〜ベルギー編〜

■ 4月某日 晴れ
  今日は朝7時起床、おおかたの荷物はホテルに預けて、パリ北駅からベルギー行きの列車タリスでブリュッセルに向かうのだ。今回はブリュッセルから更にブリュージュへ行き二泊三日する予定。「あくまでも身軽に」が今回の旅のモットー、私も河村も着替えの荷物を大きなバッグに詰め込みメトロで北駅に向かった。ホテルから出るとパリはロンドンに比べて異様に暑いことに気付く。

 北駅からは、フランス・ベルギー・オランダ・ドイツの4ヶ国を結ぶフランス新幹線TGVのタリスに乗る。チケットの予約、支払いは既に日本にいるうちにフランス国鉄SNCFのインターネットサイトで済ませてあり、プリントアウトしたものをチケットに引き替えればOK。ユーロスターはもちろん、イギリス、フランス国鉄ともインターネットで事前にチケットを買った方が安くなることもあり、もっぱら最近はこちらを利用することが多い。北駅からブリュッセル南駅までは約1時間半、パリからちょっと出掛けるには手軽な外国だ。ヨーロッパの大きな駅では、列車が出発・到着する度に大きな時刻表がパタパタと音を立てて動く。その度にわくわくする思いに駆られ、旅情を誘う。

 あっという間の1時間半、ブリュッセル南駅に到着。そこからはまずトラムで王立美術歴史博物館へ。今回のベルギー行きの最大の目的、ここでレースのコレクションを見るためだ。この博物館は、大きな公園の中にあって、駅から歩いても歩いてもなかなかたどり着くことが出来ない。パリも暑かったが、こちらベルギーはパリよりも北にあるというのに、燦々とした日差しが焼け付くように暑い。
 大汗をかきながら荷物を入れたバッグを担いで歩く。ようやく博物館に到着、思ったよりはこじんまりした印象だが、エジプト、メソポタミア、ギリシア、ローマの古代文明のものからイスラム・インド・東南アジア文明など、ロンドンにあるヴィクトリア&アルバートミュージアムのように様々なセクションがある。取りあえず、受付のボランティアのおばあちゃんに「レースのコレクションが見たいのですが…。」と尋ねると…な、な、なんと「レースのコレクションは今クローズしてるのよ。」との返事。「え〜っ!?そんな〜。」きちんと調べてこなかった私達もいけなかったのだが、もう一つの目的地グラン・プラスの側にあるレースと衣装の美術館の方は開いているらしい。
 「いいや、また今度来よう!」と気を取り直し、「せっかく来たのだから。」と興味のあるコレクションを見て回った。木製の装飾品を集めたコーナー(教会のゴシック彫刻が主なコレクション)、ガラス素材のコレクション、ハート型のモチーフを集めたコレクションなど、収集の仕方、展示の仕方に特徴があってなかなか興味深い。特にガラスのコレクションは、美しいヴェネチアのレースグラスやごくごく繊細で豪華なグラヴィールのグラスなど質の高いアイテムが揃っていて秀逸。
 そして、ハート型のモチーフのコレクション"MUSEE DU COEUR(ハート美術館)"には、私も河村も大喜びだった。なぜって、私達が扱っているような日頃見慣れているアイテムで溢れていたから。たぶん聖遺物を入れるためのものだと思うのだが、燃えるハートの形の入れ物のコレクション、私達も扱っているハートのロケットなどハート型ジュエリーのコレクション、イギリスでよく眼にするハート型のピンクッション(出征する兵士が愛する女性にプレゼントしたもの。)の数々、ハートがモチーフになったイギリスやフランスのポストカード、数え上げればまだまだ沢山。小さな展示室はラヴリーなハートだらけ、新たなアイテムを見る度に河村に「ちょっとこれ見て〜!」と呼びかけてしまう。そして河村曰く「ここのコレクション大好き!」

 肝心のレースのコレクションを見ることが出来なかったが、「ひょっとして…。」とミュージアムショップに足を踏み入れると…あるではないか!私が長年探していたレース展のカタログが!それは20年前に京都で開催されたベルギーのレース展のカタログ。日本語で書かれた希少なレースの資料の中でも、私がずっと探していた一冊だ。それと一緒に他に何冊もレースの資料を買い込みご機嫌で次の目的地へ。

ベルギーへの列車タリスはパリ北駅から。駅はわくわくする場所だけど、治安はけっしてよくないのでご用心を。この日もジプシーの親子数人が出稼ぎにやって来ていました。


王立美術歴史博物館はこの門の向こう。独立50周年記念門(サンカントネール門)は1880年のベルギー独立50周年を記念して作られました。この近辺は「サンカントネール公園」と呼ばれ、王立美術歴史博物館自体も「サンカントネール博物館」とも呼ばれています。


"MUSEE DU COEUR"のコレクションのひとつ。他にも様々なハート型のアンティークに溢れたこの展示室はとってもラヴリー!楽しいこと請け合いです。


同じく王立美術歴史博物館に展示されていたこれ。なんだか思い出しませんか?そう、これの実物なんです!貴族を乗せていた18世紀の輿ですね。

 お昼は、ヴィクトル・オルタの設計によるアールヌーヴォー建築で、現在は漫画センターの建物を訪ねることになっている。実は、その中にあるビストロがお目当てなのだ。再び今度は炎天下の中、地下鉄の駅まで歩く。まったくどうしたことだろう? 4月のベルギーがこんなに暑いなんて誰が想像しただろうか。着替えの他に何冊もの本が加わった荷物はずっしりと重い。

 ブリュッセルにはこの漫画センターの他にも多くのアールヌーヴォー建築が残されている。前回来たときには現在はオルタ美術館の旧オルタ邸を見に行ったことを興味深く覚えている。オルタが手がけた住宅は他にもまだ3邸あるのだが、私邸のため公開されていない。漫画センターの中にあるビストロは、当時の雰囲気がよく残されているとのこと、とても楽しみ。今回のベルギーの旅のもう一つの目的がアールヌーヴォー建築の訪問なのだ。

 大きな地図を街角で広げ、迷いながらも漫画センターへ到着。足を踏み入れると、ガラス張りの天井から日の光が降り注ぎ、明るい空間が広がっている。鉄を多く使った内装もアール・ヌーヴォーの雰囲気でいっぱい。お目当てのビストロはちっとも観光地らしくなくて、近所のオフィスからビジネスマンがお昼を食べに来るカジュアルな雰囲気。私達もすぐに馴染んでしまった。のんびりベルギービールと一緒にお昼ご飯。ベルギーもいいなぁ。

 ゆっくりお昼を食べた後は古都ブリュージュへ。今回はブリュージュに二泊とも滞在する予定なのだ。ブリュッセル中央駅からはブリュージュまで約1時間40分ほど。ブリュッセルを離れるに従って列車から見える風景はどんどん田園風景へと変わっていく。ブリュージュはちょうど日本でいうと京都のような場所、とでも言ったらいいだろうか。15世紀、16世紀の建物がそのままに中世の雰囲気が色濃く残っている歴史地区は世界遺産にも登録されている。今回泊るのは15世紀の建物を生かした小さなホテル、感じの良いマダムが印象的な三年前にも泊った場所だ。

ベルギーといえばチョコレート!ノイハウスの店先の華やかなディスプレイは母の日のためのもの。「美味しそう!」と思いながらも、今回はチョコを買う気が失せるほどの暑さ。何よりもこんな暑かったら溶けてしまう…。


薔薇ばかりを扱ったフローリスト。ベルギーの花屋さんもなかなかお洒落。手前のピンクの瓶は薔薇のシロップでしょうか?


ベルギー漫画センターのビストロはおすすめ!センターの天井はステンドグラスとガラス張り、燦々と日光が降り注ぎ、とても明るく気持ちの良い空間でした。オルタは建築素材として鉄とガラスを積極的に使ったことでもよく知られています。

■ 4月某日 晴れ
 静かで小さな街ブリュージュ、旧市街へは車の規制があるのか、石畳の街を走る車はとても少ない。住んでいる人々には自転車が足代わりのようだ。そうそう、ベルギーが身近に感じる点は、ほとんどの人が英語に堪能なこと。元々フランス語とフラマン語(オランダ語)の両方が公用語になっていることもあり、複数の言語に抵抗のない国民なのかもしれない。駅や道の案内はすべてフランス語とフラマン語の二つの言語の表記があるほか、お店に入って"Bonjour!"とフランス語で挨拶し、簡単な会話はフランス語、込み入った話は英語、とこちらの都合で話す言葉を変えても、嫌な顔ひとつせず臨機応変にこちらの言葉に対応してくれる。スイスなどもそうだが、ヨーロッパの小国は昔から大国の狭間で複数の言語を話さないと生き延びることが出来ない、そんな事情もあったのかもしれない。

 ブリュージュの朝は、鶏のときをつくる鳴き声でのんびり目覚めた。私達のホテルは15世紀のカーヴがダイニングになっていて、なかなか趣がある。朝から朝食をたらふく食べた私達、地図とガイドブックを持って外へ飛び出した。まず最初の目的はここでレースのショップを回ること。ブリュージュには沢山のレースショップがあるが、売っている物の大半はお土産用の中国製品。でも、尋ねると奥からアンティークレースを出してくる所があったり、片隅にアンティークレースのコーナーがあったり、一応侮れないのだ。ただ、質の高いアンティークレースがオークションに出ると、そうしたレースショップが資料として入手しようと競り合うため、実際に落とされる金額は非常に高いようだ。以前に来たときにも、どこのアンティークレースも日本で売られているよりも高くて、ただただ目を丸くしたのを良く覚えている。そんな訳で今回もあまり期待はしていない。

 何軒かレースショップを回ってみたものの、金額と品質の折り合うものは皆無。仕入れはきっぱり諦め、運河で船遊び。ブリュージュはかつて水運を通じて北海ともつながっていたという。15世紀には貿易で栄えたものの、運河に堆積した土砂のため大型船の運航が可能になり、歴史の表舞台から姿を消してしまうのだ。でも、街の中を巡る運河は今も当時の名残をとどめていて、前回来た際も2月の寒さに震えながらボートに乗ったのだ。今日も、昨日からの真夏のような暑さで船遊びにはもってこい。オンシーズンのこの季節、船遊びには良いけれど、あまりの観光客の多さに少しびっくりする。確か二月に来たときは誰もいなくて本当に静かな街だったのだ。

 船遊びの次は、ちょっぴり観光。ノートルダムの高い尖塔につられて中へ進むと、奥には美しいステンドグラスが。今までもフランスの教会で数々のステンドグラスをみてきた私達だったが、ブリュージュのステンドグラスは色合いが独特、暖かみのある赤い色のグラスとグリーンのグラスが効果的に配されていて、まさに「フランドルのステンドグラス」という感じだった。 終日観光にいそしんだ後はマルクト広場の鐘楼を望むレストランのテラス席へ。今回唯一のディナーとなったこの食事。円安の激しい昨今、イギリスでは一度の外食もせず、ひたすらベルギー観光のために耐えていたのだ。一度ホテルに戻り、少しだけ夜の雰囲気に着替えをして、レストランへ。前菜にベルギーに来ると喜んで食べているエビのクロケット、主菜に魚介のワーテルゾーイ(魚介のクリーム煮、もしくはホワイトシューのような感じ。)に、今日はデザートまで。「いかにもベルギー料理観光用」という組み合わせだけど、これがなかなか美味しいのだ。美味しいけれど、日本人の私達にとってここまでしっかり食べるの大変。本当にこちらの食事は時間もかかるし、体調が十分でないと大変だ。

 暑いベルギーに来てからずっと私が飲んでいたベルギービールのbiere blanche、夏の買付けでは、フランスでも必ず飲んでいる私のお気に入りだ。私がまた頼もうとすると、いつも私の分を一口飲んで満足していた河村が「僕も!」と言う。(何を隠そう、河村は「一滴も飲めない」と言ってもよいほど、アルコールというものをほとんど受付けない下戸なのだ。)そして、食事が始まったのだが、少し飲んだだけで河村の顔色はどんどん赤黒く、目は血走り、目つきがすわってきた。焦ったのは私。「大丈夫?」と聞くと「ちょっと酔っぱらっちゃったみたい。頭がぐらぐらする。」と河村。(酔っぱらうと言ったってグラス半分も飲んでいないのだ。)食事は美味しいのに、河村の様子に気が気でない私。そうそうに食べ終わり、河村をホテルに連れ帰った。

切り妻屋根の典型的なブリュージュスタイルの家々、どこか懐かしさを感じさせる風景なのは16世紀や17世紀そのままの建物だからでしょうか。


「北のベニス」とも呼ばれているブリュージュ、運河のある美しい風景は中世以来時を刻むのを止めてしまったかのようです。


赤い窓枠が可愛い。ごく当たり前のなにげない街の風景にも心が和みます。


北に位置する街のためか、ノートルダムのステンドグラスは、いかにもフランドル風ともいえる暖かみのある赤とグリーンの色合いが特徴。またフランスのステンドグラスとは違った味わいです。


ノートルダムの中に降り注ぐ日の光を見ていると、天国から照らされる光はこんな感じだったのかと思われます。


ベルギーの中では一番の古さを誇るオテル・ド・ヴィル(市庁舎)の建物。燃え上がるようなフランボワイヤン様式のゴシック建築。


聖血礼拝堂の中のステンドグラスも印象的。人物像の服装からこのステンドグラスは16世紀?本当は聖堂内部も目の覚めるような極彩色の着色が施されています。


ブリュージュのシンボルともいえるマルクト広場の鐘楼も夜の方が断然ロマンティック。15分おきに美しいカリヨンの音色を響かせています。

■ 4月某日 晴れ
 ブリュージュに二泊した今日は、朝からブリュッセルに戻り、もう一つの大切な目的地、衣装のレースの美術館へ行くことになっている。「さようなら、ブリュージュ。楽しかった!」とちょっと寂しい気持ちで列車に乗り込む。

 ブリュッセル中央駅に着くと衣装とレースの美術館まではすぐ。グラン・プラスを横切り路地を曲がるとそこにある。こぢんまりしたミュージアムだが、18世紀からの衣装が並んだ華やかなミュージアムだ。私と河村がもっとも惹かれるのが18世紀のシルクの衣装。典型的なロココスタイルのローブ・ア・ラ・フランセーズの衣装はもちろん、その衣装を形作る美しい織り柄のシルクに魅了されるのだ。二人で「こんな生地があったらなぁ。」と話しながら進む。19世紀の衣装は、スタイルの変遷ごとに並べられていて、中にはロンドンのヴィクトリア&アルバートミュージアムのドレスギャラリーの収蔵とそっくりなものもある。まぁ、その時代にとても流行った形ということなのだろう。2階へ上がると、ドレスはもちろん、帽子、アクセサリー、それにハンカチまで19世紀のモーニングの装束一式が集められていて非常に興味深い。

 そして3階のレースのコーナーにたどり着くと、私も河村も眼がキラリと光った。ここは引き出し状になったレースのコレクションを引き出して見ていく仕組み。ベルギーレースだけでなく、年代別にレースの起源でもあるイタリアのレースからフランスのレースの数々、そして地方別にベルギーのレースが収納されている。わくわくしながら順々にコレクションを引き出して行く。展示室にいたのは私達だけ。「ホラこれ見て!」「これ凄い!」などとふたり興奮してレースを眺める。そして、何よりも印象に残ったのが、ポワンドガーズのレースファンの下絵。濃いブルーの紙に描かれたそれは、まるでレースそのもの!ひと口にレースと言っても、レースを作る職人だけでなく、こうした下絵を描く職人もいたんだなぁ、と再認識する。感動覚めやらず衣装のレースの美術館を出たその後の行き先は、そこから歩いていけるほど近い楽器博物館

 といっても特に私達に楽器に対する興味があるという訳でなく、ここも1898年にサントゥノワが設計して出来たアール・ヌーボー建築なのだ。MIMと呼ばれるここは、今でも洋服のブランドとして知られているOLD ENGLANDが当時デパート(ボン・マルシェなどと同じいわゆる「グラン・マガザン」)として使っていた建物。壁面の"OLD ENGLAND"の文字にその名残が残っている。長くうち捨てられ空き家になっていた状態だったのだが、近年大修復が施され楽器博物館として甦ったのだ。

 5階までの透かしガラスのエスカレータ、階段の手すり、そしていちめんガラス張りの建物正面とそれを支える鉄のフレーム、屋上の鉄の飾り、「ガラスと鉄」アール・ヌーヴォーの特徴が色濃く残る建築だ。この楽器博物館、古今東西の楽器1500点余りを収録展示している。入館の際に渡されるヘッドフォンをつけてそれぞれの楽器の前に立つと、その楽器を使った演奏が聴くことが出来る。美しい彩色画で飾られた非常に18世紀のピアノなどアンティークそのもの、何百年も昔の楽器が当時の音そのままに、音色を聞くことが出来るのも楽しい。

 お昼時は最上階にあるレストランへ。100年前もティールームとされていた場所で、当時も旧市街が見渡せて大変な人気だったとか。100年経った現在でも人々の考えることは同じ、ガラス張りの明るい屋上レストランは、近所のビジネスマンと観光客で大いに賑わっていた。

 今日は夕方までにパリに戻らなくてはならない。本当に束の間の休日。今回は博物館でレースのコレクションを見ることが出来なかったので、また近々是非来たいと思う。行こうと思えばパリから日帰りでだって来ることが出来るのだ。次回はゆっくりブリュッセルだけに滞在するのも良いかもしれない。

ブリュッセルといえばグラン・プラス。今回はチラリと横切っただけですが、世界遺産になっているこの広場もオン・シーズンは観光客でいっぱいでした。個人的には冬がおすすめです。


MIMと呼ばれる楽器博物館。当時は服地が選びやすいよう、ガラス張りにして明るくしたのだとか。屋上のレストランはテラスもあっておすすめ。100年以上前の建物が生き返って、現在でも使われている姿には少し感動です。


ブリュッセルにはパリとはまた違ったどこかのんびりした良さがあります。また来たいなぁ。


***買付け日記はまだまだパリ編へと続きます。***