〜後 編〜

■5月某日 雨
 今日はもう一度、昨日のフェアへ。昨日はまだ開いていなかったブースも今日は開いているはず。小雨降りしきる中、今日もバスで。

 昨日、何周も会場を回って一通り見ているので、目新しい感じは無いのだが、昨日見た物でももう一度よくよく見てみると「キラッ」と光る物があったりする。そのひとつがローズカットダイヤのソリテールリング、高価なジュエリーが多いこのフェアの中で、私のコンセプト「普段から楽しめる物」に合った雰囲気、値段設定のアイテムを発見。それに、ダイヤのソリテールリングの中でもローズカットのダイヤという点もアンティークらしく、なおかつ「地金はプラチナよ。」というマダムの一声に心を決めた。プラチナが一般的にジュエリーに使われるようになったのは1910年頃から。既に他のカットのダイヤが存在したにもかかわらずローズカットダイヤをセットしたというのが変わっている。このリングを入手し、ふと目を逸らすと…ジュエリーを主に扱うマダムなのに、ガラスケースの中にふたつだけ場違いな鍛鉄製のはさみがあるのが目に入った。彼女の専門外のアイテムにもかかわらず、魅力的なフォルムのハンドメイドのはさみ。オークションでジュエリーと一緒にくっついてきた物か、彼女がジュエリーとセットで買い取ったのか、きっとたまたま何かの拍子に手に入れた物に違いない。どのような形にしろ私にとっては心惹かれるアイテム、こちらも一緒にいただいた。

 ベビードレスやペチコート、シュミーズなどを扱うマダムのブース、いつもハンガーラックに掛けてある沢山のアイテムを見ることは見るのだが、中途半端な物ではなく、「スペシャル!」な物が欲しい私としては、どれも見てもいまひとつに思えて敬遠していたのだ。当然昨日も見たにもかかわらず、もういちどハンガーラックのアイテムをパラパラとその気無くチェックしてみる。「そうだよね。無いよね。」と独り言を言いながら反対側の壁面に向き直ると…「あるじゃん!」
 壁に広げてディスプレイされたベビードレスが可愛い!!ハンガーラックに掛けられている物と違って、わざわざ飾られているだけあって、繊細で可愛い。全体的に優しいアイボリーの色合いで、レースボーダーとピンタックが段々になっている。優しいマダムに壁から降ろして貰い、よくよくチェック。状態も良くロマンティックで素敵!ありがたくいただくことに。

 それにしても思うのだが、フランス語で(英語でも)お値段を聞き、お値段を教えて貰った当初は「ふんふん、150ユーロね。」などと理解するのだが、不思議なことに(いや、ただ私の頭が悪いだけ?)日本語と違ってフランス語の数字は頭に残らず、「う〜ん、どうしようかな?」と迷っている間に、教えて貰った金額はあっという間に頭から抜けていき、「え〜と、え〜と、いくらだっけ?」と困った事態に。そのため、「ごめんなさい。で、いくらだっけ?」と何度もお値段を聞くことになってしまう。きっと彼らは私のことを「この人、頭が悪いのかも…。」と思っているに違いない。自分でも本当に不思議で、たぶん同じ数字でも母国語の日本語とフランス語では、理解するのに使う脳の箇所が違っているような気がする。

 仕事が早めに終ったので、気まぐれにオテル・ド・ヴィル(市庁舎)へ。バスに乗る度、ここの「パリ・オートクチュール展」の大きな看板が目に入っていたのだ。しかも"gratuit(無料)"の文字。これを見ない手は無い!
 昔のファッションは大好きでも、現代のファッションにはさほど関心の無い私。「オートクチュール」という言葉にもあまりトキメキを覚えないものの、「でも何か参考になることがあれば。」とたどり着いた市庁舎の裏手には既に長蛇の列、入場無料でも(入場無料だから?)老若女性ばかりが次々と列を作っていて、入場制限をしている様子。15分程並んでやっと入場出来た。

 会場には、シャネルやディオール、バレンシアガ、ジバンシー、古くはスキャパレリやパキャンetc.のドレスが並び壮観。考え尽くされたカッティングからなる美しいシルエットや、何百時間もかけて沢山のビジューやビーズをびっしり縫い付けた気の遠くなるような手仕事はアンティークに通じるものがあり、感動!ガラスケースに収められているものの、その繊細な刺繍やビーズ刺繍を目の当たりにじっくり眺めることが出来、「オートクチュール、それは現代における伝統工芸!」と、今まで「オートクチュール」というものに興味の無かった私も、19世紀末から現代までのドレスの数々に新たに開眼させられたのだった。

 1900年代初頭のココ・シャネルのフェミニンな衣装に、アール・デコの衣装に感激!シンプルなシャネル・スーツが有名になったシャネルだが、展示されていたオートクチュールのイブニングドレスはレース使いが素敵。「そうだ!シャネルって19世紀の生まれだものね。」以前見たココ・シャネルの若き日を題材にした映画「ココ・アヴァン・シャネル」を思い出した。そして、今までバルビエやマルティのファッションプレートの中でしか見たことの無かったランバンやパキャン、ポール・ポワレの衣装を実際に目にすることが出来たのは、まるでファッションプレートが立体になって迫ってきたような、とても貴重な体験だった。
 それにしても会場は老いも若きも女性ばかり。その熱気に、フランスマダムの美しい物への激しい執着心を感じた。

こちらが市庁舎に設置された巨大看板。無料だったのはスワロフスキーが後援したためのようです。なるほど。


確か80年代のバレンシアガのドレス…だったと思います。モデルサイズのためかどれもスラリと長身です。


アール・デコのドレス2点。シンプルでストンとしたシルエット、幾何学的な文様が、びっしり縫い付けられたビーズを引き立てます。たぶん実際に着ると結構重みがあるはず。

 今晩はフランスに滞在する最終日、明日もまだ買付けの予定はあるものの、明日の夕方にはユーロスターでロンドンに向う予定。ホテルに戻ってきた夕方、近所のランドリーでお洗濯の傍ら、思い立って裏のリュクサンブール公園を散策。初夏のリュクサンブール公園は気持ちの良い風が吹いていて、散策する人、ベンチで寛ぐ人で溢れていた。普段、近所にあるにもかかわらずわざわざここを訪れる余裕が無かったのだが、今日は爽やかな空気と眼に優しいグリーンに囲まれ、仕事で疲れた身も心もゆったり癒された気がする。来て良かった!

パリ6区オデオン座のすぐ裏手にあるリュクサンブール公園。公園に隣接するリュクサンブール宮は17世紀のはじめにイタリアから嫁いできたマリー・ド・メディシスため、フィレンツェのピッティ宮に似せて改装、その居城として使われていました。


5月のフランスは爽やか、煙るようなグリーンが印象的です。正面はメディシスの泉、しっとりした雰囲気です。


リュクサンブール公園には100以上の彫像、記念碑、噴水があることでも知られています。これは東の端にあるブロンズ像。後ろには丸天井のパンテオンが見えます。


グリーンでいっぱいのリュクサンブール公園はみんなの憩いの場。こんな所にいると、ここが石造りのアパルトマンが連なるパリの真ん中だということを忘れてしまいます。

■5月某日 曇り
 今日はパリでの買付け最終日。夕べ作っておいた荷物を朝からレセプションに降ろすのだが、スーツケース2個、重量級のナイロンバッグ2個。一度にすべての荷物を持てないため、エレベーターがあってもひと仕事、やっとレセプションのあるグランドフロアーに着いたと思っても、エレベーター前からレセプションまで三往復ほど。荷物を運び終わった頃には汗だくになっていた。

 荷物を預け、夕方のタクシーを予約した後、チェックアウトしてホテル代の精算をしようとクレジットカードを出すと…レセプションのマドモアゼルは顔を曇らせながら「今日は端末が壊れていてクレジットカードが使えない。」と言う。思わず「はぁ〜!?」と大声で聞き直す私。「ここを見て!」と言われた先の張り紙に、英語とフランス語で「今日はクレジットカードはお使いいただけません。」と書いてある。「じゃ、どうすればいいワケ?」と半ば呆れながら聞くと「キャッシュしかダメ。」というトンデモナイ返事。クレジットカードが使えないホテルなんてあり得ない!!なんでも、フランスの祭日である今日は、すぐには端末の修理が来られないらしい。十年以上もお世話になっているホテルだが、今までこんなことは流石に一度もなかった。フランス最終日の今日、もうユーロは、今日の買付け分しか持っていない。半ば呆れながら「キャッシュは持っていないわ。」と食い下がるも、「銀行で降ろしてきて。」と言われ、渋々外に出た。
 そういえば、最近使っていないシティバンクの口座に確かお金が入っていたはず。以前は手数料無料でTC(トラベラーズチェック)が作れることから持っていたシティバンクの口座だが、手数料が有料になって以来口座を閉めようかと迷っていたのだ。「持ってて良かった!」とシティバンクのカードでお金を引き下ろす。最近、ドキドキしたりあっと驚くことの無かった買付けだが、久し振りに少々びっくり。無事になんとかホテル代を支払った出掛ける。

こちらがフランスから持ち出した荷物一式。レセプションまで降ろすだけで大変だったのに、この後、さらに大変な思いをするハメになろうとは…。

 今日訪れる先はいつも訪れるマダム。私がメールでアポイントを入れた時には、今日がフランスの祭日だということをすっかり失念していたのだが、同じく失念していた彼女から「待ってるわ!」という返事を貰い、結局この日になったのだ。祭日の日に働くフランス人は皆無、キャフェやレストランもお休みのところが多いというのに、こんな日に働かせてしまうことになってしまい申し訳ない気持ち。しかも夕方ユーロスターでロンドンに向う私のために、早い時間から会ってくれることに。会う前から彼女にはただただ感謝。

 久し振りに顔を合わせる彼女とは、挨拶の後それぞれの近況報告。おしゃべりが楽しくてついつい長引いてしまうのはいつものこと。それが済むとようやく商品を見せて貰うことに。
 今日彼女が私のためにキープしてくれていたのはベルベットのジュエリーボックス、外側のベルベットの状態も良ければ、内側のシルク張りも綺麗。昨今、こうしたジュエリーボックスはなかなか見つからない。もうひとつ、ガラスにレースやロココをサンドした小さなアクセサリートレイ。こうしたトレイも実際に手にするのはしばらく振り。「こういうトレイは私の好みなの!」と嬉々として伝えると、「そうでしょ?」というように彼女もにっこり。当然頼んでおいたロココも出てきた。
 リボンや頼んでおいたタティングレース、シルク生地、私用にキープしておいてくれた荷物の中から様々なものが出てくる。近所にようやく開いているレストランを見つけ、ランチを挟んで午後からも商品をセレクト。

 キープしておいてくれた物を一通りチェックした後、「まだまだ欲しい!」「何か良い物は何か?」との思いで、彼女の周りを見回すと、レースの奥の物影に可愛いボネらしきあるのが見えた。彼女の許しを得てそれを引っ張り出すと、それはシルクの細いリボンとレースでデコレーションしたボネ。よくアンティークドールが被っているタイプだ。これもまた私好み、しかも状態も良い。思いがけず可愛いボネが出てきて嬉しい。可愛い物はどこに隠れているか分からないのだ。

 そして最後に…彼女が薄紙に包まれた特別な物を出してくれた。「高いけれどこんな物はもう無いから、持っているだけでも良いと思うわ。」そう言いながら薄紙を開けてくれた先には19世紀の広巾のアランソンの付いた丸い円形の物。「これは丸い形のハンカチよ。」かつてハンカチは様々な形の物が作られ、それを正方形に統一したのがマリー・アントワネットだと聞いたことがあるが、19世紀にもこうした形の物が作られたのだ。これもまた長年彼女が大切にコレクションしていた物、それを私に譲ってくれるなんて本当にありがたいこと。ことにレースは、ジュエリー等と違って良い物の数がかなり限られるので、それを自分に回して貰うのが一番大切なことなのだ。
 今日も良い物を仕入れさせてくれた彼女に感謝しながら、名残惜しく別れた。こうしたディーラーがいて私がこの仕事を続けていられる、そんな風に思うのだ。

 予約したタクシーの時間に間に合うようにホテルに戻ってきて、顔馴染みのレセプションのムッシュウとタクシーを待っていると、今日はちゃんと時間通りにタクシーがやって来た。やれやれこれでユーロスターに間に合う。(時間通りに来ないことも多いので。)が、この後に地獄の荷物運びが待っているとは…。

 パリのユーロスターの発着駅、北駅には荷物を運ぶためのカートが設置されていたのはずなのだが、タクシーを降りて、なんとか駅の構内まで荷物を運んだものの、カートは影も形も無い。盗難が多かったのか、もしくはカートを用いた詐欺(勝手にカートに荷物を載せて僅かな距離を運び小銭を要求する。)が横行していたためか、無くしてしまったらしい。ということは、ここからホームまでの長い距離をこの4個の荷物を引き摺っていかねばならない。一気に気が重くなる私。しかも途中には、イギリスのイミグレーションやら、荷物を「ヨッコラショ!」と持ち上げなくてはならないレントゲン検査も待っているのだ。
 それらをクリアしてなんとかラウンジまでたどり着き、発車時間の1時間前からベンチを動かず(動けず?)待機。ゲートが開き、ホームへ向かう際には、ホームへ降りる下向きの動く歩道を、荷物の重みに引っ張られてこけそうになりながらなんとか降りる。その後、長いホームを今度は自分が荷物を引っ張って歩き、最後はやっとの思いで何度もホームから車両へ荷物を運び上げ、すべての荷物をラゲッジスペースに入れ、自分のシートに落ち着いた時にはもうヘロヘロのヨレヨレになっていた。が、この荷物運び地獄はこれでもまだ終らなかったのだ…。

日曜や祭日の日でも、元々ユダヤ人の街として知られるここマレ地区ではお店がクローズすること無く営業。ここだけは沢山の人が行き交っています。


祭日といえどもマレ地区のお花屋さんは営業中。いつも美しい薔薇の専門店。

 ロンドンに着いたものの、イギリスのコインもフランスのコインも持っていない私はホームのカートは使えず。(ロンドンもパリも鉄道の駅にあるカートはコインを入れて使う有料なので、コインが無ければ当然使えない。)またもや4個の荷物を引き摺りながらホームを歩く。なんとか荷物と一緒にゲートを出て、タクシー乗り場に向う。
 タクシー乗り場は駅の外、そしてロンドンは暴風雨。今日の荷物運び地獄の最後を飾るに相応しいラストシーンだ。激しい風に煽られながら、「私がどんな悪いことをしたって言うのよ〜!!」と心の中で叫びながら先を進む。タクシー乗り場までの長いスロープをびしょ濡れになりながら歩き、最後にタクシーに乗り込みながらドライバーに"Good weather!"と声を掛けホテルまで送って貰った。

■5月某日 曇り
 イギリス第一日目の今日はロンドン・パディントン駅から出発。カントリーサイドのフェアへ行くのだ。パリでバッタリ会った顔馴染みの日本人の女性ディーラーと一緒に行く約束をしたので、駅で待ち合わせ。到着した先の駅からフェア会場へのタクシーもパリから電話してキッチリ予約してあるので安心。(なにしろ向こうはほとんど無人駅とも思える小さな駅。駅の周辺には本当に何にも無い!)
 パディントンで事前にインターネットで購入してあった列車のチケットを発券し、お昼ご飯のサンドウィッチを調達し待ち合わせ場所へと向う。すぐに彼女と会い、一緒に列車へ乗り込んだ。

 普段は催事の時にしか会わない彼女だけど、誰も居ないイギリスでふたりきりになるとついついおしゃべりが弾んでしまう。目的の駅まで2時間近く、でも今日はあっという間に着いてしまった。リザーブしておいたタクシーに乗り込み会場へ。
 カントリーサイドといえば聞こえが良いのだが、そこはイギリスのド田舎!綿々とグリーンが続く牧場の他何もない。それでも開場の迫るこの時間、車で乗りつけた人々が続々集まってきてゲートの前には長蛇の列。私の気合いも最高潮!

ロンドン・パディントン駅。ヨーロッパの駅はこうした引き込み線のところがほとんど。パディントンからはブリストルやバースなどイギリス西部に行く列車が発着します。


列車からの車窓。牧草地とこうした農場以外は何もナシ!綺麗なイエローは菜の花畑です。

 ロンドンから離れたこの地はロンドンよりもさらにもう一段寒い。今日はセーターにカーディガン、そしてトレンチコートにショールをグルグル巻いて待っている。そしていよいよゲートがオープン!実は帰りの列車の関係で(なにせ田舎の駅なので2〜3時間に一本しか列車が来ないことも珍しくない。)このフェアには3時間半しかいられない。ここへ来ると毎度のことなのだが、時間が限られているかと思うと緊張感が増す。今回は沢山の日本人ディーラーがロンドンに来ていると耳にしたので、日本人ディーラーの滅多に来ないこの田舎のフェアでロンドンよりも割安感のある高価なジュエリーなどを出来るだけ仕入れておきたいところだ。

 ゲートオープンと共に走って建物へ。まずはいつもジュエリーを仕入れているブースへ直行。沢山のブースがあっても、結局仕入れるところはいつも同じだったりする。バタバタとガラスケースまで駆けてきてジュエラー夫妻に息を切らせながら挨拶。今日出てきたのは…表面をマットに加工したゴールドのハンドブローチ。しなやかな指先が持つのはダイヤをスターセットしたハート形。その薬指には小さなダイヤがはまっていて、さらにその手首にはゴールドチェーンのブレスレット、チェーンには小さなパドロックまで付けられている。「なんて繊細な…。」と呟きながらルーペでよくよくチェック。まずは幸先良くこちらをゲット。

 このフェアに度々来る理由はソーイングツールを持っているディーラーが多いこと。ロンドンッでは限られたディーラーしか持っていないソーイングツールだが、この田舎のフェアでは珍しい物が見つかることが多い。ブローチを仕入れた後、すぐに見つかったのがシルクのピンディスクとニードルフォルダー。特にニードルフォルダーは本のような作りのシルク製のブック型で、同じくシルクで出来たブックケースも付いている。最初は何だったか分からなかったので「何、これ?これ何なの?」と、ガラスケースから出して見せて貰ってやっと分かった。

 続いて薄っぺらいハート形の物が。臙脂のベルベット製で、ハート形が中央で別れていて二つの扉になっている。「ひょっとしてこれもニードルフォルダー?」と思ったらその通りだった。先程のブック型の物もこのハート形の物も初めて見る形。一緒にスティレットやかぎ針もいただき、ちょっと義務感を果たした気持ちになった。

 お人形の小物など気になるアイテムを持っているマダムのガラスケースの中に小さな卵を見つけた。片手に乗るほど小さな紙製の卵。ふたつに開けることが出来るイースターのデコレーションらしい。表面のペーパーはバラや忘れな草などの可愛いお花模様の石版印刷、ヴィクトリアンらしい雰囲気の小物だ。可愛い、だがお値段は高い…。「うぅ…。」と卵を手の平に載せたまま悩むことしばし。マダムに遠慮がちに「少しお安くならないかしら?」と尋ねると、「こういう物が高いことよく分かっているでしょ?フフフ。」と困った顔で笑われてしまった。それからもさらに手の平に載せたまま悩み続け、でもやっぱり自分の物にした。

 いくつかあるストールを一通り見た後もさらにもう一周。ランチはパディントンで仕入れたサンドウィッチを歩きながらパクつき、最初に走って行ったストールでもう一度ジュエリーを再チェック。

 ひとつ迷っていたジュエリーがあったので、それを頭に浮かべながら「どうしよう…どうしよう。」と上の空で歩いていると…さっき見たはずのガラスケースの端に美しいアメジストのペンダントがあるのを発見!アール・ヌーボーの影響が感じられる美しい曲線、繊細なゴールド細工にアメジストとシードパールがセットされている。早速マダムに見せて貰い「綺麗…。」と呟きながら手の平に載せてじっくりじっくりチェック。先程まで迷っていた頭の中のジュエリーはどこかへ消え失せ、もう頭の中はこのペンダントのことしか考えられない。私があまりじっくり見ていたので、痺れを切らしたマダムは「どうして買わないの!?こんなに良いのに!」と凄み始めた。フランスならいざ知らず、イギリス人から凄まれて仕入れをするなんてなかなか無いこと。「確かにそうね。」と苦笑しながらこのペンダントを手に入れた。
 そのガラスケースの中にもうひとつ見つけた物が。それはシャンクの部分にぐるりと打ち出しの細工がされたハート形のベゼルの付いたリング。ずっと以前、自分用に私物で持っていたのと同じ形のリングだ。でもそれはお客様に懇願されて売ってしまい、今はもう手元にない。懐かしさからそちらも一緒に入手した。

 そろそろ列車の時刻が近づいてきた。行きと同じくリザーブしておいたタクシーがやって来る時間だ。再びゲートの前で一緒にタクシーに乗ってきたディーラーと集合し、片田舎の駅に向ったのだった。
 まだ元気だった行きと違ってロンドンまではすっかりお疲れモード。ディーラーの彼女とはそれぞれ別々なシートでぐったりしながらパディントンに戻ってきた。パディントンに戻ってきたのはすっかり夕刻、日帰り出来るだけマシではあるが、今日も終日仕事をして暮れたのだった。

■5月某日 曇り
 今日は待ちに待った買付け最後の日。ひとりきりの買付けにそろそろ気持ちも身体もお疲れ気味。(なんと言っても、いつもは河村と二人で持つ荷物を自分一人で持っているので。)歩いているだけで楽しいパリと違って、イギリスの仕入れはどこか「現実」とか「お仕事」という文字が頭をかすめる。今日も早朝からの仕入れなので、夕べ作っておいた荷物をまた朝からレセプションまで汗だくになって引き摺って運び、夕方まで預かって貰うことにし、まだ寒い戸外へ出た。流石に午前6時過ぎでも5月の朝は既に明けている。近所でタクシーを拾い買付けに向う。今日もアポイントを入れてあるディーラーを中心に回る予定。

 最初に向った先は、先日フランスのフェアで会ったロンドン在住のイギリス人ディーラー。フランス物を扱う彼とはフランスのフェアで顔を合わせることも珍しくない。しかも先日、大変な思いをしてたどり着いたユーロスターのラウンジでもバッタリ会ったのも彼。フランスから戻ったばかりの彼もきっと何か新しいアイテムを持っているに違いない。
 私の期待通り、彼はガラスケースの上にはシルバーのニードルケースの山が築かれていた!(笑)沢山のニードルケース、中にはふたと本体がバラバラになった物もある。挨拶もそこそこにその大量のニードルケースをチェック。きっと彼はフランスで「ひと山いくら」で仕入れてきたに違いない。チェックし始めると、素材がシルバーなだけに凹んだ物、ふたが閉らない物、状態が色々。「果たしてちゃんとした物があるのかしら?」と思いながら見ていくと、状態も良く、リボンと薔薇模様のラヴリーなアイテムが見つかった。

 予定をしていたソーインググッズを扱うディーラーの前にたまたま立ち寄った先で見つけたのはギョシェエナメルのロケット。こんな見事なエナメルは久し振り。早速見せて貰ってあちこち触り、ひっくり返してみるが、どこも問題のある箇所はない。…とその時、いつものようにルーペで確認しようと習慣でバッグのポケットを探るが、愛用のルーペが無い。「あれ?おかしい。」「あれ?どうして。」とバッグの中をゴソゴソ探るがどこからも出てこない。きっと昨日のカントリーサイドのフェアのどこかのブースに置き忘れてきてしまったようだ。ルーペは「第二の目」ともいえるべき物なので、自分の使い慣れたルーペが無いのは致命的。愕然としながらもディーラーにルーペを借り、ルーペでもチェック。良い物が見つかって嬉しい反面、今日一日ルーペがないまま仕入れをすることを思い、暗澹たる気持ちになる。

 いつもお世話になっているソーインググッズを扱うマダムは私の顔を見るとにっこり微笑んだ。そして、「これは?」「こちらはいかが?」と、次々と私の好みそうな物を出してくれるのもいつものこと。だが今日はいまひとつピンとくるものがない。「う〜ん。どうしたものか?」と思ったその時、私の眼をかすめた物が!それはビーズで出来た小さなピンクッション。極小のビーズでネット状に作ってあるため、とても繊細でデリケートな作り。当然状態の良いものはとても少ない。今まで同様な物を扱ったことはごく僅か。「こちらをいただきます!」状態が良いチャーミングなソーイングツールが手に入って嬉しい。

 次はいつも立ち寄るジュエラーの彼。とてもジェントルマンな彼はいつもにこやかでとても丁寧に接客してくれる。彼が力を入れているのはモーニングリングとヴィクトリアンのシードパールと色石を組み合わせたジュエリー。それぞれに沢山の在庫を持っているので、いつも一通りじっくり眺め、気になる物があると見せて貰うのだが…。
 元々、モーニングリングはどちらかといえば私の守備範囲外。(でも好きな物もが出たら間違いなくゲットする。)ずらりと並んだヴィクトリアンのペンダントを眺めても、どれも昨日カントリーサイドのフェアで買付けた物に比べると見劣りがし、いまひとつ。「今日はダメかな。」と思ったその時、モーニングリングの並んだ一番奥に私好みのハート形のヴィクトリアンらしいブローチを見つけた。「あれ?これは?」と出して貰うと、シトリンのハートの上にシードパールのリボン、そしてハートの両脇にシードパールの燕。ヴィクトリアンのジュエリーではよく使われる燕のモチーフ、お客様の中でも燕モチーフがお好きな方も多い。「どうも無くしちゃったらしくって…。」と、ここでもまた彼にルーペを借り、細部までよくよくチェック。「ところで、燕ってどんな意味があるんでしたっけ?」と彼に聞くと「燕は必ず帰ってくるでしょ?」と意味深な笑み。シトリンの透明感がとても美しくてハートとリボンのモチーフがロマンチック。何より燕モチーフが可愛い。こういうヴィクトリアンジュエリーって大好きなのだ。

 「アンティークジュエリーの卸問屋」ともいうべきマダムの所は、いつも様々なディーラーが物色している場所。もの凄い数のジュエリーを持っていて、それには皆お値段が付いていないのに、いったいどうやって覚えているのか、「お値段を聞くとすぐに答えが返ってくる。しかも間違えない。」という類い希な才能の持ち主。いつも河村と共に「彼女って凄いよね〜。」と感心している。
 今日も彼女の元に他のディーラーがいないのを見計らってすべての在庫を出して貰い、時間を掛けてひとつひとつチェックする。その中からたったひとつ「ん?なかなか良いかも!」というガーネットのリングを発見!またここでも「済みません。ルーペ貸して下さい。」とお願いをし、借りたルーペで状態と刻印をチェック。シャンクの裏側の刻印はすぐにiPhoneに保存しているホールマーク表で調べることが出来るのだが、そこにもうひとつ見えるのは「12」の文字。今まで見たことがない。「なんだろう?」と思い、マダムに「この12って何かしら?」と尋ねると、彼女もルーペを駆使してチェックし、「あら!これって凄く珍しい。12金のことよ!」と教えてくれた。(帰国して念のためホールマークブックで調べるとやはり「12金」。イギリスジュエリーで「12金」の地金があるなんて今回初めて知った。)それは「バーミンガム1861年製」の刻印のあるリング。ガーネットのワインレッドの色合いにも惹かれれば、繊細な爪の留め方や、シャンクの部分にいちめんに入った彫刻にも惹かれる。

 今日の出物のジュエリーはロンドンに出張に来ていたベルギーのディーラーから。今まで何度と顔を合わせているマダムとムッシュウ。何度か彼らの本拠地であるベルギーのオフィスへも足を運んだことがある。久し振りの再会に「あなた方に会えて嬉しいわ!」と大喜びの私。彼らの持っているのはベルギーやフランスの大陸系のジュエリー。そして、そんな彼らの持っているジュエリーは、パリで仕入れるよりもずっとお値打ちだったりする。なので、彼らとの出会いは私にとっては貴重なチャンス。沢山の在庫を持っている彼ら、アイテムごとに仕舞ってあるそれらを、時間がかかることも厭わずひとつひとつ出して貰い、またここでも「ルーペ失くしちゃったから貸して下さい。」とムッシュウにお願い。ちょっと怖そうなムッシュウ(でも本当は親切。)は「貸すけど、持っていかないでよ。」とポーカーフェイスのまま冗談を言って高価そうなルーペを貸してくれた。

 今日、ここで出てきたのは大きなダイヤのトゥールビヨンリングとアール・ヌーボーの薔薇のゴールドネックレス。私の思っていたものが仕入れられて思わずテンションが上がる。しかも、昨今のレートの悪化や地金の高騰も手伝ってどんどん値上がりしているジュエリーが納得のお値段で仕入れられるのも嬉しい。よくよく二人にお礼を言って、「またベルギーにも行きます!」と言いながら別れた。

 買付けは本当に時間がかかる。ここまでで朝から既に数時間。最後に向ったのはいつも様々な我が儘なお願いをしているレースディーラー。「何か興味深いレースが見られるのでは?」と一番ワクワクする。フランスでもそうなのだが、ジュエリーに比べるとレースを扱うディーラーは極端に少ない。良い物を回して貰うのが一番重要なことなので、なるべく密に連絡を取るようにしている。果たして今日は…
 挨拶をするとすぐに商品チェックにとりかかる。いつも念入りに見ているせいで、彼らが入荷したばかりの物はすぐに目に付く。アンティークなのに思わず「これって新しいの?」と聞いてしまうのは、日本でお客様から普段同じことを聞かれているせいかも。今日、目を惹いたのはなんと言っても孔雀の模様の18世紀のブリュッセルと17世紀末のヴェネチアン。孔雀の模様のブリュッセルは完璧な状態ではないけれど、もっと素朴なモチーフが多い同時代のブリュッセルの中では非常に目を惹く存在。完璧な状態ではないけれど、それを補ってあまりある魅力がある。ディーラーと一緒に「もしこれが完品だったらもの凄いお値段だよね!」なんて軽口を叩きながら、「分かり合っている仲間うち」だからこそ出来る話に花が咲く。同じレースに興味のある者同士、そこに国籍の違いはないのだ。英語もフランス語もけっして堪能ではない私なのに、アンティークの話となるとすんなり理解してしまうのは自分でも不思議。まだまだこれからも知らないレースを知りたい、手に入れたい。

 すべての買付けが終了。でも、帰国は夜のフライトなのでまだ時間はたっぷりある。そんな時、私が出掛ける先は通称V&A、ヴィクトリア&アルバートミュージアム。買付け先からそのままタクシーで直行。

 V&Aほど遊びに行って楽しいところはない。まずは中庭のキャフェでワイン片手にのんびり買付けの疲れを癒した後、今日向ったのは"Britain1500-1760"のコーナー。(V&Aは膨大なカテゴリー別にギャラリーが別れているため、目的を持って自分が見たいギャラリーへ直行するのがベスト。)当時の貴族の館の室内が再現されていたり、様々な調度品、ドレスのシルク地やドレスそのものが展示されていてとても興味深い。

 やはり私が一番興味があるのは当時のシルク地やドレス。今まで何度も見ているはずなのに、何度見ても毎度心がときめくのだ。今までに扱ったことのある生地を思い出し、「そうそう、こんな生地あるよね。」と呟く。ここではまるで今回の買付けの集大成(?)として、様々な古い物の「おさらい」をしているようだ。

 続けて向ったのは"Britain1760-1900"のコーナー。19世紀が主体のこのコーナーにはさらに見知ったものばかり。自分は扱わなくとも、買付け先のどこかで見たことのあるものばかりが展示されている。それぞれが当時使われたシュチェーションで背景と共に展示されていたりしてさらに面白い。静かなギャラリーをひとり彷徨い続け、気付けばもう夕方近く。V&Aを出て、最後にチェルシーの閑静な住宅街を歩き、ホテルに戻った。

V&Aの中庭。いつも混んでいるモリスルームのキャフェと違って、ここならのんびり出来ます。


バカバカしいというか、なんというか…。18世紀の宮廷衣装マンチュア。この横長の形といったら!(当時の人々は今よりもずっと小柄だったのに、このドレスはなんと横幅1.5m程あります。)自分で着ていておかしいとは思わなかったんでしょうか?ね?(笑)


当時のシルク生地。何となくどこかで見た記憶が…。どちらも素敵。


ロココが可愛い当時のファッションドール。今のような伝達手段の無い時代、最新流行のファッションを広めるために、こうした人形に実物そっくりなドレスを着せ、様々な場所に送られたと言います。


バックスタイルのヴァトー・プリーツが美しいローブ・ア・ラ・フランセーズ。こちらの華やかなシルク生地はなんと「手描き(!)」だったはず。


もちろん男性だって負けてはいません!(「当時、女性よりも男性の方がお洒落だった。」と伝えられる程ですから。)この通り、グロ・ポワンでバリバリにキメています。(笑)


最後にチェルシーを散歩して…。この辺りの閑静な住宅街がロンドンの中で一番好きです。


***今回も長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。***