。50年代の人々の夢が形になって伝わってくる、アトミウムはそんな場所でした。

 アトミウムからブリュッセルの街中に戻ってくると、そろそろタイムリミット。また大荷物一式と共にタクシーに乗ってユーロスターの出るブリュッセル南駅へ。今回の長距離列車はすべて日本からインターネットで予約をしたeチケット。パソコンの画面からのプリントアウトを駅のカウンターで実際にチケットに交換して貰う。ブリュッセルからeチケットを利用するのは初めて。スムーズにチケットに交換できるかちょっと心配していたのだが、特に問題もなくクリア。普段のユーロスターだったら、パリからロンドンまでよりも、ブリュッセルからロンドンまでの方がずっと近い。が、今回は前の週に起こったユーロトンネルの事故の影響で遅れに遅れ、ロンドンに着いたのは定刻の1時間後。一本のトンネルに上りも下りも通すのだから仕方がないとはいえ、1時間遅れるって、日本の新幹線では考えられないことだ。いや、その前にトンネルで火事が起こることの方が考えられないけれど。(しかもユーロトンネルの事故は1996年に次いで今回で二回目。)結局ロンドンのフラットにたどり着いたのは午後9時近く。長い一日だった。