〜後 編〜

■11月某日 雨
 フランスでの仕入れは終了。今日から三泊でチェコに「海外旅行」へ。チェコへは飛行機で行くのだが、その後、再びパリに戻り、パリに戻ったその日のうちにユーロスターでロンドンに向うことになっている。本来なら、この季節は暖かい南欧の国に行きたかった私、「バルセロナとフィレンツェだったらどっちがいい?」と私が尋ねたにもかかわらず、「プラハに行きたい。」と言う河村。仕方なく、以前からプラハ行きたがっていた河村の意見を尊重して今回の行き先が決まったのだ。

 午前9時45分の飛行機に乗るために、シャルル・ド・ゴールにはその2時間前の午前7時45分までには到着せねばならない。空港まではスムーズにいけば1時間位なのだが、念のため午前5時45分にはホテルを出発。その前にフランスで買付けた荷物を、パズルのように大きなスーツケースにしまい、チェコに持って行く荷物を小さなスーツケースに詰める。大きなスーツケースはパリのホテルにキープを頼み、小さなスーツケースを持ってRER(郊外高速鉄道)で空港へと向う。昨日までとはうってかわり、気温は低く、しとしと雨降りだったのだが、空港に近づくに従って外は吹雪に!こんな雪の降るパリは今まで見たことがない。一瞬脳裏に「雪による空港閉鎖」の文字が浮かんだが、お陰様で無事定刻に飛ぶことが出来た。やれやれ。

 2時間弱のフライトで到着したプラハ空港。空港内にいる人の服装がパリとはまったく違うことに驚く。まるで極寒の国に来たみたいに皆厚着なのだ。(実際、極寒の国だったのだが。)そして、空港内のインフォメーションには、チェコ語、英語に交じってなぜかハングル文字が。(後から聞いたところでは、大韓航空との共同運行便が出来てから韓国からの観光客がとても多いらしい。たぶん空港の整備に韓国も資本提供したのかも。)ターンテーブルからさっさと荷物を落ろし、外へ出るとそこはまさに極寒の国!パリとはかなり気温が違う。寒さに震えながら、プラハの街の中心部まで行く空港バスの乗り場を探し、恐る恐るバスに乗り込む。(空港バスといっても、数人乗りのボロボロのマイクロバスで、シートベルトも壊れたちょっとびっくりするシロモノ。)そんなボロボロバスに乗ること数十分、初めての国、初めての街にドキドキし、窓の外をガン見しつつ、街の中心部へ着いた。

 空港バスが到着したのは、なにやら石畳の広場の横。スーツケースを引くのにも石畳がガタガタして不便だし、自分達がどの方向のどこに居るかも分からない。地図を片手にウロウロするも、スーツケースを阻む石畳に断念する。が、目の前はアール・ヌーボー様式の建物。表玄関を見上げると見事なモザイクの壁画も。河村の「ここって市民会館じゃない?」という言葉に、やっと地に足が付いた気分に。ここは文字通り市民のためのコンサートホール。有名なスメタナホールの他、いくつかのホールが併設されている。建物を表から眺める私達の目を奪ったのは、1階のアール・ヌーボー風のカフェ。(入口玄関の右側がレストランで左側がカフェになっている。)「ここに入る!ここに入る!」と叫ぶ私。念のため入口のメニューをチェックし、リーズナブルであることを確認し、中へ。

 「ドブリーデン!」と、まずは支配人のご挨拶。そう、ドブリーデンとはチェコ語で「こんにちは」という意味なのだ。ロシア語に近いと言われているチェコ語、まったく馴染みのない言葉なので、チェコ語で話す音を聞いてもさっぱり頭に入ってこない。「ドブリーデン」の他に、せめて「ありがとう」を言えるようになろうと、手の平にペンで書いていたのだが、結局覚えられずに帰ることとなった。

 さて、カフェの中はゴールドを基調にしたアール・ヌーボースタイル。天井から下がるシャンデリアも素敵。アール・ヌーボー空間に夢心地、でも食べたオムレツとケーキはあまり印象に残っていないので、ごく普通のテイストだったかと。ただし、行く前から様々な人から聞いていた通り、ビールのピルスナーは驚きの美味しさだった!(「ピルスナー」自体、チェコが発祥でもあるので。)

こちらが市民会館。見上げるとモザイク壁画、アール・ヌーボー様式の立派な建物です。内部にはミュシャの壁画もあるそうですが、それは内部見学ツアーに参加しなければ見られないのだそう。


こちらが一階のカフェ内部。素敵空間で美味しいピルスナーを飲み、すっかりご機嫌でした。

 素敵カフェから出てきた私達、まずはホテルに荷物を置きに行くことに。が、再び石畳をガラガラ音をたててカートを引きづったものの、ホテルまでの距離感が分からず断念。タクシーを拾い、ホテルのアドレスを差し出した。

 10分も街中を走ると旧市街の目的のホテルに到着。毎度、シーズンオフに旅することが多い私達、いつもだったら泊ることの出来ないクラスのホテルに泊ることを楽しみにしている。今回宿泊するのはかつて修道院だったという小さなホテル。果たして如何なものか?

 静かな通りから建物に足を踏み入れるやいなや英語でご挨拶。ウエルカムドリンクもいただき、初めから良い気分の私達。長い廊下を通って向ったお部屋はただただ広く、バスルームにいたっては日本のビジネスホテルの一室程の広さ。古い建物のはずだが、綺麗にリノベーションされていて快適。観光するのも忘れて、まずは部屋でまったり過ごしてしまう。
 プラハに着いて以来寒さに震えていた私はたっぷり厚着をして、とりあえず河村とふたり旧市街を散策に出掛ける。

 ホテル自体も旧市街にあるのだが、ホテルでマップを貰い、観光地が点在している旧市街に出発。古い街並みにチェコガラスのお店が並ぶプラハの旧市街に、ヴァネチアを思い出す。フラフラと適当に歩き、有名なカレル橋に到着。いつの間にか夕刻迫るカレル橋は(この時期のヨーロッパは日没が早い。)、影が濃くなっていっそうドラマティック。橋の上で寒空に吹かれていると、果てしない気持ちになってくる。橋の上から明日訪れるプラハ城を寒さに震えながら眺め、再び街を歩く。途中、オークションハウス・ドロテウムを見つけ、フラフラと足を踏み入れる。

 ドロテウムの1階はアンティークショップになっていて、沢山の商品が並んでいる。商品構成はウィーンのドロテウムで見たそれに似ていて、ドイツ系の商品に近い感じ。それにボヘミアングラスばかりが並ぶコーナーやボヘミアンガーネットがびっしり並ぶガラスケースが。観光モードだったのも忘れて、お仕事モードで沢山のジュエリーが並ぶジュエリーコーナーを一生懸命チェックするが、さほど気に入る物が無い。「これはダメだ。」と思うと、お仕事モードはあっという間に消え失せ、再び観光モードに。

 すっかり暗くなった街並みをホテルに戻る。今晩の夕食はフランスのパンのチェーン店PAULのサラダとバゲット。ついつい簡単にいつも食べているものを選んでしまったが、物価の安いチェコでは、たぶん高価なのかも…。PAULがあったショッピングモールには沢山のイギリスやフランスのショップが入っていることから、この国にはイギリス資本やフランス資本が沢山入っていることを感じる。
 明日はプラハ城へ。

聖人の像が並んだカレル橋の上から、果てしない気分で。向こうに見えるのはプラハ城です。


カレル橋の側のパステルカラー建物群は18世紀のものでしょうか?可愛らしい色合いに思わず撮影!


見るからに重々しい中央の建物は、火薬塔と呼ばれる15世紀の建物。元々は旧市街の城壁を守る門だったのだそうで、17世紀には火薬庫として使われていたのだとか。


旧市庁舎の壁につけられた美しい天文時計は15世紀初頭に作られたからくり時計。毎時死神(!)が鐘を鳴らし、12使徒があらわれます。からくり時計が動く毎時近くはシーズンオフとはいえ凄い数の観光客でした!

■11月某日 晴れ
 プラハ二日目の今日はプラハ城に観光の予定。まずは朝からホテルご自慢のモーニングビュッフェを食べにダイニングルームへ。
 豪華なビュッフェが有名のこのホテル、長い廊下を通ってダイニングルームに着くと、そこは冷製、温製の様々な食べ物が並んだ酒池肉林状態。スパークリングワインも並べられ、「今日は仕事じゃないしね!」と、当然のように私は朝からグラスに注ぎご機嫌に!次々と給仕の若い女性スタッフがキッチンとダイニングルームを往復し、減った食べ物を補充していく。

 こんな贅沢なビュッフェは見たことがない!食パン、クロワッサン、レーズンパン、シリアル入りのパン等など、何種類ものシリアルとミューズリー、クレープ、主食だけでも沢山の種類。それに加えて見たこともない様々なハム、ソーセージ、チーズ。他にも温かなお総菜、冷たいお総菜、ドライフルーツ、フレッシュフルーツやヨーグルトの種類も半端無い。そしてどれもが美味!1時間以上朝ごはんに費やしただろうか、「もうこれ以上食べられない!」と、大満足でダイニングルームをあとにしたのだった。

 プラハ城に行くにあたり、地下鉄でプラハ城の側まで行くのだが、地下鉄やトラムの1日券を買おうとホテルの近くにあるはずのインフォーメーションに向うのだが、どうにもたどり着けない。グルグル歩き回り、結局地下鉄の駅近くまで来たため、1日券は諦め、地下鉄構内でチケットを買うことに。が、プラハの地下鉄にはチケット販売の窓口はなく、日本では40年ぐらい前に使われていた古い券売機がぽつんと置かれているのみ。しかもこの券売機はコインしか使うことが出来ない。コインを持っていない私達は「だめだ〜。」と言いながら再び地上へ。仕方なく街角で煙草や雑誌を売るタバで地下鉄のチケットも購入。物凄く愛想の無い、しかし英語の出来るお姉さんがチケットを売ってくれた。
 再び駅の構内に戻り、ホームへ降りるエスカレーターに乗ると、これがまたあり得ないほど高速!そのスピードたるや、驚きの速さ!早速「共産主義的エレベーター」と名付ける。

 一旦地下鉄に乗れば、あとは問題なく目的地へ到着。モルダウ川を越えたプラハ城のお膝元で地下鉄を下車。河村に言われるままに連れてこられたのだが、地下鉄を下車し、地上に上がってきた後、プラハ城まではただひたすら上り坂を登るのみ。「うそ!これ、歩いて登るの!?」と泣き言を言う私。そんな私の発言をどこ吹く風の河村。どんどん先に向っていく。でも、登った先の向こうにプラハの街全体が見えてくる。「こんな遠くまでよく来たね〜。」と、どちらともなく呟く私達。この景色、もう二度と見ることがないかもしれないと思うと、じっくり目に焼き付けたくなる。

向こうに見えるのはプラハ城、その下に流れるのはモルダウ川。この辺りは、映画「アマデウス」や「レ・ミゼラブル」などの映画のロケ地としても知られています。

 プラハ城に足を踏み入れると、そこは史跡のテーマパーク。「錬金術師の小径」と呼ばれる場所では、連なる建物の中に沢山の甲冑が飾ってあって興味深い。こうしたプレートアーマー(甲冑)はロンドン塔にもコレクションがあって、私は以前にも見たとがあったのだが、こちらは個性的な物が沢山!初めて見る河村は夢中になって撮影している。他にも旧王宮の中に足を踏み入れたり、ゴシック建築の聖ヴィート大聖堂の中のミュシャのステンドグラスに感動したり、高い尖塔を眺めて、また果てしない気分になったり。あっという間に時間は経っていく。朝、たっぷり朝食を食べたお陰で、お腹が空くこともなく、休むことなく観光。(その日、ホテルに帰ってからiPhoneの万歩計をチェックしたら、2万歩、30階まで登ったことになっていた。)

 プラハ城を一通り楽しんだ後は、すぐ側のストラホフ修道院へ有名な図書館を見に。こちらがまた坂の上!坂ばかりのプラハ城を出てから、一旦降りて、また登って…。途中、アンティークショップを見つけて覗いてみる。私はチェコで買おうと思っていたチェコグラスのクリスマスツリー、河村はチェコグラスのブローチをゲット。毎年ロンドンで1個ずつ入手していたチェコグラスのクリスマスツリー、本当はもっと沢山欲しかったのに、河村から「1個で十分でしょ!」と言われ断念。当然ながらロンドンよりもずっと安かったので、もっと買えば良かった。

 ストラホフ修道院は、12世紀中頃に創立された中世の修道院。図書館内部はスタッコ細工やフレスコ画の天井壁画が美しい。この静謐な空間を見ていると、当時書籍がどんなにも貴重な物だったかが伝わってくる。
 ストラホフ修道院の図書館を堪能した後は、再びプラハ城へ逆戻り。最後に夕刻からは聖堂内でのコンサートにも参加。高い聖堂内の天井にモーツァルトの旋律が響き、ふともう一度ウィーンに行きたくなった。

鳥人間!?何ともユーモラス、不思議なフォルムのプレートアーマーです。なんだか奈良のお寺でこれにそっくりな仏像を見たような記憶が…。


こちらはカネゴンそっくり!プレートアーマーは個性派揃いです。


チェコのクリスマスリースは盛り沢山!陶器製のベルが沢山下がっていて可愛いですね。


この不思議人形もチェコらしい物のひとつなのでしょうか?窓辺に飾られたお人形は怖可愛い(?)表情です。


重機のない14世紀の時代にいったいどのようにしてこんな高い尖塔を建てたのでしょうか?青空をバッグにした尖塔を眺め、様々な意味で果てしな〜い気持ちが湧いてきます。


こんなところにもミュシャが!プラハ城内にある聖ヴィート大聖堂でミュシャのステンドグラスを発見!そうでした、パリでは装飾美術家と認知されていたミュシャですが、チェコを代表する画家でもありました。明日はミュシャの美術館に向かいます。


ストラホフ修道院は、12世紀中ごろに創立されたプレモンストラート会の修道院。私達が訪ねた夕方近くは観光客もまばらで静かでした。


重厚なスタッコ細工が施された「神学の間」、壁面にはずらりと書籍が。


こちらのフレスコ画の天井は「哲学の間」、中世からの蔵書がぎっしり収められています。

■11月某日 晴れ
 今日はミュシャ美術館に行くことになっている。昨日と同じく、朝から豪華なモーニングビュッフェを散々お腹に詰め込み、大満足!今日もたっぷり厚着をして出掛ける。

 ミュシャ美術館まではホテルから徒歩で。美術館のある通りはいくつかアンティークショップもあり(プラハの街自体あちこちにアンティークショップがある。)、気になったその中の一軒に入ってみる。ジュエリーと女性用の小物を扱うこのショップ、マダムは英語に堪能で、意思の疎通に困ることはまったく無い。ジュエリーの入ったガラスケースを次々とチェックしていく。ジュエリーではないが、シルバー小物に気になる物を発見。マダムにガラスケースから出して貰い、手に取ってまじまじと眺める。フランスでもよく目にする19世紀のルイ16世様式のシルバー小物。ただし、刻印はフランスではなくチェコの物。「う〜ん。」と唸ったまま手から放せずにいる私。せっかくプラハまで来たので、何か仕入れたい気持ちがあり、どうも選択眼が甘くなりがちなのだ。「欲しい!買ってみたい!」という気持ちを河村に見透かされ、「これがもしフランスで見つけたらどうする?仕入れないでしょ?」と諭される。
 確かに河村の言う通り。結局、仕入れには至らず、マダムによくお礼を言ってあとにした。

 楽しみにしていたミュシャ美術館は思っていたよりもやや小規模。だが、ミュシャの世界を堪能するには十分。晩年のミュシャは、プラハでは画家と認識されていて、油彩の大作も描かれているのだが、やはり私はパリ時代の商業美術家としてのミュシャの方が魅力的に見えてしまう。有名なポスターの数々に生き生きとした彼の仕事振りを感じてしまう。だが、一番感動したのは、植物の鉛筆デッサン。ミュシャはポスターやジュエリーのデザインなどの様々な作品のために、日頃から植物デッサンを欠かさなかったようで、そんな地味な仕事ひとつひとつが元となって彼の作品が生まれてくるかと思うと、ミュシャの人となりがいきなり身近に感じられたのだった。

 ミュシャ美術館から出てきた後は、先日も立ち寄ったオークションハウス、ドロテウムへ。旧市街にあるここも歩いて行くことの出来る距離。ミュシャ美術館から10分もかからない距離だ。ミュシャ美術館側のアンティークショップでは何も仕入れることが出来ず、しょんぼりしたままドロテウムへと向う。ドロテウムの扉をくぐり、隅から隅まで見回す。1点、前回来た時に気になっていた薔薇模様のボヘミアングラスがあったので、こちらを再び凝視。が、明るい時間に見ると、金彩の剥げが気になり、やっぱりダメだった。(帰国後、食器を専門に扱っている友人ディーラーから聞いた話では、沢山並んでいる陶磁器も補修された物があり、要注意なのだそうだ。)

 その後は旧市街を散策。カフェ巡りぐらいで、特に目的を持たず、歩き回るのが楽しい。遅い昼食をアール・ヌーボースタイルのカフェ・ド・パリで。ここは1904年に建てられた五つ星ホテル、ホテル・パリ・プラハの一階。(五つ星と言っても、物価の安いプラハのこと、このホテルも宿泊先の候補のひとつに挙げていたのだ。)せっかく来たからには観光も大事だが、こうして時間が過ぎるのも忘れて、のんびり過ごすのも贅沢な気がする。

 そして、夕刻は市民会館のホールで開催される弦楽四重奏のコンサートへ。夕方一度ホテルに戻り、少しだけおめかしをして会場へ。昨日と同様モーツァルトのディベルティメント、そしてチェコの作曲家スメタナのよく知られた楽曲モルダウ。モーツァルトも良かったけれど、断然母国をテーマにしたモルダウの方が、メンバー全員がのっているのが分かり面白い。

 そんな音楽を聴きながら思い出したのは、私が子供の頃、近所に住んでいた名古屋地区では一番大きなカトリック教会の神父様のこと。地方都市ではまだまだ外国人が珍しかった1970年代、共産主義時代の当時、自由に外国に出国することなど出来なかったはずだろうに、チェコスロバキア生まれの彼はどういう経緯で名古屋に来ることになったのか。日本語が上手だったので、1960年代から日本に住んでいたのかもしれない。

 小学生だった当時、友達と何度かお邪魔したことのある神父様の家は礼拝堂もある広大な邸宅で、そこにたったひとりで贅沢に住まわれていた。遠く故国を離れ、家族も無く、たった一人で淋しくはなかったのだろうか。神様が居るから大丈夫だったのだろうか。

 今思うと、そこは私が初めて目にする「外国」で、広い落ち着いた雰囲気のダイニングルームには、大きな長いテーブル(沢山の人が会議出来るほどの大きさだった。)、その両端にはいつでも灯せるように長いキャンドルがセットされたマイセンの大きな燭台と、クリスタルの花瓶にたっぷり生けられた生花が置かれていていた記憶が。私達がまだ小さな子どもだったにもかかわらず、家中を案内して貰い、礼拝堂の脇には大きなクローゼットがあって、見るからに豪華な司祭服が沢山しまってあったのもよく覚えている。
 たぶんその世界では、高いヒエラルキーまで上り詰めたはずなのだが、たったひとりでその広大な自宅で倒れたまま、帰らぬ人となった彼。彼の死後は自宅ごと教会に寄付されることになっていたようで、亡くなった直後、その邸宅も何もかもがまるで煙のように消えて更地になったのも、不思議な思い出。まるであの広いお屋敷の光景が幻だったかのように思われるのだ。

ミュシャ美術館の窓辺には「ヒヤシンス姫」。館内は撮影不可でしたが、ミュシャグッズでいっぱいのミュージアムショップも楽しかったですよ。


プラハは様々なスタイルの建築の宝庫。しかも皆現役です!この建物には素敵な壁画が。


こちらはアール・ヌーボー期の建築。バルコニーのアイアンワークの手摺りに取り付けられた文字がエキゾチックです。


こちらは壁面のモザイクが印象的。最上階の窓辺に“PRAHA”の文字が!状態が良いのは改修を重ねたからでしょうか?


はるかプラハでロンドンにあるおもちゃ専門店ハムレースに出会うとは!この建物は共産党時代の物。玄関の上に立つ「労働」をテーマにした彫像と、資本主義の最たる物であるイギリスのおもちゃ屋との取り合わせに興味を持ちました。


ブルーの美しいモザイクはホテル・パリ・プラハの玄関。こちらも1904年築のアール・ヌーボー期の建物です。


こちらは旧市街広場にある聖ミクラーシュ教会内部のチェコらしいボヘミアンクリスタルのシャンデリア。こんな教会のシャンデリア、初めて見ました。


市民会館の内部はすべて大理石張り。コンサートに行くのは久し振り。プラハで音楽を聴くと、またウィーンにも行きたくなります。


市民会館内部のこの丸窓、奥野ビルの丸窓を思い出します。


コンサートの後は夜の街を散策。ここはプラハ旧市街広場、中央はゴシック様式のティーン教会です。夜の景色も存在感たっぷりです。

■11月某日 雪
今日は飛行機でパリへと戻り、その後ユーロスターでロンドンへ向う約1,200Kmを移動する大移動の日。本当に三泊四日なんてあっという間だ。名残惜しく今朝も豪華なモーニングビュッフェをたらふく食べ、旧市街広場の向こうにあるバス乗り場へ、スーツケースをゴロゴロ引きながら歩いて出掛ける。

 行きにも乗ってきた空港までのボロボロのマイクロバスは、シートベルトすら無く、今回もドキドキしながら空港へと向う。そして、さらのそのドキドキを激しくさせる出来事が!元々小雪が舞っていたのだが、空港に行くまでの道すがら、標高が高いのか雪が真っ白に積もっているではないか!?「えっ!?まさか空港雪でが閉鎖なんて事はないよね?」と心の中で叫ぶ。無事空港に着くと、何のことはなく飛行機の発着は平常通り。何事もなく機上の人となったのだった。

 そして、シャルル・ド・ゴールに着くと、RER(郊外高速鉄道)で荷物を預かって貰っていたホテルに直行。預かって貰っていたスーツケース2個を受取り、タクシーを呼んで貰い、ユーロスターの出る北駅へと向う。ここまでは順調だったが、駅に着き、ユーロスターの改札までやってきて仰天!!

 いつもとは違って、「難民か!?」とでもいうような凄い人だかり。何とか改札をクリアしても、その後フランスとイギリスのイミグレーションを通過しなければならない。ほとんどフリーパスのフランスはまだしも、イギリスのイミグレーションは滞在目的や日数を一人一人インタビューされるので、これがまた時間がかかるのだ。「何かあったら大変!」と2時間前に駅に着いたのだが、たぶん何か不具合のせいで前の列車に遅れが出て、それがどんどん後続の列車に響したのか、私達が乗る列車よりも1時間前の列車に乗るための人でごった返してカオス状態!そのうえ、私達よりも1時間前に電車に乗る人達を「間に合わないから先に手続きさせるように!」という駅員の指示で、さらに待つことに。改札を抜け、両方のイミグレーションを通り抜けるのに1時間近く待っただろうか。ようやくラウンジにたどり着いた頃には、それぞれ2つずつの荷物と共にぐったり疲れて果てていた。本当にフランスって、何があるか分からない。

 そんなことがあったにもかかわらず、私達の乗ったユーロスターは何事もなかったかのように定刻通りに発車。ロンドンに到着したのはすっかり夜も更けた午後9時半過ぎ。ホテルに着いたのは午後10時を回っていた。いつものホテルに着くと、ロンドンにいることが当たり前過ぎて、自分でも、朝、プラハにいたことが信じられない感じ。明日は遠出してカントリーサイドのフェアに行くことになっている。また買付けの日常が戻ってきた。

■11月某日 曇り
 今日は列車に乗ってカントリーサイドのフェアへ。度々スケジュールが合うと出掛けるお気に入りのフェアなのだが、滞在時間はたった3時間半なのに、行きと帰りに時間がかかり(あまりに田舎ゆえ、電車の本数が少なく、1時間に1本よりもさらに電車がないのだ。)、午前中早い時間に出ても、帰ってくるのは夕方遅く、一日仕事。今日はブリティッシュレイルに乗って出掛ける。

イギリスでは通常通り仕事が待っていて、なんだか夢から覚めたような不思議な気持ち。メランコリックなプラハを思い出すと、なんとも無味乾燥なイギリスなのでした。(イギリスがお好きな方、ごめんなさい。だって、どんよりしているし、美味しいものないし…。)

 列車の時間がフェアの開始時間に合わないため、誰もいいない田舎のショウグラウンドのゲートの前で1時間以上待機。(次の列車だと2時間以上先になり、これも全然時間が合わないのだ。)その間、ぼちぼちイギリス人のおじいちゃんやおばあちゃんがやって来て、挨拶を交わして列に並んでいく。やっとゲートが開くと、一目散に目的の場所へ。どのディーラーがどこにいるか分かっているので、とにかく早足で向うのだ。

 小走りでまず最初に訪れたのは、お気に入りのディーラー達がいる大きなストール。ひとつひとつのブースを鋭い視線でチェックしながら歩く。いつものソーイング小物を扱うディーラー夫妻からはローズバスケットを模したセルロイドのテープメジャー。この形のテープメジャーは初めて手にする形、薔薇のピンクも可愛い。他にも様々なボタンを仕入れ、ふと視線を落としたそこにゴールドのバングルが。シードパールがハート形にセットされたラヴノットのフォルム。ソーイング小物を扱う彼らとしては専門外の物だけに、魅力的なお値段。こちらも一緒にいただく。

 「幸先が良い!」と気分良く歩いていると、まさかのフランス物が出てきた。それはパリで散々お値段に悩み、散々探していたアール・ヌーボーのゴールドネックレス。こんなイギリスのド田舎で出てくるとは!(実は意外にイギリスでフランス物を仕入れていることも多いのだ。当時のイギリス女性も皆フレンチアイテムが好きだったに違いない。)薔薇の花びらが一枚一枚ハンドメイドで組み合わされたゴージャスなネックレス、お値段もフランスで見た時よりもずっとお値打ち!よくよくチェックしてから嬉々として買付ける。

 期待もせずにふと覗いたガラスケースの中にアイボリーのクロスが。持っていたディーラーと話すと、これがフランスのディエップ製であることで見解が一致。ディエップで彫刻されたアイボリー細工は船に乗せられてあちこちに輸出されたのだ。薔薇の彫刻のアイボリークロス、アイボリー彫刻に目のない私はお約束のようにいただく。

 ロイヤル・クラウン・ダービーのペインターが絵付けしたというポーセリンのブローチもここから。持っていた男性ディーラーとはとても仲良くなって、詳しく説明してくれた。夏のイングリッシュガーデンを思わせるような薔薇模様の手描き。イギリスらしい華やかさが感じられるアイテムだ。

 次のストールに向うと、初めて出会うディーラーからこれまたフランスのトワル・ド・ジュイ等などを買付け。そのマダムから譲って貰った様々な物の中で、ビーズがびっしり縫い付けられた布製のソーイングセットが、今までに見たことがないタイプで一番の出物だった。

 そして、またもやアール・ヌーボーのゴールドネックレス!今度は彫刻的な細工、ゴールドの無垢の重みが感じられる薔薇のネックレスだ。あんなにフランスで悩んだのは何だったのだろうか。次々とイギリスで出会うとは。こちらも迷うことなく入手。はるばるド田舎のフェアまで来てやっぱり良かった。

 他にも王冠をかたどったアイボリーのソーイングツール等など、他にも嬉しいアイテムが。帰りの電車の時間があるため、ここで見て回れるのは約3時間半なのだが、だからこそかえって僅かな時間も無駄にせず、集中して買付けが出来たような気がする。行きと同様に帰りにも予約していたタクシーに会場まで来て貰い、ブリティッシュレイルの駅へ。ロンドンに帰り着いたのはもう暗くなってからだった。

はるばるやってきたカントリーサイドのフェアの周囲はこんな感じ。周りいちめん牧草地以外何もありません。


■11月某日 曇り
 本日、買付け最終日。出発と共にチェックアウトするため、レセプションに預けられるようバタバタと荷物をまとめる。早朝のロンドン、戸外に出るとまだ外は真っ暗だ。

 早朝とはいっても、まだ夜の続きのような中、タクシーを拾い、最終の買付けへ。今日、最初に向ったのはいつも立ち寄るジュエラーのところ。あらかじめアポイントを入れておいた彼女、プラハに行くことも言ってあったので、「プラハはどうだった?良かったでしょう?」と笑顔で挨拶。そこではリングやシールなどのジュエリーを。いつも通り、慣れたやりとりで安定の(?)買付けだ。

 欲しかったパールネックレスは、思っていた物よりも良い、粒の大きな物が出てきた。ダイヤの入ったクラスプも豪華、想像していた物よりも良い物が手にい入ると自然にテンションも上がる。

 ハンドメイドののチェーンやスプリットリング付きのシールなど、ヴィクトリアンらしいアイテムも出てきた。スプリットリングだけを果てしなく探すこともあるほど、スプリットリングの付いたシールはなかなかないので嬉しい。

 忘れな草のリングとシードパールのリングのヴィクトリアンのリング2本は長年お世話になっているディーラーから。どちらも可憐で優美な私好みのリングだ。「そうそう、こういうのが好き!」と心の中で呟きつつ、状態のチェックに余念がない。フランスのジュエリーも好きなのだが、ヴィクトリアンの繊細なジュエリーにも惹かれるのだ。

 私がデビューの頃からずっとお世話になっているボタンを専門に扱う老ディーラー夫妻も元気。一時期、マダムが体調を悪くしていたので心配していたのだ。健康と直結するこの仕事、少しでも長い間続けて欲しい。
 それというのも、顔馴染みのまだ60代のロンドン在住の日本人の男性ディーラーが急死するという出来事があったばかりだったのだ。男性用の腕時計を専門にしていた彼、河村が一度腕時計を譲って貰ったこともあり、同じ日本人同士と言うこともあって、顔を合わせると挨拶を欠かさず、「頑張ってるね!」といつも励ましてくれた彼。その屈託のない笑顔がとても魅力的な人だったのに…。そんな彼はきっと周りのイギリス人にも愛されていたのだろう。彼のブースの前を通ると、にこやかな彼の小さな遺影が飾られていて、思わず涙ぐんでしまったのだった。

 早朝から歩き回ること数時間。最後の最後に、アポイントを入れていたディーラーから広巾のヴェネチアンレースが出てきて優秀の美(?)を飾った。それは17世紀のレース、300年以上前のアンティークに出会う事なんてそうそうあることではない。しかも広巾で長く状態も良い。今日は嬉しい出物がいっぱいで沢山歩いたことなど吹き飛んでしまうほど。これを最後に今回の買付けは終了した。


***今回もお付き合いいただき、ありがとうございました。***