〜後 編〜

■9月某日 晴れ
 今日は朝早くからパリのホテルを一旦チェックアウトし、パリ北駅からタリス(Thalys フランス・ベルギー・オランダ・ドイツの4カ国を結ぶ高速列車)に乗りフランドルの街へ。ホテルの部屋に広げた自分自身の荷物、買付けた荷物を整理してスーツケースに収め、チェックアウトするのは結構重労働。(いつも「ゆうべやっておけば良かった。」と思いながら作業をするのだ。)朝から、それぞれ必死の形相で荷物作りにかかる。また明日の夕方には同じホテルに戻ってくるのだが、ベルギー一泊用の荷物を簡単に作り、ホテルに預けておく衣類などの自分達の私物はそそくさとナイロンバッグに詰め、買付けた物は丁寧に梱包してスーツケースにしまう。ようやく荷物を降ろしてチェックアウトをし、いつもはバスで行くところを、一番短時間で北駅まで行くことの出来るメトロで北駅へ。

 パリ北駅からフランドルの街までは約2時間。ベルギーの首都ブリュッセルを通過するともうすぐだ。パリからフランスの地方の街へ行くよりも隣のベルギーへ行く方がずっと近い。今日も車内でパン・オ・ショコラとキャフェ・クレームの朝ごはんを食べてのんびり過ごしているとあっという間に着いてしまった。

 フランドルの街はパリよりももう一段寒い。それを見越して、ある物すべてを着込んで厚着をしてきたのだが、やっぱり寒い。石畳の足元から冷えてくるようだ。何度か来たことがあるこの街、今日はカードとジュエリーのディーラーとの約束がある。前回来たときはブリュッセルから日帰りしたのだが、今日はここで一泊泊まり。まずはカードのディーラーのオフィスへ向うべく、ゴロゴロ小さなスーツケースを引いてトラムに乗る。

それにしてもアントウェルペン中央駅は本当に立派!ここよりも立派な駅はどの国でもいまだ見たことがありません。19世紀末から10年の歳月をかけて作られたこの駅は、ベルギーの鉄道建築の中でもっとも素晴らしい建築とされているのだとか。納得です。


駅の内部は石造りのネオ・バロック洋式。駅というよりもまるで大聖堂のような、荘厳な雰囲気が漂います。流石、ダイヤモンドのシンジゲートやヨーロッパ最大の港を持つ豊かな街だけあります。

 見覚えのあるオフィスが見えてくる。窓の外から中を覗くと私達が「おっちゃん」と呼ぶディーラーの姿が見え、私達のためにドアを開けにきてくれた。「やあやあ、よく来たね。」と握手の後は、「作業場」とでもいうべきカードを選ぶコーナーを作ってくれ、私達はほぼ強制的に椅子に座らされ、「カード三昧」ならぬ「カード地獄」へと突き落とされたのだった。そう、それは奈落の底への3時間だった。

 オフィスを訪れたのは午前11時前。「お昼になってしまうけれど遅くとも2時間もあればすべて完了するはず。」などと考えたのが甘かった。私達もお腹がすいたが、きっと「おっちゃん」もお腹がすいていたと思う。思わず「こんな長い時間ごめんなさいね。」と謝ってしまった私、でも次から次へと在庫のカードを出してくれるのは「おっちゃん」で、途切れることがなかったのだ。いったいその間に私達は何枚のカードを見たのだろうか?私達にしても、凄いスピードで見ていくのだが、そのスピードを上回る在庫の数。何千枚、いや何万枚?「恐怖のカード仕入れ」は約3時間の後お腹がペコペコで終わった。「おっちゃん」に、「じゃまた次回はパリのフェアか、またここでね!」とお別れを言ってオフィスを後にした。

 一度トラムで駅まで戻り、ペコペコのお腹を簡単な食事でふくらませ、次なる目的地へ。今日もう一軒約束しているのは、ジュエリーを専門に扱うディーラー。ここはベルギーなので、イギリスで見かけるようなシードパールづかいの繊細なジュエリーを目にする機会はまず無いのだが、それとは別に「いかにもアール・ヌーボー!」といった雰囲気の大陸らしい18Kを使ったジュエリーと出会う確率が高い。

 今日もジュエラーのオフィスに向い、ベルを鳴らして二重扉になっている頑丈にロックされたドアを開けて貰う。日本と違って、そうそう簡単には入れそうにない雰囲気。そんなところに、日本とヨーロッパの文化の違いを感じたりする。オーナーの彼と挨拶を交わすと、「今日は用事があるので外出するけれど、代わりに彼が相手をするので。」と初めて見る顔のアシスタントの若い男性に引き合わされた。オーナーが居ようが居まいが、沢山のジュエリーをひとつひとつチェックする作業には何ら変わりはないので、私達は別にアシスタントでも全然構わない。が、オーナーが姿を消した後、アシスタントの彼から「じゃあ、何から始めますか?」と日本語で尋ねられたときには椅子から転げ落ちるんじゃないかと思うぐらいびっくりしてしまい、思わずなぜか英語で「あなた、日本語が話せるの!?」と叫んでしまった。
 彼はニッコリしながら「ちょっとだけです。二年ほど勉強しましたが、もう忘れてしまって…。」とまたもや日本語。それから後の会話は英語だったのだが、まさかこんなベルギーの田舎で日本語を聞くとは思わなかったので、しんからびっくりしてしまった。恐るべしユダヤ人!

 沢山のジュエリーの中から今日選んだのは、アール・ヌーボーの影響が色濃いゴールドリング、彫刻的な表現が大陸的だ。他にもピアスやペンダントトップなど。戻ってきたオーナーは、私が選んだリングを見ながら「うん、これはいいジュエリーだよ。」と満足気、彼のお墨付きを貰って私も嬉しい。

 ジュエラーの元での仕入れを終えてから、今日泊るホテルまでトラムで行くことに。降りる駅の名前は分からないものの、世界遺産になっているノートルダム大聖堂が目印、すぐ側のはず。「その辺りで降りれば大丈夫!」そんないい加減なことを言い合ってトラムに乗ったのだが…。いくら乗っていても、大聖堂は見えてこない。「あれ、おかしいなぁ。」と思い始めたその時、どことなく見覚えのある風景が。なんと、トラムは最初に乗った駅へと一周して戻ってきてしまったのだ。どうやら、降りるべきトラムの駅から大聖堂は見えない位置だった模様。「こんなことは良くあること!」と今度は地下鉄で再度トライ。紆余曲折を経てたどり着いたホテルは、超お洒落なデザイナーズホテルだった!

富と繁栄の象徴だったアントウェルペンのノートルダム大聖堂。1352年から約170年かけて建築されました。ベネルクス最大といわれるゴシック建築の高い高い塔を見上げながら、いったい当時の人々がどうやって建てたのか、遙か昔に思いを馳せてしまいます。有名な「フランダースの犬」の舞台になったのがこの教会です。今日は既に閉まった後だったので、また明日のお楽しみ。


大聖堂からもすぐ、マルクト広場にある16世紀に建築されたギルドハウスの数々。ブリュッセルのグランプラスにもギルドハウスはあるけれど、この誰もいないひなびた感じも良いのです。


私達が「屋根神様」と呼ぶ街角に掲げられたマリア像。昔からこの街に住む人々のことを見守ってきたのでしょうね。しっかり補修され、手入れされていることからも、この街が現在でも富に潤っていることが分かります。


極彩色に着飾ったマリア様、ここアントウェルペンの守護聖人がマリア様なのだそうです。


私はこんな石造りのシックなマリア様が好み。幼子も可愛いですね。こんな風に様々なマリア様を街の至る所で見ることが出来ます。

■9月某日 晴れ
 今日は一軒アポイントを入れた先を訪れる意外は予定がない。しかも先方の都合で午後の約束なので、それまでは中世の街並みが残る旧市街を歩いたり、ノートルダム大聖堂を観光することに。

 まずはホテルのダイニングで朝食。今回の「デザイナーズホテル」、ダイニングもそれはそれはお洒落。普段はクラシックな物に惹かれる私達だが、ここの完璧なお洒落で洗練された雰囲気には感激!朝食の食器はすべて北欧のイッタラ製で、サービスのし方までキッチリ気が配られている。特に北欧の家具などが好きな河村は「こんなお洒落なホテル泊まったことない。」と感動な面持ち。このダイニング、かかっている音楽までもがぴったりと合っていて、とてもバランスがとれている。しかも、日本の東京の青山辺りにありそうなカフェの様でありながら、ごく普通な人々がそこにいるのが非常に良いのだ。

ここが今回泊ったデザイナーズホテルの廊下。お部屋はもちろん、廊下もとってもスタイリッシュ!目につくところには照明器具が全く見当たらず、すべて壁面への埋め込み式。天井は「打ちっ放し」です。


朝はこちらのダイニングで朝ごはん。お部屋の家具もそうでしたが、こちらの家具もすべてブランド物で統一されていました。


ダイニングのひと隅には暖炉が。窓の向こうに見えるのは、中世に作られた煉瓦造りの塀に囲まれたテラス。


今回は「朝食付」の宿泊プランで。きれいにセットされていて、パンもいっぱい、とっても美味しい!こちらのホテルに興味のある方はここをクリック。


 ホテルをチェックアウトし、まず向かった先は、昨日は既に閉まっていたノートルダム大聖堂。以前も来たことがあったのだが、ここの入場料5ユーロはまった惜しくない。外から見る大きくて高い建物だけでも見ごたえ十分なのに、内部にはさらに美しいステンドグラスあり、ルーベンスをはじめとする巨匠の絵画に溢れ、16世紀の昔から繁栄と富を集めていたこの街の様子が想像できる。

 いつも世界遺産について、「流石世界遺産だけあって、見る価値がある。」と言っている私達。この大聖堂も小さな美術館に比べたら、見どころ、見ごたえたっぷり。カトリックの宗教美術館の豪華さ、荘厳さ、偉大さが堪能できる。まったくこういうものに遭遇すると、「紙と木で出来た日本の文化ってなんて貧乏な!」と思ってしまうのだ。(そんなことを言いながら、奈良のひなびた古寺の魅力にも抗いがたいのだけど。)

旧市街の一角に修復された15世紀の街並み。15世紀の昔、人々はどんな衣装をつけてこの路地を歩いていたのでしょう。500年も前のことなのに、ついこの間のことのようにも思えてしまいます。


この大聖堂は、美しいステンドグラスあり、ルーベンスをはじめとする絵画作品の大作あり、沢山の彫刻作品あり、この街の遙か昔からの繁栄がしのばれます。


このステンドグラス、紅薔薇と白薔薇の図案になっているのがお分りいただけますか?


シルバーとゴールドでしょうか?こちらは小さめのマリア像。金属特有の細工が魅力的です。金属製なのに、硬い感じや冷たい感じがしないのです。


胡桃の木で作られたマリア像。なにしろシルクと金糸で織り上げたこの豪華な衣装が素晴らしいのです。どうやら季節ごとに衣装がある様子。


祭壇に掲げられたルーベンスの傑作「聖母被昇天」。絵はもちろんのこと、大理石製の祭壇に圧倒されます。


ルーブル美術館で見慣れているマリー・メデシスが描かせたルーベンスの連作では、あまりにも肉欲的な表現に食傷気味でしたが、ここノートルダム大聖堂の中の作品はマリア様もエンジェルも愛らしいのです。


ここは大司教の控え室。壁には15世紀からの歴代の大司教の肖像画が飾られていて、私達をじっと見下ろしています。この教会がそれは豊かだったことは、肖像画の中の豪華なレースの衣装から推しはかることが出来ます。


大聖堂から出てくるとマルクト広場にはこんな観光用の馬車が。ディーラーとのアポイントの時間まではまだ。一人6ユーロというお値段を聞いて、河村と一緒に二階席へ登りました。約40分旧市街を観光。たまには観光も良いですね。

 約束の時間になり、いつもはロンドンで出会うディーラーのオフィスへ。運良くすぐに教えられたアドレスにたどり着くと、窓越しに見慣れた彼の姿が。ここでも二重に鍵のかかった扉を開けて貰い、まずは握手で挨拶。ロンドンで会う時は、自分のホームグランドでないからか、あまりパッとしない雰囲気の彼なのだが、ここではスタッフを何人も使ってキビキビとした雰囲気。そして、私達の好むフランスのジュエリーが沢山手に入れられるのが、今回ここまではるばるやって来た理由だ。まずお茶をいただいた後、若い女の子のスタッフを相手に、今日は「ジュエリー地獄」。その数は数千を下らないかもしれない。3時間近くかかってすべての在庫をチェック。本来、自分の人生にはまったく関係ないはずのヨーロッパの片田舎、17世紀の建物のオフィスで「いったいなんで私、こんな所でこんなことしているんだろう?」と摩訶不思議な気分になってくる。これが運命なのか?それとも前世からの因縁なのか?

 結局、仕事を終えたのは、パリへ戻る列車の時間ギリギリ。仕入れた数々の品物を大切に抱えて駅へと急いだ。

■9月某日 曇り
 今日はパリからロンドンへのユーロスターでの移動日。昨日の夜、ベルギーからパリに戻ってきたと思ったら、今日は早朝からチェックアウトだ。なんとか荷物をまとめ、チェックアウトした後は、昨日のうちに予約をしておいたタクシーをレセプションで待つ。朝は道が混み合うことを予想して、早めにタクシーを予約したのだが、これが待てども暮らせども来ないのだ。予約をしてくれたレセプショニストのムッシュウも、落ち着かない様子で、ウロウロ表に出たり、中に入ったり。スーツケースふたつ(私)とスーツケースひとつと巨大なナイロンバッグ(河村)を持ち運ぶ私達、これらの荷物を持っては、メトロの駅まで行くことも出来なければ、メトロの長い階段を降ろすのも無理。私達にはタクシー以外の選択肢はないのだ!気を揉むこと20分近く、やっと予約をしたタクシーがやってきた。まだなんとかユーロスターに間に合う時間。良かった〜。

 朝のラッシュの中、パリ北駅へ。やっと北駅の建物が見えてきた。が、今日は駅の周りにバリケードが築かれ、近寄ることが出来ない。どうもフランス人の大好きなデモらしい。(この国は社会主義、彼らは「デモ」とか「スト」になるとなぜか燃えるのだ。)お揃いのTシャツを着込んだ人々が、景気づけなのか爆竹まで鳴らしている。ただでさえ急いでいる私達は、「こんな時にデモかよ!」と心の中で吐き捨て、それぞれの荷物をゴロゴロ転がしつつ大急ぎで駅へ!

 インターネットでチケットを予約したユーロスター。最近はチケットそのものがプリントアウト出来、そのチケットにはQRコードが印字されている。改札の機械を通る際に、QRコードを機械にピッと照らすと、なんとチェックインが出来て改札が終了する仕組み。イギリス入国審査Iris(虹彩による生体認証システム)にも驚かされたが、最近のこうした機械の進歩にはびっくりさせられる。そんな訳で、恐る恐る機械にQRコードを近づけてみると、何の問題もなくす〜っとゲートが開いて、あっという間ゲートの中へ。でも、まだ安心は出来ない。ゲートを越えた先には、イギリスの入国審査のブースが控えている。ここにはIrisの機械はなく、係官に一人一人滞在期間や目的などの質問を受けるのだ。何度となく通ってきた道だが、毎回あまり良い気分ではない。思わず「誰もイギリスなんかで働かないって!」と呟いてしまう。(イギリスの入国審査は、不法労働目的の入国かどうかを取り締まるのが一番の目的だからだ。)

 ただでさえ、出発の時間が迫り、慌てていた私。係官に「滞在期間は?」と尋ねられ、大急ぎで「3days!」と答える。その後、「滞在の目的は?」といつもの質問にも「Business!」とまたもや大急ぎの返事。そして次の質問がいつもとはパターンが違っていたのだ。「キャッシュは持ってる?」との質問に、「早く行かなきゃ。」と焦っていた挙げ句、何を思ったのか「Yes!」と大声で返事をしてしまったのだ。(イギリスへの入国に際して10,000ユーロ相当以上の現金は申告する義務があるのだ。)私があまりにも元気に「Yes!」と叫んだせいで、怪訝そうな顔している係官。その顔色を見ながら我に返り、しまった!Yesじゃない…。焦りまくった私は、今度は大声で「No!」その様子を見ながら、かすかに微笑む係官。「Sure?(本当に?)」と問いかけられ、「Sure. Sure.(ほんと、ほんと!」」と二度も言ってやっと解放された。今まで何度となく通ってきたイギリスの入国審査なのに、こんな焦りまくったことは初めてだ。無事入国審査も終え、すべての荷物のレントゲン検査も通過し、ほっとしていると…。なにやら河村の荷物がレントゲン検査で引っかかったらしい。有無を言わさずスーツケースを開けさせる係官。河村の話では、レントゲンに写った卵型のボックスが爆弾と間違われたらしい。卵形のボックスといえば、ノルマンディーのフェアでみつけたもの。シルクで出来ていて爆弾とはほど遠い…。(笑)そんな紆余曲折を乗り越え、やっとの思いでユーロスターに乗り込んだときには、ぐったりと疲れていた。

 ロンドンに着いた私達が今日しなければならないのは、修理用のパーツの調達。ロンドンの御徒町ともいえる宝飾品の問屋街に出掛ける。今回調達するのはシードパール。アンティークジュエリーの修理には様々なサイズが必要なのだが、在庫が減ってきたので、今日はダブって買わないように在庫持参でやってきたのだ。貴金属の問屋だけあって、ここの在庫はゴールドやルース(裸石)など高価なものがいっぱい。入店するには、ふたつの頑丈なドアを開けて貰い、銀行のように番号札を機械から取り、いくつもあるカウンターで自分の番号が呼ばれるまで待つ仕組み。
 今日はすぐに呼ばれたのだが、ここで沢山の種類の物を買うのはちょっぴり煩雑。様々なパーツひとつひとつのサンプルを出して貰い、パソコンで値段をチェック、それを元に数を注文すると、カウンターの向こうのシステマチックにずらりと並んだストックの入った引き出しから在庫を出して貰うのだ。なにせ物が細かいだけに時間はかかるし、係の若いイギリス人の男の子や女の子とのコミュニケーションが肝心。そんなちょっとした付き合いの間に、彼女や彼たちの性格が感じられたりして面白い。今日の女の子は几帳面そう。きっちりした仕事振りに好感が持てた。さて、次はロンドンのアンティークモールへ。

 しばらく前までは歯が抜けたようだったここなのだが、最近他のロンドンのモールが閉鎖されたお陰で、そこから移動してきたディーラー達で賑わっている。が、ディーラーが増えても良い物が増えた訳ではなく、歩き回ってみてもやはり淋しい気持ちになるのを止めることは出来ない。いつも見るだけだが、ウィンドウを楽しみにしていたお人形の専門店もガランとしてどうやらリタイヤか?結局、顔馴染みのレースのディーラーに挨拶だけして帰ることに。

 いつものパターンで、モールからピカデリーまで歩く。ここはロンドン一の繁華街。ブランドのショップも多いが、アンティークのハイジュエリーを扱うショップのウィンドウを眺めるのが私達の習慣。が、そのハイジュエリーを扱うショップも昨今はクローズしたり、家賃が安い場所へ移動したり、そんなところから昨今のロンドンのアンティーク事情を覗い知ったりするのだ。

 ピカデリーまで歩くともう夕方、今日は最後にフォートナム&メイソンのティールームでひと休み。今まで数限りなく足を運んでいるフォートナム&メイソンだが、何を隠そうティールームでお茶を飲むのは実は初めて。周囲のほとんどが紅茶のポットをテーブルに載せている中、「今日の一日の仕事も終わったことだし。」と、私はミュスカデのグラスワインを、紅茶よりもコーヒー好きの河村はコーヒーを注文。注文の品をテーブルに運んできたギャルソンは、当然のように河村の前にワインを、私の前にコーヒーポットを置こうとする。そんなことには慣れっこになっている私はなんとも思わなかったのに、河村が「ワインは彼女へ。」とひと言、「えっ!彼女がワインで、あなたがコーヒーなんて、なんてファニーな!」と悪気無く返すギャルソン。しばらく「ファニーなんて大きなお世話だ!」とムクレるアルコールに弱い河村だった。

パリからやって来ると、ロンドンの平凡な街並みに「あら、またここに来ちゃった。」と思いつつも、見慣れた煉瓦の街並みになんだか安心するのです。

■9月某日 晴れ
 今日はコッツウォルズのフェアへ。コッツウォルズと聞くと、まるで雑誌のイギリス特集のようで聞こえが良いのだが、私達にとってはいつものド田舎(笑)のフェアでしかない。無人駅に近い人気のないこのブリティッシュレイルの駅からフェア会場まではタクシーしか手段がなく、必ずタクシーの争奪戦になるため、昨日のうちに馴染みのタクシードライバーのおばあちゃんに予約を入れてある。

 ロンドンから約2時間、目当ての小さな駅で降りるとちゃんとおばあちゃんがタクシーに乗って待っていてくれた。この彼女、豪快な人柄で、様々な人を乗せる仕事柄、なかなかの洞察力。「この夏は何人か日本人も乗せたわよ。」と言うので、「皆ホリディなの?(こんなド田舎に来る日本人っていったい何者?と思いつつ。)」と尋ねると「でも皆三日間だけよ。遅れてばかりのブリティッシュレイルにイライラしてたわよ。」と言って豪快に笑った。そして、フェアに行く沢山のアンティークディーラーを乗せているだけあって、アンティークについてもひとくさり。「今はイーベイのオークションでアンティークを買う人もいるけど、やっぱり見て触って選ばないとね。」と一言。こんな事をイギリスの田舎の道を爆走しながら言うのだ。

 また帰りのお迎えもお願いしてフェアの会場へ。今日は、帰りの列車の時間に合わせ(なにぶん田舎なので列車の本数がめちゃくちゃ少ないのだ。)約3時間というタイトな買付け。何百軒か出ているストールをすべて見て3時間で勝負をつけなければならないので、会場の中も早足、気ばかりが焦る。

コッツウォルズへはパディントン駅から。列車に乗り込む前に、駅構内にあるお気に入りの“Poul”で美味しいサンドウィッチを仕入れお昼ご飯に。列車の旅は、のんびり車窓を見ながらランチが出来るのが楽しいですね。

 まず最初に「何を置いても!」と顔馴染みのソーイングツールを扱うディーラーの元へ。ジュエリーを扱うディーラーは沢山いても、ソーイングツールを扱うディーラーはそうそういないのだ。挨拶もそこそこに、気になる物をあれこれ出して貰い、またそこからセレクト。そして選んだのは、薄いアイボリーで出来たニードルフォルダーやマザーオブパールのアイテム。イギリスへ来ないと手に入れられないアイテムだ。

 お馴染みのマダムのブースにやって来た。いつも綺麗な物ばかりを持っているマダムの商品は、ずっと昔、まだ私が駆け出しのアンティークディーラーだった頃からの羨望の的。その頃はいつも憧れの眼差しでただただ見つめるだけだった。でも、今では仕入れの対象として選ぶ事が出来ることが嬉しい。しばらく前に、偶然フランスの地方のフェアに出店していたマダムとそのご主人に会ったことを思い出し、「もうフランスへは行かないの?」と尋ねると、「イギリスのシルバーはフランスでは売るのが難しくて。ほら、フランスのポアッソンがないでしょう。」と。そうか、このイギリスの物の美しさって、フランスでは意外にもウケないんだ。逆に、イギリスにはフランスのアンティークが沢山あるのに。
 結局、マダムのところは久々の仕入となるプティポアンのバッグとダブルハートのジュエリーを。どちらも魅力的なアイテムだ。イギリスには、どうでもよいプチポワンのバッグは山のようにあるのだが、私が気に入る物は皆無といっても良いほど。そういう訳で、バッグの仕入れは2〜3年ぶりだろうか。美しいものが手に入るととても嬉しい!

 刻々と過ぎていく時間に腕時計とにらめっこしながら場内を早足で歩く。いくつかある会場をそれぞれ制覇しながら、「何か良いものはないか!?」と目を見開き、耳をすませ(笑)、鼻をきかせ(笑)、歩き回る。まだ何箇所かめぼしい物を持っているディーラーがいたはず。久し振りに出会ったソーイング小物を扱うディーラーは、すぐに私の顔を思い出したらしく、「あなた、こういうの好きじゃなかった?」と言いながらしまってあった美しいパレロワイヤルのシャトルを出してくれた。手の平にマザーオブパールのシャトルをのせ、その独特の質感と洗練された形を見るともう手放すことが出来なくなっていた。

 今日最後に出てきたのは大きなボックス。場所はお人形を扱うブース、お人形そのものよりも、そういうディーラーから出てくる可愛い小物が私の好み。今日も「ひょっとして何か?」と、ちょっぴり期待して訪れたところ、可愛いボックスを発見したのだ。色とりどりのドレスを身につけた女の子が描かれていて、裏側には当時フランスで売られていたタグが残っている。ソーイングボックスよりも大きなサイズで、持っていたディーラーも何が入っていたか分からないと言う。サイズと豪華さからいって誂えた子供服か、お人形の衣装が入っていたのかも。その大きさに躊躇しる河村を尻目に、「これ欲しい!絶対欲しい!」と駄々っ子と化す私だった。

 そろそろ時間ギレ。おばあちゃんドライバーとの約束の時間が迫っている。待ち合わせ場所へ大きなボックスを抱えて走った。
 この日、ロンドンのフラットに帰り着いたのは午後9時近く。今回の買付けもようやく明日が最終日。明日も朝が早い。

緩やかな丘陵地帯が連なるコッツウォルズ。駅のホームの脇はこんな牧草地帯。画像には写っていませんが、実はヒツジがいっぱい!触れそうなぐらい近いのです。

■9月某日 晴れ
 今回の買付けもついに最終日。まとめた荷物は部屋に残し、早朝のロンドンの街へ。ショールをグルグル巻いて…でもまださほど寒くないのが有難い。今日は午後遅くのフライト、時間は一日たっぷりあるのだ。

 まず最初に向かった先はいつもシールを譲って貰うディーラー、何か欲しいものが出てくると良いのだが。小さなガラスケースに入っているシールを出して貰い、河村と手分けしてチェック。お客様にお見せする時もそうなのだが、こればかりは非常に小さなアイテムなので、ひとつひとつをひっくり返して見ていかなければならない。「あなたはあっちから。私はこっちから。」ふたりで手分けしてチェックする。
 そんな風に目当ての物を探しているうち、河村が「あっ!」と声をあげた。「え!?何?何?」とすかさず尋ねると、まるで子供のように得意気にひとつのシールを差出した。それは薔薇のお花を模したシール、こんなシールは初めてだ。今日は他にもパンジーや忘れな草など可愛いシールが出てきた。こんなに一度にラブリー系のシールが出てくることは稀なこと。今回はシールにツキがあったようだ。

 いつもフランスものを扱っている女性ディーラー、当然ながらイギリスでフランスの物を扱っているディーラーは稀。朝早く訪れないとめぼしいものが無くなってしまうため、なるべく早い時間に彼女の所を訪れるようにしている。でもそのお陰で、珍しいものや欲しいものと出会える確率がずっと高くなるのだから早く行かない手はない。それと同時に、ディーラーにとっても朝一番に来てくれるのは「良いお客」となるので、良いものをすすめてくれる可能性が高いのだ。普段からそんなお互いの信頼関係を大事にしているため、やたらと値切るのもNG。他のディーラーへもそうだが、私達はやたらと値切ったりすることはまず無い。いつもそんなことをしていれば、相手もけっして良いものを取っておいてくれたり、すすめてはくれないからだ。
 そして今日は早く出掛けたお陰でレースの入ったフランス製のアクセサリートレイふたつをget。こうしたトレイ、最近はフランスでもなかなか巡り会えないアイテム、「こういうの、最近なかなか無いんだよね。」と言いながら迷うことなくふたつとも手に入れた。

 次に出てきたのは、美しいビーズのバッグ。ピンクの薔薇の模様がとても好み。こんな可愛いビーズ物は久しく巡り会っていない。裏側は表側の薔薇とは全く違った、いかにもイギリス風なお花の模様。2ウェイ楽しめるのも素敵、すぐに「見せて!」と顔馴染みのディーラーに頼むと、「これはまだ入ったばかりで…。」と名残惜しそう。でも「状態も良いのよ。」と言いながら「仕方の無い」という表情。これもまた迷うことなくget。

 雑貨系の物にはいくつか巡り会えたものの、なかなか気に入ったジュエリーに出会えない今日。沢山のジュエリーに目を通しながらも、どうもピンとくるものがないのだ。刻々と時間は経っていくし、気は焦るばかり。そんな時、たまに譲って貰う女性ディーラーにバッタリ。良い物に特化してジュエリーをセレクトしている彼女、いつもそこから出てくる物には間違いがない。今日は彼女のガラスケースをじっくり眺めるのだが、気に入った物はない。「う〜ん、何もないか。」と立ち去ろうとしたときのこと、ガラスケースの裏から「こんな物もあるのだけど。」と、まるで魔法のようにアール・ヌーボーのジュエリーが出てきた。「これはまだ知っている方にしか見せないの。」といたずらっぽく笑う彼女。私も河村も以前から気になっていたマットエナメル。「ああいう物を揃えたいね。」と話していたそのものだ。が、美しいだけあって、本当に高価。とてもすぐに決められる金額の物ではない。ひとまずそれを返して、「またご縁があれば。」という気持ちでひとまず立ち去った。

それから数時間、ジュエリーも、レースも、雑貨も、いったいいくつものアイテムを見ただろうか。だが、見るもの見るもの満足がいく物と巡り会うことが出来ない。買付けの度に毎度思うのだが、イギリスやフランスのディーラーとは頻繁にコンタクトを取るようにしているものの、こんな運を天に任せた仕事をしていて良いのか、と自嘲気味に思ってしまう。そして、最後にまたアール・ヌーボーのジュエリーを持つ女性ディーラーのところへ戻ってきてしまった。

 当然のごとくガラスケースには先程のエナメルジュエリーは置いていない。少しドキドキしながら「さっきのマットエナメルは?」と尋ねると、「あれから誰にも見せなかったのよ。」と再び魅力的なスマイルで取り出した彼女。ホッとしながら、「やっぱりいただくわ。」と告げると、「これはね、まだ五日前に入ったばかりだったの。」と誰にともなく呟き、一瞬ボックスの中のジュエリーにじっと名残惜しそうな視線を落とした。今回の買付けは、このエナメルジュエリーが最後。これでおしまい。アリガネ全部をつぎ込んでしまった私達にはもうすることがない。高価だからすぐに売れることはないかもしれないが、それでも自分達の商品が僅かずつでもレベルアップすることが私達の願いなのだ。

買付けが終わると夜のフライトまではフリー。いつものようにご近所のV&Aミュージアムへ。いつもこのミュージアムのレセプションの高い天井から吊り下がった何トンもあるデイル・チフリのガラスのオブジェを見ると、落ちやしないかハラハラしてしまいます。


今回初めて足を運んだのは、“Sculpture(彫刻)”のコーナー。こうした大きな彫刻も素晴らしいのですが、興味深かったのが小さなアイボリー彫刻のコーナー。あまりに見事な小さな世界に圧倒されてしまいました。


このアイアンのコーナーも今回初めて訪れた場所。このミュージアムは私にとっての宝石箱。見るもの見るもの、どれもが心惹かれるものばかり。ここは私のアンティークの先生そのものなのです。

今回もつたない分に長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。