〜後 編〜

■3月某日 晴れ
 青空のもと色彩に溢れた喧騒のヴェネツィアから、グレイの空の現実パリへ戻ってきた。ヴェネツィアを去るのは淋しかったのですが、シックで落ち着いたパリの街に戻り、なんだかほっとしたような、つまらないような…。今日からもうひと仕事、まだまだ買付けは終らない。
 今日はアポイントを入れてあるお馴染みのディーラーの元へ。いつも頼りにしている彼女、事前に連絡した折には「見せたいものがある。」とのこと、期待と不安の入り交じった気持ちで出掛ける。

 今日もバスに乗って彼女の元へ。私達はメトロよりも断然外が見えるバスが好き。今日も仕事に向うのにもかかわらず、バスに乗っている間は車窓のパリの街並みを機嫌良く眺める。到着後、しばらく振りで会う彼女とひととおり挨拶をした後、早速商談に。
 いつものように私のためにとって置いてくれた沢山のアイテムからひとつひとつ選んでいく。ホワイトワーク、華やかなリボン、シルク生地やコットン生地、そして「これ、好きでしょ?」という言葉と共に彼女が取り出したのがシルク製のソーイングボックス。リボン刺繍が可愛い。最近こういうソーイングボックスを見ることは本当に稀。どうやら彼女が自分のコレクションの中から持って来てくれているようなのだが、そうでもなければまず出会うことはないだろう。そして、もうひとつのリボン刺繍アイテムはシルク製のエプロン。メイドさんのエプロンではなく、「奥様」がお洒落で身に着けるお洒落エプロンだ。薄いシルク地に薔薇のリボン刺繍が華やかだ。

 昼食を挟んで今度はレースをじっくりセレクト。「これはどう?」とばかりに出てきたホワイトワークのハンカチは縁にぐるりとニードルの繊細な細工。今まで扱ったことのないパターンに、「これはひとつ持っておきたい。」とチョイス。上質なホワイトワークのハンカチを得るのは、買付けでも難しいこととひとつ。もうひとつは、沢山のメダル型の中に様々なお花を刺繍したラヴリーな一枚。「こういうのもあったらいいよね。」とこちらも一緒にいただくことに。上質なハンカチをお客様が選べるほど沢山持つことは私の望みでもある。「どこにも無いけど、あそこに行けばあるよね!」そんな店でありたいと思う。

 ディーラーの彼女の元を訪れてしばらく、今日の仕事も佳境に入ってきた。彼女の「持って来たわよ!」との言葉で、今日のクライマックス、レースのファンを見せて貰うことに。私が前回「ファンが欲しい!!」としつこく言ったのをよく覚えていて、私のためにわざわざ自宅から持って来てくれたのだ。まず、大きな額入りのファンが出てきた。これを自宅から持ってくるのは、きっと重くて大変だっただろう。ただし、額はグラグラ、とても販売できる状態ではない。彼女の「額から出したらどうかしら?」という言葉に改めてファンをチェックするが、ファン自体にも問題があり、とても仕入れられる状態ではないことが分かった。せっかく持って来てくれたが、これは無理。「ごめんなさい。これは無理だわ。」と、せっかく持って来てくれた彼女に謝りつつもきっぱり伝える。

 そしてもうひとつ、実はそちらのファンは彼女のコレクションで、たぶんあまり売るつもりは無く、しつこく言った私の言葉につられて持ってきてしまったらしい…長年彼女がコレクションで持っていただけあってこれがとても素敵なファンだったのだ。まず、柄が今まで見てきたものとまるっきり違う。フランスらしい植物アイリスがテーマ、その両脇に白鳥が遊ぶ池の風景がレースで描かれている。箔押しのマザーオブパールの骨の細工、そして紅いシルク張りのローズウッドのボックスはこれが由緒正しいファンであったことを示しているようだ。「これは20年前、まだフランの時代に手に入れて、ずっと大切にしてきた。20年前でももの凄く高かったんだから!」という彼女が提示する額は私達には覚悟のいる金額。河村とふたりでうなりながらファンを眺め回し、ようやく決めた私達。譲ってくれた彼女の少し淋しそうな笑顔が忘れられない。

 買付けを終えた帰り道、大物を手に入れてどっぷり疲労。手に入れて良かった…と思いたい。

 まずはキャフェで朝ごはんを食べて…。今日もタルティーヌとキャフェ・クレームをいただき元気に出動!


 マレ地区の有名なチョコレート屋さんJadis et Gourmet。ウィンドウを飾るチョコレートのメッセージに目が釘付けです。贈り物にいかがですか?


 これはチョコレート…?ではありません。これはl'encens、お香なんです。たぶん後ろの小瓶に入ったフレグランスを染みこませて使うのでしょう。お皿に盛ったチョコレートみたいで美味しそうですね。


 こちらは南仏のマルセイユ石鹸の専門店。南仏に行くと、こんな風に様々な種類の石鹸が。「セミ」の形も南仏ならでは。この爽やかな色合いを見て南仏の空気感を思い出しました。


■3月某日 晴れ
 いよいよ今日は買付けの最終日。フライトは夜のため、まずは荷物をまとめてレセプションに預け、今日も早朝から買付けへ。買付けも今日で終りとはいえ、最後の最後まで気は抜けない。

 朝から出掛けた先は、先週も足を運んだ場所。だが、それぞれのディーラーもまた新しいものを入荷しているかもしれないし、新たなディーラーとの出会いがあるかもしれない。そんな希望を持って今日もバスに乗る。
 顔馴染みのディーラー達とは挨拶を交わすが、「あら、今日も来たの?」という反応。なかなかこれといった目新しいものとは出会えない。そんな中、箱物やシルバー製品を扱う見知った年配のマダムとムッシュウとしばらく振りの再会。彼らの商品には私達の好みの物が多いのだが、顔を合わすのはずいぶん久し振りだ。商売を仕切っているのはマダムだが、ムッシュウとも顔馴染み。何か気になる物がある時は、忙しそうなマダムではなく大人しいムッシュウに見せて貰う事が多い。今日はケースの中にフラワーバスケット柄のペーパーナイフとシルバーのパウダーケースを発見。見せて貰うと、どちらもフランスらしいテイストのアイテムだ。ペーパーナイフはシルバープレート製、パウダーボックスはシルバー製と判断したのだが、念のためにムッシュウに聞くと、「ほら、ここにポワソンが。」というお返事。確かにルーペで確認すると小さな小さな刻印が。迷うことなくふたつともいただいた。

 もうひとつ、みつけたものは紙製のパウダーボックス。薄紫色にゴールドのエンボスがベル・エポックの雰囲気だ。そしてこちらはデッドストック、ボックスの中にはもうひとつ薄い紙製のボックスが入っていて、そちらはずっしりと重い。今までボックスの中にお粉が入ったままのパウダーボックスを扱ったことがあったが、こうしたタイプのデッドストックは初めてのような気がする。古い物なのにこんなにも良い意味で古さを感じさせないものも珍しい。香水瓶やパウダーボックスなどこうした化粧小物はいくつも持っていたいもののひとつ。こちらも日本に持って帰ることに。

 午前中いっぱいずっと歩き回るが、他に出てくる物はない。買付け資金も尽きてきた最終日、どうしてもシビアにならざる得ないのだ。そのまま別の場所に移動し午後も買付けに。

 たまたま寄ったのは先週ふた付きのグラスポットを仕入れたムッシュウのところ。今度はケースの中にブロンズ製のダブルのフレームを見つけたのだ。早速見せて貰おうとしたのだが、ムッシュウはお客様の最中。ジリジリしながら待っていたのだが、なかなか終りそうにない。15分は待っていただろうか、ようやく先客が去っていくと、ムッシュウは私達に「オ・マ・タ・セ」とにっこり。「え、えっ〜!日本語!?」とびっくりする私達に、今度はフランス語で「日本人の友達がいて…。」
 どうやら身近に日本人のお友達がいるらしい。日本人の女友達がいるムッシュウが上手に日本語を操る例を今までも何度か見てきた私達は「あら、そうだったのね。」と納得。でも、彼が言うことには、お友達はパリに住むヨーロッパ中を演奏旅行しているピアニストの日本人男性で、「彼の演奏はそれはそれは素晴らしいんだ!」とのこと。口ぶりから、その日本人ピアニストのことを、とてつもなく尊敬していることが分かる。日本人の奥さんがいたり、日本人の友達のいるフランス人は、日本や日本人全体に対する尊敬の念をどこかしら持っていて、何となく態度で分かることがあるが、このムッシュウもそんなひとりだ。お陰で今日も商談はスムーズに進み、良い物を手に入れることが出来た。会ったことのない、異国で頑張っているその同胞の男性に思わず感謝の念が湧く。

 今回買付けの最後は、アポイントを入れておいたディーラー親子。テキスタイル系の山のような在庫を持つ彼女たちは、この業界でも成功している筆頭だろう。同業者のフランス人は「あの人達はお金が好きなのよ!」と陰口をたたくが、バカンスに行っても、結局そこで仕入れに走り、ぐったり疲れてパリに帰るというその勤勉さには頭が下がってしまう。今日も挨拶の後、沢山の中からお花やリボン、パーツなどのいつものアイテムを選ぶと、今度はアシスタントの男性から「廃業したリボン工場から沢山のリボンの見本が入ったから見るように。」と声を掛けられる。

 彼に連れられて向った先には山と積まれたリボンの大箱。仕入れの最後の最後にこんなどんでん返しがあるなんて…。大箱の中には興味深いリボン見本の数々がぎっしり入っているのだが、そのひとつがひとつがまたとんでもなく高価!マダムは「あなたは30%OFFでいいわ。」と言うが、買付けの最後の最後に後出しじゃんけんのように出されても困ってしまう。いきなりの沢山の在庫に困惑している私達に、マダムはさらに「クレジットカードを使ってもいいのよ。」悪魔のささやきを一言。ここでクレジットカードが使えるなんて今まで知らなかった!クレジットカードが使えることはたぶん表立って公表していないのだろう。でも、クレジットカードが使えたとしても、今回の買付けでう買う予定の金額は既終了。今回は残念ながらタイムオーバーだ。一番美しい織り柄のリボン見本をひとつ選んで、「後はまた次回。今度こそいっぱい仕入れてやる!」と大箱のふたを閉めた。 

 様々なことのあった今回の買付けも無事終了。早くまた次回行って、思いにまかせて沢山良い物を仕入れたいものだ。

 パリの美味しい物!ラデュレのマカロンのウィンドウはいつも魅惑的です。

 ミモザは春の訪れを告げる花のひとつ。花屋の前を行き交う人も皆いちようにこの黄色いふわふわしたお花を振り返ります。


 バレエ用品のレペットは今では誰もが知るお店。今のシーズンのウィンドウ、「青い鳥」の衣装の鮮やかなブルーが印象的です。


 久し振りに立ち寄ったルーヴルからも程近いパサージュ、ヴェロ・ドダ。名物店だった人形店カピアも閉店して久しくなりました。静かな回廊。


 こちらは、私達の常宿のすぐご近所、オデオン座の回廊。この石造りの静かな回廊をコツコツ歩くのがたまらなくパリっぽい気がします。


 ホテルの近所、レストランの窓辺のキャンドル達。まるで無造作に置かれたような様が良い感じです。蝋燭の灯りってロマンティックですね。

***今回もお付き合いいただき、ありがとうございました。***