〜後 編〜

■11月某日 雨
 パリに比べるとオランダのホテルレートは高い。さらに北欧は物価が高いと聞くので(きっと税金が高いということなのだろう。)、ヨーロッパは北上する程、ホテルも高くなるのかもしれない。今回も大枚をはたいたにもかかわらず、アムステルダムの宿は屋根裏部屋!「屋根裏部屋」と聞くと、何だかメルヘンチックなのだが、夏は暑く、冬は寒い、かつての女中部屋。いつも泊っているパリのホテルだと常に「屋根裏部屋以外で!」とリクエストを出すようにしているのが、今回初めて泊るアムスのホテルは勝手が分からないまま予約し、屋根裏部屋をあてがわれてしまった。予想通り、ヒーターを付けても夜間は冷え冷えし(ヒーターを付けっぱなしで寝るとカラカラになるので、付けっぱなしで寝ることは出来ない。)、それ以上に掃除の行き届かないカーペット敷きのため、またここでもタリスに次いでゲホゲホ咳が止まらなくなる。

 今日は今回のオランダ行きの目的、大規模なフェアへ。搬入日でもある今日、出店ディーラーと共に会場入りするので、ホテルを出たのは午前6時。初めてのフェア、どんな物が手に入るのか?

 初めてのフェアは会場の場所が分からず、右往左往するのが常。毎回、初めての場所は憂鬱なのだ。今日も近くまで来たのだが、運悪く雨が降ってきた。そんな天候が、私達の気分をますます暗くさせる。
 ついにはどうしても場所が分からず、そのあたりを歩いていたマダムに英語で「済みません。アンティークフェアに行きたいのですが、会場をご存じですか?」と英語で尋ねると、「あなたも行くのね。私も行くから一緒に行きましょう!」とありがたいお言葉。「初めてなので、良く分からなくて。ありがとうございます!」とご一緒させていただく事に。お互いに「何を目当てで行くのか?」と話しながら早足で歩く。会場まではすぐ。会場入口でマダムに"Good luck!"と励まされる。

 出店するディーラーと同じ時間に会場入りするため、広大な展示会場はまだカラッポ。そんな中、テーブルに少しでも物が出ているディーラーをめがけて会場内を早足で歩き回る。

 最初に買付けたのはアイボリー地にリボンと薔薇模様のカルトナージュとシルクの飾りのついたチョコレートボックス。まだ薄暗い中、テーブルには沢山の人が群がっていて、その人と人の間からスルリと手を伸ばしてゲット!

 「あなたには良いと思うから行った方がいいわよ!」と、このフェアを一番すすめてくれたのは、ロンドンでお世話になっているソーイング小物を扱うディーラー。ここでは是非ともソーイングツールを買付けたいと思ってやって来たのだ。歩いても歩いても、望みの物が見つからず、あるブースで物色している最中、オーナーのマダムが袋から出しているソーイングツールの中に探していたシルバーのはさみがあるのを見て、瞬時にそのはさみに手を伸ばす。私が探していたイギリスのホールマークのついたはさみだ!私の手さばきの早さに周囲のマダム達は、「え?私が見ていたのに!(怒)」という感じで一瞬どよめいたが、フェアの会場では先に手にした者が勝ち!兎にも角にも探していたはさみを手に入れることが出来て嬉しい。

 他にもエナメルボタンやチョコレートボックス等の雑貨類を手に入れ、「やれやれ」と思っていると、いつもロンドンでお世話になっているディーラー達もイギリスから続々登場。皆、お互いに"Good luck!"と声を掛け合い、にっこり急ぎ足で通り過ぎる。

 「でも、まさかこんな所に上等なレースはないよね。」と自問自答しながら歩き回っていた時に、そのディーラーと出会った。そこだけ他所とはまったく違うレースが並んでいて、私が「ん?」と立ち止まると、マダムはフランス語で私に声を掛けてきた。「え?フランス人?」と驚いた私がつたないフランス語で「Bonjour! あなたフランス人なの?」と声を掛けてみると、マダムとムッシュウはベルギー人でブリュッセルから来たのだそう。私がテキパキと「これ見せて!」「これも!」とお願いすると、「コイツ、分かってる!」という感じで、続々高そうなレースを見せてくれた。特に彼らの持っていた18世紀の古いブリュッセルは素晴らしくて(お値段も素晴らしく高かったけれど)、見入ってしまう。残念ながらそれは手に入れることは出来なかったけれど、マダムの素敵なレースの中から、今まで見たことのない繊細なロザリンの襟を見つけた。そのロザリンの襟と一緒にデュシェスの襟を手に入れ、私もマダムも笑顔。「あなたのレース、素晴らしいわ。」と私、最後はレースを愛する者同士、マダムと握手をして別れた。

 会場を歩いていると、今日もあっという間に5〜6時間経ってしまう。普段だったらあり得ないのだが、買付け中は異常に(?)アドレナリンが出ているのか、不思議と元気。会場で河村と遅めのランチを食べ、今日の仕事は終った。

昼間に見るアムステルダム中央駅。一説には、東京駅のモデルだったと言われています。


運河の向こうは聖ニコラス教会。プロテスタントのオランダでは珍しいカトリックの教会です。


以前、オランダに行ったことのあるディーラーから聞いていたのですが、泊ったホテルのすぐ側の運河沿いは「飾り窓」地区でした。「飾り窓」と教会が隣り合わせという事実にびっくり!

■11月某日 曇り
 今日はフェア二日目。仕事が終了後、夕方にはパリに戻ることになっている。荷物をまとめ、スーツケースをホテルのレセプションに預け、今日も朝から出発!今晩パリに戻り、明日からはイタリアでのホリディ。今日が買付けの最終日、残された渾身の力を込め(大げさ?)会場へと向う。

 昨日も何度も回った会場を、また今日も。何か上質なジュエリーを手に入れて帰りたかった私達は、昨日は決断出来なかったジュエリーをもう一度ディーラーから見せて貰って検討。それはローズカットダイヤのリング、昨日もルーペで何度も眺めてみたものの、どうしても「決めて」が無く、高価なジュエリーでもあり、決めることが出来なかったのだ。今日も、「ルーペで眺めながら、「う〜ん。」と唸ってしまう。やっぱり決めきれないのだ。
 だが、ふとそのリングが置いてあった周囲を見ると、昨日は目に入らなかった同じくローズカットのペンダントを発見!アール・ヌーボーの影響が感じられる魅力的なリボンシェイプで、クローズドセッティングにもかかわらずローズカットダイヤの輝きが綺麗!私も河村もルーペで眺めながら「これこれ!これならばっちり!」と肯き合う。アリガネのほとんどをはたいてこのペンダントを入手。「これでもうジュエリーは終了!」と思った途端、まるで私達の気持ちを察したかのように、今まで使っていたルーペのネジが外れてバラバラになってしまった。

 高価なジュエリーを仕入れ、フヌケ状態になった私達だったが、昨日は見つけられなかった可愛い女の子のイラスト入りのボックスを見つけ、やはり仕入れずにはいられない。他にもチョコレートボックスやエナメルボタンなど、私達の愛好するアイテムを見つけ、それらも連れ帰ったのだった。これにて今回の買付けはすべて終了。疲労と共に大満足、良いものとの出会いが沢山あった買付けだった。

 会場を出たのは正午。タリスでパリに戻る夕方まで時間がある。「今回のオランダ行きは仕事だけ!」というつもりで来たのだが、時間があるなら行きたいところはアムステルダム国立美術館!レンブラント好きな私は、一度ここの「夜警」を見たかったのだ。「美術館!美術館へ行こう!」と河村を誘い、wifiの飛んでいる駅で行き方を調べる。アムステルダム中央駅からはトラムでさほど時間がかからないことが分かり、すぐにトラムに乗り、美術館へGO!今回美術館へ行くのは叶わないと思っていたので、とても嬉しい!ずっと美術の教科書で見ていた「夜警」の実物の絵画が見られるのも楽しみだ。

 トラムはアムステルダムの繁華街を通り抜け、美術館の側へ。今回、アムステルダムの街並みを楽しむ時間はほとんど無かったが、また次回はゆっくり来てみたい。そして今回訪れたアムステルダム国立美術館。落ち着いた雰囲気でとても良かった。

「青いドレスの少女」は贅沢なレース飾りと金銀刺繍で飾ったドレス。17世紀中期の裕福な家庭の子女だったと思われます。


「Maria van Strijpの肖像」は1652年の作品。裕福な商品の妻の肖像でしょうか。襟や袖飾りのレースに注目です!


レンブラントの「夜警」は遠くからでも抜群な存在感!見られて良かったです!この美術館には他にもレンブラントの収蔵品がありますよ!


美術館の奥へと進むと、そこは工芸品のコーナー。中央の王冠模様と流麗な文字のグラヴィールが施されたプレート。由緒ありそうです。


工芸品の奥にはジュエリーコーナーも!ダイヤの王冠と迫力の大粒のダイヤの組合わせ。ここにはジュエリーも沢山!もっとゆっくり見たかったです。絵画も良いですが、二次元でなく三次元の収蔵品に心躍ります!


美術館の奥深く、たどり着いた先は感動のレ-スコーナー。まさかオランダでこんなレースを見ることが出来るとは!創生期のレース、ヴェネチアンレースのジレです。繊細で立体的!


太陽王にまつわるレースでしょうか?見事なポワン・ド・フランスです。


19世紀と思われるレースのドレスも目を惹きます。


大振りなポワン・ド・ガーズのショールの一部。大判にもかかわらず非常に繊細な細工です。

 まさかアムステルダムでこんな素晴らしいレースと出会えるとは!ただ、時間が無かったため、ゆっくり見られなかったのが残念。願わくばもう一度、是非アムステルダム国立博物館へ行ってみたい。そんな喜びをよそに、買付けが終わり、気が抜けたせいか、泊っていた寒い屋根裏部屋のせいか、大風邪をひいていることに気付いた。夕刻、またタリスの埃っぽいカーペットにゲホゲホしながらパリへ。

■11月某日 雨
 昨日遅くオランダからパリへ戻ったものの、また今日は早朝からシャルル・ド・ゴール空港へ向かい、フィレンツェへ向うのだ。オランダでひいた風邪のせいでどんよりした気分のまま、すべての荷物を持ちタクシーで空港へと向う。

 フィレンツェへ向うのはエール・フランスで。私達のスーツケースの数は3個。私はエール・フランスの加盟しているスカイチームのプレミアムメンバーのため、通常は余分に1個スーツケースを預けることが出来る。が、エール・フランスのカウンターでは、「あなた方のチケットはリーズナブルだからスーツケースは1個ずつです!」と告げられる。それから散々「いつも一人で3個のスーツケースを預けてます!」とゴネてみるが、地上係員の女性は首を横に振るばかり。「これは超過料金を払わなければならないのか!?」と頭の中で観念しながらスーツケース3個の重さを量ると47キロ。「1個23キロのスーツケースを1個ずつ」という規定だったのだが、僅かなオーバー分はOKということで、突然手のひらを返したように「スーツケース3個でOKよ!」と言われ、狐につままれたような気分でスーツケースを預けた。
 そして機中の人となったのだが、風邪のせいで上手く「耳抜き」が出来ず、耳がずっとボワ〜ンとしたまま。結局イタリアにいる間中、ずっと耳がボワ〜ンとしたまま過ごすことになる。

 フィレンツェの空港から街までは30分ほど。空港から市街地までは比較的近い方だと思う。また、市街地までのタクシー料金が均一である点もありがたい。郊外から市街地を通り、すぐにヴェッキオ橋近くのホテルへ到着。荷物を置いて雨の中すぐに散歩へ。私は十数年振り4度目の懐かしいフィレンツェ、河村は初めてのフィレンツェ。早速夕暮れのヴェッキオ橋界隈からドゥモまでを散策する。

ホテル内の鏡の間。今回は旧市街の古い建築のホテルで過ごしました。


フレスコ画でしょうか?街角の聖母子像にイタリアらしさを感じます。


香水のパッケージにもカテリーナ・ディ・メディチの像が。いったいどのような香りがするのでしょう?


夜のヴェッキオ宮殿。夜のライトアップされた建物も魅力的です。


フィレンツェの夜は静か。イタリアルネサンスに魅せられ、20代の頃2回、30代の頃1回訪れたフィレンツェ。街を歩いてるいると、若かりし頃の思い出が蘇ってくるようです。

■11月某日 晴れ
 フィレンツェ二日目、最初のスケジュールは予約してあったウフィッツィ美術館へ。大昔はいつでも入館出来たここも、今はインターネットの事前予約が必要。日本にいる時に既に朝イチの予約を入れてあったので、ホテルで朝食を済ますと徒歩3分のウフィッツィ美術館へ。イタリアンルネッサンス好き、特にボッティチェッリとラファエロが好きな私は、様々な美術館の中でもここのコレクションが一番好きだ。

 ボッティチェッリの有名な作品が見られるとあって、河村も楽しみにしている様子。予約時間の少し前に着くと、もう入口には人が集まってきていた。ただ、実際には、すぐにそこに並ぶのではなく、側の窓口で予約番号を伝えてチケットに替えて貰い、それから入口の列へと並ぶ仕組み。予約時間と共に入館し、後は自由に回廊を歩いて行く。何度も訪れたウフィッツィ美術館だが、この回廊の緻密の天井画を眺めるところから期待が高まってくる。

 そして目的のボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」と「ラ・プリマベーラ」、どちらも美しいが、特に「ラ・プリマベーラ」の登場人物の足元の様々な草花やフローラの衣装の花模様、手にするガーランドに惹かれる。中央のヴィーナスも控えめながら印象的だし、左の三美神も美しい。「ヴィーナスの誕生」の色彩の美しく、異教徒的なおおらかさで、まるで暖かい海風が吹いているようだ。

 思う存分イタリアルネサンスの世界にひたった後は、河村がチェックしてあった中央市場のフードコートへ。街の中央にある大きな市場には様々な食材が並んでいてそれは楽しいのだが、その上の階はそうした食材で作ったイタリアンレストランのフードコートになっていて、正にパラダイス!既に出来上がっている料理を目で見てオーダー出来るとことも良い。そして、オーダーした食べ物を中央のテーブルに運んでくると、今度はどこからともなく飲み物の注文を取りに来るお姉さんが現われ、彼女にワインを注文する仕組み。今日は中央に大きなモツェラレラチーズを載せた前菜の盛り合わせに、河村にひどくびっくりされたトリュフのパスタ。(「黒と白とどっちが良い?」と実際に嗅がされて選んだ白トリュフのパスタは、フードコートにあるまじき40ユーロだった!)モツェラレラチーズはクリーミーで今までで一番のお味!白トリュフは文句なく美味しかった。トリュフさえ選ばなければ、リーズナブルでどれも美味、風邪で体調が悪くテンションが落ち気味の私も美味しい食べ物とワインでやっと気分が上がってきた。そして、その後、朝食以外の毎食をここに通うことになる。

ウフィッツィヴィ美術館の回廊の天井画。回廊の天井画がこれって…。この天井画が連なる回廊で、まずは上を仰ぎ見て、ため息です。


フィリッポ・リッピの「聖母の戴冠式」、後ろに並ぶエンジェル達にそれぞれ個性が感じられて楽しいです。白百合はマリア様の象徴、「祝福の象徴」といわれるエンジェル達の頭を飾る花飾りもチャーミングです。


ボッティチェッリの「ラ・プリマベーラ」。さすがにここと「ヴィーナスの誕生」の前は、日本の美術館のように混み合っています。


ヴィーナスとフローラ、この絵の中には静かな音楽が流れているようです。


フローラの衣装の花模様、手にしたガーランドに注目です。


登場人物の足元には様々な可愛らしいお花が描かれています。


「ヴィーナスの誕生」のこのおおらかな雰囲気が好きです。


ヴィーナスの首のかたむきが不思議でもあり、魅力的でもあります。


ボッティチェッリの「マニフィカトの聖母」、聖母の美しい顔立ちに惹かれます。


間近で見ると繊細な金細工のように冠が表現されています。


このエンジェルにはどこかで見た覚えがあるのでは?ロッソ・フィオレンティーノの「リュートを奏する天使」にもここで会えました。


ラファエロの「カルデリーノの聖母」、トーンも美しく、ラファエロの描く上品な聖母子像です。


まさかここフィレンツェでレンブラントに会えるとは!レンブラント若かりし頃の自画像です。


これがお昼に食べた前菜盛り合わせ!とにかくモッツァラレラチーズが美味しかったのですが、ドライトマトもマッシュルームも、サラミも、すべて美味しかったです!

■11月某日 雨のちくもり
 今日はドゥモのクーポラに登り、メディチ家の礼拝堂へ向う予定。お天気は雨交じりでいまひとつ、フィレンツェに来て以来、気温は5℃から6℃。寒かったオランダの屋根裏部屋ですっかり風邪をひき、「イタリアで暖かいバカンスを!」と思い描いていたというのに、実際に来てみると一番南にあるはずのイタリアが一番寒かったという現実。ユニクロのヒートテック二枚重ねし、持っている服をすべて着込んで出掛ける感じだ。

 雨交じりの中、予約してあったドゥモへ。以前は予約の必要がなく、いつでも上れたクーポラも、今は完全予約制で管理されている。私は何度も登ったことがあるが河村は初めて、あの赤い瓦屋根が並んだフィレンツェの街並みが見たくてまた登ることになったのだ。まさかこんな大変だと思わずに…。

 そう、過去3回、10代、20代、30代で登った時には、疲れはしたもののサクサクと登り、てっぺんまで登ると風が気持ち良かったのだが、今回は違った。登り始めてから中盤にかかると息が切れて、酸欠状態。寒かったため、沢山着込んだことはアダになり、体温調節が出来ず、苦しくてたまらない。人一人がやっと通れる細い螺旋階段が続く最上階までの道のり、「ここで倒れたらいったいどうやって降ろされるのだろう?河村は背負って降りてはくれないだろうし…。」と思いながらゼイゼイハアハアしながら足を進める。途中、足が止まり、ヨロヨロとなんとか最上階にたどり着いた時には息が切れ、目の前が暗くなり、しばらく座り込んでしまった。こんなところで激しく年齢を味わうとは…。

 ぐったり疲れてクーポラから降りてくるとランチの時間。今日もまた中央市場のフードコートへ。今日は別な前菜盛り合わせに、ピッツァを食べ(一枚5〜6ユーロ、こちらも日本に比べるとかなり安い印象。)、キャンティを飲んでご機嫌。ランチを食べた先から、「ディナーには何を食べよう!」と河村と相談。本来「イタリアルネッサンスを巡る旅」だったはずが、「フィレンツェ食の祭典」になっている不思議。年齢を経ると食欲が一番の欲望になってしまうのか…?

 その中央市場の周りは革の蚤の市になっていて、はるか昔、20代、30代の私が一人旅で訪れた際にはこの辺りのペンショーネに泊ったはずなのだが、あれからウン十年、あの頃は地図を片手にひとりでどこでも歩き回っていたのに、今となってはどこに泊ったのやらさっぱり思い出せない。ペンショーネの部屋の床が石造りだったことも、蚤の市でイタリア男にしつこく絡まれたことも、文化の違いをまざまざと思い知らされ、忘れられない記憶だ。(あれから長い時間が経った今、イタリア男すらもう誰も寄ってこない…。)

 そして、午後はメディチ家の礼拝堂へ。メディチ家あってのフィレンツェというのは良く分かっていたはずなのだが、ここへ来てさらに「メディチ家恐るべし!」という言葉が思わず口をついてしまう。(以前ウィーンに行った際には「神聖ローマ帝国恐るべし!」が私達の合い言葉だった。)自分達だけのためにこんな豪華な礼拝堂を作れたとは…。紙と木の建築資材の国から来た私達にとって、何でも石造りのイタリアはまったく違う文化を持って国に思える。

難工事の末に完成されたクーポラ、フィレンツェのドゥモ、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂はルネッサンス期の建築です。


白、ピンク、グリーン、カラフルな大理石の装飾は、「花の聖母教会」の名前に相応しいものです。


ジョットーの鐘楼は約84m。こちらにも登ることが出来ます。


クーポラのてっぺんは約114m、フィレンツェ特有の赤い瓦の街並みが一望出来ます。


クーポラの内側。クーポラに登ると、この巨大な天井画もすぐ側から見ることが出来ます。ありがたいというか、何というか…。


ああ、ここにも大理石装飾が。メディチ家の礼拝堂の中には、このような様々な紋章が見られました。


フィレンツェの最高権力者であったメディチ家とミケランジェロのコラボレーションがこの礼拝堂。「栄華を極める」ってこういうことをいうのですね。天井を見上げたまま、あんぐり口を開けてしまいました。

■11月某日 雨
 フィレンツェ最終日、毎日観光し、美味しいものを食べ(これも物価が安いイタリアだからこそ!)、楽しい時間はあっという間で後ろ髪を引かれる思いだ。午後にはタクシーで空港へ向うことになっている。朝食後、すっかり馴染んだ広々とした部屋に別れを告げ(これもイタリアの物価のお陰で、今回の買付けで一番安いルームレートだったのに、一番ゴージャスな部屋だったのだ。しかも朝食付!)、荷物をレセプションに降ろし、中世邸宅博物館へ。

 そこは16世紀半ばの裕福な商人の邸宅をそのまま博物館にした場所。フィレンツェで、散々豪華な建築や絵画を見た後、当時の人々の息吹を感じたくなって来てみたのだ。その博物館は、フィレンツェの中央に位置し、ホテルからもすぐ。ドゥモまで何度も往復した道のすぐ側にあった。

 中世の邸宅で、内装も家具も当時の物を配しているそこは興味深く、螺旋になった階段を上の階へと登っていく。ルネッサンス時代の邸宅は広々としていて天井は高く、家具は大きく重厚で、現代とかけ離れた邸宅に「昔過ぎて何だか馴染めないな…。」と思っていると、小さな小部屋が…。19世紀の刺繍作品や見慣れたソーイングツールが展示された小部屋を抜けるとそこにはレースの展示室が!
 まさかフィレンツェでレースを見ることが出来ると思っていなかった私達はびっくり!見回すと創生期のヴェネチアンからその後のベルギーレース、フランスレース、そして19世紀の様々なレースが!どれも上質なレースばかりで、特に何段にもなった引き出しに展示されたハンカチのコレクションは素晴らしく、これほど沢山のハンカチは見たことがないほど。中にはメディチ家の紋章入りの物もあり、引き出しを次から次へと開けては、「おぉ!」と驚きの声をあげる。ポワン・ド・ガーズ、アランソン、ホワイトワーク、どれも逸品ばかりで思わず目が踊ってしまう。最後の最後に、思いがけずこんな素晴らしいレースを見ることが出来て大満足。これはきっとレースを良く分かった人物が監修したに違いないと思い、最後に受付けの女性に「いったいどういう人が収集したの?」と聞くと、「レースは誰かのコレクションではなく、寄付などで集まってきた物ばかり。」という返事だった。(恐るべし!フィレンツェ!)受付けで、レースのついてのカタログを求めようと思ったのだが、残念ながら何もなかった。

王冠に5粒の丸薬はメディチ家の紋章。メディチ家縁の女性の持ち物だったのでしょう。


19世紀の混合技法の豪華なストール。


上のストールを拡大した物がこちらです。大振りなアイテムですが細工は繊細です。


王冠に“M”を組合わせた紋章は、こちらもメディチ家に由来する物でしょうか?


上のハンカチの拡大画像です。


こちらはホワイトワークのハンカチ。今までに扱った事があるような模様です。


こちらも貴族の紋章入り。上のハンカチと同じく、見覚えがあるような紋章です。


こちらはハンカチではなくラペット。この麻の葉模様も、同様な模様のハンカチを扱ったことが…。


繊細なヴェネチアンレース。ヴェネチアのブラーノ島のレース美術館のコレクションを思い出します。


ガーランド模様のアルジャンタンの広巾ボーダーもどこかの美術館で見た記憶が…。


遠く離れたベルギーの18世紀の繊細なボビンレースも。遠く離れていても、当時のお金持ちはわざわざベルギーから取り寄せたのでしょうか?


他にも18世紀のボビンレースのラペット色々。どれも大変見ごたえのあるレースでした。


邸宅博物館の内部は吹き抜けになっていました。レースに気を取られ、博物館内の写真はこれだけ!


フィレンツェのお菓子色々。リキュールボンボンは見た目にも美しいお菓子です。


フルーツそっくりに作られたマジパン。どんな味がするのでしょう?


すみれや薔薇の砂糖漬。入っているガラスのポットも素敵です。

 ホテルに戻り、タクシーを呼んで貰ってフィレンツェ・ペレトラ空港空港へと向う。フィレンツェの市街から空港までは均一料金、時間も20分とかからず非常に便利が良い。空港までスムーズに行ったものの、最後の最後に心配事が。
 今回、河村の航空券は大韓航空のマイレージのボーナスチケット、ローマーインチョンー成田まではカバーされるがフィレンツェーローマ間は別に買ったアリタリアのチケットで。私は大韓航空のサイトから購入したフィレンツェーローマーインチョンー成田のチケット。フィレンツェーローマ間は同じスカイチームのアリタリアのチケットが組み込まれている。アリタリア機がローマに到着し、次に大韓航空のインチョン便が離陸するまでは1時間半しかない。大韓航空のサイトから買ったチケットゆえ、フィレンツェでチェックインすればそのまま荷物は成田まで行ってしまうと思っていて、「もし河村の荷物だけローマで預け直さなければならなかったらどうしよう。」と心配していたのだが…。アリタリアのチェックインカウンターの女性職員は頭を振り、「違う航空会社だから、ふたりともローマで荷物をピックアップし、再度大韓航空のカウンターで預けなければならない。」と私達に告げるではないか。「えっ!?でも、大韓航空のサイトから買ったチケットだけど…。」と食い下がる私に、「あなた方が乗るのはアリタリアじゃないから、どうにもならないわ。」とさらに首を振る。

 ローマでは1時間半の間に(実際には、ロングフライトの搭乗は30分以上前なので、正味1時間もないはず。)飛行機から出てきた荷物を受取って、また大韓航空のカウンターで預け直さなければならないなんてまさかの展開。心配で青ざめながらフィレンツェーローマ間の飛行機に乗ることに。しかも、到着したローマのレオナルド・ダ・ヴィンチ空港では、ターミナルではなく、ターミナルから遠い駐機場に到着。そこからバスに乗せられ、ターミナルまで運ばれていく。やっとターミナルに着いて、手荷物受取りの前でカートを用意して待っていても、荷物はなかなか出てこない。焦る私は近くの職員に大韓航空のカウンターのあるターミナル5まで「ここからどれ位かかりますか!?」と必死の形相で尋ね回る。が、そこはイタリア人のこと、笑顔で「ターミナル5なら歩いて2分だよ!」というお気楽な返事が返ってくるばかり。

 やっと私達のスーツケース4個が出てきた!河村が3個のスーツケースをカートに載せ、私はスーツケース一つを引っ張り、そこからターミナル5までレースが始まった。ひと気のないターミナル5の中をバタバタと駈けていく私達。確かにターミナル5までは徒歩2分だったのだが、大韓航空のカウンターはその一番奥にあったのだ。ふたりで走ること15分、息を切らせ死にそうになって到着した大韓航空のカウンターには、もうクローズする用意がされていて、職員の女性が一人ぽつんといるばかり。ゼイゼイハアハア息を切らせマトモに話が出来ない私達に、彼女は「え?まさか今からチェックインするの!?」と一瞬怪訝な表情になったものの、テキパキと手続きをしてくれた。そして、私達が荷物を預け終ると共にカウンターはクローズ。ギリギリセーフで無事帰国することが出来た。

***無事に帰国出来てほっとしました。でもたまに他の国に旅するのも良いですね。***