■8月某日 晴れ
昨日、ロンドンからパリへ移動してきたというのに、今朝はパリ・リヨン駅から午前9時過ぎのTGV
(フランスの新幹線)で、まずはアヴィニヨンまで向かうことになっている。アヴィニヨンからは、またレンタカーで移動だ。
南仏行きの列車の発着するリヨン駅までは、小さめのスーツケースを引き引き、オデオンから63番のバスに乗る。ロンドンに比べると、やや暖かく、かすかに夏らしさを感じるパリだが、南仏の底抜けの明るい日差しと暑さが恋しい。
バカンスを過ごしに出掛ける人々でごった返すリヨン駅からTGVで3時間あまり、何度か訪れたことのあるアヴィニヨンに到着。肌に焼けつくような、強い日差しとからりとした爽やかな空気、一年ぶりの南仏の空気に、「う〜ん、南仏だぁ〜。」と喜ぶ。バカンスを過ごし終わったブロンズ色の肌の人、人、人。アヴィニヨンの駅は、ラフなスタイルのバカンス気分いっぱいの人々で賑わっている。
すぐに駅の横にあるレンタカーオフィスへ向かう。「そんなに荷物もないだろうから。」と一番小さい車種のヤリス(トヨタ・ヴィッツ)を予約しておいたのに、渡されたキィはフィアットのもの。イタリア車にあまり信頼を置いていない私達は「えぇ〜、フィアット〜!?」と叫ぶが、フィアットのパンダが南仏の旅の道連れになった。
運転するのは、もちろん運転好きの私!久しぶりの左ハンドルのミッション車に少しドキドキしながらも、何とか覚えていた道をたどって、フェアが行われる小さな村へ向かう。フランスの、というかヨーロッパ大陸の道は皆同じかもしれないが、一般道では100キロ以上、高速道では平気で150キロ以上で吹っ飛んでいく。ノロノロ走っていると、無理な追い越しをかけられて、逆に危険だ。慣れないうちは、ロン・ポワン(ロータリー状になっている交差点のこと)も気を遣うポイント。イギリスと違い右側走行のため、イギリスでは左回りのロン・ポワン(イギリスではラウンドアバウト)だが、フランスでは入るのも右回り。どこの道に入るのか分からないと、ひたすらロン・ポワンの中をグルグル回るハメになってしまう。横でナビゲーションをする河村に向かい「どこ!?どこ!?どの道?」と叫びながらのドライブだ。
さらに、目的地に近くなると、断崖絶壁、しかも車が離合出来ない道が出てくる。ドライバーの腕が試される一瞬だ。離合できない道でも対向車は、思いっきりのスピードで突っ込んでくる。毎回この箇所は、スリルとサスペンス(?)のドライブだ。「ちょっと〜!!突っ込んでこないでよ〜!」と独り言を言いながらの運転する。無事に、いつものオーベルジュに着き、やれやれ。ホテルのプールで泳ぐのもお預けにして、すぐにフェアの会場に再び車に乗って向かった。
プロフェショナルの日(一般向きのオープン日の前にディーラー向きにオープンされる日)だというのに、結構賑わっている。パリからやってきた旅の疲れも忘れて、会場を歩き回る。
あった、あった。透かしのピアス加工のエンジェルのチャーム。同じくぐるりとバラが取り巻いたエンジェルも発見。どちらもペンダントトップにすると素敵だ。「エンジェルものは断然(カトリックの国の)フランスだよね〜。」などと河村と言い合う。他にも、お人形を入れてディスプレイすると可愛いピンクのリボン付きのバスケット等など。このバスケット、デッドストックだったらしく、同様なものがいくつかあったのだが、その中で一番状態の良いものをget。
プラタナスの並木が並ぶ会場は、とても気持ちが良く、フランス人と一緒に肌が焼けるのもかまわず歩き回る。というか、ここまで来て、太陽の光を浴びないのがバカらしく思えてしまう。(日本に帰ると後悔するのだけど。)
夕方近くなり、ホテルに戻るが、まだまだ日が長いため午後7時過ぎまでプールサイドで過ごす。プールサイドのデッキチェアで日本から携えてきた本を読むのは至福のひとときだ。
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これが今回お世話になったフィアット“パンダ”。もちろん、どこも調子が悪くなることもなく、キビキビした走りの「いいやつ」でした。結局、今回河村は、フランスでは一度も運転せず。
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今回あてがわれた部屋はブルーがテーマ。それぞれのベッドの他に、アイアンの天蓋付きのベッドが置かれた広々とした部屋でした。ベッドカバーのキルトはもちろん蜂模様の南仏柄。
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南仏の伝統的な石造りの建物の小さな窓から見える風景。ホテルの窓から見えたのは一面のブドウ畑でした。遠くに虹が見えるのがおわかりいただけるでしょうか?
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南仏のリゾート用のホテルは、必ずといって良いほどプール付きの場合が多いようです。ある時は大人も子供も水の中で大はしゃぎ、またあるときは、このプールサイドでゆっくり肌を焼く。みんな何週間もの間、そうやってバカンスを過ごすのです。羨ましい〜。
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■8月某日 にわか雨のち曇り
朝からにわか雨、雨が止むのを待って、昨日のフェア会場へ向かう。今日は、「こんな小さな村にみんなどこから来たのか?」と思うほど、昨日にもまして沢山の人だ。今日は、南仏の明るい空もどこへやら、どんより曇って、心なしか肌寒い。そんな空の下、今日もアンティークを求め、歩き回る。昨日は見なかった繊細な刺繍のペチコートを発見。なかなか見ることのない美しい手仕事、特別なものだ。それを持っていたマダムは“C'est
marchande?(商売なの?)”と聞いてきた。「そうよ。」と答えると、「あなたのブティックは東京?」。日本人だと見ると、“Tokyo?”と聞かれることがとても多い。
細々したレースを仕入れ、「さぁ、ついにカードだ!」とカードを扱うディーラーのブースへ。いつもどおり、見たいものをリクエストすると…。「アラ、あなた達のこと覚えてるわ!」とマダムが笑って言う。もう一度よくよく見ると、いつもパリのフェアで顔を合わせるマダムだった。「こんなフランスの果てで会うなんて!」と嬉しくなって「お元気?」とご挨拶。マダムの「バカンスなの?」という問いに、きっぱりと“Non!”と答えると、彼女は「アラ、ゴメンナサイね。」と言うように、首をすくめながらにっこり笑った。
夕方近く、ホテルへ戻るが、残念ながら今日は肌寒くプールサイドで過ごす気がしない。「せっかく来たのに残念。」と思いつつ、夕食まで部屋で過ごす。このホテルはブドウ畑の中の一軒家、レストランも併設されているオーベルジュのため、一応、お洒落をして降りていく。このレストラン、田舎にある割には、洗練された繊細な料理が人気で、ホテルの宿泊客以外にも、近隣から多くの客が訪れる。テラスで食べる風に吹かれながら食べる食事はとても気持ち良い。今日は、ズッキーニのテリーヌにラタトゥーユ添えの冷たい前菜とサーモンのグリル。コート・ド・プロヴァンスの冷たいロゼが美味しかった。
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南仏の小さな村から。暑い日向の日差しとは裏腹に、細い路地を爽やかな風が吹き抜けていきました。
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南仏といえば、やっぱりオリーブ!実をつけたオリーブの木が、ごく普通に生えているのに驚いてしまいました。やはり、暖かいから育つのでしょうね。
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■8月某日 晴れ
今日は、早朝からフェアが始まる。やはり、南仏の小さな村で開催される「夏の風物詩」といった雰囲気のフェアだ。優雅なオーベルジュでのひとときも忘れ、フランス人の運転する車とほぼ互角にスピードを競い、朝から100キロ以上離れたフェア会場へとひた走る。運良く、オープン前に目的地につくことが出来た。沢山の件数が出店しているフェアだけに、今日は気合いが入る。
毎年、この時期には、ジリジリと焦がされるように暑い炎天下のフェアなのだが、今日は風が強く、肌寒いほど。まずは、馴染みの私好みの可愛いものをいっぱい持っているディーラーのブース目指してダッシュ。「誰にも渡さない!」とばかりに、目に付いた可愛いものすべてを手にしていく。リボン、サシェ、レース、そして長く探していたノルマンデイーの大きなベッドカバーを発見。良好な状態だ。ベッドカバーだが、大判のテーブルクロスにも使え、間仕切りのカーテンなどにしても美しい。その後も、赤ずきんちゃん柄など可愛いフレンチプリントの布や、プチポワンのバッグが二つも出てくる。ここしばらくプチポワンのバッグは手にしていなかったので、好みの柄のものがあれば是非欲しかったのだ。気に入ったものが思いがけず見つかると、とても嬉しい。おまけに、ずっと探していたバラの柄のピアスも手に入れることが出来、ご機嫌でビールとサンドウィッチのお昼を食べる。
地図がなくてもフラフラ歩けるほど小さな街の昼下がり、仕事を終えて、フェアの会場を離れ、街を散歩してみる。毎年来ているフェアのため、勝手知ったところだ。街の中心の古い古い教会前のキャフェで一服し、車を止めた駐車場目指して帰ろうとすると…。今まで見たことのない小さなお人形のミュージアムがオープンしている。普通の家のような門をくぐり、いかにも「この人がお人形のコレクターね?」という雰囲気のおばあちゃんに迎えられた。家の中にはいると、どの部屋にもお人形が飾られ、その可愛らしいことといったら!ビスクドールが中心のコレクションだが、高価なお人形はいないものの、お人形と一緒にディスプレイしてある小物がとても可愛いく、私好みの雰囲気。おばあちゃんに「写真を撮ってもいいですか?」と聞くと、「OK。OK.。」とにっこり。ガラスケースを覗きながら、河村に向かって「ちょっと〜、これ可愛い!」と興奮状態。きっとロココ好きのマダムなのだろう。ロココの着いた小物がいっぱいで、「私これ買いたい。でも売ってはいないんだよね。」と羨望のまなざし。また機会があったら行ってみたい。
一応、今日でこの買付けの仕事は終わり。明日から3日間、今度は仕事抜きでアルルとマルセイユを回ることになっている。車で、アルルまで2時間ほどドライブ。フランスでの運転には、すっかり慣れてきたが、仕事帰りなど、ほっとして気が抜けるといきなり左側を走っていたりする。アブナイ、アブナイ。アルルまで、仕事が終わった開放感からか、さんざん迷いながらのドライブ。アルルに着いたときには、外は明るかったものの、すっかり夜になっていた。
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お人形の美術館だけど、レースやリボンなどの展示もいっぱい。それは、それはスィートな愛らしいお人形の世界でした。
“Musee du Jouet et de la Poupee
Ancienne”
26, rue carnot L'Isle sur la
Sorgue tel 04 90 20 97 31
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普通のおうちの6部屋にディスプレイされたコレクション。パリにあるお人形の美術館も可愛かったけれど、よりプライベートな感じが魅力的な美術館。可愛い子がいっぱいでした。
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■8月某日 晴れ
朝からアルルの旧市街を散策。今日からお仕事抜きの旅のため、私も河村も心なしかリラックス。ふだん、年に数回海外での買付けをしている私達だが、「観光のみ」でどこかへ行くということは滅多にないので、二人ともあっちをキョロキョロこっちをキョロキョロ、気分はすっかり「観光客」だ。
歩いてどこでも行けてしまうアルルの旧市街の中には、円形闘技場や古代劇場など、古代ローマの遺跡が点在していて、とても興味深い。ちょうど円形闘技場の側を通りかかると、なにやら中で賑やかな音が聞こえる。「なんだろう?」と近寄ってみると、今日はたまたま闘牛の日だった。「せっかく来たから見ようよ!」と入場券を買って、闘技場の中へ。私も河村も闘牛を見るのは初めて。残酷でもある一面、これがすご〜くカッコ良かったのだ。闘牛とは、「命がけの様式美」といっても良いかもしれない。歌舞伎などと同じようにキメのポーズがあり、ショッピングピンクのストッキングに豪華で派手な衣装を着けたマタドールの姿に惚れ惚れしてしまう。それが、一瞬の隙に長い険を牛の後ろ首に刺すのだが、危険なのは当然のこととはいえ、それを顧みずに見得を切る姿は、思わず「かっこいい〜!」と叫んでしまうのだ。「私がアルルに生まれていたら、闘牛士の追っかけをしていたかもしれない。」と口走りながら闘技場を後にした。
アルルは素朴で小さな街なのだが、アヴィニヨンなどと同じ、プロヴァンスの観光の一つの拠点のため、観光客も多く、お土産物の雑貨を売る店も多い。ラヴェンダーの香りのサシェやプロヴァンス柄のクロス、コスチュームなど、思わず目を留めてしまう。河村などは「プロヴァンス雑貨の店がしたい。」などと言い出す始末。「オイ、オイ。」と突っ込みながら、でも、「毎回南仏に買付けに来たら、楽しいだろうねぇ。」と頷き合った。
ホテルの予約はすべて私が手配だけしたものの、仕事以外のことについては全く関知していなかった私、河村に連れて行かれるままに、あちこちの遺跡を見て回る。そして最後に、河村が連れて行ったところは、黄色いアーケードに囲まれたこじんまりとした中庭。「あれっ!ここ、なんか私、見たことある。」と思ったら、そこは、現在は「エスパス・ヴァン・ゴッホ」と呼ばれる、かつてゴッホが耳切り事件を起こした後に入院していた精神病院の中庭だった。そう、私はこの場所をゴッホの絵の中で見ていたのだ。一時期アルルで暮らしたゴッホ、はね橋はもちろん有名な「夜のカフェ」の題材になったカフェなど、アルルには今でもゴッホゆかりの場所が沢山残っている。
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円形闘技場を見上げて。紀元前に、このような建築物を作ることの出来たローマ人て、いったいどんな人たちだったんだろう。心は紀元前に飛んでいってしまった。
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アルルの街でみつけた闘牛のポスター。闘牛士は、スターです!
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「エスパス・ヴァン・ゴッホ」の中庭。黄色く塗られた柱も当時のままです。学生時代、画集の中で見ていたせいでしょう。ここに来た瞬間、とても懐かしい気持ちになりました。
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■8月某日 晴れ
ジリジリ照りつける太陽と日焼けした人々、南仏で出会う人は皆「ただいまヴァカンス中」という人ばかり。日本では考えられないが、若い女性も、年配のマダムも、いちようにブロンズ色に肌を焼き、それは夏らしくゴージャスな雰囲気だ。
今日もアルル観光。プティトランと呼ばれる、汽車のような小さな貨車が連なった観光用ののりものに乗り、街中を巡る。このプティトラン、6カ国語のイヤホンも付いていて、日本語もあり、なかなか便利。なにより街中の史跡を余すことなく回ってくれるのが嬉しい。観光気分いっぱいの楽しい乗り物だ。南仏の街のあちこちにあるので、もし旅行の予定のある方にはおすすめ。
「アルルの女」に代表される、美人揃い(?)のアルルの乙女達。現在でもフェスティバルの日には、昔ながらの衣装にレースの頭飾りを着け、衣装を競い合うという。そんなガイドブックの記述を見ながら、「こんな衣装道楽の女達の街だったら、きっと服飾関係の美術館があるはず。」と思っていたら、やっぱりあった。アルタラン民族博物館というプロヴァンスの衣装や民具が展示されている博物館だ。街の中心、エスパス・ヴァン・ゴッホからも近いわかりやすい場所で、昔の貴族の館が博物館になっている。この博物館の目玉は、実際に「アルルの女」に出会えること。博物館のあちこちに、フェスティバルの時に着るような昔の衣装にレースの頭飾りの女性(実は博物館の職員)がたたずんでいて、とても良い雰囲気。彼女たちに出会うと、思わず日本語で「素敵〜。」とため息が出る。プロヴァンスらしいキルトのスカートや、更紗プリントの生地を使ったドレスなど、気になるものでいっぱいだ。こちらのカタログも入手してきたので、ご覧になりたい方は、サロンまで。
Museon Arlaten 29, Rue De la Republique 13200
Arles tel 04 90 93 58 11
午後は、ゴッホのはね橋を見に車でドライブ。アルルの街からほんの20分ほど、田舎の小麦畑の中ににぽつんはね橋があった。とてものどかで、一日ピクニックに来たら良いかもしれない。そのすぐ側には、廃線になった線路が残っていた。ゴッホはここまでキャンバスを持って、鉄道で来たのかしら?と思いを馳せる。
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アルルの街でみつけた光景。葡萄が蔓を伸ばした軒先には、葡萄をかたどったアイアン製のグリル。アイアン製の葡萄の実がお分かりいただけるでしょうか?
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画集の中では昔からよく見ていても、まさかゴッホのはね橋が自分の目で見られるとは思いませんでした。周りは一面小麦畑で、それもゴッホの絵の中のようでした。
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■8月某日 晴れ
すっかり慣れたフィアット・パンダとも今日でお別れ。アヴィニヨンまで戻り、レンタカーをチェックインの後、TGVでマルセイユへ。アヴィニヨンまでのドライブの間、まるでゴッホの絵の中のようなひまわり畑や小麦畑の中を駆け抜けていく。途中、今回は行くことの出来なかったタラスコンの道しるべを見て、「タラスコン行きたかったね〜。」と河村と言い合う。タラスコンも、やはり南仏の古くて小さな街なのだ。ソレイヤードの美術館などもあるらしい。フランスは、今回旅した南に限らず、古くて味のある街がいっぱいだ。
マルセイユへは今回は一泊だけ。目的は二つ!ひとつは、河村が信望しているル・コルビジェの建てた「ユニテ・ダビタシオン」に泊まること。もう一つは、ずばりマルセイユでブイヤベースを食べること。「ユニテ・ダビタシオン」は、50年代に世界で一番最初に建てられた集合住宅で、現在でも沢山の住人が住んでいます。その中で、いくつかの部屋がホテル「ル・コルビジェ」として一般のゲストも受け入れている。今回は運良く、予約が取れたため、河村はここに来るのを楽しみにしていたのだ。
治安の悪さが有名なマルセイユの街だが、ホテルの海側の部屋から見えるマルセイユの海はとても美しい。このコルビジェの建築は、近代建築のバイブルのようなものだ。私達が、泊まっている間にも、世界中の建築を志す若者が訪れては、写真を撮って帰って行く。特にコルビジェのモダンなスタイルに興味のなかった私だが、実際にその部屋に泊まってみて、モダンで無駄のない空間使いと暖かみのある木の建具、明るい室内に「こんな家に住むのも良いかも。」と好感を持った。
ホテルに荷物を置いて、すぐにマルセイユの旧港へ。そこから、マルセイユの象徴でもあるノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院へと向かう。1200年代までさかのぼることが出来るという歴史ある教会だ。標高約148mの高台にそびえ立つこの寺院は、地中海とマルセイユの街並みを見渡すことが出来て、とても気持ちがよい。河村曰く「空と海に一番近い」場所だった。
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マルセイユの美しい空と海。地中海の海の青いこと!今回は海で泳ぐ機会がなかったけれど、次回は是非泳いでみたい。
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世界で一番目に出来た集合住宅ユニテ・ダビタシオン。画像では分かりにくいかもしれないけれど、ピロティーになった軽やかな地階、住宅の中には、カフェあり、スーパーあり、屋上には保育園やプールまであります。とてもよく考えられているコミュニティーです。
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ノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院は空と海が一番近い場所。その景色を眺めているだけで、神々しい気持ちになりました。
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■8月某日 晴れ
美しい景色も堪能し、前夜、しっかり二つめの目的であるブイヤベースを食した私達、たった一泊だけだったが大満足のマルセイユだった。今日は夕方のTGVでパリに戻ることになっている。が、「せっかく来たのだから。」と旧港から船で近くの小島へ渡ることに。本当は、「岩窟王」の舞台となったイフ島へ渡る予定だったのに、今日は波が高くて船が出ないとのこと。「だったら…。」と、もう一カ所のフリウール島へ渡ることに。マルセイユの旧港からは、30分ほどの距離なのだが、これがとってもスリリングな束の間の船旅だった。
定員は50〜60人ほどだったろうか。甲板にも沢山の人があふれたまま出航したのだが、沖へ出るにしたがい波が荒くなってきた。と、思うまもなく大波が来て、甲板にいた人達は、全身ずぶ濡れだ。皆船内に避難してくるが、船内にも波飛沫が入ってくる。船は、まるでジェットコースターのように波に翻弄され、波が来るたびに「フゥ〜!」と喜んでいた人達も、船酔いと恐怖で皆だんだん顔が青ざめてきた。私は、船酔いにこそならなかったが、NHKのニュースで「今朝、フランスのマルセイユ沖で島巡りの船が遭難し、日本人と見られる乗客が乗っていたことが判明しました。」と放送している様子を思い描いてしまった。その後、お陰様で、船は沈むことなく無事島に接岸することが出来たが、皆フラフラで船を下りていった。
このフリウール島、マルセイユ近辺の海水浴スポットらしく、岸壁には南仏版「海の家」が並んでいる。海も、透明度が高く、非常にきれい。「今度こそ地中海で泳ぎたいね。」と言いながら、わずかの時間を過ごして、またマルセイユの港へ戻った。帰りの船は、行きの船よりも大きく、揺れも少なかった。あのスリルをちょっぴり期待していた私には少々期待外れ。
そして、夕方にはいよいよTGVでパリに戻らねばならない。マルセイユでは、明るい空の下、気持ちの良い海風に吹かれて過ごしたこともあり、パリのグレイの空の下に戻るかと思うと、とても寂しい。やはり、私達は、夏の南仏の明るい日差しと、開放的な雰囲気が大好きなのだ。普段、仕事では国内外を頻繁に旅している私達だが、今回、こうして買付けと同時に私的な旅が出来たことは本当に嬉しい。これを糧に秋からのお仕事を頑張ろうと思う。
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青い海に白い船体。フリウール島の港に並ぶ自家用ヨット。この港を散歩していた時に出会った初老の男性は、日に焼けた風貌に色褪せたネイビーのボーダーシャツ。いかにも「海の男」という感じが素敵でした。
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これが「巌窟王」も舞台にもなった昔の城塞イフ城。この日は、波が高く接岸不可能のため、残念ながら上陸することは出来ませんでした。
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このとおり「フランス人みたいにブロンズ色の肌に!」とばかりに、日焼けを恐れず連日こんなスタイルをしていたので、帰ってきた今でも真っ黒です。最近日本で肌を焼いてる人なんていないんですよね。(後悔)
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長々と最後までお読みいただき、ありがとうございました。またご意見やご感想もお聞かせいただけたら嬉しいです。
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