■5月某日 晴れ
ようやくパリに到着。出発前日あまり寝ていないせいか、飛行機の中はほぼ眠りどうし。どうしてこんなに眠れるんだ?と思うほど。目が覚めてはまた眠り…目覚めて本を読み始めるが、また眠りこけ…。食事は勝手に出てくるわ、アルコールは飲み放題だは(実際には、同じアンティークディーラーのクロテッドクリームの片山嬢と一緒の飛行機に乗り合わせたとき、次々とグラスワインをオーダーしては話が弾む私たちに、業を煮やしたステュワーデスから「ワインはおひとり3杯までです!」と言い放たれたことがある。)、本はいくらでも読めるわで、飛行機は私の大好きな乗り物なのだ。
いつもはパリに着くとそのままRER(郊外高速鉄道)でオデオンのホテルへ向かう私達だが、今回は河村より一足先に来たためひとり。ひとりで電車に乗って、というよりもホームまでひとりで二つのスーツケースを降ろす気力が無く(郊外を通るRERはけっして安全な乗り物でないため、ひとりでの乗車は要注意!)、駅からゴロゴロスーツケースを運ぶ気力が無かったためそのままタクシーへ乗り込む。中国系とおぼしきドライバーと片言のフランス語で会話。「パリに何日いるの?」という問いに「9日よ。仕事なの。」と返事。珍しく英語も話すドライバーだったため、英語も交えて「この時間はすごく込んでいるわね。」と話し掛ける。「パリ市内は朝の8時から10時、夕方4時から8時まではいつもこんなふうに込んでるよ.」とうんざり顔。ほどなくホテルに着きほっとする。
そのまま近所のマルシェに買物へ。疲れているのでとても外で食事をする気にならないのだ。いつも買うパン屋で全粒紛で出来たバゲット(これが実にうまいのだ!)を買い、それに合わせてパンに塗るためのチーズ・クルミ入りのブルザンとワインを入手。さっさとホテルに戻りひとりの夕食。本当に安いコート・デュ・ローヌのワインなのだが、この組み合わせが感動的に美味しく感じる。日本でも同じワインは入っているはずなのに、これが風土というものだろうか?
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今回泊まったオデオンのホテルはチャーミングな中庭付。中庭を眺めながら幸せな気分で朝ごはん。
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■5月某日 晴れ
なんと…今日は25度まで気温が上がった暑い一日だった。同じ五月のパリでも結構寒いこともあるので、今回はいつも着ているヴィンテージのバーバリーのコート(普段、買いつけの時には服が痛むため良い服は絶対持ってこない。ヴィンテージで安く買ったものゆえ、着倒そうと思っているのだ。)を持って来たというのに、このままのお天気が続けばまったく出番無しだ。先週までは、ずっと寒かったというパリの気温。こればかりは本当に来てみないと分からないのだ。
今日はアポイントを入れておいたディーラーの元へ。リクエストしておいたものを私のために色々出してきてくれる。前回、ほとんど仕入れられなかったペチコートも、ふわりとしたレース飾りのロマンティックな雰囲気のものが出てきて嬉しい。お人形の材料になりそうな、シルク生地やリボンやお花
e.t.c.…いちいち「このリボン、可愛い!」と声が出てしまう。とっても可愛いお花のガーランドを発見。こういうお花にも目が無い私、見るもの、見るもの、目にするもの皆欲しくなってしまう。それと、今回は18世紀のアルジャンタンのボーダーが出てきて興味深い。思わずルーペを借りて覗きこんでしまう。本当にグランドがすべてボタンホールステッチでかがってあるのを感動して見つめる。19世紀のレースとはまた違った魅力だ。
結局終日かけて商品を選び、まだまだ日の暮れない8時近くにようやくホテルに帰還。もうヨーロッパは午後9時まで明るい。まだ5月なのだが「夏がやってきたなぁ〜。」と実感する季節だ。まだまだ今日は買いつけ1日目、「物を選ぶのって、集中力がいって本当に大変な作業だ。」と実感しながらぐったり帰る。
帰りに近くのジェラール・ミュロでお総菜を購入。この時期にフランスに来たのなら「絶対食べなければならない」ものがある。そう、それはホワイトアスパラ。特にジェラール・ミュロでは、ホワイトアスパラについてくる自家製のマヨネーズがまた美味!ホワホワでとても美味しいのだ。この時期にしか食べられないものゆえ、毎年この時期に来ると「何が何でも!」と激しく執着してしまう。(だって美味しいんだも〜ん。)
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パリでの買付けの朝は遅い。買付け前の余った時間にお人形の美術館“Musse
de la
poupes”へ。可愛いお人形達ががいっぱいいるのだけど残念ながら館内は撮影禁止。パリの街の真ん中、ポンピドーセンターのすぐ近くにあるので、ご旅行の際は是非お立ち寄りを。
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■5月某日 晴れ
今日は、今回フランスでの一番の目的だったフェアへ。それにしても暑い!5月なのにこの暑さは尋常とは思えないほど。日焼けを恐れず、なおかつ「ここはフランスだから。」とタンクトップ一枚で歩き回る。まるでフランスではお年寄りが沢山亡くなった何年か前の酷暑のようだ。
朝早くから出掛けるが、まだディーラーは飾りつけの最中。様々なものが雑多に置かれていて、足元が悪いので、その中を足元に気を付けながら歩く。いや実際、過去に河村は床に置いてあったシャンデリアを踏みつぶし(!)弁償する騒ぎになり青ざめたことがあるので、慎重に歩く。(実際は、踏んで壊してしまったガラスパーツ分を支払ったのだが、それでも結構な額になった。)
果たして、気合十分でやって来たフェアだが、なかなか自分の欲しいものが見えてこず、気持ちは焦るばかり。いくら会場を回ってみても得るものが無く、一番やるせないところだ。が、そんな中でもロココの付いた小さなレース入りトレイやお人形の材料になる、お花のパーツを発見。特にお花のパーツを売っていたムッシュウとはレースの話で盛り上がり、明日、自分のコレクションをホテルまで持って来てくれると言う。"A
demain!(明日ね!)"と硬く握手をして別れた。他に今日の収穫は、上品で繊細なロングのベビードレスやフランスらしいバスケットなどなど。途中、アンティーク探しに夢中の私にどこからともなく"Bonjour,cava!"と呼びかける声が。ハッとして振り返ると、いつもお世話になっている紙物ディーラーだった。お店(事務所?)を持っていてこのフェアには出ていないはずの彼、どうも何かを探しに来たらしい。ちょうどこのフェアの後に行く予定していたので、大急ぎで「後で行くからね〜!」と呼びかけた。今ひとつ不調のこのフェア、広い会場内を5〜6周はしただろうか、会場内のクレープ屋の前で偶然日本から来たディーラーのFさんと出会い、一緒にクレープのお昼ご飯。
ここには明日もう一度河村と来ることにしているため(東京プリンスのフェアに出ていた河村は今日日本から一足遅れでやって来るのだ.)、次なる買付け先の紙物ディーラーのところへ。一通りもう一度挨拶を済ませた後、「で、何を見る?」と聞かれて私が"Comm
d'habitude.(いつもどおりに)"と答えると「すご〜い、フランス語じゃん。」とジョーク。「ほら、これがニューストックだよ。」と見せられたカードの中には、ウィーン趣味の美しいものが珍しく沢山あって嬉しくなる。他にも私が好きなのを良く知っていてボン・マルシェカードを沢山用意していてくれたのだ。私のツボを押さえたカードですご〜く欲しいのだが、彼のカードは状態も良ければお値段も決して安くない。日本語で「う〜ん、どうしよう…。」と独り言を呟く私に、「日本語で何言っているんだろうね。」と奥さんと笑い合っている。私が、"I
said, I'm very
poor."と笑って答えると、二人して"Me,
too!"と声を合わせて唱和。思わず三人で大爆笑だった。「本当にアンティークディーラーってお金持ちになれないよね。」とおかしなところで意気投合してしまった。いや、お金持ちでないアンティークディーラーは、私達だけかもしれないが。
その後、二箇所の仕入れ先を回り、ぐったりして帰宅。朝8時過ぎにホテルを出て、帰ってきたのは午後8時近く。12時間も外を歩きづめだったら、そりゃ疲れるはず。とぐったりしながらも納得。ホテルに帰ってしばらくすると、河村も日本から到着。ほんの少し会わなかっただけなのに、それぞれのこの2〜3日の出来事を二人で喋りまくる。
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アンティークの工具がそれらしく飾られたここはなんとキャフェ!店内にもアンティークの道具類が並べられ、「仕事場」がテーマになったなんとも興味深い雰囲気。それもそのはず、ここはオテルドヴィルにあるデパートBHVの地下、様々な道具が売っていることでも有名な工具売り場に作られたキャフェなのです。
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いつもウィンドウディスプレイが楽しみなメトロのオデオン駅からもすぐのテーブルウェアのブティック“SABRE”。カラフルな色がお気に入りの我が家では、ここのカトラリーを愛用。
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“Bonpoint”の子供服って本当に可愛い!衝立から顔を出した女の子のディスプレイも素敵です。あぁ、子供服は買うあてが無くて残念。
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刺繍キットを扱うここも、毎回ウィンドウディスプレイが楽しみなブティックのひとつ。“Bonheur
des
dames(ご婦人の幸福)”という店名にも思わず納得。
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ワインに関する道具を集めた専門店で。右二つのカラフェは内側にガラスで出来た葡萄の房の細工。美しいガラス器は見ているだけでも楽しい!
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■5月某日 晴れのち曇り
今日は、朝から昨日会ったレースのディーラーがホテルまで商品を持ってやって来てくれることになっている。今回、時間のあまりない私達のとってはありがたい申し出だ。今まで付き合いのないディーラーだけに、本当に来てくれるのかホテルのロビーでヤキモキしながら待っていると…来た、来た、レースの詰まった大きな箱を抱えてムッシュウが登場。硬く握手をしながら挨拶を交わす。
一つ一つ薄紙に包まれたレースを出してくれる。こんなに大切にレースを扱っているディーラーは、イギリス、フランスそれぞれのディーラー達の中でも初めてだ.とてもきれいに分類されていて、自分の商品を愛している様子が良く分かる。
果たして、こんなにも一度にミュージアムピース級のレースを見たのは初めてかもしれない。聞けば彼の奥さんはルーブル美術館に勤めていて、彼自身もたびたびあちこちの美術館に納入しているらしい。グロポワン、レティセラ、ポワンドスダン、ポワンドパリ、ヴェネチアン、アランソンなどの19世紀以前のレースから19世紀のレースまで、長い時間を掛けてすべてのレースを見た後、最後に私達が選んだのは、18世紀と19世紀のアランソン、アルジャンタン、ポワンダングルテールなどなどのピース。乞うご期待、どれも素晴らしいレースばかり…と言っておこう。(18世紀のレースは確かに年代的には古いのだが、やはり"美しいもの"というと、選ぶのは19世紀のレースが主体になってしまうのだ。)
無事商談成立、またまた硬く握手を交わしながら、次回の約束をし、ムッシュウは帰っていった。彼の去った後の私達は、一度にハイレベルのレースを沢山見たのと、無事望んだものが手に入った安堵感で、朝からヘトヘトになってしまう。でも、休んでいる時間もなく昨日ひとりで出掛けたフェアへ河村と共にもう一度出かける。今日は、いよいよ"老嬢チーム"こと、私の母(64歳)と伯母(66歳)、河村の母(74歳)とその友人(76歳)の計四名(合計280歳)が日本から5泊の観光旅行にやって来るのだ。夕方近くにシャルル・ド・ゴール空港まで迎えに行かなければならないので、大急ぎで仕事を片付けてしまわなければならない。
勢い勇んで行ったフェアなのだが、特に何も探し出せないまま終了。そのままRER(郊外高速鉄道)で空港へ直行する。今回の"老嬢チーム"、名古屋の空港で初の顔あわせをした後、四人だけで飛行機に乗ってくる手はずになっている。とても心配だった私は、四人のために日本語の通じるJALの飛行機を手配し、事前に座席も指定、中部国際空港内の道順を詳しく記したレジメまで渡して準備したのだが、それでも本当に四人とも飛行機に乗れたのか、少し心配しながら空港へ。
飛行機が予定より30分も早く到着したとかで、私達が空港に着くよりも早く、すっかりゲートから出てきていたらしい。四人とも長時間のフライトで疲れたとはいえ、まずまず元気そうでほっとする。そのままタクシーでホテルへ向かえばよいものを、河村が「RERで帰った方が早いよ。」と言い出したのがそもそも間違いの始まりだった。ガラガラみんなで荷物を引きづりながら駅へと向かう。いやはやそれにしても、本当にこの後の行軍が大変だったのだ。
ラッシュアワーに差しかかった列車は超満員。そのうえ列車自体が詰まっているらしく、ノロノロ運転、やっとホテルの最寄駅に着いた時には全員ぐったり。そこからさらに、改札を出るのにもひと苦労し(改札のドアを通るのに、切符を機械に入れても、荷物がドアに引っかかって出ることが出来ず大騒ぎ!)、何とか改札を出て、ホテルへ向かう。流石の"老嬢チーム"もホテルに着いて、ほっとした様子だった。
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サン・シェルピス寺院の未完成の鐘楼と広場の噴水。最近「ダ・ヴィンチコード」のせいで何かと話題のサン・シェルピス寺院、ルーブル美術館やサン・シェルピスなど、ここパリが舞台だけあって話題沸騰らしい。フランスでは5月19日(日本では5月20日)に映画も公開予定。
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■5月某日 晴れのち曇
今日は"老嬢チーム"をヴェルサイユ宮殿の一日観光のバスツアーに預け、私達は仕入れ先へ。まず向かった先では、今日はまったく得るものがない。いつもは何かと見つかる場所なのだが、本日はいくら歩いても何も出てこず気は焦るばかり。仕方なく次なる場所へ。
いつもの仕入れ先でもあるマダムのところだ.今回も買付け前にコンタクトをとり、「この日に来るように!」と言われるままに、何とかスケジュールを調整して訪れたのだ。事前の彼女からの返事には、特に私のリクエストしたものについて、何の答えも言及していなかったので、果たして行くまで何があるのか分からない。欲しいものがあるかもしれないし、目当てのものはまったく無いかもしれない。「何が出てくるか?」ドキドキしながら実際に訪れると…まずは、和やかに挨拶を交わし、マダムが一番先に自慢気に箱から取り出したのは美しいアランソンのボーダーだった!思わずレースを抱きしめ、"J'adore!(大好き!)"と叫んでしまった。
無事レースをgetしたその後、フランスらしいミニアチュールの小さなブローチを発見。淡い女性像がとても私好み。ベルメイユの台を飾る小さなローズカットのダイヤの粒も上品。嬉しい発見だ。
"老嬢チーム"がベルサイユから帰ってくる時間が近づいてきた。明日、今日の続きをすることにし、バスツアーが終了するピラミッドまで迎えに行く。現地についてから15分も待っただろうか、無事観光バスに乗った老嬢達が戻ってきた。みんなベルサイユでは、マリー・アントワネットの寝室を見たり、馬車に乗って庭園を巡ったり、トリアノンまで足を伸ばし楽しんだらしい。私が以前ベルサイユへ行ったのは、十数年前、河村に至っては皆無。河村曰く「僕も行ったこと無いのに…。」河村よ、また今度いつか行こうね。
さて、無事ホテルまで連れ帰ってきた"老嬢チーム"、今晩の夕食は、近くのマルシェとジェラール・ミュロでお惣菜やパンを買って済ませることに。マルシェでは、野菜や果物を触りまくる老嬢達にドキドキする私。(フランスではけっして「お客様は神様」ではないので、商品を見たいときは要注意!必ず「見せてください。」「触っていいですか?」とひと言断りましょう。)以下は、ジェラール・ミュロでの様子。
老嬢A:(パンやケーキを指差しながら)「私、これとこれがいいわ。」
老嬢B:「わたしはこれとこれ。」
私:(フランス語で)「これとこれ、これふたつ下さい。」
老嬢A:「あ、やっぱりこれも欲しいわぁ。」
私:(フランス語で)「すみません。これも一緒にお願いします。」
老嬢A:(最初に指差したのを)「やっぱりこれはやめるわ。」
私:「えっ!(汗)」
老嬢C:「私、自分でやってみる。」
老嬢C:(まったく日本語の抑揚で)「あの〜、クロワッサンひとつ。」
私:(それじゃ、通じないって!)
夕方のジェラール・ミュロはとても混雑していて、いつも自分のものをオーダーするだけでも大変。ワガママな老嬢達に振り回される私の後ろにはどんどん列が伸びていく。老嬢4名のお買物のお世話は想像を絶する煩雑さだった。
5月某日晴れ
今日は、"老嬢チーム"を午前中は昨日同様「パリ半日観光」のバスツアーに預け、午後は自分達でサントシャペルやノートルダムへ行って貰い、私達は終日買付け先を周る予定。バスツアーの出発するオペラ座の裏までは送り届けなければならない。グズグズしていてなかなかホテルを出られない老嬢たち。何とかホテルを出発したのだが、私達の歩く速度とは違って、何事ものんびりムード。気を揉む私達を尻目に、やっとメトロに乗せ、乗り換え後、何とか目的地に着いたときには、集合時刻はおろか出発時刻さえも過ぎていた。バスには既に他の乗客全員が乗り込み、私達全員に白い視線を送っていた。
何とか老嬢達を送り届け、買付け先へ。今日は3箇所周ることになっている。まず最初に行った先では何も見つけられず、気落ちしたまま次の場所へ。本当にこういうときは、来たことを後悔してしまうが後の祭り。実際に来てみないと分からないので、仕方が無いのだ。次の場所まで距離的には近いのだが、そのままメトロで移動すると時間ばかりがかかってしまうため、タクシーに乗ることを画策する。パリはロンドンと違って、流しのタクシーを拾えることは皆無、街角にあるタクシー乗り場から乗るのがルールだ.運良くすぐ側にタクシー乗り場を発見し、あっという間に目的地に向かうことが出来た。
次なる場所は、実は昨日も訪れたのだが、「明日持ってくるから。」と言われたお目当てのものがあって来てみたのだ。だが、お目当てのものは状態も悪く、大きく当てが外れ「これじゃあねぇ〜。」という感じ。これも実際に見なければ分からないものだけに仕方が無い。それでも、可愛いチョコレートボックスやロココなど、まずまずの収穫。いつもは終了後、近くのいつもにキャフェで一息入れるのだが、今回は休憩する間も無く、もうひとつの場所へ。
バスと地下鉄を乗り継いでやっと最後の場所へやってきた。「少しでも何か見つければ…。」と心の中は必死の願いでいっぱいだ。すると…時代衣装を扱うディーラーのガラスケースの隅に私好みのバスケットを発見!内側がシルク張りになったバスケット、最近はどうしてなかなか見かけることが無いのだ。だが、高価な時代衣装を扱うディーラーのため「このバスケットも目が飛び出る程高価かも?」と不安になりながら、まずはご挨拶。バスケットを見せてもらう。いつもは用事が無いため近寄って眺めることが出来ない時代衣装なのだが、今日はついでにじっくり拝見。ガラスケースに入れられた18世紀らしい衣装を指差し「美しいわね。18世紀のドレスなの?」と聞くと「そうよ。ルイ16世時代よ。」と自慢気に肯くマダム。実は、今回私が着いてすぐにドローの競売所で18世紀の衣装を中心とするコレクションの売りたてがあり、プレビューだけでも見ておきたかったのだが、時間の都合上、どうしてもドローまで行くことが出来なかったのだ。
さて、肝心のバスケットの方は、常識の範疇を超えないお値段だったためget。ついでに小さなシルクで出来たバラのパーツも手に入れ、嬉しい。この後も様々なものに出会うことが出来、疲労の色濃く老嬢達の待つホテルへと退散。
果たして老嬢達はバスツアーの後、私達がレクチャーしておいた通り、なんとか自分達でピラミッド周辺(日本食レストランが多く集まっている地区)で、おうどんを食べ、サントシャペル、ノートルダムと観光をしたらしい。彼女達に特に何も変わったことが無く、「良かった〜。何事も無くて。」と胸をなでおろす。(もっとも何が起っても困らないよう、彼女たちの航空券とパスポートは私達が預かっておいたのだ。)だが、また夕方になると今度は夕食を食べさせなければならない。疲れていた私達は、「簡単でいいや。」と近くの大きいキャフェで(大きなキャフェでないと6人全員が着けるテーブルが無いのだ。)オムレツなどを食べさせる。だが、これもひととおりメニューの説明をし、彼女達のオーダーする食べ物のメモをとり(メモをとらないと私自身が覚えられない。)、それを私の適当なフランス語で伝え…結構大変。オムレツナチュール(プレーンな何も入っていないオムレツ)でいい、という彼女達に「シャンピニオン入りの方が美味しいよ。」と言うのだが、誰も耳を貸さない。そのくせ実際にオムレツナチュールを食べながら「これ何も入っていない!日本の食べ物の方が美味しい。」などと発言。さらに私のシャンピニオン入りのオムレツが運ばれてくると「それ、どんな味がするの?」と興味津々だ。無事老嬢達に食事を食べさせ終わり、ほっとしながらホテルへ。
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路地裏に真っ赤なフィアット500。30年も前に製造終了の筈なのに、いまだパリの街ではたまに見かけます。数は少なくなりましたが、フィアット500に限らず、ルノー4やシトロエン2CVなどのラヴリーな車と出会えるのもパリの街歩きの楽しみのひとつ。
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5月某日曇りのち雨
今日はフランスの祝日のため、私達のお仕事もひと休み。老嬢達を連れ、パリから郊外に出掛ける予定になっている。今回の行き先はゴシック建築最大の寺院があるアミアン。パリの北駅から1時間あまりだから、ちょっとした遠出にぴったりの距離だ。
朝、比較的ゆっくり老嬢達とホテルで朝食。朝食はコンチネンタルだが、様々なパンやハム、チーズ、果物、ヨーグルトなどが用意されていて、なかなか豪華。自ら取り分けるセルフサービスだ。各テーブルには、様々な種類の可愛いジャムの小瓶が大皿に盛られていて、自由に使うことが出来る。私達よりもずっと食欲旺盛な老嬢達、好奇心も手伝ってか、色々な種類のパンを食べ、一通りのものに手を出している。そんな中での出来事。
老嬢D:「このジャムって貰っていったらダメ?」
私:「別に沢山あるからちょっとぐらいいいんじゃない。お土産にしてもいいし。」
その後、大皿からはすべてのジャムが忽然と消えていた。(ぜ、全部貰わなくたって…。せめてひとつぐらい残しておかないか?)
朝食を済ませ、今日はタクシー2台に分乗して北駅へ。老嬢達を駅の構内で待たせ、切符を買いに行く。フランスの電車の切符は、お札よりも大きい横長の大型サイズ、これを電車に乗る前に、ホームの端にある自動刻印機(切符にパンチするだけの仕組み)に自分でガッチャンと通すのだ。河村と二人で六人分の切符をガッチャンすると、日本とはまったく違うシステムに老嬢達は「へぇ〜。」と見ている。
青々した牧草地帯に、黄色の菜の花畑、新緑の時期でもあり、アミアンまでの車窓はそれは美しかった。ヨーロッパの新緑は、銀色を帯びた淡くて深いグリーン。子供の頃、美術館で見たコローの絵画の不思議な銀色を帯びたグリーンに「どうして木がこんな色をしているんだろう?」と子供心に感じたことを覚えているが、フランスの新緑はまさにその通りの色合いだ。「きれいだね〜。」と老嬢達もそれぞれ美しい車窓を楽しんだようだ。
パリから北へ1時間ほどでアミアンに到着。大聖堂までは駅から徒歩15分ほど。6人仲良く歩く。程なくすると…見えてきた大聖堂が!ゴシック建築最大と言われるだけあって、本当に尖塔が高い。後ろ側から表側に向って歩いていたのだが、後ろ側にはゴシック建築特有の支えアーチ フライング・バットレスがいくつも現れ、壁面は「これでもか!」というほどの大量の彫刻群。さらに表側に回ると、あまりの彫刻の密度に「空間恐怖症?」唖然としてしまう。13世紀に着工されたというアミアンの大聖堂、その時代の人々が自分たちの「神の家」をここまで飾り立てずにはいられなかった気持ちはどこからきたのだろう。中世当時、アミアンは毛織物と青色染料の街として大変裕福だったという。同時期に建てられたシャルトルやランスの大聖堂に負けじ、と作ったのだろうか。聖堂内に足を踏み入れると、その天井の高さに驚く。残念なことに第二次世界大戦の爆風や永年の経年変化で失われてしまい、残っているステンドグラスは僅かだが、現存している部分は有名なシャルトルのステンドグラスにも匹敵する美しさだった。
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正面から見たアミアン大聖堂。ガイドブックなどにはほとんど紹介されていないこの聖堂だが、1200年代に竣工されたその建築はゴシック最大の規模を誇る。
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エントランス部分、扉の上を飾る彫刻群。この彫刻の密度は必見!それぞれの彫刻の聖人ひとりひとりの表情を眺めているだけでも興味深い。
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大聖堂の後ろ部分のフライング・バットレスとまるで鉛筆のように見えるピナクル。どちらもゴシック建築特有、軒先のガーゴイルは、実は雨どいの役目を果たすもの。
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遥か上の方に見える天井。このような高い天井が可能になったのもゴシック建築になってからのこと。
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こんな美しいステンドグラスが爆風で失われたのは本当に残念。すべて残っていたら、どんなにか美しい空間だったろう。
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尖塔の上からアミアンの平原をのぞむ。この風景を見た中世の人々は何を考えたのだろうか?
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オレンジ色の屋根、可愛い家の連なったアミアンの街並み。今回は街歩きをする時間が無くてちょっぴり残念。
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聖堂内をゆっくり一巡し、昼食のため外に出た。聖堂の入り口にはヨーロッパの教会にはよくありがちなホームレスが陣取っている。そんな姿がすっかり見慣れている私と河村を他所に、老嬢のひとりは彼にお金を恵みたくて仕方ないらしい。
老嬢C:「ねぇ、あの人にお金あげてもいい?」
私:「いいけど、(ホームレスは沢山いるから)ひとりにあげ始めたらきりがなくなるよ。」
そんな私のクールな意見はどこ吹く風。ゴソゴソと身に着けたお財布をさぐり、無事手渡せたよう。とにかく「何事もないように」と思って引率している身としては、「やれやれ」とほっとしてしまった。
大聖堂の脇のレストランで昼食。またまた、皆の注文をメモし、マドモワゼルに伝える私。どうやらサーモンがこの店のウリらしい。みんな魚やサーモンを選ぶ中、
老嬢C:「私はお肉にする!」
私:「このお店、サーモンが有名みたいよ。」
老嬢C:「いや、お肉にする!」
それぞれのメインのプレートが運ばれてきた後
河村:「お肉はどうですか?」
老嬢C:「こんなの硬くて食べられない。」
私:(だからサーモンが有名だっていったじゃん。)
今回の最年長は76歳。食事中は、戦時中の話で盛り上がる。私自身も生々しい戦時中の話を聞くのは初めてだ。そう、今日はフランスの終戦記念日、ドイツが降伏した日だ。まだまだ日本はここからも戦争を続け、三ヶ月後、原爆を落とされるまで戦争を続けたのだ。
さて、食事を済ませた後、再び大聖堂まで戻り、尖塔の階段を登ることに。階段は全部で300段あるらしい。せっかく来たから「絶対登りたい。」という河村の意見に後押しされ、老嬢達も皆、6人全員で登ることになった。階段とは言ってもすれ違うことも出来ない、本当に一人が通る巾があるだけの狭い空間だ。私が先導し、河村がしんがりをつとめ、老嬢達のペースをおもんばかってゆっくりゆっくり進んでいく。階段の壁面には太いロープが張り巡らされており、これを手摺り代わりに登っていくのだ。上から「ここから狭くなるから気を付けて!」「ここ手摺りが無いからね!」「もう少しで外に出るからね!」と声をかけながら進んでいく。塔の上まで上がると、そこは外。大きな薔薇窓の横を通りながら「こんなに大きかったんだ!」とびっくりしてしまった。いったい地上何メートルぐらいあったのだろう?遠く見える平原を眺めながら「中世の人々はどんな気持ちでこの景色を見たんだろう。」と心は1200年代へ彷徨ってしまった。
登った後は、行きと同様ゆっくりゆっくり下る。降りてきたときには、皆充実感でいっぱいの顔。今回の老嬢達との旅で一番嬉しかったのは、この300段の尖塔に全員一緒に無事登ることが出来たことかもしれない。
Amiens
パリ・北駅(Gard du
Nord)より在来線で約1時間。Amiens下車。大聖堂は駅から徒歩10分程
アミアン観光案内http://www.amiens.fr
5月某日雨
老嬢達の滞在は明日まで。明日の午後の便で日本へ帰ることになっている。今日は、彼女たちの滞在のクライマックス、お買い物に付きあう日だ。だが、私達は仕事もあり、午前はお買い物のお手伝いをし、午後は買付けへ。私達が買付けの間は、彼女たちだけでコンシェルジェリーへ観光へ行くことにして貰った。
まず朝から6人で連れ立ってバスでデパートのあるオペラの裏へ。バスを降りると、そこは河村も以前スリに遭遇した一番の危険地帯。(その時はお陰様で未遂に終わったのだが。)老嬢達に「ここはとてもキケンな所だから、みんないい?気を付けてね!」と声を掛け、デパートへ。中にはいると私の母と伯母の坂崎組と、河村の母とその友人の河村組に別れ自由行動。私と河村はそれぞれに別れて、お買い物の助っ人としてスタンバイする。集合場所と集合時刻を決めて「じゃあ後でね〜。」と別れる。
その間の私達坂崎組の行動は…母と伯母はそれぞれの孫達のお土産を選ぶのに、「ああでもないこうでもない。」となかなか決めることが出来ない。それなのに、その後、時計店オブレイまで歩いて行き、伯母が娘(つまり私の従姉妹)に頼まれた腕時計のベルト交換にも行かねばならないのだ。限られた時間の中で、またしても気を揉む私。優柔不断な彼女たちの決断を促すため、「ハイ、それにしましょう!」とテキパキ決め、さっさとマドモアゼルに商品の包装を依頼していく。買い物が済むと早足でオブレイまで連れて行き、リクエストされた色のベルトを出して貰い、ベルトと電池の交換を依頼し…。オブレイを出て再び早足でデパートまで戻る間に、母と伯母自身のスカーフの買い物も済ませ…。なんとか集合時刻に間に合うことが出来ほっとする。(はぁ〜。)
そして、デパートで最後に6人全員で向った先は、デパート内にあるマリアージュ・フレール。ここでまたもや彼女たちのお土産を買うためだ。全員が有名な紅茶「マルコ・ポーロ」を購入する。ここはご存じの通り500種類以上の紅茶の中から欲しい茶葉を量り売りして貰う仕組み。数限りなく種類があるというのに、彼女たちが選んだのは揃いも揃って全員「これが一番有名だから。」と「マルコ・ポーロ」のみ。彼女たちのために私がギャルソンに頼んだのは「マルコ・ポーロ」100g詰めを20袋だった。嫌な顔ひとつすることなく、慣れた風にギャルソンが淡々と20袋の紅茶を詰めてくれたことが、唯一の救いだった。
午後、再び彼女たちをバスに乗せ、「いい、ここで降りるんだよ。」と言い聞かせてコンシェルジェリーへ向わせる。その一方で、私達二人はカードの仕入れ先へ。来たばかりの頃の暑さとは打って変わって、昨日からパリは雨のせいもあり冷え込んでいる。コートが無いと寒くていられないほどだ。老嬢4名から解放され、心配しながらも少しほっとする二人。彼女たちのバスを見送って、そのままメトロで移動する。いつもの仕入れ先を周り、カードを収集。「なかなか無いよね〜。」と呟きながら、膨大なカードをチェック。それが済むとレースの仕入れ先に約束の商品を取りに行き、午後はあっという間に過ぎた。
今晩は、老嬢旅行(いつしかこのように命名)の最大のクライマックスであるセーヌ川ディナークルーズの夜。いわゆる「バトームッシュ」と呼ばれるセーヌ川を船で遊覧して、船内から見える夕暮れのパリの景色を楽しみつつお食事をするという、今回最大のイベントだ。この「バトームッシュ」、かの昔(もはや20年前)私が学生時代、リュックを背負ってのヨーロッパひとり旅(またの名を貧乏旅行)の折、「食事なし、ただ船に乗るだけ」という最も料金の安い船に乗ったことがあるきり、ディナークルーズは私自身も初めての体験だ。「男性は必ずジャケット着用」という但し書きがあったため、老嬢達にも事前に「一枚ドレッシーなお洋服を忘れないように!」と口を酸っぱくして言ってある。ホテルのロビーで、約束の集合時刻にソワソワとおめかしをして集まってくる老嬢達。みんなそれぞれになかなか決まっている。予約したタクシー二台に乗り、エッフェル塔近くの乗船場に向う。集まってきたのは、世界中のお上りさん達。みんな期待でわくわくしている様子が、手に取るように分かって、こちらも楽しくなる。
今回予約したのは、イルミネーションの灯った街並みがよく見える窓際のテーブル。船が乗船場所を離れゆっくり動き出すと、窓も天井もガラス張りの船内からは、美しい街並みが次々と移り変わって、うっとりしてしまう。ギャルソンに通訳する役得で、食前酒は勝手にシャンパンに決め、渡された日本語メニュー(ちゃんと日本語のメニューもあるのだ!)を見ながらメニューを決めていく。ワインは白も赤も付いていて、ちょっと嬉しい。老嬢達にメニューを決めさせ「い〜い?自分の頼んだものが何だったか忘れちゃダメよ!」とクギを刺しておく。(そうでないと自分が頼んでものすら忘れてしまう老嬢達、あとから一騒動が起きるのだ。)
シャンパングラスを挙げて全員で「お疲れ様〜。」と乾杯したその直後、老嬢達が小声で「ちょ、ちょっと〜、男よ〜!!」と騒ぎ出した。その理由というのも…私達のテーブルの後ろに男性二名(一名は女装)のカップルがいたのだ。ちょうど背中側になる私はまったく気付かなかったのだが、私の真後ろに背中の開いたイヴニングを来た女装の彼(彼女?)がいて、老嬢達は「背中に毛が生えてる!」と騒いでいる。フランスではたまに目にする光景だけに、ごく冷静に「この国ではこういうカップルは珍しくありません。あまりジロジロ見てはいけません。」と諭した。
だが、食事もまずまず美味しく、生演奏あり、生演奏に合わせて河村とヤケクソで踊ったり、ディーナークルーズ自体はとても楽しかった。(ワインを飲みきれない老嬢達から、それぞれのワイングラスのワインを「もったいないからこれも飲んで〜。」とドボドボつがれたのには閉口したが。)老嬢達も満足したらしく、私もほっと一息。船から見えるセーヌ河岸の高級なアパルトマンに、柄にもなく「こんな家なら欲しい。」と思ってしまった。セーヌ川ディナークルーズは、エッフェル塔近くからサン・ルイ島を越えてUターンし、所要時間およそ三時間。光に彩られたパリの街を楽しめる夜の部がおすすめ。また今度いつか、次回は河村と二人だけで行きたい。
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船を下りたのは夜半12時近く。ふと見上げると照明を当てられたエッフェル塔が青く光っていました。
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5月某日晴れ
今日は老嬢旅行の最終日。午後三時にホテルに迎えのタクシーが来るまでは、ルーブル美術館とオルセー美術館を駆け足で回ることになっている。河村は、老嬢四人を私に預けて、フランスで仕入れた荷物を出荷しに行ってしまい、後ほどルーブルの小ピラミッドの下で待ち合せすることになっている。まず、ルーブルまで近くのバス停から四人をバスに乗せる。バスに乗せてしばらくするとバスの車窓から人が沢山並んだ光景が目に飛び込んできた。
好奇心旺盛な老嬢C(実は私の伯母):「ねぇ、ねぇ、あそこ何!?何?何?なんであんなに人がいっぱいいるの!?」
私:(厳かに)「あそこは昨日あなたが行ったコンシェルジェリーです。(きっぱり!)」
その後、ルーブルの近くで四人を下ろし、ルーブル正面のガラスのピラミッドでなく、混雑しないリヴォリ通りに面したブティックの方から、館内に入って行く。限られた一時間半あまりの時間でルーブルを案内するのは、恐ろしく大変だった。「せめてミロのヴィーナスや、モナ・リザぐらいは見せてあげたい。」と心は焦るのだが、館内図を片手に広大な館内を老嬢四人を連れて、セキュリティーチェックを受け、エスカレーターを登り、長い廊下を歩き、階段を上がっても、なかなかその場所にたどり着くことが出来ない。この時ほど広大な広さのこの宮殿を造ったフランスの王達を呪ったことはない。その上、観光シーズンに入ったパリは世界中からの観光客で大賑わい。ようやくたどり着いたモナ・リザの部屋では、人が多くてなかなか実物に近寄ることすら出来ない。そんな中、好奇心旺盛な老嬢C(実は私の伯母)がモナ・リザの反対側の壁に掛けられている絵を指さしながら、「私、モナ・リザは何度も見ているからこっちの絵を見てる。」「じゃあ、絶対ここにいてね。」と答える私。そして私は残りの三人にモナ・リザを見せるがために列に並び、ようやく見終わって先程の絵の前に戻ると…伯母がいない!!周りを見回すが伯母の姿は影も形もないのだ。青ざめながらも、残りの三人に「ここで待ってて。絶対動かないで。」と言い残し、人で混み合った部屋の隅々を伯母を探して回るのだが、伯母の姿はない。「どうしよう!ルーヴルで呼び出しなんて出来ないし。」と真剣に頭を悩ませながら再び絵の前に戻ると…いるではないか!伯母が。思わず「どこに行ってたの!!(怒)」という声もきつくなる。「勝手にどっか行っちゃダメでしょ!」という私の強い口調にもあまり反省の色のない伯母。(迷子になってもひとりで帰れるんだったらいいけど、そういう訳じゃないんだから!プンプン)とひとり心の中で呟く。ブチ切れそうになる心をなんとか抑えて、次の間に。
その後、四人を連れ、イタリア絵画、フランス絵画のフロアを抜け、河村との集合場所へ。余った時間、暢気にウィンドウショッピングなどしていた河村とは一転して、私はぐったり。ルーブルのカフェテリアで昼ご飯を食べた後、そのまま歩いてオルセー美術館へ。チュイルリー公園の緑が心地よい。ルーブルからオルセーまではセーヌ川は越え、徒歩10分程度。だが、オルセー美術館に着いてみるとこちらのエントランスは入場券を買う人で長蛇の列、カルトミュゼを買ってあった老嬢チームはそのまま館内へ、私達二人は近所のキャフェで時間を潰すことにした。
約1時間半ほどの時間だったろうか、老嬢チームは階段の多いオルセーに疲れながらも、ようやく外の広場に出てきた。
さて、ここから急いでホテルまで戻り、今日は見送りのために空港まで彼女たちを送り届けなければならない。ホテルに戻ると、朝チェックアウトした際に預けたスーツケースを受け取り、ロビーで迎えのタクシーを待つ。あと15分でタクシーが到着するというその時。
私:「じゃ、みなさ〜ん、航空券とパスポートはありますか〜?」
老嬢ABC:「は〜い!ありま〜す。」
老嬢D:「え?私…航空券無いわ。」
私:「えっ!?」
焦りながらバッグをゴソゴソする老嬢D
。朝、部屋はチェックアウトしているから、航空券は彼女が持っている筈なのだが。手持ちのバッグの中からは発見されず、パニックになりながらスーツケースを大慌てで開け始めている。だが今度は、掛けていた老眼鏡ではスーツケースのナンバーロックが見えず、慌てて近視用の眼鏡に掛け替えている。やっとパカッとスーツケースが開いたその時、なぜそんな中に入れたのか、パックリ開いたスーツケースの荷物の上に、ペラッと航空券がのっていた。
航空券騒動も終え、全員を乗せタクシーは空港へ。空港で、出発ゲートへと向う最後の最後に涙ぐむ最高齢の老嬢B。「本当に楽しかった。ありがとうね〜。」と言われると様々な思いも溶けていくようだ。ゲートの向こうまで、彼女たちの姿が見えなくなるまで手を振り、河村と二人、「本当に四人とも何事もなくて良かったね。」と気抜けしてボーッとしながらホテルへと戻った。
パリでは、あまりの気疲れから「また今度一緒に来ようね。」と老嬢達に言われても素直に頷けない私だったが、帰国後、これが初の海外旅行だった河村の母から「73歳まで生きてきて本当に良かったです。」と書かれた葉書を受け取ると、思わず「お義母さん、また今度も連れて行ってあげなきゃ!」と再び義務感に燃えてしまったのだった。また今回は、いつもの買付けとは別な意味で、私にとって大変勉強になった旅だった。それにしても、ホント大変だった〜。
〜ロンドン編へとまだまだ続く〜
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