〜後 編〜

■2月某日 曇り
 今日はロンドンへの移動日。午後ユーロスターで移動する予定なので、それまでの時間はフリー。という訳で、ユーロスターに乗るまでの時間、荷物はホテルのレセプションに預け、建築の博物館「国立建築遺産博物館」に行くことに。

 毎度のこととはいえ、すべての荷物をまとめるのにひと苦労。自分の荷物はすぐにまとまるのだが、買付けたアイテムの割れものが割れないように、形が崩れやすいものは形が崩れないように荷作りするのに時間がかかる。大きなスーツケースの片側には平たい段ボール箱を入れてきたのだが、割れものはエアキャップで包んでその中に入れ、入りきらないものは、エアキャップの上から自分の洋服でくるむ。大きなハードケースに大切なものは入れ、もうひとつ持って来た小さなソフトケースに自分の私物を入れる。(ハードケースは自分の私物を入れるものでは無く、あくまでも商品を入れるものなのだ。)河村のスーツケースも同様。スーツケースに入らない河村と私の私物は、持って来た折りたたみ式の巨大ナイロンバッグの中に詰め込まれる。出発の朝はいつも上へ下への大騒ぎなのだ。
 なんとか荷物が出来ると、それをレセプションに預け、ユーロスターに乗り遅れては大変なので、帰ってくる時間をしっかり確認し、後で乗る(ユーロスターの発着する)北駅までのタクシーを予約して出発!

 バスで向かった国立建築遺産博物館は、12〜17世紀にかけての建築物のレプリカが並び、有名なコルビジェの集合住宅、ユニテ・ダビタシオンの部屋そのものが再現された歴史建築から現代建築にいたるまでフランス中の建築を網羅したスポット。何年か前にも行ったことがあるが、今回は河村のたってのリクエストで行くことに。

 国立建築遺産博物館はエッフェル塔のビュースポット、シャイヨー宮のすぐ横左翼。エッフェル塔好きの私は、「ついでにエッフェル塔でも見てきましょう!」とシャイヨー宮にも立ち寄ったのだが…。久々でやって来たシャイヨー宮はテロの影響か閑散としている。おまけに機関銃を持ったアーミーが何人もパトロールしていて、這々の体で逃げ帰ってきた。

 そして本来の目的、国立建築遺産博物館は何度来てもワクワクする場所。ロマネスクからゴシック、フランスの様々な場所にある建築物が、一部ではあるけれど、ここに一同に展示され、場所と共に時空も越えることが出来るのだ。

国立建築遺産博物館に足を踏み入れると、そこには大人のための建築史教室(?)が。フランス人も古い建築物の展示に興奮状態!


こちらもロマネスク様式の寺院のタンパン。その彫刻は驚くほど緻密。とても複製とは思えないほどです。


以前訪れたことのあるランス大聖堂の微笑みの天使。実際の大聖堂と違って、間近で見られる点も良いです。


本来、ゴシック建物のずっと上に付いている塔の尖塔も間近で見られます。それにしても迫力の大きさ!


こちらが間近で見たアングル。ゴシック建築の特徴、フランボワイヤン様式です。


後ろの紋章はフランス王室ゆかりのものでしょうか。マリア様と幼子の姿は普遍ですね。


キリスト教は登場人物がいっぱい。左から聖母マリア、聖ゲオルギオス(いまひとつ自信がありません。)、マグダラのマリア、聖バルバラ…。で、合っているかしら?


このびっしりと施された彫刻に注目!まるで空間恐怖症のようです。


口から雨水を吐き出す様々なガーゴイル(樋)が並べられたコーナー。ガラガラうがいをする言葉に由来するガーゴイル。動物も人物も皆ユーモラスです。


昔、マルセイユに行った折に泊った集合住宅ユニテ・ダビタシオン(現在一部がホテルになっています。)の室内もそのまま再現。


タイル張りのキッチンも可愛い。「懐かしいねぇ!」と河村とマルセイユの景色を思い出しました。


いつもは楽しくてワクワクドキドキのエッフェル塔のビュースポット、シャイヨー宮ですが、今回は機関銃を持ったアーミーの姿にドキドキしてしまいました。

 久し振りに国立建築遺産博物館を満喫した後は、北駅に向かうためそそくさとホテルに戻った。時間通りにタクシーもやって来てスムーズに北駅へ。ホテルのレセプションのムッシュウには「またね!」と言って沢山の荷物と一緒に車中の人となった。

 北駅に着いたのは、私達が乗るユーロスターが出発する1時間以上前。これぐらい余裕があってようやくほっとする。今日は珍しくロンドンまで遅れること無く到着。到着したセントパンクラス駅からロンドンで滞在する宿まではタクシーで。
 20年近く常宿にしていたグロスターロードの閑静な住宅街にあったアパートメントホテルは、ロンドンオリンピックの後、地価が上がったのと同時に建物ごと売られて廃業してしまったのだ。その後のロンドンでの私達は「ホテル難民」となり、このところ空港からのアクセスの良いパデイントンかベイズウォーターの見ず知らずのホテルに滞在する羽目に。今回はロンドンに4泊するため、普通のホテルではなく、キッチンの付いたアパートメントホテル。レセプションで鍵を預かった後、沢山の荷物と共にベースメントに降り、そこから延々と長い廊下をつたっていった先にその部屋はあった。中は広々していて、広いキッチンも付いているし、バスルームにはバスタブもあり(ヴィクトリアンの古い建物のホテルにはバスタブ無しのところが多い。)、まずまずな居心地。「でも、長年滞在していたあのホテルが良かった…。グロスターロードが良かった…。」と私が呟くと(私は観光客が多いパデイントンやベイズウォーターの喧噪や街並みが好きではないのだ。)、河村に「何度言ってもしょうがないでしょ。」となだめられた。

 イギリスに入国したばかりだが、明日はロンドンから遠く離れた田舎のフェアに行くため、午前5時起き。明日も長距離移動のハードな一日が待っている。


■2月某日 曇り
 今日は、十年ほど前は買付けの旅に出掛けていたイギリスの北東部リンカンシャーの大規模なフェアへ。当時、日本人ディーラーも皆集結し、その頃は午前5時スタートだったため、前日から二泊三日で出掛けていたが、自分も含め皆が行かなくなってからずいぶん久しい。今回は、たまたまスケジュールが合うので、「じゃ、試しに行ってみましょうか!」と行くことになったのだ。果たして物は仕入れられるのか?ドキドキ、恐る恐る出掛ける。
 今日のフェアは、昔と違い午前9時スタート。ロンドンからはブリティッシュレイルで1時間半。午前7時過ぎの列車に乗るため、まだ闇夜の午前6時過ぎにホテルを出発。

いつもは混み合っているブリティッシュレイルの広い駅構内も、早朝は閑散とした雰囲気。外はまだ真っ暗です。

 電車に揺られながら河村と他愛もないおしゃべり。ずっとずっと昔、私がまだ一人だった頃、今日のフェアに行くのに、張り切って一番前の車両に乗り込んだら、なんとその車両はホームよりも手前に止まり扉が開かず、焦ったこと。(慌てて隣の車両にダッシュして列車から降りることが出来たが、歴代の「焦った事件」のひとつ。)その他にも、歴代の暑かった買付けの話など。それはあの有名な暑い夏、2003年の8月の南仏のフェアで、会場にいる間に、あまりの暑さに4回も「かき氷」を食べたことなど。

 そんなことを話しているうちに目的地に到着。久し振りに降り立つ駅、本当に懐かしい。河村と一緒にはレンタカーで来ていたが、私ひとりで来ていた頃はいつも電車だった。淋しい駅前に一軒だけあるB&Bに泊り、それは淋しく滞在したものだった。(その辺りには飲食店もほとんど無いのだ。)そんなことをふっと思い出す。
 駅からバスに乗り会場へ。会場へ向かう道すがらも懐かしい風景ばかり。会場に到着し、いよいよ買付け。今日は夕方までここにいる予定。さぁ、戦いの一日が始まった!

 まずは最初の大きなストールへ。ずっと以前はストール内にはディーラーのテーブルがびっしり並んでいて、「誰よりも早く良い物を!」という老若男女でひしめき合っていたのだが(その当時、あまりの混みように、よく巨大なイギリス人男性に吹っ飛ばされていたものだった。)、ストール内にはディーラーのテーブルもまばらなら見ている人も少ない。ストール内の昔の姿を覚えている私達は、軽くショックを受けながら、それでもアンティークを探して歩く。

 なんとなく記憶にあるディーラーが2〜3軒出店している。白い物に惹かれて昔からリネン類を扱うディーラーに立ち寄ったのだが、いかにもイギリスらしいテーブルクロスやざっくりした作りのドイリーばかりで、私の欲しい繊細な細工の物は無い。

 以前だったら、このフェアにお馴染みのソーイングツールを扱うディーラーが出店していて、何かしら私の欲しい物を持っていたのに、その姿も今は無い。アガサ・クリスティーの小説のタイトル「そして誰もいなくなった」と、ふと呟く。それでも、少しでも何か見つけられないかと、ストール内を歩き回る。そんな中、見覚えのないディーラーのケースの中に見覚えのない糸巻きを発見!それはボーン製だが、透かしのシャムロック形。形も愛らしいし、透かしになっているのも珍しい。「ひょっとして他にも何か面白い物があるかも?」とキョロキョロするも残念ながらその糸巻きのみ。それだけをいただいて次の場所へ。

 次のストールはもう少しマシで、歯が欠けているブースはないし、それなりに賑わっていて、最盛期のあの頃を思わせてちょっとほっとする。でも、見知ったディーラーは皆消えていたけれど…。
 度々イギリスでもフランス物を扱うディーラーから、フランスの物を譲って貰うことも多い。今日も思いがけず沢山のフランス物を扱っている女性ディーラーが!私の好きなオルモル製品も色々あり、特に香水瓶のセットが気になる。綺麗な物が並ぶマダムのブースは混み合っていて、マダムは接客中。彼女がほんの僅かに手の空いた隙を狙って、香水瓶のセットを見せて貰う。その時、直前までマダムが接客していた東南アジア系の女性ディーラーと目が合い、お互いにっこり。(彼女とは、その後あちらこちらでバッタリ会い、その度ににっこり微笑み会うことに。)その女性ディーラーから遠慮がちに「あなたはどこから来たの?」と尋ねられた。私が少し面食らいながら「日本よ。」と答えると、更に「あなたは私の台湾にいる従姉妹にそっくりなの。」と彼女。イギリスのド田舎で台湾の従姉妹にそっくりな私を見つけて思わず声を掛けてしまったらしい。「台湾と日本は近いからね。」と答えたものの、自分にそっくりな人が自分がまったく知らない台湾にいるなんて、なんだか面白い。
 結局、香水瓶のセットは、オルモルの繊細な細工とコンディションの良さに惹かれて譲って貰うことに。

 ここは沢山のディーラーが並び、ちゃんとしたフェアの体裁を保っている。ということは、ちゃんとアンティークのジュエリーを持っているジュエラーも出店していて、安心してガラスケースの中を眺めることが出来る。私がいつも探している"Regard"のリングを持っていたのも、そんなジュエラーの一人だった。まだ若い彼は落ち着いて座っていることが出来ず、携帯で電話ばかりしているようなディーラー。そんな彼でも、持っているジュエリーの中に"Regard"リングがあり、早速ガラスケースから出して貰った。ロンドンでもたまに"Regard"のジュエリーは目にするのだが、使っている色石の発色が悪くてボケた色合いのことが多く、なかなか買付けるまでに到達しないことが多い。

 今日見つけたそれは色合いもはっきりしていて綺麗。シャンク部分の細工も凝っている。が、ご多分にもれず高い…。私自身、何度も何度もルーペを覗き込み、途中、河村とも交代して四つの眼でチェック。そんな折、もうひとつダブルハートにクラウンを掲げたペンダントを発見。ダブルハートにクラウンの組合わせは比較的珍しく、しかもペンダント。小振りな大きさも良く、このペンダントをキープしつつ、"Regard"を熟考。ジュエラーの彼が飽き飽きするほどルーペを覗き込み、ようやくいただく事に決めた。

 イギリスでもフランスでもレースを扱うディーラーは、このところめっきり減ってしまった。なので、初めてのレースディーラーに出会うことは皆無。だが、この北の果てのフェアには初めて出会うレースディーラーがいた。最初、「あらあらレースのディーラーなんて珍しい。」と軽い気持ちで見ていたのだが、彼女がお人形にぴったりのベルギーレースを持っていることが分かると、「それ見せて!」「これも出して!」と延々見せていただく事に。そうしたベルギーレースのボーダーをいくつか選んだ後、マダムが「こんなのもあるけど…。」とおずおず差し出した袋の中にホワイトワークのハンカチを認めると、「えっ!?こんな物も持ってるの!?」と更に私の眼の色は変わったらしい。全部同じイニシャルの入ったその中から一番良いハンカチ2枚を選ぶと、「これはスペシャルなレースよ。」と、今度は大きな袋に入ったレースが出てきた。
 それは婚礼衣装用の広巾ボーダー。レースの種類はイギリスらしいホニトンだ。巾広、かつ非常に長いサイズのボーダーで、当時のイギリスでは豪華なことこの上なかっただろう。非常に高価だったことと、柄が私の好みでは無かったためこちらはマダムに「素晴らしいレースを見せてくれてありがとう!」とお礼を言って返した。

 更にもうひとつ、次のストールへ。ここもまずまずの出店数。どうやら一番初めに入ったスカスカのストール以外はなんとかフェアらしい雰囲気を保っていたようだ。そこでもジュエリーを物色している最中。「ん?なんかこの商品見たことある。」とジュエリーから顔を上げ、視線を売っているディーラーの顔に向けると、いつもロンドンでお世話になっているよく見知ったディーラー。お互いに「あら!こんなところで!」と言い合う。いつも彼女からはシールをいただいているので、今日もガラスケースから出して貰い、一通りチェック。今日、気になったのは珍しいフラワーバスケットを模したシール。金属部分の形がこんなに凝っているのは、今までに見たことが無い。今日はそれだけを選び、「じゃ、またロンドンでね!」と彼女と別れた。

 そのストールを一周して、戸外へ。フェアの会場を歩き回り、また別のストールへ。ストールといっても、空調設備が無くほとんど外と気温が変わらないため、身体が冷えてくる。フェアの会場にいくつも出ている屋台のひとつでミルクティーを。普段、ほとんど飲まないミルクティーだが、今日はたっぷりお砂糖を入れて。その時のミルクティーがとてつもなく美味しく感じたのは、ずっと歩き回って知らず知らず疲れていたせいかもしれない。

 次のストールは比較的高級品を扱うディーラーが多い。中も空調が効いており、少しほっとする。以前、来ていた頃はここの会場の2階が"Over seas buyers cafe"という海外から来たディーラーの無料休憩所になっていて、お茶やお菓子を自由にいただくことが出来たのだが(しかもオーガナイザーの女性従業員がにこやかにサービスしてくれていた。)、そんな場所も今はもう無い。何度となくその場所にお世話になった私達は、「本当に無くなってしまったのか?」と幾度も階段を上ってみようと試み、最後は付近のディーラーに「上には何も無いよ!」と言われてしまった。

 そんなことにも時の流れを感じながら、ストールの中を歩いていると…「あの、ひょっとしてエンジェルコレクションさんですか?」と尋ねてきた若い日本人男性が。まったく心当たりが無くて「?」という顔をしている私に、「東京で店をやっています。ブログを拝見しています。」と言われ、慌てて「お恥ずかしいです。」と小さくなる私。こんなイギリスのド田舎で、まさか声を掛けられるとは…。今さらのように、色々な方にブログが読まれていることを知り、少々たじろいでしまった。そして、まだ若い彼に「(お互いに)頑張りましょうね!」とにっこりエールを送ったのだった。

 リボン刺繍のジュエリーケースが出てきたのは、そんなストールの中。それは中国物のテキスタイルを扱う男性の所から出てきた。中国物だと分かっていても、一応、シルクの質感の物に視線を走らせると、そこに綺麗なシルクサテンの何かが。上に重なっていた物をどけると、それは美しいリボン刺繍のアイテムが出てきた。確かにどう見てもフランスの物、「どうしてこんな所に!?」と思いながらランジェリーケースをひっくり返していると、すかさず「それは中国の物だよ。」と男性ディーラー。またしても心の中で「えぇ〜!?」と叫びつつ、河村と顔を見合わせる。河村と日本語で「これ、どう見たってフランス物だよね〜。」とヒソヒソと内緒話。(こんな時、回りに内容を知られない日本語は便利。)ディーラーの言うことに「フン、フン。」と聞いたふりをし、ダメージが無いかあちらこちらをチェック。昨今、こんな豪華なリボン刺繍のアイテムはフランスでもなかなかお目にかからない。細心の注意を払ってコンディションを確かめ、晴れていただく事に。このためだけでもわざわざ遠い北のフェアに来て良かった。

 それからも歩き回ること何時間か。やはり会場全体を歩いてみると、以前はあったはずのストールが無くなっていたり、あるにはあっても閑散としていて誰もいなくなっていたり、昔のフェアの様子を知っていて、以前はきっちり二日間歩き回っていた私達には淋しい限り。結局、午後3時過ぎで仕事が終ってしまったのだが、私達が予約をしている帰りの電車は午後5時台。仕方なく誰もいなくなったカフェで時間を潰し、「昔は○○だった。」という昔話を河村と共に延々と繰り返したのだった。
 そんな一日仕事のフェアを終え、ロンドンに帰ってきたのは午後8時近く。今日も充実の仕事振りだった。

■2月某日 曇り
 イギリスの買付け二日目。今朝も早朝から買付けへ。まだ外は暗い、ホテルの近所からはタクシーで。以前、この辺りから早朝仕入れに出掛けた日本人ディーラーが暗闇に紛れで襲われたと聞いてから、なるべく早朝は歩かないようにしている。今朝もなかなか来ないタクシーに気を揉んだが、無事タクシーをつかまえることが出来た。

 最初に向かったのは、昨日の田舎のフェアで会った女性ディーラー。昨日、「仕入れた物を持って行くから明日も来てね。」と言われていたのだ。挨拶もそこそこ彼女のガラスケースを覗くと、目に入ってきたリングが。「そうよ!これが新しく入荷したリングよ!」とマダム。お花形が可愛いクラスタータイプのダイヤリング、早速マダムに出して貰う。お花の横には透かしの細工もあり、ダイヤの輝きも良い。昨日のフラワーバスケットのシールに次いで、こちらもget。

 いつも必ずチェーンをチェックするディーラーの所では、案の定少し変わったチェーンが出てきた。それはチェーン二つ。通常のケーブルチェーンのリングの内側に更にリングが入った複雑な作り。もうひとつはリングとリングの間にさらに小さなパーツを入れ込んだこちらも複雑な作り。沢山あるチェーンの中からこの二本を選んだ。変わった物が手に入ると嬉しい。

 いつもソーイングツールを譲って貰う女性ディーラーとは、前回の買付けでパリのフェアで偶然会ってからすっかり仲良し。今回も、にこやかに挨拶し、すぐに私のためにおすすめのアイテムを出してくれた。う〜ん、せっかく沢山出して貰ったが、興味があるのは一つだけ。それは端に王冠のモチーフを彫刻したアイボリー製。以前、もう少し大きい同じ作りの物を仕入れたことがある。その時はニードルケースだった。「でも、確かもう少し大きかったような…。」そんなことを思っていると、マダムがクルクルとキャップの部分を外して見せてくれた。「そうそう、前もこんな風に開いたはず…。」と思ってみていると、先に針が付いている!「えっ!これなあに?」と驚いた私が尋ねると、マダムは「これはボビンレースで使うお道具よ。」と教えてくれた。(帰国後、それは図案に穴を開ける道具、プリッカーという事が判明。)こんなハンドルが付いた繊細な針、ボビンだけでなく、様々な手芸に使えそう。今日はこれとお馴染みのかぎ針やめうちをいただいた。

 オルモルの豪華なフレームはいつもお世話になっているフランス小物を扱っているディーラーから。イギリスでもフランス物を専門に扱っているディーラーもいるのだ。前回も高価なフレームを譲って貰い、お客様から「凄く気に入ったわ!」と言っていただいたことを思いだし、ディーラーにそう言って話すと、いつも落ち着いている珍しく彼女の目がキラキラッと光って「本当!?それは嬉しいわ〜!教えてくれてありがとう。」と上機嫌。そして今回も彼女の持っているフレームの中から一番良い物を選んだ。

 とにかく沢山の在庫を持っているディーラーの彼女は好みも何もなく、様々なタイプのジュエリーを網羅しているので、ある意味便利な仕入れ先でもある。必ずすべての在庫を手に取って見せてくれるので、その点も良い。今日も膨大な数のジュエリーを一点一点チェック。そこで出てきたのが婦人参政権運動に由来するサフラジェットジュエリー。実は、行きの飛行機の中で見た映画がこのサフラジェットをテーマにしたもの。(たぶん今年中に日本でも公開されるのでは?)以前からアメジストとペリドット、パール(もしくはダイヤ)を使ったジュエリーがそれを意味することは知っていたのだが(以前他の場所で見たジュエリーがこのサフラジェットで、その時のディーラーが説明してくれたのだが、いまひとつそれが何を意味するのか理解出来ず、綴りをメモに書いてもらってやっと理解したのだ。)、映画の衝撃的な内容と今回見つけたジュエリーの愛らしさとのギャップが大きく、そのバックグラウンドをお客様に紹介したいとの思いが湧いてきたのかもしれない。他にもシードパールづかいのジュエリーをいくつか。イギリス、ヴィクトリアンというとやはりシードパールを使ったジュエリーに行きついてしまう。

 昨日、田舎のフェアで会ったディーラーからは私用の物を仕入れたので「寄ってね!」と言われていたのだが、あれこれ先に他の物を仕入れているうちに、少し遅くなってしまったらしい。「遅過ぎる〜!」と少々ご立腹気味。そんな彼が私のためにキープしておいてくれたのは、フランスの貴族柄の小箱に入ったソーイングボックス。美しい色彩に思わず「あら、綺麗ね!」と私。ジュエリーも扱う彼からは他にもローズカットダイヤのオランダ製のピアスを。ダイヤの裏側を、「ほら、ここがダッチセッティングで。」と彼。「そうね。そうね。」と私、一緒にオークリーフの刻印をチェックし、「オランダ製よね〜。」と肯き合う。ディーラー同士の会話は何だか楽しいのだ。 
 「そういえば、あなた今ヴィクトリア&アルバートでやってるインドジュエリーのエキシヴィション行った?」と彼。「インドジュエリーねぇ。」と19世紀のイギリスでよく目にする粗雑なインドジュエリーを思い出し、いまひとつ反応の薄い私。「いいえ!絶対行った方がいいわ!!」と彼。「久し振りに感動した。あんなに感動したのは昔あったファベルジェ展以来よ。」と畳みかけられると行かない訳には行かない。ファベルジェ展、私も行きたかった!俄然興味をそそられる。

 よく見知ったレースのディーラーの所に寄ると今日はマダムだけ。挨拶のついでに「ご主人はいかが?」と聞くと、「彼は夫じゃないのよ!」と答えが返ってきてびっくり!もう何年もの間、彼らが夫婦だと思ってきた私は、「え〜!?そうだったの!ごめんなさいね。」と大慌て。「彼は友達なのよ。気にしないで。私の回りもみんなそう思っているから。」と彼女。「私だけじゃないのね。」と少し安堵。そんな会話をしながらも、私の視線は彼女の周囲を右往左往し、彼女の後ろに素敵なホワイトワークの物体を発見。「これは?」と聞く私に見せてくれたのは、ホワイトワークのランジェリーケース。繊細な刺繍が美しく、コンディションも良い。今日はそれと頼んでおいた古いタイプのタティングレースの襟をいただいた。「本当に、タティングはなかなかないのよ〜!」という彼女の言葉と一緒に。

 歩き回ること数時間。最後に目にしたのは、1838年の文字とヴィクトリア女王の姿が織り出されたシルクのリボン。薄い緻密な織りで見るからに古そう。1838年というとヴィクトリア女王が戴冠した年だから、これはコロネーションのリボンに違いない。「え?こんな物あるの!?」と色めき立ったのだが、高価なジュエリーよりも更に高価!という私達にはあり得ない価格につき却下。見せてくれたテキスタイル系が得意のマダムによくお礼を言って去ったが、これこそミュージアムピースのリボンかもしれない。

 ぐったり疲れて再びタクシーに乗り、ホテルに戻った後、ディーラーに聞いたヴィクトリア&アルバートミュージアムのインドジュエリー展へ「行かねば!」と思うのだが、一度ベッドに倒れ込むと、なかなか起き上がる気力が起こらない。しばらく休んだ後、河村としぶしぶ出掛けることに。

 空いた時間があると必ずのように出掛けるV&A。いつもは、その日見るテーマを決めて、マップでフロアを確認し、そこだけ集中的に見るようにしている。(でないと、この美術館はあまりにも広大なので。足を踏み入れたらマップは必須。必ず入口レセプションで手に入れること!)でも、今日は企画展で、V&Aの企画展は予約制で入場時間が決まっているため、「混んでいないといいけど。」と思いながら出掛けて来たが、先にミュージアムショップを物色し、クロークで荷物を預けているうちに、長時間待つことなく割とすんなり入場することが出来た。

 この「インドジュエリー展」Bejewelled Treasures: The Al Thani Collectionなるもの、カタール王国に伝わる17世紀から現代までのインドジュエリー。ようするにマハラジャ所有のジュエリーの展示で「ムガール帝国の栄華とはこういうものか!?」と再認識させられるジュエリーの数々。巨大なダイヤの数々に「まるでシャンデリアのパーツみたい。」と呟き、巨大エメラルドに「まるでアメちゃんみたい。」と呟く。どれもこんな大きい石は見たことがない。とにかく圧倒されるジュエリーの物量なのだ。

 そんな中でも、私が目を見張ったのは、自国で産出したとびきりの石を使い、カルティエ等世界の名だたるジュエラーで作らせたオーダージュエリーの数々。使われている石もとびきりなら、職人の技術もとびきり。1900年頃からアール・デコの作品は素晴らしく、垂涎の的だった。そんなジュエリーを大量に見たせいだろうか、会場から出てきた後も、惚けたような状態で、クロークでコートや荷物を引き取った後もぼーっとしていたらしい。V&Aを出てしばらく歩くと、先程ミュージアムショップで買ったばかりのカタログブックを手にしていないことに気付き、慌てて戻る羽目に。

 コートを着た時に荷物を置いたベンチに戻るが、そこには何も無い。ダメ元で、レセプションに駆け込み、「そこのベンチにカタログを置き忘れたんですけど!」と訴えると、「どんなカタログ?」とマダム。一生懸命、「小さなカタログで、10ポンドだったんです!」と答えると、「これかしら?」とマダムは魔法のように取り出して見せた。「そう!そう!それです!」と興奮気味な私。流石V&A、親切な人がレセプションに届けてくれたらしい。マダムにお礼を言い、ルンルンで帰宅した。

マハラジャ恐るべし!インドジュエリーを侮ってはいけません!

■2月某日 曇り
 買付け最終日の今日も朝から買付け。今日朝イチで向かう郊外のフェアは午前8時から始まるため、午前7時にはホテルを出発しなければならない。ということは午前6時前には起きて、また荷物をまとめて…。

 また再びレセプションまでの長い廊下を沢山の荷物をゴロゴロしながら歩き、レセプションに荷物を預ける。今日もホテルを出たのは午前7時前。まだ外は薄暗い。フライトは夕方なので、今日も終日仕事。フェアを二箇所回ることになっている。まず最初は地下鉄で郊外まで行き、そこからはバス。このフェアへ出掛けるのも何年か振り、いったい今のフェアの状況はどうなっているだろうか?

 フェアが始まる午前8時よりもずいぶん早くビュービュー風が吹く丘の上の会場に到着。が、会場入口に入ったものの、何やら状況がおかしい。フェアにやって来た人々の列が伸びていくばかりなのだ。受付で聞くと開場時間が午前8時半になったという。私達を含め、ここで待っている人々は皆開場時間が変更になったことを知らずに来てしまった人ばかりなのだ。「あらら〜。」と思いながら、しばし開場を待つ。その昔、何度かここを訪れた時のことなど、河村と様々な昔話をしながら待っていると間もなく開場になった。

 広い会場の中、ひとつひとつのブースをチェックしながら早足で歩き回る。出店しているディーラーは沢山いるのだが、なかなか私達の目に留まるものは無い。特に買付け最終日の今日、お客様からリクエストいただいてイギリスでの買付け中ずっと探していたシールを入れ込むスプリットリングをここでも探しまくる。

 これだけ沢山のディーラーが出店しているのに、どうしてこんなに欲しい物が無いのか不思議になるほど何も見つからない。とうとう最後の列まで来てしまった。私達の手元にはまだ何も無い。「もう一周だけ、もう一周だけ回らせて!」と河村に頼み込み、再度始めから。でも、その途中に件のスプリットリングを手に入れることが出来たので、やはりもう一周して良かった。スプリットリングが出てきたのは、さっきも覗いたはずのジュエラーのケースの中。店番をしていたマダムに見せて貰ったのだが、それはどうやら他のマダムの商品らしく、どうも要領を得ない。結局どこかへ行っているマダムの携帯電話に電話を掛けて貰い、間に別のマダムを介して商談する。物は良く分かっているので特に詳しく聞く点は無いが、お値段の交渉をするのに直接でないのは少し不便。でも、無事商談成立し、間に入って電話をしてくれたマダムによくよくお礼を言って今回のフェアは終了。

 ところが、会場から出てきたそこには開場時には無かったディーラー達のブースが出来ていて、しかも会場内よりも高級な品物を扱うディーラーばかりが置かれている。そこで見つけたのが、ダブルハートにクラウンのブローチ。ちょうど先日田舎のフェアで出てきたダブルハートにクラウンのペンダントと同じモチーフのブローチ版だ。アメジストも綺麗、地金がたっぷりしていて高級感がある。スプリットリングのみだったここでの買付けだが、最後の最後に美しいジュエリーと出会えて嬉しい。

 今日はもうひとつロンドン市内で開催されているコスチュームのフェアが。ヴィンテージファッションが主体のフェアだが、稀にレースやソーイング小物があるので、やはりここも外せない。最初に行ったロンドン郊外のフェアからは1時間近くかけてロンドン市内の会場へ。その場所は以前よく滞在していたグロスターロードの隣駅で、よく知っているハイストリート・ケンジントンのタウンホール。何の疑いも無くハイストリート・ケンジントンに向かい、タウンホールに来たのだが…。

 タウンホールは静まりかえっていて、建物の周りを一周回ったのだが、何の催しの気配もしない。「おかしい。おかしい。」と呟く私達。と、そこでハッと気付いたことが…。ここはチェルシータウンホールだが、もうひとつキングスロードにチェルシー・オールド・タウンホールという場所がある。きっとそこと間違えたのだ!すぐさま近くの大型スーパーに飛び込み、その建物内に飛んでいる無料wifiと携帯電話をつなぎネットで確認。(携帯電話でインターネットをする場合、wifiでつながないと料金が大変なことになってしまうので!)やっぱりそうだった。オールド・タウンホールまではここからは結構距離がある。「どうしよう?」と河村と顔を見合わせていたところ、運良く目の前にちょうどワールズ・エンド行きのバスがやって来た。ワールズ・エンドまで行けば、会場のオールド・タウンホールまでは歩いて15分ぐらいだろうか。すぐさまワールズ・エンド行きのバスに飛び乗った。

 それにしてもワールズ・エンド(地の果て)なんて凄いネーミング。その昔、この辺りがロンドンの果てだったのか?ここはヴィヴィアン・ウエストウッドのお店があることでも知られている。バスでワールズ・エンドまでたどり着き、そこから更に歩くこと15分。この辺りまで来るのは本当に久し振り。こちらのタウンホールは、「あの服装に構わないイギリスのどこにこんな人々が!?」と思うほどイギリスでは珍しいファッション好きの女性達で溢れかえっていた。

 こちらは日頃お世話になっているレースディーラーやボタンやソーイング小物を扱っているアンティークディーラー達も出店していて、会場のあちらこちらで挨拶を交わす。結局のところ、ここで買付けたのはリボンで作ったお花のパーツだけだったのだが、それでも賑やかで楽しい雰囲気を十分に味わい今回の買付けの〆となった。

買付けの旅の最後に、以前から行きたかったレドンホール・アーケードへ。ここはハリーポッターのロケ地にもなった場所、ロンドンオリンピックのマラソンコースになっていたのを見て行きたくなりました。行ってみると、いちめん石畳!マラソン選手はさぞお気の毒だったことでしょう。


***今回も長い間お付き合いいただき、ありがとうございました。***