〜後 編〜

■11月某日 雨のち曇り
 パリでの買付け一日目。今日もパリ市内を何ヵ所か巡る忙しい一日。普段、二日かけてこなす仕事を一日でしようとするのだから、「いつもより早めに起きて早く出掛けましょう!」と思って朝から支度をしていたのだが…何気なくつけたテレビを見ていた河村が、「あれっ!おかしい。1時間間違ってる!?」と騒ぎ始めた。国内でも、海外でも、必ずそれぞれの目覚まし時計持参で出張に出掛ける私達。ロンドンとパリは1時間の時差があるため、ゆうべ確かに時間を合わせて寝たはずなのに。河村とて、ご自慢の目覚まし時計はワールドワイドの電波時計で自動的に時間が合うはずなのに、なぜ!?どうやら私は目覚まし時計を冬時間に合わせ間違い、河村の電波時計はロンドンからの電波を受信し、そのまま修正するのを忘れてしまったらしい。いつもより早起きしていたとはいえ、1時間遅れで一日が始まった。
 外は雨、部屋の中から見た時には小降りかと思ったのだが、外に出てみるとけっこう本降り。まずは屋外の仕入先へ向かう私達のテンションは下がり気味。早く止まないかなぁ。

 最近の新顔、私達と同世代と思われるマダムとムッシュウの夫妻は、布や雑貨を扱う貴重な存在。確か前回初めて知り合い、「パリにはこんなディーラーもいたんだ!」と思ったばかり。今日もマダムに挨拶をして、生地の山をひっくり返していると、久し振りに見る赤ずきんちゃんが!私達が「赤ずきんちゃん」と呼んでいるそのものずばり赤ずきんちゃん柄の生地を目にするのはしばらく振り。この手の生地の宿命としてけっして安くはないお値段だったがありがたくいただくことに。

 午前中の買付けの目的のひとり、いつも連絡をくれるディーラーには今回お土産を持参している。そう、それというのも日本が誇る(?)ユニクロのヒートテックの暖かい衣類。今ではロンドンやパリにも出店しているユニクロだが、ここの冬物衣料はたいがいイギリスでもフランスでもアンティークディーラー達に好評。今日も彼女と再会のビズーを交わした後、「ハイ、お土産!これはジャパニーズハイテクノロジーの…」と渡すと、「今日もマサコに貰ったのを着てるのよ!」とにっこり。そんな事を話しながら、「これがマサコの箱!」と様々な物が詰まった段ボールの箱を開けてくれた。
 中から出てきたのは、お花や紙の箱、そして何やらピンク色の卵型のものが。卵型のバスケットだ。か、可愛い!わくわくしながらひとつひとつボックスの中の物を出していく。何か新鮮な物を手にするようなこの瞬間、この仕事のヨロコビを強く感じる。

 雨が激しくなってきた。雨と私が選ぶシルクや紙で出来たアイテムは著しく相性が悪い。ちょっぴり雨に濡れただけで、まったく価値がなくなってしまうものも少なくない。仕入れて物を濡らさないように注意して持ち運ぶ。雨の中早々に退散して一度ホテルへ帰る。でもゆっくり休んでいる暇はない。すべての荷物を置いてすぐに次の仕入れ先ヘ。
 午後からもアポイントを入れてある先を中心に回る予定。相変わらず雨は止まない。雨降りだと、それだけで出掛ける意志が削がれるがそうもいっていられない。お昼ご飯に買って帰ってきたバケットサンドを大急ぎでかじり、次なる場所へ。

 まず向かった先はいつものレースディーラー、お馴染み「レースのばあちゃん」と私達が密かに呼んでいるマダム。私も河村も、(無理矢理?)今日もちょっぴり大げさにマダムから抱き締められて挨拶。前回会った時には骨折をして右腕をギブスで固めていたマダム。もう腕にはギブスはない。「腕は大丈夫?」と聞くと「大丈夫!大丈夫!」明るい返事。そしてレースの総ざらいが始まった。毎度のことですっかり慣れている私達、何も言わなくとも次々と薄紙に包まれたニューストックが出てくる。ひとつひとつ取り出しながら、私達向きでないとマダムが判断すると、「これはnon。」と見せて貰えなかったりするので、そうしたものを「見せて!見せて!」と無理矢理見せて貰ったりと忙しい。そんな風にひととおり沢山のレースを目にしたのだが、どうも今日はピンと来るものがない。マダムにか「こういうレースは?ああいうレースは?」と尋ねても「最近は上質なレースの仕入れは本当に難しい。」のお決まりの台詞。「ひょっとして今日は何もないのかも…。」と困った気持ちになり始めた頃、ほぼ最後の薄紙の中から美しい柄のポワンドフランスが出てきた。思わず「あるじゃないの!」と言葉が出てくる。今回は本当にこの一点だけ。でも嬉しい収穫だ。マダムは一点だけしか私達が選べる物がなかった罪滅ぼしか、その辺りに転がっていたレースを「これも持ってけ!あれも持ってけ!」と調子良くおまけにつけてくれた。

 次はジュエリーから食器、工芸品まで幅広い品揃え、私が「アンティークのセレクトショップ」と呼び、昔から尊敬している女性ディーラー、彼女のことは十数年前からも知っていて、ドローの競売所でも度々その姿を目にしている。確かな審美眼を持つ彼女はずっと憧れを持って仰ぎ見てきた存在。昔はただただ彼女の商品を眩しい思いで眺めるだけだったのだが、ここ数年、自分が年を取るのと共に少しずつ彼女の背中が見えてきた感じだ。ここ最近は必ず彼女の所に立ち寄って、何か自分達にも仕入れられる物がないかと目を皿にして物色するのが恒例。今日も彼女の所へ。実は前回、彼女の所でどうしても欲しいものがあったのだが、買付け終盤で既に軍資金を使い果たし、泣く泣く諦めた物があったのだ。
 いつもにこやかな彼女、今日も穏やかな表情でご挨拶。早速商品を見せて貰ったのだが、やはり前回心残りだった物はSOLDで既に無い。「あんなに素敵だったから無くなって当然。」と頭では理解できるのだが、心の中は複雑。「そうだよなぁ、凄く良かったしなぁ。」と手に入れられなかった物ほど頭の中ではどんどん巨大に膨らんでくる。そんな時、ふとガラスケースの片隅に私の眼をかすめたものが。それはずっと探していたマフチェーン。商品に、というよりは自分が一度身に着けてみたくて、前回の仕入れからずっと探していたのだが、今回のイギリスの買付けでも見つからず、フランスにもきっと無いものと諦めていたのだった。またここでも「あるじゃないの!」と独り言を言いながら、マダムに出して貰い自らお試し。長い長いゴールドのチェーンに重みのあるロケットが付けられて、アンティークらしい緻密なチェーンにはとても古い雰囲気がある。
 「うん!なかなか良いかも。」と鏡の前で頷いていたその時、河村は河村でマダムに気になったアイテムを出して貰っているところだった。「何?何?」と覗くと、美しいアイボリーの丸いケース。アイボリーをくり抜いて作ったフォルムには繊細な彫刻が、ふたにはシルバーで作られた細かやなイニシャルのモノグラム。それはアイボリー製の贅沢なジュエリーボックス。きっと誰か貴族の奥方のために誂えられたものに違いない。いつも丁寧に商品の説明をしてくれる彼女は、「これはアフリカからノルマンディーの港町ディエップに運ばれて、そこで加工されたものよ。上等なアイボリーの細工物はディエップ製よ。」きっと19世紀、フランスが沢山所有していたアフリカの植民地から運ばれた象牙に違いない。
 今日はこのふたつを。マダムに「あなたから譲って貰えたことがとても嬉しい。」とお礼を言って、嬉しさでいそいそと彼女の元を後にした。

 次はお花やリボンなどの手芸小物の仕入れへ。ここでは膨大な量の在庫を河村とひとつずつチェックする仕事が待っている。膨大な量と言っても、その大半は50年代以降の物。その中にほんのぽっちり混じっている19世紀の物を見つけ出すのは、大海の中から小さな真珠の粒を見つけるような気さえする。いつものようにまずはガラスケースに入っている(実際には「入っている」というより「押し込められている」という表現が正しい。)大量のお花を、あてがわれた洗濯籠ほどある巨大なバケットにあけてチェック。大量にあっても、原形をとどめていて、なお且つ可愛いお花は本当にないのだ。お花に埋もれて大わらわの私の姿を、横でボーッと見ている河村に「あなたも向こうの在庫をチェックして!」とカツを入れ、ふたりともアンティークの在庫地獄の中にどっぷり浸かったのだった。
 1時間近くかかって目的の在庫チェックを終え、疲労(徒労ともいう)と埃にまみれた私達、ようやく見つけた僅かな戦利品を手にここでの買付けを終了。

 今日の最後を飾るのは、時代衣装を扱う初老のディーラー夫妻。河村曰く、「若い頃のマダムはローレン・バコールそっくりで、凄い美人だったに違いない。」というマダムとシャルル・アズナーブルによく似た(というか、ちょっぴりしなびたシャルル・アズナーブルといった感じ)ムッシュウのペア。ここではレースを見せて貰うのが恒例。いかにもフランス人といった気位の高いマダムは、一見さんにはめっぽう冷たく、勝手に商品を触れようものなら露骨に嫌な顔をするのだが、もうすっかり顔を覚えられている私達は、ここではVIP扱い。(笑)もっともここでのVIP扱いというのは、日本におけるごくナミのお客様扱いという事なのだが。
 さほど沢山のレースを持っている訳ではないのだが、上質なレースのみを扱う彼ら、今日も「何かニューストックありますか?」とマダムに丁寧に尋ねると、戸棚の中からレースが入った紙の箱を出してくれた。ここにも薄紙に包まれたレースの数々が。マダムに「触ってもいい?」と一応彼女の顔を立て、お願いをしてから広げていく。以前にも目にしたことのあるレース、初めて目にするレース、そんないくつかを広げているうちに、私達の眼をとらえたのはアングルテールの大振りな襟。アングルテール自体もけっして数出てくるものではなく、特に製品になったものは稀。しかもこんな大振りな襟は初めてだ。

 今日の最後を飾るに相応しいアイテムだ。そのアングルテールを胸に表へ出てみると、いつの間にか雨が上がっていた。

11月の半ばのパリもそろそろクリスマスの気配が。ヨーロッパのクリスマスディスプレイは年明けの1月まで続くからでしょうか、日本に比べてスロースタート。

■11月某日 曇り
 買付けの日程は明日までだが、実際に買付けできるのは今日一日だけ。限られた時間の大急ぎの今回の買付けだったが、残り少なくなってきた。今日はアポイントを入れたディーラーの所で終日アンティークに囲まれて過ごす予定。いつもは一日の間に、このディーラーだけでなく他のディーラーへも訪れるようにスケジュールを組むのだが、今回は何箇所も回るより、ここ一軒に的を絞りじっくり物を探す予定。朝からゆっくり近所のキャフェで朝食を食べ、いつものようにバスで出掛ける。

朝から呑んでいる訳ではありませんよ!結局、スーパーでチーズと一緒に購入し、またもやお部屋でボジョレー・ヌーボーを楽しみました。スーパーでは一番高かった8ユーロ(日本円で\800強)のボジョレーを選び奮発した気分に。鮮やかなラベルが綺麗だったこのワイン、日本にも売っているのかしら?


朝というのにこのグレイの空。Hotel de Vill(オテル・ド・ヴィル)ことパリの市庁舎は1882年に建てられたネオ・ルネサンス様式。通常、内部の見学が出来ませんが、どうやら内部も素晴らしいらしい。こちらから内部のバーチャルツアーが出来ますよ。


BHVと略されるBazaar de l'Hotel de Ville(バザール・ドゥ・ロテル・ドゥ・ヴィル)は私達が一番よく立ち寄るデパート。実際はデパートというより巨大ホームセンター、いやフランス版東急ハンズといったところでしょうか。こちらも1856年の19世紀半ばの創業。アンティークでもBHVの名前の入ったアイテムがたまに出ることも。

 今日訪れるディーラーのマダムとも、もう10年以上の付き合い。私の好みを熟知していてくれている彼女、毎度私のために用意してくれているものには驚きやら楽しみがいっぱい詰まっている。毎度、こういうディーラー達に支えられて今の自分があることを痛感してしまう。思えばこの長い年月、お客様はもちろんのこと、こうしたディーラー達のお陰があって続けてこられたのだ。さて、今日はいったい何が出てくるだろうか?

 まず出てきたのは、リクエストしてあったシルクボックス。リボン刺繍のこうした状態の良いものは、通常皆無。冗談ではなくパリ中探してもどこにもない。もちろん決して安いお値段ではないのだが、こういう物は「あれば絶対欲しい!」というアイテムのひとつ。「高くても無いよりはマシ。」と無理をしてでも手に入れたいアイテムだ。他にもいきなりホワイトワークの大判で豪華なハンカチが。「え!こんなのどこにあったの?」と聞きたくなってしまうほど良い状態だ。思わず河村と「凄い!」と呟きながらその細かな仕事ぶりをチェック。ホワイトワークのハンカチも、しばらくずっと出てくることはなかったのだが、最近思いがけず出てくることが。以前今よりもまだ幾分ヨーロッパの景気が良かった頃は、「今はね、景気が良いからアンティークは出ないのよ。」というディーラー達のセリフをよく耳にしたものだが、リーマンショック以降の景気が傾いた今、自分の持っていたコレクションや、代々伝わるこうした財産をお金に換える人もいるのかもしれない。
 もうひとつ、驚かされた物は長い間探していたハンカチ。以前から私が毎回しつこくしつこく「こういうレースが出たら、絶対に取って置いて!」と言っていたのを覚えていてくれて、彼女の手からまるでマジックのように出てきた。このレースのハンカチ、かれこれもう10年位探していただろうか。あっけなく出てきたそれを、「本物?」とこっちにひっくり返し、あっちにひっくり返しながら確認。まさかこんな状態の良い物が出てくるとは!

 今日は他にも様々なレースやホワイトワークが。その繊細な仕事ぶりを、ディーラーの彼女と一緒に眺めながら、「凄いね〜。」「考えられないね〜。」感動しながら意気投合。特に18世紀と思われるドレスデンワークは珍しいアイテム。その刺繍の模様から最初は「う〜ん、この模様はアール・ヌーボーかしらね。」と言っていた彼女だが、一緒によくよくその細かなドロンワークの仕事をルーペで見ながら、「いや、これやっぱり18世紀かもしれないわ。」と断定。こうしたレースの良さが分かるのは「分かり合える同士」だけ!(笑)これって凄く「オタク」なのだろうか?「オタク」の世界って本当に楽しい。

 昼食をはさんで、すべての商品をチェックすること数時間(!)。他にもロココやソーイングバスケットやら、欲しいものがちゃんと出てきて、ほっとするやら嬉しいやらの私。長時間の仕入れで集中力も目一杯使った感じなのだが、お相手をしてくれていた彼女もきっと疲れていたに違いない。すべての仕事を終えて彼女の元を後にしたのは、すっかり夕刻になってからだった。

 すっかり暗くなってホテルへ戻ってまずは部屋でひと休み。パリで過ごす夜は今日が最後なので、今夜は河村と一緒にパリの街へ夜の散歩に繰り出そうと思っていたのだが、疲れ果てた私達は「ちょっとひと休み。」と言いながら、そのまま寝入ってしまった。

オデオン駅からもすぐの路地Passage de la Cour du Commerce St-Andre(パッサージュ・ド・ラ・クール・デュ・コルメス・サンタンドレはお気に入りの散歩道。人通りの多い表通りから一歩中に入ると昔ながらの石畳の小径が。このビストロも1900年からの営業のようです。


上と同じ小径にあるキャフェ・プロコープは1684年創業の歴史的キャフェ。ここはキャフェの裏側、歴史があり過ぎて(?)建物も傾いています。


たまたま通りがかった近所の映画館には、あの日本映画のポスターが!寺島しのぶ主演の「キャタピラー」は、こちらでは“LE SOLDAT DIEU(軍神様)”のタイトルです。北野武を初めとする日本映画はフランスでも人気があります。

■11月某日 曇り
  今日は買付け最終日。お仕事は昨日でひととおり終っているのだが、今日は遅いフライトで帰るため、終日パリの街のあちらこちらへ出掛け、用事を済ませる予定だ。

 まず出掛けた先は左岸唯一のデパート、ボン・マルシェカードでも有名なボン・マルシェ。実は年末に出店を予定しているプランタン銀座から、お買い物をされたお客様へのプレゼントを用意するよう言われ、「どうせだったらパリの香りのするものを。」と、お土産を手に入れるのにぴったりのボン・マルシェのグランエピスリーこと食品館へやってきたのだ。ボン・マルシェまでは私達の滞在するオデオンから歩いて行ける距離。慌ただしくてろくに街を歩く時間が無かったことを埋めるように、晩秋の街を楽しみながら、サンジェルマン・デ・プレを経てボン・マルシェのあるセーブル・バビロンへ。

セリーヌやケンゾーなど、ブティックの連なるレンヌ通りを歩いていてみつけたエッフェル塔。思わず写真を撮ってしまいました。


いつの間にか左岸にもレペットが。私達が「靴屋通り」と呼んでいるシェルシェ・ミディ通りの側にブティックを発見!オーガンジーで出来た砂糖菓子のようなチュチュがディスプレイ。グリーンなのはクリスマスカラーだからでしょうか?


ゲランの店先にディスプレイしてあった香水瓶は、たぶん限定品のクラシックな蜂の模様。これもクリスマスのためのディスプレイでしょうか、スワロフスキーのお花の上にのっていました。

 お目当てのグランエピスリーの中をウロウロ。とにかく広いので、見ている内に河村とはぐれ、「お互いを探して探し回る」という時間のロスをしながら、「何か良いものはないものか?」と探し回る。が、なにしろアンティークではないので、いっこうに情熱の湧かない私達。今回は数を揃えないといけないのだけれど、「お値段そこそこで、でも可愛い!」というのは至難の業。ここしばらくお気に入りのお土産だったCAN a SUCは可愛いけれど、砂糖とは思えないお値段で今回は却下。「これならOK!」と悩んだ末に手に入れたのは可愛いアンティークのポストカードがパッケージに印刷されたクリスマスのお菓子。何しろ「寒冷地仕様」のダウンのロングコートで、暖かいエピスリーの中をグルグル歩き回った私は汗だくで、まるでひと仕事したような気分だった。

 エピスリーを出てすぐ、近くに来たついでに「奇跡のメダイ教会」へ。以前にも来たことがあるこの教会、キリスト教徒ではない私達なのだが、ここへ来ると清らかな空気が何だかとても心地良い。教会の中では、今日も聖ラヴレに祈りを捧げる沢山の人々が。神聖な雰囲気の中、一番後のベンチに座りしばし休息。なんだろう、パワースポットとでもいうのだろうか、ここは老若男女問わず善人ばかりが集まっている、そんな気配がする。

カトリーヌ・ラヴレの前に聖母マリアが降臨した様子。「奇跡のメダイ教会」のゲートの上に掲げられたこの彫刻を眺めるとなんだかほっとします。


グランエピスリー、奇跡のメダイ教会と同じバック通りにあるFoucherは1819年の創業。ウィンドウのショコラもアンティークのポストカードやアール・ヌーボーを思わせるパッケージです。ノワゼット(ヘーゼルナッツ)がリスの模様なんて可愛いですね。

 セーブル・バビロンに別れを告げ右岸へ向う。今回の買付けのハイライト(?)、メトロに乗り、以前から気になっていたパサージュ・デ・パノラマにあるレストランPassage 53 へ。ここPassage 53は日本人シェフのレストランとして知られている以上に、ミシュランの一つ星を獲得したことで最近人気のレストラン。本来予約をしなければ難しい(席が無い)らしいのだが、気まぐれでお昼に訪れる私達に果たして席はあるのか?以前はアンティークのポストカードなど紙ものを扱うディーラーが連なっていたパサージュ・デ・パノラマだが、ここ最近、アンティークの紙ものディーラーはどんどん廃業してしまい、次々レストランへと姿を変えている。以前はひんぱんに仕入れに訪れていたここに、まったく違う目的で行くのは何だかとても淋しい。

 レストランに到着してドア越しに中を覗くと、「ん?開いてる!」本当に席数の少ないレストランだが、運良く空席があるようだ。ドアを開けて、レセプショニストの彼女(ここはレセプショニストもソムリエもサービスがみんな日本人なので日本語で大丈夫!)「二名ですが、席ありますか?予約はしていません。」と告げる。「少々お待ちを。」と外で待たされること2分ほど。「え!?なんで?席空いてるのに。」と河村を相手にブツブツ言っていると、ようやく中に通された。どうやらこの日は予約のキャンセルが出たらしい。運良くレストランに滑り込めたものの、「確かにここなら予約が必要かも。」と思える小さなレストランだ。しかも、既に席に着いていたのは皆揃って、きちんとドレスアップした身なりの観光でいらしたと思われる方々ばかり。買付け時の「超厚着」ではないものの、「ランチだから。」と気軽に普段着のワンピースで来た私はちょっぴり居心地が悪い。

 今日は「お試し」の私達、10品のデギュスタシオンではなく、5品のコースをチョイス。5品だって55ユーロ!いかんせん日本の外食と比べて格段に割高なのがフランスの外食。おまけに「食前酒は?」と尋ねられて、「う〜ん。」と唸りながらも(←決して安くないことが分かっているため。)、今日は最終日だからまぁいいか、と「じゃシャンパーニュを。」とふたりでオーダーしてしまった。そう、ワインは必須のため、結局食事代金はコースの1.5倍以上になってしまうのだ。(これはナミのワインの場合で、上にはキリがないのだが。)
 肝心のお食事はというと、イカやホタテなど私達にはお馴染みの魚介類を使い、軽めのヌーベルキュイジーヌ。クラシックで正統派の、クリームたっぷりのフレンチは私達には重過ぎるけれど、ここの軽さはほっとする美味しさ。新しい創作フレンチといった感じで、そんな素材の使い方がミシュランに認められたのかも。食後に二階の化粧室に上がると、調理場の開いた扉から丸剥げにされたウサギがチラリと見えた。う〜ん、ウサギって美味しいんだろうか。(ジビエの季節に鹿は食べたことがあっても、ウサギはまだ無いなぁ。)

 美味しい食事にすっかり満足の私達は、近所のパサージュを散歩して帰ることに。グラン・ブールヴァールを渡り、パサージュ・ジュフロワ、パサージュ・ヴェルドーをくぐり抜け帰路についた。

パサージュ・ジュフロワにある雑貨店Comptoir de famille。いつもその魅惑的なディスプレイについつい見入ってしまいます。アンティークではないけれど、思わず足を踏み入れてしまうお店のひとつ。


パサージュ・ジュフロワは1845年の建築。この中を歩いていると、アンティークが実際に使われていた時代に迷い込んでしまったような、そんな気持ちになります。


パサージュ・ジュフロワを抜けて、1847年に出来たパサージュ・ヴェルドーへ。刺繍で有名なLe Bonheur des damesもこちらにありますよ。


パサージュ・ジュフロワを抜けるとすぐ左。また今回も1761年創業老舗のお菓子屋A LA MERE DE FAMILLEへ来てしまいました。秋のおすすめは断然マロングラッセです!

***今回も長々とつたない文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。***