〜イギリス編〜

■ 4月某日 曇り
 いよいよ買付けのはじまり、はじまり。直前までプランタン銀座のアンティークフェアに参加していたため、その後正味一日半を自宅のある名古屋で過し、前日の夜半、急遽荷物を詰めて買付けへ。私達の搭乗する飛行機は午前9時50分発、毎度のことではあるものの、午前7時50分チェックイン、自宅を出るのは午前6時半だ。私も河村も夜更けにようやく準備をすませ、翌当日は河村と共に「もう寝るだけ」と飛行機に乗ったのだが…この飛行機がもうタイヘンだったのだ!

 ロンドン便に乗り込み、しばらくしたところ…なにやらすぐ後ろのシートで、大声でわめく男の声。4〜5歳と思われる息子もそれに劣らない大声でわめいている。日本とは違うイギリスでは、その人物の話し方や発音を聞いただけで、その属する階級が分かってしまうところがある。ロンドンでコックニーと呼ばれる訛り(いわゆる下町言葉、語頭のhを発音しない、「エイ」を「アイ」と発音する、独特のスラングなどの特徴で知られている。 )で話す人物は、良くも悪くも「そういうクラスの人」と理解される。よく耳をそばだてて聞いていると、その男性もけっして上品な部類ではない様子。
 よくよく後ろを盗み見ながら観察すると、40代半ば位の男性とその子供、そして年若い彼の妻という三人連れのファミリー。あまりの彼らの騒々しさに、私の周りの乗客達は皆、客室乗務員を呼びつけては彼らに注意するよう盛んに文句を言っている。「飛行機の中でゆっくり寝て…。」と思っていた私達は、すっかり思惑が外れ一気に不機嫌に。河村は「彼らの話し方は、ロンドンのホームレスと一緒!」とバッサリ切り捨てる。周りの乗客達の様子をうかがうと、このファミリーに一様に白い眼を向けているのが分かる。客室乗務員の女性達も、もうはばかることなくこのファミリーに向けて口に人差し指を当て「シーッ!」と威嚇している。
 あまりの彼らの騒々しさに「もう限界!」と思われたところ、乗務員のチーフの男性がそれぞれのシートへ謝罪に回り始めた。彼の言うことによれば私達の後ろの「お騒がせファミリー」は、機内のビールを数本と、なんと免税店で購入したリキュール二瓶(現在、テロの影響から免税店で購入した酒類や化粧品などの液体はしっかり密封するビニール袋に入れられ、目的地に到着するまで開けてはいけないことになっている。)をすべて飲み干してしまい、酔っぱらっているらしい。「もう彼らにはアルコールはサービスしません!」と断言し、「うるさくて大変申し訳ない。」とのこと。それにしてもリキュール二瓶とはまぁ!
 そして、今度はしばらくすると大イビキが聞えてきた。またまた後ろを盗み見ると、今度は眼が点に!!なんと、今度は家族三人、「フルフラットシート」ならぬ「フルフラットフロアー」こと、シートの狭い足下の床に転がって寝ていたのだ。今まで数限りなく飛行機に乗ってきた私だったが、フロアーに転がって寝る人を見たのは初めて!何かとお騒がせな「アル中ファミリー」だった。(※後日談 河村の話では、この「アル中ファミリー」のとんでもない両親は4〜5歳の自分の子供に缶ビールを飲ませていたらしい。まったく!)

 そんな「アル中ファミリー」に悩まされつつ12時間のフライトを終え、ようやくロンドンに到着。ヒースロー空港からロンドンのフラットに向かいタクシーの中から見える風景は、二ヶ月前に来た時とは打って変わり、桜や桜にそっくりな白いアーモンドの花、ライラックで百花繚乱。いきなり一気に春がやって来たような風景だった。

ロンドンは八重桜が真っ盛り。見慣れたロンドンの風景も、八重桜のぽってりピンクの花に彩られて一気に華やかに。


ロンドンの八重桜も日本の八重桜と同じなんですね。なんだか不思議な気持ちがします。どういう経緯があって植えられたのでしょうね。


毎年、この時期といえばロンドンの住宅街を歩くと必ず眼にするライラックの花。薄紫色のライラックがポピュラーだけど、白のお花も清々しくて素敵。

■ 4月某日 曇りのち晴れ
 買付け第一日目、飛行機では一睡も出来なかったため、ゆうべは午後9時にはベッドに倒れ込み、今朝は時差ボケのため午前5時には起きてしまった。が、飛行機の中でまったく動かなかったのがいけなかったのか、ゆうべ着替えの最中に腰をギックリとやってしまったのだ。特に何か重いものを持った訳ではなく、不自然な体勢をしたのが悪かったらしい。そして、そのまま朝を迎えてみると、更に腰が固まっている感じで起き上がる事も出来ない。河村の手を借りながらなんとか起きあがり、シャワーで腰を温めるとようやく身体が動くようになった。だが、ギックリ腰なんて言ってはいられない。今日も朝から仕事が入っているのだ。

 痛む腰にカイロを貼り付け、朝から買付けに出掛ける。あまり期待せず、市内のマーケットへ。昨今のロンドンの開発でどんどん規模の縮小されているマーケット。でも、ロンドンにいるからには、やはり見ておかないと気が済まない。ラッシュアワーで満員の地下鉄に乗って出掛けてみつけたものは…小指の先程のサイズ、愛らしいシルバーで出来たバスケットのチャーム。ちゃんとふたの開閉も出来るスグレモノだ。「お人形の小物としても可愛いかも!」そして次に出てきたものは、ごく繊細なマザーオブパールの糸巻き。透かし彫りになった美しい質感のもの。「どうしてこんなところに?」という感じで思わぬところに発見。ひょっとしたらパレ・ロワイヤル製かもしれない。一度本で調べてみなければ。まったく、こんなことがあるから、取りあえずどこへでも行ってみないと気が済まないのだ。でも、今朝の収穫はこの二つだけ。この後にもまだまだ予定が詰まっている。

 次はジュエリーの修理業者の元へ。日本でも懇意にしているジュエリーの修理業者がいるのだけれど、どうしても日本では直らないもの、日本では修理を受付けて貰えないような難しいものは、アンティークジュエリーの修理を専門としているロンドンの業者に持ち込むことにしている。修理業者の彼は、ロンドンのジュエリースクールで教師をする程の卓越した技術の持ち主。「これは無理かも。」と思うようなものでも、何食わぬ顔で「ハイ、出来たよ。」とポーカーフェイスで差し出してくる。今回頼んだものも「かなり難しいのでは?果して出来るのかしら?」と思えるリング修理だったのだが、彼はいつものポーカーフェイスで「大丈夫。じゃ、来週取りに来て。」と一言。日本から来ている私のために、通常よりもずっと短期間で直してくれる対応もありがたい。

 そして次に向かった先は、いつもお世話になっているソーイングものを扱うディーラーの所。度々日本からも連絡を取り合っている彼女。「何か大物があるか?」と期待して訪れたのだが、今回探していたアイボリーのセットには納得のいく状態のものは無く、その代わり優美なマザーオブパールのスティレットとアイボリーの糸巻きを入手。

 最後に足を運んだのは、ダウンタウンにあるアンティークモール。周辺はアラブ系、インド系、黒人、移民の白人、いわゆるイギリスのアウトロー的な人々が済む地域として知られていて、一見「本当にここはイギリスかしら?」と思ってしまうような、そんな場所だ。街灯に似せた形にカモフラージュされた街中の監視カメラの数も半端ではない。観光でロンドンに来た日本人は、まかり間違っても足を踏み入れることはないと思うのだが、長年足を運んでいる私は、いつものことと特に何も考えずさっさと道を進む。ここも、ほとんど仕入れるものがないと分かっていても、やはりそれでもつい来てしまう、そんな場所だ。今では、寂れきってしまったモールだが、その昔10年以上前は日本人アンティークディーラーだったら誰でも訪れる場所だった。そんな華やかなりし頃の昔を思い出すと今の寂れ方が心に痛い。今日も何も買付けるものが無く、「もうここに来るのはこれを最後にしよう。」と心に決めて帰りのバスに乗った。

フラットの近所でみつけた真紅の薔薇。日本より一足先にロンドンでは薔薇の姿も。蔦のグリーンに映えて真っ赤な花びらが美しい。


こちらも住宅のレンガの壁に這わせた蔓薔薇。大きめのピンクの薔薇、沢山ついた蕾も可愛い。

■ 4月某日 晴れ
 昨晩は時差ボケもあり、昨日も帰って夕食を食べると共にバタンキューとばかりに寝てしまったのだが、今日も朝6時から買付けのため、5時起きで支度を始める。今日も痛む腰にカイロを張ってなんとかフラットを後にする。4月とはいえ、朝晩は冷えるため、しっかりコートを着込み、首にはショールを巻いて出掛ける。流石に今の季節は、午前6時前でも夜が明けているので(冬だとまだこの時間は真っ暗。)、懐中電灯は無し。まだ地下鉄は動いていないため、フラットの側でタクシーを拾う。

 今日は次々といくつものディーラーを回ることになっている。まず、みつけたのが、フランス製のハートのペンダント。フランスらしく18K、フラワーバスケット柄がとてもチャーミングだ。どうしてもアンティークを見るときは前屈みにならなければならない。前屈みの姿勢でじっくりアンティークを眺めては、またしばらく腰を伸ばし、その繰り返しをながら進んでいく。実は、買付けの際のぎっくり腰はこれが初めてではない。痛むことは痛むのだが、軽かったせいもあるのだろう、「仕方ないなぁ。」という感じ。
 買付けは私達にとって勝負の時!「腰が痛いから今日は休み。」なんて言っていられないし、痛み以上に「何がみつかるか?」というこのわくわく感が大好きなのだ。

 「ねぇ、ねぇ!」向こう河村が呼んでいる。何かと思って近づくと、馴染みのシルバーディーラーが、私達がいつも探していたことを覚えていて、取り出してきたスコップ型のティーキャディスプーン。このタイプのキャディスプーンを手にするのは久し振り、マザーオブパールのハンドルも美しいし、何より巡り会うことが出来て嬉しい。
 そして、マザーオブパール続きで出てきたのが、やはりお馴染みのソーイングものを扱うディーラーから出てきたマザーオブパール製のブック型ニードルホルダー。ヴィクトリアンらしいアイテムだ。

 次に向かったのは、顔馴染みの女性ディーラー。イギリスのディーラーなのに、「フランスものが大好き!」と明言している彼女。イギリスでフランスのものをみつけるのは大変だろうに、いつも何かしら魅力的なものを持っている。今日、目についたものは大判のレース、ボンネットレース。なんとこれもチャーミングなフラワーバスケットの柄。「フランスのものよ。」と微笑む彼女。ここしばらくボンネットレースを扱う機会が無く、しばらく前から探していたのだ。元々良好な状態なのだが、持って帰って一度きれいに洗うのが楽しみ。
 次にgetしたのは、パンジーを模した愛らしいパンジーリング。一見リガードリングに似ているが、アメジスト、ごく淡い色合いのエメラルド、ガーネット、石の色がパンジーの花そのものになっている。パンジーの語源はフランス語の"pensee"、「考える。思う。」の意味。「あなたのことをいつも思っています。」という気持ちのこもったリングなのだ。ターコイズとシードパール、そしてガーネットで出来たパンジーリングは今までもよく目にしていたものの、さほど魅力を感じることがなかったのだ。今回巡り会ったパンジーリングは、ヴィクトリアンの華奢な貴婦人を思わせるとても可憐な雰囲気。私達にとっては非常に高価な仕入れだが、河村と顔を見合わせ無言で「やってみるか!」と気合いを入れて頷き合う。

 今までも何度か扱ってきた6人セットの小さなビスクドールのお人形、可愛いアイテムなので、見ればすぐ欲しくなってしまう。今日は6人セットと一緒にうさぎの着ぐるみの衣装を着けた男の子と女の子のペアが出てきた。どちらも可愛い。一緒にお持ち帰りすることに。さぁ、今日の買付けはまだまだ続く。
 お馴染みレースディーラーのジュリアは、レースとコスチュームのスペシャリスト。数々の時代衣装が美しく飾られた彼女の豪華なショップディスプレイも、私の買付けの楽しみのひとつ。バース出身の彼女の世界は、どこかジェーン・オースティンを思わせるようだ。時間があればその世界にうっとり浸りたいところだが、まだ今日は次々に仕入れが待っている。綺麗にディスプレイされた中に、とても興味深い子供用のドレスを発見。子供用というより少女用といった方が良いかもしれない。しなやかなアイボリーの生成シルク、「赤毛のアン」を思わせるふくらんだ袖のドレスだ。

 イギリスには多くのレースディーラーがいるが、やはり自分と好みの合うディーラーとそうでないディーラーがいて、毎回顔を合わせはするものの、まったく付き合いのないディーラーもいる。既に、「いつもイギリスに来る日本人ディーラーね。」と面が割れているので、一応“Hallo!”と挨拶はするのだが、彼女たちの持っているものを隈無く見渡しても、やはり何も欲しいものが何も無く、いつも“Thank you.”とか、何か見せて貰った後には“Sorry.”とさっさと立ち去ることが多い。そんな普段はご縁の無いディーラーの彼女、今日はそのケースの中に隠れるように私達がいつも探しているポワンドガーズらしきハンカチが!いつもだったらあり得ないシチュエーションに、「え〜、何でこんなところにあるの?」と思いながら、早速ケースから出して見せて貰う。広げてみると…花びらがポケットになった美しいポワンドローズのハンカチだ。よくよくチェックするが、特に問題になる箇所もない。言葉には出さないものの「今日はありがたくいただきます!」という感じで入手した。いつもは、かなり苦労して探すアイテムだけに嬉しい。

 いったいどれほど沢山のアンティークを見たことだろう、朝フラットを出掛けてから歩き続けて7時間、集中力も空腹も限界になってきた。そろそろ今日も終わりが近い。いつの間にか太陽が上がり、気温は汗ばむよう、周囲を歩く人は皆Tシャツなどの軽装で、沢山着込んでいるのは私達だけ。朝着てきたコートが少し恨めしい。ようよう買付けを切り上げて、ぐったり歩き疲れた身体をタクシーに乗せてフラットへ戻った。
 フラットへ戻り食事を済ませると午後2時。私も河村も「もう駄目だ〜。」とばかりにお昼寝。30分ほど寝るつもりが、二人とも死んだように眠っていたらしく、むっくり起きてみたらなんと午後8時、外は薄暗くなっていた。再び今度は夕食を食べ、また午後10時には睡魔に勝てず就寝。よくよく数えてみたら合わせて十数時間も寝た計算に我ながらびっくり。そう、アンティークディーラーの仕事とは「体力あるのみ!」なのだ。

フラットのご近所で発見した可愛いバルーンのデコレーション。お誕生日のパーティーではなく、“Baby Shower(ベビーシャワー)”と呼ばれる出産前の女性を囲むお祝いのパーティーのこと。張り紙には“Charlotte's Baby Shower”と書かれており、可愛いピンクのリボンの付いたベビーシューズの形に切った紙が貼り付けてあります。“Baby Shower”は昔々からある習慣、このようなベビーピローも同様に“Baby Shower”の贈り物にされたものです。

■ 4月某日 晴れ
 今日はフェアのハシゴ。まずはアンティークフェア、その後ドールフェアへ。朝フラットを出て地下鉄に乗ろうと歩いていると、前から中年のイギリス女性に散歩させられた見慣れた犬種の犬。どうみても和顔、柴犬と思われる犬だ。パリでもごくたまに柴犬を見ることがあるのだが、元々ヨーロッパの在来種には無い珍しい和み系の顔と体型にこちらでも話題沸騰(?)、人気の的だ。この日も、「アラ、柴犬じゃない?可愛い!」と河村とふたりジロジロ見ていると、私達の視線に気付いたこの女性、いきなり私達に向かって"Chiba-ken!"と叫ぶではないか。思わず耳を疑う私達。「え?今、チバケ〜ンって言わなかった?」
 きっとイギリス人には、日本語の「シ」の発音がしにくいのだろう。ロンドンで出会った柴犬、日本で見る以上にチャーミングに見えるのは、日本のアイデンティティを感じるせいだろうか?

 実はこの日はロンドンマラソン。ロンドンの南、テムズの向こうが出発地点で、バッキンガム宮殿の側ザ・マルが最終地点のため、道路のあちこちが寸断され、バスは動かず、地下鉄はラッシュ並みに混むらしい。「どうなることやら。」と出掛けてみたのだが、まだスタート時間前で特に問題なく到着する。
 フェアの30分も前に着いてしまったのだが、会場前にはもうロンドン中のアンティークディーラー達が集結し、会場の建物前に長蛇の列を作っている。その列に並び、顔馴染みのロンドンのディーラー達とおしゃべりをしているうちに、開場の時間となった。

 今日のお目当ては、いつもこのフェアのためにわざわざベルギーからやって来るジューイッシュ(ユダヤ人)のディーラー夫妻。イギリスのディーラーとはまた違った「いかにもヨーロピアン」といった雰囲気のジュエリーばかり、毎回凄まじい数の在庫持ってやって来るのだ。そんなかなりの数のジュエリーをアイテム別に順々に見せて貰うのが毎回の決まり。出す方も大変だろうが、見る方も本当に大変だ。だが、彼らは辛抱強く、私達のリクエストを聞いて、次から次へと在庫を広げていく。その緻密な管理たるや、ジューイッシュの神髄を見せられたよう。出して貰ったジュエリーをルーペを覗きながらに選別していく。私達の身近なジューイッシュは彼らだけだが、フレンドリーなイギリス人でもなく、お気楽なフランス人でもなく、彼らの真摯な生真面目さから、「これだからジューイッシュは何千年もの長い間、自分達の国が無くとも生き続けることが出来たのだろうか。」と思いを馳せてしまう。今日は、薔薇が魅力的なフランス製のバーブローチと可愛いピアスいくつかを入手。

 この他に、今日はシルバー製はさみget。常に探しているソーイング用のシルバーのはさみなのだが、満足のいく状態、細工のものに出会うのは至難の業。「あ、あった!」と思って、よくよく見せて貰うと、サイズはだいたい同じでも先端がそったマニキュア用のものだったり、細工がプレーン過ぎるものだったり、刃の先端が合っていないものだったり。今日出てきたのは、薔薇のお花が連なったハンドルの見慣れないタイプ。お客様によくリクエストされるアイテムだけに、取りあえずひとつでも入手することが出来、ほっと一息。

 次に向かった先は、アンティークのお人形を中心としたドールフェア。会場はイギリス中からお人形を扱うディーラーが集まり、アンティークフェアとはまた違った熱気。普段はあまり見ることの出来ないジュモーなど高価なビスクドールが並び、見るだけでも楽しいフェアでもある。カツラやガラスの眼など、様々なお人形の材料も置かれていて、お人形を作る人にとってもきっと興味深いフェアだと思う。今日連れ帰ったのは、お人形ではなくシュタイフのごく小さなバニー。お人形と一緒に並べると可愛い。

 今日は昨日ほど疲れ果てることなく早めに帰宅。なぜかというと、今晩は河村とふたりでアクアパッツァを作ることに決めていたのだ。私達のフラットからも程近いスーパーWaite Roseは豊富な品揃えで知られているが、昨日会ったディーラーから「Waite Roseのミックスシーフードは美味しいわよ。」と聞いたため。「それでもって、いつも自宅で作っているアクアパッツァを作ってみよう!」ということになったのだ。シーフードをトマト缶で煮ただけの簡単なアクアパッツァ、イギリスで売られているトマト缶にはオリーブ入りのものがあって、私達のお気に入り。「日本にも売っていればいいのに。」と常々思っている。買付けの帰りはスーパーでミックスシーフードとタラの切り身を買い、今晩は「アクアパッツァの夕べ」。

私達がいつも滞在するフラットは、ヴィクトリアンの建物が連なった一角。こんな風に藤は植わっていないけれど、これとまったく同じ間取りの建物。この季節、藤の甘い匂いが香しい。

■ 4月某日 晴れ
 今日は比較的ゆったりなスケジュール、ロンドン市内の宝石の問屋街でジュエリーのパーツを買付け、アポイントを入れてあったレースディーラーのところに出向き、最後に先日修理に出したリングを引き取って来るという寸法だ。ロンドンに来て以来、雨が降ることもなく、お天気が良いのは嬉しいが日本に比べると少し肌寒い。ジャケットとショールは必須、昼間は暑くなっても朝晩は冷えるので注意が必要だ。
 そして、毎度の買付けの折、何よりもの悩みが乾燥した空気と石灰を多く含んだ硬水の水で、肌と髪がボロボロ、バサバサになること。日本にいるときには特に何も手入れしていないのだが、こちらへ来ると必ず乾燥から顔はカサカサになり皮が剥け始め、仕方なくクリームのお世話に。髪も硬水と乾燥のせいで常にボサボサの状態だ。やはり温暖な気候、湿潤な日本の空気に慣れた私達の身体にとってヨーロッパの季候は過酷な気がする。

 さて、まずは宝石の問屋街へ。日本に置き換えると東京の御徒町といった感じだろうか。一般の人達がお買い物に来るところとは違い、ずらりと現代物、出来合いのジュエリーが並んだ店舗の他に、石だけを扱う店、ジュエリーのメーキングの道具ばかりを扱う店、そして私達が訪れるパーツなどのジュエリーの材料を扱う店など、様々なジュエリーに関する店舗が並んでいる。そして、それを仕切るのがロンドンのユダヤ人達だ。今日はシードパールや9Kのヒキ輪など日本では販売されていないパーツを調達。

 さぁ、次は懸案のレースディーラーの元へ。いつも珍しいレースから小さなレースパーツまで様々なアイテムに囲まれている彼女。あまりにも沢山のレースを前にして「どうしよう?どうしよう?どれにしよう?」と一瞬平常心ではいられなくなるのだが、そこをぐっとこらえ冷静に。「あなたはこちらから、私はそちらから。」という感じで河村と手分けをして探していく。それぞれ気になったものを候補として出しておき、またまたその中から選ぶのだ。今回選んだのは、17世紀のレースの広幅ボーダー。19世紀のポワンドガーズやアランソン等の華麗なレースももちろん美しいのだが、17世紀古い時代のレースにはまた違った味わいがある。

 最後に向かった先は、例のジュエリーの修理業者の所。明日イギリスを離れる私達は、今日受け取ることが出来ないと、また次回になってしまうため、少しドキドキしながらやって来たのだ。そんな私達を他所に、修理業者の彼はいたってポーカーフェイス。「あ、出来てるよ。」とさりげなくウィンク、リングを出してきた。果して出来上がりは、びっくりするほど完璧!実は、今回のリング修理は非常に難しい部類で、お客様からこのリングを預かったときには、心の中で「本当に直せるのかしら?」と思ったのだが、そんなことを忘れてしまうような完璧な仕上がり。ルーペでチェックしても何ら問題がない。私達が満足げな様子を見て、彼も少しだけ笑った。

 明日はイギリスでの買付けの最終日。午前5時の電車で郊外のフェアへ行き、昼には再びロンドンへ戻り、午後2時近くのユーロスターでパリへと旅立つのだ。フラットへ戻ると、それぞれ自分達の荷物をスーツケースに詰め、フラットのラゲッジルームに置いていく食料や調味料などを整理し、明日に備える。明日は午前4時起きだ。
 テレビのニュースをつけっぱなしにしながら、バタバタ荷物を詰めていると、いきなりサッカーの中村俊介選手が珍しくタキシード姿で何かを貰っている。どうも何か表彰されているらしい。「あれ、今の中村じゃないの?嗚呼、同胞よ〜!」とテレビに集中するが、あっという間に次の話題へ。(後から知ったのだが、彼はスコットランドリーグのMVPに選ばれたらしい。)日本のテレビと違って、連日イラクでの市街戦が報道されているイギリスのテレビでは唯一ほっとするニュースだった。

ロンドンのお洒落なステイショナリーのショップでみつけた紙製のボックス。よくよく見てみると日本の美しい和紙が張られていている。日本では有り得ない感覚だけど、ロンドンらしく洗練されていて素敵。

■ 4月某日 雨のち晴れ
 目覚ましで起きたのは午前4時。まだ外は真っ暗だ。眠さを堪えて身支度をし、荷物を詰めたスーツケーはルームキイと一緒に部屋へ置いて出る。フラットのレセプションが開く時間は午前8時のため、チェックアウトをする代わりに荷物とルームキイを部屋へ置いて出ることが決められている。キイを入れたまま部屋のドアを閉め、玄関ドアから外に出てみると…「あちゃ〜。」私達の予期しなかったことに外は小雨が降っていた。傘は二人ともスーツケースに入れたまま、もう部屋に戻ることは出来ない。仕方なく、駅へ向かうタクシーを拾うため冷たい小雨の中ロンドンの街を歩き出した。

 郊外のフェアへ行く列車は午前5時2分発。流石に駅の構内には人影が無くがらんとしている。「アンティークを仕入れにはるばる日本から来て、こんな朝5時に電車に乗るなんて、なんて酔狂なこと!」と河村とふたりブツブツ呟きながらホームをチェックし、列車に乗り込む。この電車も、昨今のイギリスの好景気を感じさせるまだ新しく導入されたばかりの列車だ。2012年のオリンピックがロンドンに決まってからというもの、古めかしかった国鉄の車両(以前は本当にアンティークかと思うほど古い列車が実際に走っていたのだ。)は次々新しくなり、テムズ川界隈の開発は進み、イギリスへどんどん資本が集まっている気がする。

郊外へ向かう電車、ホームには人影もなく…ホームの時計の指している時刻は午前4時59分。まだ外は真っ暗。

 1時間ほど列車に揺られ、現地へやって来た。田舎の小さな駅で降りるのは皆イギリス人のアンティークディーラー、大きなバッグを抱えているのですぐ分かる。まだ小雨は止まないが、日本のような激しい降り方でないのがまだありがたい。フェア会場へ着くとまだ開場の30分前だった。 
 開場時間に合わせて一斉にゲートが開くと、皆それぞれお目当ての建物まで一目散に走り出す。私達も早足で目を光らせながらいつもどおり回っていく。馴染みのディーラーのケースを素早く覗き込み、気になるものがあれば遠慮無く見せて貰う。ジュエリーならルーペで再三チェックし、はさみなら試し切りさせて貰い、表を見た後はひっくり返してまた裏を見て、そして更に表を見て…念には念を入れて状態をチェックする。

 次々と様々なものを仕入れた中でも今日の出物は、"bois"と呼ばれる素材、フランス製のエンジェルのデコレーションが可愛いフォトフレーム。たまたま持っていたのはフランス人のディーラー、よくよく話してみると、わざわざこのフェアのためにフランスから来ているらしい。「え?私達、今日の午後フランスへ行くのよ。」と話し、「フランスのどこから来たの?」と聞くと"Bretagne!"との答え。日本語だと「ブルターニュ」と表記されるこの地名だが、実際に聞くその"Bretagne"の発音は、抑揚があり「ブリュタンヌ」に近い感じ。「どうやって来たの?」と聞くと、ドーバーをフェリーで渡ってきたとのこと。「ブルターニュからユーロスターだと遠すぎるからね。」と彼。フランスの大西洋側にはまだ行ったことがない。ブルターニュにも一度行ってみたいものだ。

 「坂崎さ〜ん!おはようございます。」その声は、プランタン銀座にも出店しているロンドン在住のディーラーTさんだ。先週、「近所のマーケットでとてもフレッシュなマグロが買えるのよ。ご飯を作るからどうぞ遊びにいらして!」とこの日の夜、彼女のロンドン郊外のおうちへ招待されたのだけれど、今回はスケジュールの都合で残念ながら叶わず。「このフェアへ来ればきっとあなた方に会えると思って。」と代わりに私と河村に大きなおにぎりを作ってきてくれたのだ。嬉しい!日本から遠く離れたロンドンで同じ日本人に親切にされると感動してしまう。

 また帰りは再び行きと同じ電車に乗りロンドンへ。フラットへ荷物を取りに戻り、その足ですぐにユーロスターの出るウォータールー駅へ向かわなければならない。重量のあるスーツケース3つを抱える私達は、タクシーでウォータールーへ。今日は時間にタイトなスケジュールだったのだが、何とかユーロスターの時間に間に合いタクシーの中でほっとする。これで今回のイギリス編はおしまい。買付け初日からぎっくり腰になるアクシデントにあった今回だが、毎日アンティークを探してひたすらロンドンの街を歩き回っているうちに、お陰様ですっかり痛みも失せてしまった。ありがたや〜。(※そんな訳でぎっくり腰は現在すっかり完治しております。ご心配のメールをお送りいただいた皆様、ありがとうございます。)

 ユーロスターの中で先程いただいたおにぎりをパクつく私と河村。中に佃煮の入ったずっしり重い美味しいおにぎり。「やっぱり日本人にはお米だよね〜。」と思わず声が出てしまう。今度日本で彼女に会ったらお礼を言わなければ。
 今日はパリに一泊し、明日はパリから電車でベルギーのブリュッセルへ行くことになっている。ベルギーまで足を伸ばすのは3年ぶりのこと。久し振りのベルギー、見たいものは沢山あるし、美味しいものも沢山あるし、今回は何をしよう!どこへ行こう!とても楽しみだ。

***次はベルギー編へ、買付け日記はまだまだ続きます。***