前回の「ニードルポイントレース」の章でご紹介しましたアランソンのレースを覚えていらっしゃる方もみえるでしょうか。私が買付け中に巡り会ったものの、大変高価だったこともあり、連れて帰ってくることがかなわなかったレースのことです。その後の買付けで、思いがけずまた再会し、初めて出会ってからしばらく、ようやく日本へ一緒に帰る事が出来ました。
もとはといえば、その前の買付けでの衝撃的な出会い、今まで私が目にした中で最も美しく、最も手の込んだこのアランソンのレース。実際に手にし、本当に繊細な細工を自分の眼で確かめ、気の遠くなるような人間の手仕事の粋を感じ、思わず涙ぐみそうになったものでした。初めて出会ったときには、このレースを連れて帰ることがかなわなかったものの、「もしかしてまた再会することがあれば、そのときはなんとしてでも日本へ連れて帰ろう。」とひそかに心に誓って次の買付けに出かけました。果たして、また同じレースと巡り会うことが出来、こうしてホームページ上でも皆様にご覧いただける運びとなったのです。今は、レースを愛してやまないコレクターの方の手に渡り、コレクションのひとつとして大切にしていただいているはずです。
さて、アランソンの起源ですが、18世紀の中頃のヨーロッパでは時代が変わり、それまで一世を風靡していたフランスの王立レース製造所によるポアン・ド・フランスがすたれ、それぞれ生産地の名称を付けたレースが台頭してきます。ポアン・ド・フランスに変わって盛んに作られるようになったのがノルマンディー地方のアルジャンタン・レース、同様にアランソン・レースです。そして、ルイ14世、15世の時代には、アランソンの絶頂期がやってきます。アランソンに最も高価な値段が付けられ、衣装だけでなくインテリアとしても使用されるほどの贅沢なレースが作られました。ですが、フランス革命の混乱の折、贅沢品ということで目の敵にされたレースはほとんどが焼き尽くされ、レース職人は命を奪われ、アランソン・レースは途絶えてしまいます。19世紀半ばナポレオン3世の後援のもと復活するまで、世の中から消えてしまうのです。
アランソンレースのもととなったアルジャンタン・レースは、グランドと呼ばれるネットすべてが、びっしりとブランケット・ステッチ(ボタンホール・ステッチともいわれます。毛布の端かがりにも使われるステッチなので、ブランケット・ステッチといいます。)でかがられていて、柄にしてもやや大振りな印象です。アルジャンタンのステッチを簡略化したアランソン・レースの方が、より繊細な表現がなされたようです。アランソン・レースは輪郭に馬の毛を芯に入れてブランケット・ステッチで刺し、その張りのある質感から洗濯にも耐える丈夫な性質も併せ持っていました。広いグランドに水玉、小花、ロココ模様などを全面に散らし、立体感のある優雅な花柄を配したうえに、車輪や星型、パールを模ったごく繊細なニードルワーク、そして張りのあるしなやかな質感が持ち味です。
19世紀半ば、ナポレオン3世によって復活したアランソンは、以前よりもさらに華麗なデザインへと移行していきます。当時は、ドレスのひだ飾りとして主に利用されましたが、襟やファン、まれにヨーロッパのミュージアムではアランソンの美しいハンカチなども目にすることが出来ます。
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