■4月某日
 今日は東京行き。いつもの東京出張は当然ながら荷物と一緒なので、車で東名高速をひた走るのだが、今日は何と新幹線!しかも私と河村が揃って一緒に新幹線に乗るなんて、実はいまだかつてないことなのだ。今回、わざわざ新幹線に乗って東京へ行く目的は「店舗物件を見に行くこと」。実は、河村に促され、もう一年以上前から東京進出を考えていたのだが、なかなか「ここ!」といった物件に出会えずにいたのだ。既にそこに入居している知人ディーラーの紹介もあり、ようやくある物件にほぼ決まりかけたのだが、3月11日に賃貸条件の交渉の電話の最中、あの地震が起ったのだ!

 たまたまその物件は、区画のサイズを調節できる物件だったため、河村がこちらの希望の広さを告げて交渉に入ろうとした正にその時、電話の向こうで「今凄い地震が起ったので、一旦切ります!!」とガチャン。そしてまもなく私達の住む名古屋でも揺れ始めた。そしてあのような大惨事になったことは皆様ご承知のところ。

 その一週間後、ようやく交渉が再開したものの、相手も、地震とその後の東京の状況に混乱しているのか、言うことが二転三転、日によって条件が変わり、私達は「???」と思うばかり。結局最終的に提示されたのは、一番最初の条件で、「あのコロコロ変わったのはいったい何だったの!?」とこちらも呆然としてしまった。そういった経緯もあり、既にちょっぴりその物件から心が離れていた私は、最終手段として「念のため、最後に奥野ビルを聞いてみようよ!」と河村に提案。
 昨年何度か奥野ビルの静鹿ギャラリーでフェアを行っていたのだが、映画「ノルウェイの森」をはじめ、様々なドラマのロケに使われる銀座一古い奥野ビルが、あんなに古い物件にもかかわらず(いや、あんなに古い物件だからか)、ウエイティングが20件以上あって、大人気だということも様々な人から聞かされ知っていた。元から「そんな大人気のところへ入居するなんて、到底無理!」と思っていたのだ。

 が、河村がインターネットで調べてみると、珍しく7階に空き物件があるらしい。「そこだ!そこだ!」と不動産屋のホームページからすぐにメールで連絡を取ると、その夕方、メールの返事が来た。どうやら空いていた物件はもう埋まってしまっているけれど、「奥野ビルの他の階でご紹介できる物件があります。」とのこと。「え!?そんなことってあるの?善は急げ〜!!」と大急ぎで連絡を取り、翌々日に急遽銀座へ物件を見に行くことに。

 銀座の奥野ビル界隈は私達の勝手知ったところ。現地で不動産屋さんと大家さんと落ち合い、実際に二階の物件を見せて貰った。以前はギャラリーだったというその部屋は、中に壁が造作してあったり、水場が作ってあったり、エアコンの室外機のせいで窓がほとんど開かなかったり、と様々な問題有り。そして、現在入居している名古屋のサロンに比べると、そのスペースは約半分。果たしてここを綺麗にして、自分達の空間が作れるのだろうか?私のそんな心配を他所に、30歳の時に長崎で自分のお店を作ったことのある河村は、「この壁と水場を取って、壁紙も床もはがして、エアコンは位置を変えて。」と頭の中でテキパキとシュミレーションをしているらしい。
 その後、ビル一階にある大家さんの事務所で歓談しながら打ち合わせ(というか、気分は就職試験に行って面接を受けている感じ。)。私達が去年一年間で奥野ビルのギャラリーを5回も使っていてこのビルに愛着があること、古い物が大好きであること、既に入居されているアンティーク屋さん皆と知り合いであることを告げると、「なんだ!そうだったのか。」という打ち解けた雰囲気になった。「ゴミの捨て方もちゃんと知っています!」と私がアピールすると大家さんも笑顔。打ち合わせを終えた後、不動産屋さんからこっそり「ウエイティングは20件以上あるそうですけど、大家さんはアンティークが大好きなんですよ。だからきっと大丈夫。」と告げられた。

 実は奥野ビルは24時間開いていて、営業時間はそれぞれの店子の裁量に任されている。買付けや出張でたびたび留守をする私達にとっては、ここも重要なポイントで、定休日がなかったり、営業時間が決められているモールなどとは違い、自分達の自由にお店を運営できるのも大きな魅力だ。それにしても、まさか入居出来るとは思っていなかった奥野ビルに入れることになりそうで、なんだか狐につままれたような不思議な気持ちだ。いつものように、河村と銀座でお昼を食べながら、ふたりとも興奮気味。「わざわざふたりして新幹線で行ったのが無駄足になりませんように…。」と祈るのだが、いったいどうなるのだろうか?

 こちらの画像が「使用前」のもの。壁の丸い枠は、元々丸窓があった部分を潰したらしい。(大家さんのお話では、「中がどうなっているのか誰も分からない。」のだそう。)表に面したせっかくの窓なのに、エアコンの室外機が堂々と置いてあって、開けられないのにも困ったもの。



 その夕方、名古屋への帰路につく途中、新幹線の中で河村が不動産屋さんからのメールを受信。「おたくに決まりましたので、手続き等のため早急にご連絡下さい。」というものだった。やった〜!新幹線の中、河村とふたりで喜び合う。

■4月某日
 入居が決まってからというもの、普段は断然夜型の私なのに、プレッシャーからか、興奮状態でアドレナリンが出まくっているのか(?)、まるで買付けの時のように午前6時には目が覚めてしまう。いわば、「火事場の馬鹿力」生活なってしまったのだ。これは買付けの時には必要だけれど、普段日本で生活しているときには、かなり都合が悪い。余りにも朝早く目覚めて、午前7時前からパソコンで仕事をしてしまう。あぁ、普通の生活に戻りたい。

■4月某日
 今回の転居での一番大きな問題は、新しい場所が今入居しているサロンの約半分の面積だということ。今サロンで使っている什器も、バックヤードで使っている机や家具も、どう考えても収まるとは思えない。何分の一かのサイズに切った什器や家具を、同じ倍率に書いた部屋の中にまるでパズルのように並べ、必死のシュミレーション。だが、どう考えても、持っている全部の什器は収まりきらない。「ああして、こうして。」とひっくり返し、並べ替えているうちに、とうとう私の頭の中で何かがプッツンと音を立てて切れてしまった。あとは、河村相手にボロボロ泣きながら、「こんな狭いところ、どうやったって入らない〜!!ぜったい無理〜!」結局、呆れた河村から私の切り紙細工は取り上げられてしまった。

 これが例の切り紙細工。ああして、こうして…。あぁ、並ばない〜!!キ〜!

■4月某日
 明後日は二人して東京に出向く奥野ビルの契約の日、ただ契約だけではなく、同じ不動産屋さんが住宅の方も探してくれているので、午前中に住宅の物件を見て回り、契約の後は奥野ビルに入っているアンティーク屋さんから紹介して貰った内装屋さんと打ち合わせ、と盛り沢山なのだ。住宅の物件を見るのが午前10時過ぎからなので、余裕を見て前日から東京へ、今度は車で行くことに。行く日は日曜日、そう、普段は\7,200の高速代がこの日は\1,000!そして、東京の常宿にしている晴海のホテルはディズニーランドの休業のせいで、今回は破格の宿泊費。なるべく経費のかからないように、そのあたりもシビアなのだ。

 今日は内装屋さんに見せるお店のイメージの資料作りでパソコンの前から離れられない。先日私が「あ〜だ。こ〜だ。」と家具の配置を考えていた例の切り紙細工をパソコンの画面におこし、現状の画像から壁の色をシュミレーションしたり、インターネットを検索して私達のイメージに近いインテリア画像を探し出す、他にも私達の世界観が少しでもイメージして貰えるように、買付けで撮ったフランスの写真を選び出したり、見せられるようにすべてプリントアウトして資料を整えると、もう夜になっていた。

 切り紙細工をパソコンにおこしたもの。内装を決めるのに什器の配置はとても重要。家具はこんな配置で。実際はどんなことになるやら?


 こちらは壁の色のシミュレーション。私達のイメージするところは「フランス伝統色」の中のローズ・ルノワール。「梁の内側だけ色を変えてみるのはどう?」との河村の意見で、そちらのイメージも一緒に。気分はちょっぴりインテリアデザイナーでした。(笑)


■4月某日
 前日から車で東京入り。翌日の今日は、朝から不動産屋のお姉さんと自分達が住むためのマンションの物件周り。午後イチは店舗の契約、そしていよいよ内装を請け負ってくれることになっている業者さんと初顔合わせ。そして、今日のうちに打ち合わせられるすべての事柄について打ち合わせることになっている。他の奥野ビルのアンティークショップや、他の銀座のアンティークショップなど、この業界のお店を何軒も手がけている業者さん自身も、元々はアンティークディーラー。今回は知人のアンティーク屋さんからの紹介だから安心はしているものの、どんな人なのか少しドキドキしながら待っていると…。いかにもセンスの良さそうなスタイリッシュな男性が今回内装を引き受けてくれるSさんだった。

 挨拶もそこそこ、現状の水場や壁のはつり、エアコンや配電盤の移設、パイプの撤去、壁や天井の仕様や、塗装など、順々に打ち合わせていく。物腰の静かなSさんは、私達の質問にひとつひとつ答えながら、丁寧にメモをとっていく。表から見ただけでは分からない壁の構造についても、壁をコンコンと叩いただけで、どういう構造になっているのか分かってしまうらしい。そんな姿を「プロっぽ〜い!」と感心しつつ、打ち合わせをすすめていく。話し込むこと3時間以上、午後3時から始まったのだが、あっという間に窓の外は夜になってしまった。

 最後に河村が「だいたいのところでいいので、いくらぐらいになりそうですかね?」と聞くと、「う〜ん、まだなんともお答え出来ません。」としごく当たり前のお返事。「そこをなんとか、だいたいのところでいいので。」と河村が畳みかけると…メモを見、電卓をはじき、しばらく考えた末「う〜ん、○○ぐらいですかね。」とポツリ。ある程度は予想していたとはいえ、私達にとっては分不相応な大きな金額に、「え?誰が払うの?」とふたりして無言のまま青ざめた私達だった。

■4月某日
 名古屋に帰ったその翌日から、何かあるとSさんからは逐一報告の電話が入る。現状をはつる工事業者、壁紙を貼る内装業者、ペンキを塗る塗装業者、それぞれの業者に現状を見せ、見積りを出し、それをSさんがまとめるため、実際に見積りが出るまでは少し時間がかかるらしい。見積りが出るまで、戦々恐々として過ごす。

■4月某日
 あれから数日。ようやく見積りが出てきた。Sさんを紹介してくれたアンティークディーラーTさんも「彼は安いよ。」と言っていたし、同じく自分のお店をSさんにお願いしたアンティークディーラーMさんも「彼はちゃんとしてるから。きちんと見積りを出してくれるし、見積りが出た後に部分的に断ってもいいんだよ。」とみんなの信頼を受けていることが分かる。実際にメールで送られた見積りを見てみると、みんなの言葉通り、納得のいかない箇所はない完璧な見積り。河村とふたりでチェックしても、文句のつけようがない。「ここはああして。」「やっぱりここはこうして貰おう。」と若干の修正点だけを電話で伝え、次回の打合わせの約束をした。
 あと、心配なのは工期だけ。それもまた私達にとっては大問題なのだ。様々な業者が入ってする工事だけに、こちらもまだすぐには予定が立てられないらしい。果たしていつ出来上がるのか?

■4月某日
 住居の契約のため河村ひとりで東京行き。今回は一泊して、翌日はまたSさんと内装工事の打ち合わせをするのだ。私と河村はほぼお互いの考えを摺り合せてあるのだが、それでも必要とあらば、その懸案を持ち帰って、後日回答をすることにしている。名古屋でひとりクロージングセールをする私は、「どうなったんだろう?」と考えながらじっと待つ。

■4月某日
 ひとりで東京へ行っていた河村が帰ってきた。自分達の住居に関する様々な手続きを済ませる傍ら、Sさんと現場で打合せ。事前に名古屋の内装材を扱うサンゲツのショールーム(初めて訪れたここの広大なこと、沢山の素材があることにびっくり!)へ行って、希望する壁紙やカーペット素材のサンプルを貰ってきていたので、それを元にさらに細かく私達の希望を伝え他のだ。本来だったら、素敵な輸入物の壁紙やカーテンを使いたかったのだが、普通の住宅だったらたっぷり時間をかけて準備出来るのだろうが、いかんせん入荷までに二ヶ月も三ヶ月もかかる輸入物を使うのは今回は無理。いつの日か何年か先に改装する時までのお預けとなった。でもその代わり、いつか自宅で使おうと長年大事にしまっておいたアンティークのカーテンを使うことに。なかなか自宅では陽の目を見る事のなかったカーテンだが、柄もサイズもぴったりなのだ。

■4月某日
 連日河村の携帯にSさんから電話。なんでも、既存の壁を壊してみたら、中からもうひとつの窓(!)が出てきたらしい。他にも作り壁を壊してみたら空洞で、ほとんど土台になる壁が無く、その部分を新たに造作しなくてはならなかったり。壁ひとつ作るのでも、他の部分は 天井近くにオリジナルのアールが残っているので、土台のない部分は左官屋さんに作って貰わなければならない。何しろ古いビルだけに、通常の内装工事では考えられないような事が次から次へと起こるのだ。

■4月某日
 またもや今日も河村の携帯にSさんから電話。彼から電話がかかってくる度にドキドキしてしまう。奧野ビル内の店舗をいくつか手掛けている彼だが、そんな彼でも、予想だにしない事が次々と起こるらしい。

 今度は作り壁の中から出てきた様々なパイプの処理について。そのほとんどが既に使われていないパイプなのだが、中にはまだ「生きているパイプ」もあるため、むやみに撤去出来ないのだ。そして、なんと床からもパイプが!そういえば、ちょうどその位置は元々水場が作ってあったのだが、不自然にステップになっていて、一段高くなっていたのだ。あれは床から飛び出たパイプのせいだったのだ。Sさんの話では、いらないパイプは出来るだけ取り除くのだが、床のパイプは完全には取り除けず少し盛り上がってしまうとのこと。3cmぐらいの盛り上がりを左官屋さんが富士山のようになだらかにならしてくれるらしい。どちらもバックヤードになる部分でもあるし、仕方のないこと、とある意味達観してはいるのだが、次は何が出てくるのかと、戦々恐々としてしまう。


■4月某日
 ようやくセールも終わり、ゴールデンウィークにさしかかろうとしていたこの日、工事進み具合と打合せ、NTTの手続きを兼ねて東京へ。こうして東京へ行く度、少しずつ、自分達の引越しもしていこうという魂胆だ。
 連休の始まりの渋滞に巻き込まれ、東京に着いたのはすっかり日も暮れた頃。それでも他のテナントをおもんばかって、夜間に作業して下さっているSさんは私達の到着を待っていてくれた。

 早速、件の壁の内側から出てきた丸窓をチェック。長い間、壁の内側に閉じ込められていたこの窓は、建物が建てられた当初のオリジナルの物らしいのだが、外側からは塞がれ、鉄線の入ったガラスはバリバリにヒビが入り、斜めにスライドして開ける機構は錆びついていてビクともしない。Sさんの話では、東京大空襲で周囲が燃えた時の名残りらしい。遥か昔の出来事が亡霊のように甦ってきたように思われて、思わず「東京大空襲?」と聞き返してしまった。話だけしか知らなかった遠い過去の出来事が急に身近に感じられる。

 これが「亡霊窓」です!(笑)確かに窓枠は焼けこげ、鉄線の入ったガラスはバリバリ。でも、僅かの期間、その姿を世間にさらしたものの、あっという間にまた壁の内側へ。

 そして、もうひとつ私達とSさんを悩ませる問題が。Sさん自身も先日、以前自身が手掛け、震災で被害を受けた物件の補修に仙台に出張していたのだが、電気工事一切を依頼している電気屋さんが、やはり震災に絡んで秋田に出張することになり、工事の予定が流動的だというのだ。電気工事が済まないと、エアコンの移設が出来ず、壁紙を貼る工程に影響し、さらに壁に作り付けて貰うガラス棚の工程にも影響してくる。おまけに電気工事が前倒しになったことを想定し、天井に提げて貰うことになっていたシャンデリアニ燈の補修に、翌々日にもまた東京に来なければならなくなってしまった。あぁ、こんな事なら、今回シャンデリアを持って来るんだった!

 今日は他にも試し塗りされた壁や天井、窓枠の色のチェック。窓枠のアイボリーは私達の思っていた通りの色なのだが、壁と天井の色は微妙で、陽の暮れたこの時間では判断が出来ない。色のチェックは明日への持越に。

■5月某日
 昨日遣り残した壁の色のチェックなのだが、明るくなってから見ると、なんだが思っていた雰囲気とは違う。「いったい何が違うのか?」と自問自答するうち、ハタと気づいたのはペンキの艶だった。そう、「マットな質感で」と言ったはずなのに、なんだか妙な艶が。Sさんにそう指摘すると、マットなペンキが間に合わず、とりあえず「半艶」を塗ってみたのだそう。その部分の色の確認は改めてメールで画像を送ってくれることになった。

 東京に来ると、こうしたお店の細々とした打合せとともに、自分達の自宅も整えていかねばならない。今回も空いた時間に千葉のIKEAまで車を走らせた。

 さて、東京の用事が済むと一目散に名古屋へ帰宅。今晩遅くに名古屋に着くと、翌朝またシャンデリアを持って東京へ行かねばならないのだ。その日、名古屋に着いたのは午前2時だった。

■5月某日
 ゆうべ遅くに帰ったと思ったら、またもや東京へ。東名高速に慣れている私達も流石に憂鬱だ。おまけに今日からゴールデンウィークも本番、出発前にインターネットで調べた道路状況は最悪で、ところによっては40キロ近く渋滞している箇所もある。東名高速にのってから、あまりの渋滞に恐れをなして中央道へ。こちらも岐阜県のアウトレット周辺は高速道路だというのにまるで一般道のように大渋滞!そんな渋滞をなんとかくぐり抜け、東京に着いたのはもう夕方だった。

 高速を降りると、昨日Sさんから聞いていたアンティークのシャンデリアを専門に扱うショップへナビを頼りに車を走らせた。
 今回の依頼はシャンデリアの丈を詰めて貰うこと。元々、買付けから持ち帰り、名古屋のサロンにそのまま飾っていたのだが、天井が低くなることを考慮して支柱の部分を短くして貰うことに。出来上がった後のピックアップはSさんに任せ、電気屋さんのスケジュールに間に合うようセッティング。これで無事シャンデリアが設置出来るはず。

■5月某日
 東京の自宅に一泊したのち、さっさと名古屋へ。まだまだこれから「サロンの引越し」という大仕事が待っているのだ。サロンの大量の荷物を思うと、頭が痛いどころか、大いに不安、気分が暗澹としてくる私達だった。帰ると今度は引越しのための業者との打ち合わせが待っている。
 Sさんからは、何か新たな問題が起ると、度々河村の携帯に電話が入る。今度は、壁がまっすぐではないため、壁と天井の際部分に付けて貰うモールディングが上手く付けられなかったり、壁に直付けするガラス棚に数ミリの狂いが出るとのこと。あの古い奥野ビルでのこと、今回の内装に厳密さも求めていなければ、少々なことには驚かなくなっている私達。「あぁ、その程度のこと、全然大丈夫です!」とお返事。

■5月某日
 名古屋の自宅でのんびり過ごしていた午後11時。河村の携帯にSさんにメールが送られてきた。彼はこの時間も仕事をしていてくれたのだ。壁の色あいの最終チェックをするため、ペンキを塗った壁のサンプル画像が添付されている。私達のお願いしていたのは左下の色合いだが、既に決まっている壁紙のピンク(ブルーのテープで貼られているのが壁紙のサンプル。)とのバランスを考えると、壁紙の右側の色が良いのではないかとのこと。プロの言うことには黙って従った方が良い、というのが私と河村の意見。すぐに「そちらでお願いします!」と返信した。

 比べてみると確かにSさんの言う通り。実際に塗った感じも「バッチリ!」の配色でした。

■5月某日
 アンティークショップの内装を数々手掛けているSさんのお陰か、私達がいるときにも、留守中にも、興味津々のアンティークディーラー達が工事真っ最中の現場を度々訪れているようだ。今日は以前お世話になった銀座アンティークギャラリーのM氏から私の携帯にtel。近くまで来たので立ち寄ってくれたらしい。そういう彼もSさんとは顔馴染み。「もう凄い色でびっくりしたよ〜!」とM氏。どうも塗って貰った赤紫のことを言っている様子。「え?凄い色?でもまだこれからピンクの壁紙も貼るし…。」と不安になる私。でも、「そんなに凄い色?」とか「どうだった?」とか聞くのもはばかれる気がして、心配がムクムク湧いてくる。いちいちSさんに「凄い色って言われたんですけど大丈夫ですか?」と電話で聞く訳にもいかず、少しグレイな気分に。

■5月某日
 今日もSさんから夜遅くメールが入った。被災地の秋田の仕事との兼ね合いで、工期がどうなるか心配していた電気屋さんも無事工事に入り、エアコンの移設も無事に済みそうという連絡だ。これで私達がずっと気に病んでいた窓の外の室外機(そのせいで片側の窓が開かなかった。)も裏側の非常階段に移すことが出来る。それを知って少し気分が明るくなる私達。お昼間、河村がSさんに電話した折に、「どんな状況かメールに画像を添付して送って下さい。」と言っていたのを覚えていてくれて、数枚の画像も送られてきた。「凄い色!」と言われて不安になっていた壁の色も、私達には良い感じ。「あぁ、良かった。」とほっとする私。

 壁の色、確かにショッキングな色かしら?でもこんな色が良かったので私達は大満足!唯一残った「生きているパイプ(これを取り外すと水漏れが起って大変なことに!)」も同色で塗っていただきました。


 ドアと窓枠はアイボリーに、天井は淡いグレイに塗装。こちらは前回東京に行った折に実際の色合いをチェック済み。このドア、ビルが建設された当初のオリジナル。本当は、小さなコマにはすべて粗目ガラスが、そして一番上の大きなガラス部分には板がはめ込まれていましたが(上の画像を参照のこと。)、中央の粗目ガラス2枚を残してすべて透明なカットグラスにはめ替え。ドアの右側には書棚を作っていただきました。


 左の壁の丸枠はオリジナルの窓枠なので、外す訳にはいかず(でも窓そのものは外側から塞がっています。)、枠の中にミラーをはめることに。元々は右上に設置されていたエアコンの機械も取り外されて床に置いてあります。

■5月某日
 悩みの種だった引越しだが、最後まで「自分で運ぶ!」と悪あがきをしていた河村も、サロンに寄ってくださったブロカントAのご主人の「しのぶちゃん、これは無理やで!」というツルの一声に断念。様々な引越し業者と打ち合わせの後、めでたく某S社に依頼することになった私達。引越し当日までの片付けは、物を捨てなければならない現実と、物を捨てられない私自身との狭間で、正に悪夢のよう。今まで引っ越した経験が一度もなく、すべての物を手放せない私は、「みんな東京へ持って行く!」と、どんどん荷物を詰めていったのだが…。(結局、東京のお店にはスペースの都合上、入れることが出来ず。その後捨てたり、名古屋へ持って帰ることになろうとはその時は思いもせず…。)
 いよいよサロンの引越しの手はずも整い、某S社の方々の素晴らしい働き振りにより、ガラスケースのセットも大きなバッフェもトラックに難なく積み込まれていった。

 さて、その引越しの日の夕方、荷物がパンダのマークのトラックに積み込み終るやいなや、私達自身も東京へ車で移動。今晩遅く、荷物を入れる前にSさんから完成した部屋の引き渡しをされることになっているのだ。

 銀座に着いたのはまたもや午後11時近く。そんな中、Sさんは出来たてのお部屋をピカピカにお掃除して待っていて下さった。廊下にも、私達のリクエスト通り赤いカーペット。そして、ドアを開けて部屋に入ると…「いや〜、可愛い!素敵!!まるでお店みたい!」と興奮状態の私。(←もちろんお店なのだが。)壁や天井のモールディングはまるでオリジナルかのようだし、アンティークの照明も取り付けられ、そこは私達が頭の中でイメージしていたお店が現実に形になって現われていたのだ。思った以上の出来上がりに、しばし感動の私達ふたり。新品にもかかわらず建物本来のクラシックな感じが素敵で、思った通り。Sさんが苦労して下さった跡が随所に見られる。すっかり嬉しくなった私達は、長距離ドライブの疲れも忘れ、次の日引越し荷物が届くことも忘れて、すっかりハイになっていた。

■5月某日
 今日は昨日名古屋で積んだ荷物がお店に届く日。昨日引き渡されて綺麗だったお部屋はあれよ、あれよという間に荷物で埋まっていく。そして、足の踏み場もなくすべての荷物が部屋に入った時には私もすっかり現実を把握したのだった、全部の荷物が入らないということを…。サロンから持って来た間仕切り用のパーテーションは、その場で某S社に「これって引き取っていただくことって出来ますか?」と早速処分。「こんなことなら、名古屋で他の物と一緒に処分するんだった。」と思うが後の祭り。荷物の山に囲まれながら、昨日のハイテンションも忘れて、一気にローテンションに!果たしてこの荷物、みんな片付くのだろうか?

■5月某日
 買付けに行く日が迫る中、荷物を一旦部屋から出しては家具をセッティングし、その荷物を少しずつ所定の場所に片付けていく。なにしろバックヤードというものがまったく無いので、余分な物をどこに片付けるかということが悩むところ。今までは贅沢に使っていたバッフェの下の棚も、この際隙間無くギッチリ普段使わない物をしまう。以前、サロンのクローゼットの中にしまっていた組み立て式の引き出しをずらりと横に並べてガラス棚の下に入れ込んで、布を掛けて見えなくする。実は、商品以外にも、ストックやら工具、包装材、アンティークを綺麗にするための道具やら、アイロンやアイロン台までも、様々な物を所有していて、それはどうしたってお店に置いておかなければならない。こんなに頭を使って物をしまったことはないかも。ほとんどパズルのようだった。
 この時点でも、まだ商品は箱に入ったまま。こちらは買付けから戻った後、新着の商品と一緒に並べるのだ。

■5月某日
 私達の持っているガラスケースの3点セットは「昭和初期に東北のデパートで使っていた。」という物を、7年前に名古屋でサロンをオープンした際に東北の和物屋さんから譲っていただいた物。(というか、嫌がる和物屋さんを口説いて無理矢理名古屋まで送らせた物。)元々は電気も何も付いていない状態だったので、河村が電気を仕込んで灯りがつくようにしてあったのだが、このたび引越しと共に中の灯りはLED照明に変更。河村はあちこちの電気屋さんを回って、ちょうど良いサイズの物を探し歩き、ガラスケースにセッティング。もうひとつ、今回自宅で食器棚として使っていた薬品棚をデコレーションして、ディスプレイケースに変身。後ろのガラス板には布を張り、飾り気のない真鍮のハンドルをフランスのアンティークに付け替え、私が得意のペンキと刷毛でエイジング。下のガラス棚は内側からカーテンと同じ布を張って物入れに。
 
 カーテンといえば、今回、壁紙と一緒に探し回ったカーテンだったが、結局私が自分で使おうと長年温めていたトワル・ド・ジュイのこのカーテンが、大きさも柄もぴったりだったのだ。あらかじめ私の母を動員して窓のサイズに合わせて縫ってあったので、後はカーテンポールを付けて掛けるだけ。カーテンポールは既に名古屋で手配済みで、後はこちらに届くのを待つばかりだったのだが。届いたカーテンポールの箱を開けてみると…ポールを固定するブラケットが入っていない!慌てて購入した名古屋のお店に電話をし、メーカーから直接送って貰うことに。まったく人騒がせなカーテンポールだ。電話で問い合わせた購入したお店のおじ様がとても親切な方で、メーカーに連絡してテキパキと手配して下さったのが唯一の救いだった。

 これが「元薬品棚」、このスリムなサイズがお店にちょうど収まったので。ディスプレイケースにはもちろんですが、引き出しや下の棚は物入れとしてもバッチリでした。


 では詳しく見ていただきましょう。鍵穴はフランスのアンティークで、引き出しのハンドルとお揃いの物。鍵は20年近く前に私がフランスへ遊びに行った時のお土産。こんなところに飾ることになろうとは。


 このフランスのハンドルはアンティークだったのですが、デッドストックでピカピカだったので、上からアイボリーのペンキを塗ってエイジングしてみました。本当はこうした作業が大好きです。

■5月某日
 まだ荷物は片付かない。お店の中に積んだ商品の入った箱を毎日眺めながら憂鬱な私。あんなに綺麗にお店を作ってくれたSさんがこの有り様を見たらいったいどんな顔をするだろうか。しかし、そんなSさんの顔を見る間もなく私は先に明日から買付けへ。東京に残った河村がカーテンポールを取り付けたり、まだしなければならない様々な用事を済ます予定。果たして河村はひとりで大丈夫だろうか?

■5月某日
 買付けから戻ってきた!「カーテンは付けたよ。」と、さも自分ひとりでしたようなフリをしていた河村だが、実際にカーテンポールを付け始めると、片側の壁の内側は木の梁になっていてネジが効いたのだが、もう片側の壁の内側はコンクリートでどうにもならず、SさんにSOSを出し、ドリルで取り付けてもらったらしい。一緒に同じく私があらかじめペンキを塗ってエイジングしておいたカーテンのタッセルを掛けるホルダーも、Sさんの手により取り付け完了。そして、廊下の壁に付けたコンソールもやはり彼の手で。お店の内装が完成した後でもSさんにはお世話になりっぱなしだ。
 今回の買付け中にパリの街のあちらこちらを探し回ったタッセルだが、結局色やサイズの合う物を見つけることが出来ず(フランスにあるタッセルときたら、日本人の私達にとって巨大サイズの物ばかり!)、早速パリで手に入れたロープと小さなタッセルで自作することに。これが意外に簡単で、なんとかカーテンタッセルとして使えそう。ホルダーにはパリのフェアで手に入れたハート形のガラスのオーナメントをリボンで取り付け。このオーナメント、結構大きいのだが、実はアンティークのクリスマスツリーのデコレーションらしい。ぷっくりしたふくらみが可愛くてアンティークの宗教物のオーナメント「サクレ・クール」のようで私達のお気に入りなのだ。

 買付けから戻ると、取りあえずカーテンだけは付いていてひと安心。ピンクの壁紙に赤いトワル・ド・ジュイも良い感じ。


 近づいて見ていただきましょう。私達が「ギボシちゃん」と呼ぶアンティークのホルダーもSさんの手により木の台座を付けられて綺麗に設置。ガラスのハートもチャーミングでしょう?


 ドアの脇に付けて貰ったこちらのコンソールは、以前イギリスで仕入れてから店頭に出す場所もなく、ずっとずっと長年温めてきた物。名古屋の自宅倉庫からひょっこり出てきた時には、「あっ!これいいかも。」という訳で、まさかの復活!ここにきてようやく日の目を見ることが出来ました。看板やDM、ショップカードを置いて。

■5月某日
 買付けてきた商品の整理を始めるのと一緒に、買付けの荷物の中からお店のデコレーションのために仕入れてきた物をゴソゴソ取り出して、早速取り付け。今日付けたのは部屋番号“208”の金具とタイル。“208”の金具はドアに、タイルはドア枠の上に。どちらも今回フランスで調達したのだが、同じような物って日本にもあるのだろうか?まっすぐに付けるために脚立に乗って、「ああでもない。」「こうでもない。」と取り付けるのは結構楽しい。少しずつお店らしくなってきた気がする。
 河村は河村で、フランスで仕入れた金属製のサクレ・クールと私が奇蹟のメダイ教会で入手してきた「奇蹟のメダイ」を通気口のパンチングメタルに取り付け。お店に来ていただいた方皆に幸せが舞い降りますように。

 これがフランスで手に入れたタイル。本来はおうちの番地を表す玄関先に付けるタイルのようです。


 Sさんに綺麗にアイボリーに塗って貰った通気口には、中央に周りがフランボワイヤンになったの19世紀のサクレ・クールと「奇蹟のメダイ」を付けて。

■5月某日
 私は連日買付けてきたアンティークの値段付けに没頭。河村はピクチャーレールの金具やスポットなどのまだ足りない様々な物を調達に都内のあちこちへと走り回る。昨今の節電のため、お店の中の電気はシャンデリア以外全てLEDで統一。初期投資はちょっぴりかかるものの、LEDスポット10個で40Wの白熱電球1個分と同じ電気代というのは画期的だ。

 シャンデリアの電球もLEDに替えてしまおうと、シャンデリアの支柱を短くして貰ったアンティークのシャンデリアを専門に扱うショップで尋ねてみたものの、「アンティークのシャンデリアとLEDの光源は雰囲気が合わないから。」とやんわり断られてこちらは断念。

 内装が出来上がったということで、様々なアンティークディーラーの知人が見にやって来るのだが、皆いまだ「倉庫状態」のお店の状態に絶句しながら帰って行く。果たして開店に間に合うのだろうか?

 こちらのシャンデリアは長さを変えることが出来ず、そのままの状態で設置。背の高い方だとちょっと注意が必要かも。新たに入手した丸いモールディングのメダイヨンはSさんの手により綺麗に天井に。


 こちらが丈を縮めて貰ったシャンデリア。支柱が短くなってもあまり違和感もなく無事設置。こちらのメダイヨンは名古屋のサロンに付けていた物で、元々はフランスから持ち帰った物。

■5月某日
 開店が三日前に迫った今日、やっと値段付けが終わり、明日から二日間で飾り付け。奥野ビルの住人(実際に現在ここに住んでいる人はいないのだが。)は皆朝が遅く、夜は早い。そんな中、誰よりも早く奥野ビルに出勤してきて、そして誰よりも遅く帰る私達。あと二日でなんとか形にしないと!でも、今まで骨董祭やアンティークフェアでは長くても数時間で搬入と飾り付けをしてきたことを思えば、あと48時間あるかと思えば余裕の気もする。

■5月某日
 開店二日前だというのに河村は留守。それというのも、経理上の用事でどうしても名古屋の税理士のところへ出向かなければならないため。日帰りで名古屋に帰ったのだ。あらかじめ分かっていたことでもあるし、その昔、私がひとりでこの仕事をしていた頃は、当然ひとりで飾り付けもしていた訳で…さほど不安はない。私をひとり残して東京を離れる河村の方が心配のようだ。

 まずはガラスケースの中からディスプレイ。新入荷の商品を交えてジュエリーをディスプレイするのは、毎度ワクワクする。今日も午後9時過ぎまで作業、誰もいなくなった奥野ビルでひとりで静かにせっせと作業をするのはけっして嫌いではない。

■6月某日
 「なんとかなったと思わない?」と名古屋から戻ってきた河村にねぎらいを強要してしまう。店内には商品が入っていたプラスチックケースがいくつも積まれていていまだ「倉庫状態」なのだが、後はコンセントの取り付けや、スポットライトの向きの調節、看板用の画像をプリントアウトしたり、細々した仕事が残るのみ。何とか出来そう!

 そんな頃、知人のアンティークディーラー達からお祝いのお花が届き、いやがおうでも開店の気分が盛り上がる。さらに夕方、私の携帯に大学時代の同級生から電話が。お客様にはとうの昔にDMをお送りしたのだが、自分の個人的な知り合いには昨日やっと送ったばかり。名古屋を離れることもあり、挨拶がてら送ったのだった。

 同級生で名古屋在住の彼は東京に出張中。たまたま彼が自宅に電話をしたところ、奥様から私達のDMのことを聞き、電話してくれたのだ。「いま銀座の松屋の前にいる。」と言う彼に、「何?松屋!?そこから2分の場所だから是非寄って〜。」と無理矢理呼びつける。(「そんなところが学生時代から変わっていない。」と彼は苦笑していたかも。)まさかこんな時に、しかも東京で彼に会えるなんて!河村とも面識があるので、ふたりとも楽しみに待っていると…綺麗な紫の芍薬のお花をお祝いに持ってやって来てくれた。開店直前のこんな時に、思いがけず「癒し系」の彼と会うことが出来、私も河村もほっと嬉しい気分になった。

 ようやくお店が完成したのは午後10時近く。そんな時間にもお客様から「開店おめでとう!」のメールが届くのがとても嬉しい。まだまだ未熟ではあるけれど、取りあえず「やり尽くした。」という達成感が。でも、「まだまだこれから少しずつ進化していく店にしたい。」と思いながらお店を後にした。

 それではこちらからどうぞ!ドアの色は薬品棚やガラスケースなど什器に合わせてアイボリーに。中が見えやすいように透明のカットグラスに替えて貰ったのだが、ここだけ残した下から2段目の竣工当時のオリジナルのガラスがポイント。


 ホワイトキューブだったお部屋は、ピンクの壁紙とグレイの天井、ボルドーのカーペットで、すっかり色味のある空間に変貌しました。


 元々は窓だった左の壁の丸い窓枠の中には、縁をカットした鏡を埋め込みました。窓ではないけれど、圧迫感が少しは和らいだでしょうか?


 この通りエアコンも元あった場所から無事移設し、ちゃんと窓も開くようになりました。やれやれ。