パレ・ロワイヤル
〜 Palais Royal 〜

パレ・ロワイヤルの中庭に設置されたダニエル・ビュラン作のストライプの円柱。クラシックな歴史的建造物と現代美術とが融合した興味深い空間です。パレ・ロワイヤルは、かつて小説家のコレットや、詩人のコクトーが愛人ジャン・マレーと住んだことでも知られています。

 セーヌの右岸、パリの中心に位置するルーブル美術館。パレ・ロワイヤルは、ルーブルの北側に位置する、元祖パサージュともいえる回廊に囲まれたギャラリーです。パレ・ロワイヤルは、もともとブルボン王朝の分家オルレアン家の居城でしたが、1784年にルイ・フィリップ・ドルレアンが、中庭を回廊で囲みその一階を、現代でいうところの「アーケード」、店舗の入るギャラリーに改造してからは、パリでも一番の盛り場として名を馳せました。


パレ・ロワイヤルの中庭のフランスらしい幾何学的な木立。この中庭にも、18世紀当時 “ギャラリー・デュ・ボワ(木のギャラリー)”と呼ばれる商店街が連なっていました。

 当時のパリの街は、下水道もなくごみや汚物は窓から捨てるのが日常的、通りは不潔そのもの、そこをウィンドウショッピングをして歩く、などという行為が考えられない時代ですから、この雨露をしのぎ、美しい店舗が連なるパレ・ロワイヤルがどんなにか人々の賞賛や人気を集めたのかは想像がつきます。その当時のパレ・ロワイヤルは、ヨーロッパ中の観光客が押し寄せ、昼も夜も大勢の人々で賑わっていとたか。現代のひっそりと静まり返った回廊からは想像もつかない光景です。この回廊のアーケードこそ、現在もパリのあちらこちらに残るパッサージュのルーツであり、1872年にプシコー夫妻の世界初のデパート オゥ・ボン・マルシェが出現するまで、デパートの事実上の前身ともいえるものでした。


人影のない中庭を横断する回廊。パレ・ロワイヤルは、1632年ルイ13世の御世、当時の枢機卿だったリシュリューが国王の住まいだったルーブル宮の側に居を構えたことに始まっています。リシュリューの死後、パレ・ロワイヤルは王家に送られ、ルイ14世も幼年時代をここで過ごしました。

 賑やかな繁華街に娼婦が集まってくるのはこの時代の常。パレ・ロワイヤルは、午前2時になっても昼間と同様な賑わいだったといわれています。ところが1830年フランスの王位についたルイ・フィリップが、自分の居城であるパレ・ロワイヤルから娼婦や賭博場を追放したところから、パレ・ロワイヤルの凋落が始まります。そして、一度離れていった人々は二度と戻っては来なかったのです。それはひとつの時代の移り変りでもありました。


僅かに残る回廊の床を飾るモザイク。時間が止まったような店舗の間に、長年閉まったままのシャッターも垣間見られます。その静けさに身を委ねる心地よさが、パレ・ロワイヤルの魅力となっています。

 そして現在、パリの街の真ん中にあるにもかかわらず、その回廊には、何十年もシャッターを下ろしたままの店舗の間に、アンティークの勲章を売る店、古切手を売る店、現実とはかけ離れた雰囲気の店舗がひっそり営業をする静かな空間が続いています。パレ・ロワイヤルが寂れ始めたのが19世紀の前半ですから、寂れ始めてはや200年近く、その寂れ具合にも年季が入っているというものです。その静かな回廊を飾る照明や僅かに残る床のモザイクが、かすかな残り香のように往時の様子を伝えています。


いったい誰が買うのでしょうか?美しく重々しい雰囲気の古い勲章が並ぶショウウィンドウ。古い勲章を扱うアンティークショップは、何時も人の気配がありません。