〜後 編〜

■6月某日 晴れ
 今日から一泊の予定でベルギーへ。朝から荷物をまとめ、レセプションに預けてチェックアウト。顔馴染みのレセプションのムッシュウに「明日には戻ってくるからね。」声を掛けて出掛ける。

 今回の移動は小さなスーツケースひとつのため、ベルギー行きの列車の出る北駅まではタクシーではなくメトロで。ベルギー行きの列車タリスは事前にインターネットで予約してある。何度か訪れているベルギー、今日は首都のブリュッセルではなくフランドルの街で買付けをし、夕刻ブリュッセルへ列車で向かいブリュッセル泊まり。今日は二軒のアンティークディーラーにアポイントを入れてある。

 パリからベルギーまでは2時間程度。パリから南仏へ行くよりもずっと近い。おまけにブリュッセルだったらフランス語圏だから、パリから程近いフランスの地方都市へ来たような気分だ。ただし、今日まず訪れるのはフラマン語(オランダ語)圏。看板に書いてある事柄も何もかもがさっぱり分からず(前回行った同じラテン語圏のイタリアよりもさっぱり分からない!)、流石に外国へ来たような気分がしてちょっぴり新鮮。そんなフラマン語がまったく分からない私達のために、ディーラー達はフランス語と英語のミックスで話してくれる。お互いにアンティークディーラー同士、会話はアンティークを巡ることだからさほど困ることはない。

 飛行機も列車も電光掲示板ばかりになった今、パリ北駅のこのパタパタ動く時刻表は旅愁をそそります。

 まずは一軒目のディーラーの元へ。元々はロンドンのフェアで出会った彼ら、今までも何度か彼らの元へ訪れている慣れた場所だ。今回のベルギー行きの目的はレースではなく(19世紀にレースの産地だったベルギーだが、現在に至っては、アンティークレースは、私が売るより高価な値段になってとても仕入れることは出来ない。)ジュエリー。フランスよりもさらに厳重なベルギーのディーラー、ベルを押し二重の錠を開けて貰ってようやく中に入る。

 アシスタントの男性に「ご用は?」と尋ねられたので、ディーラーから貰っていたメールの入った携帯電話を差し出す。彼がディーラーを奥から呼んできてくれたのだが、ディーラーは私の顔を見るなり「あ!忘れてた!!」という顔。(笑)少し前にメールをやりとりしたせいか、どうやら彼は今日の約束をすっかり忘れていたらしい。まったく!!

 でも、買付けの方は通常通り、沢山のジュエリーをアシスタントの男性が長い時間をかけてひとつひとつ見せてくれる。彼のところで沢山のジュエリーを見るのは、パリやロンドンで何軒ものディーラーを探し回るのと同じくらいの密度。しかも、パリやロンドンで仕入れるよりも魅力的な値段で出てくることも度々。わざわざここまで来るだけの理由があるのだ。
 今日はモノグラムにローズカットダイヤが埋め込まれたリング、びっしり手彫り彫刻が施されたゴールドロケット、アール・ヌーボーのブローチ、ゴールドの透かし細工のピアス。自分で選んだのだから当然なのだがどれも私の好み、「細工物」といった雰囲気たっぷりのジュエリーだ。
 あぁ、今回も良いものが手に入って良かった。ムッシュとアシスタントの彼にお礼を言ってお別れ。悪い人ではないのだが、ちょっぴり変わり者のムシュウ。そんな彼が精一杯愛想良く手を振ってくれた。

 二番目に訪れた先はやはりジュエリーを扱うディーラー。こちらも今までも何度かお世話になったことのあり、今回もあらかじめメールでいくつかのジュエリーの画像を送って貰っている。こちらもやはり頑丈な二重になった錠を開けて貰って室内へ。
 いつものようにオーナーと握手をして挨拶。その後はアシスタントの女の子が私達のお世話役、奥の金庫から次から次へとジュエリーを運んできてくれる。それをひとつひとつ河村とふたりでチェック、ベルギーから出てくるジュエリーは、フランスと同じ大陸的な雰囲気がイギリスから出てくるヴィクトリアンジュエリーとは一線を画し、またそれとは違った良さがある。なんだか大陸のジュエリーの方が自由な雰囲気がするように思えるのは私だけだろうか。

 いったいいくつのジュエリーを見ただろうか。今日沢山のジュエリーの中から選んだのは、ダイヤとルビーを使ったアール・ヌーボーリング、クリアなローズカットで埋められたクロス、様々なピアス。思い切り高価なジュエリーよりも普段から楽しめる一捻りあるジュエリー、今私達がセレクトするのはそんなジュエリーだ。

 仕事を終えてジュエラーの元を後にしたのは既に夕刻。パリよりも北にあるベルギーはパリよりも一段寒い。今日も寒さから、持って来た衣類をすべて着る勢いで厚着をし、首元にはスカーフをしっかり巻いていたのだが(持って来たショールは、夏物のジャケットしか持ってこなかった河村に貸し出し。)、夕方になってまた一段寒くなってきた。ブルブル震えながらさっさと駅に戻り、列車で今晩泊まるブリュッセルへ。

 ブリュッセル・サントル駅までは約1時間程。そこから今日泊まるホテルまでは歩いて10分。インターネットで予約をしておいたホテルまではプリントアウトしておいた地図を見ながら進む。今までブリュッセルといえばグラン・プラス側のホテルチェーンのホテルが御用達だったのだが、今回はひと味違った個性的なホテルをチョイス。今晩泊まるのはギャラリーの経営者がオーナーというアパートメントホテルだ。ホテルの予約サイトの評価では「とても素晴らしい」となっていたこのホテル、さあ現実は如何に?

 そんな私達の不安も吹き飛ばしてしまうように、オーナーの男性はとてもフレンドリーで、分かりやすい英語で話してくれる。彼らのギャラリーで受付けをした後は、そこからすぐ側にある18世紀の建物の中にあるアパートメントへと案内。表玄関の鍵と階段からフロアへ向う扉の鍵、そして部屋の鍵の三つの鍵を渡され、部屋の設備ひとつひとつを親切に説明してくれる。流石ギャラリー経営者だけあって、隅々までこだわった素敵なインテリアのお部屋。皆違うインテリアのお部屋はそれぞれバラの名前が付いていてとてもジョイフル。
 同じフロアには大きな共用のキッチンが付いており、食器やカトラリーはもちろん、素敵な調理器具も揃っていて、冷蔵庫の中には翌朝の朝食が用意されている。こんなに素敵だったら、もっと前からここに泊まれば良かった!今回はたった一泊だけど、グラン・プラスからもすぐで便利だし、キッチンが付いているから連泊にもおすすめ。

 私達が泊まったのは赤薔薇のお部屋。ここB&B Taptoeはグラン・プラスからもすぐでおすすめ!すっかり気に入ってしまったので、次回ブリュッセルに来ることがあったらまた泊まると思います。(赤いハートのクッションに付いた両手がちょっぴり不気味ですが。笑)テレビではロンドンのダイヤモンドジュビリーの様子が中継されていました。


 アパートメントのキッチンはとても広くて清潔。こうしたキッチンの道具や設備からもヨーロッパの人々の暮らしをうかがい知ることが出来るようで、とても興味深いです。


 いつも宿泊先をグラン・プラスの側にしているのは、暗くなってからのお散歩が素敵だから。でも、6月の今回は夜遅くまで明るくて全然暗くなりませんでした。(苦笑)暗くなる前に体力切れでホテルに帰宅。


 グラン・プラスの側、天井の高いギャラリー・サンチュベールは高級ブティックが並ぶ美しいアーケート商店街。そぞろ歩くだけで楽しい場所です。


 ギャラリー・サンチュベールの中には高級ショコラトリーが何軒か。プラリネ美味しそう!残念ながら、今回ベルギーでショコラを食べる機会はありませんでした。


 同じく素敵な手袋のブティックが。実は私、手袋大好きの手袋フェチ。ショールやコートの色に合わせて様々な色を揃えるのが好きです。前回行ったヴェネツィアでもこのような素敵な手袋専門店をみつけたのですが、河村は「この前新しい手袋を買ったばかりでしょ!」と言い買って貰えませんでした。そのことを思い出し、「そういえばあの時買ってくれなかった…。」と河村にブチブチ。

■6月某日 雨
 今日は終日ブリュッセルに滞在。一番の目的は何度訪れても見ることの出来ないサンカントネール博物館のレースコレクションを見に行くこと。二番目は、もしレースコレクションが見られなくとも、サンカントネール博物館のミュージアムショップでレースの書籍を手に入れること。そして三番目の目的は、やはり何度か訪れたことのあるお気に入り、楽器博物館ことMIM(ミム)の最上階のレストランでランチをすること。

 まず朝食のためにジョイフルなキッチンに向うと、テーブルの上には綺麗にパンやハムチーズが並べてある。そこからお皿に好きなだけ取って、キッチンで食べても良いし、部屋に運んで食べても良い。朝から河村がコーヒーを淹れ、部屋に運んでくれた。こんな素敵なホテルがグラン・プラスの側にあると知っていたら、もっと以前から泊まったのに…。一泊だけで帰ってしまうのだ残念だ。
 昨日受付をしたオーナーのギャラリーに荷物を預け、外に出る。今日はあいにくの雨降り、そして今日ももの凄く寒い…。メトロに乗ってサンカントネール博物館へ。

 何度も行ったことのあるサンカントネール博物館だが(今まで三度足を運んだことがある。今回は4回目。)、大雨の中たどり着くも、「レースコレクションが見たいのですが。」と尋ねる私に、レセプションのマダムは「レースコレクションはクローズしています。」と首を振るばかり。私がさらに「キュレーター宛にメールも送っています。」と畳みかけると、キュレーターに内線電話で連絡を取ってくれた。「あなたはメールは送ったけれど、返事は受け取っていないでしょ?」とマダム。
 確かにその通り、前回はキュレーターから「2010年の年末にレースギャラリーは開くので、その時に。」という返事が来たのだが(だが、結局レースギャラリーが開くことはなかった。)、今回は返事も来なかったのだ。流石に4回目だとさほど落ち込むことはない。生きてさえいれば、またいつの日か見られる機会があるやもしれない。気の毒がってくれるマダムに別れを告げ、さっさとミュージアムショップへ。
 ここで大判のレースコレクションのカタログを手に入れることが、今回のベルギー行きの大きな目的のひとつ。こちらもサンカントネール博物館のホームページから日本に送って貰う注文のメールを送ったものの、ナシのつぶてだったのだ。だが、日本ではかつて数万円で販売されていた本がたったの30ユーロ(約3,000円)で売られていると思うと、やはり買って帰らない訳にはいかない。厚さ5cm以上、重さはたぶん2Kg以上あるのだが、「なんとかなるさ!」と即購入。他にもレースの本を買い漁る。

 大雨の中、重量級の本を持って歩き出したのだが、サンカントネール博物館は広大な公園の中にあり、メトロの駅までは遠い。そんな私の姿を見かねた河村が「こんな重いもの持たせられない!」と半分呆れ、でもちょっぴり怒りながら運んでくれた。こんな時、持つべきものは河村?
 メトロでブリュッセル・サントルの駅まで戻り、無事コインロッカーに入れようやく重量級から解放された。

 サンカントネール博物館のあるサンカントネール公園のランドマーク、サンカントネール門。ここへ来るのも4回目。この門の写真も今までに何度撮ったことか…。(泣)


 ブリュッセル・サントルの駅から楽器博物館へは歩いて行ける距離。ここの眺めの良いレストランも好きなのだが、かつてはオールドイングランド(現代でも存在しているフランスの婦人服ブランド、オールドイングランドは19世紀のその昔はデパートだったのだ。)だった楽器博物館のアール・ヌーボーの建物も良いのだ。
 楽器博物館の古いエレベーターで最上階まで登るとそこはブリュッセルの街並みが一望出来るガラス張りのレストラン。いつも満席の人気の高いレストランのため、早々入店したのだが、それでも既に窓際のいくつかの席には“Reserve”の小さなプレートが置かれている。「早めに来て良かったね〜。」と河村と言い合いつつメニューを広げ、何を食べようか思案。ここではとても親切で感じの良いムッシュがサービスしてくれ、それだけでも美味しく食べることが出来た。博物館に併設しているレストランだからけっして高級ではないのだが、サービスをしてくれる人の心遣いひとつで全然気分が違うのだ。のんびりランチをしていると雨も止んできた。

 まだ帰りの列車まで時間がある。楽器博物館からすぐ側の王立美術館へ。こちらは絵画が主体の美術館。ブリューゲルやルーベンスのコレクションが有名なこの美術館、特に事前に計画することなく来たのだが、美術館は時間を潰すのにぴったりの場所。ここでは私の好きな北欧ルネッサンスの画家、クラナッハの絵も沢山展示されていて見応えがあった。

 やっと帰りの列車の時間が近づいてきた。朝、預けた荷物をピックアップに戻り、駅のコインロッカーから「重量級」を出し、パリへの列車タリスの出るブリュッセル・ミディ駅へ。パリもロンドンも、ここブリュッセルもそうだが、「パリ駅」とか「ロンドン駅」とか、「ブリュッセル駅」というものはない。それぞれ行く方面によって出る駅が違うのだ。ホテルの近くの国鉄ブリュッセル・サントル駅からブリュッセル・ミディ駅へ列車で向い、そこからタリスに乗り込む。
 タリスに乗ってしまいさえすれば、パリまでは1時間半あまり。短い旅で少し拍子抜けしてしまうほどだ。でも、また明日はロンドンへの大荷物を持っての大移動も待っていることだし、体力の温存を図らなければ。

 パリのいつものホテルに着くと、レセプションの顔馴染みのムッシュウに「アパルトマンでも良いか?」と尋ねられ困惑。長年泊まっているホテルだが、ここで「アパルトマン」なんている言葉は聞いたことがない。ひょっとして、この建物とは別の場所(アパルトマン)にキッチン付きの部屋があるのかしら?「アパルトマンって何?」と尋ねる私に、ムッシュウは「見せるよ!」と一言だけ言って、私達を連れレセプションの裏手の部屋へと案内してくれた。そこは通常の部屋の倍以上の広さ、ベッドルームがふたつにバスルーム、そして化粧台がふたつあるという広大な部屋。今までこのホテルにこんな部屋があるなんて知らなかった!どうやら、たまたま一日空きが出たらしく、通常の部屋を予約していた私達にあてがってくれたらしい。思わずムッシュウに親指を立てるOKサインを連発してしまった。
 その晩、「たまには別々も良いかも。」とそれぞれの部屋でダブルベッドに大の字になって寝たのだった。

 アール・ヌーボーの建物が沢山残っているブリュッセルですが、この旧オールドイングランドの楽器博物館もアール・ヌーボーらしく鉄を多用した秀逸な建築です。塔の上のパーゴラも特徴です。


 こちらは王立美術館に併設されているレストランの入口。ステンドグラスがアール・ヌーボーの雰囲気たっぷりです。こちらの方が高級そう?次回、またブリュッセルに来る機会があれば、こちらもトライしてみたいです。


 タリスの出るブリュッセル・ミディ駅はロンドンに向うユーロスターの発着地でもあります。オリンピックを前に、ロンドンへ観光客を呼び込むポスターは、メイドさんが砲丸投げ!砲丸はティーポットです。

■6月某日 雨
 今日はロンドンへ向う移動日。山のような荷物をすべてまとめ、レセプションに預ける。ユーロスターの午後の列車を予約しているので、それまでは自由時間。もうフランスでの買付けはすべて済んでいるので、今日は何かお店で使える什器はないかと、オスマン通りのデパートへ出掛けてみることに。

 久し振りにオスマン通りのプランタンへ。実際に買うものはなくとも、日々進化していくパリのデパートは、行く度何かしら発見がある。今日も行ってみると、プランタンは改装直後でレイアウトがすっかり変わっていた。私達がいつも行くのは本館ではなく、食器やインテリア用品の置いてあるメゾン館。そこに置いてあるものを見ていると、フランス人の暮らしがうっすらと見えてくる気がする。
 今日もメゾン館をウロウロしたものの、特に買い物もなく次の場所へ。オスマン通りからもすぐ、以前から河村が見たがっていたオペラ座内部を見学。

 昔は、パリでもオペラやバレエの公演にも足を運び、実は今も買付けの度、事前にオペラ座のホームページで「何か面白さそうなものはやってないか?」と、公演情報を調べるのだが、最近の公演といえば、バレエはコンテンポラリーな物がほとんどで、オペラもシンプルな舞台装置の物ばかり。これもまた不景気が関係しているのだろうか、舞台装置や衣装の美しいクラシックな演目は皆無なのだ。それに、どうせだったら新オペラ座のオペラ・バスティーユではなく、いわゆる昔からのオペラ座のオペラ・ガルニエで見たいし…。そんなことを思っていると、なかなか良い演目に当たらず、ここ最近はわざわざボックスオフィスに足を運ぶこともなくなっている。

 でも、オペラ・ガルニエに内部は入場料さえ払えば誰でも見学することが出来る。ずっと昔にここで公演を見たことのある私は「ふ〜ん。わざわざ見に行くの?」という感じだったのだが、久し振りのオペラ座の内部は、これが実に素晴らしく、「あら、こんなに素晴らしい場所だったかしら!?」とびっくり。大人になってから見るとまた違って見えるのかもしれない。残念ながらゲネプロの最中でホールの中に入ることは出来なかったが、大階段や回廊だけでも、その迫力、装飾の美しさは、ただただ目を見開いて眺めるのみ。特に2階の回廊はヴェルサイユ宮殿の鏡の間にそっくり。ヴェルサイユ宮殿と同じく、果てしなく続く豪奢な空間に、フランスの底力を見せられた思いがした。オペラ・ガルニエは1875年完成。時は第二帝政のナポレオン三世の時代。「やっぱり支配者って必要なのね。」と天井の壁画を見上げながら思った次第。後はどうぞ画像でご覧を。





 

 遅れることなく無事に山のような荷物と共にロンドンへ。雨降りのロンドンは、寒かったパリよりさらに気温が低い。ユーロスターが到着したセント・パンクラス駅で、いつものアパートメントに向うタクシーを待ちながら、あまりの寒さに河村とふたり震え上がったのだった。


 ダイヤモンドジュビリーのパレード直後のロンドンの大通りはどこもユニオンジャックでいっぱいでした。イギリス人はこの光景を見ながらどんなにか誇らしいことでしょう。大きな国旗が沢山はためく様子を見ながら、そんな思いを抱きました。

■6月某日 雨
 今回ロンドンには三泊四日。昔、イギリスだけで二週間近く滞在していた頃を思えば、ずっと少ない滞在なのだが、それでもこのところ一泊とか二泊の滞在が続いていただけに、ロンドンでたっぷり時間を過ごす気がする。今回のロンドン滞在のその目的はといえば、ロンドン市内で開催される高級品ばかりのショウに行くこと。今までにも何度か足を運んだことのあるショウだが、ここ数年はご無沙汰。

 高級品のみを扱うこのショウ、初めて行ったときには、夕方からのシャンパンの振る舞われるレセプションで、男性ディーラーはフォーマルスーツ、女性ディーラーは皆ロングドレス姿でびっくりしたものだった。当然、そういうところにお買い物に来るのは、普段地下鉄などには乗らないハイクラスな人々。階級で顔つきから体つきまでまったく違うイギリス人のこと、普段見たことのない世界に、それまで早朝から始まる広大な田舎のフェアしか知らなかった私達は、「イギリスには、こんな世界があったのね。」と心底驚いた記憶がある。今回は、そういう場所でも恥ずかしくないように、それ用のちょっぴりフォーマルな服装とヒールの靴、それにバッグも持って来ているのだ。

 まず午前中は、「ロンドンの御徒町」と私達が呼んでいるジュエリーの問屋街へ。そこで日本では手に入らない素材や、ジュエリーボックスなどを調達するのだ。ジュエリーボックスはそれこそ東京の御徒町でもいくらでも手に入るのだが、どうも昔から使っているイギリスのクラシックな形の物が好きで、わざわざここへ足を運んでしまう。
 アンティークと同じく、こちらも買いに行くのはいつも決まったお店ゆえ、お店の年配のマダムも何となく顔馴染み。あれこれボックスを調達した後、河村がお支払いをしようとお金を出し始めたのだが、ご存じの通り、イギリスのコインには金額の数字が記されていない。記されているのは、コインの周りに小さく“ONE POUND”とか“TWO PENCE”とかの「文字」のみ。どこにも「数字」は入っていないのだ。すべて重さや大きさが違うとはいえ、私達外国人にははなはだ不親切なこのコイン。ことに赤い銅価は非常に小さなお金にもかかわらず、1ペンスと2ペンスの区別があるのも鬱陶しい。
 河村がジャラジャラ手間取っている横で、マダムに「彼はペーパーマネーとシルバーマネー、それにレッドマネーとしか分からないのよ。」と冗談を言うと、マダムはしゃがれ声で「ガハハ!」と笑い、「だったらやっぱりペーパーマネーがいいわね!!」と一言。無事にお支払いを済ませ、一度アパートメントに戻った。

 アパートメントで食事を済ませ、着替えをしてアンティークショウへ。このショウは、あまりに高価な物ばかりのため買付けが目的ではなく、良い物、美しい物を見るいわば向学のため。普段の買付け先では見ることの出来ない高価な物が、まるで美術館に来たように見ることが出来るからだ。前回このフェアに来たのはたぶん7、8年前。ずっと見に行きたいと思っていながら、なかなかスケジュールが合わず叶わなかったのだ。

 盗難防止のための厳重なセキュリティーを通ってショウの会場へ入ると、足元は絨毯でフカフカ、会場の設営は高級感たっぷり、会場の一隅にはレストランも用意されている。ある意味、実際に買うことも出来るのだから美術館よりもずっと楽しいかも。そう思って、早速足早に会場を歩き始めたのだが…。

 確かに高価で美しい物がいっぱいなのだが、ここはイギリス。最近フランスの物に惹かれる私達は、いくら高級であってもなぜか全然ときめかないのだ。会場の規模も、以前は1階と2階の両方だったのに今は1階のみ、若干小さくなっているようだ。「あれ、昔はもっと素晴らしいショウだと思っていたのに。」と少々当ての外れた感が否めない。もし、同じ規模のフランスのフェアがあったら、河村とふたり大興奮で歩き回るのだが、どうもここではいまひとつ高揚感がない。それから、こうしたフェアではジュエリーや陶磁器、家具が主体で、まずレースを扱うディーラーは見当たらない。たぶん、他のアイテムに比べて、良い物が出てくる確立がずっと低いため、高額なお商売に結びつかないのかもしれない。こうしたショウに出店するには莫大な出店料が必要なはずだから。

 そんな訳で、会場を何周かしたのだが、特に心ときめく物に出会えず次の場所へ。確かに、昔来たときにはもっと「凄いな〜!」「素敵だな〜!」という気持ちがあったのだが、今回はさほど感じられず。それは自分達が大人になったためか?それともそういう物がこの世から無くなってしまったためか?

 ショウの後は、ロンドン市内のアンティークモールへ。ここでも特に買付ける物はなく、顔馴染みのディーラーと世間話をしたり、翌日別の場所でアポイントのあるディーラーに挨拶したり、そんなことをしているうちに夕方に。いよいよ明日は勝負の(?)一日だ。

 街のお土産物やさんもユニオンジャック一色。どうりでこの時期、いつも泊まっているアパートメントのルームレートは50%増しだった訳だ!ちなみにオリンピック時期は100%増し「、3泊以上の連泊でしか受付けない」とのことでした。


 いくらダイヤモンドジュビリーでおめでたいと言っても、女王様は御年86歳。まだ現役だなんて、ちょっぴり同情を禁じ得ません。この人形は、もちろん女王様と同じく右手がプラプラ動くようになっています。

■6月某日 晴れ
 買付け最終日、今日はロンドン市内での買付け日。アポイントを入れた何軒ものディーラーと会う約束になっている。まだ静かな早朝、気合いを入れて表へ出る。まだほとんど地下鉄も動いていない時間のため、いつものように近所でタクシーを拾って出掛ける。

 それにしても、毎度毎度のことだが、ロンドンのタクシーの安全で正確なことといったら感心してしまう。パリの「暴走タクシー」や「悪態タクシー」、おまけに日銭を稼ぐためにわざわざ遠回りするタクシーに比べたら、感動的に常識的!ロンドン市内だったら、通り名をいうだけで、確実にそこへ送り届けてくれる。ロンドンでは、正規のタクシードライバーになる試験がとても難しいため、こんなにも安全なのだ。(逆にどんな値段をふっかけられるか分からない白タクなんて絶対乗りたくないもののひとつ。)その上、街中のどこにでもタクシーが走っているからすぐにつかまえられるのも利点のひとつ。今日もすぐにつかまえることが出来た。

 まず向った先は、いつもシールや地金のジュエリーを多く仕入れるジュエラー。私の好みをきちんと理解していて、的確に「これはどう?」とおすすめしてくれる。今日私達が見つけたのは、イギリスのアール・ヌーボーのペンダントやつなぎ方に特徴のあるゴールドチェーン、そしてシール等など。特にシールは、ハートとクロスと錨のモチーフ3つのクリスチャンモチーフが組み合わされた物。ハートは「慈愛」、クロスは「信頼」、錨は「希望」とそれぞれのモチーフに意味があるのも興味深い。

 他にもペリドットとシードパールのお花形が優美なペンダント。ルーペで眺めると、細やかな仕事ぶりが本当に繊細。びっしり打たれたミルグレインもポイントだ。他にも小さなローズカットダイヤとシードパールが組み合わされたハーフエタニティーリングやいつも探しているアイボリーの薔薇のブローチ。特に私の好きなアイボリーのジュエリーは、アイボリーという素材ゆえ状態の良い物が少ないこと、ジュエラー誰もが持っている物ではないので、良い物が出てくると嬉しい。

 アポイントを入れていたレースのディーラーからはリクエストしていたタティングレースが出てきた。ひとつはとても繊細なハンカチのフレーム、そしてもうひとつは頭に着けるアクセサリー、フォールキャップ。特にフォールキャップは「たぶんシスターリエゴのワークショップで作られたの物と同じ形。」という。どちらもモチーフを結んでつなげていく古い技法で当時の細い糸で作られている点も美しい。他にもヴェネツィアンのポアン・ア・ラ・ローズのボーダーが出てきた。こうした古いレースも見かければ手に入れておきたいアイテムだ。そしてもうひとつ、18世紀のブリュッセルレースのキャップクラウン。興味をそそるちょっと珍しいアイテムだ。ここでも、ディーラーの「最近は不景気だし、良いレースは出てこないし、本当に大変…。」といういつもの愚痴をなだめ、そして次の場所へ。

 見かけないジュエラーのケースの中に、ずっと欲しかった美しい色あいのルビーのピアスを発見。他にも大きなローズカットダイヤのリングも。早速マダムに出して貰って、ルーペでじっくり観察。どちらも状態が良い。ルーペを河村に渡し、再度チェックをして貰う。しかも、お値段を聞くとどちらも上質なのにさほど高くない。ルビーも素敵だし、ローズカットダイヤにしてはとてもクリアで美しい。「ん?それにしても安過ぎないか?」と考え込んでいると、マダムは「私はベルギーから来ているの。」とひと言。話していると、私達が今回訪れたベルギーの街から来ていることが分かった。「私達もつい二日前に行ったのよ!」と話が弾む。なるほど、ベルギーのディーラーだからお値段が良心的だったのだ。ベルギーのジュエラーに一目置いている私達はすぐに納得して商談成立。良いジュエリーが手に入って本当に良かった。

 やはりアポイントを入れてあったいつものレースディーラーの元に向う。まずは一通り世間話をし、沢山のレースをひとつひとつチェックしていくと…「えっ!?ちょっと、これは何!!」そう、それは私がずっと欲しがっていた18世紀のブリュッセルのラペット。とても複雑な柄に手を離すことが出来なくなり、河村に「こんなの欲しかった!こんなの欲しかった!」と訴える。そして、ディーラーにも「ねぇ、これどうしたの?この前はなかったはず。」と訴えると、「それは最近入ったばかり。たぶん…田舎のオークションから出てきたはず。」少々と困惑気味に答えてくれた。以前、同様なレースが出てきたのは、イギリスの有名なコレクターが亡くなった折だったから、もうあれから何年も経っている。「こんな物がまだあるのね〜。」と感激しながらそのままレースを手にしているものの、上質なだけあって非常に高額。河村は簡単には「うん。」と言わない。そんな河村をあの手この手で説得する私。それは小さな子供が欲しい物を親にねだるときの感覚に少し近いかもしれない。

 ようやく河村を説得したものの、買付け資金をすべて使い果たし、さらに銀行のキャッシュディスペンサーからお金を引き出して何とかお支払い。その後、お金がない癖にまだ買付けを続行しようとする私を、河村はひきずるようにして無理矢理連れて帰ったのだった。
 これで今回の買付けはすべて終了。大物を仕入れた後はどっと疲れてキャフェの椅子に倒れ込んだ。

 一度アパートメントに戻った後は、楽しみにしていたヴィクトリア&アルバートミュージアムへ。実は最近、ずっと閉っていたコスチュームギャラリーがオープンしたばかり。ここを見るのを楽しみにしてきたのだ。それにしても、大英博物館しかり、ナショナルギャラリーしかり、こうした大きなミュージアムがフリーで見られるなんて、イギリスの懐の深さを感じる。まずは入ってすぐのミュージアムショップを「何か面白い物がないか?」と物色し、その後コスチュームギャラリーへ。

 しばらく振りのコスチュームギャラリーは、展示品もすべて入れ替えられ、新しいディスプレイになっていた。ここはフラッシュさえたかなければ写真撮影もOK。18世紀、19世紀の展示はこんな感じ。

 地模様のあるブルーのシルクにヴァランシエンヌの縁飾りのフィシュー。後ろ側にはミラーが置いてあってバックスタイルも分かるようになっています。こんなドレスを着た女性はきっと右側の肖像画のようなヘアスタイルだったのでしょう。


 上のドレスの下に置いてあったこのボーダーはブリュッセルレース。ドレスと同時代のものと思われます


 なんてビビットな色の帽子!帽子もシューズもドレス生地のボーダーの色に合わせているのでしょうね。確かこんな生地、うちにもあったような…。


 ハイウエストのドレスがまるでジェーン・オースティンの世界ですね。男性のジャケットは現代の背広の原型です。


 この大振りのホワイトワークの襟、迫力でした。「実際にこんな大きな襟を付けたんだ!」と、今さらながら思いました。


 19世紀前半のアイボリーのファンです。僅かに破損している箇所はありますが、まぁ、なんと繊細なのでしょう!


 このはっきりした色合いのドレスはアニリン染料?そろそろ化学染料の時代の到来ですね。


 19世紀半ばのコットンドレスと大流行したカシミールショール。ショールのオレンジ色に合わせた襟元のコーラルが洒落ています。


 ドレスとその生地を一緒に見る機会はなかなか無いので、興味深かったです。この上衣も素敵でしたが、シルク生地も織り生地も豪華でした。

 コスチュームギャラリーから出てきても、今日はまだ時間がある。ついでにレースとテキスタイルのコレクションを見に行くも、こちらはクローズ。そういえば、しばらく前から閉っていたのだった。側にいた係員の女性に「レースとテキスタイルのギャラリーは?」と聞くと、「来年近くの分館がオープンし、レースとテキスタイルはそちらへ移されます。」とのこと。ということは、また新しいコレクションも展示されるのかも。(以前、懇意になっているレースディーラーから「V&Aにはまだまだ膨大なレースのコレクションがあるのよ。」と言われたことがある。)こちらの新装オープンもとても楽しみだ。

 「それでは!」と次に訪れたのはジュエリーギャラリー。何年か前に新装した折に見ているジュエリーコレクションだが、今回このギャラリーに足を踏み入れるのは久し振り。絵画でもそうなのだが、美術館は何度見にきても、読書するのと同じように、その時の気分や心持ちで同じ展示品でもまた違った感想を持つことが多い。今回も河村とじっくり順を追って膨大なジュエリーを鑑賞しながら、「それにしても凄い!」だの、「なんて綺麗なの!」だの言いながら、昔の職人の仕事振りに、王侯貴族の栄華に、ただただ感動。せっかくV&Aに来られる機会があれば、絶対立ち寄っていただきたいギャラリーだ。
 今回も素晴らしいジュエリーの数々にすっかりやられてアパートメントに戻っていったのだった。

 ドアの上に這わせた白い蔓薔薇。思いがけず寒かったロンドンですが、この通りそれぞれのお庭の薔薇はびっしりお花を付けていました。


 こんな薔薇がごく自然に、ひっそりとお庭に咲いています。

■6月某日 晴れ
 今日はスケジュール最後の日。昨日で買付けは終っているので、「消化日」という感じだ。こんな日は美術館に出掛けることが多いが、今日は河村の希望でタワーブリッジ界隈のベイエリア、バトラーズワーフを散策に。日本に帰るフライトは夕方なので、レセプションに荷物を預けた後、のんびり時間を気にせず出掛ける。

 久し振りに出掛けたロンドン塔界隈は、先のダイアモンドジュビリーの式典のせいか、それとももうすぐ行われるオリンピックのせいか、観光客がいつにも増して多い。ロンドン塔へ向う人々を横目で見つつ、タワーブリッジを渡ればそこはもうベイエリア。再開発されたこの辺りは、以前はといえば、ヴィクトリアンの古い倉庫が並んでいて、いつ切り裂きジャックが出没しても不思議でないほど、治安も悪く、なにより薄気味悪いところだった。それが、この辺り一円の再開発で、古い建物は皆新しく化粧直しされ、テムズ川沿いにはテラス席のあるお洒落なレストランが次々出来て、今ではロンドンでも有名なお洒落エリアに変貌。ここに散歩に来るのは気持ちが良いけれど、あのおどろおどろしいヴィクトリアンのロンドンが無くなったのは、少し淋しい気がする。

 今日は川沿いに並ぶレストランを通り過ぎ、デザインミュージアムの二階にあるフレンチレストランへ。店内へ向う前に、入口でじっくりメニューを品定めし、「これなら大丈夫みたい。」と2階へ。2階席から眺めるテムズ川とタワーブリッジの眺望は最高で、しかもイギリスのレストランとは思えないほど美味しいフレンチにびっくりする私達。最近でこそ、PaulやLe Pain Quotidienなどのフランスやベルギーのパンのチェーン店が出来たり、イタリアンレストランがあちこちに出来たり、イギリスの食べ物しかなかった十数年前とは大きく変わったのだが、それでもまだ「イギリスで食べる食べ物」を信用できない私達は、もうずっとイギリスではレストランに足を運んだことがなかったのだ。

 フランスではしばしばレストランに出掛ける私達だが、慣れないイギリスのレストランで丁寧な接客を受けると、何だかドギマギしてしまう。フランスではレストランの注文ぐらいは何とかフランス語で言えるのだが、普段英語で注文する機会がほとんどないため、「ええと、ええと、英語だとなんと言えば良いのだっけ?」と言葉に詰まってしまう。

 でも、前菜で出てきたグリーンアスパラと自家製マヨネーズ、トリュフ添えは、それはもう美味しくて、「イギリスでもこんなに美味しいものがあったんだね!!」と感激。私達が長年、ロンドンではホテルでなくアパートメントに滞在しているのも、食べ物が美味しくないと悪名高いロンドンで外食をしたくないからなのだが(大昔、生まれて初めてポリッジ(おかゆ)を口にしたとき、あまりの不味さに愕然とした。ヨーグルトと間違えてライスプディングを食べたときには死んでしまいたくなった。)、イギリスにもこんな美味しいものがあったなんて、時代の流れを感じた。そういえば、昔は一服するのはみんなティールームで、アンティークフェアの会場で飲むのもティーだったのに、今では街のあちらこちらにスターバックスをはじめとするコーヒーショップが出来て、今では誰もティーなんて飲んでいない。こうやってイギリスも少しずつ変わっていくのだろう。

 デザインミュージアムでランチを済ますと、そのまま街中に出ることに。ずっと足を運んでいなかったコベントガーデンがどんな風になっているのか見たくなったのだ。その昔、ロンドンのアンティークマーケットが盛んだった頃、月曜日はコベントガーデン、水曜日はエンジェル、金曜日はバーモンジーと連日マーケット巡りをしたものだった。今ではそのほとんどが寂れてしまい、私達ももうずっと行っていない。最後の頃には、「もうあそこに行ってもゴミしかないから…。」などとよく言っていたものだ。
 この日のコベントガーデンはアンティークマーケットの日ではなかったが、沢山の人で賑わっていて、何だかとても懐かしかった。オリンピックが開催されることもあって、不景気とはいえ、ロンドンはまだまだ変わっていきそうだ。今回は、「何でもずっと同じでいることはないのね。」と淋しい気持ちでロンドンを後にした。

 1078年に征服王ウイリアムによって建てられたというから、なんと1000年近くの歴史のあるロンドン塔。世界最大のダイヤ、カリナンもここに収められています。今では遙か向こうに現代建築が建設中。これも時の流れといいましょうか。


 「ロンドン橋落ちる♪」のロンドン橋ではなく、これはタワーブリッジ、今でも跳ね橋として実際に稼働しています。こちらも向こうに何やら尖った建物が。シティの象徴ガーキンはピクルスの「キュウリ」の意。スイスの保険会社の建物です。


 古い倉庫群が再開発された後はこの通り、お洒落な花屋さんも。置いてあるお花の種類や色合いがパリとは微妙に違います。


 映画「マイフェアレディー」の舞台となったコベントガーデン。ここでも天井いちめんにユニオンジャックが。大道芸人が出ていたり、クラフトマーケットが開かれていたり、アンティークが無くとも何かと楽しい場所です。

***今回もお付き合いいただき、ありがとうございました。***