〜後 編〜

■11月某日 曇りのち雨
 今日は泊っていたホテルをチェックアウトし、一路アルザスのストラスブールに向うのだ。以前だったら、ストラスブールまで列車で4時間ほどかかったものだが、一昨年TGVの東ヨーロッパ線が開通し、なんと2時間20分で行けるようになったのだ。以前から一度行きたいと思っていたストラスブール、なかなか思い切らないと、フランスの東の端、こんなドイツ国境まで行くことが出来ない。ちょうど私達が訪ねているフランスの世界遺産になっているゴシック大聖堂もここが一番東。パリのノートルダム、サント・シャペル、アミアン、ランス、シャルトル、そして世界遺産未登録ルーアン、大聖堂を巡る旅の一環で是非訪れたいと思っていたのだ。今回はちょうど時間を取ることが出来そうだったので、思い切って列車のチケットとホテルの手配をしたのだった。「ひょっとして行くことが出来るかも?」と思っていた有名なマルシェ・ド・ノエルには一足早かったけれど、ホテルは大聖堂から目と鼻の先だし、ストラスブールの旧市街を巡るのはとても楽しみ。

 滞在していたオデオンからTGVに乗る東駅までは予定していたバスで向うはずだったのだが、今日に限って全然バスが来ない。「ダメだ!これじゃ、遅れる!!」と焦った私達はタクシー乗り場へ。が、いつもは何台も並んでいるタクシー乗り場なのに、今日に限ってタクシーも1台も見当たらない。タクシー乗り場の呼び出しボタンをカチャカチャ押し、イライラしながら待つこと5分。ようやくタクシーがやって来た。よかった〜!間に合いそうだ。

 東駅は思い出深い駅のひとつ。ずっとずっとその昔、私が初めてヨーロッパひとり旅をしたとき、オーストリアのウィーンから夜行列車でパリにたどり着いたのが、早朝の東駅だったのだ。午前5時頃に在来線のオリエント急行でパリに着いた私を待ち受けていたのは、巨大な荷物をカートに載せた怪しげなムッシュウ。「今からブラジルに行くからドルの両替をしてくれないか?」と到着したばかりの見ず知らずの私に尋ねる彼に、「今からブラジル!?怪し過ぎる!!」と心の中で叫ぶ私。「ドルは持ってない。」と素っ気なくひと言。やがて去っていった彼だったが、その後、幾人かに聞いて回っていたところを見ると、両替サギはなかなか上手くいっていなかった様子。パリに着いて早々、両替サギの洗礼を受けたことは思い出深く、今でも東駅に来ると必ず思い出す。今日は朝食代わりにパン・オ・ショコラとキャフェ・クリームを手に列車に乗り込む。

 2時間20分はあっという間。本を読んでいるうちにストラスブールに着いたのだが、外は土砂降りの雨。ストラスブール駅からはトラムで大聖堂へ。そこからホテルまでは歩いてすぐなのだ。ふたりして確認したはずなのに、トラムに乗ってみると逆方向。そんなことにも「オーララ、また反対方向に乗ればいいのさ。」と動じることなく逆方向に乗り換える。大聖堂の駅からホテルまで、また迷いながら雨に濡れ、ずぶ濡れでホテルへ。今回はなかなか普段泊ることのない四つ星ホテル。普通だったら、タクシーで乗り付けるところなのだろうが、濡れネズミでガラガラとスーツケースを引っ張りながら到着した私達。レセプションで少し恥ずかしかった。

TGVの開通を祝してガラスドームで覆われたストラスブール駅。寒いお国柄にはぴったり。古い建築の雰囲気を壊すことなく、上手に改築されてありました。


こちらが今回宿泊のストラスブールのCour du Corbeau。ストラスブール一古いホテルなのだそう。石畳を歩いてホテルの中へ。


なんとルネサンス期の1500年代の建築をリノベーションしてあるにもかかわらず、内部はまったくのモダンな作り。入って二度ビックリでした。


見るからに古そうな雰囲気は、情熱を持ってリノベーションした証し。バルコニーの手摺りも、よくよく観察すると、古い木材そっくりの材料を使って修理してあるのが分かります。滞在中も、作業を加える男性の姿が目につきました。


お部屋の中はこんな感じ。モダンな作りながらシックな雰囲気の広々としたお部屋。清潔感があって良かったです。

 東の端だけあって、パリよりも一段も二段も冷え込んでいるストラスブール。ホテルの部屋でしっかり厚着をして、今度は傘を持ってストラスブール散策へ。ホテルに向かう途中にも目に入っていた世界遺産の大聖堂へは歩いてすぐ。ホテルからイル川を渡る橋を越えるとそこはもう旧市街。石畳の道に中世そのまま、コロンバージュ(木組みの)建物が続く街並みが連なっている。相変わらず雨は降り続くのだが、見慣れない街並みに興味津々で、傘を差しながらも景色をカメラにおさめるので必死。お目当ての世界遺産のノートルダム大聖堂、ここの大聖堂は赤砂岩で出来ているため薔薇色。地盤が悪かったため、鐘楼は一本だけだが、その高さといい、荘厳さといい、流石に世界遺産。傘を差したまま、ただただ見上げてしまう。

他の大聖堂にはないほんのり薔薇色の石造りの建築。これは赤砂岩が使われているせい。1176年から1439年に建造されたゴシック建築で、鐘楼は142mの高さがあります。


聖人の細密彫刻が並ぶこうした正面入口もゴシック建築の特徴です。この彫刻ひとつとっても、じっくり眺めだすと止まらない!

 本日のストラスブールでの予定はレストランで遅い昼食をとること、だけ!河村が事前のチェックしておいた大聖堂脇のいかにも古そうな建物が目的のレストランMaison Kammerzell(メゾン・カメルツェル)。その歴史たるや15世紀まで遡れるというから驚き!大聖堂の脇というあまりに良いロケーションで、いかにも「観光地のレストラン」という雰囲気のため、「本当に美味しいの?大丈夫?」と今まで数々の観光地で痛い思いをしてきた私は半信半疑だったのだが…メニューは美味しいわ、建物は素敵だわ、ワインは美味しいわ、もう感激なお食事だった。まず、食前酒を選ぶところで、「え〜と、え〜と、なんだっけ?河村から聞かされていたスパークリングワインは…。」とつまずいた私は、仕方なく「アルザスのヴァン・ムスー(スパークリングワイン)を。」とオーダーすると、この出てきたクレマン・ダルザスがさっぱりフルーティーで感動的な美味しさ。(クレマン・ダルザスは、シャンパーニュと同じ製法で作られたスパークリングワインで、とても美味しいのに現地では驚くほどの安さ。が、日本に帰ってきて、このクレマン・ダルザスのジャパニーズプライスの高さに、またしても驚く私達だった。)ここは代表的なアルザス料理、フォアグラとシュークルート、そしてアルザスの白ワインのリースリングですっかりご機嫌だった。(普段、魚料理であっても赤を合わせることが多いフランスなのに、ここアルザスにおいては肉も魚もすべてリースリング。でもこれがまた美味しいのです。)あぁ、美味しかった。たまにはこんな地方に来るのも良いかも…。レストランでのお食事が終わると、もう夕方近い。今日は最後に、ホテルのすぐ側、アルザス博物館へ。

大聖堂のすぐ脇、Maison Kammerzellは下の石造りの部分は15世紀、上の木造部分(現在はホテルとして営業しています。)は16世紀の建築です。その存在感に圧倒されて思わず近寄っていってしまいました。夏の間は、テラス席が出て、大聖堂を見ながらお食事が出来るそうです。夏も良いですね。


フレスコ画の描かれた内部、まん丸いガラスが組み合わされたステンドグラス、葡萄をかたどったアイアンの照明も素敵。静かに食事をしているのは「大人」のみ、お昼間でも雰囲気たっぷりでした。

このアルザス博物館、アルザスの風俗・生活文化を展示した博物館でそれは面白かったのだ!実際の古い民家を博物館にしたここは、まるで18世紀、19世紀の当時の人々が生活していたように展示してあるところが、なんとも人の息吹というか気配が感じられて面白い。ここでは沢山の画像を撮ってきたのでこちらをどうぞ。

この可愛いアイアンの看板が“Musee Alsacien”ことアルザス博物館の目印。女の子とガチョウが可愛い。


アルザス博物館は元々古い商人の自宅だったのだそう。ここもまた木組みの建物。吹き抜けになった中庭の柱には葡萄の木が這わせてありました。


建物の壁にはアイアンの飾りが。このフォークロアな十字架の形にもアルザスの雰囲気が感じられます。


ここはキッチンのコーナー。当時の厨房道具がそのままに並んでいて、料理女が顔を出しそうです。箒には思わず笑ってしまいました。


アルザスといえばクグロフ!昔のクグロフ型はしっかりした陶製で味わいがあります。


お菓子の国アルザスにはお菓子の型もいっぱい。この木型、よく見ると動物だったり、お花だったり、なんだか可愛らしいのです。


もちろん銅製のチョコレート型もありますよ。下に置かれたクローバー形のものは、ワッフル型でしょうか。う〜ん、なんだか食べたくなってきました。


アルザスのきれいどころ勢揃い。様々な古い衣装に身を包んだ女性達には興味津々です。左のふたりの頭のリボン飾りはアルザスならではのもの。やはりドイツ風なのでしょうか。こんな大きなリボンを付けていたなんて初めて知りました。


この色とりどりの花飾りを付けた黒いドレス、これって花嫁衣装なのですって!袖の花飾りから垂れる美しいリボンにも注目!


寒い地方ですからショールは必須だったでしょう。頭に付けたホワイトワークの飾りや玉虫色のリボンが気になります。


孔雀の羽のようなこのレースの頭飾りも素敵。やはりショールをまとったスタイルですね。


頭飾り用の広巾のシルクリボン。あれっ!!こんなリボン扱ったことある!こういう織柄のシルクリボン大好きなんです。綺麗ですよね?


この真っ白な装束は花嫁衣装ではありませんよ。これがプルミエ・コミニヨン(初聖体拝領)の衣装。たぶん1900年前後のものではないのでしょうか。初聖体拝領はキリスト教の大切な儀式の一つ、親は借金をしてでも衣装を揃えたとか。


おもちゃのコーナーにあったドールハウス。コックさんの衣装も可愛いのですが、ホーローなどのキッチンアイテムがお好きな方にはこたえられないかも。

■11月某日 曇りのち雨
 今日は終日ブックフェア&アルザス観光へ。なのに今日も外は雨降り。なんだかついていないなぁ、と傘を差しながら表へ。雨の中のブックフェアは全く見るべきものが無く即退散。屋外で毎週開かれるブックフェアとは、本当のまぎれもない古本市だったのだ。「価値のある古書が出るのか?」と期待した私がアサハカだった…。だが、朝ごはんに何気に入ったサロン・ド・テのヴィエノワーズ(この場合のヴィエノワーズは、ウィーン趣味のポストカードではなく、菓子パンのこと。)のレベルの高さに感激!河村がいつも好んで頼むエスカルゴ(カタツムリのエスカルゴではなく、グルグルと平たく巻いたペストリー生地にレーズンを散らしたもの、パン・オ・レザンともいう。)を一口貰うと、いつもパリで食べるパサついたエスカルゴとは全然違う!なんというか、スパイスもたっぷり、しっとりしていて味わいのコクが違うのだ。確かに、パリの名だたるパテシィエがアルザス出身というのも頷ける美味しさ。特に凝っていない、珍しくもないエスカルゴを食べて、「アルザスのお菓子の美味しさってこれなのね!」と目から鱗の私だった。

 ブックフェアに夢やぶれた私達は、午前中は大聖堂内の見学。高いところの好きな河村に説得され、また今回も鐘楼を歩いて登ることに。(当たり前だが、15世紀に出来た鐘楼には歩いて登るしかない。)今までも河村に説得され、数々の高い鐘楼を登ってきた私達。細くて急な古い階段の鐘楼は、どこも地上100m以上、毎回上り終わった後、息はゼーゼー、足はヘロヘロになること請け合いなのだ。今回も何とか登り終え、ストラスブールの街を空から眺めた。それにしてもこんな高い建物を当時の人々は何を思って建てたのだろう。やはり少しでも神様に近づきたいがためか。

 鐘楼登りの後は、聖堂内で美しいステンドグラスをじっくり眺めるのだ。同じゴシック建築のアミアンやランスの大聖堂は第二次世界大戦中ドイツの爆撃に晒され、大半のステンドグラスが失われてしまったのだが(ステンドグラスで有名なシャルトルの大聖堂などは、戦中、ステンドグラスが外されて疎開させられていたので、貴重なステンドグラスが無傷で残ったのだ。)、ここストラスブールは逆にドイツの領土だったからか美しいまま。ゆっくりと聖堂内を歩いて、心ゆくままステンドグラスを鑑賞して歩いた。ここストラスブール大聖堂のステンドグラスは画像でどうぞ!

切り妻の屋根が連なるアルザスの街。屋根裏の窓もなんだか可愛い。


鐘楼を形作る砂岩の石には、お布施をした人々の名前や年号が刻まれています。このあたりは18世紀半ばの石。

聖人が並んだステンドグラス。大聖堂の中に並べられた木製の椅子に座って、様々なことを考えながらのんびりと眺めるのが好きです。


今日は雨降りなので、鮮やかさがいまひとつ?お天気や時間帯にによってステンドグラスの表情も違います。


それでも薔薇窓はやっぱり美しい。ドイツよりだからでしょうか。他の大聖堂の薔薇窓のような派手さはありませんが、イエローにブルーとグリーンの組み合わせが素敵です。


内部の石の彫刻も見ていただけましたでしょうか?大聖堂建築には、この時代の智恵や英知が、そして富が集結しているのですね。


ステンドグラス番外編。天井をふと見上げるとフレスコで描かれたすずらんの花。寒さの厳しいドイツ国境のこの街では、すずらんは春を告げるお花だったのでしょうね。あまりにも可愛くて思わず撮影。


大聖堂のもうひとつの見所は18世紀に作られたこのカラクリ時計。なぜか12時半に正午を告げるちょっとイレギュラーなところがチャーミング?12時半になるとキリストの12子使徒をかたどったカラクリ人形が動き出します。

 大聖堂見学を終えた後は、お楽しみイル川のボートクルーズ。とりあえず観光地ではそういう物に乗ってみるのを常としている私達、いつもあちらこちらで乗っているプティトランはここストラスブールではもうシーズンオフで乗ることが出来ない。その代わりにボート乗り場へgo!ストラスブールでは様々な観光スポットの入場券が綴りになったストラスブール・パス11.90ユーがお得。ボートクルーズは運良くパスのお陰で無料。おまけに日本語のイヤホンまであって、日本語のよどみない説明が詳しく聞けてとても良い。特に、世界遺産になっているプティット・フランスの木組みの家々が立ち並ぶ中世の街から19世紀の建物の立ち並ぶ街、最新のヨーロッパ連合議会の会議場まで、ボートに乗りながら時間旅行をしているよう。ストラスブールについてすっかり知識を得て満足した私達。観光地ではやっぱり乗り物に乗らないと!

この観光船で約70分、イル川の中州をぐるりと巡る旅へ。やっぱり日本語のガイドが一番!

プティット・フランスにある有名な「革なめしの家」。このあたりは17世紀の革なめし職人達の居住地区。このイル川で革なめしをしていたのですね。

こうした木組みの家のことをフランス語では“Colombages(コロンバージュ)”。こうしたコロンバージュの家、バラバラにしてもすぐ組み立てられるので、フランスでは「不動産」ではなく、「動産」なんですって。初めて知りました。


プティット・フランスでみつけた小さな小さな扉。(とても人が普通に出入り出来る大きさではありません。)扉の上にはめ込まれた石には1761年の彫刻が見えます。


今日は「革なめしの家」のレストランでお食事。それにしても地方のレストランて、なんとリーズナブルなのでしょう!年配のムッシュウに慇懃に優しく接客されて感激。星なんか付いていなくても十分美味しいのです。お昼にレストランに行けば、夜ごはんは無し。私達日本人のカラダにはそれが限界なのです。

■11月某日 晴れ
 ストラスブール三日目。三日目にしてやっと晴れた!東の方ではこの季節雨が多いのか、珍しいことに着いた日も昨日もずっと雨だったのだ。本来なら、ストラスブールから田舎の街コルマールか、染色美術館のあるミュールーズまで行ってみたいと思っていたのだが、ずっと雨降りだったことと、コルマールまではストラスブールから列車で20分ほどだが、ミュールーズまでは急行に乗っても1時間以上かかることを知り、今回は断念したのだ。というか、ストラスブールの旧市街だけでも沢山見所があり、今回はとても他の場所まで行く余裕がなかったのだ。アルザスでも定期的にフェアが行われていることだし、今まで行ったことがないけれど、また次回そんな日程と合わせて来てみよう、またコルマールもミュールーズも次の機会に!
 今日は蚤の市が開かれる日なので、喜び勇んで現地へ向ったが、収穫できるものは全く何も無し!「きっといいものは皆ドイツに持って行かれてしまったのよ。」と、結局またストラスブールの街をテクテク歩いて一日を過ごしたのだった。

マルシェ・ド・ノエルには早すぎたけれど、もうお店のショウウィンドウはすっかりクリスマス。こんな陶器のクリスマスのデコレーションも可愛いですね。

フランスにもいたジンジャーマン!こういう赤いハートはアルザス地方の伝統的な模様だということを、ここに来て初めて知りました。刺繍の図案でもよく見ましたよ。

ご多分に漏れず、お菓子もこのとおりとっても美味しそうでした!ただし、連日のレストランのお食事で、お菓子までは手が回らなかったのが残念。


このガチョウの看板は…?そう、アルザスはフォアグラが有名。濃厚で美味しいのです。


この看板、何のお店だか失念してしまいました。でも、アイアン製で素敵!以前アイアンの美術館で見た18世紀の看板を思い出しました。


今は使われていない古い井戸は、なんともお洒落なフォルム。植物が茂っているのもいい感じです。


今日のお昼は川沿いのレストランAu Pont St.Martinで。良い席に着きたいがために早めに入って正解でした。窓際のシートでご機嫌でお食事することが出来ました。本当に地方のレストランはリーズナブルです!


ストラスブールを満喫した笑顔。悲しい時にはこれを思い出して、どうぞ笑ってやってくださいませ。

 夕方、荷物と共にストラスブール駅に戻ってきた私達。まだ私達の乗るTGVまで少し時間がある。明日会うパリのディーラーへのお土産にアルザスで何度も飲んだクレマン・ダルザスを買い、アルザスから去りがたい気持ちから待合室でとりとめのない話を。それは今まで訪れたフランスの田舎町について。「今まで訪れた中で、どこが一番良かったか?」そんなことを考え出すと、様々な楽しい思い出が蘇ってくる。結果、この夏行ったニース、プロヴァンスのアルルが上位、もちろん今回のストラスブールも良かったし。ホテルでいえば、今回の四つ星ホテルも良かったけれど、トロワで泊った “Champ des Oiseaux”もインテリアが素敵で思い出深いホテル。何度か夏に訪れたプロヴァンスのオーヴェルジュ、葡萄畑に囲まれたあそこも良かったなぁ。「プロヴァンスの思い出」というと、苦労してレンタカーで行ったあの夏の日、あのホテルで過ごした日々を思い出す。一番最初に、クロテッドクリームのK嬢がそのオーベルジュへ連れて行ってくれたのが発端だが、私に誰かと一緒に旅する楽しさを教えてくれたのは彼女かもしれない。遠い、ストラスブールの地で、楽しかった思い出と共にK嬢への感謝の気持ちが沸々と湧いてくる。

 TGVの発車する時間が迫ってきた。列車に乗り込みながら、「さよならアルザス。また来るからね。」と心の中で呟いた。

■11月某日 晴れ
 今日は買付け最終日。夜のフライトなので、今日は終日時間がある。買付け最終日の今日、私達が出掛ける予定にしていたのはグラン・ブールバールに面したパサージュ・デ・パノラマ。久し振りに、このパサージュに並ぶアンティークカードのショップを回ってみようというのだ。このパサージュに出掛けるのは久し振り。最近はあまり収穫が芳しくなく、足が遠のいていたためだ。とはいっても、パリ市内でカードの仕入れが出来るのは、フェアを除けばもはやここの何軒かしかない。同じく日本でフランスのアンティークカードを扱うC.P.さんとよく話すのは、「本当に、もうパリではカードの仕入れが出来なくなったよね〜。」ということ。果たして今回の戦績は如何に。

 カードの仕入れに行く前に、日本に送る荷物の発送。いつもお世話になっているクロネコヤマトへ。以前、イギリスから荷物を送っていた頃は、イギリスの郵便局「ロイヤルメイル」を使っていたが、ここフランスの郵便局「ラ・ポスト」を使うのは恐ろし過ぎて出来ない。あまりにも多くのトラブルを聞くからだ。ロイヤルメイルでも稀に荷物が遅れたり、ロンドンに戻っていってしまったことがあったけれど、なにぶんクレームは英語でOK。だが、ラ・ポストのトラブルの多さときたら…。とてもロイヤルメイルと比べられる比ではない。そうした訳で、日本の誇る(?)信頼の会社クロネコヤマトのお世話になっているのだ。しかも街中のピラミッドにオフィスがあるので、そこまで荷物を運びさえすれば、そこから段ボールのボックスに詰めて送ることも出来るし、段ボールに入れてあれば、ホテルまでのピックアップを頼むことが出来る。
 日本からのアンティークディーラーの中には、クロネコのお世話になっている人も多く、クロネコのオフィスでバッタリ会ったりすることもある。しょっちゅう足を運んでいることもあり、クロネコのオフィスで働く日本人のお姉さん達(たぶん私と同年代?)ともすっかり顔馴染みで、「あら、またお越しになったんですね。」などと挨拶されるのも嬉しい。今日もオフィスで荷物を詰め発送。この一連の作業が済むとやれやれ、一区切りなのだ。

 目的のパサージュ・デ・パノラマまではバスで。このグラン・ブールバール界隈は、猥雑な雰囲気が昔の古いパリを感じさせる場所だ。もともとパリを囲む城郭だったグラン・ブールバール、その城壁を取りはらった後がこのグラン・ブールになったのだ。今回の目的地パサージュ・デ・パノラマは1800年ちょうどの建築だから、パサージュの中でもごく初期のもの、道幅が狭く屋根が低いのがその証拠だ。 綺麗に修復されてお洒落なブティックの入ったギャラリー・ヴィヴィエンヌやギャラリー・コルベール、昔ながらの雰囲気を保ちつつ雑貨店やパティスリー、手芸店が人気のパサージュ・ジュフロワやパサージュ・ヴェルドー、ひたすら過去に生きるギャラリー・ヴェロ・ドダと違い、寂れ具合、廃れ具合が激しく、200年近く時代から取り残されているようなそんな雰囲気がある。入っている店舗は、レストラン何軒かチャイニーズ系のファーストフード、それに古切手やアンティークカードを扱う店舗。そして忘れてはいけないのが、伝統的な活版印刷の老舗ステルヌ。いまだにヨーロッパ各国の宮廷や政府が舞踏会を催すときの招待状は必ずここで印刷されるという老舗中に老舗、このパサージュが出来たときからあって、200年の刻をパサージュ・デ・パノラマと共に歩んできたのだ。が、他の寂れ具合を思うと、その立派な店構えがなんとも気の毒になってくる。

 果たして、目的のパサージュ・デ・パノラマにやって来ると、いつもとなんだか様子が違う。一軒一軒、覗きながらパサージュを歩くと、「あれ、ここにあったカード屋さんレストランになってる!」とか、「あれ、確かここ古切手の店だったはず。」と焦り始める私達。以前はあった古いものを扱う店舗は消え、どこもレストランになっているのだ。

パサージュ・デ・パノラマの中、朽ち果て具合がいい感じで、「文化財的キャフェ」と呼んで度々立ち寄っていたこのキャフェも、綺麗に塗り直されて、お昼には沢山のお客さんが食事をする「やる気」のレストランへと変貌。昔の佇まいがなくなって寂しい。この画像は以前のもの。

 「ん?なんかおかしい。」と思いながらも、お馴染みのカードを扱うディーラーのブティックへ。マダムとムッシュウ、そしてまだ年若い息子の三人で切り盛りしているここへは、もう何年も前から度々足を向けている。まだリセの学生のようだった息子は、最近ではすっかり大人っぽくなって、私達のお相手をしてくれるのは彼の役目だ。いつものように何種類かのカードをリクエストして見せて貰い、だがやはり芳しい収穫はなく、「あぁ、やっぱりもうカードって、この世から消えてしまったのかも。」と気弱な会話を交わしているそのとき、いつも物静かなマダムが「今度から欲しいカードがあったらメールで。」とひと言。たぶん私達の顔は「???」という感じだったのだろう、「今度ここでフレンチレストランをすることになったのよ。美味しいお料理に美味しいフランスワインを出すの。」ともう一声。「はぁ?レストラン?」という感じの私達。要するに彼らは商売替えをして、ここでフレンチレストランのパトロンになることに決めたらしいのだ。

 きっとこのブティックは彼らの持ち物で、単価の安いカードを扱うよりも、街の中心地でもあることだし、人を使ってレストランをした方が儲かるのだろう。あぁ、またパリから仕入れ先が一軒消えていくのだった。

 他にもう一軒、残っていたカードの仕入れ先へ。ここへも何度か足を踏み入れたことがある。オーナーはちょっぴり気の短いムッシュウだが、私達にはいつも親切。今日もじっくり椅子に座って様々なカードを見せて貰う。こちらもまだ二十歳位の息子と共に営業。「小さなお店の中で、家族で仕事するのはきっと大変だろうなぁ。」と思っていた矢先、ムッシュウと息子の親子ゲンカが始まってしまった。親子ゲンカとはいっても、ムッシュウが一方的で、「だからオマエは、まったく…。」という感じで息子にガミガミ言う様子はまるでホームドラマのよう。親子ゲンカに日本もフランスもないのだ。そのかたわらで何事もないように無表情にカードをめくる私達。そんな中でも、ケンカ中のムッシュウに、伝えるべきことは伝え、やるべきことはやって、やっとカードを選び終えた。どちらにしても、ここももう長くはないのかもしれない。もうフランスのカードは世の中から消えてしまったのかもしれない。他のアンティークもそうだが、最近買付けに来る度、そんな風に思えることが多々あり、だからこそ余計に古いものに対する思慕が湧いてくるのだった。

フランスではトゥサン(ハロウィーン)が済むともうノエルの準備。お店のウィンドウディスプレイも一気に華やかになります。有名なギャラリー・ラファイエットのイルミネーションは11月上旬から、シャンゼリゼのイルミネーションは11月下旬から。この時期の街並みが一番フランスらしいと思うのは私だけでしょうか。

今回もつたない文章に長らくお付き合いいただき、ありがとうございました。