〜フランス編〜

■ 3月某日晴れ
 ユーロスターがパリ北駅に到着すると、そこからいつものオデオンのホテルまではタクシーを使う。北駅の喧噪の中、タクシー乗り場の長い列を並び、ようやくタクシーのシートに身を任せてほっと一息。車窓から眺めるパリの石造りの街並みに囲まれると、「帰ってきた。」と心地よい安堵感に包まれるから不思議だ。パリの街は、日本に比べると決して清潔でもないし、日本のように新しい小洒落た建物がある訳ではないのだが、人工的とはいえ(現代のパリの街は19世紀にナポレオン三世の命を受けた当時のセーヌ県知事オスマンにより、それ以前の中世のままの入りくねって不潔だったパリの街を一新された経緯がある。)揃えられた建物の高さや石造りの統一感が私の美意識(というほどのものでもないが)にしごく心地よく感じるようだ。そんな街並みを眺めながら、「しょっちゅうパリに来ることが出来る仕事で本当に良かった。」と誰にということもなく感謝の気持ちが湧いてきた。 
 
 いつも私と河村がパリに着くとまずすること。それはまるでイヌの様に勝手知った近所を散策すること。いつものマルシェで飲み物やちょっとした食べ物を調達し、最後にいつものキャフェに腰を下ろし、一服すると「帰ってきた〜。」という気持ちでいっぱいになる。特に今日は、私達がテーブルに着くとやってきたのはよく見知ったギャルソン。「また来たね!」というように"Bonjour, madame et monsieur!Cava?"と私と河村のそれぞれ握手。そんな何気ないひとつひとつが結構嬉しい。

 フランスに来ると思うこと、それは香りが溢れているということ。街かを歩いていても、ふとした瞬間、ふわっと香水の芳しい空気に包まれることが少なくない。そんなパリにいるときには、どんな時でも、服を着るのと同じ様に着替えの最後にシュッと香水をひとふり、それが身繕いの仕上げなのだ。
 河村に出会う以前から私が好んで着けていたのはイッセイ・ミヤケのロー・ドゥ・イッセイ。ただ最近は飽き気味でこれといっていつものお気に入りは作らずに、あれこれ浮気をして楽しんでいる。そんなロー・ドゥ・イッセイなのだが、とある瞬間、パリの街中で私の鼻先をかすめるともう黙ってはいられない。なぜかとちょっぴり嫉妬心が沸き起こってきて、つい河村に訴えてしまうのだ。「ねぇ、ねぇ。今の私の香りじゃなかった?(私の香水なのに、他人が着けてる!)」と。

 そして、今回新たな境地(?)を見つけるべく、行きの空港の免税店で手に入れたのはディオールのジャドール。ジャドールとは“J’adore ”つまり「大好き!」の意味。しかも「ディオール」の語尾に合わせて韻を踏んでいるところも心憎い。実は最近、仕事仲間でもあるクロテッドクリームの片山嬢がなにげに貸してくれたのがこれ。昔からあるディオールのディオリシモが、「いかにも香水」というクラシックな香りだったことから長らくディオールの香水を敬遠してきた私だが、現代的な匂いのするのジャドールは予想を裏切って新鮮でさっぱりした着け心地、思わず着けてみたくなる香りだったのだ。そんな経緯もあり、今回のフランス滞在からジャドールが新たなお気に入りになりそうな予感がする。

 

ホテルのご近所、よく立ち止まるアクセサリーショップのウィンドウを覗くと…なぜか季節外れのクリスマスオーナメント。でも可愛い!ツリーを手にしたエンジェルのオーナメント。


いつものパフィームリーも淡いグリーンですっかり春のディスプレイ!蝶々をかたどったボトルが魅力的。サンシェルピス教会横のAnnick Goutalで。

■3月某日 小雨のち曇り
 今日の向かう先はこのところ長らくご無沙汰だった大規模な紙ものフェア。以前はこの開催に合わせるようにして買付けに来ていたものだが、ここ最近はスケジュールが合わず、しばらく振り。今回の買付けでも楽しみにしていたこのフェア、「今日一日紙ものに囲まれて楽しく過ごせる!」などとノー天気に考えていたのが運のつき。会場に足を踏み入れ、まず知り合いのディーラーのところで膨大な量のカードを当てがわれた時から「これ、会場中を夕方までに見ることできるのかしらん?」との不安が頭によぎる。

 思い起こせば、以前来ていたときも、決死の思いでカードを繰っていたことを思い出す。ちっとも自慢にならないが、そこはプロ、私のカードを繰るスピードは、誰にも負けないほど速いのだ。瞬時に自分に必要かどうかを見極め、次々と繰っていく。だが、その私が呆然とするほどのカードの量!すっかり忘れてた、ここは体力勝負の場所だったのだ!!

 100年もの大いなる埃を吸い込んだ紙に触れていると、手はあっという間に埃っぽく黒ずんでカサカサに、喉はイガイガになってきてのど飴のお世話にならなくてはいけなくなる。「とにかく早く帰って手を洗い、うがいをして、目薬さしたい!(身体が疲れてくるとすぐに目に炎症を起こす私達はそれぞれ出張には「My目薬」を持参なのだ。)」という気持ちになってくる。それにしても会場の膨大な量のカードを制覇できるのか?

 久しぶりにやってきたフェアだが、今回はスケジュールの都合で初日に来られず、そんなこともあってか、なかなかお目当てのカードに巡り会うことが出来ない。広大な海の中からとてつもなく小さなものを探しているような、そんな焦燥感がつのってくる。カードの海にたゆたうこと6時間余り、ヘトヘトになった私達は、最後の最後に私達好みカードを大量に持つディーラーと遭遇。「もっと早くここに来ればよかった!」そこでカードを繰ること小一時間。ようやく報われた思いで、紙ものフェアは幕を閉じた。でも、ヘトヘトになっただけあって、今日の収穫は大量。特にウィーン趣味のカードと繊細なレース細工を施したホリーカードに美しいものが沢山入って嬉しい。


■3月某日 小雨のち曇り
 今日、明日は念願のホリディ。パリ脱出を計るのだ!今回は昨年訪れたシャンパーニュ地方の街ランスに次いで同じくトロワに行くことになっている。今までに訪れたランスやアミアンなど、この地方の街は皆大戦の折にドイツの襲撃に遭い古い街並みが破壊されているのだが、トロワの街は奇跡的に生き残り、21世紀になった現代も15〜16世紀の街並がそのままそっくり残っているのだ。古い建築の大好きな私達は、ここに一泊し、のんびり街歩きを楽しむ予定にしている。

 パリの東駅から電車に揺られること1時間半。ほんのわずかの時間にもかかわらず、トロワの駅に降り立つとパリとは確実に違う一段低い気温に身震いしてしまった。駅のツーリストインフォメーションで地図を貰い、そのままホテルへと歩き始めた。トロワでの滞在は楽しみにしていた15〜16世紀の建物を利用した四つ星ホテル。パリでは高くてなかなか泊まることの出来ない四つ星だが、ここトロワではとてもリーズナブル。そんなことも地方へ旅する楽しみのひとつだ。

 そんな念願の四つ星ホテルだったが、到着してみると古い建物をそのままに、でもとても清潔で、期待を裏切らないチャーミングさ。外の寒さを忘れてしまうような、ぽかぽかに暖められたあまりの居心地の良さに、部屋から出たくなくなり、思わず「今日は終日この部屋で過ごしてもいい!」と思えるほど。しばらく休憩してから、覚悟をして再び寒さの厳しい外へ。それにしてもトロワの寒さは、何年か前に真冬に訪れたイギリスの避暑地ブライトンをもしのぐほど。普通は夏に遊びにいく海辺の街ブライトンなのだが、真冬のブライトン・ピアー(冬は閉まっている海辺の遊園地)は涙が出るほど寒く、私と河村の間では「一番寒かった思い出」として語り草になっている。

小径にはいると鳥の看板が。やって来ました念願のホテル!ここも古い木組みの建物がチャーミング。


ホテルの中庭。季節が良い時には、ここで朝食をいただくことも出来るのだそう。春にはもっとお花や緑が美しいのでしょうね。


左手の階段を上がった先が私達のお部屋。外はとても寒いのですが、二重扉の向こうのお部屋はポカポカに暖めてありました。


バスルームもすごく可愛い!バスルームへと向かうアイボリーのドアにはアンティークのカーテンが掛かっていてラヴリー、とてもジョイフルなお部屋に大満足。

 街歩きをする前に手頃なレストランに入りお昼ごはん。まずご当地の飲み物シャンパーニュがとても安いのに感激。パリでは10ユーロを下らないグラスのシャンパーニュがここではたった5ユーロ!全くアルコールを受けつけない筈なのにシャンパーニュだけは口にする河村も、嬉々としてシャンパーニュをリクエスト。(グラスの半分は私が飲むことになるのだが…。)ふたりでシャンパーニュ地方への再訪を祝して乾杯した。さて、トロワといえば名物はアンドゥイエット。アンドゥイエットとは豚の内臓で作った腸詰めのこと。これにフリットと呼ばれるジャガイモのつけあわせがこの料理の定番。普段、臓物系を全く口にしない私だが、「ここまで来たからには食べてみないと!」と赤ワインをお供に果敢にも挑戦してみた。予想に反して、多少の癖はあるもののまずまずのお味。普段の買付けでは、ゆっくりお昼ごはんを食べている余裕はないが、ここトロワではのんびり食事を楽しんだ。

 さて、トロワの街だが、商店街となっている旧市街で目にするのは本当に古い建物ばかり。どの家も傾きかけた(でも決して崩れることはない)木組みの建物で出来ている。さながら古い建築のテーマパークにいるような気分だ。今は古びて木地そのままの木組みの建物だが、実際に建てられた当時はとてもカラフルな色に塗られていたのだとか。どの建物も400〜500年前に建てられたと思われるのに、そこにスーパーが入っていたり、レストランになっていたり、普通の住宅だったり、すべて現役で使われているところが凄い。旧市街には古い教会も沢山残されていて、ひとつひとつ回ると、ゴシックの影響を受けた大きな寺院や、美しいステンドグラスに出会うことが出来る。ことに1500年頃に作られた小さな教会で見たステンドグラスの美しさといったら、宝石で作った万華鏡が連なっているようだった。当時の人々がこの美しいステンドグラスを作るために一生懸命ガラスを組み合わせたのかと思うと、500年以上前に生きた人々が急に身近に感じられる。

旧市街の街並みは15〜16世紀に作られた木組みの建築ばかり。ここは石造りではなく木造の文化だったのですね。15〜16世紀といえばジャンヌ・ダルクの時代からあるということ!どれも今も使われている現役というところが凄い!


街を歩いているとこんな塔のある建物が。16世紀のこの建物は今はクレープリー、手前のサインは雑貨店のもの。こちらの建物ももちろん現役。


どこかイギリスの田舎を思わせるこの建物、木組みの造りのことはフランス語では“colombages(コロンバージュ)”、こうした造りの起源はフランスでそれがイギリスやドイツに普及していったのだとか。


昔のまま入り組んだ古い街並みの狭間にこんな路地を見つけました。猫が飛び越せる幅なので“Ruelle de Chats”、「猫の路地」といいます。


「猫の路地」を抜けたレストラン街で「長靴を履いた猫」が「ようこそ」と帽子をささげるサインを発見。刺繍で一刺し一刺し刺された素敵な看板です。


ホテルの向かい側は大聖堂。私と河村が愛するゴシック様式の教会です。教会と見ると何はともわれ中に入ってみなければ気が済みません


戦災にまったくあっていないトロワには古いステンドグラスも沢山残っています。ずらりと連なったステンドグラスは美しいのひと言。当時の人々が膨大な時間を掛けてガラスのかけらをひとつひとつ組み合わせたかと思うと胸が熱くなります。


小さな教会にも見事なステンドグラスがはめられていて、見ていて飽きるということがありません。当時のガラスの赤い色合いが印象的です。


「美しい」のひと言。「いつまででも眺めていたい。」そんな気分にさせられます。思わず信徒の方々のために並べられた木の椅子に座ってしばし鑑賞。


聖堂の柱に掲げられた小さな聖母子像。かすかに着色が残っている少女のような素朴なマリア様、こんなマリア像が私の好みです。

■3月某日 曇りのち雪
 四つ星だけあってかホテルの部屋はこれ以上ないほど快適。羽根枕と羽布団にくるまれて気持ち良く目覚めた朝だが、一歩部屋から中庭へ出ると(レセプションのある本館とは別棟の部屋をあてがわれていたのだ。)、震え上がる寒さ、やはりドイツに近いこの地方はパリとは寒さが違うようだ。中庭を出てテラスを横切りダイニングルームへ。きっと夏はこのテラスには緑が溢れていてここで朝食を取ることも出来るのだろうが、今の季節はジョイフルなダイニングルームで朝からゆったり朝食。通常フランスのホテルはそのほとんどが朝食は別料金、朝から買付けに出掛ける私達はわざわざホテルの朝食を食べることはまず無い。そんな中、束の間のホリディのトロワで食べた朝食は、バニラ風味の洋梨のコンポートがとても優しい味だった。

 地方の街での楽しみ、それは街のアンティークショップ巡りとミュージアム巡り。街を散策中にもいくつかアンティークショップを見つけると入ってみないと気が済まない。今回、トロワの街でほとんど仕入れはしなかったものの、地方の街だとパリとはまた違ったものに巡り会う確率が高い。そんなことも地方へ旅する楽しみだ。

 午前中は職人の知恵と道具の博物館で大工道具や鍛冶屋の道具、様々な道具のアンティークの展示を楽しむ。ここの展示の仕方は独特で、数え切れないほど沢山の道具類がアイテム別に美しく整然と展示されている様子は非常に美的で、この展示に関わったディレクターの類い希なセンスを感じる、そんな博物館だ。女性的なアイテムの展示はないものの、アンティークの道具好きな男性がいたら歓声を上げそうな博物館だ。

ここが職人の知恵と道具の博物館ことMaison de l'Outil et de la Pensee Ouvriere 。傾きかけた建物に歴史を感じさせます。


ここの展示の仕方は独特!ガラスケースいっぱいにつり下げられた沢山の道具類。このケースはアンティークの金槌ばかりを集めたコーナー、使い込まれた質感が圧巻です。


ガラスケースの中を踊る沢山の左官ごて。この博物館は、元々16世紀の豪商が貧しい子供達に仕事を教える場として建てたもの。ありとあらゆる仕事に使われた道具類が並んでいました。


 そして、その後はトロワ最大の関心事、昨日散策の途中でたまたま見つけ、チェックしておいたミシュランの星付きレストランに乗り込むだ!最近話題になっている東京のミシュランガイドには今ひとつ感心しない私達だが(所詮フランス人が繊細な味付けの日本料理を審査するなんてナンセンスだと思うから。大きなお世話というか…。)、その昔、アヴィニヨンで小さいながらも星付きレストランで食事をした折、「さすが星付き!」と思えるデリケートな味わいと接客だったため、フランス国内の星付きレストランには一目置いている私達。ただし、これもパリではなかなか手が届かないが、こうした地方では私達でもお相伴にあずかれるお値段、いうなれば田舎ならではの楽しみだ。さぁ、街中に12時の時報が鳴り響く中、レストランの扉をくぐると、店内はなかなかシックなたたずまい。赤ワインの色に合わせたワインレッドのテーブルクロスの上にもう一枚真っ白なクロス、その上に置かれたワインレッドの様々な切り子の模様の入ったお水用のタンブラーと磨き込まれたワイングラス、きちんと色の調和のとれた空間にいるのはとても気持ちの良いこと。それでいて気さくなマダムの接客がアットホームな雰囲気で料理にも期待が膨らんでくる。

 またもや二人でシャンパーニュをアペリティフに飲みつつ、メニューを繰ってあれこれ相談する。今回私が選んだのは、前菜にパテ、河村はシーザーサラダ、メインはそれぞれ三種の魚のクリームソース。まずアミューズに出てきた小さなグラスに入った生ハム入りのヴィシソワーズからかなり期待させるお味。「これ、もっと飲みたい!」と訴える私。そして、前菜のパテの美味しかったこと!!パテ・ド・カンパーニュなのに、ナッツやピスタチオの木の実やバニラなどの様々なスパイス、そしてアプリコットが入っていて何ともフルーティー。「今まで食べてきたパテ・ド・カンパーニュっていったい何だったの!?」と思えてしまう美味しさ。河村相手に「こんな美味しいパテ初めて!!」と興奮状態で訴える私。赤ワインも頼んで既に極楽状態、河村のシーザーサラダもなかなかのお味らしい。

 すっかりご機嫌の私達は、今までに行ったことのあるフランスの地方の街を挙げて、「どこが一番良かった?」と品定め。今まで私達が訪れたことがあるのは、北はリール、ルーアン、西はル・マン、東はランス、アミアン、ナンシー、南はリヨン、アヴィニヨン、バルジャック、アルル、ニーム、リル・シュール・ラ・ソルグ、タラスコン、モンペリエ、マルセイユ。そのほとんどは仕事で行った街だが、それぞれに印象深く思い出に残っている。私達が「一番!」と意見が一致したのが南仏の街アルル、そして一番良かったホテルがバルジャックのオーベルジュ、今回泊まったトロワのホテルにも似た雰囲気のリゾートホテル、プールで泳いだ楽しかった夏の思い出がよみがえってくる。「また行きたいなぁ。」と呟く私、またいつかそんな機会があるのだろうか?

 話はプロヴァンスから二年前に訪れたマルセイユへ。マルセイユの港からフリウル島へ島巡りをした際の船が恐ろしく揺れて(ちなみにその日は海が荒れて、元々行く予定だったイフ島への船は欠航していた。)、高波がザブンザブン甲板の中に入ってきて、「このまま遭難するかも?」と思いつめたこと。私達ふたりの頭の中は、NHKのニュースで「今日、マルセイユ沖で遭難した観光船に、名古屋市在住のカワムラシノブさんとサカザキマサコさんが乗船したと思われます。」と放送される様子まで想像してしまったこと。そんな思い出話をしながら、楽しく食事の時間は過ぎていき、ゆったり贅沢な食事を終えてホリディは終了した。「祭りの後」という気分で外へ出てみると、外は粉雪が舞っていた。

トロワの素敵な思い出となった星付きレストラン。アペリティフの冷えたシャンパーニュもお食事も美味しく、何よりもマダムの気持ちの良い接客が心に残りました。


トロワを離れる前、手持ちの現金の無くなった私達は、いつものようにキャッシュカードで銀行のATMから現金を引き出そうとしたのだが…。カードを機械に入れ、使用言語を選び、ピンナンバーを押し、金額のボタンを押す一連の動作はほとんど日本のATMと変わらない。現金が出てくるまでしばらく待つのだが、いつまで経っても出てこない。まだ出てこない。にもかかわらず出金を示すレシートだけがsしれっと出てきた。
 「あら〜!!この機械お金が入ってないんだわ〜!」日本ではあり得ないことだが、こちらではごく稀にあること。確かに少し大きな金額を出そうとしたのだが、実際にお金が出てこないという現実に大ショックな私達。数年前、フランからユーロに変換された変わり目の時にも、ATMのユーロが足りなくなって、同様な事態に陥って大いに焦ったことがある。こうなると自分のお金にもかかわらず、日本の自分の口座には何ヶ月か先にしか返金されないので、やっかいなことこの上ないのだ。すぐに銀行に入って、英語の出来るマネージャーらしき人を呼んでもらうが、予想通り彼も申し訳なさそうに「すぐにはお金を返すことは出来ない。」との返事。その後、口座がある日本の銀行に電話を入れて、詳細を聞いたのだが日本時間午後11時過ぎのため、すぐには対応できないという。日本と違って予期しないことが起こる、それもまた買付けなのだ。帰りがけにマネージャーから“Bon vacance!”と言われたのが少しおかしかった。"Bon vacance!"なんて言われてもね〜。

■3月某日 小雨
 いよいよ今日は勝負の日、にもかかわらず朝から小雨模様。今日はパリ郊外の大規模なフェアへ行くのだ。今の時期、パリへ来るのは久方振りのこと。このフェアに足を運ぶのはなんと10年振りだ。どんな様子だったかほとんど記憶になく、気分は初心者だ。

 フランスにしては珍しく早朝から始まるフェアのため、午前6時前にホテルをあとにする。パリの中心からRER(郊外高速鉄道)に乗って出掛けるのだが、RERは治安が悪いことで有名。思い起こせば、私自身が唯一スリに遭遇したのがこのRERの改札だった。(河村なんて場所を選ばずあちこちで遭遇している。)また早朝のRERの車内というのがかなりの恐怖。車内は私達を除くほぼ全員が黒人男性。皆夜勤を終えて郊外の自宅へ帰るところなのだろうか。もちろん黒人皆が悪人ばかりではないことは重々承知しているものの、昨今のフランスでの暴動を首謀しているのは郊外のバンリューに住む彼らなのだ。普段から郊外での様々なトラブルを見聞きしている私達は車内の様子に気を配り、緊張したまま身を潜めていた。
 目的地に着き、ほっとしながら電車を降りホームを歩いていると、見知った顔、顔、顔。そう、ロンドンからも顔見知りのアンティークディーラー達が大挙してやって来たのだ。あぁ、今日は競争率が高そうだ。

 フェアの会場に着くと、オープン前から沢山の人がゲートの前に鈴なり。パリのアンティークディーラーも皆集結!という感じだ。定刻にゲートがオープンすると、他人を押しのけ、踏みつぶし、皆思い思いの場所へと散っていく。私達も負けてはいられない。場内へと早足で向かうが、広すぎてどこから見て良いのか分からない。いつも足を運んでいるフェアだと、だいたいどこに何か出ているのか把握しているので、いつも通りに巡っていくのだが、10年振りに来たこのフェアは、すっかり様子が変わっていて、気が焦るばかりだ。

 思ったほど、気に入ったものと巡り会うことが出来ず、焦りは募るばかり。「あ!」とお人形を扱うマダムのガラスケースの中に私達がいつも探しているソーイングバスケットを見つけて、接客中のマダムに、見せてもらおうと声をかけると…私の隣にいた男性が思いきり押してくる。「?」と思いながら、もう一度まだマダムを呼ぶと「ちょっと待っていて。」との返事。そんな中、再び隣の彼は私を身体ごと押してきた。“バチバチ!”私と彼の視線が絡み合う。明らかに嫌がらせと感じた私は彼に“Quoi!?(何よ!?)”と強い口調でひと言。ようやく彼は私から視線を外した。どうやら彼は私より先にマダムに見せてもらいたいものがあったらしい。それにしても身体ごと押してくるなんて!結局ソーイングバスケットも状態が悪くてバツ。

 そんな中、奇跡的に(?)美しいカーテンがブースの中にまだ下がっているのが目に入った。すぐに駆けつけて、ブースのマダムに降ろしてもらい見せてもらうと…状態もまずまず。そして何よりも柄が美しい。まずはひとつでも買付けるものがあり、ほっとする。その後、いくら歩いても気に入ったものがみつからず買付けるものがない。「なんにもな〜い。」と呟きながら河村と急ぎ足のまま歩き回る。
 別のレースを扱うマダムのブースでは、大きなビニール袋の中から一心にレースの切れ端を選んでいる女性がいる。その横でにあった刺繍のボーダーを「あらこれ素敵!」と取り上げると…くだんの彼女が「あ、それ私の。」「そうか、彼女のだったのか。」とすごすごと引き下がる私。

 だが、お人形の小物を沢山持っていたおばあちゃんディーラーのところでとても状態の良いプチポワンを発見。「ちょっと安くしていただける?」と聞く私に「シ〜!」と周りに聞こえないように(でもバレバレなのだけど)、ヒソヒソ声で「いくらいくいら。」と答えるところが可愛い。そんなおばあちゃんが気に入ってしまった私は、「他にも何か。」と探しているうちに色々見つけてしまった!中でも嬉しかったのはあちこちで探し回っていたソーイングバスケット、ブースの奥深くにチラッと見えたそれをおばあちゃんに出してもらうと、状態も良好。やった〜。

 そんな会場の中を何周しただろうか?気が付くといつの間にか正午をとっくに回っていた。今日も歩きに歩いて6時間。「これ以上何もない!」と思えるほど会場を探し回った後は、ぐったりしながらまたRERに乗ってパリへと帰った。

 ホテルに戻るとまだお昼間にもかかわらず、早起きしたことと時差ボケ、それとともに疲れから眠らずにはいられない。「ちょっとだけ。」と呟きながら、私も河村もベッドに入ってお昼寝。目を覚ましたときは既に夕方、しかし今日ボワシエに行かなければ、もう今回のスケジュールでは行く機会を失ってしまう。ボワシエのある16区までは決して近くないが、滞在先のオデオンからサン・ミッシェルまで歩いて、そこからRERに乗り、メトロに乗り換えて…。16区といえば言わずと知れたお金持ちエリア、朝フェアに出掛けたスタイルとは打って変わってお洒落をして出掛ける私達。河村のナビゲーションのままに出掛けてみると、普段出掛けないエリアだからか、何かと物珍しく、エッフェル塔が見えるRERの地上線に喜んでいるうちに到着してしまった。

 Boissier(ボワシエ)は思っていたとおり、派手でなくこぢんまりした感じのブティック。マダムとお手伝いの女性が、お買い物のお手伝いをしてくれる。マダムはジャストルッキングの日本人客に少々うんざりしている様子なので、お店に入ったら必ず何でも良いので何かお買い物を!店内は想像していたとおり、古いガラスのボンボン入れが使われ、アンティークのパッケージの数々が飾られていて180年の歴史を感じさせる。店内に置いてあるどのお菓子のパッケージも、現代のものにもかかわらずアンティーク心をくすぐるノスタルジックな雰囲気。どれも皆欲しくなり困ってしまった。

ボワシエの店内はもうPaques(イースター)のディスプレイ。キリストの復活をお祝いするイースターは、キリスト教徒にとって大切なお祭り。イースターは「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」と決められているので、毎年日にちが変わる。今年のイースターは3月23日。


“BOISSIER”のロゴの入ったクラシカルなボンボンの缶。どのパッケージもどことなくアンティークの香りがし、どれも皆欲しくなってしまいます。


コーポレートカラーはブルー、色とりどりのボンボンに心も浮き立ちます。ブルーのボンボン缶も素敵ですね。

 ボワシエのお買い物を終えると、そのまま16区の繁華街パッシーまで歩くことに。16区は普段ほとんど縁のない地区。16区のカルティエを河村とふたり、「こんな所、初めて来たよね?」と言い合い、キョロキョロしながら散策。私達が普段滞在している6区に比べると、観光客や外国人の姿をほとんど見ることがなく、端正で静かな街並みが続いている。繁華街のパッシーまで出てみると、また6区の様子とは全然違う雰囲気。街を歩く16区のマダムは、6区のひとひねりある辛口のファッションのマダム達と違い、華やかなファッションに身を包み、皆お金持ちそう。そして、16区といえばエッフェル塔!お約束のエッフェル塔スポットのトロカデロまではここからメトロですぐ。16区を堪能した私達は、フェアの疲れも忘れて、トロカデロへgo!久し振りのエッフェル塔を見にいそいそとトロカデロに向かったのだった。

16区のマダムは華やかなファッションがお好き。クリーム色のシルクのスーツに大きなお花の付いた帽子。パッシーの繁華街、16区マダム御用達(?)ブティックで。

 トロカデロのシャイヨー宮といえば…私が初めてここに来たのはハタチそこそこだったので、もうひと昔もふた昔も前のこと。ひとりぼっちのバックパッカーだった私が、ウィーンからの夜行列車で早朝のパリにたどり着き、そこからやって来たのが今も滞在している6区の辺り。リュックを背負ったまま安ホテルを探して右往左往し、ぐったり疲れ果てていた私に声を掛けてくれたのが、カナダのフランス語圏に留学していてパリに旅行に来ていた日本人の彼女。たまたま歳が近かったこともあり、その時のパリ滞在中にすっかり仲良しになった彼女が、何も言わず、ただ「見せたいものがあるから。」と連れて行ってくれたのがここ。「何だろう?」と深く考えずについてき、メトロの駅から地上へ上がると…そこにはお約束のエッフェル塔がバッチリそびえ立つパリの絶景スポット。彼女のシークレットツアー(?)と目の前のエッフェル塔の美しい姿にかなり感動したものだった。私のエッフェル塔好きは、その時の楽しかった思い出が重なっているのかもしれない。

夕暮れになると毎時10分間は、エッフェル塔のお楽しみ時間。この10分間のチカチカきらめくライトアップを見るとなんだか嬉しくなってしまうから不思議。1889年のパリ万国博覧会でフランス革命100周年を記念して作られたエッフェル塔。エッフェル塔の中にある一つ星レストラン「ジュールベルヌ」、いつか行ってみたいなぁ。

 エッフェル塔を堪能したあと、河村は私に建築・遺産博物館を見せたいという。建築・遺産博物館は、シャイヨー宮とは目と鼻の先、歩いてすぐそこ。実は前回、私が風邪でダウンし、ホテルの部屋で寝込んでいる最中にひとりでここに来たのだ。まだ最近、昨年の秋に出来たばかりのニュースポット、建物好きの河村はこの美術館がいたく気に入ったらしい。今日はあちこちに出没し、さすがにぐったりしていたのだが、河村に連れられてやってきてしまった。

 建築・遺産博物館だが、中世から現代まで様々な建築物が展示され(なんといっても、モノが建築物だけに展示物もダイナミック!)、もちろんすべて複製なのだが、中世のコーナーには巨大なゴシック教会の門や彫刻が展示されていてゴシック好きにはたまらない。おまけに、昨年ランスの大聖堂で見た「微笑みの天使」もその美しい微笑みのまま下を見下ろしていた。

  でも、河村の今日の一オシは近代建築のいしづえを築いたル・コルビジェの作品、マルセイユにあるユニテダビタシオンの一室をそねままそっくり再現したコーナー。ユニテダビタシオンは、それ以前はなかった大規模集合住宅のはしりでもあり、「ユニテ = ユニット」つまり一戸ごとにユニットを組むことによって大規模な集合住宅に作られている。

 このユニテダビタシオンは今でも実際に集合住宅として使われているのだが、その一部はコルビジェを記念したホテルになっていて、何年か前にマルセイユを訪れた際に泊まったことがあるのだ。展示されているユニットは住み心地が分かるように中に入って見ることが出来、一歩中へ足を踏み入れた私は「この窓の向こうにテラスがあって、その向こうに地中海の真っ青な海が広がっていて…。」と、まるでフラッシュバックするかのようにマルセイユの青い空と青い海を思い出した。

 建築・遺産博物館をひととおり楽しんだ後は、流石にもうクタクタで博物館内のキャフェでひと休みしたあと帰路につく。思えば、早朝からフェアに出掛けた長い一日だった。


■ 3月某日曇り
 今日も朝早くからパリ市内のフェアへ。いつもフランスに滞在しているときには、朝は比較的ゆっくり過ごすことが出来るのだが、今回は連日朝早くからフェアへ急ぐハメに。よって、朝からキャフェでのんびり朝食を取っている暇はない。今朝もまだ薄暗いうちにバスに乗ってフェアの開催される場所へ。
 今日のフェアはパリ以外の郊外から集まったディーラーによるフェア、顔馴染みのパリのディーラーもチラホラ買付けに来ている。「今日はブースを出していないの?」と聞くと、「ここは出店料が高いからね。パリのディーラーは出てないんじゃない。」との返事。どうりで馴染みのない顔のディーラーばかり、せっかく朝早くからやって来たのに、何もめぼしいものがない。「何か無いかなぁ…。」と歩き回るが、どれもこれもピンとこないものばかり。と思っていたら、いつも探しているレース入りのアクセサリートレイが視界の隅に入ってきた!「あ!あるじゃん!!」と、近寄って手に触れてみる。手に取り、ひっくり返し、隅々まで見回すが、ダメージは無し。喜んで周りを見回してみると…同じブースの中にスミレの香水ボックスを発見!そう、これもいつも探しているアイテム。先日もみつけたのだが、その時は状態が悪くバツだったのだ。これはまずまずの状態、「これもいいかも!」と段々とテンションが上がってきた。そして、"交渉モード"に入ってブースの主を探すと…な〜んだ。よく知ったマダムじゃないの。今日は郊外から来たディーラーばかりかと思ったら、いつも何かとめぼしいものをみつけているマダムのブースだった。こんな風に、結局彼女のテイストにいつも惹かれてしまうのだ。

 フェアから一度ホテルへ戻り、ホテル近くのキャフェAu Petit Suisse(オゥ・プティ・スイス)へ。朝ご飯もロクに食べずに出掛けたので、ここでキャフェクレームとタルティーヌ(バター付きのフランスパン)の朝食。リュクサンブール公園に面したこのキャフェは、1791年創業のパリ最古のカフェ。マリー・ド・メディシスが逢い引きに使ったと言い伝えられる歴史あるキャフェだ。だが、そんなこともお構いなし、オデオンの駅前にあるダントンとここオゥ・プティ・スイスが、私達の普段遣いのキャフェだ。
 この1月1日から全面禁煙になったフランスのキャフェ、男女問わずスモーカーの多いフランス人のこと「そんなこと実現できるの?」と懐疑的だった私達だが、実際はきっちり禁煙に。何でも、キャフェの中で喫煙した人も、喫煙させたキャフェ側も多大な罰金を払わなくてはならないのだとか。「そういうことだったのね。」でも、非喫煙者の私達にとっては、かつてのキャフェのタバコの煙モクモクの空気に我慢する必要がなくなり、嬉しい限り。タバコを吸いたい人は外のテラスへどうぞ。こちらではまだ合法的に吸うことが出来る。

 一度ホテルへ戻り荷物を置いた後は、次なる買付け先へ。今日はアポイントを入れてあるディーラーの元へ。いつもお世話になっている彼女、今日は何が出てくるのだろうか?いつものようにバスに乗って彼女の元へ、挨拶もそこそこに手当たり次第、チェックを怠らない。いつも「アナタの分」と私用の袋が出てくるのだが、今日もその袋の中からは様々な物が。可愛いブラウスやフレンチプリント、シルク地やリボンetc.まるで宝物の箱をひっくり返したようだ。まるで自分がお客様になったかのように、「あぁ、欲しい!みんな欲しい!」という気分。ただし、あくまで頭はクールに、出てきた物をひとつひとつダメージがないかを確かめていく。今日も何時間アンティークの中に埋もれていただろうか、物を選ぶのには今日のように少しぐらい寒い時の方がいいような気がする。暑いと物を選ぶことに集中出来ず、かえって時間がかかるからだ。と言いつつ、今日もここで数時間を過ごしてしまった。

 最後に向かったのは、コスチュームを専門に扱うショップ。数年前にまだ若い女性に経営が変わって以来、何かとお世話になっている。フランス人には珍しく英語も操る彼女のこと、細かい点までコミュニケーションが取れて便利、専門に扱っているのはコスチュームなのだが、何かしら気に入る小物がみつかるところも彼女をかっている点かもしれない。
 今日はお目当ての物があってやって来た。お目当ての物とは、私の好きなアイテム、ソーイングボックス。実は、前回買付けの際にも寄ったのだが、運悪くクローズだったのだ。ウィンドウから見える可愛いソーイングボックスが忘れられず、今回はそれを目指してやってきたのだ。今日はお陰様で営業中、ショップの中をキョロキョロ探すと、「あった〜!」忘れられなかったソーイングボックスがまだ無事あって念願のget。これが、布小物や雑貨を扱うディーラーだったら、もうとっくにSOLDになっていたと思うのだが、専門外の彼女の元にあったお陰で手に入れることが出来て嬉しい。

 今日の買付けも結局夕方遅くまで。河村と大きな買付け袋を抱えてバスで帰宅。今回はなかなか時差ボケの治らない私達、いつまでたっても身体が日本時間のまま、その上連日の早起きで夕方暗くなると共に眠気が襲ってくる。いつものように私はバゲットとチーズとワイン、河村はクスクスのサラダで簡単に夕食を済ませると、あっというまに夢の中へ。

夜のお花屋さんのウィンドウはライトアップされて、まるで劇場の舞台を見るかのよう。たっぷり生けられた彼岸桜の他はスイトピーにラナンキュラス、ストック、白いお花で統一。

■ 3月某日 晴れ
 今日も朝早くから買付け。買付けもいよいよ佳境へ、スケジュールも明日一日を残すのみとなってきた。今朝はまたパリ市内のフェアへ。今日はそこであらかじめアポイントを入れておいたディーラーとも会うことになっている。いつも可愛いアイテムを持っている彼女、今日は何か買付けられる物があるのだろうか?

 今日もまた朝7時過ぎにホテルを出て、バスに乗って出掛ける。パリの交通手段というとメトロが思い浮かぶが、バスの方が何より安全だし、窓からパリの街並みを眺めることが出来てずっと好きだ。パリの市内地図さえ頭に入っていれば、(いやそれよりも常に路線図を携帯していれば)何も迷うことはないし、次のバス停がどこか車内放送もあるし、新しい車両には電光掲示板も付いているし、ロンドンのそれと違って思いの外分かりやすい。私達は断然バス派。いや、バスに乗ることで、常にアンティークを売っているところがないかパリ中を監視しているのだ。(笑)

 「マサコ、元気だった?」とアポイントを入れておいた彼女と握手で挨拶、私の頭は「お買い物モード」の頂点に!見るもの見るもの、気に入った物にすかさず手を伸ばし、彼女が手渡してくれたバスケットの中へ。状態は後回し、他の誰かの手に渡る前にまずはget!get!get!生地やリボン、お花等々、沢山のアイテムを独り占めし、それでもまだ何か無いかと周りをキョロキョロ。「誰にも負けるもんか!」とばかり、ひとりだけ頭がヒートアップしてしまう。ひととおり気に入った物を手に入れた後は、今度はじっくり状態のチェック。そこは日本と違った海外でのこと、よくよく見ると「問題有り」のものも少なくないのだ。生地を広げ、眺め回す。箱はひっくり返し、後ろ側もチェック。そんな一連の作業を終えると、意地汚く手にした沢山のアイテムはぐっと減り、少数先鋭に。結局最後に残った物達を見ると「うん、私らしい。」最後にお世話になった彼女に、「これカドー(贈り物)よ。」とボワシエの包みを差し出すと、「あ、これボワシエね!そういえば、ボワシエのショコラのボックスもあるのよ。」と奥から洗礼式用のボワシエの箱を持ってきてくれた。洗礼式のチョコレートボックスは、今までも数々扱ってきたが、ボワシエの物は初めて。「へぇ〜、ボワシエのもあるんだ。」だが、絵柄が今ひとつで今回はパス。でも、流石に歴史あるショップだけある。彼女によくお礼を言って、今回は退散。「また5月に来るからね!」

 久し振りに目に入ってきた物がある。そう、それはずっと探していたモード雑誌、“La Mode Illustree”。先日訪れた紙物フェアでも今回はまったくみつからなかったのだ。いくつかあった中から、表紙の絵柄が美しい数冊をチョイス。ちょうど1900年に印刷されたこの“La Mode Illustree”、この薄い紙製の冊子が100年以上後まで残っていること自体が凄いと思ってしまうのだが。

 前回豪華なアランソンのボーダーを持っていたマダム、「アランソンのハンカチも持っているのよ。今度持ってきておくわね。」と言われて色めき立った前回、「もしあったらどうしよう?あってもきっと高価よね。」と気もそぞろ、少しブルーになり、ドキドキしながら彼女の元へ。
 挨拶の後、世間話もせず「アランソンのハンカチあるかしら?」と尋ねると、「持ってきた。持ってきた。」と明るい返事。薄紙に包まれたそれをそっと開けてみると…。思わず河村と無言で目と目を合わせてしまった。そう、それはアランソンではなくポワン・ド・ガーズのハンカチだったのだ!マダムには何も言わず、「ごめんなさい。同じようなのを持っているの。また今度ね。」とだけ言って別れた。がっかりしたようなほっとしたような、河村と共に身体から力が抜けていくようだ。

 その後、ジュエラーのマダムのところからは可愛いエンジェルのメダルが。どうも隠れエンジェルファンのマダム、しばらく前にエンジェルのリングを手に入れたのも彼女から。きらびやかで豪華なジュエリーを扱うかたわら、たまにこうした可愛いアイテムを持っているのだ。私達がルーペでチェックする横で“Tres tres tres tres mignon!(tresは英語でvery、mignonは「可愛い」の意。)”と10回位“tres”を繰り返している。あまりの“tres”の連発に思わず笑ってしまう。そんなマダムにやや呆れながらもやっぱり可愛いのでget。

 午後近くまで買付けを続け、帰る前にいつものキャフェに入ってひと休みしようとすると…キャフェに入るやいなやアングロサクソン系の年輩の女性が泣き出しそうな顔で英語らしき言葉で私達に聞いてきた。

彼女「○×△×●@×※◆×※△@@△◆×●×?」
私達「???」

「私、ホテルカードを失くしちゃって、どうやって帰ればいいのか分からないんだけど。フランス語分からないし。タクシー呼んでもらえるかしら?」という意味だったのだが、ここまで聞くのが一苦労。この彼女、どうやらアメリカの南部から来たらしく凄い訛りで私達にはさっぱり聞き取ることが出来なかったのだ。「メトロの駅ならすぐ側にあるわよ。」と言っても、「分からないし。分からないし。」とパニック状態で今にも泣き出さんばかり。「どこから来たの?」と聞くと「オデオン」とひと言。(ここまで聞くのも訛りが激しくて“Pardon?”の連続だった。)「あら、オデオンだったら私達と一緒じゃない。」と河村に日本語で言っているところに彼女の仲間の女性がやってきた。もう少し落ち着いている仲間の女性に、「オデオンだったらこの前のバス停からナンバー58のバスに乗れば大丈夫よ。」と伝え、二人をバス停に送り出した。そういえば、ここフランスでは本当に英語を解する人が少ないんだった。中年以降の人はほぼ全滅に近いし、若い人か、インテリの人以外で英語が分かる人は本当に少ない。話せない人に限ってみんな「学校教育が良くなかったのよ。」なんて言うのだ。キャフェでバゲットサイドを囓って昼食に。一度ホテルに荷物を置きに戻った後、再び次の場所へ。

 次の場所は、いつものレースを扱う年配のマダムのところ。ここにももちろんFAXでアポイントを入れて(彼女だけはメールでなくFAX! )、今日訪れることを伝えてある。果たしてここでも何が出てくるのか、それとも出てこないのか、ちょっぴり不安。いつものようにマダムと礼儀正しく挨拶を交わし、レースを見せて貰う。「ハイ、レースね。レース。」と調子の良いマダム、私達がニューストックにしか興味がないこと分かっていて、いつものように引き出しから次から次へと薄紙に包まれた新しいストックのレースを出してくれる。「これは?」「これは?」と次々出してくれるのだが、気に入る物が見当たらない。「ごめんなさい。同じようなのを持っているの。」と呟く。そして最後に出てきたのは(マダムも元々私達の好みをよく分かっていて、トランプハートのエースのように最後に出してくるのだ。)、私達がいつも探しているレース。チラリと見えただけで、それが何の種類のレースであるか分かり、「あ、これこれ。」と思わず手に取って広げてみる。言葉には出さないが「あった!」と河村と共に安堵の溜息。買付けられる物があって、しかもそれが探していたレースで本当に良かった。マダムには良くお礼を言って、今回はそのレースだけをいただく。

 夕方まで歩き回った今日の戦利品は…フランスらしいブロンズ製のフレーム、フラワーバスケットにお花のガーランド付き!そして、可愛いトレードカードのセット。いつも立ち寄るディーラーが、わざわざ私達のために新しく仕入れておいてくれた物だ。ちゃんと私達のことを覚えていて、待っていてくれたかと思うと本当にありがたい。そして、小さな小さなベビーのためのファーストシューズ。それはアイリッシュクロシェで丁寧に編まれた小さな靴。小さなピンクの薔薇が一輪ずつ縫いつけられているのは女の子の物だったからなのだろうか?

 買付けを終えると今日はさっさと帰宅。買付け最後の晩、今回珍しくホテルが一緒だった東京のアンティークディーラーR氏とY嬢のカップルとお食事の約束がしてあったのだ。美味しい物好きの彼らにも満足してもらえるレストランということで、考えた末に歩いて行くことの出来るLa Petite Cour へ。沢山の有名なレストランがひしめくこのサンジェルマン・デ・プレ界隈だが、実際にはいつも混んでいて予約を取るのがとても難しかったり、世評ほど美味しくなかったり、またまた美味しくともベラボーなお値段だったりと様々。そんな中でもここは今までも何人かの知人と食事を共にしたおすすめのレストラン。今回は久し振りの再訪だったのだが、以前と変わらないラヴリーな内装でふたりも気に入ってくれた様子、何よりも一緒に美味しく楽しい時間が過ごせたことが一番の収穫だった。買付けも終了し、ほっと気の抜けたひととき、素敵なレストランで食事をしながら、ふと「あぁ、大人になって本当に良かった。」と思ってしまった。明日はスケジュールの最終日。


■ 3月某日 雨
 今日は買付け最後の日。もう昨日仕事はすべて終了しているので(仕事の終了とは、「買付け費用をすべて使い果たした」ということ。)、今日はもう買付けに行くことは出来ない。だが、フライトは午後8時過ぎのため、今日一日は何とかパリで過ごさなければならない。しかもお天気はなぜか嵐のような大雨。果たして今日はどこに行こうか?

 考えた挙げ句、大雨の中遠くまで移動するのは大変と、オデオンから近くの教会巡りでシメることに。以前連れて行ったことがあるはずなのに、「サント・シャペルに行ったことがない!行きたい!」と訴える河村の意見で、マリー・アントワネットが捕らえられていたコンシェルジェリーと同じ敷地内にあるサント・シャペルへ。吹き飛ばされそうな大雨の中、サント・シャペルのあるシテ島へと歩く。いつもバスの車窓から眺めるコンシェルジェリー、傘を差しながら吹き飛ばされそうになりながら歩くと結構時間がかかる。気温は肌寒く、ずぶ濡れになりながら、とぼとぼ歩く。

 サント・シャペルは、13世紀半ば建造されたゴシック建築、ゴシック建築としてもその頂点を極めた建築であるばかりではなく、そのステンドグラスはシャルトルの大聖堂などと並びその素晴らしさは他の追随を許さない。私は今までにも何度も訪れていて、以前もよくひとりでふらりと来ていたので、てっきり河村も連れて来たことがあったと思っていたのに、彼は初めてとのこと。サント・シャペルは1階が召使い用の礼拝堂で、狭くて暗い螺旋階段を登り、上の王様用の礼拝堂に出ると、暗かった螺旋階段が嘘だったようにそこはまばゆい光と色に満ちあふれたいちめんのステンドグラスの空間になっている。何度も来ていて分かっているはずなのに、いつ来てもその瞬間は感動してしまう。思わず「あぁ、なんて美しい。」と呟いてしまうのだ。様々な国籍、肌の色の老若男女が礼拝堂の中にずらりと並べられた椅子に座って呆然と感動の面持ちでステンドグラスを見上げている様子に、「誰でも美しい物は美しいのね。」と微笑んでしまう。でも本当に美しい。

思わず声を飲み込んでしまう、まばゆいばかりの色彩と光の壁。13世紀、いったいどれほどの時間をかけてこのステンドグラスは作られたのだろうか。



聖書が絵で綴られたステンドグラス。たどっていくとひとつひとつの聖書のお話が解読できるはず。


外から見たサント・シャペル、「ゴシックの傑作」と評される建築なのに、コンシェルジェリーの建物に囲まれてその全貌が眺められないのは残念。

 聖堂の外に出て外観を撮影。本当に残念なことに、サント・シャペルはコンシェルジェリーに取り囲まれるようにして建っているために、全貌をつかむのがなかなか難しいのだ。敷地の外に出て、サン・ミッシェル大通りを向こう側に渡ってみて初めて全体の姿が分かるのだ。サント・シャペルを出た後は、またまた雨の中を歩いて今度は「我らが貴婦人」ことノートル・ダム大聖堂へ。パリのセーヌ河岸は世界遺産にも指定されているだけあって、この界隈は見所が沢山ある。サント・シャペル、コンシェルジェリーに並んでここももちろん世界遺産だ。

 「なんて美しい建築なのかしら。」と、いつもバスから眺めるたびに思うノートル・ダムも典型的なゴシック建築、左右シンメトリーで非常に完成された形だ。普段、よく見慣れているノートル・ダムだが、なかなか内部まで入る機会はなく、私が足を踏み入れるのは十数年振りかもしれない。今日は教会巡り、内部もゆっくり鑑賞出来る良い機会だ。教会の中はどこもそうだが、ひんやりとした空気、シンと静かで心落ち着く独特の雰囲気がある。ここノートル・ダムは世界でも有数の観光客の多い教会だが、それでも内部は静か、ここでもまた美しい薔薇窓を見上げながら心は満たされていった。

 ノートル・ダムを堪能した後、雨の外へ出てみると、大聖堂の軒先に据えられた数々のガーゴイルの口からは雨水がダボダボ。元々ガーゴイルは雨樋の先についているもので、「うがい」を意味する言葉から派生した名前でもある。雨だったお陰で、本来のガーゴイルの姿を見ることが出来、笑ってしまった。こんな近所の教会巡りからも、美しいものを沢山得ることが出来、買付けの最後を飾るにふさわしい一日だった。

シャルトルの大聖堂の薔薇窓も有名ですが、ここノートル・ダムの薔薇窓だって負けてはいません。このサント・シャペルからノートル・ダムのステンドグラスルート、侮れません。


ノートル・ダムは後ろ姿の美しさにも定評あり!沢山のフライングバットレス(壁の外側からつっかい棒のようにささえる梁・飛梁)に支えられた姿も造形的です。

 

***今回も長々「買付け日記」にお付き合いいただき、ありがとうございました。***