マレ地区

塔が印象的なスービーズ館。もともとはスービーズ公の屋敷だったというこの建物は、現在は、フランス歴史博物館として内部も公開されています。

 パリ右岸3,4区、マレ地区は、オスマンのパリ大改造の手から逃れた貴重な地域、パリの中でも最もシックなカルチェ(街)、伝統とエレガンスが感じられる落ち着いた街です。パリの街の大半は、1800年代半ばにナポレオン三世の命により、当時のセーヌ県知事オスマン男爵によって改造されました。それまで民家の密集していたパリの街に、今も「ブールヴァール」や「アベニュ」と呼ばれる大通りが作られ、オペラ座や凱旋門、サクレ・クール寺院などのランドマークとなる建築物が作られ、大通りが放射状や直線の幾何学的に構成されたのが、この時代のことでした。ですから、今パリの街で見かける建造物のほとんどは、この時代に建てられたものばかりです。

石造りの高い外壁。「塩」にその名が由来する17世紀の館、サレ館。塩の徴税請負人の屋敷だったとされるこの屋敷は、現在ピカソ美術館として開館されています。

 それまでのパリの街は、遥かかなた紀元前にローマ人が住み始めた頃から都市計画というものが行われたことがありませんでした。特にシテ島などのパリの中心地にいたっては、狭く日も差さない袋小路に5階建ての朽ち果てた漆喰の家がびっしり立ち並び、当然上下水道は無く、石畳の道端はゴミ捨て場と化し「中世そのまま16世紀のカトリーヌ・ド・メディシスの時代と変わりが無かった」と言われる街の様子からも、当時の衛生状態はおして知るべしというところでしょうか。

4区を歩いていて偶然通りがかった古い木造建築。説明の書かれ立て札には、「1400年代に建てられた」とあったので、きっとオスマンのパリ改革前には、パリの街中はこのような建物に一面覆われていたに違いありません。

 こうしたなか、ただ唯一オスマンによる改造の手を逃れたのは、マレ地区がもともと貴重な中世建築のである貴族の館が多く立ち並ぶ場所であったためのようです。今では、パリの歴史博物館となっているスービーズ館、ピカソ美術館となっているサレ館、カルナヴァレ館など、それぞれの時代の装飾も美しい16世紀17世紀に作られた貴族の館が今も多くの残っています。

作られた当初は貴族の社交の場で、作家ヴィクトル・ユーゴーも住んだヴォージュ広場。パリで一番古く、一番美しい広場と言われるこの石造りの回廊を歩きながら、知らず知らず300年前の世界へトリップしてしまうのです。

 パリの街中での買付の後、マレ地区で石畳の道を歩きながら点々とする貴族の館を通り過ぎ、1600年代のはじめルイ十三世の時代に作られたというヴォージュ広場で一休みするのが、いつもの習慣です。この回廊に囲まれたヴォージュ広場で過ごす静かなひとときが、私のお気に入りの時間です。作られた当初、貴族の社交の場だったといわれるヴォージュ広場。今では、すっかり朽ちてしまった石造りの回廊ですが、きっと往時は色とりどりの衣装の裾をひるがえして、貴婦人達が行き来したに違いありません。歩くとこつこつ音のするひんやりした石の回廊の中には、今もなおそんな17世紀の華やかな残り香が漂っているような気がするのです。

仕事を終えてマレを歩いていて、偶然足を留めたのが、このセレクトショップ。普段日本では、あまりお買い物をする機会がないので、たいていのお洋服はパリで求めることが多いのです。素敵なウィンドウに足を留めると、そこは日本人のオーナーのお店でした。ピカソ美術館の裏手、このショップのビンテージドレスやシューズ、バッグ、ロマンチックな現代のお洋服には、いつも魅了されてしまいます。

ラクロワやジョン・ガリアーノ、女優のジュリエット・ビノシュも訪れるというお店の中は、ヴィンテージ好きのマダムやマドモワゼルがわくわくする雰囲気がいっぱいです。ジュリエット・ビノシュが訪れたと聞いた時には、思わず彼女の試着したドレスを着ずにはいられませんでした。